「え? 司令官と恋仲になりたい?」
「見かけによらず大胆なんだな電は」
「あ、暁だって一人前のレディなんだから当然同じことを考えていたわ!」
「はわわ! 違うのですそんなこと言ってないのです! 仲良くなりたいって言ったのです!」
何気なく自分が口に出した小さな願望のどこをどう聞き間違えたらそうなるのか。
電は羞恥に自分の体温がぐんっと上がるのを感じながら慌てて否定の言葉を挟みこむ。その様子を見ながら、隣で料理雑誌を読んでいた雷は気付かれないようにほっと胸を撫で下ろす。
これ以上ライバルが増えることは、流石の雷としてもなるべくなら避けたい事案ではあるのだ。
「ん? 違うのかい? それなら良かった」
「ちょ、ちょっと響、それどういう意味よ」
「どうもこうもそのままの意味さ」
「ダメよそんなの! 司令官は雷の司令官なんだから!」
「私の司令官でもあるさ」
「暁の司令官!」
「い、電の司令官でもあるのです!」
昼下がりの週末、部屋中にお菓子や雑誌を広げながら第六駆逐隊の四人は司令官談義に花を咲かせていた。
久々に取れた四人纏めての休みに喜びつつ先程までごろごろと休日を満喫していたのだが、ぽろっと電が零した一言に部屋の空気が変わる。
「それで、電はどうしてまた急にそんなことを?」
「はう……それが」
自分でもよく分からないのです、と言いながら電は恥ずかしそうに、それでいて少し嬉しそうな表情で言葉を続けた。
「最近司令官さんのことを考えると胸がどきどきするのです。それだけじゃなくて、頭を撫でられたり言葉をかけてもらうときゅーって胸が苦しくなるのです」
「あ、それ暁もあるよ。嬉しいのに苦しいって変な感じよね!」
「そ、そうなのです!」
「……響、これって」
「……間違いないね」
わいわいと最近の自分の感覚の不思議さに盛り上がる長女と末っ子を眺めながら、雷と響は盛大に溜息を漏らす。ただでさえ多いライバルが一気にここで二人も増えてしまったことに肩を落としつつ窓の外を見上げ、その雲一つない空模様にまたしても溜息が出る。
「だから司令官ともっと仲良くなりたいと、そう思ったわけね」
「……どうして雷と響が落ち込むのです?」
「お腹でも痛いの?」
「痛いのは……しいて言うなら心かな」
意図せずしてライバルに多大な重圧を与えながら、電と暁はぽかんと二人の様子に首を傾げる。
そんな無自覚な恋の波動にもやもやとしながら、それを振り払うかのように雷はがばっと身体をベッドにダイブさせた。
「でも秘書艦業務はなかなか回ってこないし、司令官さんお仕事で忙しいからなかなかお話できないのです」
「そうよねー。司令官全部自分でやろうとするから困っちゃうわ。もっと雷を頼っていいのに」
「今度ボルシチを作って差し入れにいこうかな」
「暁は一人前のレディだから、大人の雰囲気で司令官の日頃の疲れを癒しちゃうんだから!」
「それは暁にはまだ早いかな」
「にゃにおう!」
お互いがお互いに感じていることを口に出しながら、司令官のどこがダメだのどこが良いだのわいわい盛り上がりながら、広げられたお菓子を食べる。
その様子は、姉妹でもありながら親友同士でもあるかのような錯覚を見るものに与えるほど和気藹々としており、彼女らのせいで憲兵のお世話になる者が急増したという話もあながち嘘ではないように感じられる。
「あ! そう言えば響、あなたこの前の能代さんとの遠征のとき、どさくさに紛れて司令官にハグしてもらってたじゃない! ずるい反則だわ!」
「あれは遠征のご褒美じゃなくて秘書艦のご褒美さ。私だけのね」
「むむむ!」
「ず、ずるいのです」
ふふんと得意そうに鼻を鳴らす響に非難めいた三人の視線が突き刺さる。しかしまるで相手にならないなと、響は当時のことを思い返しにやけながら、余裕の表情で紅茶をすする。
「なによ……私なんか司令官と二人っきりで鎮守府の外にデートに行ったことあるんだから」
「ぶふぉっ!」
「つ、冷たっ!?」
「暁、大丈夫なのです!?」
「……う、嘘だね」
「嘘じゃないわ、証拠にここに記念にとった写真があるわ」
まるで私の時代だとでも言いたげに得意になる雷に三人は懐疑の視線を向けながら、差し出された写真を見る。
そこには確かに、洋服店と思しき店の前で手を繋ぎながら満面の笑みでピースしている雷と、少し困ったような表情を浮かべる司令官の姿が写っていた。
「いつの間にこんな羨ましいことを」
「暁も行きたい!」
「はうう……羨ましいのです」
実際は大本営への定例会議のために秘書艦としてついて行った帰りに、用事で寄った際に撮ったものなのだが、三人には効果絶大なようだ。当の雷もまた当時のことを思いだしていたのかふにゃっとにやけながら写真を大事そうに仕舞い込んでいる。
「それなら暁だって司令官に誘われて二人で御飯食べに行ったことあるわよ!」
「え、嘘!?」
「あの司令官が食事に誘うなんて」
「……電も行きたいのです」
もはや完全に司令官と自分との出来事を自慢する大会のような雰囲気になってしまっているが、本人たちは相手の予想外の言葉に内心羨ましく思うばかりで、一向に優劣がつく気配はない。
「それはそうと電は司令官とどこかに行ったことはないの?」
「……ないのです」
雷の問いに若干落ち込みつつ、でも、といつも愛用している髪留めに触れながら未だ自分の話をしていなかった電が最後に特大の爆弾を落としていく。
「この髪留めは電が初期艦としてここに配属になったときに、司令官が記念にプレゼントしてくれたものなのです。あの日の記憶は電の一生の宝物なのです」
「……」
「……」
「……」
全身から幸せオーラを放っている電とは対照的に、残りの三人はまるで特別酸味の強い蜜柑を食べた時の様な苦い顔をしつつ、悔しそうに拳をぶるぶると力一杯握っている。
「これはもう直接雷と司令官の絆の深さを見せる他ないわね」
「ほう、そこまで言うなら見せてもらおうじゃないか」
「四人は迷惑だろうからここは電の実力を見せてもらうわ!」
「はわわ!」
もう我慢できないといったような雷の言葉と共に四人同時に立ち上がる。
司令官は現在執務中で自分たちは今日非番であるということをすっかり忘れている彼女たちだが、それを気付かせられるものは今はいない。
そうして四人は足早に司令室へと駆けて行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふむ。資源に少し偏りがあるな。遠征ルートの見直しをしなくては」
先程、秘書艦である霧島から受け取った報告書の内容を手に取りながら、そこに書かれていた数値に脳を回転させる。今週は南西諸島よりも鼠輸送へと変更した方が効率がよさそうだ。
丁寧に纏められた内容に感謝しながら次の書類へと視線を移す。ちなみに霧島は現在所用で席を外している。
いつも通りのいつもの時間、新しく目を通した書類に確認印を押したのに少し遅れて司令室の扉がノックされる。
「入るわね司令官!」
「雷か。どうした? 何かあったのか?」
「司令官! もっと私に頼ってもいいのよ?」
「ぬ…?」
突然の来訪と突然の言葉に上手く言葉を返せず、筆も止まる。今日は彼女は非番だったはずだが、いったいどうしたことだろう。
何か自分はしただろうか、と思い返し先日倒れてしまったことが頭をよぎる。もしかしたらそのせいで彼女を心配させてしまっているのかもしれない。
「何か私にできることはない? 何でも言って」
「そうだな。それじゃあお茶を一杯もらえないか」
「! 任せて司令官! うんとおいしいのを入れちゃうんだから!」
先日の榛名の言葉を思い出し、無理をしなくていいという言葉を飲み込み、素直に厚意に甘えることとする。
自分は今まで少し考えが卑屈だったのかもしれない、と気付けたことで心に余裕を持つことができた。
人の心とは難しいな、と苦笑いをしているとふいに後ろから食器の割れるような音が聞こえ、背中が濡れたような感覚が走る。
雷の身に何かが起きたのかと心配して振り向くと、割れた湯呑と青い顔の雷がそこに立っていた。
「し、司令官ごめんなさい! すぐに片付けるから」
「大丈夫だ、落ち着け雷。それよりも怪我はないか?」
「……うん。躓いてこけただけだから。それより湯呑が!」
「気にするな。とにかく雷に怪我がなくて良かった。湯呑は私が片付けておくから念のためドッグで見てもらいなさい」
「で、でもあの湯呑は司令官のお母様が昇給祝いに買ってくれたものだって」
ショックと焦りで涙目になりながら訴えてくる雷を抱きしめながら落ち着くよう頭を撫でる。責任感の強い雷のことだ、私が使っていた湯呑を壊してしまったことが相当堪えたのだろう。
「いいんだ雷。モノはいつか壊れるが、私のためにと祝ってくれたあの日の母の想いは私の中に残っている。だから気にしなくてもいいんだ」
「でも! でも!」
「そうだな。それなら今度私と一緒に湯呑を買いに行ってはくれないか。そこで新しいものを雷が選んでくれると嬉しい」
「……うん、本当にごめんなさい司令官」
「大丈夫だ。ほら行ってきなさい」
どうにか落ち着いたのか、雷は素直に頷いてドッグへと向かっていった。
とりあえず湯呑を片付け、濡れてしまった服を乾かすついでにシャワーを浴びようと浴室へと向かう。
「下着は……そのままでもいいか」
濡れてしまっていたのは背中だけでなく、下着もであったためどうせ洗濯をするからと下着のまま浴室に入る。
この時間は誰も入ってくることはないためということもあるが――
「あの……司令官さんお背中流します……です」
「ぬ!?」
――と思っていたら電が頬を真っ赤に染めながら入ってきた。
しかもなぜかイクやゴーヤが着用しているような紺の生地の水着を着用した状態で、だ。
これはいけない、と電に退出を促すが頑として受け入れてくれず、仕方なく私の方から出ようとしたら瞳一杯に涙を浮かべた状態で引きとめられてしまった。
「ど、どうですか司令官さん」
「あ、ああ。丁度いいよ。ありがとう電」
んしょんしょと懸命に私の背中を洗ってくれる電にお礼を告げる。
時々、滑るのか背中に伝わる柔らかい感触に罪悪感を感じながら、それでも電の優しさに心が暖かくなる。
十分をかけて念入りに背中を洗ってくれた電に再度お礼を言うと、今度は逆に恥ずかしそうな顔で髪を洗ってほしい旨を告げられ、困惑しつつシャンプーを手に取る。
「不快だったらすぐに言ってくれ」
「そんなことないのです。凄く気持ちいいのです」
「そうか」
女性の髪など洗ったことのない自分が本当にいいのだろうか、とも思ったがとても気持ちよさそうに返してくれる電を見て、少し安心する。
同時に着任したての頃、初期艦であった電と二人きりだったころを思い出す。
あの頃は何もかもが初めてで随分電にも迷惑をかけたような気がするな。
「電の髪は今も昔も変わらず綺麗だな」
「は、はわわ!?」
「今でも私の送った髪留めを使ってくれているだろう? ありがとう電」
「覚えていてくれたのですか?」
「電と過ごしたあの日々は、私にとって忘れられない大切な思い出だからな」
「……はい」
その後、ぽろぽろと涙を流し始めてしまった電を必死で慰めようと奮闘し、どうにか落ち着いて部屋に返す頃には既に夕刻の時間を過ぎていた。
それにしても彼女たちは急になぜ訪れてきたのだろうか?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「私司令官のためにもっともっと頑張るわ!」
「電も司令官さんのお役に立てるようにもっと頑張るです!」
部屋に戻ってきて、急に元気になった二人とは対照的に、響と暁はお互いに苦虫を噛み潰したような表情をしながらぼそっと呟いていた。
「……私が行けばよかったよ」
「……別に羨ましくなんてないんだからね!」
今日も鎮守府は平和である。