日はいつか落ちる。
しかし夜が明ければまた昇り、大地を照らす。
明日は、生きている限り必ず訪れる。
——そう、
—◇■◇■◇—
深夜、時計の針が揃って頂点を指し示そうかという時間。街からは
だが、全く人を見かけないほどではなかった。この時代では珍しい残業帰りのサラリーマンや、どこかで飲んできたのか顔を朱色に染めた中高年、果ては前世紀から取り残されたのかとも思える不良の集団など、まだ完全に街が寝静まった訳ではない。
しかし、それでもこの集団は異様に過ぎた。
揃いも揃って黒いマスクを着け、警棒やスタンガンといったまだ護身用として無理矢理納得のできそうなものから、拳銃や明らかに対人体使用を目的としていない大型のライフル、そして"
「————」
「————」
彼らはこの国の言葉でない言語で二、三やり取りをすると、明かりのついていない日本家屋の門扉に手をかけることなく、拳銃で鍵があると思しき場所を破壊して突入した。
——音で中の人間に気づかれる? その可能性はない。なぜなら、今この家唯一の主は富士にいるのだから。
——周囲にもバレるであろう? 何も構わない。なぜなら、目的は騒ぎにすることなのだから。
故に、彼らは慢心していたのだろう。
留守の家を襲い、ただ破壊して撤退するだけの簡単な任務。何事もなく侵入できた以上、あとは持参した爆薬を設置して離れるだけで済む。
しかし世界は。いや、"彼ら"はそう甘くはなかった。
「やれやれ、あまり物を壊さないで貰いたいものだな。修繕するのにも金がかかるのだぞ?」
その声に振り返るよりも先に、十人を超える侵入者の首から下が、文字通り氷漬けにされた。たった一瞬、指を鳴らしたような音が響いただけで。
「さて、今日の私は少々虫の居所が悪い。女子供でもない
ザリッ、ザリッと砂を踏んで背後から近く女の声には、どまでも蠱惑的で、どこまでも純粋な色が込められていた。
圧倒的という他ないその声の密度に、身体を覆う氷によらず震えが止まらなくなっていく。
気配だけで分かる。分かってしまう。
この声の持ち主には、例え万全な状態で束になってかかったところで、傷一つ付けられないということが。
存在する次元からして違う。人と比べることすら烏滸がましい。
ああ。彼女こそ、金砂の髪を靡かせ月夜に妖しく笑うこの少女こそを——
「その汚れに塗れた命が惜しければ、洗いざらい全てを吐け。涙と鼻水で顔を濡らしながらみっともなく命乞いしろ。
安っぽいプライドをズタズタにされようとも、犯罪者として捕まろうとも、この先に酷く醜い人生が待ち受けていようとも。それでもなお生き続けたいと言うのであれば……その意気に免じて、命だけは助けてやろう」
——人は鬼と呼ぶのだろう。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、七草さんの家に送ったんですね?」
『ああ。欲しい情報は絞り出したからな、あとはこの国の仕事かとも思ったが……まあ普段細々としたことで世話になっている礼だ。少しは"花"を持たせてやってもいいだろう?』
「そうですね。ボクたちには要らない話でも七草さんには欲しい情報かもしれませんし。
それで、結局雇われただけの傭兵まがいだったんですよね?」
『そうだ。誰が雇い主かも知らない、典型的な下っ端の中の下っ端だな。まあこのタイミングだ、ぼーやの出場を辞めさせるための工作の一環なのは明白だが』
「流石に家を壊されちゃ、現場検証だとか手続きのために離脱しなくちゃいけませんもんね」
そこら辺は一人暮らしの不利な点だ。特にナギはその魔法力も住所も割れている、無頭竜とやらからしたら絶好の的だったのだろう。万が一にも試合までに戻ってこれないよう、新人戦初日に合わせてきた辺りもよく考えられている。
相手にとって唯一にして決定的な誤算は、ナギが実際には一人暮らしではなかったということか。
『で、そっちはどうなんだ? 負けているらしいじゃないか』
「そうなんですよねー。一応勝つつもりではいますけど、いろいろと制限をかけているのでどうなるか……」
『ほーう?まあいいさ。たとえ負けたとしても、無様な負け方だけはしなければな』
「分かってますよ。それじゃあそろそろ試合が始まるので」
『ああ、確かぼーやの試合は明日からだったな。私の顔に泥を塗るような真似だけはするなよ? じゃあな』
プツッと通話が切れた端末をしまうと、ナギは会場に戻り友人と妹が待つ席に戻る。いつものメンバーから二人抜けたそこには、緊張した空気が漂っていた……主に、今日バトル・ボードの予選に出場する少女の辺りから。
「……ほのかさん、まだ緊張してるの?」
「え、あっ、ナギくん。う、うん。まだちょっと……」
「うーん……。適度な緊張は悪くないけど……もうちょっとリラックスしてもいいと思うよ。別に知り合いの命や世界の命運が掛かってるわけでもないし」
「いやいや!そんなこと滅多にないからね!?」
「あはは……
その『滅多に』を何度も経験しているナギは苦笑いするしかない。運命論を信じるわけではないが、世に言う英雄という人種は例外なく特大の不幸を身に纏ってることは経験が裏打ちしている……本当に信じたくないが。
「でも……うん、そうだよね。別に絶対に勝たなくちゃいけないわけでもないんだから、楽しんだほうがいいよね」
「そうそう。ほら、雫さんも緊張してないみたいだし」
「えーと……雫はいつもそうだから、参考にはできないかなぁ」
あはは……、と渇いた笑いを浮かべるほのかの視線の先には、新人戦全体でもトップバッターだというのに自然体のように見える幼馴染の姿があった。
幼馴染の視点でよーく見るといつもより気合は入っているのが分かるのだが、とても緊張しているようには見えない。豪胆というかマイペースというか、毎度のことながら羨ましい性格をしている。
「雫の獲物はライフル形態のCADとヘッドセットね。九校戦の定石通り……って、なんか達也くんにしては違和感があるけど……」
「お兄様はいつも効率のいい方法を選択しているだけよ。王道が一番効率がいいのなら迷わずそれを選ぶ。
でも、使う魔法はお兄様が開発した新魔法よ。中身は……見てからのお楽しみね」
「へー、そりゃ良いな。開幕先制パンチってことか」
「それはクジ運の問題だと思うけど……確かにあの達也の作った魔法だからね。他の学校も驚くと思うよ」
幹比古が話し終えたと同時、競技開始をカウントダウンする緑のランプが灯った。
黄色のランプが灯る。
波が引いてくかのように静まり返る会場。
赤色のランプが灯る。
各校の代表が直接、あるいはモニター越しに注視する中。
試合開始のブザーが鳴り響くと同時、新人戦最初の競技、スピード・シューティング予選は開始された。
◇ ◇ ◇
スピード・シューティング予選C組に出場する吉祥寺と、その応援に来ていた将輝は、選手控え室から雫の試合を見ていた。
否、彼女の使う魔法に釘付けになっていた。
「……ジョージ。一高の、北山選手だったか? 彼女が使っている魔法は何だ? 得点圏内に入ると同時にクレーを破裂させる魔法なんて、見たことも聞いたこともないぞ」
彼らは知る由もないが、その魔法の名は『
しかし、例えその魔法名を知らなくとも、例え国立魔法大学が大慌てで
「……いや、これは……データ的には破裂というよりも崩壊。瞬間的に風化させた状態に近い」
「風化? ということは振動系か?」
「多分。ただ、個別にかけているにしては照準が早すぎる。かといって直接振動波を作り出しているにしては衝撃波を伴わないのはおかしい……。
……得点圏内をいくつかのフィールドに区切って、個体に接触すると初めて影響を及ぼす擬似的な振動波を放射している?」
「確かにそれなら現象としては分からなくもないが……もしそれを可能にするとしたらかなりの魔法力を要求されるぞ」
「フィールド設定を調節して変数処理を
二人が見つめるモニターの先で、第一試合の終わりを告げるブザーがなった。
結果は文字どおりの百発百中、パーフェクト。本戦でもそう見ない得点は、吉祥寺の予想を裏付けると言っても良いものだった。
「となると他の選手まで同じ魔法を使ってくるとは思えないが……。確か、試合前に発表されていた一高のスピード・シューティング新人戦女子担当の技術スタッフは……」
「司波くんだね。昨日の解析の時に只者じゃないことは分かってたけど、ここまでとは思いもしなかった。まさか九校戦のために新魔法を開発してくるなんて……」
「だが、この戦法じゃあ精度が求められる決勝リーグでは使えないだろ?」
「そうだけど、彼がそこまで考えていないとは到底思えない。他の選手も含め、最大限の警戒をするべきだ」
「新魔法はこれだけじゃないということか?」
「同じ開発者としては、そう何個も魔法を開発してくるなんてことはあまり考えたくないけど……その可能性も視野に入れておく必要がある」
「そうか。なら、十七夜たちの予選が終わったら一度集まる必要があるな」
そう呟く将輝の瞳は、モニターに映し出された盛り上がる会場の中、雫に代わって壇上に上がった
◇ ◇ ◇
(先ほどの北山選手、予想以上に厄介だった。一高も素直に勝たせてはくれないみたい)
競技エリアに立ち、ヘッドセットのマウントディスプレイ越しにこれからクレーが飛び交うフィールドを見つめながら、栞が思い出していたのは昨日知り合った同い年の男性の姿だ。
同じ一高のナギが甘い顔立ちのイケメンだとするならば、彼は少々目が鋭くて体を鍛えている程度の、どこにでもいそうな普通の高校生だった。特に顔立ちが崩れているわけでもなかったが、さりとて特別整っているわけでもない。
——だが、中身は紛れもない天才だ。
栞や吉祥寺も所属する金沢魔法理学研究所の研究者が丸一日がかりは掛かるであろう解析をたった半日で終えたことからも分かっていたつもりだったが、先ほどの試合でその評価をさらに上方修正しなければならなかった。余裕からの慢心など、とうに吹き飛んでいる。
(だけど……まだ勝ち目はある)
いくら凄い武器を渡されようと、それがいくら高性能であろうと、結局のところは使い手の実力がものをいう。
北山選手は確かに強い、優勝してもおかしくなどないだろう。彼女に負ける可能性は十二分にある。
——だが、自分も大きく離されてはいない。
ならば食らい付け。隙を狙え。相手にペースを掴ませるな。
まずはこの予選……
(同じパーフェクトをとって、調子を取らせない!)
唐突に現れた
◇ ◇ ◇
最初に並んで飛んできた二つのクレーのうち一つが、エリアの半ばを過ぎたあたりで急に方向転換してもう一つに衝突した。
ここまではよくある戦法。移動魔法によってクレー同士を衝突させて破壊する、王道中の王道だ。
しかし、栞の特殊性が発揮されるのは、ここからだった。
「破片が……ッ?!」
「ウソ?!こんなことって出来るの!?」
終わったはずの破壊が、連鎖する。
砕かれた破片が明らかに物理法則に反する動きで飛び出し、新たに飛んできたクレーを撃ち落とす。さらにその破片が同じように飛翔し、新たな
たった一つの衝突から始まった連鎖は終わることなく続き、今や得点エリアは破片の弾幕に埋め尽くされた。
やっていることは至極単純だ。移動系魔法で破片を飛ばしてぶつける、ただそれだけの、魔法大全なんかには擦りもしない当たり前のこと。
——だが、実際にそれを行うのは困難を極める。
破片の大きさ、形状、位置を瞬時に把握して適切なものを選択し、飛んでくるクレーの軌道と速度を、当然のことながら風速風向きや湿度すらも考慮して考えなければならない。
栞はそれらを一瞬で複数同時に行い、さらに衝突させる際の回転数や速度まで計算することで、新たに生み出される破片の大きさすら調節してみせる。それは、あの達也ですら再現不可能と言う他ない
精密にして単純。
王道にして奇策。
魔法にして技法。
その魔法力で観客の心を奪った雫と達也に対し、
将輝の爆裂のような、あるいは十文字のファランクスのような"究極の一"を持たなかった栞が、親友の隣を歩き続けるために磨き上げた"
誰もが持つ力を、血反吐を吐きつつ極限まで磨き上げた努力の結晶。
故に、その名に神秘はいらない。分かりやすい脅威も必要ない。必要なのは、自分が信頼し、磨き上げてきた絶対の自負のみ。
ただただ自分にできることを、一切の妥協を許さずに突き詰めた先に手にした、その
「そう。あれが栞だから編み出せた、栞だけの武器——『
ついに、連鎖が止まる。
しかしそれは、計算を間違えたわけでも、魔法が間に合わなかったわけでもなく——
電光掲示版に映し出された100/100の文字が、その実力を何よりも悠然に語っていた。
◇ ◇ ◇
時は過ぎ、遂に準決勝。
対戦カードは、明智英美vs滝川和美の第一高校代表対決。そして、北川雫と十七夜栞の予選パーフェクト対決だ。
特に雫と栞の対決は事実上の決勝戦とまで言われ、多くの観客が押し寄せていた。
その観客の声援も、当人たちには関係ない。
ただ相手を超えるために、自分に出来ることは何か。それだけを考え、今は最後の調整に入っていた。
雫の控え室では、達也が雫と最後の作戦会議をしていた。……作戦スタッフの鈴音と、本戦優勝者として激励しに来た真由美が手持ち無沙汰にしているのは、気にしないでおこう。
「……作戦はこんなところだ。
正直なところ、十七夜選手は強敵だ。俺の浅知恵なんてほんの少し動揺させる程度の効果しかないだろう。これだけで勝てるとは言い切れない。
だが、負けると言ってるわけではないぞ? 決してペースを乱さず、作戦が失敗しても切り替えていくことを心掛ければ、雫の魔法力なら十分に勝てるはずだ」
「うん。大丈夫、勝ってくるから」
「その意気だ。よし、じゃあ勝ってこい!」
「うん。行ってくる」
達也に背を押され——と言っても実際に触ったわけではない。そんなセクハラをしたら嫉妬深い
その先に待つ、強敵を倒すために。
一方。同時刻、栞側の控え室。
技術スタッフが少し席を外しているため栞と愛梨の二人しかいないその部屋には、しかし三人分の声が交わされていた。
『……今の段階で分かってるのはこれぐらいだ。ゴメン、もう少し時間があればもっと詳しく調べられたんだけど……』
「それで充分。私こそごめんなさい。吉祥寺くんも試合があるのに」
『それは心配しなくていい。僕の方で強敵と呼べるのは、クイックドロウの森崎選手ぐらいだからね。その彼も作戦を立てる余地のない実力勝負と言ってもいいから、解析する時間は十分にあった。
……女子の方、いや、司波くんはそれとは逆。綿密に作戦を立てて、高性能のCADを用意し、最適な魔法を駆使して戦う戦術家タイプだ。二重三重の罠を想定して、何かあっても出来るだけペースを崩さずにね』
「当然。じゃあ、次は夜に」
「そうですわね。栞と吉祥寺くんの優勝を祝して、プチパーティーでもしましょうか」
『はは、それは頑張らないとね。じゃあ』
画面が消え、愛梨は親友に視線を戻す。
緊張している様子はない。しかし——
「栞。貴女、もしかして『ここで負けたら愛梨の親友失格』、だとか考えてないですわよね?」
「え? ど、どうして!?」
「……分かりますわよ。私は、これでも栞の親友だと思ってるのですわよ? それとも、栞からしたら私など親友ではないということですか?」
「そ、そんなことない!!」
「私も同じですわ。例えたった一回負けても、リベンジのチャンスは残されていますわ。その程度で失望するほど、貴女への信頼は甘いものじゃないの。
それに、相手は技術スタッフの司波くんの力も大きい。ほとんど二対一の状況で、自分一人の力で立ち向かう栞を、私は尊敬しますわ」
「愛梨……」
「だから、何も心配せずに戦ってきなさい、栞。
そんなつまらない悩みに心を捉われてなどいない貴女なら、例え自分より魔法力が強い相手だろうと天才相手だろうと、簡単に負けてあげるほど弱くはないと、この私が保証します」
一つ、力強く頷く。その眼には、既に迷いなどない。
自慢の親友から見送られ、栞は扉に手をかける。
その先にある、強敵を超えるために。