今回は話の内容のこともあって、結鷹の視点による一人称でなく、試験的に三人称で書いてみました。
実際に三人称で書くのは初めてなので、違和感などがありましたら指摘してもらえるとありがたいです。
横書きで見にくいかと思って、これまでは台詞と長い文章には改行を挟んでいたんですが、ここは行の間隔が元からそれなりに広いこともあって、今回は、あえて不必要な改行はいれてません。こちらも賛否を貰えると助かります。
読みにくい等の意見があれば修正します。
これは、一月の半ば、とある冬の日のことである。
街中を白く染めた雪は、二柱の神と、東風谷早苗の住まう守矢神社にも平等に降り積もり、境内は白い世界へと変貌していた。
とは言っても、豪雪では無かったので、今では積もった雪は地を踏む靴高の半分程度しかない。
綾崎結鷹が東風谷早苗に、踏み出したあの日から、数ヶ月が経った。中学の三年生である二人は、高校受験に向けて、神社内の家で勉強に励んでいた。
各教科の得意不得意はあれども、総合的な成績では大体同じレベルの高校を狙える程度には同じだった結鷹と早苗は、二人で同じ公立高校へ進学をすることに決め、それからはどちらも同じ高校に行くために必死だ。
「あう、綾崎、国語がもう無理です。作者の気持ちを考えることなんてできません。文章を追っていると頭が溶けそうです、冬なのに脳内は真夏真っ盛りです」
「はあ、そんなもんは文章の中から拾ってくれば、完全に正解できなくても何点かはもらえるんだよ。そんなことより、数学の証明が……、難しいのになるとマジ意味不明。俺には証明できないことを証明しました、まる」
早苗は国語が苦手で、綾崎は反対に数学を苦手としていた。お互いに補い合おうとの考えで始めたが、結局のところ、互いに自分のことで手が一杯で、二人で一緒に勉強をしていることでの成果は芳しくない。
実際の効率は、塾にでも通うか、独りで集中して勉強した方が良いのだが、それを二人とも口には出さない。
しばらく離れていた反動であろうか、それとも、昔より、更に二人の心の距離が縮まったからだろうか、一緒な空間で勉強をして時間を過ごすということ、そのことに結鷹も早苗も意義を感じていた。
かといって、それが原因で志望校に片方が落ちて、片方が合格して、別々の高校に通うことになっては本末転倒なので、必死ではある。
自身の勉強に取り組みながら、あーでもない、こうでもない、と言い合っている、そんな二人の様子を、温かく見守る存在が居た。
早苗の慕う神々で、親のような立場でもある、八坂神奈子と洩矢諏訪子である。
「いやあ、早苗が楽しそうでなによりだねえ、神奈子」
神奈子の右隣から問いかける諏訪子の言葉に神奈子は首肯する。
「まあね。ずっと離れていたというのもあるし、結鷹が踏み入ってきてくれたのが、よっぽど嬉しかったんだろうね」
小学生の時である。結鷹が早苗に距離を置き始め、しょっちゅう来ていた神社にも遊びに来ることが無くなった頃、早苗が泣きついてきたことを神奈子は思い出す。
ゆたかが話しかけてくれない、嫌われたのかもしれない、と言ってわんわん泣く早苗を宥め、あやすのに、諏訪子と二人で随分と苦労したものだと、当時を思い出して苦笑いする。
「結鷹も早苗ももっと生まれてくるのが早ければ、あんなに苦悩することはなかったのだろうけど」
「結鷹も全く才能が無いわけじゃないだけにねぇ」
早苗は、稀代の才能を持つ少女である。莫大な霊力と人にあるまじき神力とを兼ね備え、奇跡を起こす術を行使でき、彼女自身もが本当の意味での奇跡を呼び寄せる体質、極めつけは信仰を失うのと共に、力も失って限りなく存在が薄れた神奈子と諏訪子の存在を見て、会話ができる程の幻視力。
数世紀に一人の逸材。時代が時代なら、後世にまで語られるだけの破魔の才を持っていると言っていいだろう。
贔屓目を差し引いても、それが早苗への妥当な評価だとういうのが、二柱の神の見解だった。
対する綾崎結鷹とて、霊感と霊力が全くないわけでは無い。あと数十年ほど早く生まれていたのなら、早苗のように二柱の神の姿をその目に見とめることが出来たかもしれない。現に、時折だが、声を幻聴のようにだが聞き取り、触れれば反応することもある。
二人の生まれた時期がもう少し早ければ、まだ己に力が残っていれば。そうであったなら二人の間を阻む境界など存在せず、結鷹も葛藤せず、すんなりと早苗に踏み出して行けたのだろうと思うと、神奈子は僅かばかりに、遣る瀬無い感情を覚える。
同時に、綾崎結鷹には、少々危うい才能があることを、神奈子も諏訪子も感じていた。
早苗が、『奇跡を起こす体質』なら、結鷹のそれは、『人外を惹く体質』とでも言うのだろうか。
早苗には分からない感覚だったが、神奈子や諏訪子は、結鷹を“香ばしい”と感じる。
しかし、この場合の惹くとは、恋愛感情とは全く異なる。
妖怪にとっては“餌”として、神にとっては“玩具”として目にとまる。そういう意味での惹かれる、だ。
仮に妖怪が跋扈する時代に生まれていたのなら、結鷹は幼少の内に食われて絶命していただろう。神々の時代に生まれていたのなら、玩具のように、弄ばれたかもしれない。
神代において、気に入った人間を、神が退屈しのぎに悪戯して、その人生を破滅させることなどよくある話であった。
人と人外との恋愛譚が伝えられている以上、恋仲になる確率も少ないが、ある。しかし、そうはならず、多くの場合は、悲劇と、最悪死に直面することになる。
人外を惹きつける体質と言えば大層な名前ではあるが、その実、妖怪にとっては旨そうな匂いの人間でしかなく、神にとっては興味を惹かれるだけのもの、大事の最中であれば見逃す程度の存在でしかない。
それに、少ないながら、どの時代にもそういった体質を持った者は現れてきた。
神奈子の経験上、幸いにもそれは呪いというにはあまりにも弱く、自らの体質に気づいて、力を持つ者を頼れば神奈子が例えるところの“香”を封じて解決することも容易い。が、気づかないままの人間は、きっとそういった人外の存在によって、不幸に見舞われるだろう。
もし、自分の力が健在で、早苗が居らず、その状況で今の結鷹をはじめて見つけていたのならどうしていたか分からない、と神奈子はゾッとする。風雨の神である神奈子ならまだマシなもので、祟神を統括していた諏訪子に目を付けられていたのなら、更に悲惨な目に遭っていただろう。
久しぶりに神社を訪れた時には、幼少期において僅かに匂った程度のそれが、なんとも香しいものとなっていた。
少なくとも、諏訪子がちょっかい出しまくる程度には。
二柱の忠告によって、早苗から結鷹に、もしもの時の護身用の札と“匂い”に蓋をする役割の札を封じた、お守りを持たせていることで今はその体質は封じられ、安全を確保している。
そういう意味では結鷹は幸運であった。
結鷹が今まで何も対策を取らずとも生きてこられたのは、一重に、多くの妖怪、神などの人外が力を失った現代であったからだ。
だからと言って、これから大丈夫とは限らず、急ぎで早苗に言って、結鷹にお守りを渡したのであった。
身に着けている内は、その恩恵を受けることが出来るだろう。早苗程の才子の特製であるならば、その効力は彼の生涯の半分ほどは、あれ一個で十分だ。
逆に言ってしまえば、結鷹の人外を惹く体質とは、その程度のものであった。
「今の早苗を見ていると、私は嬉しい反面、居たたまれなくなるよ。早苗はとっておきの風祝だからね、現世に私達が居られなくなった時、誰もあの子の傍に居てやれる人間が居ないのなら、彼の地へ早苗も連れて行こうと考えていたけど……」
この移住の案は、何も最近になって浮かんできたものではない。早苗が幼い頃から、神奈子と諏訪子の間で、現代では存在が消滅しかねない自分たちのことと、現代では生き辛くなっていくであろう早苗のこととを考慮して、ずっと温めていた計画である。
「まあ、少し前なら私もそう考えてたけど、今のあの二人を引き裂くのはねぇ。」
「両親を亡くしてしまったのもあって、早苗も思い残すことなく、連れていけると思ったんだけどねえ。結鷹のせいというか、おかげと言うべきか、事情が変わった」
結鷹は賢い子だ。神奈子の多くの人間を見てきた慧眼は、一目で結鷹をそう評価した。結鷹は誰よりも早く早苗と自分を含めた周囲との差に勘付いていた。そして、彼は自らの察知した早苗の異常から目を逸らし続けていた。きっと、結鷹が早苗から離れたのは色々考えた末のものだろう。自分に無いものを在ると期待しているような過度の自信家ならば、ああはならなかったかもしれないが、彼は賢い故にそんな風には生きることができなかったのだ。
早苗の、結鷹に理解してほしいという気持ちは当然知っていた神奈子だが、結鷹のそういう部分を汲んでいたからこそ、結鷹を責める気持ちは全くなかった。きっと、早苗の望むものはここでは手に入らない。それを感じ取った神奈子と諏訪子は、早苗を連れて、忘れ去られた者が行き着く場所、幻想の土地へと足を踏み出す決意を確固たるものにしたのであった。
だが、先日、結鷹の方から早苗に踏み出したことで、状況は変わった。あの、瞬きほどの時間を除いては、結局、結鷹は神奈子と諏訪子を見るには至っていない。
早苗と結鷹の間には、やはり、越えられない境界線がある。
しかし、それでもと、二人で時間を共に過ごし、互いを理解しようとしている。お互いが触れ合おうとすると出来る空白を潰すように。なにより、結鷹と二人でいるときの早苗の幸福そうな顔を見ていると、そんなことは些末な事にも思える。
「ねえ神奈子」
粛然とした様子で、諏訪子は神奈子の名を呼んだ。
「ん?」
「私はね、早苗の幸せそうな姿を最後までこの目で見られるのなら、消えてしまってもかまわないよ」
神奈子は早苗たちを見守る諏訪子の横顔を見る。彼女の容姿は見た目だけなら幼いものだ。しかし、その顔には確かな親の愛情がある。神奈子と諏訪子は、早苗の言う様に、両親のような存在である。しかし、諏訪子にとっては、早苗は本当に自らの血を引く子孫なのだ。
「諏訪子、あんたまさか……」
「冗談さ。ただ、そう思わされるくらいに今の早苗は楽しそうだってこと」
神奈子には、そう嘯く諏訪子が、冗談でそれを言っているようには見えなかった。ただ、諏訪子の言いたいことを察した神奈子は、先に口にする。
「いざと言う時は、早苗を置いていくことも考えなくちゃいけないかもしれないわね」
我が子のようにその成長を見守り、育ってきた早苗を自らの傍から離してしまうのは悲しい。
しかし、今の早苗を結鷹から無理矢理引き離すのは、あまりにも忍びなく、心が痛む。ようやく互いに歩み寄ることを許容できた二人を裂くのは、あまりにも残酷だ。そんなことが許されてはいけない。
「うん……結鷹ならきっと、もう早苗を拒まないよ」
目を閉じて諏訪子は口にする。その一言には、早苗への愛と、結鷹への信頼があった。
「じゃあ、その時は私たち二人で行くとしようか」
ならば、結鷹に早苗を任せるべきなのかもしれない、と神奈子は思う。早苗ももうすぐ高校生になる、子離れ、親離れの時が来たに過ぎない。
もとより、早苗は特異ではあったが、幻想と消える者ではない。彼女を受け入れる者が居て、孤独を感じないのなら、此処に留まる事こそ早苗のためになるだろう。
「まだ先の事だけど、寂しくなるねえ」
諏訪子は過去を思い返るように、どこか、遠くを見つめる。神奈子も、諏訪子の言葉に内心で同意した。
なにしろ、自らが手塩にかけた、言ってしまえば愛娘を嫁に送り出すようなものなのだから。
うら寂しい気持ちになるのは必然のことだった。
「なあに、太古の昔からの付き合いさね、何があっても私はあんたから離れられないわよ」
かつては争い、勝者と敗者として上下の関係であった二人は、一つの王国をまとめる為に協力関係になった。それが守矢の神である。表立っての実務を神奈子が、裏では諏訪子が政を執る。利用し合うだけの関係だった二人の間には、時が巡るにつれ、確かな親愛の情が芽生えていた。諏訪子には未だに、神奈子が腑抜けた姿を見せたら取って代わらんとする狡猾さがあったが、神奈子はそれすらも受け入れて、対等な仲間だと感じている。諏訪子とて、腹の内に煮る思いは多少あれど、神奈子を最高の相棒であると認めていた。
口には出さねど、神奈子に敗れ、支配していた国を奪われ、身を隠すしか道が無かった諏訪子は、再度、国を支配する立場に戻る機会を与えてくれた神奈子に感謝もしている。
「ははは、そうだね、腐れ縁もここまでくれば愛しく思えてもくるってものさ。それに
神奈子を一人にしておくと、どこかに迷惑かけないか気が気じゃないし」
子供のように悪戯な笑いを浮かべて、神奈子を見る諏訪子。神奈子はそんな彼女の額を人差し指で弾いて。
「それをあんたが言うな」
あう、と少し赤くなった額を両手で抑えて、神奈子に背を向けて、涙目ながらにその場にしゃがみ込む諏訪子は、ふと、口にする。
「私たちは、あとどれくらい此処に留まっていられるかな?」
神奈子は、さあね、と首を横に振る。
「一年もつのか、二年か、それとも、一年すらもたないのか。諸行無常とは良くいったものだ。全く、世の移り変わりとは怖いものねえ。昔は事あるごとに、私たち神の思し召しだなんだと祀っていたというのに、現代じゃ八百万の神よりも、一つの家電製品の方が人々を惹きつける。神の身の上としちゃあ随分世知辛い世の中よ」
「……人が憎い?」
「いいや、惜しいとは思えど、憎いとは思わないよ。それに、そんなことを言ったら、早苗が怒るもの」
そう言いながら、早苗の怒った様子を想像して肩を竦める神奈子のさまは、子に嫌われるのを恐れる親のよう。
「はは、私も神奈子のこと言えないけど、もう神なんて言う肩書背負っただけのただの人の親だねえ」
全く平和ボケしたものだと、神奈子も諏訪子も互いに胸中を露わにする。
「かつては私達で、天と地さえ思いのままであったというのに、今では自分に仕えているはずの、たった一人の風祝の行動に心が揺れ動かされる始末さ。太古の昔に国を治めていた神が、力を失って、人の親と変わらないのなら、人々が離れていったのは道理。愚痴くらいは言いたくなるけど恨みはしないわ」
それに昔から神奈子は人心を掴むということにおいては、不得手であった。大戦を勝利し奪い取った国の民は、諏訪子による祟りの恐怖によって、その内側までは掌握できず、手に入れた国を持て余した。
諏訪子が助力してくれなかったら、今の自分は在りえなかったと、神奈子は考えている。
そんな神奈子が人を恨むなど、神の身とて、そこまで思い上がることは出来ない。
諏訪子とて、一度は敗北し、本来ならその時に身を隠すしか無かった身の上だ。神奈子と同意見だった。
「……そうだね」
二柱の神は天を見上げ、在りし日に思いを馳せる。それは、神々の時代。ありとあらゆる事象は神々の手によって起こっていると人々に信じられ、また、その力を神は存分に振るえた時代。争い、奪い、王国を治め、主として君臨した、今では遠き幻想の時。
以前はこの天さえも創造できたというのに、今では、手を伸ばして掲げる程度のことしかできない。もはや自分達の栄光を知るものもいない。神にとっては昔でも、人間にとっては無始曠劫の時代のことであれば、それも必定。
その時代を郷愁とも呼ぶべき愛しさで懐かしむ。しかしそれは、目の前の我が子のような風祝にかける想いよりは、劣る感情だ。
東風谷早苗と綾崎結鷹の行く末に、幸福があることを天に願った。
遥か遠き時代に、人々が、彼女ら神に祈ったように。