第一話 出迎え
カリカリと筆を進める無機質な音だけが司令室に響く。
時刻は昼の三時前。そろそろ早朝に出した遠征部隊が帰還する頃だ。そう思い、筆を置き報告書に印を押し席を立つ。
「司令官、いつものお出迎えかい?」
「ああ」
「それなら私も行くよ」
そう言って目を通していた書類を置き、隣に駆け寄って来るのは今日の秘書艦である響だ。まるで光の粒子を纏っているかのような流れる銀髪に幼いながらも強い意志を秘めた瞳を持つ駆逐艦の少女だ。
「特に面白いこともないし、無理してついてこなくてもいいぞ」
「無理なんかしていないよ。むしろ司令官と一緒で私は嬉しいよ」
「……そうか」
「そうだよ」
気恥ずかしさからか、ついそっけない返事になってしまう。そんな自分の態度に気にした素振りを微塵にも見せず彼女は隣を鼻歌交じりに歩いている。
昔から女性とは縁のない生活をしてきたせいか、自分は女性とのコミュニケーションが少し、いやかなり苦手だ。
海軍学校時代、極力女性との接触を避けていたせいか同期の間で『創眞には男色の気があるのでは?』という不名誉極まりない噂が流れたほどには。
そんな自分にこの『提督』という役職を、立場を利用して強引に辞令を出した元帥曰く。
『創眞、お前は女性に関心がなさすぎじゃ。もっと周りの視線や好意を感じとらんかい』
『む? 自分では特に問題ないと考えておりますが』
『……お前この前――二月十四日に何か貰わんかったか?』
『その日はなぜか丁寧な包装がされた包みや箱が私のロッカー付近に置いてあったため、きちんと落し物として届け出ました』
『……お前というやつは』
『何か問題が?』
『もういい、とりあえず来月末の辞令を楽しみにしておけ。そこなら嫌でも接する機会があるじゃろ。話は以上じゃ』
『よく分かりませんが、失礼します』
今考えれば、このときに元帥は自分の辞令を確定させたのではないかと疑ってしまうが、今さらそんなことを言っても仕方がない。
「司令官、どうかしたかい?」
「いや、大丈夫だ」
あまり感情表現が豊かではない自分の微細な変化を感じ取ったのか、響が手を後ろで組みながら顔を覗き込んでくる。いかんいかん、思考の渦に呑まれてしまうのは悪い癖だ。直そう。
「っふふ」
「どうした?」
「いや、司令官は優しいなと思ってね」
「む? ……うむ?」
突然の響の発言に思わず狼狽してしまう。話の流れが見えない。世のコミュ力の高い男性諸君は、今の会話だけでも相手の意図を理解するのだろうか。だとしたら私には一生無理な気がする。
「司令官は私たちの帰りをいつも直接迎えてくれるからね」
「すまない」
「なんでそこで謝るんだい?」
「すまない」
「エンドレスかな?」
彼女たちが戦場へ赴くのを見送り、無事帰ってくるのを出迎える。これはもう自分の中での決め事のようなものになっている。
自らの命を賭して戦っているのは自分ではなく彼女たちであり、私にできることは指示を出し、彼女たちの無事を祈ることだけだ。
そんな彼女たちを想っていると自然と足が動いていたのだ。
「迷惑だったらすまない。その、なんだ。私などに迎えられても気分のいいものでもないだろうし」
「司令官はたまに見当違いな方向に思考がいくね。それもマイナス方向に」
「……むう」
「迷惑どころかみんな楽しみにしてるんだよ。雷なんて司令官に出迎えてもらうために遠征がんばるわっていつも本当に嬉しそうに出ていくよ」
「……そうか」
少なくとも嫌悪感は抱かれていないようで内心ほっとしてしまう。この鎮守府には多くの艦娘がいて、その性格も多種多様だ。昔密かに買った『女性との接し方 お話編』すら実践できていない私にはこの人数は少々荷が重い。
それでも最初はあまり乗り気ではなかった子が、最近は素直に遠征に出てくれるようになったりと少しずつだが良好な関係を築けていると思うが。
「まあでも大方の目的は司令官の『ハグ』だろうけどね」
「なにっ!?」
「司令官はいつも帰ってきた私たちを一人ずつ抱きしめてくれるだろう? 最近ではそれを目的に遠征に乗り気な艦娘も多いって噂だよ」
一番最初の遠征帰還時に無事に帰ってきてくれたことの安堵感により、無意識に抱きしめてしまったことが事の発端であるが、なぜかその後も『ハグ』の要求が絶えず今や遠征帰還時の恒例となってしまっている。
「この前金剛が雪風の服を着て『ヘーイテイトクー! 駆逐艦金剛風デース! 遠征に行ってくるデース』とか意味不明だったんだが」
「ハラショー。それは相当だね」
「戦艦に遠征は不向きだと何回も説得したんだが」
「それでどうやって説得したんだい」
「それがなぜか後日一緒に買い物に行くという約束をしたら急に嬉しそうになって帰って行ってしまった」
「……」
「響?」
「Урааааа!」
「む? 急に怒ってどうした」
「司令官は私たちをもっと平等に扱うべきだね」
「ど、どういう意味だ?」
なにか彼女の心の繊細な部分に触れてしまったのか、機嫌をそこねてしまったようだ。こういった場合の対処法など女性とのコミュ力ゼロの自分が持ち合わせているはずもなく、かといってどんな言葉をかければよいかも分からない自分が情けなくなる。
母港が目の前まで迫り、このまま気まずい雰囲気で遠征組を出迎えるのは避けたいなどと思っていると、ムスっとした響が右手を差し出してきた。怒っている響には申し訳ないが、その年相応な可愛らしい表情につい苦笑してしまう。
「なんで笑ってるのさ司令官」
「すまない」
その右手を取り、手を繋ぎながら一緒に母港まで歩いていくうちにいつの間にか響はいつも通りの響に戻っていた。
女性の心というのはやはり難しい。