口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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第二十八話 夏到来

「……ちくま~、暑いのじゃ~」

 

 フローリング式の地面にべちゃっと身を投げ出したまま、姉である利根が弱弱しく名を呼んでくる。

 見れば、トレードマークのツインテールは無造作に跳ね、着ている服は汗で滲み、ちらりと覗く鎖骨が艶めかしい。それでいてパタパタとチャイナドレスの下部分のような服をうちわ代わりとして扇いでいる。

 いつもならここらでやんわりと注意を促す筑摩だが、今回に限っては姉のぼやきに全面的に同意だった。

 

「昨日も暑かったですけど、今日は一段と暑いですね」

「熱すぎて干からびそうじゃ……」

「本格的な夏に入ったようですよ。とりあえず冷たい麦茶入れますね」

「助かるのじゃ~」

 

 筑摩自身、汗で張り付く前髪をかき分けながら、冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出す。空になったコップに氷を適量追加しながら麦茶を注ぎ、手渡すと姉はそれをぐいっと一気に飲み干した。

 同じように筑摩も良く冷えたそれを一口。

 冷たい麦茶が全身に染み渡り、熱が引いていくのが心地いい。だがそれも一瞬、すぐにべたつくような不快な汗が全身を覆ってしまう。

 

「う~! 七月も後半に入るっていうのに扇風機一つでこの暑さをどう乗り越えろっていうのじゃ!」

「ね、姉さん下着が丸見えですよ。それにしても昨今の節電事情が厳しいとはいえ、来週までエアコン禁止というのは正直つらいですね」

「つらすぎるのじゃ!」

 

 昨今の節電重視という風潮に押され、大本営からエアコン禁止令が出されたのが一週間前。

 当然爆発的なブーイングが報告場所であった演習場を飛び交ったが、その場を収めるべく提督が『すまない』と頭を下げた瞬間、全員が押し黙り、以降誰一人として文句を零す者はいなかった。

 

「大本営の命では仕方ないですよ姉さん。それに、この状況で一番辛いのは提督ですから文句は言えません」

「……確かに執務室は特に暑いからのう」

「それに加え、この暑さで何時間と書類整理をこなし、私たちの艦隊指揮に常に頭を働かせてくれて、遠征帰還時も欠かさず出迎えてくれています。仕事とはいえ当然、毎日毎日。そう考えると」

「わかっとる、わかっとるんじゃが」

 

 それでも暑いのは苦手なんじゃ~と涙目で再びへたり込む姉に、筑摩は困った表情ながら口元を緩ませる。

 意地っ張りで見栄っ張りなこの姉は、提督の前では良い所ばかり見せたがるのだ。その反動かどうかは定かではないが、その分自分と二人きりの時は行動と言動に幼さが割って入る。

 本人は無意識だろうが、心を許してくれている。そう実感できて筑摩はなんとなく嬉しかった。

 

「こんなに暑いのに筑摩はなんで笑ってられるんじゃ」

「姉さんと提督のことを考えていましたから」

 

 提督の二文字に利根の肩がぴくっと反応する。が、反応しただけで身体はへたり込んだままだ。いつもならすぐに食付いてくる話題だが、まだ暑さが勝っているらしい。

 それならば、と筑摩は小悪魔的な表情で、

 

「知ってますか、利根姉さん」

「……なんじゃ」

「どうでもいいことですが、提督の右の首筋に一つ、そして背中の肩甲骨から尾骶骨にかけて三つ。そこに男らしい傷跡があるんですけどあれってどうしたんでしょうね」

「……ほー」

 

 と、気の抜けた返事が数秒。次いでがばっと顔を上げた利根の表情には焦りと困惑。

 

「な、なぜ筑摩が提督のそんな情報を知っているのじゃ!?」

「さて、なぜでしょうね」

「だ、ダメじゃぞ! ち、筑摩にはまだ早い! 姉としてそんな破廉恥な……」

 

 わたわたと瞳を泳がせる姉を見る筑摩の表情はなぜか蠱惑的で、実に楽しそうだ。

 なおも筑摩の姉弄りは続く。

 

「破廉恥? 私はただ青葉さんから聞いただけですが」

「……ぬぐ」

「利根姉さん、破廉恥ってどういう意味ですか? 一体私と提督で何を想像されたのですか?」

「ぐ、ぐぬぬぬ」

「あら? もしかしてヤキモチですか? 私と提督に――」

「そんなんじゃないのじゃー! 筑摩のあほー! そんなんじゃないのじゃー!」

 

 妹の怒涛の攻めに成す術も無く敗北した利根は、どぱっと涙を流しながらベッドに顔から突っ込んでしくしくと泣き寝入ってしまった。相変わらずの豆腐メンタルである。

 流石にやりすぎてしまいました、と反省しながら筑摩は姉のメンタルの修復作業に入る。

 

「ごめんなさい。困った顔をする姉さんを見ていたらつい楽しくて」

「……別にいいのじゃ。どうせ吾輩は上司である提督で妄想してしまう破廉恥女じゃからな」

「お詫びとして間宮さんのところで冷たいものでも食べませんか。ご馳走します」

「本当か!?」

 

 筑摩の提案に、一転利根は嬉しそうに身を乗り出してくる。

 実のところ、筑摩は最初からこの切り札を用意した上で姉を弄繰り回していたのだが、当の本人は嬉しそうな表情で気づく気配もない。

 まるで菩薩のような穏やかな表情で筑摩は続ける。

 

「今丁度、暑さ対策のためにかき氷を振る舞ってくれているらしいので一緒に行きましょう」

「かき氷か! 吾輩は勿論ブルーハワイにするのじゃ!」

 

 子供のようにはしゃぐ利根に引っ張られながら、筑摩は心の中で思う、姉さんの元気が出て良かったと。

 そのまま二人は軽やかな足取りで間宮食堂へと向かっていった。

 

 

 

 間宮食堂はその性質上、単に食事場としての役割だけを機能としている訳ではない。

 時には迷える子羊のお悩み相談所として、時には猛り狂う大食漢たちの決戦場として、その用途は駆逐艦の微笑ましい交流会から戦艦空母のおぞましいフードファイトまでと実に幅が広い。

 それも全て食堂の主である間宮の人徳か、大小はあれど営業中の間宮食堂から人の気配が消えることは滅多にない。事実今も、各テーブルは涼を求める少女達で埋め尽くされている。

 その中心に吹雪と白雪は座っていた。テーブルの上に特大のかき氷を鎮座させながら。

 

「……暑いね、吹雪ちゃん」

「……そうだね、白雪ちゃん」

 

 試しにスプーンでかき氷を一口。シャリっと小気味いい音と共に一瞬涼しくなるがそれだけだ。涼を求めるというにはあまりにも儚いその感覚に二人は思わず天井を見上げる。

 

「ここなら多少はマシかと思ったけど、甘かったね」

「っていうより、人口密度が物凄い分こっちの方が暑い気がするよ」

「うん、確かに」

 

 吹雪の言葉に白雪がげんなりとしながらぐるりと周囲を見渡す。そして、ひとしきり見終わった後で見なきゃ良かったと後悔した。

 死屍累々、屍の山、まるでゾンビのように呻く仲間達で溢れ返っていたからだ。あまりの暑さにみな着衣が乱れ、かなり扇情的な光景が広がってしまっている。

 丁度姿を現した航巡姉妹の姉の方なんか、ドレスのような下の服をうちわ代わりに堂々と入ってきている。提督がいないからといって、みな乙女心を放り投げすぎではないか。

 

「もしもし? 初雪ちゃん大丈夫?」

「……無理」

「かき氷溶けちゃうよ?」

「……むむ」

 

 姉妹艦で、立派なゾンビと成り果てている初雪が死にかけの蚊のような声で吹雪に返答している。

 姉妹の中でも特に面倒くさがりで出不精の初雪にとって、この暑さは拷問に等しいと言えた。趣味のゲームですら手についていないなんて前代未聞である。

 初雪の隣では深雪が顔面をかき氷に突っ込んだまま機能を停止しているが、誰も触れようとしない。

 

「この暑さでエアコンなしなんて拷問。大本営は私たちを殺す気」

「そうだね。でも大本営もエアコンつけてないみたいだから我慢するしかないよ」

「夜も暑すぎてゲームに集中できない。これは由々しき事態」

「そんなこと言いながらも初雪ちゃん、司令官との約束は一度も破ったことないよね」

 

 白雪の指摘に初雪は前髪を弄りつつ、もごもごと口ごもりながら『司令官に迷惑はかけたくないから』と小さく呟いた。

 ものぐさで面倒くさがりな初雪だが、心根は真っ直ぐでいざという時はしっかりと働くのが彼女という存在だ。働かないときはとことん働かないのも彼女という存在だが。

 

「まあそれでも、他の鎮守府も同じ状況で私たちだけってわけにもいかないよね」

「噂では全員水着で生活している鎮守府もあるみたいだよ」

「……提督は?」

「もちろん水着」

「私だったら引き籠もってる。間違いなく」

「あはは、そうだよね。流石にそれはちょっとね」

「……いいなあ」

『え!?』

 

 白雪の零した一言に二人はどっちだ? と戦慄した。自身が水着を着て生活する方か、提督の水着姿に対してか、前半だとしてもそれなりなのに後半を想像しての言葉だったとしたら……。

 そこまで想像して二人は考えるのを止めた。全てはこの暑さのせい、そう無理やり結論づけて。

 隣では深雪が、元はかき氷だったソレに顔面を突っ込んだままぶくぶくと気泡を上げていた。

 

 そんな楽しげな様子を少し離れたテーブルから眺める人物が三人。

 

「いいわねえ。駆逐艦の子たちはこの暑さでも無邪気で楽しそうで」

「あ、足柄姉さん、足閉じた方が……他の子も見てますし」

「胸元もおっぴろげすぎよ足柄。少しは淑女としての嗜みを覚えなさい」

 

 妙高型姉妹の妙高と足柄、羽黒。彼女たちも例に漏れず間宮食堂に涼をとりに来たのだが、額から流れる汗がその効果の全てを物語っている。

 部屋にいるよりもむしろ暑い。それでもかき氷が食べられるだけ幾分かマシ、そう三人は結論づけていた。

 

「そんなこと言ってるけど、羽黒も妙高姉さんも少し胸元はだけてるわよ」

「え、えと」

「こ、これくらいはいいんです! あなたのそれはやりすぎです!」

「仕方ないじゃない。この暑さだもん、少しぐらい大目に見てよ」

「で、でも下着が見えちゃいそうで」

「提督がいるわけでもないし別にいいじゃない。それに私ぐらいになると魅せる下着で魅力も倍増。まだまだイケるわよ!」

「なんで泣いてるんですか。まったく、あなたは少し那智の勤勉さを見習うべきですね」

「この暑さの中、野外訓練に行っちゃう那智姉さんも大概だとは思うけど?」

 

 ここに来る前に『少しいい汗をかいてくる』そう言い残し、那智は灼熱の太陽のもと嬉しそうに野外演習場へと歩いて行ったのだ。

 足柄は姉の奇行に戦慄したが、何か言うと巻き込まれそうだったので無言で見送った。触らぬ神に祟りなし、アレは狂気の類に違いない。

 

「それにしても本当に暑いわね。こんな状況で書類相手に何時間も仕事してるなんて提督ってやっぱり凄いのねえ」

「でも、前の隣の鎮守府のときみたいに無理されてないか心配です」

「そうね。今夜にでも冷たいものを作って差し入れに行こうかしら」

 

 二人の心配そうな表情に何を思ったのか、足柄が急に妙高と羽黒を抱き寄せ、至る所を弄りはじめる。

 

「うふふ。二人とも乙女の表情しちゃって。この際だから聞いておきたいんだけど、羽黒と妙高姉さんって提督のことどう思ってるの?」

「あ、や、ダ、ダメ! 足柄姉さんそんなとこ触っちゃ……んあ!」

「ちょ、ちょっと! 足柄止めなさひゃう! ど、どこ触って……んっ」

「ほらほら正直に吐いちゃいなさい。じゃないとどんどん触っちゃうわよ~」

 

 耐え難い暑さのせいでオーバーヒートしてしまったのか、足柄の酔っ払いのような絡みはどんどんとエスカレートしていく。

 くんずほぐれつすったもんだの密着戦を繰り返す内に三人の衣服はどんどんはだけて、いろいろと危ない領域まで突入してしまっている。

 たまたま近くにいた青葉が、今が好機とばかりにシャッターを連射するが三人はそれどころではない。

 

「足柄、いい加減に――」

 

 ぬるぬると絡みつく汗の不快さと、極限を極める衣服のはだけ具合に妙高の堪忍袋の尾が切れそうになったそのとき、誰かが間宮食堂の扉を開ける音が静かに響き渡った。

 次いで、入ってきた人物と三人の視線がぴったりと重なる。

 彼女たちにとって不幸だったのは、その場所が入口に一番近い場所だったこと。

 

 遠くで誰かが呟いた。

 

「あ、提督だ」

 

 同時に、鎮守府全体を揺るがすような羞恥の悲鳴が間宮食堂に木霊した。

 

 

 

 妙高と羽黒による足柄への説教はこれから夜まで続くらしい

 周りで囁かれる物騒な話に内心で三人に謝りながら、提督は間宮にかき氷を貰うべくカウンターに向かっていた。

 

「提督、あんまり気にしんとき。あれは足柄さんが全面的に悪いけえ」

「いや、しかし私も中の様子を確認ぐらいするべきだった」

「本当に提督は真面目やねえ。ま、そこが良い所でもあるんじゃけど」

 

 今日の秘書艦である浦風が額の汗をぬぐいながら横にぴったりと引っ付きながら歩く。

 先程鎮守府を揺るがした三人は羞恥に燃え上がりながら、提督に謝罪の言葉をひとしきり並べ、逃げるように去って行った。妙高による一撃で気絶した足柄を引きずりながら。

 

「それにしても今日はぶち暑いのう。全然汗が止まってくれんわ」

「こんな日に秘書艦を頼んですまない。浦風のおかげで今日の執務は普段より進みが早い。だからこの後は無理に秘書艦の仕事をする必要はないぞ」

 

 提督としては浦風の体調を考えての言葉だったが、当の本人はむっとしかめっ面で、

 

「何を言うとるん? うちはこの日を何よりも楽しみにしてたんよ? 提督、普段全然うちらのお茶会に参加してくれんのやから、今日ぐらい一緒にいてもええやろ?」

「そうか……そうだな、そのためにかき氷を食べに来たんだったな、いつもありがとう浦風」

「ええんよ。なんやったらずっとうちが秘書艦の仕事やったげてもええんじゃけえ」

 

 駆逐艦にしては豊満な一部が自然と触れるのを気にせず浦風は提督に密着する。周りでは今にも暗黒面に堕ちてしまいそうな少女達が迸る怨念を惜しみなく彼女に送っているのだが、浦風は全く気づいていない。

 自分の気持ちは声に出して真っ直ぐに、それが信条の浦風は提督へのアプローチに遠慮がない。影ではその積極性から”青いライオン”と呼ばれ、ある界隈からは要注意人物の筆頭に挙げられている。

 

「そんなに引っ付いては暑いだろう」

「もう、提督さんはいけずやねえ」

 

 それでも一向に努力が実を結ぶ気配がないのだから、本当にこの提督という男は残念である。

 カウンターで間宮と伊良湖に挨拶をした二人は、それぞれが頼んだかき氷を手に、空いている中央寄りのテーブルに腰掛ける。

 同時にわらわらと艦娘の少女たちが寄ってくる。

 

「提督おっそーい! もっと早く来るって言ってたじゃん!」

「このクソ提督! 来るならもっと早く来なさいよね!」

「いいねー提督渋いねー。宇治金時なんて最高じゃん。あ、大井っちと一緒だ」

「な、なんでマネしてんのよ!」

「待ってましたヨーテイトクー! さあ一緒にバーニングラブな食べ比べするネー!」

「お、お隣失礼します。はい、榛名は大丈夫です」

 

 数分も経たない内に提督の周りは賑やかな少女たちで囲まれた。

 少し前は滅多にこういう場に姿を現さなかった提督だが、最近はこれもコミュニケーションをとる上で大切な一つの方法なのだと実感できているため、可能な限り時間を捻出して顔を出すようにしている。

 差し出される大量のスプーンに困惑しながら、提督は思い出したかのように一枚の紙を取り出した。

 

「折角これだけ集まっているのだ。君たちに一つ報告しておくことがある」

 

 提督の言葉に室内が静まり返る。

 向けられる瞳にはもしかして、という期待の輝きが漫然と秘められていた。

 一つ咳払いをして、口を開く、

 

「この半年の君たちの働きが評価されたおかげで、我が鎮守府は大本営から慰安の意味もかねて軍管轄のプライベートビーチへ招待されることになった。日頃の疲れも溜まっているだろう。皆、存分に羽を伸ばしてくれたまえ」

 

 言い終わるや否や、地鳴りのような大歓声が部屋全体を包み込んだ。

 皆が皆、先刻まで襲っていた暑さを完全に忘れて喜び合っている。中には外に飛び出して行ってしまうものもいた。

 

 そんな様子に満足しつつ、提督はかき氷を一掬いし口に含む。

 開け放たれた窓からは、セミの鳴き声と射すような太陽光。その視線の先では大きな入道雲が青空を泳ぐように流れていた。

 

 

 鎮守府に、本格的な夏が到来した。

 




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