元踏み台ですが?   作:偶数

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 前回の「アイリス 上」を見て不快な気持ちにさせてしまい、申し訳ございません。


アイリス 中

「時が流れるのは早いものね......」

 

 アイリスは玄史の墓の前でそう小さく言った。時刻は草木も眠る丑三つ時、普通の人間なら怯えて来れないような墓場に一人で来ていた。彼女は溜息を一つ吐き出し、冷たい墓石に小さな手の平で触れた。冷たい。手が冷たいだけではない、心まで冷たくなる。もう一度溜息を吐いた。

 アイリスはわかっていた、龍崎玄史の死がカズトの今後にどう影響するのか、彼は普通の人間より臆病で不器用にしか物事を伝えられない節がある。だから、彼は果実のように触れたらすぐに悪くなるように繊細だ。だが、そんな不器用な彼にも父親という拠り所があった。だが、父親の死は少年の拠り所を奪い去り、破滅への道を背中に剣を突き付けられながら歩まされている。

 現状、父親という拠り所をアイリスが代行している。普段なら強く当たる彼女も、玄史が死んで以降は出来る限りカズトを励まし、今までのように振る舞えるように繕って来た。だが、あと数年だ、この龍崎一人という心の弱い少年と生活できるのは......

 強い力を持つ彼女ならあのマットサイエンティスト女から逃げることが可能だ、でも、カズトはどうだ? 確かにカズトはある程度の実力と自信を付けている。だが、訓練された何十人もの魔導師と戦って勝利できるほどの実力はまだついていない。もし、自分が逃げて、カズトが死んでしまったら本末転倒、最も達成しなければならない目的、カズトを殺さない、せめて人間らしい一生を送ってもらいたい、そんなことさえ叶わなくなる。

 

「どうすればいいのよ......」

 

 カズトに死んで欲しくない、でも、自分が消えればカズトは壊れてしまう。死ぬか、壊れるか、天秤にかけても同じ重さ、どちらを取ろうとも龍崎一人の道は暗いものばかり、懐中電灯程の光すら射していない。そして、彼女、アイリスの道にも光など照っていない。あるのは、底なし沼のような闇、大切な何かを奪い去ろうとする悪意。耐えられなかった。愛した人によく似た少年、息子のように愛しい少年、すぐに壊れてしまう少年――

 

「――助けて......お願い......私じゃ無理なの、助けられないの......どんなに愛しくても、一人前にしたくても、私にはもう無理なの......助けてよ、誰でもいい、デイヴィットでもいい、あの子を助けて、お願い......命を捧げてもいい、四脚を捥がれても構わない、人間だった頃のように悲惨な末路を辿ってもいい......助けてあげて、お願いよ、カズトを――助けられる人」

 

 誰かに願うしかない、他力本願と笑いたければ笑え! だが、彼女には縋る物が無い、縄も、糸も、藁も、これはカズトも同じ、彼女と彼は同じ心境にいる、心境にいるからこそ、互いに互いを守り合おうとする何かが発生しるのだ。だが、あと数年、彼女が少年の隣で笑っていれるのは人生という短い流れの中のほんの一瞬、だが、少年の心を培うには、最も重要な時期、隣にいなければならないと誰よりも理解している。隣で励ましてあげなければならないと死ぬほどわかっている。母親のように愛を注ぎ、経験を伝えなければならないと知っている! だが......彼女に、彼女にはそれがもう出来ないのだ......

 

「助けてよ......何で誰も助けてくれないのよ......悲劇のヒロインなんてなりたくない! 神様がいるなら――ハッピーエンドにしなさいよ......」

 

 月の光が彼女の瞳から流れる涙を輝かせる。こんな悲しい涙を見たことがない、この涙には深い悲しみが染み出ているのだろうかと錯覚させるようなそんな冷たい涙、こんな満月の夜には、その冷たさがより一層増す。もし、神様という存在がいるとするならば、とても冷徹で、自分の気に入った人間にしか幸福を与えないような偏屈な存在なのだろう.....

 

 ◇◆◇◆

 

 カズトは泣いていた、悔しそうな顔ではなく、悲しそうな顔ではなく、無気力な顔で泣いていた。まるで人形が涙を流すように、瞬きもせず、呼吸も疎かにして彼は涙を流していた。アイリスはこのことを恐れていたのだ。この少年が人一倍繊細で、多少のダメージでも致命傷になりかねないということを理解している。だからこそ、自分が恋心抱いた相手が敵だと思っていた人間に心を開いたことに怒りより虚しさを感じたのだろう。

 

「なに泣いてるのよ......男の子でしょ......」

 

 アイリスは強い言葉とは裏腹にカズトの癖のある髪の毛を撫でる。少年はようやく無気力ではなく、心底悔しそうな顔で涙を流した。彼女は無表情よりはましだと胸を撫で下ろし、母親のように少年をあやし続ける。

 

「......夢を見たんだ」

 

 カズトはアイリスに慰められながら、自分が見た夢の話を語りはじめる。

 夢の中では、自分は自分でなくなっていて、自分とよく似た人間になってた。体中を鎖で縛られて中世の貴族のような格好をした男達に――

 

『何がミットチルダに復興の支援を要求し、彼らがとっている民主主義の世界にしようだと? 笑わせるな!! 王国主義がこの世界で最も優良な統治の仕組み、貴様のような思想の持主がいるからこそ、この世界が乱れるのだ。確かに――は我が国の国民を無差別に殺害した、が、おまえのような思想家の方が多くの人間を殺す。貴様の兄は国民を殺したが、国民を守る意思を持っている。ミットチルダの民主主義かぶれの貴様に国民を守る意思などない、逆に国民を殺す可能性がある。だから――兄の代わりに死ね』

 

 そして、殺された。

 その次は大人になった自分が知らない場所で最初に殺された人間のように拘束され、人々に石を投げられながら処刑場まで移動される。でも、自分は誰も殺していないし、何も悪いことをしていない、悪いことをしたのは自分とは違う他の誰か、その罪を冤罪を自分は被せられた。だが、途中で父さんの声が聞こえて――

 

『カズト、おまえが何故死ぬ必要がある? おまえが他人の罪を被る必要などない。おまえは自分の正義を貫き通し、他人を救って来た。そして最後は――達の幸せの為に冤罪で死ぬ、それは愚かだ。カズト、人間は他人の為に生きなければならない生き物だ。だが――自分の為に生きなければならない生き物でもあるんだ。カズト! 私の最愛の息子......生きてくれ!』

 

 拘束具を引き千切り、護衛の魔導師からデバイスを奪い取り、出来る限り遠くへ逃げた。逃げて、逃げて、逃げて、自分以外の誰かが犯した罪を指摘してくれる誰かが現れるまで逃げ続けた。そして――近藤が自分を殺しに来た。そこで夢は終わったらしい。

 アイリスはゾッとした、最初の夢はソリチュードが殺された夢、その次は――カズトが経験するであろう未来の夢......

 ソリチュードは思想家だった。時代遅れの王国主義を貫く世界にミットチルダのような民衆が主権を握り、権力が集中しにくい民主主義が王国主義よりも優れた統治の仕組みだと考えていた。だが、時の政治家達は自分達が甘い蜜を舐める為に古い王国主義をやめることをしなかった。ソリチュードはそれが我慢ならなかった、貴族や王族の汚職で死んでしまった人間がいる、貴族や王族の汚職で痩せこけた子供達がいる、貴族や王族の汚職で壊れた文化がある。ソリチュードは国と戦うために兵を用意していた、民主主義を夢見る、国を思う愛国者達が彼の意思に賛同し、彼の隣で夢を見たのだ。ソリチュード達は異世界からの侵略者を撃退した後に城に一揆を仕掛けようと提案した。弱り切った王国を潰すには、この機会が好機だと踏んだからである。――だが、奴が暴走した。自分の兄が......

 デイヴィットが無差別に人間を殺すようになったという情報は直ぐに耳に入って来た、ソリチュードはいくら頭の可笑しい兄でも、同胞を殺す程のことはしない、その情報に耳を疑った。が、現実は残酷であり、それはまごうことなき真実、ソリチュードは兄を止めるために兵と共にデイヴィットがいる地方に馬を走らせた。

 多くの夢を見た兵士が死んだ、

 多くの夢を見た兵士が傷付いた、

 多くの夢を見た人間達が死んでしまった......

 ソリチュードは兄を拘束し、たった一人で王城へと運び込んだ。彼は兄が殺した人々の骸を見た、歳いかない子供、子供を身ごもった妊婦、抵抗などできない老人、そのすべてが殺されていた。彼はこの死んだ人々の魂を慰めるには、デイヴィットを正当な形で裁き、死刑にしなければならないと思った。だが、政治家はソリチュードが思想家であるということを知っており、弱ったソリチュードを拘束し、兄の代わりに殺した。

 そして、龍崎一人も――ソリチュードのように殺される、または殺されそうになる。

 アイリスの心の中に恐怖が巡った。




 ようやくスランプから抜けられそうな気がする。

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