口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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第二十三話 朝潮の疑問

 

「満潮はキスをしたことがありますか?」

 

 突然だった。

 対面に座る朝潮はまるで世間話をするかのようにさらりと問いを投げかけてきた。

 普段の真面目な朝潮からは考えられないその突然な質問に、満潮はスプーンで口に運びかけた里芋がころりと滑り落ちるのにも気づかず、ポカンと口をあけたままフリーズしている。

 

「……朝潮あんた熱でもあるんじゃないの」

「朝潮は至って健康ですが」

 

 自分のでこと朝潮のでこ両方に手を当てながら、満潮はとりあえず互いの体温を計ってみる。

 されるがままに、朝潮はむっと口をへの字に結んだまま二の腕に力こぶを作る仕草で自分の体調の良さをアピールしてくるが、綺麗な肌が見えるだけで何の説得力もない。

 別に体調不良による思考力低下が原因って訳でもなさそうね、と順調に間違った方向へと深刻そうに考え始める満潮をよそに朝潮は普段と別段変わらない様子で味噌汁を啜っている。

 

「それで、突然なんなのよ。その……キ、キスがどうとか」

「満潮はしたことがありますか?」

 

 雑誌やTVなどでよく目にする筈のキーワードを実際に口に出そうとするとなぜか気恥ずかしく、ごにょごにょっと濁してみたがそんな小細工は朝潮に通用せず、繰り返される問いに満潮が『うぐう』と塞ぎ込む。

 

「……ないわよ。ええございませんとも! 悪かったわね経験なくて!」

「いえ、別に謝る必要はありません。ただ知っているのなら少し聞いてみたくて」

 

 軍所属で鎮守府配属。そんな圧倒的に異性と知り合う機会のない現状、経験がないことは当たり前ではあるのだが、その事実を認めるのがどこか悔しく満潮は半ばヤケになりながら問いに答える。

 その様子に朝潮はさして落胆することもなく、そうですかと一言。

 なんだか自分だけ変に意識しているのが馬鹿らしく、反撃のつもりで朝潮にも同じ質問をぶつけてみるが、即答で『ないです』と返されてしまった。

 

「はあ。本当になんなのよもう。真面目な朝潮らしくないんじゃない? 何かあったの?」

「実は昨夜荒潮と映画を見ていたのですが、その中にそういうシーンがありまして」

「何を見てるのよ何を」

「荒潮おススメの恋愛ものだったのですが、そのシーンでの登場人物の二人の表情が本当に幸せそうだったので気になってしまって……やっぱり変ですか?」

「……別におかしくはないんじゃない? 実際そういう効果を狙って映画とかは作られてるわけだし。もちろんそれだけではないだろうけど、実際に朝潮がそういう気持ちになったってことは、それだけその映画の質が高かったってことなんじゃないの?」

 

 小鉢の中の里芋を転がしながら満潮は感じたことをそのまま口にする。その言葉に当の本人は納得したようなそうでないような判断に困る表情を浮かべていた。

 まあすぐに納得できるような疑問ならこんなに悩まないんでしょうけど、と内心で感じながら満潮は傍に置いてあった水の入ったコップを手に取り口をつける。

 

「では満潮はキスをしてみたいと思ったことはありませんか?」

「ぶふぁ! げほっごほっ!」

 

 とりあえず窮地は脱したかと満潮が肩の力を抜こうとしたところに追い打ちを掛けられ、盛大にむせる。

 元々疑問は解消するまでとことん突き詰める性格の朝潮だが、本日の彼女の好奇心はこの程度で尽きるものではないらしい。

 まるで荒潮にからかわれているときのような渋い表情をしながら満潮は口元をハンカチで拭っている。本当になんなのよもう。

 

「そんなの簡単に言えるわけないでしょ!」

「そうなんですか? 荒潮は『お互いが大切だと感じているなら自然に感じることよ~』と言っていましたが」

「それはおでことか頬とかにする話で朝潮が気になってるのは……その、口と口のやつでしょ」

「そうですが、何か違うのですか?」 

「一部の例外を除いて、そういったのは異性同士じゃないと成り立たないのよ。言葉で説明するのは難しいけどそういうものなの!」

「なるほど。では満潮にはキスがしたいと思える異性がまだいないということですか?」

「っ! そ……そうよ、当たり前じゃない!」

 

 言いながら、満潮は大袈裟に被りを振る。

 朝潮の問いにむくむくむくと勝手に浮かび上がってきた司令服の男性の姿を耳まで真っ赤に染めながら、慌てて掻き消すようにぶんぶんと両手を振っている満潮に朝潮が首を傾げる。

 彼女たちも思春期真っ盛り、年頃の女の子なのだから仕方ない。

 

「違う今のは違う……別にそういう意味で想像したわけじゃなくたまたま近くにいた異性が司令官だっただけで」

「満潮、大丈夫ですか?」

「……ええ。ごめんなさい、大丈夫よ。それで、朝潮は結局キスがしてみたいの?」

 

 どうにも要領を得なかった朝潮の態度にしびれを切らした満潮が本題とも言える問いを返す。その問いに朝潮は暫し黙考しながら小さく『分かりません』とだけ口にしてきた。

 その表情と言葉にはごまかしだとか羞恥とかそういうものはなく、本当に朝潮自身分かっていないのだろうと満潮に感じさせるぐらいの純粋さが含まれていた。

 

「今までそういう感情を抱いたことはありませんでした。そしてこれから先もないのだろうなと根拠も確信もなくぼんやりと思っていたのですが――」

「今はそうじゃない、と」

「――はい。どうしてかあの二人の姿が頭から離れてくれません。アレは映画の中での作り話だと理解はしているのですが……どうしてかこう胸の奥のモヤモヤが消えないんです」

 

 自分の胸に手を当てながらどうしてなんでしょう、と自問自答する朝潮に曖昧に言葉を返しながらも、満潮は内心で嬉しく思っていた。

 良くも悪くも朝潮はいつも真面目で、なんでも一人でやろうとする気質の持ち主だ。真面目で実直、常に努力を惜しまない姿は尊敬に値するが、どこか常に肩肘を張って生活しているように満潮は感じていた。

 だが、朝潮が今感じている疑問は任務でもなく仕事とも関係ない、普通の女の子が誰しも一度はぶち当たる思春期の壁みたいなもので、そんな朝潮の心境の変化が満潮には嬉しかった。

 それもこれもやっぱりこの鎮守府の仲間と、なによりアイツが司令官であるおかげなのかな、と満潮は滅多に見せない柔らかな微笑と共に最後の一つである里芋を口に収める。

 

「その疑問を解消するためには私たちだけの力では無理ね。圧倒的に経験値不足だわ」

「はい。お時間取らせてしまいすいませんでした」

 

 そのまま少し残念そうに話を終わらせようとする朝潮の言葉が終わる前に、満潮が口を挟む。

 先程までとは違い、どこか楽しそうな口調で。

 

「だから聞きに行くわよ」

「え?」

「私たちで駄目ならもっとそういう経験を積んでいそうな人たちに聞けばいいのよ。こんだけ人がいるんだから一人や二人いるでしょ」

 

 

 

(少々困ったことになりました)

 

 間宮食堂から少し西に歩いたところにある食事処鳳翔の店のカウンター内で、鳳翔は困惑していた。

 目の前にはどこか期待しているような眼差しを向けてくる駆逐艦の少女が二人。数分前に突然訪問してきた可愛らしいお客さんではあるのだが。

 

「えっと……キスをしたことがあるかどうかの質問でしたよね」

「はい! いつも優しく大人なお母さん……間違えました鳳翔さんならきっと知っていると思いまして!」

「私からも是非お願いするわ」

「え、ええと」

 

 先程の問いは何かの聞き間違いかと再度聞き返してみるが残念なことに合ってしまっていた。

 鳳翔としてもできることならば彼女たちの疑問に答えてあげたいという気持ちで一杯なのだが、如何せん質問の相性が悪すぎた。

 

(どうしましょう……やはりこの年でキスの経験がないというのはおかしいのでしょうか)

 

 キラキラと飛ばされる期待の光線にあらあらと頬に手を添えたまま内心で戸惑う。

 鳳翔自身にそういった経験が皆無だったのだ。ここの鎮守府に着任するまでは空母指導教官として任務に没頭していたしそのような感情に身を委ねている余裕はなかった。そもそも男性にそういった感情を持ったことがなかったため一般論として気にはなっても相手がいなかったというのが正直なところ。

 なので、手にメモとペンを持った朝潮とそわそわとしている満潮にどう答えたものかと悩んでしまっている訳である。

 

「鳳翔さん、なにか悩んでいますね」

「きっと私たちの想像も及ばないような大人な経験をしてきている鳳翔さんだから、どの話をしようか悩んでいるのよ」

「なるほど。流石は鳳翔さんです」

 

 何も言っていない筈なのにいつの間にか経験豊富な女性にされてしまっています、と鳳翔は眉尻を下げながら、もしかして鎮守府での共通見解なのでしょうかと心配そうに首を傾げている。

 普段の落ち着いた物腰や言動からよく誤解されやすい彼女だが、少し上なだけで大して他の皆と変わらない筈なのにと、密かに鳳翔の悩みの種だった。

 

「あいしているよじょせふぃーぬ。んー」

「わたしもよへれん。んー」

「止めましょう」

「わー」

「きゃー」

 

 隣でこれ見よがしにお遊戯会のようなキスシーンを再現している妖精さんの間に鳳翔がすっと手を入れて打ち切りにしている。その手に摑まりながらなおも引き裂かれた二人を熱演する妖精さんは今日も楽しそうだ。

 その様子に毒気を抜かれたのかやはり見栄を張ってもダメですね、と鳳翔は悩むのをやめ正直に話すことを決意する。

 

「朝潮さん、満潮さんごめんなさい。実は私もそういった経験がほとんどないので、納得のいく答えを用意することができないんです」

「そうなんですか」

「意外……いや、身持ちの固そうな鳳翔さんだからこそなのかしら」

「お役に立てなくてごめんなさいね」

 

 期待に応えられないのには申し訳ないが、ここは正直に話すのが彼女たちにとっても一番であるように鳳翔は考えていた。

 二人は今、女の子として成長する一つの大きな転換期を迎えようとしている。そこで得た経験や知識は後々の彼女たちを形成する多大な要素になるだろう。その多感な時期の純粋な疑問のアドバイザーとして自分を選んでくれたのなら、正直に返答するのが礼儀であり、少し先を経験している女性としての役割なのだと。

 

「そんなことないです。なぜか分からないですけど、鳳翔さんの女性としての気配りや魅力を改めて教えて頂いたような気がします」

「そうね。何か心に感じるものが確かにあったわ」

 

 鳳翔の思い遣りが届いたのか二人は気落ちした様子は全くなく、むしろ納得したといった表情でお礼を告げている。

 これなら大丈夫。きっと二人は魅力的な女性になるでしょうと鳳翔も普段通りの穏やかな表情へと戻っていた。

 と、ここで話が終わればいい話だったで解決していたのだが、今や好奇心の塊となっている朝潮がここで大人しく帰るはずもなく『では』ともう一つ質問を放り投げる。

 そう、先程満潮にしたのとほぼ同じような内容のソレを。

 

「鳳翔さんには今、そういった行為をしたいと思える異性の方がいますか?」

「え、えと、それはその……いないと言えば嘘になるというか……何と言いますか」

 

 またしても困惑させてしまったかと満潮は即座に謝りそうになるが、そこで鳳翔の表情が先程とは違うことに初めて気付く。あまり他人の心の機微というものを察するのが得意ではない満潮でもその鳳翔の変化には一目で感付くことができた。

 羞恥と困惑。

 おそらく半々と言ったところか、困ったような表情は先程と同じだが頬は明らかに桜色で言葉もどこか曖昧だ。瞳も少し熱を帯びて、時折誰かを思い出すようにして『いけません』と手の平で顔を覆っている。

 満潮はその光景を見ながら思っていた――これがさっきの私か、と。

 

「鳳翔さんには気になっている人がいるのね」

「……はい」

 

 満潮の予想に鳳翔は『やっぱりこういうのは恥ずかしいですね』と上気した頬を抑えながら、それでも確かに肯定の言葉を紡いでくる。

 その反応にこれが大人の女性か、と満潮は自分との差に少し気落ちする。自分の心を素直に口に出せる鳳翔にはそれだけの人生経験が詰まっているようで少しだけ悔しかった。

 

「そうですか。鳳翔さんにはいるのですか」

「とは言っても私の一方的な片思いですけどね」

 

 キラキラとした瞳のままで呟く朝潮に鳳翔は少し寂しそうに言葉を返している。

 しかし鳳翔さんのように優しく気配りができて料理上手な女性の想いに気が付いていないその男とやらは相当見る目がないらしい。もしくは極度の鈍感男か、と満潮は効果のない怨念をその男に送ってみる。

 

「その人のこと、聞いてもいいですか?」

「そうですね……優しい人、それでいてこちらが心配になってしまうぐらい実直な人、ですね」

「真面目すぎるのも考えもの、というやつですね」

「アンタがそれを言っちゃう?」

「ふふっ。それなのに気持ちを言葉にするのが凄く下手で……でもそれでもあの人なりにいつも懸命に想いを伝えようとしてくれて……そんな思い遣りに溢れた人ですよ」

「思い遣りに溢れた……凄く魅力的な人なのですね」

「なんだかどっかの誰かに似てる気がするわね」

 

 話を聞きながらぼんやりと浮かんできた人物と重ね合わせながら、満潮がぶつぶつと一人呟いている。

 その姿を横目に、朝潮は満足した様子で鳳翔に深々と礼を重ねている。『他の人には内緒でお願いしますね』とどこかお茶目な表情を見せる鳳翔に朝潮は約束の指切りを交わす。

 店の扉の前で最後にお辞儀を返してくる二人を見送ったあと鳳翔はふうと溜息を一つ。

 ふと嫌な視線を感じ振り向くと、そこにニヤニヤと笑いながら妖精さんが二人、さっきの演劇をしていた彼女たちだ。

 

「ふむふむやはりほうしょうさんはていとくさんのことが……むふふ」

「さっきのほうしょうさんのかお、まるでこいするおとめのようでごちそうさまでしたはい」

「…………」

「でもていとくさんにはらいばるがいっぱいです」

「これはもじどおりひとはだぬいでみるというのは」

「……どうやら二人は今日のデザートはいらないようですね」

「はいすいませんちょうしにのりましたほんとうにごめんなさい」

「それだけはそれだけはごかんべんをなにとぞ」

 

 そのまま耳まで真っ赤にしながらすたすたと厨房に歩いていってしまう鳳翔を二人の妖精さんが必死に追いかけている。

 周りでは言わなくてよかった、と密かに他の妖精さんが胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

「それでどう? 少しは疑問が晴れた?」

「はい。全部とは言いませんが少し胸の支えがとれたように感じます。やっぱり鳳翔さんは凄いです」

「そうね。私も見習いたいところが沢山あったわ」

 

 食事処鳳翔を出た二人はそんな会話を広げながら、あてもなくぶらぶらと鎮守府の廊下を歩いていた。

 どうやら朝潮の疑問が少し解消されたようで、そのことに満潮も心の中で安堵する。彼女自身にも感じるところはあったし、鳳翔のところに行ったのは正解だったようだ。

 

「で、どうするの? 今日は非番だし時間はまだあるけど」

「そうですね。折角なのでもう少し他の人の意見が聞いてみたいです」

「それならもう手当たり次第行ってみるわよ」

 

 下手な鉄砲数撃ちゃ当たる戦法に二人は良しと頷く。

 そこからはもう本当に滅茶苦茶だった。

 

「き、キスなんてそんな! 私には経験なんて」

「あら~? 高雄、そんなに顔を赤くして誰か想像しているのかしら? やらし~」

「ななな! そんなこと言って愛宕だってそんな経験ないんでしょう!? どうなの!?」

「ぱ、ぱんぱかぱーん」

 

「あらあら、二人ともそんなことが気になるお年頃なのね。お姉さんが教えてあげてもいいけど生憎今までいい男がいなくて……まあ今は一人いるけど。長門はどう?」

「な、なぜ私に……いや別に動揺している訳ではなくこのビッグセブンたる私がそんな浮付いた考えでいては示しがつかないというか」

「あら? じゃあ長門の部屋にある巨大提督君人形は――」

「ふんっ!」

「――いった!? ちょっと急に正拳突きはやめなさいよ!」

「うるさい! いらん口を開く陸奥が悪いのだ!」

 

「ワタシはテイトクならいつでもウェルカムデース! ていうかもっと構ってほしいデース!」

「キス、ですか。榛名にもそんな場面が訪れるでしょうか」

「大丈夫デース。毎晩テイトクの写真におやすみしている榛名には朝飯前ネー」

「わわっ! 金剛お姉さまなんで知って……って少し拗ねていらっしゃいます?」

「むー! 別に拗ねてなんかないヨー!」

 

「キス……そんな幸せそうな行為が私なんかに来るわけが……はあ、空はあんなに青いのに」

「お姉さま! 扶桑お姉さましっかりしてください!」

「どうしたの山城。ほら空はあんなに青いのだから私は大丈夫」

「上はただの壁ですよ! ああお姉さまが不幸のあまりどこかの花園へ逝ってしまわれてる! 仕方ないこうなったら奥の手です! 扶桑お姉さま、提督の写真です」

「まあ、提督を見ているとこんな私でも少し幸せな気持ちになれるわ。ありがとう山城」

「よかった……還ってきてくれた」

 

「キスだって大井っちー。なんだかそう言われると少し恥ずかしいなー」

「私は別に北上さんがいればそれで」

「あれー? 大井っち目が泳いでるよー。あ、さては提督を想像したなー」

「な!? そんなわけないですよ! なんで私があんな奴とき、キスなんてしなくちゃいけないのよ……」

「あはは、実は私は何回か想像したことあるよー。うわーやっぱり恥ずかしいやー」

「き、北上さんしっかりして下さい北上さん!」

 

「したいっぽいー! 夕立提督さんとちゅーしたいっぽいー!」

「お、落ち着いて夕立。駄目だよこんな場所でそんな大きな声で」

「時雨は提督さんとちゅーしたくないっぽい?」

「いや僕は……今はこれで幸せだからそれはまだ、ね」

「むー! やっぱり時雨前の秘書艦の日からどこか余裕に見える! こうなったら時雨の机とベッドを徹底的に調べるっぽい!」

「あ、や! だ、駄目だよそんなことしたら写真が!」

「やっぱり何か隠してるっぽい! 吐きなさい~」

「ひゃん! や、止めて夕立! そこは弱いんひゃう!」

 

「……いろいろ聞いて回ったはいいけど」

「全く参考になりませんでした」

 

 手に持ったメモ帳を広げながら、ばっさりと悲しい言葉を口にする朝潮に満潮がげんなりとした顔を向ける。

 まあ、ここでは異性と言えば司令官ぐらいなので、キスの相手に彼を想像するのはある意味で仕方ないのかもしれないが、それでも満潮は少し気に食わないのか憮然とした表情を浮かべている。

 

「結局、参考になったのは最初の鳳翔さんの話だけね」

「はい、でも楽しい話が出来て朝潮は嬉しかったです。満潮、今日は本当にありがとうございました」

「お礼なんていらないわよ。こんなことなら別にいつでも付き合ってあげるわ」

 

 気恥ずかしさからか素っ気ない態度になる満潮だが、慣れている朝潮には関係ない。素直に満潮の気持ちに感謝しつつ改めてお礼を告げる。

 

「なんだか歩き回って少し疲れたわ。今日はこの辺にしといたら?」

「はい。朝潮は最後に、一番信頼している異性である司令官に実践をお願いしに行こうと思います!」

「はいはい頑張ってね」

 

 流石に歩き通しで疲れた満潮は朝潮の言葉をよく理解もせず、適当にひらひらと手を振って別れる。

 その瞳に期待の光を宿しながら駆けていく朝潮をぼーっと眺めながら、見えなくなるのを確認し部屋に戻って一眠りでもするかとそこまで考えて、満潮の足が止まる。

 そのままゆっくりと振り返り、吹き出てくる冷や汗と共に辛うじて一言だけ口から言葉が漏れた。

 

「…………は?」

 

 その後、朝潮にキスをお願いされた司令官が最終的に断腸の思いで『でこ』にそっと唇を触れさせたという話が瞬く間に鎮守府中を駆け巡り、かなりの数の艦娘が修羅と化したとかなんとか。

 

 ちなみに朝潮はそれ以降少し女の子らしくなったそうである。

 


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