「…ここは……オレは…一体…」
--ダレなんだ?
悠久の時を経て開かれたカプセルから現れた、恐らくは男だろうその人物はこの場所はおろか自身の事すら解らなかった。男だろう、というのもその者の容貌からは判別ができず、女性にしては低い声音からそう判断できるだけで、実際のところは解らない。
その者の姿は、何というか異質だった。拘束具だろうか、全身を覆うゴツゴツとした黒鉄色の鎧はアーマーというよりはそういった印象を受ける。シルエットは、右肩から突き出した一部分を除けばほぼ人型だ。
その者はカプセルから出ると室内を見渡し、直ぐ側にあるカプセルだった物に目を向けた。自らが眠っていた物と外見は同じだがこちらの方がサイズが大きい。中には何かが自分と同じように眠っていたのだろうか。それを確かめる事はもう叶わない。なぜなら、そのカプセルには巨大な瓦礫が圧し掛かり中身ごと押し潰してしまっていたからだ。
瓦礫の隙間からはオイルとも疑似血液ともつかない、或いはその両方が混ざり合った液体が流れ落ち、冷たい床に赤黒い水溜まりを作っている。もはや中にいたものが手遅れなのは明らかだった。
彼は暫くそれを眺めていたが、やがて眺めていても何も変わらないと悟ったのか室内に唯一ある出入口のドアに向かって歩を進めた。ドアは崩落の影響か所々歪んでいて、開くか心配だったがギギギッと耳障りな音を立てながら何とか開けることができた。
部屋を出るとそこは廊下で左右に通路が広がっていた。施設自体には電力が供給されていないのか、通路は暗闇に包まれて先の方はまるで見えない。彼は少しの間思案した後右側へ伸びる通路を歩き出した。暗い通路には彼の足音だけが響いていた。
その頃、件の遺跡に一体のレプリロイドが向かっていた。ゴーレムと同等かそれ以上に巨大な体躯、丸みを帯びた強固な装甲に覆われたボディ、一振りで周囲の樹木を薙ぎ倒す太い腕。そして最も特徴的なのが象のような長い鼻。
見た者を姿だけで圧倒してしまいそうな外見を持つそのレプリロイドこそ指揮官が要請を出した『マハ・ガネシャリフ』である。偶々近くの補給基地に居合わせていた彼は、指揮官から連絡を受けるまでは自身のアイデンティティーでもある趣味の情報収集に勤しんでいた。
要請を受理した途端直ぐに今していた作業を中断し補給基地を飛び出した。それから道に存在する樹木の悉くを薙ぎ倒し踏み拉きながら一直線に遺跡を目指していた。その様子を見ている者がいたなら鈍重な足取りに見えるだろうが、その実彼は急ぎ足だ。
ミュートスレプリロイドには人間やヒューマンタイプのレプリロイドのような表情を表すフェイス部分はないため、その感情を読み取ることは難しい。しかし嬉しそうに目を細め、鼻歌混じりに進む彼の姿を見るに、何故だか分からないがとても歓喜しているのは容易に理解できた。
今まであの遺跡に足を踏み入れることを許された者はおらず、警備を担当する部隊の者でさえ外周の警備をするだけに留められており、ガネシャリフのような高位のレプリロイドでも許可が下りることはなく、外部からアクセスを試みても遺跡のデータは一切閲覧することはできなかった。
前述した通りガネシャリフの趣味は情報の収集である。元々それを目的としたコンセプトで生み出されたため、その存在意義も相まって自分の知らない、或いはまだ世に知られていない知識があると調べずにはいられない性質なのである。だが、如何に知りたくてもそのために法を犯すわけにはいかないし、そんなことをすれば本末転倒である。
……ごく偶~に我慢できずにレッドゾーンすれすれの危ない橋を渡ることはあったりするのだが……(奇跡的に未遂で済んでいる) そんな人一倍(レプリロイド一倍?)知的探究心が強い彼にとって今回の要請は正に渡りに舟だった。
「ヌフッ、ヌフフフフ…! 楽しみでおじゃるな~!」
彼の言う楽しみとは勿論例の遺跡のことだが、それとは別にもう一つあった。要請受理とほぼ同時に送られてきた遺跡関連と周辺のデータ、それに添付されていた記録映像に映っていたアンノウンの存在。それを見たときからガネシャリフは気持ちが昂るのを抑えられなかった。
(まろの予測が正しければアレは……ヌフッ、早く調べたいでおじゃる~♪)
樹海には重厚そうな足音がいつまでも響いていた。
◆◆◆◆
永い眠りから目覚めた彼は遺跡内を彷徨っていた。当てもなく歩を進めていると前方に何かを見つけた。近づいてみるとそれは一体のレプリロイドで、目覚めたばかりの彼には知る由もないが、蒼いボディに特徴的な単眼型カメラをしたソレはネオ・アルカディアでは一般的な部類の機械兵『パンテオン』だった。
袈裟懸けに切り裂かれ機能を停止しているそれを眺めていると突然思考にノイズが走った。
「…ぐっ!?」
ノイズと共に割れそうな痛みが頭の中を駆け巡る。パンテオンが切っ掛けとなり思い出せなかった記憶が呼び覚まされようとしているためだろうか。
激痛を振りほどこうとしているのか、壁に手を当てながらも頭を抱えながら通路を進んでいく。進んだ先にも蒼の機械兵はそこかしこに屍を晒していた。地に伏している者、壁に背を預けて事切れている者、そのどれもが共通して身体に深く斬られた痕があるのが見てとれる。
進むにつれて、倒れているそれらを視界の端に納めるにつれて痛みはその大きさを増していく。それらに比例し、思考を遮るように断続的に生じるノイズも徐々に多くなっている。
突然脳裏に一人の人物の姿が浮かぶ。所々翳って全体像を見ることはできないが、彼はその人物を知っているような気がした。
--全てを包み込んでしまいそうな蒼穹のボディアーマー。
--堅く閉じられた口元に確固たる意志を感じつつも、少年のようなあどけなさを残す端正な顔立ち。
--そして、慈愛とともに哀しみを感じさせる翡翠の瞳。
そこまで認識して、彼は通路の壁に当てていた方の拳を全力で打ち付けた。打ち付けられた部分は凹み、周囲にひびを拡げて小さなクレーターを形成している。何故こんな行為をしているのだろうか、それは当の本人にも分からなかった。だが、さっきの人物を見たときに感じた感情は理解できた。
それは--憎悪--
自分はアイツを憎んでいる。すんなりと理解できたその事柄は、即ち己との関連性を示すものに他ならない。この先に行けばそれは分かるのか、求めた答えが得られるのか、それは彼にも分からない。確信も当てもなく、しかし彼は暗い通路を歩いていく。
「…お前は…誰なんだ? そして…オレは…」
その問いに答えてくれる者はいない。己の内にもそれは見いだせない。ただただ延々と続く通路を歩き続けるほかなかった。
暫く歩くと広い空間に出た。老朽化によるものかそこは浸水により膝辺りまで濁った水が溜まっており、周囲の機械や壁を錆び付かせていた。いきなり広い空間に出たことにより止めていた再び踏み出し、水を分けながら進む。その先には一つのカプセルがあった。彼の眠っていた物とは違い横になるベッド式ではなく縦に入る様式のようだ。中にはもう何もないようで開け放たれたままの内部は暗い顔を覗かせるばかりだった。
全体的に老朽化したソレの上部には何やら文字が刻まれており、一部掠れてしまって読み取ることはできないがこう書かれていた。
(……ZE■O…? ……!?)
文字を見ていると再び頭痛が襲ってきた。それと同時に脳内に一人の人物が浮かぶが、先程の人物とは違うようだ。蒼いアーマーの人物とは対称的に、全体的に紅を基調としたアーマーを纏い、端正な顔立ちには剣を思わせる鋭さがある。後ろに流れる金色の長髪が特徴的なその人物に対しても彼は先程と同じものを感じた。
……コイツからも感じるモノは同じく“憎悪”だ。間違いない、自分はコイツらを知っている…そして殺したいほどに恨んでもいる。
(…貴様らは…誰だ!? 何故、オレをこうも苛立たせる…!?)
「…ん~? 誰ぞそこにいるでおじゃるか~?」
内から沸き起こる人物達の姿から思考の海に落ちていた彼の意識は、間延びしたその声によって現実に引き戻された。気付かなかったが、この場には彼以外にもいるようだ。その声は今見ていたカプセルの裏からする。
ズゥン、ズゥンと重そうな足音と共に声の主はカプセルの物陰から姿を現した。声の主は嬉々として遺跡に向かっていたマハ・ガネシャリフだった。どうやら彼より先にここを発見し、カプセル内のデータを回収していたようだ。
「……ん~~?」
遺跡内で遭遇した彼を見たガネシャリフは首を傾げた。目の前の人物に該当するデータが無かったからだ。というのもほぼ全ての人間・レプリロイドが生活しているのが理想郷ネオ・アルカディアであり、レジスタンスも元を正せば殆どが元住人であるためだ。無論例外もあるが、常に情報を収集しているガネシャリフのデータサーバにもないというのが本人的には気になった。
(…ネオ・アルカディアの登録簿には載ってないでおじゃるな。さりとて軍にもこんな奴いなかったし…レジスタンスとも何か違うでおじゃる。)
検索してもその人物に心当たりはなかった。
「でもまぁ…」
ガネシャリフの双眸が細く歪められる。その視線の先にいるのは頭を押さえながら呻いている身元不明の男。
「『不法侵入者』には違いないでおじゃるからな~。排除するでおじゃるよ~。」
その言葉が終わるか終らないがする内に男のいる場所に影が落ちる。それに顔を上げた彼が見たのは巨大な鉄球だった。身体を丸め自身を質量兵器と化したガネシャリフは、回転を加えた超重量の一撃を男に見舞った。高速で回転する巨体が男のいた場所を押し潰し、削り取っていく。当然そこにいた男も同様の運命を辿ると踏んでいたのだが--
「ん~?」
手応えの無さに違和感を感じ、回転を止める。下を見てみるとそこには真新しい穴が開いていた。どうやら先程の攻撃で床が抜けてしまったようで、男の姿がないことから恐らく下に落ちていったのだろうと推測する。
「運がいいやら悪いやら。安心するでおじゃる、苦しまないよう直ぐに破壊してやるでおじゃるよ~。」
そう言うとザバザバと水を呑み込んでいるその穴へと先程の攻撃を繰り出し、男の後を追って闇の底へと落ちていった。