あの日の奇跡と東風谷早苗について   作:ヨウユ

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付けられた評価にコメントが付けられていたら、それを読めることに今更気づきました。一言添えてくれた方々、ありがとうございます。


東風谷早苗と、ある少女について 1

 

「378、378、378、378、378」

 

 俺の隣で、同じ数字を呪詛のように繰り返して呟いているのは、東風谷である。今日は、お互いが行こうと決めていた高校の合格発表の日で、受けた生徒が各自で高校に直接見に行くということで、東風谷と二人、合否を確認しに来ている。隣で自分の受験番号を何度も唱えながら、合格者番号の示された掲示板を見つめる東風谷の目は、マジすぎて、ちょっと怖い。

 東風谷の場合、その気になれば、結果が誰の目にも触れられることなく書き換えられたりしそうなあたりが、より笑えない。

 周囲の、女子の甲高い歓喜の声や、誰かの深いため息、低い落胆の声を聞いていると、東風谷程ではないが、俺も妙に心許なくなってくる。

 神頼みというものにどれだけの効果があるかは分からないが、俺の身を守るためにいつも持ち歩いている、東風谷特製お守りと、合格祈願のお守りの二つを取り出して右手に握る。

 俺自身、手応えはあった、後は学業の神様が俺に微笑んでいることを祈るだけだ。

 口をぽかんと開けて自身の番号を探す東風谷から、俺も視線を掲示板へと移す。

 さてと、俺の番号は323だから、えーと。

 掲示板の300台から数字を追っていくと、すぐに見つかった。

 

「よし」

 

 思わず拳を強く握って、小さく声が出てしまう。

 いやあ、案外、緊張するもんだな。たかが高校受験、就活や大学受験に比べたら失敗しても言うほど痛くないし、緊張なんてしないだろうな、と思ってたよ。

 正直、受験中に腹痛くなってきたときはどうしたものかと。

 まあ、今回は東風谷と一緒の高校行くって決めてたから、その分、多少はね。

 

「東風谷、そっちはどうだ?」

 

 喜びで少しニヤつきそうなのを抑えて、隣を見やる。

 自分の受験番号の示された小さな紙片を両手で摘まみながら、掲示板に吸い込まれるように見入っていた東風谷が、ゆっくりと、こっちを見る。

 

「結鷹、私の番号……」

 

 東風谷の声にはいつもの元気がなく、表情も冴えない。口を噤んでしまった東風谷の顔は、先ほどの覇気のない声のせいで、泣き出してしまうのかと思ってしまう。

 え、嘘、もしかして落ちた?

 

「お前まさか……」

 

 俺がそう聞くと同時に、東風谷は噤んで一文字にしていた口を綻ばせて、一気に破顔させる。東風谷早苗、会心のドヤ顔である。

 泣きそうなのを我慢してたんじゃなくて、嬉しくて笑ってしまいそうなのを我慢してたのかい。

 

「ありましたー!」

 

 やったー、と嬉々として飛び跳ねる東風谷。それを見て、俺も自然と口元が緩んで、笑みが出てしまう。

 いやあ良かった、本当に。

 これで東風谷が落ちてたら割と洒落にならんからな。一緒にやってた非効率的な勉強のせい、っていうかそれを言い出した俺のせいだし。

 それにしても吃驚させやがって。

 

「落ちたのかと思ったじゃねーか、めっちゃ気ぃ遣いそうになったぞ、今」

「ふふん、余裕ぶってるから驚かせようと思いまして、なかなか傑作でしたよ、綾崎の心配そうな顔」

「人の良心を踏みにじりおって、お前という奴は」

 

 言いながら、何故か誇らしげにしたり顔をする東風谷の頭に軽くチョップする。それを受けた東風谷は撫でられた時の猫みたいに嬉しそうに表情を崩す。

本当に誰に似たんですかねえ、そういう事するようになったのは。いやきっと“な”で始まるあの馬鹿の影響なんだろうけど。

 ウチのクラスの連中が齎した東風谷への影響はどうやら良いものばかりではないらしい。その事に、深い水の中から顔を出したような、深いため息をつく。

 

「まあ、良かったよ、東風谷も受かってくれて。これで高校も一緒だな」

 

 二人とも無事に同じ高校に進めること、そのことに心底から安堵している自分が居る。だから、今の人をおちょくった態度は水に流して仕返しはしないでやろう。そんなことがどうでも良くなるくらいには、今は俺も嬉しい。

 

「はい! 私も高校が結鷹と一緒で嬉しいですよ」

 

めっちゃ良い笑顔の東風谷から、思わず目を逸らす。何でかって? 直視したら恥ずかし過ぎて悶死しそうだからです。台詞もセットで、正直堪らん。

 そんな風にして目を逸らした先で、偶然か、人混みの中に紛れていた、ウチのクラスの例の悪友と目があった。

 急いで視線を別方向に飛ばすも、完全に見られたらしい。

 

「おーい! 結鷹!」

 

 そう大声をあげながら、悪友、もとい中田は滅茶苦茶手を振りながらにっこりと、こちらに駆けてくる。

 

「おす綾鷹、どうだったよ? ええ、聞かせてみ!?」

 

 開口一番で、肘で俺の腕を突きながら、ド直球に合否を聞いてくる中田。それは、俺が合格しているという確信のもとでのものであると信じたい。

 そのノリノリスーパーハイテンションで聞いておいて、俺が落ちてたらどんな反応するのか少し見ものではあるが。

 

「綾鷹言うな、合格……そっちは?」

「余裕余裕楽勝よ! ガハハ! 番号を探すまでも無かったわ。いやあ、そんなことよりこの学校中々可愛い女子多そうだぜ、結鷹? これは期待できますな、ぐふふ」

 

 大声で高笑いと下衆笑いをする中田。いや、お前、落ちてる人も居るんだしもうちょい配慮ある声量で喋れんのか、あと東風谷含め周りの女子ちょっと引いてるぞ。

 なぜこいつが必死こいてやってた俺と東風谷よりも勉強が出来てしまうのか、甚だ疑問である。こんな中田だが、合否を“そんなこと”と口にする通りに、実はこいつ、頭がすこぶる良いのである、馬鹿なのに。もうワンランク上の高校を余裕で狙えるくらい。

 人間にステ振りしている神様が居るのなら、なぜこいつを勉強できるようにしたのか小一時間問い詰めたい気分になる。

 

「お前の人生楽しそうだな」

 

 他人の振りをして立ち去ってしまいたい胸中だが、こうも俺に向かって堂々と話をかけられていては、不可能だろう。

 さっきとは別の意味でため息が出てしまいそうになる。

 

「まーな、あ、東風谷さんはどうだった?」

「合格です! これで三人一緒な学校ですね」

 

 こんな奴にも平等に笑顔をお届けする東風谷さんは天使か何かかな。そういえば、某ファーストフード店のスマイルは無料だが、あれって頼む人居るのかな、男性客が女性店員に言ったらセクハラじゃね?

 モリヤバーガーの東風谷スマイル、一回1000円でいかがでしょうか。男性客にはその後に当店限定サービスで俺からの目潰しもセットでついてくるよ。

 

「じゃー三人で合格祝いで飯でも行かない? ここら辺、高校から駅までの道だけでも結構色々揃ってるし」

「いいですね、そうしましょう!」

「そうと決まったら今すぐ行くぞー! ウェーイ!」

「うぇーい」

 

 え、まだ俺は何も返事してないんですけど、なに、お呼びでない感じですか。でも三人って言ったよね今。

 俺の意見は聞く耳持たずと言った様子で、大声で両手を挙げて校門の外へと駆けて行く中田に、東風谷も続く。流石に声は中田より抑えられているが。

 ていうか、その馬鹿っぽい掛け声なに。

 

「綾崎ー、何してるんですか行きますよー、うぇーい」

 

 校門のすぐ側で、東風谷が中田と並んで俺を呼ぶ。

 東風谷さん、それちょっと気に入ってません? 頭悪い子に見られますよ。でも、小さく手を挙げるその仕草が可愛いので許す。

 

「はいはい」

 

 そう言いながら、駆け出そうとしたその瞬間に、俺の目の前に人影がよぎった。

 やべ、止まれね。

 身体を捻って避けようとした意識したときには時すでに遅し、目の前を通り過ぎようとした人に思いっきりぶつかってしまう。相手の方は少しよろめいただけだったが、俺は変な風に力が入っていたせいか大した衝撃でも無かったのに、ごてん、と情けなく地面に尻餅をついてしまう。

 

「わ、悪い」

「いえ、こちらこそ……」

 

 声の高さから判断するに、どうやら女子とぶつかってしまったらしい。

 変な避け方しようとして体勢崩していたとはいえ、女子に当たり負けするとか、どんだけ軟弱なんだよ俺は。

 こけた時に、右手にまだ握っていた2つのお守りを落としてしまう。謝りながらも、すぐにお守りを拾いあげようとしたその時に――妙に胸が騒ぐ一言が耳に入ってきた。

 

「貴方、良い匂いがするのね……」

「え?」

 

 特に男は、日常ではまず人から言われないような台詞に、思わず、お守りを拾う手を止めて、顔をあげる。

 すると当然ながら、俺とぶつかった女子と目が合う。

 静かな、こちらの全てを見透かすような青の瞳がこちらを見ていた。

 計らずして、見つめ合う形となり、無意識の内に立ち上がらされ、姿勢を正せねばならない、と思わされる。彼女の目には、なにかそう言った力があった。

 

 その女子の容姿は一言で表すなら、東風谷と同等と言っても過言ではないという、それ程の美人であった。顔の部品毎の均整が取れていて、それだけで不細工からは程遠く、長い髪は烏の濡れ羽色で、あまりにも流麗。眉は細く、目は東風谷のつぶらで大きなそれとは反対に、知的に感じさせる、切れ長の目と長めの睫毛、そして、そこに収まった薄氷のような青の瞳。育ちの良さを感じさせる気品と浮世離れしたような雰囲気とを兼ね備えたその女子は、東風谷とは違った意味で神秘的だった。

 東風谷早苗が陽ならこの女子は陰だと、そういう印象を受けた。

 東風谷が親しみやすく、周囲の人を寄せ付ける類の少女なら、目の前の少女には一片たりとも隙が無く、周囲に憧れや好感を抱かせながらも人を寄せ付けない、近寄りがたさがあった。

 東風谷には合わない、深窓の令嬢という言葉が、彼女には似つかわしい。

 思わず、見惚れる。

 それよりも、もっと、何か、自分に関わる拙いモノと遭遇した気がしたというのに、それを忘れさせるくらいに、目の前の少女の美貌と独特の雰囲気は衝撃的で、心を奪われた。

 おそらく、ここが合格発表の場でなければ、彼女は周囲からの視線を一身に受けていたことだろう。

 もう何秒も互いに見つめ合っているということの気恥ずかしさと、この状況を東風谷が見ているのでは、という客観的な視点を呆然としていた我が、時間の経過と共に取り戻し、二人の間に繋がった視線をこちらから無理矢理断ち切る。

 

「悪い、避けそこなってぶつかっちまった」

「いえ、急に目の前に飛び出した私も悪かったわ。ごめんなさいね」

 

 そう言って、彼女は少し屈んで、地面に落ちた俺のお守りを拾い上げる。ただそれだけの動作ですら、洗練されているように思ってしまうのは、彼女の出来過ぎた容姿のせいか。

 

「これ、貴方のでしょう?」

「あ、ああ。さんきゅ」

 

 表情の変化は極僅か、口許をほんの少しだけ綻ばせながら、彼女の白い手がこちらに差し出される。その中にあるお守りを取ろうと、こちらも手を出すが、あまりにも柔そうなその手に、触れて良いものかと、一瞬硬直する。

 しかし、拾ってもらって渡してきてくれているのに、受け取るのを躊躇するというのも失礼だと思って、すぐさま硬直を解いて、彼女の手の中にあるお守りを取る。

 その瞬間に彼女が怪訝な表情をする。

 やべ、そんな躊躇ってる時間長かったか今。

 強い視線でこちらを見る目の前の女子に、情けなくも、少し怯んでしまう。

 気まずい空気が漂い始めたと、肌で感じた瞬間に。

 

「結鷹、何やってるんですか」

「うわあっ!」

 

 突如として、東風谷の声がすぐ近くで発生した。

 び、びびび吃驚したー。いつの間に隣に来てたんだよお前は。思わず肩が跳ね上がって大声あげてちゃったし、心臓飛び出るかと思ったよ。あまりの驚きに、心臓の鼓動が未だに速いんですけど。

 俺は心臓の鼓動を抑えるように手を自らの胸にあてがいながら、東風谷を見る。

 

「うちの綾崎が迷惑かけたようで、すみませんでした」

 

 東風谷は一度、俺と目の前の女子とに視線を行き交わせてから、そう言って、ぺこりと頭を下げて、名前も知らぬ女子に謝る。うちの、ってお前は俺のかーちゃんか。いや迷惑かけたのは事実だけども。

 

「こちらにも落ち度があったことだし、貴女が謝ることではないわ。それに、既に謝罪は彼にもらったもの」

「そうだったんですか。あ、私は東風谷早苗って言います、あなたは?」

「柊玲奈よ。東風谷さんと、そちらは……綾崎くんで良いのかしら?」

 

 言いながら、柊は小首を傾げて俺に聞く。

 

「ああ、それで合ってる、綾崎結鷹だ、よろしくな」

「ええ、よろしく」

「では私たちはこれで、同じクラスになれると良いですね」

 

 東風谷が日輪のように、ぱあ、と明るく笑いながら言って、小さく手を振る。顔全体を使って笑みを表現する普段の彼女の笑顔は、見ているこちらにも元気が出てきて、自然と笑顔を引き出されるような、そんな不思議な魅力がある。

 

「そうね、楽しみにしているわ」

 

 そう言う彼女の表情の変化は、東風谷と対照的で細やかなもので、今だって、よく見ていないと笑っているのかさえ分からない。

 

「ほら、急ぎますよ綾崎、中田君が待ってます」

「お、おう」

 

 返事をするとすぐに、東風谷に袖を掴まれて引っ張られる。あれ、なんか東風谷さん力強くないですか。

 東風谷は俺の袖を引いて、前にずいずい進みながら、進行方向を向いたままで声をかけてくる。

 

「結鷹……気づきましたか?」

 

 その東風谷の声は真剣そのもので、何かあったのではないかと勘ぐるが、心当たりは特にない。

 

「……? 何が」

 

 それに、気づきましたか、だけでは色々と曖昧すぎて、何のことだかさっぱりだ。

 柊が東風谷と同じ位に容姿の出来が良いこととか、そんなところか。

 

「いえ、気づいてないなら良いんです。ただ、あの人には……柊さんには、結鷹は気を付けてください」

 

 初対面の相手に対して、そんな風に東風谷が評価を下すのは、そうそう無い。何か気にくわないところでも柊にあったのだろうかと、視線を右上に逸らして、さっきのやり取りを思い出すが、そんなものは見当もつかない。

 

「何だよ藪から棒に、確かに、近寄りがたい感じの美人ではあったけどな」

「そういうことじゃありません。もういいです」

 

 そう言う東風谷の顔をこちらから確認することは出来ないが、少し怒っているように感じた。

 そんな東風谷の不可解な態度に首を傾げていると、ふと、柊の台詞が脳内で再生された。一瞬にして消えた違和感だったせいで忘れてしまっていた、それを。

 普通、そう感じたって会ったばかりの他人にはまず言わないような、あの台詞――――。

 

“貴方、良い匂いがするのね……”

 

 

 


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