練武館。
ツェルニの小隊が使う訓練所はそう呼ばれる建物だった。
広い建物の中は仕切りがしてあり、それぞれの小隊のスペースが用意されている。
簡単な訓練なら小隊に割り当てられた訓練室でできるほどだ。
より実践的な訓練なら申請すれば訓練用のグラウンドと設備を借りられる。こちらは他の小隊と上手く調整して共用しているらしい。
小隊に所属することがおよそ決定されたキャロルはツェルニの小隊に関する情報を集めた。
苦労はしなかった。
生徒会に説明と資料の閲覧を頼んだらあっさりと許可され、生徒会に所属する上級生に小隊の成り立ちや普段の活動や設備、予算などを丁寧に教えてもらえた。
申請すれば誰にでも教えているのかと疑問に思って聞くと、どうやら生徒会長がキャロルが小隊のことを知りたがると考え事前に話を通してくれていたらしい。
「武芸科での評価は聞いているよ。君にはみんな期待しているからね」
生徒会の生徒はそう上機嫌にキャロルに応対していた。
かくして今日は第17小隊の訓練室へとキャロルは足を運んでいた。
第17小隊隊長による採用試験がおこなわれるらしい。
事前にフェリに聞いたところ、『実力のわからないものは採用できない』とニーナ・アントークが生徒会に噛みついた結果らしい。
なら自分で実力を確認すればいいと生徒会側はあっさり彼女の要求を入れたという。
「あなたが負けることはありえないと兄は考えているのでしょう」
「レイフォンが出てこなければ、たぶん負けませんね」
どうやらフェリ・ロスは今回の件でキャロルに協力するように兄であるカリアンから頼まれているらしい。
現状の第17小隊の状況を聞くと。
「隊長がふてくされているだけです」
と短く吐き捨てていた。
レイフォンは当事者のくせに知らぬ顔をしており、シャーニッド・エリプトンもレイフォンほどの実力者を敬遠するニーナに呆れているらしい。
過去がどうであれ、第17小隊が戦力を手に入れたのは喜ぶべきだと説得していたそうだが、ニーナ・アントークは頑なにレイフォンを避けているそうだ。
どうやらニーナ・アントークの方が小隊では孤立ぎみらしい。
正直レイフォンが今回のことで小隊に居づらくなるのではと心配していたので、実力があるのならば認めるべきだと小隊の最年長者のシャーニッド・エリプトンが主張していると聞いてキャロルは安堵した。
そして第十七小隊に割り当てられた訓練室で小隊メンバーを前にしてキャロルはどこか他人事のように自分の運命はこんなものだと半ば諦めていた。
故郷では英雄扱い、実質都合の良い戦力として扱われ。
留学先でもやはり利用できる駒として生徒会長の手先になっている。
目の前でおっかない顔をして睨みつけてくる金色の髪を短くした凜々しいと表現してもいい女性ニーナ・アントークとその背後に並ぶ小隊メンバーの自己紹介をききながらため息をこらえていた。
「よっ、お嬢さん。俺としては綺麗どころは大歓迎だ。歓迎するぜ」
狙撃手の四年生。シャーニッド・エリプトン。
軽薄な印象の男性だったが、キャロルは不快には感じなかった。
彼が前の試合で実に堅実に自分の役割を果たしたことは見ているし、故郷にも『女性の顔を殴ることは誇りにかけてできない』などと言って実際に女性相手だとけして顔に攻撃はしない女好きの先輩武芸者などを知っていたからかもしれない。
その人物も軽薄に見えるがいざとなると果断な決断力と行動力をもつ男性で実力も若手ではかなりのものだった。
シャーニッドという人物もそういう人物ではないかと思えた。
「改めましてフェリ・ロスです。念威繰者をやっています……いまさら自己紹介というのも変な感じですね」
怪訝な顔をする周囲に部屋が隣同士ですでに面識があると短く告げた。
二年生の念威繰者フェリ・ロス。
銀髪を長くのばしたキャロル以上に人形じみた美貌をもつ少女だ。
無表情に見える目がどこかこちらに同情しているように感じられるのはきっと気のせいではないだろう。
彼女はキャロルが実の兄の手先となって利用されていることを知っているのだから。
カリアンの話では故郷でも屈指の念威の才能を持っているらしいが、前回の試合ではあまり目立たなかった。
単に指揮官が彼女の情報を上手く扱えなかっただけかもしれないが。
「じゃあ僕も、改めましてレイフォン・アルセイフです。キャロルが仲間になってくれるなら心強いよ」
そうレイフォンが屈託なく笑う。
とても小隊を空中分解一歩手前に追い込んだ人物には見えない。
手入れのあまりされていないぼさぼさの髪を照れたようにかいている。
いまさら自己紹介というのも照れくさいのだろう。
外見はごく平凡な少年だ。
特別強そうにも見えず。特別な雰囲気を感じるというわけでもない。
けれど彼が間違いなくツェルニ最強の武芸者であることはカリアンとキャロルの共通認識だ。
「えっと僕は錬金鋼の整備を担当しているんだ。武芸者じゃないけどこの小隊の仲間だと思ってくれると嬉しい」
三年のハーレイ・サットン。
錬金科の三年生でニーナ・アントークの幼なじみ。
彼女の錬金鋼は一年の時から彼が整備をしていたらしい。
第17小隊の資料にはそう書かれていた。よほど腕前を信頼されているのだろう。
レイフォンの話では錬金鋼整備の腕前はかなりのものらしい。
武芸者の武器である錬金鋼は専門の技師が調整、製造する。
自分の武器は信頼できるものであって欲しいと思うのは普通の感情で腕の良い錬金鋼技師は引っ張りだこといっていい。
自分もこの小隊に所属したら彼に錬金鋼のことを頼むことになるだろう。
「私はニーナ・アントークだ。この第17小隊の隊長を任されている」
最後にニーナ・アントークが名乗り、キャロルも丁寧に自己紹介する。
それを満足そうに眺めてニーナ・アントークは言った。
「先ほどおまえを歓迎するという発言もあったが、私はまだおまえを我が小隊の仲間と認めていない」
そうでしょうとも。
目がおまえはここに来るのにふさわしい人間かと強烈に問いかけている。
素直でまっすぐで隠し事に不向きな人。
キャロルはレイフォンの評価を思い出して、まったくその通りだと胸の中で肯定した。
「教師たちの推薦があるそうだが、私は自分の目で確認しなければ納得しない。そこで私と今ここで手合わせをしてもらいたい」
少しほっとした。
もしレイフォンを出されたらどうしようかと思っていたのだ。
それなりに戦えるとは思うが、正直勝てる気がしない。
武芸の本場グレンダンの最高位。
アスラも武芸者の質が高いと評判だが、グレンダンには及ばないだろう。
もっともレイフォンとそこそこ戦える時点でツェルニの小隊員としては十分な実力があると判断されるだろうとは思うが。
「ではさっそくやるぞ。武器を取れ」
部屋の片隅に置かれた訓練用の武器を手にとって眺める。
壁にも結構な種類の武器が並んでいる。
その中から刃のない、模擬剣を手にとって軽く振るう。
わずかに顔をしかめた。
バランスが悪い。
もう一度振るう。
間違いない。この剣はわずかだが重心が狂っている。
安物を使っているなぁと他のめぼしい武器を探す。
もう一本剣を取って振る。
こちらは長すぎる。
キャロルの体格では振り回すのに取り回しが悪い。
重さはなんとかなるがこの不慣れな長さは実力のある武芸者ならその隙をつけ込んでくるだろう。
困った。
どうにも満足できる武器がない。
「さっさとしろ。武芸者なら不慣れな武器でもきちんと使いこなして見せろ」
ニーナ・アントークに苛立たしげに催促されてキャロルは不機嫌に沈黙した。
手に合わない武器を使って、万が一加減をし損なったときのことが怖いのだ。
キャロルは今まで武器に関してかなり恵まれていた。
実家が裕福だったので専属の技師がキャロルの技量と体格に合わせた剣を制作、整備してくれていた。
おかげで慣れない武器で戦うという経験がほとんどない。
キャロルの実力なら刃がないことなど気休めにもならない。
人間程度、力加減を間違えたら容易に斬り裂くだろう。
「これなんてどうかな」
悩んでいるとレイフォンが一振りの剣を差しだした。
小ぶりで細く、やや短く感じる。
キャロルの体格を考えれば違和感はないのだろうが、普段キャロルが使う剣よりも短いということは普段慣れた間合いが狭くなることだ。
若干不満だったが手にとって振ってみると、さすがレイフォンと言うべきか。
この剣は重心バランスが良く扱いやすい。
「これにしましょう」
レイフォンに勧められた剣を片手に部屋の中央で待つニーナ・アントークの元へ歩いて行く。
「不慣れな武器であることは考慮するが、武芸者なら負けたいいわけを武器のせいにするような無様なことをするなよ。戦場では愛用の武器を使えない状況だってありえるのだからな」
武器選びに長く時間をかけた皮肉かと思ったが、その表情を見る限りどうやら本気で年長者として忠告しているつもりらしい。
意外と親切な人なのかもしれない。
そう思うと同時に脳裏にうさんくさい笑顔を浮かべてこちらを見る青年の顔が浮かんだ。
これはあの銀髪眼鏡。私の情報をなにも伝えていないな。
そう確信した。
さてどの程度やるべきだろう。
負けるのは論外だろう。
それではレイフォンと同じ事を繰り返すことになる。
ここで負けてニーナ・アントークの顔を立てても試合で活躍してしまえばかえって屈辱に感じるだろう。
目的はニーナ・アントークとレイフォンの和解。
ニーナ・アントークが隊長としての自覚を取り戻して小隊を正常の状態に戻すこと。
負けるのは下策だ。
ならば勝つしかない。
適当に打ち合って、技術で少し上回ってみせるのが良いかもしれない。
そうすればこちらの実力を認めさせられるし、瞬殺されるよりかはプライドも傷つかないだろう。
うん、そうしようと考えているとニーナ・アントークが不意に問いかけてきた。
「おまえのもっとも得意な戦い方はなんだ?」
「え?」
得意な戦い方?
キャロルは言葉につまった。
なんと答えるべきかわからない。頭の中が混乱して声が出ない。
「聞いているのだ。答えないか」
「速度を生かした一撃離脱?」
睨みつけられて思わずそう口に出してしまう。
ニーナ・アントークは納得したように肯いた。
「そうかどう見てもパワータイプには見えないからな。スピードタイプか。よしそれでかかってこい。おまえの全力を見せて見ろ」
そう言って微笑む。
きっと胸を貸してやる的な気分で言っているのだろうが、キャロルにしてみればとんでもない提案だ。
無茶言わないで!
キャロルは悲鳴を上げそうになった。
ああ、確かに高速の一撃離脱戦法をキャロルはもっとも得意としている。
ただしそれは自分より戦闘技術の高い人間を相手にするために編み出した戦法だ。
いわば格上に挑む戦法なのだ。
幼い頃から大人相手に挑み続けたキャロルが体格の不利と腕力の不足を補うために編み出した速さで相手を圧倒する戦闘スタイルだ。
この戦い方で上手い具合に手加減するなどできない。
手加減することを想定したことがないのだ。
手加減が必要な戦いなら、真っ正面からの戦闘技術の競い合いを選んできた。
それなら上手い具合に手を抜くことも、格下相手に同等の戦いを演じることもできる。
試合で見たニーナ・アントークの動きでは自分の一撃を回避することも防御することも出来そうにない。
この模擬戦はレイフォンと同じ瞬殺というニーナ・アントークのプライドを粉砕する形で決着がつくだろう。
キャロルは頭の中が空っぽになりそうになった。
なんとかしなくてはと気持ちばかりが焦り頭の中になにも思い浮かばない。
「さあ、はじめるぞ!」
呼吸が苦しくなり、心臓が痛いほど激しく鼓動を繰り返す。
シャーニッド先輩は気楽に応援しているし、フェリ先輩はどこかおもしろそうな顔をしてみているだけ、レイフォンは気の抜けた表情でこちらを見守っている。と思ったらその目は怖いくらい冷徹に自分を観察していた。
今まで話しか聞いたことのない自分の実力に興味があるのだろう。
ハーレイ先輩も『気後れせずにがんばれば大丈夫だよ』と応援してくれるがそういう問題ではないのですと叫びたかった。
開始を告げたもののニーナ・アントークは武器である両腕の鉄鞭を構えもせずにこちらの動きに注目している。
どうやら最初はこちらの動きを見守るつもりらしい。
レイフォンに負けた経験があるのにありえない油断に見えた。
レイフォンのような実力者はそうはいないとたかをくくっているのだろうか。
だとしたら。
だとしたらその油断に乗じて勝ったことにしてしまおう。
圧倒的速度で度肝を抜いてこちらの実力を印象づけ、負けた理由は油断という退路を残す。
そう考えをまとめて全身に剄を満たす。
片手で剣を軽く構えて、踏み込む。
一瞬の早業だった。
ずだんと床を蹴る音が響いた瞬間、ニーナ・アントークははね飛ばされたように吹き飛び壁に激突した。
小隊の皆が唖然とする中レイフォンだけはこちらに笑顔を向けた。
彼には見えたのだろうか?
おそらく彼には見えていただろう。
瞬間移動じみた速さでニーナ・アントークの懐に飛び込み片手で剣を一閃、外力系衝剄の一撃でニーナ・アントークを吹き飛ばした光景を。
その速さは闘争都市アスラにおいても随一といわれたキャロル・ブラウニングだ。
キャロルよりも剣技に優れた達人はいた。
キャロルよりも実戦経験豊富で戦闘技術に優れたベテランもいた。
そんな彼らと並び立ち、場合によっては勝利してきた理由の一端がこの速さだった。
どれだけ優れた技術があろうとも視認不可能な速度で一撃離脱を繰り返されたら防御も反撃もろくにできない。
開けた場所において自由に駆け回り飛びまわるキャロルに追いつき、対応できる武芸者はいなかった。
そのキャロルに得意のスピードを見せろというニーナ・アントークが無謀としかいいようがないのだ。
「ああ、こりゃダメだ。完全に目ぇ回してやがる」
気絶したニーナ・アントークの様子を見たシャーニッドはそう言って首を振った。
「これで一年に二敗か。またまた荒れそうだな、うちの隊長は」
「……すみません」
「キャロルちゃんが謝ることじゃないな。全力でかかってこいっていったのはニーナで、しかもニーナは変に余裕かまして構えてすらいなかった。事前にスピードに優れていると聞いていたのにだ。これは完全にニーナの油断が招いたことでキャロルちゃんが悪いわけじゃない」
シャーニッドはそうキャロルに優しい目を向けた。
「まぁ、気にするな。うちの隊長はこう見えてそう悪い人間じゃない。別に根に持ったりはしないさ……まぁ、例外はあるみたいだけどな」
後半少し困ったような口調になった。
レイフォンが毅然と自己主張する。
「僕は少なくともツェルニや隊長たちには悪い事はしていませんよ」
「わかってるさ。おまえさんを責められるとしたらグレンダンの連中だけだ。おまえさんがやらかしたのはグレンダンでであってツェルニではない。それにおまえさんの事情も聞けばそう責められないしな」
シャーニッドは聞いていたとおりレイフォンの過去をあまり気にしていないようだった。むしろ同情的にさえ見えた。
「こんな学園都市に放り出されるような武芸者が品行方正のやつらばかりのはずがない。そのあたりのことがうちの隊長にもわかればいいんだけどな」
「ニーナはちょっと自分にも他人にも厳しいところがあるから」
おずおずとハーレイがニーナを弁護する。
「他人の過去の失敗をいつまでもネチネチと引きずるのは厳しいのではなく単に女々しいだけだと思いますが」
フェリがそう切り捨てるとハーレイは笑って逃げた。
「それにレイフォンは別に罪を犯して逃げてきたわけではありません。きちんとグレンダンで処分を受けた上でツェルニに来たのです。その過去の罪状を持ち出してあれこれ言うのは筋が違うでしょう」
すでに裁かれ罪を清算している人間に、おまえは罪人だと責めるのは間違っているとフェリは主張する。
その主張はきっと正しいとキャロルも思う。
けれどその過去はきっとこれかもレイフォンにつきまとうだろう。
もっとも致命的な罪を犯したわけでもない。
レイフォンの罪は禁止されていた賭け試合に出場したこと。
そしてそれを脅迫してきた相手を試合で殺そうとしたことだろう。
前者に関しては都市によっては賭け試合そのものが違法でない都市もある。キャロルの育ったアスラがそうだ。
後者に関しては公式なレイフォンの罪状にはないことらしい。
あくまでもレイフォンが罪に問われたのは天剣授受者という都市の頂点に位置する武芸者でありながら禁止されている賭け試合に出場していたという一点だけだ。
その罰としてレイフォンは天剣授受者の資格を失っている。
ツェルニに来たのはレイフォンが望んだからであって、別にグレンダンを追放されたわけではないらしい。
それなら望めばグレンダンに帰ることもできるだろう。
レイフォンはツェルニを卒業したらグレンダンに帰ることを望むのだろうか?
人々が一つの事件を忘れるのに六年という年月は十分有効だ。
レイフォンがツェルニを卒業する六年後にはグレンダンではレイフォン・アルセイフの賭け試合の事件など『そんなこともあった』程度で済むかもしれない。
六年後のレイフォン、六年後の自分。
想像しようとしたが、上手く想像できない。
そんなことより生徒会長に頼まれた使命の方が重要かとキャロルはのんきに気を失っている第17小隊隊長の安らかな寝顔を見下ろした。
さて目を覚ました彼女はなにを言いだし、どんな行動をするだろうか?