アディのアトリエ~トリップでザールブルグで錬金術士~ 作:高槻翡翠
二月二十二日に改訂しました。
【アトリエ編】
ヘーベル湖から道の途中にある休憩所を経由して、ザールブルグにある屋敷へとアディシアと
サマエルは戻ってきた。辿り着いたのは朝方で、午前九時頃だ。
「掃除、一部だけにしておこうよ」
「部屋は掃除するけど、そうしよう」
余り疲れていないが、屋敷の広さを見るたびに掃除の手を抜きたくなる。
屋敷の掃除は使う部屋と一部の廊下だけにしておいた。
「材料は整頓して保存だね」
取ってきた材料は工房部屋にある地下室に保存をすることにした。
<ヘーベル湖の水>は樽に入れて丁寧に蓋をして、取ってきた各種の草は品別にしておく。
ぷにぷにとした玉もアイテムの一種だろうと保管しておいた。これについては誰かに聞いておくことにする。
帰宅日は採取の時に使った服を洗ったり、アディシアは公共浴場にも行った。
サマエルは体に大量の傷があり、公共浴場には行けない。サマエルの”元”達が殺しあいをしてその時の傷が体にあるのだ。
ザールブルグは一般の家庭に風呂があることは少なく、公共浴場か、入らないなら体を濡らしたタオルで拭くぐらいだ、
「今日は八月二十五日、残り五日だね」
三十日は余裕を持つため、開けてあるため、自由に行動が出来るのは残り五日だ。
日付の把握は購入した木を加工したカレンダーで行っている。壁掛け式で、一から三十までの木札をカレンダー本体にかけている方式だ。ザールブルグの暦は十二ヶ月で一月は三十日だ。
「森に行きたいんだよ。一泊してこようよ」
「日帰りで行けるみたいだから一泊しなくても」
「寝るための荷物は持っていこう」
アディシアが言う森は近くの森だ。日帰りで行ける採取先である。
『調合は』
「明日かな」
アディシアはサマエルしか居ないときは口に出してリアの言葉に応える。
ザールブルグで暮らすようになってからは朝が早い。太陽が昇ったらうろ覚えのラジオ体操をしてから、アディシアは朝を始める。リアが途中で正しいラジオ体操第一と第二を教えてくれた。日本の生活でラジオ体操はしていたのだ。
食事を終えてから、採取の準備を整えて、外へと出る。中央広場の屋台で、昼食用のサンドイッチを二人分購入した。
「シグザール城の近くを抜けていくか、南門を抜けていくかのどちらかだけど」
「南門かな。正面? から出る」
南門からアディシアとサマエルはザールブルグの外に出る。南門の前は石畳で舗装されていた。
旅人の分かれ道というらしい。
ザールブルグ前には石畳の道があるからこそ、馬車も動きやすいし旅人も目印にしやすいし、ここから様々な場所に行けるからそう呼ばれるようになったのだろうとアディシアは考える。行くことは楽だが、道中は危険が満載ではあるが。
「晴れてばかりだ。たまに雨とか降らないのかな」
「ザールブルグは涼しい方だけどね。湿度が低いから」
サマエルが太陽を感じながら呟く。
話ながら近くの森へと入っていく。近くの森はザールブルグの住人も良く行き来する。広葉落葉樹の森だ。
木が幾重にも生え、葉が太陽を隠している。森の散策を始めると、木の根元にオレンジ色の傘をした茎部分が白いキノコが幾つも生えていた。<オニワライタケ>だ。
「<オニワライタケ>があった。食べ物、食べ物」
『これ、調合に使う品でもあるのよ』
「……いくつかは調合用に取っておくよ」
毒抜きさえすれば<オニワライタケ>は食用に出来る。
カロッサ雑貨店でも売っているが、節約のために見える分だけ取っておく。<オニワライタケ>が生えていた木の後ろに生えている<魔法の草>も取る。
採取は根こそぎ取らず、いくつかは残すようにする。配分はリアが教えてくれるので、アディシアはコツを学んでいく。
リアは聞けば教えてくれるがアディシアやサマエルの知識になるかは別だ。
「栗があった」
「<うに>って言うらしいけどね。ザールブルグだと」
「……栗なのにね。モンブランだと栗ケーキじゃなくてうにケーキ?」
「この世界、山の名前でモンブランとか無いだろうからね」
とげとげが生えた丸い実、アディシアやサマエルにとっては栗としてなじみ深いのだが、ザールブルグでは栗を<うに>という。
なお、海胆は海胆として海中に存在している。
これも取っておいた。採取して、素材としてのめどが立たなかったら食べればいい。
ちなみにモンブランは日本のケーキである。元ネタのケーキはイタリアで発祥したという説があるが、あの形にしたのは日本だ。森の中には<ズユース草>もあった。
「以外と大きい森、明るいし」
「獣の気配はするけど、出て来ないな。その方が助かるけど」
「あんまり斬り合いはしたくないもんね」
穏やかに言うサマエルや朗らかに言うアディシアではあるが、意味合いとしては出たら出たで斬り殺すというものだ。
獣は出てこない。話ながらも気配で威圧しているからだ。森林浴を楽しみつつ、油断はしていない。<うに>は持って来た布袋に入れておいた。バックパックに入れたらバックパックが破けてしまう。
二人の耳に遠吠えが聞こえた。
『狼か。それに似た生物が居るわ』
「昔に仕事で猛犬に追いかけられて殺されかけたっけ」
『逆に威圧してから殺したり、相手にけしかけて、のど笛噛み切らせたの誰?』
軽く言うアディシア、聞こえるリアの声も軽い。
アディシアは暗殺者として狼や犬を相手にしたことがある。館の防衛で犬を飼っているという時があったからだ。
森の中に居る獣に対する対策もいくつか浮かぶが、闘わないのが一番である。
「アディは今の状態だと、好奇心で狼の肉とか食べそうだね。……狼の肉って美味しいんだろうか。雑食性の動物は不味いと聞いけど」
サマエルが苦笑する。
『世界に寄るわね』
「出たら狩って食べてみたいな」
アディシアが言う。
そこから二時間ほど森を散策したのだが狼は出なかった。運が良いのか悪いのかは不明だ。
近く森で取れるものを把握した。木の一つに座ると、紙箱に入ったサンドウィッチをアディシアは食べ始める。
中身はハムとキュウリだ。サマエルはアディシアから少し距離を離したところに座る。
塩がふられているキュウリとハムが舌先に乗る。囓っていき、ハムとキュウリを食べていく。
「季節によって取れるものは違うから、記録はつけておこう」
ザールブルグにも春夏秋冬があり、季節によっては取れるものもあれば、取れないものもあるし、沢山取れるものが、次の季節になったら少なくなったりする。
「取りづらいアイテムもあるしね」
「俺のはベーコンと卵とトマトソースだけど、タマネギが入ってる……」
今回は火はたかずに持って来た水筒内の井戸水とサンドウィッチで食事を取る。
サマエルはトマトソースにタマネギが入っていることに違和感があった。イタリアのトマトソースにはタマネギが、入っていない。
『作れば?』
「備蓄はしたいかな」
「ジャムが食べたいんだよ。イチジクとか」
自炊に移行していくため、備蓄できそうなものは作る。自分好みの味付けが食べたければ自分で作るのが一番だ。
そのためにはまずはタマネギなしのトマトソースを作ることにして、サマエルはサンドウィッチを再び食べ出した。
昼食を取り終わり、荷物の整頓をしてから、近くの森を出て、ザールブルグの屋敷へとアディシアとサマエルは戻る。
食後の散歩も兼ねていた。
「……採取? してきたんだ」
屋敷の前には少年が居た。銀混じりの金髪をした少年だ。アディシアの知らない少年だが、少年はサマエルに話しかけているようだった。サマエルが言う。
「アディ。彼はアレクシス・フェルディーン。アカデミーで同級生になるんだ。貴族でね。彼は寮生だよ」
「あたしはアディシア・スクアーロ。サマエルの友達。よろしく」
「こちらこそ。散歩のついでに寄ってみたんだけど、二人とも入学までまだ時間があるのに。採取とか、アトリエ生だから?」
「この辺りに慣れるために散策をね」
アレクはバックパックを担いでいるアディシアとサマエルに視線をやる。貴族と聞いてアディシアは思いついたことを聞いた。
「散策と言えばお城に行きたかったんだ。見学できるかな」
「外は見られるけど、国王に謁見するには通行許可証が居る。貴族ならもてるよ」
「……お城は見たいけど、国王は……この国の王様はお爺ちゃんだっけ」
国王一家が住んでいるシグザール城はザールブルグの北にある。今の国王はヴィント・シグザールと言う老齢の王だ。
記憶から名前を引っ張り出す。
「結構な爺さん。王子は居るけど、そろそろ跡を継がせないと危険な気がするとか、三番目の兄が言ってた」
「死んじゃうからか」
「あっさり言っちゃ駄目だって」
ここは止めておくべきだとサマエルは思った。アディシアも自分もそうだが、命の値段が軽いときもある。
それもあるけど、とアレクは前置きする。
「王子が頼りないところがあるから経験を積ませるべきじゃないかとかそんな意見もあるんだって。王族、少ないよ。王と王妃と王子だけだし」
「頼りないのは困るね」
後継者問題はアディシアの居た組織でもつい最近、起きた。今は沈静化している。
日本で後継者問題によって戦闘が起きてその時、死にかけたし、自分の立場も微妙になった。
今は怪我も完治しているし、立場もひとまずは安定している。
「採取はしてるみたいだけど調合とかはしてないの?」
「やってはみたいけどね。君の方は」
「今は予習とか体を動かしたりとかしてる。魔術の練習とか」
「魔術の練習はあたしもしてるけど、難しいんだ」
「細かいコントロールが苦手かな。細かい作業は好きな方だけど、魔術は別」
錬金術士は学者肌の人間ばかりなので戦闘方法は専ら魔術になる。もしくは、錬金術で作ったアイテムを使うかだ。
アディシアとサマエルが例外になりそうなぐらいだ。
魔術の方はアレクは教えて貰って出来るようだ。
「……魔術は練習しかないよね」
サマエルが呟いた。
才能はあっても、才能で何とかなったとしてもそれ以外の要素が絡めば、危うくなることもある。
魔術でも武器でも何でもそうだ。
「そうだよね。……僕は散歩に戻る。また来ても良い?」
アレクが同意してから、空を見上げ、時間を測る。
「良いよ。居ないこともあるけど」
「今度はお茶ぐらいは出すよ」
アディシアとサマエルは頷く。アレクはザールブルグの雑踏へと行く。
彼が見えなくなってから、アディシアはバックパックを背中から外し、持っていた荷物一式をサマエルの前に置いた。
「シグザール城に侵入してくる」
「……騒ぎにならないように」
止めても止まらなさそうなので、釘だけは刺しておく。アディシアはシグザール城へと走る。
サマエルはアディシアが降ろした荷物を持つと屋敷に戻り、近くの森で採取したものを区分しておくことにした。
アディシアは手ぶらだ。
布袋の財布ぐらいしか持っていない。中央通りを突っ切り、北を目指す。
走っていると立派な城門と白い城が目に入る。屋根は青色だ。城の周囲には壁とさらにその周囲には森がある。
「アレクシスに城の構造について聞いておくべきだった……でかいなー」
『ザールブルグの北側がほぼ城と見て良いわね。兵士の詰め所もある』
(館もあるね)
『騎士のものじゃないかしら』
国王に会うためには通行許可証がいると言うことは、城の敷地内の一部はそのまま見学が出来るはずだ。
眺めるが、闘技場のような場所もある。
シグザール城とだけ言えば城だけではなく、兵士の詰め所や恐らくは騎士達が住んでいる館などが、全てシグザール城と取れる。城にも城壁はあるが、広い視点で見れば、ザールブルグの城壁は城の外郭とも解釈が出来た。
「コロッセオか」
ローマに行ったときに見たことがある建物が立派になってアディシアの前にある。円形の闘技場だ。
兵士達や貴族とその従者らしい男が闊歩している。軽装の鎧を着けた兵達が槍を振るう練習をしていた。
指揮をしているのは青い鎧を着た騎士だ。
(槍は良いよね。長くしておけば素人でも敵にダメージを与えられる。パイク系)
『外で振るうなら強いわ』
アディシアも槍は使えることには使えるが遠心力を使い、細かく振り回す感じになるし、刃物や剣の方が信用が高い。ザールブルグは敵国も居るようだが、それよりも魔物の方が脅威なのだ。
城塞都市であるのも魔物や危険な人物を入れないようにするためだ。
(兵と騎士と、青い騎士か。魔術師もいそうだけど)
青い鎧の騎士は聖騎士であり、シグザール王国の主力部隊であるようだ。街の噂で聞いた。
『闘ってみたい?』
(目立つよね。どの辺りまで見学が出来るかな)
リアの問いにアディシアは否定をせず、闘ってみたいとは言っていた。
アディシアはこの世界に来てからは魔術をやってはいるものの、戦闘では刃物の方が得意である。
裏社会では刃物遣いも居たし闘っても来た。強い相手と闘いたいというのがあるが自重する。
生活優先だ。
手ぶらで居るのも対策の一つだが、意味のない対策にすることもアディシアには出来た。『カルヴァリア』から武器を出して握ればいいだけだからだが、抑える。
散歩をしながら、城内を探っていく。玉座には興味がないため城の中に入るにはどうするべきか、通行許可証なんてアディシアは持っていないので、不法侵入をすることになる。
シグザール城と呼ばれるが、城周辺の敷地を含めるか否かでも、意味合いが変わってくる。
『……居ないわね。見張り』
城の門に近付くと見張りが居ない。不用心すぎる、が交代で空いてしまったと言うのが妥当だ。
アディシアは見張りが居ないならとそのまま城の中へと入る。人一人分が歩けるぐらいの赤い絨毯が敷かれていた。
(年代はどれぐらい?)
『目測で三百年は経ってる』
(そんなに派手じゃないね。地味に派手みたいな)
目測はリアがアディシアの視界を通して計算したものだ。三百年は経過している城であるという。
アディシアはイタリア時代、城で暮らしていたが、暮らしていた城よりは明るい。
地味に派手という矛盾した言葉ではあるが、シンプルだが豪華な調度品ばかりだと見抜いた。
(でかい窓ガラスあったよね。あれも手が混んでそうな、……微妙に歪んでるけど)
窓ガラスを見たが、真っ直ぐではなく僅かではあるがに歪んでいた。
『板ガラスが完全に均一になるのはフロート法が確立されてからよ。これだと、シリンダー法かしら』
(以前に聞いたような)
『端的に言うと、吹きガラスを円筒状にして、冷ましてから、縦に切れ目を入れ、窯で熱して伸ばすのよ』
想像してみるが、窯は熱いし、吹きガラスを作るにしろ加工をするにしろ、重労働だ。
アディシアの時代ではガラスは全自動で作られるため歪みもなく均一だが、ザールブルグでは 手作りだ。
シリンダー法についてはリアが説明した。フロート法は錫を利用した板ガラス製作法だ。
(ガラスと言えば、フローベル教会のステンドグラスやモザイクは見事だった)
『貴族が金を出したんでしょう。それと制作者が上手かった。モザイクとかステンドグラス、興味があるの?』
(ステンドグラスは楽しそうだな。モザイクはパズルっぽそう。宗教画を作るのは苦手かな)
脳内で行われる会話は高速で、物珍しさに気を取られていたアディシアは意識を緩めにしていた。
騎士がアディシアのことを不審に思い、注意をしようとしていることに彼女は気がつかない。
「城の中に勝手に入……」
肩を掴まれた瞬間、体が動きそうになるのが止まる。止められたというのが正しい。
意識に強い衝撃が叩きつけられて空白が出来たが、すぐに立て直す。
慌てて振り向いたところに居たのは、やや濃いめの茶色い髪に青い瞳をした聖騎士だ。
アディシアの目がぼんやりとしている。態勢を立て直すのに数秒かかった。
「……すみません。お城を見学したくて、誰も居なかったので入っちゃいました」
微笑を浮かべてアディシアが言う。
「見張りの交代が遅れたか。誰も居ないからって城の中に入るんじゃねえぞ」
「すみません。……貴方は?」
「オレはダグラス。ダグラス・マクレインだ」
ダグラスと名乗る聖騎士は年齢は十代後半で二十代になりそうなぐらいだった。鍛えられている。
考察をしたいところだが、まずは城から出ることにした。
「あたしはアディシア・スクアーロ。ザールブルグに来たばかりで見学していただけだったので、……では」
来たばかりと言うが一週間は経過している。言い方をきっておいてアディシアはすぐに城を出た。
ダグラスが制止をかけようとしていたが無視をして、西の方へと走る。短距離走だとアディシアは速い。
『組織の城でなら止めなかったけどね』
(制御、助かるよ。さっきは危なかった。ダグラスさんを倒すところだった)
アディシアは暗殺者だ。
物心ついたときから戦い方を仕込まれていて体が戦いを覚えている。気をつけていればいいのだが気をつけていないときに声をかけられたりすると相手によっては攻撃を加えてしまう。
今は『カルヴァリア』がアディシアの神経に働きかけてブレーキをかけた。自分でもブレーキがかけられるが、上手くいかないことが、たまにある。たまにが起きると厄介なのだ。
シグザール城でダグラスに攻撃を加えたりしたら大問題である。
『いつもはしないのだけれども、反射だから難儀よね』
宿主であるアディシアの神経や肉体に干渉できる『カルヴァリア』だが、リアは滅多には干渉をかけない。
滅多にしないことをしたのはトラブルを防ぐためであった。
神経にブレーキをかけるため、アディシアは動けなくなっていた。これが攻撃されているときならば大きな隙である。
城から西に、街中の噂で聞いた妖精の樹がある広場へと向かう。そこにはまだ行っていなかったのだ。
(聖騎士の剣、格好良かった。あれ欲しいな。鎧はいらないや)
『剣に興味を持つのは貴方らしいわ』
鞘に入っているだけでも、あの剣が優秀な剣であることはアディシアにも分かる。武器屋で剣は眺めたが、聖騎士の剣は特別製のようだ。鎧はアディシアからすれば仮につけられたとしても、重くて動きが阻害される。
妖精の木の前に着くと、アディシアは息を整えた。
「到着。……ただの樹だね」
妖精の樹広場は妖精の樹を中心に草原が広がっている場所だった。子供達が鬼ごっこをしていて、走り回っている。
男の子が四人と女の子が二人、年齢は四才から六歳ぐらいで、アディシアは樹に触れる。木の幹はゴツゴツしていた。
手を離してはまた触れるを繰り返す。
『樹齢、百年は超えてる』
五メートルは超えている木は幹が太く、緑の葉を大量につけていた。見上げれば太陽光が葉の間から差し込み、根元で休むには丁度良さそうな木だ。
「アディ。貴方も広場に来ていたのね」
「こんにちは。エルザさん」
声をかけられたので、木ではなく声のする方向に視線をやる。
シスター服を着たエルザ・ヘッセンがアディシアに手を振っていた。手にはピクニックバスケットを持っている。
子供達がエルザお姉ちゃんと駆け寄ってきた。
――お姉ちゃん?
年からしてお姉さんではなくその上である気はしたが、言わない。
エルザは子供達に慕われている。保育園の保母さんのようだった。
彼女はピクニックバスケットから、クッキーの入った紙包みを取り出して、子供達に配る。
アディシアは木から離れとエルザの方へと行く。
「一つどう? ロウ作りの時に出るハチミツが入っているのよ」
「貰います(出るんだ)」
『蜂の巣を潰すとハチミツが出るの。ロウソク作りに必要なのは蜜蝋ね。分離させるのよ』
簡単にリアが解説した。
ハチミツが蜂の巣に入っていることぐらいは知っているし蜜蝋も入っていることを知っているが確認で聞いた。
子供達にクッキーを配り終えてからエルザはアディシアの側に来て、クッキーの入った紙包みをくれた。
左手に取った二センチほどn丸いクッキーを口に放り込む。クッキーは小麦粉とハチミツとミルクが使われているシンプルなものだ。歯で強くかみ砕く。
「ザールブルグにはもう慣れた?」
「慣れました。採取とかも行ってみたりして」
「懐かしいわ。冒険者として着いていったことがあるけど、遠いところに行くと大変なのよね。それに魔物が強いと倒すのが無理なときは逃げたり」
「逃げた方が良いときもありますよね」
暗殺者としての生活の時は失敗は許されなかったが、逃げることが許されるならばアディシアは逃げることもある。
エルザはシスターの前は冒険者をしていたようだ。
「君も散歩中……?」
クッキーを飲み込むと、数時間前に聞いた声が聞こえる。
「アレクシス、だったね」
「元気そうね。アレク」
「前に逢ったとき以来ですね。エルザさん」
屋敷の前であったアレクだった。散歩をしていたら妖精の森広場に来たようだ。
エルザとアレクは知り合い通しのようで、アレクがエルザに頭を下げていた。
「貴方もアカデミーに入学するんでしょう。前に貴方のお兄さんと話したときに聞いたわ」
「興味本位で。他にもそんな奴が居るみたいだけど」
アレクにエルザがクッキーを渡している。アディシアは二個目のクッキーを手に取る。
「教会の七日教室にも、アカデミーの入学目当てで読み書きを習いに来る子がいるし」
「七日教室?」
「フローベル教会で七日ごとに読み書きを教えているのよ」
話によると元々は孤児に将来独り立ちするときの補助になるようにとエルザが教会で働き始めてから、読み書きを教えるようになった。
それから何年かが経過し、アカデミーが人気となった。
アカデミーに入学するためには文字の読み書きは必須であり、読み書きが無料で教われるならばと孤児ではない生徒が増え今では七日ごとに計算と読み書きを無料で教えている。
(識字率、そんなに高くないのかな)
『参考までに、こちらの世界の中世後半だと農村部では聖職者以外では読み書きできる人はそう居なかった。都市部では簿記をつけるためにその必要上から文字が書けたわ。とは言え、百パーセントではないから、代書人や公示人は居たけど』
(代書人は何となく解るけど公示人?)
『知らせをする人ね。文字は読めなくても、言葉にすれば解るから』
中世後半をザールブルグと重ね合わせてみる。リアも近い時代を例えに出しているはずだ。
アディシアは中世と近世の見分けがそんなについていない。難しい書類を書いてくれる代書人はアディシアの時代にも居たが、難しいの方向性が違っている。アディシアからすれば簡単なことも、難しい部類に入ったのだ。
代書人は役所からの嘆願からラブレターや家族への手紙まで書く者で、公示人はラッパを吹き鳴らし人を集め、集まった人に知らせを言う者だ。
(……大体、ザールブルグじゃ読み書きできるぐらいで良い? 農村部とかも、文字読めた方が得じゃない?)
『極端な話をすると村なんて農業をやっていれば生活が出来るのよ。農業は別に読み書きをしなくても先代からの教えを守り、経験で農業をすれば生活が成り立つわけで、村長とか、聖職者とか、読み書きは一人が出来れば十分だったのよ。……アカデミーが出来てからは変わっていっているでしょうけど。読み書きと言ってもアンタみたいに古典系読めなくても、
日本で言う平仮名が読めて漫画が読めればいいやぐらいのところもあるから』
話すことと読み書きは別だ。農村部では文字を必要としなくても生活が成り立つため、読み書きは余り広まっていない。
必要になっていけば憶える物も増えるのだろうとアディシアは思う。
(代書人は出来るからお金がないときしてみようかな)
『ザールブルグじゃ、需要は微妙だとは想うけど』
微妙だとリアに言われたが、金を稼ぐ手段は憶えておこうとアディシアは記憶に留めておく。
「読み書きは出来ないとアカデミー入学もそうだけど、城勤めとか、聖騎士になるとか無理だしね」
「聖騎士になるのに読み書きいるんだ。武器を振るえば良いんじゃないの」
シグザール城の敷地内で見た騎士達が思い浮かぶ。アレクの言葉に疑問を持つアディシアだが、答えてくれたのはエルザだった。
「武器を振るう腕もそうだけど、礼儀作法とか厳しいわよ。試験に合格する騎士なんて少ないんだから」
「ってことは貴族ならなりやすかったりする?」
「全然。完全な実力主義だから」
アレクとエルザが聖騎士について話した。
聖騎士はある意味、城勤めの中でもエリート中のエリートであり、戦闘能力の他にも礼儀作法も出来なければいけない。
これが出来れば一般人だろうが、貴族だろうが、外国人だろうが、騎士になれる。
青い鎧の聖騎士とそれ以外の準聖騎士がいる。
「ダグラスさんと逢ったけど、あの人、礼儀作法が出来るんだ……」
印象としては粗野な兄ちゃんだ。
「あの人は武闘大会で実力を認められて、スー兄さん達が礼儀作法を教えて、試験に合格した」
「お兄さん、聖騎士なんだ。武闘大会?」
「副隊長をしてる。ダグラスさんは分隊長の一人。武闘大会は十二月の終わりにあるんだ。城の闘技場でやる」
「スルトリッヒさんね。聖騎士は二十一人が定員なのよね」
年末のイベントで武闘大会をやるのが、シグザール王国であるようだ。
聖騎士は全員で二十一人、隊長の下に分隊長が四人いて、分隊長の下に五人いる。四人の分隊長のうち一人が、副隊長をやる。今の副隊長はスルトリッヒ・フェルディーンでアレクの兄だ。
「それなら、聖騎士団の隊長は?」
「今の隊長はエンデルク・ヤード。黒髪の長髪をしてるから、直ぐに分かるわ。今のザールブルグ最強ね。昔はウルリッヒ様だったけど、ウルリッヒ様は今は騎士団の顧問をしているの」
「スー兄さんも強いけど、エンデルク隊長はもっと強い」
(……最強か、闘ってみたい……けど無理だな)
強い相手と闘いたいと言う願望はアディシアにあるが、今の生活を保つならばやるべきではない。
勝ち負けは気にしないし、日本での生活で殺しではない勝負も知ったが、殺さないようにしたりするのは難しい。
「エルザお姉ちゃん、遊ぼう」
エプロンドレスの女の子がエルザに呼びかけ、エルザの尼僧服の袖を引っ張った。嫌がることはなくエルザは女の子に笑顔を向けた。
「遊びましょう。アディとアレク、良かったら子供達と遊んでくれない?」
「良いよ。遊ぶ」
「……厭、と言いたいけど、仕方がないか」
エルザはアディシアとアレクシスを誘う。
アディシアは気分を変えるために子供達と遊ぶことにした。アレクシスは渋々付き合う。
アディシアとしては缶蹴りがしたかったのだが、缶がなかったので断念し、影踏みをすることにした。
風に妖精の樹が葉を揺らす。
(樹が見守ってる気がする)
『洒落?』
率直な感想を呟くとリアに茶化された。洒落になっていたことをアディシアは言われて気がついた。
サマエルは台所で夕飯を作っていた。時間は午後五時頃になっていた。
ピザが食べたかったのだが竈しか無く、フライパンでピザらしいものを焼いてみることにした。
ボールの中に小麦粉と水と卵で生地を作ったり、買った食材を入れたりしてみた。
行き当たりばったりで作ってみていた彼は金属製の泡立て器でで混ざった生地を見て手を止める。
「これ、ピザじゃなくて」
『キャベツを入れてあるからお好み焼きじゃない? お好み焼きのソースが無いけど。――そろそろ帰宅するわ』
「このまま出そう」
ベルグラドいもや千切りにしたキャベツを繋ぎに入れてみたりしたらお好み焼きらしい種が出来た。
お好み焼き用のソースが無かったり、マヨネーズがなかったりするが、ザールブルグは文明レベルとしては近世と中世が混ざっている世界であるらしい。
「ただいま。サマエル。……お好み焼きか」
「マヨネーズとソースがないけど、このまま食べて欲しい。おかえり。アディ」
台所にアディシアがやってくる。台所は竈があり、側には流し台があるが水道がないため、
水は井戸から組んだものを大きな瓶に入れて使用している。
「調理器具だとダッチオーブンがあれば良いのに。無いんだっけ」
ダッチオーブンは蓋付きの鉄鍋の上に炭が乗せられるようになっている鍋だ。一つあれば大概の料理は作られる。
『こっちだと使われたのがアメリカの西部開拓時代、千八百六十年ぐらいだけど』
「……一つで大概はまかなえるんだよね。オーダーで作って貰うかな」
「オーダーで思い出した。武器で一つ欲しいのがあったんだ。リアなら出せそうだけど、直接持ちたいし。サマエルは何をしていたの」
アディシアが揃えた装備は短剣が二本と木の杖が一本、サマエルの装備は長剣が一本と木の杖が一本だ。
投げナイフは『カルヴァリア』から出している。
「畑を作っていたよ」
サマエルがアディシアと別れてからしていたのは屋敷の掃除と庭の整備だ。
物干し台はヘーベル湖に行く前には作っておいたので、次は畑を作っておくことにした。
広めの庭を計画的に区分けし……区分け計画を立てたのはリアだが……購入した鍬で耕していた。
「手ぶらにしてないと危ないからね」
手ぶらの方が危ないと言われるかも知れないがアディシアは反射的に刺すなどの行為をしてしまうことがある。
染みついた癖は抜けないのだ。
「お城、見学してきた。妖精の樹とかも行ってきたよ」
アディシアが皿を台所にある食器棚から出す。食器棚は屋敷に置いてあったものを使用している。
大きい食器棚だが二人分の食器しか入れていないため、中は広い。
白い皿を二枚出した。大きめの皿で、模様が描かれていないシンプルなものだ。丈夫な皿を選んだ。錬金術士がこの皿を作ったと購入したときに聞いた。
「俺も行ってくるか。畑らしきものは耕せたから植える種とか探して、錬金術で種とか出来るのかな」
『元素を組み合わせて未知の物質を作るが錬金術であるならば出来るでしょう』
「広い言葉だ。お好み焼きを食べるなら箸が……箸はないか」
「……フォークとスプーンの方が使いやすくはないかな。日本で生活してきたせいもあるだろうけれど」
サマエルからすれば箸よりもスプーンやフォークやナイフが良いが、アディシアは日本に居たので箸ばかり使っていた。
アディシアもサマエルも箸を使うことに問題は無い。アディシアは日本で暮らしているときに憶えたし、サマエルも師匠なら習った。
「ナイフとフォークで切って食べるお好み焼きって言うのも」
「箸はさすがに自分で作るしかないね」
アディシアにはフォークとナイフでお好み焼きを食べて貰う。サマエルもフォークとナイフで食べることにした。
箸は東方の文化だ。ザールブルグにはない。
「作るとしたら、錬金術じゃなくて、工作かな」
「工作だろう」
『アカデミーのショップに竹が売っていたわよ』
材料についてはリアが教えた。お好み焼きの種を確認したサマエルは考え込む。
「菜箸もついでに作りたいな」
「作ろうか。明日ぐらいにアカデミーに行こう」
必要なものは自作できるものは自作するしかない。存在していないものはオーダーするか、手製にするしかないのだ。
【続く】
予定決めてもずれこむものです。
改訂したところは会話の位置をかえたりとか誤字脱字を直したりとか
多いよ誤字脱字とか書いたのは自分だが。