「……はい。ええ。では、そのように」
執務室と思われるその部屋には、一人の男がいた。
年齢は三十後半から四十前半ぐらい。八:二で分けた黒髪と、室内にもかかわらず着けている濃い黒色のサングラスが特徴的な男だった。
しかし、傍目からは窺い知れないが、その左目の瞳孔は僅かにも動かず焦点が合っていない。それを考えると、サングラスはそれを隠すためのようであった。
それもそのはず。男の左目には、再生医療が発達した現代においてはかなり珍しい義眼が入っている。まるで何かの贖罪であるかのように、周囲になんと言われようともその目を治すことはなかった。
「師族会議の方はこれでいい。各研究所にも根回しはした。
これで残るは、本人に会うだけか」
その男の目の前のモニターには、とある資料がまとめられている。
一般に報道された情報から、明らかに機密資料と思われる詳細な映像まで。男が各方面に手を回して手に入れたそれらは、先日ナギが遭遇した、そしてナギの両親が亡くなった、あの事件のものだった。
「………………」
男はパネルを操作すると、ある映像ファイルをクリックする。
流れ始めたそれは、あの魔法専門店の監視カメラの映像だった。
覆面をかぶった男が押し入り、出入り口の近くにいた女性に向けて発砲。女性は腹から血を噴き出して崩れ落ちる。
突然の凶行に店内の時間が止まる中、襲撃犯は泣き出した女性の娘に向かって再度発砲。当たりこそしなかったものの少女は気絶し、母親の死体に重なるように倒れ込んだ。
そこで、店内にいた男の一人が襲撃犯に向かって攻撃。襲撃犯は出入り口まで吹き飛ばされたものの、意識は健在で、攻撃した男の息子らしき人物に銃口を向ける。
「ここからだ」
画面を見ていた男はそこで一時停止すると、スロー再生のボタンを押した。今世紀初頭ではスーパースローと呼ばれていたそれのように、映像がゆっくりと流れ出す。
襲撃犯の狙いに気づいた子供の両親は、庇うように射線に割り込む。しかし、魔法障壁を貫けることを目的に高威力化しているハイパワーライフルの弾の前では無力で、その胸に穴を空けてもなお、銃弾は少年を向けて突き進んでいく。
しかし、充分な威力を持っているはずの銃弾は、少年を貫くことはなかった。途中で人に当たることで軌道が変わったわけではなく、少年が張ったと思われる魔法障壁に防がれたのだ。
そう。ここがおかしい。
この少年が、この日初めて魔法に触れたことは"知っている"。この店の検査記録にも残っていた。
しかしこの少年は、途中二人を貫いたことで威力を落としていたとはいえ、ハイパワーライフルの銃弾を受け止められるだけの障壁を、銃口が向けられていることに気づいてからのごく僅かな時間で張っている。その上、CADや呪具による補助などなしでだ。
仮に、『春原家』にはほとんど魔法が残っていないことは置いておいて、これだけの強度を持つ古式の障壁を扱えたとしよう。それでも、CADも呪具による補助もなしにこの速度で障壁を張ることなど、障壁特化の十文字家でも不可能だ。
それはつまり、現代魔法師の誰もが不可能であるということ。CADを使えば同じことは可能かもしれないが、CADなしの発動速度という面では世界最速と言ってもいいだろう。
「そして、極めつけがこれだ」
考察をしている間に進んでいた映像は、少年がゆらりと立ち上がったところを映していた。
画面の中に映る少年からは、闇色の光が噴き出している。底などないかのように溢れ出し続けるそれは、キルリアン・フィルターによって可視化されたサイオン、
そう、このサイオンらしきものにも説明がつかない。
確かに、サイオンの性質は人によって個人差があり、余剰サイオン光やキルリアン・フィルターによって可視化した色は個々人で異なっている。
しかし、それでもあくまで"光"なのだ。黒を通り越して闇色になるなど、光の三原色の定義に喧嘩を売っている。
また、その量もありえないほどに多い。魔法専門店ということでサイオン波の遮断率は99.9%を超えているのに、店の前のサイオン波検出装置に反応が出ている。そこから推測されるサイオン放出量は、平均的な魔法師の100倍近くにもなるだろう。
「だが、直前の検査記録では特に特徴的なものはない。少し平均よりかは下回るが、実に平々凡々な結果だ。
となると、やはり感情の暴走による一時的なブーストと考えていいか」
感情と魔法力には、密接な関係があると推測されている。少しでも魔法の存在を疑えば魔法力は大きく下がり、逆になんらかの原因で興奮状態になり、精神活動に関わりがあるとされる
つまり、目の前で両親が殺されたことによって、いや、最初の女性が死んでいる場面を見たことによって精神が暴走し、火事場の馬鹿力的な強化がされたことで一時的にこれだけの魔法力を得たと推測できる。
「……とはいっても、ライフルを曲げたことに関しては、どう説明したらいいものか……」
なにせ、まるで熱したガラスでも扱うかのように、ぐにゃりと曲げているのだ。
しかも、通常のライフルですら不可能と言えるのに、曲げられているのはそれよりも強度が高く作られているハイパワーライフルなのだ。呆れて天を仰いでも仕方がないだろう。
「……まぁ、
男は映像を止めると、一つの画像をスクリーンに映し出した。
事件の資料とは別の場所からクリックされたそれは、一枚の画像ファイル。
そこに写っているのは、面倒臭そうな顔をした眼帯の学生と、同じ服を身に纏って肩に腕を回している、一人の少年の姿だった。
—◇■◇■◇—
「………………」
ナギは、いつもと同じ時間、いつもと同じように目を覚ました。
いつもと違うのは、もうこの家には一人しか住んでいないということだけ。
「…………はぁ」
目を覚ましたはいいものの、ぼーっと天井を見上げたまま起き上がらない。その姿には、気力というものが感じられなかった。
無理もない。恨みや怒りなどの負の感情は受け入れられても、この胸にぽっかりと空いた喪失感だけは飼いならすことはできないのだ。
「…………学校行かなきゃ」
行く必要などない。まだあれから四日しか経ってないのだ。忌引き期間中だし、逆に行ってもいろいろ気を使わせて迷惑だろう。
だけど、この家にいてもやることがない。自分でやらなくてはいけないことは昨日までに済ませてしまったし、この家にいても喪失感が強くなるだけだ。なら、学校に行って少しでも気を紛らわせていたい。
「…………ああ、後見人が決まってないと行けないんだっけ」
やり残したことといえば、それぐらいか。
十数年前の戦争のせいで、春原家には親戚がいなかった。そのため、まだ僅か三日ではあるが、未だに後見人が決まっていない。いや、そもそも後見人という形をとるのか、養子に貰われるのか、はたまた孤児院に送られるのかすら決まっていなかった。
しかし、それを決めるのに自分の意思は関わっていない。
春原家は魔法を伝える家だ。形式上一応は聞かれるだろうが、国益のため、もしくはどこかの家のために決まった道筋を辿ることになるだろう。
「…………この家、どうしようかなぁ」
思い入れがないわけではない。両親やご先祖様が大切にしてきた家なのだから、遺していきたい気持ちもある。
しかし、この家は、独りで住むにはあまりにも広すぎる。
それならば、いっそのこと放り出してもいいかもしれない。ここであった
「…………ああ。そういえば、『バケモノ』が封印してあるんだっけ」
思い出すのは、離れにある魔法陣のこと。父親が定期的に管理していて、まだ入ることの許されなかったあそこに眠る存在のこと。
そういえば、管理するための魔法をまだ教わっていなかった。二百年近くも維持し続けてきた封印なのだ、手入れをしなければそのうち外れてしまうだろう。
そう考えていると、ふと、あることを思いついた。
つい先日までだったら、思いもつかなかったこと。特に父親なんかに話したら、大目玉を喰らうこと間違いなしの案だった。
(…………いっそのこと、解いちゃおうかな)
もし『バケモノ』が話ができるなら、少しは気がまぎれるかもしれない。そんな考えが浮かんでしまうほど、孤独というものに追い詰められていた。
もちろん、それが本当にどうしようもない存在だったなら、その時は倒してしまえばいい。
◇ ◇ ◇
"思い立ったが吉日"をこれ以上ないぐらいに歪曲解釈して離れへとやってきたナギは、そこに描かれている魔法陣に既視感を覚えた。
「これって……確か、上級封印魔法?」
所々アレンジしている形跡はあるが、間違いない。かつていた世界の「魔法使い」が使用していた様式に則って描かれている。
まさか、と思い一旦部屋に戻って紙とペンを取ってくると、奥の棚に山積みにされている羊皮紙を手に取った。何百年も解読できずに放置されていたそれは、しかし手入れはしっかりとされていたのか、読むことに支障はなかった。
「ギリシャ語……ううん、そこからラテン語に変換して……要らない韻を消して、違う、取り出すのか」
二百年にも渡って六人の当主の頭を悩ませ続けてきた暗号を、僅か10歳の少年がすらすらと解いていく。傍目から見たら、目を疑う光景だ。
しかし、これはズルを使っている。人生経験の問題ではなく、途中式の段階で自分の知る「魔法」の中から解答を推測し、そこから逆算しているからこそ出来る芸当だった。
「…………」
黙々と机に向かうナギの目に、事件後初めて色が戻った。
最初は、難しい問題が解けた学生のような、ほんの少しの高揚感だった。それでも、学術的な興味も手伝って、次々と積み上げられた暗号を解読していく。
「………………………………え?」
しかし、パターンも掴めてきてもはや筆記の必要もなくなってきた頃、ある羊皮紙を手に取り読んだ瞬間に、その興奮が一瞬で冷めた。
まさか、という困惑と驚愕を顔に貼り付けながら、ペンを手に取り、何度も、何度も、飽きるぐらい解きなおす。一つの見落としもないように、正確に、別解がないか探しながら。
「う、そ……でしょ……」
『それ』は、初代の手記だった。
それ自体におかしなところはない。似たようなものはこれまでにも何枚もあった。
しかしこれは、今までのものとは違う。
書かれているのは、この国に来ることになった経緯。そして、自分の追ってきた『化け物』が如何なる存在か、その説明。
その、
「っ!!」
"それ"を認めてからの行動は早かった。
ナギは紙の山から飛び出すと、一目散に魔法陣に噛り付いてその構成を解析する。
(単層封印じゃない……多分四層! 最初の術式の周りに接続する形で加えられてるけど、一気に全部は解けない。なら力技で……え? これって、地脈暴走魔法!? 禁止指定の大禁呪の一つじゃないか!?)
たとえ前の世界であっても、本来なら複数人数が何ヶ月もかけて解いていくような代物を、高速で頭の中で分解・再現していくナギ。その手順には淀みなく、一種の芸術と見まごうほどだった。
しかし、それは至極当然なのだ。
彼は、その開発力で『本物』の領域に足を踏み入れた。それも、大国の軍事部が数年がかりで開発するような大魔法を、たった一人で、それも限られた時間で複数個も開発して見せた、史上稀に見る大魔法使いなのだから。
その大天才にかかれば、多少アレンジが加えられているとは言っても
「……一部の解呪は可能だけど、完全解呪には時間がかかる。たぶん、十数年ってところかな……」
厄介なのは、地脈に接続している地脈暴走魔法だ。
地脈という燃料を起爆させるための信管というべきこの魔法は、下手に直接干渉したり、無理やり術式を壊そうとすれば即座に起動し、辺り一面を吹き飛ばすだろう。詳しく調べてみないと誤差があるかもしれないが、地脈の規模から言って半径5kmは間違いない。
ならそれに触れないように、と考えるかもしれないが、それも出来ない。四つの封印術式それぞれの解除とともに地脈に沈み込むように術式が組まれていて、一つならまだ大丈夫であろうが、二つ以上解除しようものなら大爆発につながるのは目に見えていた。
結論としては、一つだけ封印術式の解除を行い、数年後、地脈自体の圧力で起爆術式が浮かび上がってきた際にまた一つ封印を解くぐらいしかできないだろう。被害を無視すれば今すぐにでも封印は解けるが、自分も、そして封印の
「……ふー。よしっ!
目を閉じてナギが謳いだすと、部屋の中央に位置する魔法陣の、さらに中央が光り輝く。
今唱えている呪文が正しい解除の呪文なのか、それは定かではない。いや、むしろ異なる可能性の方が高いだろう。正しいものだったら、キーワード一つで解呪できるのかもしれない。
しかし、そんなことは関係なかった。これで解除できる可能性があるなら、一刻も早く解除したかった。少なくとも、無数にある羊皮紙の中から解除の呪文を探すよりかは、圧倒的に早く終わることは確実なのだから。
「
ナギの扱う、そして「魔法使い」が扱っていた「魔法」にも、きちんとした理論はある。
しかし、何をおいても最も重要なことはイメージ力だ。詠唱とは、あくまでそのイメージを固めるための補助をしているに過ぎない。
確りとしたイメージさえあれば詠唱など必要ないし、同じ詠唱でも集中力によって威力が変わることもよくあることだった。
「
ならば、例え間違った呪文であっても、確りとしたイメージさえすることができるのなら、多少の劣化はあれどその効力は発揮される。そして、
故に、ナギは謳いあげる。自らの在り方を、封印の主に与えられるものを。それこそが、封印を解くための目的なのだから。
そして、最後の一押しを、躊躇うことなく解き放った。
「
魔法陣から溢れ出す光が決壊し、視界を白く塗りつぶす。
あの墓守人の宮殿を思い出す濃密な魔力は、二百年の時をかけて地脈から溜め込んだものであろう。それが一気に噴出されたことによる衝撃に、抵抗も虚しく押し倒された。
数秒が経っただろうか。周囲に満ちた魔力が少し薄れてきたような気がした。
「……むぐっ!?」
周囲を確認するために起き上がろうとすると、何かが顔の上に乗っている感触がした。しかも、すべすべとした、とても柔らかいものが。
「……お? 封印が解けたのか。……ん?子供?」
しかも、頭上から少女の声が聞こえてくる。鈴を転がすような音に似合わず、どこか老成した雰囲気を醸し出した、とても聞き覚えのある声が。
「おいお前。一体どういう状況だ?」
「むーー!!んぐーー!??」
「んっ! お、おい!? 暴れるな!」
酸欠でカーっと頭に血がのぼり、クラクラと意識が遠のいてきたところで、ようやく顔上の人物がどいてくれた。
「はー、はー、はーっ……」
「おい。大丈夫か?」
酸素を求めて荒がる息を吐きながら、視線を上げる。そこにいたのは、齢10歳ぐらいの少女だった。
金砂のようなサラサラした髪に、陶磁器のように白い肌。エメラルドのような碧眼に、端正に整った可愛らしい顔つき。一見すると人形のようにも見えるが、氷のように透明な声がそれを否定している。
しかし、ボクは知っている。
彼女は、見た目通りの年齢でもないし、か弱い少女などでもないことを。
寧ろ、世界屈指の戦闘能力を持つ、"本物"の魔法使いの一角であることを。
「さて、では改めて、これはどういう状況なのか教えてもらおうか?」
そう言って。
彼女、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、唇を妖艶に吊り上げた。
◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇
——彼の者は、闇に生きる者、魔を統べる者——
——その側に控えるは、命持たぬ
——歩く道々に屍の山を築き上げ——
——遺された女子供は泣き惑い、氷の大地で途方に暮れるのみ——
——星の数の悪名と、それを超える悪事を行い——
——千の魔をあしらい、万の人間を食い潰し——
——悪の限りを尽くした、最強の魔法使いにして、最凶の吸血鬼——
——
…………春原家初代当主春原魔技、あるいは英国の魔法使いマギ・スプリングフィールドの手記より抜粋。
呪文はテキトーです。韻も踏んでません。
Google先生に手伝ってもらいましたが、間違っていたらご連絡ください。
2016/01/18
改訂。