「……今日の秘書艦は五月雨だったな」
前日の内に目を通しておいた今日の執務内容を改めて確認しつつ、秘書艦のところに書かれた名前に視線を移す。
時刻はまだ朝の六時前。後三十分後には早朝の遠征部隊が出発する。そのための最終指示の確認をしようと二枚目の書類に視線を落とすと同時に司令室の扉がノックされる。
「し、失礼します! 五月雨、本日の秘書艦業務のため参りました! よろしくお願いします!」
「む……うむ。おはよう五月雨、よろしく頼む」
流れるような長髪を綺麗に後ろで束ねながら、少し緊張した面持ちで本日の秘書艦である五月雨が部屋に入ってくる。
ここに着任している艦娘たちの中では比較的最近着任した方の部類に入る彼女は、確か今日が初めての秘書艦だったはずだ。いろいろと教えてやらねばならないな。
朝のあいさつをしながら頭の中で五月雨の秘書艦指導もスケジュールに追加しながらそんなことを考える。
だが、今はそれよりも、だ。
「五月雨、秘書艦業務は九時からでいいのだが」
「ふえ?」
「一応、事前に渡しておいた確認事項の書類にも書いてあったと思うのだが」
「はっ!? す、すみません~」
「あ、謝る必要はないぞ」
耳まで真っ赤にする五月雨をなんとかフォローしながら、前日のうちにもう一度伝えておくべきだったと反省する。
恥ずかしさからか、ぺたりとその場に座り込んでしまった五月雨は『張り切り過ぎて忘れてました~』と何やら自己嫌悪に苛まれてしまっていた。
「まだ朝も早く眠いだろう。隣の私の部屋に布団が余っているからもう一眠りしてくるといい」
「そ、そんな! 提督の布団だなんて……大丈夫です!」
「そ、そうか」
実際は自分の部屋にある予備の布団のことだったのだが、なにやら五月雨は深く逡巡しながら、戻りかけた顔色を今度は桜色に染めながらなぜか勿体なさそうな顔と共に否定の言葉を返してきた。
「無理はしなくていい。途中眠くなったら仮眠をとりなさい」
「ありがとうございます提督。一生懸命がんばります!」
「よろしく頼む」
「はい! あ、これ本日の執務スケジュール表です」
早速と言わんばかりに差し出してくる計画表を受け取りながら五月雨にお礼を言いつつ、どこか普段のものとは違うような気がするそれを開く。
そこには可愛らしい絵とともに、こんな文章が書いてあった。
【四月二日(火) 晴れ】
今日初めて移動先の鎮守府で提督とお会いしました。最初は少し緊張しましたが、そんな私の頭を優しく撫でながら緊張をほぐそうとしてくれた提督に、お会いしたばかりなのにドキドキしてしまいました。
明日からお仕事頑張ろうっと。あ、あと明日も少しでいいから提督とお話できたらいいなあ。
「五月雨、そのこれは……」
「ほわあああああああ!」
私の困惑に気付いたのか、自分が渡したものの正体を見直し、目を見開きながら五月雨が物凄い勢いで手にあったそれを引っ手繰ってくる。そしてそのまま地面に崩れ落ちてしまった。
「うう……表紙の色が似てたから間違えちゃいました~」
「その、気付けなくてすまない」
「あう……提督はお気になさらないでください」
こういうときにどのような声をかけていいのか分からなくなるところが私の駄目なところなのだろう。
朝からお互いに自己嫌悪に悩まされながら、それでもしっかりと立ち直る五月雨の真面目さに嬉しく思う。
「提督、最初は何をしたらいいですか?」
「そうだな。遠征部隊の指揮までまだ時間がある。それまでこの書類の報告に不備がないか確認をお願いしたい」
「了解しました! もうドジっ子なんて言わせませんから!」
早速の秘書艦業務に五月雨はふんすと可愛らしくやる気を見せている。
そのままぱたぱたと秘書机と椅子を通り越して、普段あまり使うことのない私のすぐ隣に置いてある来客用の椅子に五月雨はポスンと腰を下ろしてきた。
「む……その五月雨。秘書机は向こうなんだが」
「ふえ? ……うわああん!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「む……もうこんな時間か」
現在の資材状況と先月の資材消費量を見比べながら、今後の運営プランを構築していると壁に掛けてある時計がお昼の十二時を知らせてくる。
「五月雨、そっちはどうだ?」
「はひ、すいません。頭が爆発しそうです」
「……そうか」
「あう、笑われちゃいました」
「すまない。後は私がやっておこう。それよりもう十二時だ、お昼にしよう」
先程から書類とにらめっこしてはうんうん唸っていた五月雨の様子に苦笑しながら、お昼の提案をする。
お腹がすいていたのか、五月雨はその提案にぱあと表情を明るくさせ、嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。
「提督は今日のお昼のご予定はありますか?」
「うむ。今日は即席食品のカレー味にしようと――」
「ダメです」
「――むう」
最近では加賀を筆頭に更に即席食品への風当たりが強くなっているようで、即座に却下されてしまう。おかげで最近は戸棚にいれてある即席食品がただの肥やしと化してきているような気がしてならない。
あの味はたまに無性に食べたくなることがあるのだが、と未練がましい気持ちでいると五月雨が満面の笑顔で一つの提案を促してきた。
「それなら間宮さんのところで一緒にどうですか?」
「お昼まで私などと一緒では気が休まらないだろう」
「そんなことないです! さあ行きましょう!」
「ぬ……むむ」
持ち前の明るさをこれでもかと発揮する五月雨に少し振り回されながら司令室の扉を開け、外に出る。
途中で無意識のうちに手を繋いでいたのであろうことを白露にからかわれ、真っ赤になる五月雨を落ち着かせながら歩いているとすぐに間宮食堂が見えてきた。
「あ、ていとくさんです」
「さみだれさんもいますです」
「もしやしょくどうでーとですか」
「あ、提督と五月雨さんいらっしゃいませ」
「ああ妖精君に伊良湖君、忙しいのにすまないな」
「で、でーとじゃないです!」
今日も今日とて活気に溢れている間宮食堂のカウンターで妖精君と伊良湖君が出迎えてくれる。
そこで先程買った食券を手渡していると、厨房の中から割烹着姿の間宮君が顔をだしてきた。
「こんにちわ提督、五月雨さん」
「ああ。相変わらず忙しそうだな」
「こんにちわ間宮さん!」
「この時間はいつもですから、腕が鳴ります。それよりも提督、たまには私とデートしてくれてもいいんじゃないですか?」
「うぬ? ……ぬ」
「冗談ですよ。そんなに悩まないで下さい」
そう言いながら、うふふと笑う間宮君の表情になぜか五月雨が『いいなあ。私もあれくらい』とか呟いていたが、よく意味が理解できなかった。
「でーとのことばにぜんいんのみみがはんのうしてるです」
「とくにおおいさんとこんごうさんがぱないです」
「こころなしかちかづいてきてるきさえするですはい」
間宮君の横では、妖精君たちが例のごとくワイワイと楽しそうに密談に花を咲かせている。
その様子を眺ながら、伊良湖君から今日の注文品であるかき揚げうどんを二人して受け取り、空いていた窓側の席へと腰を下ろす。
「それにしても間宮君の冗談にはいつも悩まされるな」
「あれ、冗談じゃない気がしますけど」
「む? 何か言ったか?」
「い、いえ! さあ熱いうちにいただきましょう!」
「う……む!? さ、五月雨、それは掛け過ぎではないかね!?」
「え?」
わたわたと左手を振りながら、右手にあるモノを持ちながら盛大にそれをうどんへと振りかけている五月雨を見て慌てて止めに入る。
だが、時すでに遅しとはこのことか、五月雨のうどんは七味唐辛子の大群で赤く染まっていた。
「わ、私ってばホントにドジばっかり」
「……大丈夫だ」
気落ちする五月雨に声をかけながら、さりげなく自分のうどんと入れ替える。
間宮君に言えば取り替えてもらえるだろうが、ここの鎮守府を預かるものとして食べものを無駄にするわけにはいかない。
その行為に五月雨は慌てて止めようとしてきたが、実は辛い物が大好物なのだと半ば強引に赤いうどんに口をつける。
咀嚼した瞬間、ビリビリと刺激が口中に広がってくるがこれを五月雨に食べさせるわけにはいかないと食べ進める。
「提督、ありがとうございます」
「なに、気にすることはない。五月雨も熱いうちに食べなさい」
初めは申し訳なさそうな表情だった五月雨も、流石は間宮君の料理と言ったところか食べ終わる頃には普段通りの笑顔が似合う五月雨に戻っていた。
「さて、戻ると……む」
「……(こくりこくり)」
食事を終え、食器を返して席に戻ってくるとこくりこくりと船をこいでいる五月雨がそこにいた。
朝早くからの慣れない執務に加え、お腹が満たされたことにより一気に眠気が襲ってきたのだろう。そんな五月雨の姿に苦笑しつつ、起こさないように背中に背負う。
「さて、執務室に戻って隣から布団をとってこなければ」
五月雨を背負いつつ、夕方まで寝かせといてやろうと午後の執務計画に五月雨のお昼寝を加えながら、間宮食堂を後にする。
後ろでは気持ちよさそうに眠る五月雨の寝息が聞こえていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………ん、あ」
「おはよう五月雨」
「あ、おはようございます提督……ふあ」
数時間ぶりに目を覚ました五月雨の顔を見ながら、簡単に挨拶を返す。
意識がまだ覚醒しきっていないのか五月雨は少し乱れた髪を触りながら、ふわふわとした返事を返してくる。
が、布団にもぐっている自分の姿を見て徐々に自分が何をしていたのかを理解したのか、どんどん顔が青くなっていく。
「……もしかして私寝ちゃってました、か」
「ああ。とても気持ちよさそうな表情だったな」
「ちなみにどれくらい……?」
「今が夕方の六時前だから五時間ぐらいか」
「うわあぁん! す、すみません~」
羞恥と申し訳なさからか、べしゃっと布団に顔を埋めながら謝ってくる五月雨を慌てて慰める。
自分としても、あれだけ健やかな寝顔を見せられたら怒る気力など全く沸かないといったことが正直なところである。
そもそも朝に仮眠を提案していたわけだから怒る気など初めからなかったのだが。
「そんなに気にすることはない。今日は初めての秘書艦業務で疲れたのだろう。反省は次に活かせばいい」
「……はい」
それでもなお申し訳なさそうに俯く五月雨の頭を撫でながら、今日一日の感謝を込めて五月雨にお礼を伝える。
「今日は五月雨が秘書艦で助かった。朝早くから秘書艦業務をこなしてくれたし、お昼は良い気分転換になった。午後はそのおかげで随分と執務が捗り、既に今日の分は終わってしまった」
「……少しでもお役に立てたなら嬉しいです」
「ああ。それに五月雨の健やかな寝顔も見れたことだしな」
「だ、駄目です! それは忘れて下さい!」
ぽすぽすとお腹の辺りを叩いてくる五月雨を見ながら、普段の五月雨に戻ったことに安堵する。やはり元気一杯な彼女が一番彼女らしい。
「さあもう六時になる。秘書艦業務の時間は終わりだ。先程涼風が夕食に誘いにきてたから行ってあげなさい」
「……はい! 今日はありがとうございました! 次はもっと提督のお役に立てるよう頑張ります!」
「ああ、期待している」
見ていて下さいね、と言いつつぺこりとお辞儀を残して指令室から出ていく彼女を見送り、ふうと一息入れ椅子に腰を下ろす。
「そう言えば私も昔は書類が苦手だったな」
ふいに自分が提督になりたての頃を思い返しながら、本日最後の仕事である遠征部隊の帰還のため、上着を着て外に出る。
ふと窓の外に視線を移すと、涼風と共に楽しそうに笑いながら歩いている五月雨の姿が見えた。
五月雨はドジっ子。