口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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第四十話 夏の慰安旅行 其の九

「それでは緊急会議を始めたいと思います」

 

 開口一番、部屋の上座に位置する場所で切り出した大淀の発言に一同は揃って眉を顰めた。

 ホテルの応接用の一室を借りて即席で用意された会議用のテーブルを囲むのは、各部屋の代表者達。チェックインを終え、各々が部屋に荷物を運び入れた直後のためか、服装は皆一様に軽装だ。

 

「チェックインを終えて一息つく間もなく、おまけに夕食まで一時間とない現状での招集……余程の緊急事態ですか」

「そうですね。ある意味では最高ランクと言ってもいいかもしれません」

 

 大淀の返答に普段嫋やかな赤城の顔が盛大に引き攣る。いや、赤城だけではない。部屋にいるメンバーほぼ全員、例外なく顔が青く染まっていた。

 最高ランクの緊急事態。赤城の記憶では過去、大淀の口からその単語が零れたのはたったの一度を除いて他にない。

 誰もが忘却の彼方へと強制的に忘れ去りたい忌まわしき過去の大事件。当時の鎮守府で多数の犠牲者(仮)を出したそれは、伊良湖が未だ着任しておらず、間宮が体調不良で寝込み、鳳翔が遠征代理で不在というある意味で奇跡的なタイミングで発生した。否、現れた。

 

 エプロン姿の比叡と磯風の二人が。間宮食堂の厨房に忽然と。

 

 理由は単純だった。間宮がいないので昼当番は二人でやろうと結論に至っただけ。全ては十割の善意からであり、仲間を想っての行為であったのは間違いない。そうして二人は禁断の領域へと足を踏み込んでしまった。

 今でこそ、暗黒物質(ダークマター)作成請負人と名高い二人の真価が発揮されたのが、奇しくもこの時だった訳だが、振る舞われたカレー(偽)を間宮が前もって作り置きしたカレー(真)と勘違いした周囲にも少なからず問題はあったのだろう。

 更に、見た目が普通のカレーであったことと、その日に限って早朝ミーティングが昼前にずれ込んだことの二つの要素が被害をさらに大きくしてしまい、ほぼ全員が一斉にカレー(偽)を食べ、そして卒倒した。

 

『脳が痺れた』

『噛んだら痛みが走った』

『ルーがコリコリしてた』

 

 カレーを食べた感想としては些か不適切な迷言が数多く生まれたこの大事件は、大本営へと出向いていた提督と、遠征から帰還した鳳翔の必死の看病の甲斐あって、数日で全員回復の路を辿り事無きを得た。ともあれ、大淀の発言から全員の脳裏に過去の大惨事が甦ってきた事は顔色から鑑みても、最早言うまでもない。

 ごくり、と誰かが喉を鳴らす音すら聞こえそうな静寂の中。険しい表情を保ったまま、大淀は隣に座る加賀へと視線を横にずらす。

 

「加賀さん、状況説明をお願いします」

「ええ、分かったわ」

 

 大淀に促され、席を立つ加賀に周囲の視線が集中する。まるでお立ち台に立つスポーツ選手のような状況に、然して気にした様子も見せず加賀は静かに口を開いた。

 

「単刀直入に言うわ。今晩提督が泊まられる予定だった部屋が、急遽使えなくなってしまったの」

 

 途端に場がざわつき始める。

 提督という単語に対して露骨なまでに反応を見せる同僚達が落ち着くのを待つ加賀。どうやら未だ真意を図りかねているのか周囲の空気は困惑に近い。確かに問題ではあるが、最高レベルの緊急事態というには些か足りないのではないかという疑念が見て取れる。

 

「あの、加賀さん。どうして急にそんな事になってしまったんでしょう」

「大きな原因は水漏れ、だそうよ」

 

 白雪の疑問に、加賀は先程フロントで得た情報を踏まえて具体的な内容を説明し始めた。

 

 原因は実に単純で、部屋の掃除に入った人物がバスルームの清掃の際に蛇口を捻ったまま忘れて退室してしまったためだった。使用前はカビ防止のため流しにゴム製の留め具を装着するのが決まりになっていたのだが、湯の溜まり具合の確認だけだったため取り外さなかったのが事故に直結してしまったようだ。

 故に、溢れだした水がそのまま部屋に侵入してしまい、気が付いたときには手遅れになってしまっていた、と言う事だ。

 

「となるとあれか。提督の部屋が別の階に変更になるかもしれないということか」

「半分正解、もう半分は不正解、といったところかしらね」

「? どういう意味だ」

 

 自身の結論に対して要領の得ない、曖昧な返答を返してくる加賀に武蔵は怪訝な表情で眉を顰めた。

 

「提督の部屋が変更になるのは間違いないわ。問題はその”場所”なのよ」

「……場所?」

「そうね。説明するよりもこれを見た方が早いわ」

 

 言いながら、加賀はテーブルに一枚の資料――どうやらこのホテルの見取り図のようだ――を広げ始める。

 一階から三階までがロビーや食事処、休憩室に加え、一般浴場。四階から八階までが客室、九階には娯楽施設など基本的な設備の概要が書かれている。それぞれの客室は予約が入っていれば赤色、空き部屋なら緑色で表示されるようになっているようだ。

 特に変わった点も見当たらない、と加賀の意図に疑問符を抱く武蔵だったが、客室の部屋割りへと視線を移したところで、突如として表情が驚愕へと変わる。

 

「まさか……」

「気が付いたようね。そう、見ての通りここに書かれている客室の色は全て赤。つまり現在空き部屋――言い換えれば、提督が今夜泊まれる部屋がこのホテルには無いという事になるわ」

 

 加賀の言葉に、近くにいた数人が息を飲む音が聞こえた。阿武隈、能代、五十鈴だ。

 考えてもみれば、確かに現在は休暇シーズンのど真ん中。特に注目度、人気共に高いプライベートビーチ付きのホテルとなると空き部屋などある方が可笑しいのだ。

 

「で、では、提督はどうなるのですか!?」

「ここから車で一時間半程行ったところに、別の大本営直轄のホテルがあるらしいの。そこになら空きがあるらしくて、その話を今提督が支配人としているわ。ホテル側の話ではこの後すぐに発って、戻ってくるのは明日の朝になるみたいね。勿論全てホテル側が手配してくれるわ」

「この後すぐって……じゃあ」

 

 能代の言葉の続きを苦虫を噛み潰したような表情で、加賀が紡ぐ。

 

「そうね。このままだと、夕食以降に予定していたイベントは全て提督不在になってしまうわ」

『ええーー!?』

 

 先程のざわつきとは比較にならない怒声に近い悲鳴が部屋中に響き渡る。

 特に駆逐艦組からのブーイングが凄まじく、思わず身を乗り出した漣がバランスを崩し、勢い余ってテーブルに前転、そのまま華麗に地面に落下するという離れ業を披露していた。

 あまりの痛みに悶絶しながらも、震える右手を必死に加賀へ伸ばして抗議の意志を訴える貞子スタイルの漣。まるでホラー映像のような彼女の雄姿に追随するかのように雷が前へ出る。

 

「そんな! それじゃあ御飯の後の花火はどうなるの!?」

「その場合残念だけど、提督に参加して頂く事は難しいと思った方がいいわ」

「し、司令と花火ができない……まさか不知火に何か落ち度が」

「あやー、しれーとの花火、雪風メッチャ楽しみにしてたんだよねー。時津風さんとしてもショックー」

 

 駆逐艦一同の合同企画である夜の花火大会。表面上では日頃の疲れを癒す慰安イベントではあるが、彼女達の内心では積極的に提督に甘えられるまたとないチャンスでもあったため、流石にショックを隠しきれていない。

 こんな時、鎮守府の良心である鳳翔ならば彼女達の心を癒す事も可能だっただろうが、残念なことに現在隣にいるのは鎮守府内で”キングオブKY”の異名を持つ隼鷹だ。期待するだけ無駄である。

 

「おーおー、ちびっ子達は大変だねえ」

「なんでそんなに楽しそうな顔なのよ! 隼鷹さんは提督いなくてもいいの!?」

「そりゃ居て欲しいさ、勿論残念だよ。でもお酒はなくならないからね。提督とはまた別の機会にでも飲むさ。二ヒヒ」

 

 雷の噛み付く様な言葉と表情を、隼鷹は柳に風の如くけらけらと笑って受け流す。酒さえあれば他は割とどうでもいいと思っていそうな表情はまさに”こんな大人になりたくないランキング”上位の常連の風格だと言っていいかもしれない。尤も、彼女の持つ良さはその割り切った思考に内包されるものでもあるのだが、敏い雷から見ても只の呑兵衛に見えているのだから、彼女の日頃の行いが容易に想像できるだろう。

 

 そんな二人のやりとりを溜息交じりに眺めていた大淀が、抑揚のない口調で隼鷹へと口を開いた。

 

「ちなみに当然ですけれど提督が移動された場合、飲酒は全面的に禁止となりますので」

 

 慈悲もなければ救いもない分析官の一言に、隼鷹は盛大に膝から崩れ落ちた。死刑を宣告された囚人でさえここまで絶望した表情は見せないだろう。心なしか魂が肉体を手放しているような気さえする。

 周囲をよく見ると、少し離れた場所で似たような状況の人物が同じように椅子から転げ落ちている。千歳と那智、説明するまでもなく隼鷹の呑兵衛仲間である。

 

「な、なんでそんな悪魔のような所業が許されるのさ……」

「当たり前でしょう。万が一何か問題を起こせば、責任は全て管理不行届で提督が負うことになるのよ。最悪の場合、提督としての進退問題にも発展しかねない。そうならないために自制するのは、提督の部下として当然でしょう?」

「……そだな」

 

 加賀の言っている事は正直、大袈裟ではあった。旅行に来て飲むなというのも酷な話だと理解もしている。実際、加賀自身飲むことは好きな方で、決して飲酒に理解を示していない訳ではないのだ。

 だがそれも全て提督が居てこそ、である。提督にとっての優先順位の筆頭が艦娘であるのと同様に、彼女達の判断基準もまた提督を中心に回っている。だからこそ隼鷹は素直に退いた。提督がいなくなればこの心地良い空間も全て消え失せてしまうと理解しているから。

 隼鷹が自分の席へと腰を下ろすのと入れ替わるように、控えめに手を上げた綾波に加賀が視線だけで発言を促す。

 

「えと、部屋が空いていないなら、私たちのどこかの組の部屋を司令官に譲ればいいのではないでしょうか?」

「おお! その手があるじゃん!」

 

 綾波の案に敷波が相槌を打ち、周囲の空気が若干軽くなる。

 が、どういう訳か加賀と大淀の表情に前向きな変化が見受けられず、綾波は背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを一人感じていた。こういう時の予感は大体当たってしまうのが世の常だ。

 まさか、いやでもあの司令官ならもしや、と思考する綾波に内心で謝罪しつつ、大淀はハイライトの消えた瞳で静かに口を開いた。

 

「残念ですが、その案は既に提督本人に断られていますので不可能です」

「……一応聞くけど、理由は?」

「”折角何日も時間をかけて決めた部屋割りなのだろう? きっと部屋でのひと時を心の底から楽しみにしている子も居る筈だ。それに私がいない時間があった方が君たちも羽を伸ばせるだろう”だそうです」

「あんの鈍感提督……」

 

 全く似ていない提督の真似を披露する大淀ではあったが、しかし容易に想像ができてしまう台詞に霞は髪を掻き乱しつつ、悶々とした心の内を隠せない。

 提督は優しく穏やかな人物だ。それはそれでいい。彼女達もそんな提督を慕っている。だが心とは我が儘なもので、満たされればそれ以上が欲しくなってしまう。それこそ偶には提督からスキンシップをとってくれるような積極性を望んでしまうのだ。ハグとか、ハグとか。

 

「さて、現状は大体理解できたようね。それじゃあ本題に入るわ」

「え? 本題って……会議は終わりじゃあ?」

「何言ってるの? 大切な旅行なのに提督と離れ離れなんてそれこそ冗談じゃないわ。そうでしょう大淀?」

「当然です。とは言え部屋に空きは無く、私たちも移動できない。ならばどうするか」

 

 そこで大淀は一度考え込む。否、考え込んだフリだけだ。答えは当に決まっている。

 

「答えは簡単です。提督に私達の誰かと一緒に”一夜”を明かしてもらえばいいんですよ」

「その部屋を決めるための招集なのよ、これは」

 

 ――え?

 初めは皆、理解が追い付かず呆然としていた。少しして頭の回転の早い者数名が理解し、頬を真っ赤に染める。次に、遅れて把握した数名が何を想像したのかニヤけ始める。そうして気が付いた頃には場は桃色の空気で満たされてしまっていた。

 提督も提督なら、彼女達も彼女達で大概であったりする。

 

「え? ちょっとマジで? 本当にそれっていいの? いや、鈴谷的には全然構わないんだけどさ!」

「鈴谷あなた、涎が垂れてるわよ。それにいいも何も、それ以外に何か提督を残す方法があるの?」

 

 あるのなら今ここで教えて下さいと付け加える加賀に、誰一人として口を開く者はいない。

 確かに時間もない現状、加賀の言っている案が妥当なラインであることは間違いないだろう。憲兵的な問題も、本人たちの同意があれば即解消できる話ではある。

 残す問題はたったの一つ。だが、その壁が途方もなく高い事は彼女たちの表情が物語っていた。

 

「でもそれって本当に提督が首を縦に振ってくれるのでしょうか?」

「そうなんです。磯波さんの言う通り、今回の件はバスの座席の時とは状況が違います。最優先で考えるべきは”提督が自然体でいられるメンバーの部屋を選ぶ”ということになります。そのため私情を挟んだ意見は控えるようにお願いします」

「ちなみに、ここにいるメンバーは基本的に理性的か否かで選ばせてもらったわ。そして残念だけれど、現時点で候補から外れる部屋が幾つかあるわ」

 

 ――金剛と大和の部屋だな。

 奇しくも全員の思考が見事に一致したのが、この瞬間だったのは決して偶然ではないだろう。

 あの二人のどちらかがいる部屋で提督と一夜を明かすなど、ライオンの檻にウサギを放り込むようなものである。同じ鎮守府の仲間である彼女達の二人に対する認識は概ねこんな感じなのだ。どうしてこの場に彼女達が呼ばれなかったのか、理由としてはこれ以上ないくらいの説得力があった。

 ちなみに二人の部屋の代表である武蔵と榛名が静かに虚空を眺めている事に触れようとする勇者はいないようだ。

 

「となると私達の部屋も駄目ですね、加賀さん。人数的に」

「残念ですけどそうなりますね。ごめんなさい赤城さん」

「な、なんで謝るんですか!?」

 

 耳まで真っ赤にしながら膨れる赤城をさらりと流して加賀は涼しい顔だ。

 赤城達の部屋は二人に加え、二航戦、五航戦の四人と大鳳の計七人。基本六人で想定されている部屋に八人目の提督が入るのは流石に無理があった。

 同様の理由から候補を外れる部屋が幾つか除外され、残った部屋から選ぶ流れとなる。

 

「妙高さんと那智さんの部屋とかどうですか?」

「無理ですね。足柄がいますから」

「無理だな。足柄がいる」

「……足柄さん、そんなに切羽詰っているのですか?」

「……最近は”飢えた狼”の異名の意味が変わってきているような気がするな」

 

「名取さんの部屋はいけるんじゃないですか?」

「ふええ!? え、えとその! す、すみません……」

「無理よ。あまりの緊張で名取が禿げちゃうわ」

「は、禿げないよ! 五十鈴ちゃん!」

 

「夕張さんのところは……無理ですね」

「ちょ、ちょっと! 諦めるの早くない!?」

「だってあなたきっと、妖精さんと工廠談義で朝まで盛り上がるでしょう?」

「うぐう……否定できない」

 

 次々と候補が潰れていく事態に溜息を隠せない大淀と加賀の二人。

 ある程度理解していたが、改めて考えると、どこの部屋にも一人は問題児が隠れているため中々決まらない。どうやらこの鎮守府は想像以上にイロモノキワモノが揃っているらしい。

 せめて一人、穏やかで安心感があり、且つ周囲に自然と影響力を持っているような人物がいる部屋ならば、とそんな空気が流れたところで、誰かがポツリと言葉を漏らした。

 

「あ、鳳翔さん」

 

 瞬間、部屋中の視線が本人不在のため、代理である同部屋の主へと注がれる。

 まるでそんな流れなど蚊ほども意識していなかった当人である議事進行役である少女――大淀へと一斉に。

 

 

「……え?」

 

 

 こうして提督の本日の宿が決定したのだった。……本人を無視して。

 




 気が付いたら秋イベが始まっていたという。

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