帝国首都ベルン 軍大学にて
「しゅつ…………げき……………………。」
入学してから今日まで、毎日の様にハンナ・ウルリーケ・ルーデルは死亡していた。
無論、比喩表現ではあるが。
「あの、アレは……。」
「あぁ、ハンナは空を飛ぶか出撃しないと体調を崩すんだ。」
「うわぁ…。」
それを、同じ小隊員としてそれなりに濃密な時間を共に過ごしていたチトセとターニャは、気の毒なナニカを見る様な目で遠巻きに見つめていた。
「それはそれとして、そっちは最近どうだ?」
「平和そのものですよ。この戦時下にこんな平和で良いのかと思う位には。」
帝都ベルン
そこには未だ戦乱の影は遠かった。
しかし、物価の値上がりや国債の販売の掛け声、夫や恋人を待つ女性達の井戸端会議に海外との交易の減少による商業面への悪影響等、その影響は徐々に一般市民にも見える形になってきた。
「だよなぁ。とは言え、薄氷の上だが。」
「えぇ。だからこそ、よく学ばねば。」
「真面目だなぁターニャは。」
「貴女程適当にはいられませんよ。」
二人とも、問われれば堂々と「他に行ける場所が無かったから軍に来た」と言って憚らない孤児院出だ。
その出自と年齢にある者は眉を顰め、ある者は戦慄する。
その位には彼女らは未だ若く、そして凄まじい戦果を挙げていた。
「今日の午後はどうする?」
「私は図書室に行きます。そちらは?」
「分身体を5体図書室へ、1体をハンナへ、後は……。」
「相変わらずのトンデモですね…。」
「便利だがな、制御は難しいんだぞコレ。」
苦笑いのチトセ。
前世の濃過ぎる人外相手の末期戦を経験したからこそ、十全に制御できるだけの経験を積めたという自覚があるからだ。
現在のチトセは戦地でもないのに旧型の宝珠を特別に貸与され、学習に利用するために固有魔法の使用まで許可されている。
実際、凄まじい勢いで成績を上げている本人の成果と凄まじい武功があるが故の特例措置。
とても助かるのだが、これを取るために軍大学に在学中に固有魔法や魔導士用装備の開発に協力する羽目になってしまった。
「ハンナ、今日はエレニウム工廠に行く予定だったろ?新型宝珠での試験飛行もあるんだから、そろそろシャキッとするんだ。」
「出撃か!?」
チトセの言葉に、椅子の上で真っ白に燃え尽きていたハンナがガタンと立ち上がる。
「出撃じゃない。が、空は飛べるぞ。」
「飛べるならなんでも良い!ついてこいチトセ!」
「はいはいっと。」
こうして、二人は悪名高きエレニウム工廠へと赴いたのだった。
……………
帝都ベルン 帝国陸軍大学 書庫
そこでは現在、5体の分身体が一様に脂汗を流しながら、超お偉いさんの対応をしていた。
「貴官らは此度の戦争、どの様に見るかね?」
「は、准将閣下。申し訳ありませんが、小官では質問の範囲が広過ぎて何処まで答えて良いか分かりません。」
代表した1体が脂汗を流すままに答える。
なお、残りの4体は沈黙を保ち、可能な限り目立つまいと気配を薄くしようと努力している。
戦闘時なら兎も角、平時のこいつらは本体よりは低くとも自己保存本能を持った個人であり、大体こんなものである。
正直、こんな所で何してんの!?と言いたい所であり、とっとと退室しようと思ったのだが、何故か今次戦争に関する意見を聞かせてほしいというお話になっていた。
(一言でもトチッたら銃殺か左遷かな?)
チトセは割と信心深い方だと思うが、それでもこんな時は神を呪わずにいられなかった。
「構わん。貴官の答えられるだけで良い。忌憚なく語り給え。」
「では……現状のままでは、帝国の敗戦は免れないものかと。」
ゼートゥーア准将の命令通り、チトセ(分身体)はあっさりと自国の敗北を告げた。
銃殺?左遷?もしもの時は超精巧な分身体使って本体が逃げれば良いんだよ!
なので、割り切って正直な所感を伝える事にした。
「理由は?帝国は協商連合及び共和国には優勢に戦闘を進めている筈だが?」
これがルーデルドルフならば激怒間違いないだろう。
しかし、ゼートゥーアは学者然とした理性的かつ冷徹なリアリストだ。
故にこそ、簡潔に次を促した。
「はい、その通りです。しかし今を見逃せば、連合王国並び周辺諸国は協商連合及び共和国が二国がかりで戦っても勝てない帝国を万全の状態で相手する事になります。」
「故に積極的な介入を?」
「はい。彼らにとって欧州に強大な国家が発生するのは、何をしてでも防ぎたい事でしょう。」
「うむ。納得できるな。」
「更に現代の列強同士の戦争に、旨味はありません。」
「既存の様に領土や賠償金もかね?」
「はい。ライン戦争を見ても分かりますが、人・物・金の圧倒的な消費速度を参戦国全てが行うのですから、たとえ勝ってもまともな賠償金など得られません。領土等パルチザンの温床になって国内の不安定化を促進するだけで話になりません。」
「であれば……。」
「失礼します。」
そんな時だった。
ターニャ・フォン・デグレチャフが入室してきたのは。
……………
「……………。」
軍大学から帰ってきてから、ゼートゥーアは熟慮を重ねていた。
その脳裏には昼間の出来事が幾度も繰り返し繰り返し流れていた。
チトセ・カリーバー中尉
そしてターニャ・デグレチャフ中尉
どちらも最前線から軍大学へとやってきた、ラインの三羽烏とまで言われる優秀な航空魔導士だ。
そして、件の3人の内2人が語った今次戦争の形態。
カリーバー中尉はあくまで現場の人間としての視点と立場を崩さなかったが、デグレチャフ中尉の視点は余りに広く、進んでいた。
その内容はリアリストのゼートゥーアをしても度肝を抜かれるものであった。
「覇権国家、そして世界大戦か…。」
加えて言えば、総力戦という列強すら財政破綻しかねない程の大量消費を行いながら遂行する戦争行為。
成程、旨味等確かに残らないだろう。
そして、彼女達二人の結論は、同じだった。
『講和しかありません。余力を持った内に損切りをするのです。』
『同じく講和です。帝国の存続こそが我らが帝国の勝利条件と考えるのです。』
異口同音に唱えられた結論に、ゼートゥーアは内心で頭を抱えた。
この帝国は分裂した領土を軍事力で再統一したという建国経緯を持つ。
それ故に軍事力に定評はあるのだが、その分の皺寄せで外交・諜報面で他国に大きく離されている結果となっている。
(皇帝陛下や政治家はまだ良い。軍部も頭の固い連中を除けば大丈夫だろう。しかし…)
思うのは、ルーシー連邦の建国理由。
秋津洲皇国との戦争費用捻出のために重税が課され、それに反対デモを起こした市民を軍が銃撃した結果、あの国では革命が発生、現在の共産・社会主義国家であるルーシー連邦が成立した。
(国民が納得するのか?下手を打てば革命が起きかねん。)
参謀本部の二羽烏と言われたゼートゥーアをして、この一件は余りにも手に余った。
更に加えれば、現在ライン戦線は前進し続け、首都パリースィーにまで迫っているが、その後方である占領地域ではパルチザンが絶えず、サボタージュ等は軽いもので時に共和国市民を巻き込んでの自爆行為まで発生していた。
そのため、占領地域の安定化のために結構な数の兵士及び資金・物資が必要となっており、その出費の多さに西部方面軍の財政は火の車、中央でも頭を抱えていた。
しかも奪えるようなものは殆どなく、無理に徴収や略奪をしようものなら占領地全体で大規模な民兵の蜂起が起きかねない。
はっきり言おう、帝国はこんな厄ネタばっかりの共和国領土を統治したくなかった。
端的に言って安定化させるまでのコストにその後齎されるだろうリターンが全く釣り合わないのだ。
このままでは帝国そのものが財政破綻しかねない。
今現在も合衆国に国債を大量に買ってもらって辛うじて持たせているのだ。
「やはり私一人では手に負えんな。」
参謀本部きっての俊英たるゼートゥーアはそう結論した。
(ルーデルドルフ他参謀本部に内閣、そして陛下か。)
今直ぐ終戦を目指すなら、最低でもそれらの人員が必要だった。
「その前に、この一連の予測を形に纏めねば、な。」
そう言って、ゼートゥーアはペンと紙を用意した。
……………
「ん? カリーナー中尉、それは?」
「あぁ。先日准将閣下とお目通りしただろう?その時に言い忘れてた事があってな。それを纏めてる。」
「内容は……共和国の今後の推移?」
「海軍はほぼ消耗してないからなアイツら。今後の推移次第では海軍だけ逃がして連合王国辺りで亡命政権とか作られかねないぞ。」
「うへぇ、想像したくもないですな。」
「加えて、そっちがダメなら植民地に行けば良いしな。面倒な連中だよ、本当に。」
「確かに。勝手な理由で仕掛けてきたのは向こうだと言うのに…。」
「まぁ嘆いても仕方ない。あ、ターニャ、余りコーヒー飲むなよ。カフェイン中毒って判断されたんだろ?」
「うぐ!?し、しかしですね、これは私の大事な日課みたいなものでして…。」
「…まぁ今夜は見逃すから、明日から気を付けろよ。」
「ありがとうございます!」
「全く…。」