辛うじて一夜ばかりの休息を取った騎士王率いるキャメロットの軍勢は、モードレッド領へと向けて進軍を開始した。
だが、それは始まる前から問題しかなかった。
先ず第一に食料が僅かしか無い。
第二に、水すら乏しい。
これは元々遠征で消耗していた所に、本拠地であるキャメロットを襲撃され、更には井戸水には多数の人の死骸や得体の知れない生物(水生の小型幻想種)が入っており、とてもではないが飲めたものではなかったからだ。
水だけなら途中の川や湖で補給できるだろうが、しかし塩すら無い状態では聖剣を持つ騎士王は兎も角として、他の騎士や兵士達はまともに戦う事は出来ないだろう。
そして、道中もまた問題だらけだった。
先ず、道中にもまた多数の幻想種に遭遇し、時に民を襲っている場面にも遭遇したため、これを放置できずに遭遇する度に突発的戦闘で更に消耗した。
次に、水場にも多数の幻想種が待ち構えており、漸く水を補給できると近づいた兵や騎士達が引き込まれ、そのまま捕食されたため、迂闊に水場に近づく事も出来なくなった。
更に、例え夜中であろうと狼や野犬に似た幻想種による襲撃が多発し、夜番を設置してもなお幾人も犠牲者が出続けた。
この様な状況で、コンディションを保つ等出来る筈もなく、騎士王も、ベディヴィエールも、騎士達も、兵士達も、軍馬ですら消耗し、それでもモードレッド領での略奪と言う形での補給に僅かな期待を残して、黙々と歩き続けた。
途中、幾人もの脱落者が出たが、誰も彼らに肩を貸す事も、荷物を肩代わりする事も無かった。
全員が分かっていたのだ。
この状況で軍勢から逸れると言う事は、死とイコールである事を。
そして、通常の行軍よりも更に遅く、一月掛けて漸くモードレット領に到着した。
「こんな、事が……。」
だが、騎士王らを待っていたのは更なる絶望だった。
モードレッド領に着いた時、そこには何もなかった。
本当に何もなかったのだ。
砦を改装した領主館も、その周囲に広がる街も、それを囲う城壁も、その周囲に広がる広大な農地も…。
何もかもが何の痕跡も残さずに消えていた。
騎士も、兵士達も、絶望に膝を付いていく。
既に体力も気力も限界で、僅かに残っていた騎士王への忠誠すら揺らいでいく。
そんな時の事だった。
彼らの頭上に、突然キャメロットにも出現した穿孔が現れたのは。
「総員、迎撃!」
騎士王の命令に、しかしベディヴィエール卿を始めとした一部の者以外、誰も動かない。
否、動こうにも余りにも動きが鈍過ぎる。
此処に至るまで過剰に蓄積された心身への疲労が、此処に来て心が折れた事で表出したのだ。
最早誰も、あの穿孔から零れ落ちる様にして現れる幻想種に、抗う術を持てなかった。
……………
昼前に到着した筈の遠征…否、騎士王率いる略奪軍は、日没前に全滅していた。
穿孔から零れ出る幻想種の群れに多くの騎士と兵士達が踊り食いされる中、辛うじて騎士王の側に控えていたベディヴィエール卿率いる50程の近衛隊は騎士王を生かすべく、決死の覚悟で幻想種の群れを突破した。
図らずとも、他の友軍を囮にする形で。
だが、それにも限界はあった。
以前のキャメロットと同じく、空と陸を埋め尽くす程の幻想種の群れに、彼らは何処へ行って良いのかすら分からなかった。
迷走に迷走を続け、一人また一人と欠員が出ていく中、一昼夜駆け続けた果てに彼らが最後に辿り着いたのは小さな丘だった。
そう、どの様な偶然か、それとも世界の修正力か。
その場所こそ、あのカムランの丘だった。
「良くぞ此処まで逃げてきたものだな。」
周囲を幻想種に囲まれ、最早何処にも逃げ場がないと言う状態で、幻想種達が怯えて道を譲る様にして、モードレッドが現れた。
彼女は静かな口調の裏に激情を隠しながら、騎士王らを嘲笑った。
「傑作だな。あの騎士王がこの様とは。」
「貴様ぁ!!」
近衛の一人が激情のまま斬りかかるが、間合いに入った瞬間、手に持つ剣と鎧ごとモードレッドの大剣に両断された。
「騎士の質も落ちたな。」
「何故だ、モードレッド卿…。」
絶望に侵されながら、それでも嘗ての己の騎士相手に騎士王は語り掛ける。
だが、彼女に対話を求めるのは余りにも遅すぎた。
「何故と問うか、アーサー王。その時点で話にならん。」
そして、僅か10名程にまで減った近衛隊とベディヴィエール卿を前に、モードレッド卿はその竜骨の大剣と共に踏み込んだ。
戦いは一方的なものだった。
消耗し尽くした近衛10名と隻腕のベディヴィエール卿だけでは、騎士王すら超えるスペックとギャラハッドを除けば円卓最硬の名を欲しいままにする兜の騎士を止められる筈もなく。
早々に蹴散らされた彼らを後目に、モードレッドと騎士王の一騎打ちは始まった。
……………
ガゴン!と、一撃を受け止めるだけで地面が陥没し、全身が軋む程の重量がかかる。
それを聖剣を斜めにして何とか受け流し、反撃を入れる。
しかし、如何に聖剣と言えども、モードレッドの鎧を破壊した上での有効打を与える事は容易ではない。
鎧の隙間を狙おうにも、そんな分かり易い太刀筋を入れられる程、モードレッドは弱くない。
そして、二人にはもう一つ、致命的な差があった。
騎士王は不老を約束する聖剣は持っていても、不老不死を約束する鞘は持っていなかった。
対して、モードレッドは傷を癒す鎧を纏っており、継戦能力に関しては事前の消耗の有無もあって、どちらが有利なのかは明らかだった。
例え常勝無敗の騎士王と言えど、竜殺しの大剣と竜殺しの専門家を相手にしては、余りにも分が悪かった。
「ッ、ぐ、何故だ、モードレッド卿…!」
「今更か、アーサー。」
剣戟を交わす中、それでもモードレッドは平静だった。
否、より正確に言えば、平静であろうとしている。
何せ目の前の敵はどうやった所で、もう死ぬ事が確定している。
今自分がしているのは、それをより無残で残酷で無慈悲なものにするための作業でしかない。
殺す気なら、もう終わらせている。
それだけの戦力差が、既に二人の間にはあった。
「確かに私が貴方にした事は、許される事ではないだろう!だが、それなら私を、円卓を、キャメロットを責めれば良い筈だ!何故貴方程の騎士が無辜の民にまで血を流させる!」
「何だ、そんな事か。」
血を吐く様な騎士王の叫びを、しかしモードレッドは拍子抜けとでも言わんばかりの言葉を返した。
事実、もっと憎悪や怨嗟を込めた叫びが来ると思っていたのだ。
「貴様を殺した後、残った連中が私の民に害を成す可能性がある。それを排除しただけだ。」
復讐される可能性を潰す。
ただそれだけのために殺し尽くしたのだと、モードレッドは告げた。
「そんな…そんな事で…。」
「別に不思議ではあるまい。貴様は私だけでなく、私の下にやってきた民にすら圧制を敷いた。そこに彼らの善悪は関係ない。要は貴様にとって『都合が悪い』と言うだけの話だ。」
そう、これは騎士王にも言える話。
規模が違えど、これは騎士王が嘗て取った政策なのだ。
自分が干上がらせ、或は見殺しにした村の生き残りを保護するのではなく、自分に叛意を持っているかもしれないと考え、同じく叛意を持っている可能性があるモードレッドの下へと送り、枯れ死させるべく圧制を加える。
正に暴君の思考だった。
騎士王は聖剣を折るまでもなく、既に清廉潔白とは無縁だったのだ。
「貴様は……貴様はッ!!」
手傷を負い、限界まで消耗していた騎士王は、それでも目の前の怨敵を前にして、最後に残った魔力を聖剣へと注ぎ込んでいく。
既に己の悪性を自覚した故か、その聖剣は嘗ての黄金の輝きからランスロットのアロンダイトと同様に黒く染まり始めているが、その威力だけは寧ろ普段のソレよりも強化されつつあった。
恐らく、この状態で真名解放を行えば、騎士王自身もその命数を使い尽くす事だろう。
「成程。確かにそれなら私を殺すには足る。」
だが、この程度の事態は予想出来ていた。
だから二重に保険を掛けていた。
「もう遅い!『約束された』…!」
そして、騎士王が充填した魔力を解放しようと振り下ろす寸前、
「だが、それではお前の騎士達も死ぬぞ?」
その言葉に、動きが止まった。
同時に、モードレッドの背後に倒れ伏していたベディヴィエールと近衛の騎士達が呻き声を漏らした。
「あ…!」
騎士王は慌てて解放寸前の聖剣を停止させようとする。
しかし、解放寸前まで行った聖剣を止めるのは片手間で出来る訳もなく、その意識はモードレッドから己が握る聖剣へと向けられてしまった。
それが敗因だった。
「あ」
ずぶりと、騎士王の甲冑を貫いて、竜殺しの骨剣がその身を貫いていた。
「あ」
骨剣が引き抜かれた直後、騎士王の胸から盛大に鮮血が噴き出し、モードレッドの全身を血で染め上げた。
ばたりと倒れた騎士王は、素人目でもあって致命傷と容易に分かる。
「う、ぐ、あ……。」
しかしそれでも、彼女は諦めていなかった。
血を吐き、涙を零し、鼻水を垂れ流し、王としての威厳等感じられない様になってもなお諦めなかった。
アルトリアは少しでもモードレッドから距離を取ろうと地面に鮮血を塗りたくりながら匍匐前進する様に這っていった。
「ダメ、だ……まだ死ねな……」
ゆっくりと、モードレッドは嘗ての主君を追う。
最早騎士王の瞳は何も見ておらず、このまま放っておいても死ぬだろう。
だが、最後の時間を与えるつもりはなかった。
「わたし、は……ぶりて…を……すく」
ざしゅりと、肉を切る音がカムランの丘に響いた。
「驚いたな、まだ動けたのか。」
背後から刺さり、自分の胸を貫いた太陽の聖剣の持ち主に、モードレッドはいっそ穏やかとも取れる声で背後の騎士へと声を掛けた。
「なぁ、ベディヴィエール卿?」
「背後からの不意打ち、申し訳ない…。」
今の今まで気を失い、最後の隙を見出して渾身の一突きで主君の敵を討ったのは、王宮の執事役にしてモードレッドも評価する隻腕の騎士だった。
「成程、ガウェインの形見か。」
以前の戦いでモードレッドが殺した種違いの兄、その愛剣。
そして、騎士王の聖剣と同格の聖剣を最適なタイミングと速さ、角度で突き出せば、十分モードレッドの鎧を貫ける。
「何か、言い残す事は?」
「そうだな…。」
一瞬の思案の後、モードレッドはゆっくりと口を開いた。
「オレはな、ベディヴィエール卿。聖杯探索まで、王に忠義を誓っていたんだ。」
それをベディヴィエールは黙って聞く。
「だが、聖杯探索の末にオレ達を待っていたのは手酷い裏切りだった。」
聖杯探索の顛末は聞いていた。
ギャラハッドと言う神の子の模造品を作り、彼を生贄にアリマタヤのヨセフがカーボネック城に封じた聖杯を降臨させる。
それがカーボネックの一族の宿願であり、それに激怒したモードレッドによって聖杯はまたも隠されてしまった。
「オレは許さん。聖杯探索を命じた騎士王も、聖杯降臨を願うカーボネックの連中も。あんなものを求める騎士達も。あんなものに縋るこの国も、この国の民もだ。」
それは怒りだ。
親友、否、きっとそれ以上の愛情を持っていた相手を、自分と最も近しい運命の下に生まれた者を失った怒り。
それが温厚なモードレッドをここまでの凶行へと駆り立てたのだ。
故に聖杯を求める全ての者に憎悪を抱いた。
何をしてでも聖杯を、叶わぬ救済を求めるとは、また嘗ての悲劇を繰り返す事に他ならないから。
「言葉にするべき事は以上だ。」
「では…さらばですモードレッド卿。」
「卿など付けるな。虫唾が走る。」
そして、ガラティーンが引き抜かれ、同時にモードレッドの胸から盛大に出血が始まる。
だが、この程度では鎧の持つ治癒力によって何れ回復するだろう。
ならば、しっかりと止めを刺す。
ちゃきりと、構え直したガラティーンで、ベディヴィエールはモードレッドの首を刎ねた。
(さらばだ、ベディヴィエール卿。)
モードレッドが最後に見たものは、首を無くして膝を付く己の身体の姿だった。
こうして、騎士王率いるブリテンの最後の戦いは幕を閉じた。
次回、ブリテン編終了
漸く惨めな感じで泣かす事に成功したぜ!(外道)