魔法科高校の立派な魔法師   作:YT-3

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間章2 世界大会編
第五十六話 おおいぬ座の青星


「シリウス少佐。貴官のスターズ総隊長の任を、本日付で一時解任とする」

 

デスクに座るヴァージニア・バランス大佐の言葉に、同席していたベンジャミン・カノープスは己が耳を疑った。次いで幻術を疑い、夢を疑い、現実だと理解してようやく、隣に立つ(くだん)の総隊長の現状に気付く。

 

「…………」

 

USNA軍統合参謀本部直属魔法師部隊・スターズ総隊長で戦略級魔法『ヘヴィ・メタル・バースト』を操る十三使徒の一角、アンジー・シリウス少佐。もしくはまだ16になったばかりの少女、アンジェリーナ・クドウ・シールズ。どちらも彼女を示す名である。

細くさらりとした金髪はツインテールに束ねられ、宝玉のような碧眼は凛とした色を灯したままバランスを見つめている。顔立ちも贔屓目なしに整っており、快活さと美麗さを奇跡の比率で併せ持っていた。美少女コンテストなどに出場しようものならダントツで優勝するのではないかと、部隊内でまことしやかに囁かれているほどだ。

 

「…………」

 

そんな美しくも最強の魔法師は、背筋を伸ばし、『休め』の体勢のまま微動だにしない。

一見すると、話を冷静に受け止め動じていないだけに思える。しかし、最近親のような感覚すらしてきたカノープスには一目でわかった。

——これは、完全にフリーズしている。

 

「……少佐」

「……………………はっ!」

 

デスクに座る大佐に聞こえないぐらいの小声で呼びかけてみれば、遠くに行っていた意識が戻ってきたのか、ビクッと跳ねて目を見開いた。

 

「シリウス少佐?」

「い、いえ!なんでもありません大佐殿!」

 

一瞬取り乱しかけたようだが、さすがに今の状況は理解できているのかビシリと敬礼をして誤魔化そうとする。

もっとも、バランスから見てもカノープスから見てもバレバレだったのだが、年齢と内容的に仕方がないと見逃すことにした。

 

「大佐殿、発言してもよろしいでしょうか」

 

そんな見た目だけ取り繕って絶賛混乱中の少女を横目に、カノープスがバランスへと問いかける。彼も、今の大佐の発言は納得できていないのだ。

 

「許可する」

「シリウス少佐の解任理由について、説明をお願いしたいと思います」

 

その不満を示すように、不敬に当たらないギリギリのラインを攻めた。

少女は職務を忠実にこなし、仲間内での評判もいい。少々仲間思い()()()性格ではあるが、それは解任されるほどの理由ではない。納得など出来るはずもないし、理解もできない。

バランスにもそれが伝わったのだろう。一つ手を組み直し、再度"決定"を伝え直した。

 

「どうやら誤解させたようだな。シリウス少佐の解任は()()()()()()であり、少佐には明日(みょうじつ)から別任務に着いてもらう。

その任務の間は『シリウス』は欠番とし、スターズは第一部隊隊長であるカノープス少佐が指揮をとる。そして任務終了と同時、アンジェリーナ・クドウ・シールズには再び『アンジー・シリウス少佐』となってもらう予定だ」

 

なるほど、と並んで立つ二人は納得の表情を見せた。

まず大前提として、スターズの隊員には星にちなんだ名前が与えられる。その名によって衛星級(サテライト)惑星級(プラネット)星座級(コンストレーション)(スタ)(ー・)(セカ)(ンド)と順に格が上がり、12ある各部隊の隊長、もしくは副隊長を勤め上げてるのが『カノープス』をはじめとした20人の(スタ)(ー ・ )(ファー)(スト)だ。

そして『シリウス』とは(スタ)(ー ・ )(ファー)(スト)の上、スターズの頂点であり総隊長。年齢性別経験を無視し、造反者を処断できる戦闘能力のみで選出される、文字通り『USNA軍最強の魔法師』に付けられる"コードネーム"だ。

そのシリウスの代替わりが起きるとすれば、殉職か、より強い魔法師が現れた時だけ。現に少女の前にも『シリウス』が存在し、いつかは少女もその名を譲り渡すのだろう。がしかし、戦略級魔法師である彼女を上回るほどの魔法師などそう簡単に見つかる筈もないし、その噂すら耳にしないで突然現れるのは不自然極まりない。

そう考えれば完全解任などまずありえない話だと分かるものだが、やはり『解任』の言葉のインパクトが強烈すぎたのだろう。その前に付いていた『一時』の単語が頭から抜け落ちていた。

 

「何か理解しえないことは?」

「はっ!ありません! 度重なるご説明をお願いしてしまい、失礼しました!」

「よい。私にも落ち度はあった。なにぶん急な話でな、本来なら二日後に任務説明を行い十日後から一時離脱の予定だったのだが、日本政府からの打診で急遽このような形になってしまった。混乱するのも理解できよう」

 

どうりで引き継ぎの期間もなく急な話だと思った、と内心で呟いた少女は、上官の言葉に引っかかるものがあった。なので発言の許可をもらい、それを問うてみる。

 

「その任務というのは、日本政府との合同任務でありますか?」

「いや違う。あくまで我々の独自任務だ。だが、日本政府も絡んでいる……と、任務についての指示をしてしまった方が早いな」

 

バランスは手元の端末を操作し、二人が見やすいよう背後のモニターに任務レポートを映し出した。

 

「二週間後、ボストンでSSボード・バイアスロンの世界大会が行われる。それは既に承知しているな?」

 

否と返すことは絶対にない、当然知っていてしかるべき知識についての確認だった。

三十年以上前、台湾で起きた『少年少女魔法師(マギクラフトチルドレン)交流会(こうりゅうかい)襲撃事件』以降、こうした魔法師が絡む国際的な催しにはその国の最高レベルの警備を敷くのが国際的な通例だ。第二第三の「触れてはならない者たち(アンタッチャブル)」を生み出さないための回避行動と言ってもいい。

当然、USNA軍最強の魔法師部隊であるスターズからも少なくない人数が派遣される。そのことをスターズのNo.1、No.2である二人が知りえないはずがないし、知らなかったとしたら職務怠慢に他ならない。

 

「ではこの大会で優勝候補と目されている、日本の個人戦代表の名も知っているな?」

「ナギ・ハルバラであります。自分と同い年の(ハイスクー)(ル ・ スチ)(ューデント)だと記憶しておりますが」

「そうだ。その少年が今回シリウス少佐に課せられる任務のターゲットであり、同時に護衛対象でもある」

 

目標(ターゲット)」と「護衛」。今まで主に『(デリ)(ート)』や『(ボディ)(ガード)』の任務しかこなしていなかった少女にとっては、相反する二つの単語だと感じたのだろう。首こそ傾げなかったものの頭の上に疑問符が浮かんでいるのがありありと伝わってくる。

しかし、カノープスはそれが意味するところを、そして今回の任務の内容を薄らと予感していた。

 

「ターゲットだが、日本国内でのトラブルにより一足先に我が国へ来ることとなった。明日17:00に、ボストンのニュー・ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に到着予定だ。

シリウス少佐には()()()()護衛兼通訳として、ターゲットと四六時中行動を共にしてもらう。設定は『USNA軍の知人から頼まれた(ハイスクー)(ル ・ スチ)(ューデント)、アンジェリーナ・クドウ・シールズ』だ」

「表向きは、でありますか?」

 

そう尋ねてから初めて、何か、とても嫌な予感が少女の脳裏を過ぎった。

そしてバランスの口から語られた言葉は、その直感を裏切らなかった。

 

「真の目的はターゲットの籠絡、簡潔に言えばハニートラップだ」

「ブフォッ!?」

 

その単語(ハニートラップ)を耳にした瞬間、彼女は美少女らしからぬ音を立てて思いっきり吹き出した。バランスはそれに眉を顰めながらも、多感な年齢であることを考慮し見逃すことにするようだ。

同時にカノープスは、やっぱりかという表情を僅かに滲ませた。今時は戦闘要員でもその手の訓練を最低限積むものであるし、カノープス自身も若い頃、何度か任務に着いたことがある。今まで『まだ(ジュニア)(・ハイ・)(スクール)だから』と見逃されていただけで、いつかはこういった任務をさせられることも予想していたが、まさか今だとはと言った心境だった。

 

「ゲホッ、は、ハニートラップでありますか!? 自分が?」

「ああ。ターゲットと同じ年齢、日本の血を引いていて日本語が話せ、見た目も良い。未経験なのがネックだが、日本の諜報員からの情報だとターゲットも女性経験はないそうだ、技術が拙くとも問題あるまい」

 

よく勘違いされがちだが、ハニートラップは必ずしも『本番』が上手い必要性はない。適度に相手を興奮させた方が多少なりとも情報を引き出しやすくなる程度で、相手(ターゲット)と関係性を持った時点で、もっと言えばそういう感情を抱かせた時点で『勝ち』なのだ。

故に、たとえ少女が未経験であろうとそれを辞退する理由になど出来ないし、逆に高校生(ターゲット)ぐらいの年齢なら、お互い初めての方が今は失われかけているプラトニックな純愛を匂わせるので効果的と言える。

 

「で、ですが、『シリウス』が他国の人間と関係を持つのは、国内に対しても国外に対しても問題なのでは……」

「この手の競技者としては珍しく、ターゲットはかなりの戦闘能力を持っている。その実力は(スタ)(ー・)(セカ)(ンド)クラスは確実にあるだろう。万が一にも『護衛が逆に守られた』なんてことになったら我が国の面子が立たなくなる、今回の護衛任務はシリウス少佐のようなごく限られた人間にしか任せられないのだ。

安心していい。そのとき君は『シリウス』ではない、よって『我が国最強の魔法師が他国の人間と性交した』という事にはならない」

「せっ!?」

 

もはや羞恥で耳まで真っ赤だ。隣に立つカノープスにはそれがよく分かったが、男の自分がフォロー出来る状態ではなかった。それに……

 

「少佐、これは統合参謀本部による決定なのだ。同じ女性として心中は察するが、君に拒否権はないのだよ」

「っ……! 了解しました」

 

覇気こそないものの、少女は敬礼を返す。まだ納得がいっていないのは明らかだが、『シリウス』の職務上、納得がいった任務など今まで一度もなかったのだ。今回もその一環だと割り切って、任務をこなすしかない。

 

「では任務の説明を続ける。今回、ターゲットから引き出すべき情報は三つ。

一つ。彼の家系のみに伝わってきたと見られる、特異な魔法全般についての一覧と発動原理。

一つ。日本で行われた魔法科高校生の魔法競技大会においてターゲットが披露した、魔法のストック技術の詳細情報。

一つ。同じく同大会で使用した、凍結領域魔法『(クリュス)(タリネ)(ー・パ)(シレイア)』についての詳細情報。

可能ならば彼を我が国に引き込むのがベストだが、ターゲットは既に日本国内で確かな地位を築き上げている。亡命させることはまず不可能だろう」

「その映像はありますでしょうか?」

「あるが、ここで流すには時間がない。後で少佐の端末に送る。移動時間に目を通すように」

 

この会話は一つ、驚くべき情報を前提としていた。

魔法は戦力だ。それは今の世界の常識であり、日本もそれは変わらない。高校生レベルだとしても同様であり、会場での撮影は制限されていて、配信映像にも録画撮影ができないよう加工が施されている。国外に映像を持ち出すには高いハードルがあるはずだ。

だが、USNA軍にそんなことは関係ない。エシュロンⅢを有する彼らは、藤林と同等レベルのハッキング能力を科学的に実現しているに等しい。加工される前の映像を盗むことぐらい容易いことだ。

 

「今回の任務が不達成だった場合だが、少佐に罰則はない。ターゲットは日本国内にも情報を開示しないことで有名だ、肉体関係を持っても引き出せない可能性は十分に考えられる」

「つまり、諜報活動は有効性が低いと?」

「そうだ。その為、わざわざ専門の諜報員を用いる利点も少なく、ならばいっそと少佐に経験を積ませることにしたのだ。

また、主に日本国内向けに公開されている魔法から、ターゲットは主に電子放出系魔法を得意としていることが推測される。政府上層部としては、少佐との間に子を成せば電子放出系に特化した強力な魔法師が誕生するのではないかという打算もあるのだろう」

 

子供をなんだと思ってるのだという話だが、世間一般の常識として魔法師を人間と思わないそのような思考が根強いのもまた事実だ。

魔法師の中には元が研究機関出身のものも少なくはないため、何もない人間からしたらそこで開発された『兵器』とでも思ってないと劣等感を感じずには居られないのだろう。国連によって魔法師は『人間』と明確に定義されたが、いま社会を動かしている年齢層は若い頃に『兵器』と教え込まれた人々だ、そう簡単には根本的な認識を変えられないのが現実である。

 

「以上だ。何か質問は?」

「はっ!ありません」

「私もです」

「では行動を開始してくれ」

 

敬礼を返し、二人は礼儀を損なわない程度に足早に部屋をあとにした。

空気の抜けるような音とともに自動扉が閉まると同時——圧縮空気式というわけではなく、視覚障害者に対する配慮の一環でわざと音をつけている——、途中から仮面のように固められていた少女の顔に色が戻った。

 

「総隊長、大丈夫ですか?」

「大丈夫、と言いたいところですけどね……私がハニートラップだなんて……」

 

カノープスが問いかけると、少女は羞恥と緊張とその他諸々が混ざり合った、複雑な表情を浮かべる。

この少女は少し頭で考えすぎるきらいがあり、今も色々と妄想……いや『想定』しているのだろう。

 

「でもまだ良かったじゃないですか。ターゲットは日本でタレント活動をしているぐらいには美男子ですよ。訓練と称して自分のような脂ぎった中年男性に抱かれるよりかはマシだと思いますが?」

 

カノープスもその思いの一端は理解できたのか、軽い感じでフォローを入れた。自虐も織り交ぜ、少しでも気を紛らわせるようにと。

 

——だが、それにとんでもないカウンターが飛んできた。

 

「見ず知らずの男の子に抱かれるぐらいなら、まだベンに私の初めてを捧げたいです」

「…………」

 

ごく自然体に、なんの気もなしに告げられたセリフに、さすがのカノープスも言葉に詰まる。この感じだと、頭がぐちゃぐちゃの状態からぽろっと出た本音だろう。

だが、それは告白や恋愛感情的な意味ではなく、あくまで『仲間だから』だということもカノープスには分かった。現に、自分の放った言葉が誤解を招きかねないことに気がついたのか、顔を真っ赤にしてアタフタと弁解しようとしている。

……まあ、いくら絶世の美少女とはいえ、彼の方にそんな気は欠片も起きないのだが。

 

「え、えっと、ベン!勘違いしないでください!今のは……」

「大丈夫です、分かってますよ。それに、万が一本気だったとしても断ります」

「……何故ですか?」

「さすがに娘と同年代の少女は抱けませんよ、娘と妻に会わせる顔がなくなります」

 

こればかりは仕方がない。カノープスは()()()()ではないのだから、いくら美しかろうとも中高生ぐらいの少女の裸を見たところで何も感じないし、むしろ娘への罪悪感に苛まれて自己嫌悪に陥ってしまう。

そもそも彼は既婚者だ。任務のため、上司のためでも、妻以外の女性を抱く気など更々ない。さすがに上層部もそこは考慮しているのか、結婚以降その手の任務を受けることはなくなった。

 

「そういえば結婚していましたね」

「ええ。ですので総隊長のことは、仲間や娘としては見れても女性としてはちょっと……たまに間抜けてますし」

「ひ、ひどいです! その言い方はないんじゃないですか!?」

 

少女のように怒る上司に、カノープスの頬が緩みかける。

動きでプンスカという擬音を立てていては、真剣かもしれない指摘もただの可愛らしい癇癪だ。全く怖くない。

 

「『モエ』は日本から広まった文化でしょう? 大丈夫ですよ、ドジっ子でも何処かには需要があります、きっと」

「なんで断言しないのです?! いえ、そもそも私はドジっ子じゃありません!」

「そうですね。抜けているのは私生活だけで、職務はちゃんとしてますね。寝ぼけて歯磨き粉と洗顔を取り違えかけたり、ナイフとフォークを間違えたりしてませんから」

「な、なんでベンがそれを知っているのですか!?」

 

まさか同僚の女性士官たちから恥ずかしい情報が漏れているとは夢にも思ってないのだろう。必死で詰め寄る少女の問いに、苦笑で濁す。

「部隊内で噂になってますよ」と言おうかとも思ったが、羞恥で真っ赤に顔を染め俯く姿が容易に想像できたので黙っていることにした。気になる子の気を引こうとする(プライ)(マリース)(クール)の男子じゃないのだ、必要以上に弄って遊ぶ趣味もない。

 

「うぐぐ……どうしても話さないというのですか」

「ええ。そんなことより」

「全然そんなことじゃありません! 乙女の尊厳の危機ですよ!」

「まあまあ、落ち着きましょう。それで、叫んで少しは気が晴れましたか?」

「……あ」

 

言われて初めて、いつもの調子を取り戻せていることに気がついたのだろう。

驚いたような声をあげ、「まさか狙って?」と問いかける視線を向け、それが段々と胡乱げなものに変わっていく。心境としては、「でも絶対に楽しんでたわよね」といったところか。

数秒間の間、ジトッとした目をにこやかに見つめ返していたら、少女はプイッと視線を背けて小さく呟いた。

 

「……まあ、多少は感謝しています」

 

ああ、これが日本発祥の世界共通語『ツンデレ』か、とカノープスは実感した。確かになかなかの破壊力だ、若かりし頃だったら一撃だっただろう。

 

「いいえ、どういたしまして。

では、引き継ぎに関しては私が出来る限り進めておきますので、総隊長は自室に戻って手荷物の準備などを進めておいてください」

「わかりました。お願いします、ベン」

 

ぺこりと頭を下げて足早に廊下の先へ立ち去っていく上司を見送り、カノープスも少し急ぎ目に移動を開始した。

時間もないのだ、大人として少しでも少女の負担を減らそう。そう意気込んで。

 

 

……余談だが、廊下で行われていた今の会話の『爆弾発言』部分だけを隊員にたまたま聞かれていて、後日『総隊長が第一部隊隊長と付き合っているらしい』という噂がスターズ内を席巻することになるのだが、彼らはまだそれを知る(よし)もなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「んーー!」

 

伸びをして、大きく息を吸い込む。どこか東京と違うような、でも同じ都会の匂いが鼻腔を満たす。

そのまま二度、三度と深呼吸を繰り返し、約半日ぶりの新鮮な空気を堪能した。

 

「うー、体が重いー。こんなに飛行機に乗ったのっていつ以来だろう」

 

なにせ、彼の最高速度は()()150km前後、時速になおせば約18万kmだ。1時間に円周約4万kmの地球を4周半出来る、1周なら赤道をぐるっと回っても13分半だ。長距離を瞬時に移動できる転移があったのも手伝って、彼が前世で長時間飛行機に乗ったのは、まだ魔法を公開する前に各国に赴いていた頃が最後だ。

さらに言えば、この世界で産まれなおしてから3時間も飛行機に乗ったことなどないし、そもそも国外に出たこともない。体感時間で言えば人間の平均寿命ぶりぐらいに、6900km弱()()の距離を、10時間かけてのんびりと移動したことになる。

 

「そういえば、通訳の人が来るって聞いてたけど……」

 

チェックに手間取られ、便と便の間で人気(ひとけ)のなくなった道を、ぐるぐると腕を回しながら進む。

物陰から突き刺すような監視の視線が飛んできていることには気づいているが、まさか彼らが通訳なわけはない。良くて護衛、悪ければ刺客だ。

 

「んー……?」

 

時代も世界も変わってもあまり代わり映えしない空港を進み、手荷物の受け取りレーンに着いたところで、ナギは首を傾げた。

パンパンに膨らんだカバンがあるのはいい。自分でも詰め込み過ぎなのは分かっているが、性分だ。前世の段階で治せないと諦めている。

そのカバンが、ベルトコンベアの上から降ろされているのもまだ分かる。ここに来るまでに色々と時間がかかっているのだ、一つのレーンを一つの荷物だけで止めるわけにもいかないし、動かすために止むを得ず退けたのも理解できる。

 

では、その横に立っている金髪の少女は何者なのか?

その答えは、割とすぐに浮かんできた。相手もこちらを見ていることから考えても、間違いないだろう。

近づいて、向こうが口を開く前にこちらから話しかける。前世では英国紳士としてレディーファーストを常に心がけていたナギだが、自己紹介は男から先にするのが紳士だということも当然知っている。

 

Hello, my name is Nagi Harubara(こんにちは、ボクは春原凪といいます). Are you my translator?(貴女が通訳の方ですか?)

 

流暢なクイーンズ・イングリッシュに驚いたのだろう。少女の碧眼が大きくなる。

 

可愛らしい子だ、とナギは思った。

見た目で言えば深雪に匹敵する。さすがに"理想をそのまま形にした"大人バージョンの師匠には敵わないが、それでも自然に産まれた人間では飛び抜けて美しいと断言できる。しかし、どことなく感じる快活そうな雰囲気が近寄りづらさを感じさせず、気軽に接せそうなイメージを醸し出していた。深雪の美しさを"静"のものだとすれば、この少女のそれは"動"の美しさだろうか。

加えて、体軸がブレず、針金を通したようにしっかりしている。こう見えてかなり鍛えているのだろう。それ自体は魔法師ならそこまで珍しいことではないが、このレベルとなると達也とエリカ、あとは天性の才で成し得ているレオぐらいしか思い当たらない。

 

総じて言えば、『通訳』としては怪しさ満天だった。

まだボディガード、もっと言えばハニートラップを仕掛けてきた諜報員と言われた方が納得できるような気もするが……それにしては少し()()()()()()()()気がする。もし仮に、彼女が本当に諜報員だとしたなら、よほど彼女自身に向いていないか、もしくは上司の教え方が下手なのか。USNAがそんな少女を差し向けるような国だとは思えないので、とりあえずその可能性は除外しても良いだろう。

となるとボディガードも兼ねているのか、とナギは笑顔の裏で判断した。それと同時、固まっていた少女の口が動きだす。

 

「驚いた、英語ペラペラじゃない。一瞬まちがえてネイティヴの人と勘違いしてるのかと思っちゃったわ」

 

その言葉、英語を日本語に変えてそっくりそのまま少女へ返したかった。カタコト日本語ではなく流れるような発音は、まず間違いなく普段から使っている証だろう。

 

「初めまして。アンジェリーナ・クドウ・シールズ、4分の1ほど日本人で同い年よ。よろしくねナギ」

「こちらこそよろしくね、アンジー」

 

差し出された手を握ったが、少女は握り返してこなかった。それどころか、イタズラに失敗した時の春日美空のような顔で固まっている。

おかしな態度に首を捻ると、少女は慌てた様子で手に力を込めて握手を交わした。

 

「どうしたの? あ、ごめん、初対面で愛称はダメだった?」

「い、いや!そうじゃないんだけどね!えっと、そう!学校にアンジェラって子が居て、その子が『アンジー』だったからそう呼ばれるのに慣れてないのよ! ワタシのことは『リーナ』って呼んで」

「OK、リーナだね」

 

正直、不自然以外の何物でもない動揺の仕方だったのだが、ナギには原因がさっぱり分からなかった。だが、『アンジー』という愛称に何か思い入れがあるのかと思い、特に気にすることではないと流すことにした。

 

「それじゃあ行きましょ。今日はホテルに直行だろうけど、明日からはこの街のいい所をたくさん紹介するわね!」

「あはは、よろしくお願いするね」

 

緊張を振り解くようにテンションの高めるリーナに苦笑して、ナギは荷物を手に取り後に続く。

そして、ハンカチを噛む『アンジー・シリウス』ファンクラブ隊員3名(スターズ第三部隊支部所属)を背に、二人は空港を後にした。

 

 

 

 —◇■◇■◇—

 

 

 

この邂逅がいかなる意味を持つのか。

この邂逅がいかに歴史を変えるのか。

 

お互いの人生に深く絡み合う関係になることを露ほども知らず、二人の16歳の歩みが並ぶ。

 

ゆっくりと。

静かに。

しかし確実に。

 

道は捻じ曲がり、異なる未来が訪れようとしていた。




新章開幕! 世界大会編と書いてますが、正しくは「(オーバ)界大(ー・ザ・ワ)(ールド)編」です。
日本を飛び出して起きる物語、どうぞご覧ください。

ちなみにタイトルの『青星』はシリウスの和名だそうです。おおいぬ座の中だけでなく、地球から見える太陽以外の恒星で最も明るい星で、冬の大三角形の一つですね。

あ、この章にナギ以外の既出キャラは一人だけしか出てきません。あしからず。

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