「う~、やっぱり日本語って難しいよ」
「レーベは少し難しく考え過ぎね。ニュアンスを捉えないと」
「そうよ、マックスの言うとおりもっと頑張りなさい! じゃないと私みたいにアトミラールと親密になるなんて夢のまた夢よ! ねえ提督!」
「ぬ? 最後だけ日本語で言われても困るのだが」
途中までドイツ語で話していたであろうビスマルクが急に日本語で話しかけてきたので、一応返事をしてみたもののドイツ語は専門外なため内容が分からず困惑する。
空いた時間を使って少しずつ勉強はしているのだが、話せるようになるにはまだ時間が掛かりそうだ。
「提督もドイツ語くらい話せるようになりなさい。そうすればお互いに楽でしょう? そう思わない? レーベ、マックス」
「そうだね。そうなってくれると僕も嬉しいよ」
「期待、しているわ」
「むう……精進しよう」
本日の秘書艦であり、海外艦であるビスマルクに叱咤激励されながら書類を片付けていく。
彼女が秘書艦の日はなぜか必ず、同じ海外艦であるレーベ(Z1)とマックス(Z3)を連れてくる。どうやら、まだ少し日本語に不自由しているレーベのために日本語講座を開いているらしい。
「君たちのその努力を応援したいと私も思っている。もし秘書艦業務が邪魔になるようならしばらく外すことも検討するが」
「そ、それは駄目よ!」
「ぬ、なぜだね?」
「それは……そう! レーベが提督の前じゃないとやる気が出ないからよ!」
「ええ!? ぼ、僕はそんなこと言ってないよ!」
「でも、提督の前だと集中力が増しているのは事実ね」
「マ、マックスまで止めてよ! 恥ずかしいよもう」
『酷いや二人とも』と不貞腐れてしまったレーベをビスマルクが慌てて慰めているのをなんとはなしに眺めていると、いつの間にかマックスが隣の椅子に膝立の状態で顔を近づけてきていた。
自分と同じというと失礼だが、あまり感情を表に出さない彼女が今何を考えて近付いてきているのか分からず少し焦ってしまう。
「マ、マックス、急にどうしたのだ」
「ふーん。提督、あなた男性の割に凄く清潔な香りがするのね。そういうの嫌いじゃないわ」
「そ、そうか」
「ちょっとマックスそんなに提督に顔を近づけて何をやっているのかしら!?」
「別に。いい匂いがしたから嗅いでみただけよ」
「とにかく離れなさいな!」
ビスマルクの静止にマックスが満足したといったような表情で離れていく。そのことに一息つきながら、着任当初よりは彼女たちとも良好な関係を築けつつあるのだろうかと少し悩んでしまう。
む、関係と言えば、だ。
「三人とも、こちらの生活には慣れただろうか」
「そうね、最初は向こうとの違いに戸惑うばかりだったけれど今は快適に過ごせているわ」
「鎮守府の皆も凄く親切だから凄く助かってるよ」
「足りない知識を補ってくれる仲間がいるのは心強いわ」
三者三様の返答だったが、概ね上手く馴染めているようで安心する。
分からないことが多いだろうから、皆も手を貸してやってほしいという自分の言葉を周囲もしっかりと理解してくれているようだ。
「それと、鳳翔と間宮が作る日本の料理にも驚いたわ。白いお米があんなに美味しいだなんて知らなかったわね」
「朝はお味噌汁と御飯だけで満足できるのは凄い」
「僕も二人の料理大好きだよ。あ、でもお箸とナットーだけはまだ苦手かな」
海外艦の舌まで唸らせるとは流石の二人だな、などと感心しながらそういえばお昼がまだだったことに気付く。
時刻は既に十三時に迫ろうとしている。この時間なら丁度いいかもしれない。
「君たちは何か食べてみたいものとかがあるのかね?」
「そうねえ……そう! お寿司とやらを一度食べてみたかったのよ!」
「それは私も興味ある」
「お寿司ってあの綺麗な色がたくさん並んでるやつだよね。美味しいのかなあ」
「寿司か、寿司なら鳳翔のところで出してくれるものがあったはずだ。お金は私が出すから今日のお昼はそこで済ませるといい」
余程お腹が空いていたのか、それとも寿司が食べたかったのか、目の前で顔を輝かせる三人に少し圧倒される。流石は日本を代表する料理だ。海外艦にも魅力的に映っているらしい。
ならば私も日本を代表するもう一つの料理、即席食品に手を出すとしよう。
「そうと決まれば善は急げ……だっけ? 行くわよ提督!」
「……ぬ?」
「あなた、まさか私たちだけで食べたことのない寿司を食べろと言うの?」
「僕たち何も知らないから、いろいろ教えてくれると嬉しいな」
「……なるべく努力しよう」
ぬう……今日こそはカレー味が食べれると思ったのだが。
手に掴んだ即席食品に後ろ髪を惹かれながらも、まだ見ぬ未知の食べ物に胸を弾ませる三人に囲まれて『たまにはいいか』と気持ちを改める。
これを機に彼女たちが更に日本に愛着を持ってくれるのならば、とそんなことを考えながら四人で鳳翔の店へと向かうことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おや、どうもこんにちは」
歩くこと十数分、軽く談笑しながら鳳翔の店へと到着する。
その扉を開けて鳳翔に挨拶を済ませていると、奥に座っていた一人の男性から声をかけられる。
「いつもお世話になっております。鳳翔に仕入れのお話ですか?」
「いえいえ、話という程でも。いつもの仕入れのご案内のついでに鳳翔さんのところでお昼を頂いてました」
「ご贔屓にありがとうございます」
「そんな、私も彼女の料理の一ファンですから」
人の良さそうな控えめな微笑を携えながら『また来ます』と小さくお辞儀を残して男性は扉へと向かっていく。その途中、ビスマルク達三人に目を止めて微笑ましそうに挨拶を交わし――
「おやおやこれはもしやご家族で食事ですかな? 美しい奥さんに聡明そうな坊ちゃんとお嬢さんだ……ああ、邪魔して申し訳ない。それではこれで」
――とんでもないことを言い残して、去って行った。
「……僕は……僕は……やっぱり男の子にしか見えないんだー!」
「お、落ち着きたまえレーベ。マックスもビスマルクも見ていないで」
「……美しい奥さん……ふふ、ふふふ」
「提督の娘……ふーん……そう」
レーベが密かに気にしていることを言われ涙目になってしまうのをどうにか落ち着かせようと奮闘する。
その隣で同じく男性の言葉を聞いていたであろう二人は、私の助けの言葉など全く聞いてはおらずどこかにトリップしてしまっていた。
「僕だって……女の子なのに! 女の子なのにー!」
「そ、そうだな! レーベはどこからどう見ても立派な女の子だな!」
「そんなこと言って提督も心の中では僕のこと男の子だって思ってるんでしょ!」
「な、何を言っているのだレーベ」
「そこまで言うならいいよ! 提督の納得がいくまで触って確かめてよ!」
「お、落ち着きたまえ! 会話が繋がっていないぞ!」
まるでこちらの話など聞いてはいないレーベが思いっきり私の腕を自分の身体に触れさせようと引っ張ってくる。
このままでは大変なことになってしまうと焦りに身を包まれているとカウンターから鳳翔がぱたぱたと駆けてきてそのままレーベを優しく抱きしめる。
「あらあらレーベさん、ゆっくり落ち着いて深呼吸して。大丈夫、あなたは心の優しい魅力的な女の子ですよ」
「……うう、でも」
「それなら提督に聞いてみましょう? ね、提督」
「ああ……レーベは私から見てもとても魅力的な女性に映っているよ」
「ぐす……ごめんなさい」
「大丈夫、もっと自分に自信を持って。だから駄目ですよ? いくら提督と言えど、女の子が軽率に身体を殿方に触らせてはいけません」
「うん、気をつけるよ。ありがとう鳳翔」
鳳翔の言葉にレーベがいつもの彼女に戻っていく。
そのことに安堵しながら、目線だけで鳳翔にお礼を伝える。同じように目線だけでお気になさらずと返してくる鳳翔にそのまま注文を伝え、あまり役に立たなかった二人の目を覚ましながらやっと席に着く。
寿司を食べに来ただけだったが、とんでもないことになってしまうところだった。
「あら? 提督、この緑の塊は一体何かしら?」
「ああ、それはわさびと言って……ってそのままはいかん!」
「へえ、いい香りじゃない。試しに一口――っつ!? 辛っ! な、何よこれ!? 物凄く辛いわよ提督!」
「それは寿司に適量つけて風味を楽しむ薬味の一種だ。間違えてもそのまま食べるものではない」
「へ、へえそう。でもこの程度の辛さ、私にはどうってことないわ。良いのよ?もっと褒めても」
「……とりあえずこれで涙を拭きたまえ」
表情と言葉がリンクしていないビスマルクにハンカチを手渡す。
しかし見ず知らずのものなのにいきなりあの量を箸に掴むなんて流石はビスマルク、怖いものなしである。
たぶんビー玉ぐらいはあったな。
「ねえ提督、これは何かしら」
「ああ、それはガリと言って口直しや箸休めの役割を担うものだ。気になるなら食べてみるといい」
「ふーん、そうするわ。……不思議な味。少しザワークラウトに似ている気がする」
「あ、本当だ。僕は割と好きかも」
ザワークラウトとはドイツの保存食の一種だったか。いつだったか、マックスが持ってきてくれたことがあったが、酸味が強くサンドイッチにウインナーと挟んで食べると美味しかった覚えがある。
そのことを思い出していると鳳翔が料理を出してきてくれる。妖精さんの姿が見えないので聞いてみると、鳳翔曰く休憩中らしい。
「お待たせ致しました。今回は何がお口に合うか分かりませんでしたので、一般的なネタをご用意させてもらいました。あ、わさびは抜いてありますので安心してどうぞ」
「ああ。ありがとう鳳翔」
「これがお寿司……流石は鳳翔ね、見た目も素晴らしいわ」
「美味しそう」
「うわ~、凄い綺麗だね」
目の前に置かれたそれを見て、各々が感想を口にする。
ネタは鳳翔の言うとおり、まぐろやえび、サーモンやアナゴなど一般的な寿司屋になら必ずあるようなもので纏められていた。その隣にはたまごやかっぱ巻きなど抵抗が少なそうなものも置いてあり、鳳翔の心遣いが感じられる。
「実際寿司には食べ方がいくつかあるが、今回は素直に味を楽しむとしよう。自由に食べてみたまえ」
『いただきます!』
律儀に日本式で手を合わせる彼女たちを見ながら、鳳翔と顔を見合わせて笑う。
彼女たちもすっかり日本の文化に馴染んできたようだ。
「ん~! 初めて食べたけど生の魚とお酢の御飯ってこんなに合うのね! 美味しいわ!」
「ふーん、新鮮な味。ガリともよく合うわね」
初めて食べる味にビスマルクとマックスは驚きながら次々と箸を進めている。口に合ったようでなによりだ。
一方、レーベはと言うと――
「あ、あれ? うう~お箸ってやっぱり難しいよ」
――慣れない箸に苦戦して、なかなか寿司を掴めないでいた。
「無理しないでいい。ほら」
「あ、ありがとう提督。……うん凄く美味しいよ」
ころりと転がっているまぐろを使っていない箸で掴み、特に何も考えずレーベの口へと運ぶ。
どこか驚いた様子で、それでも素直に食べてくれるレーベの感想を聞きながら一人満足する。やっぱりこうして自分の国のものを受け入れてもらえるのは嬉しいものだ。
「……提督、実は私もとてもお箸が苦手なの」
「さっきまでひょいひょい食べていたではないか」
「そんなことないわ。ほら全然掴めない」
「むう、ほらこれで食べられるか」
「Danke」
「て、提督! 私なんてこんなにお箸が苦手で……」
「食べ物で遊ぶのは感心しないぞビスマルク」
「……なんで私だけ」
「それとレーベ、食べにくいのだったら直接掴んで食べるといい。それなら食べやすいだろう」
「え? でもいいの?」
「ああ。寿司にはそういう食べ方もあるからな」
私の言葉に急激にテンションが下がるビスマルクをよそに、再度レーベに声を掛ける。寿司の食べ方は何も箸一つではない。それが寿司の良いところの一つでもあるのだから。
その後も嬉しそうに箸と手を進める三人と共に、自分も久しく食べていなかった寿司に舌鼓をうちながらお昼を満喫する。そうして全員のお腹が満たされる頃には、全ての寿司が綺麗さっぱり無くなっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あー美味しかったわね。最後の温かいお茶も最高だったわ」
「日本の料理は見た目も凝ってていい」
「僕も次は箸で食べられるように頑張るよ」
鳳翔の店からの帰り道、初めての寿司の感想をわいわいと言い合う三人の後ろを歩きながら、連れてきて正解だったなと一人満足する。
「次はあの子も連れてきてあげたいわね」
「ああ。もちろんいいとも」
あの子と呟くビスマルクの言葉に同意の言葉を返す。
今回は任務と被ってしまって無理だったが、次はあの子にも日本の寿司の美味しさを教えてあげられる機会があればなおよし、だ。
「私は次はラーメンというものが食べてみたいわ」
「あ、それなら僕は天ぷらがいいな」
食べたばかりなのに既に次のことを考えているレーベとマックスに苦笑しながら、歩き慣れた道を四人で歩いていく。
次までにもう少し知識を蓄えておかなければな、とそんなことを考えながら。
なんかこの提督食べてばっかりですね。