『こんにちは、しねぇ!』
モニターに映された少女からその言葉が発せられたときになって僕、クロノ・ハラオウンは漸く呆然とした状態から戻って来られた。顎が痛い。あまりに長く口を開けたせいで外れたのではないかと思うくらいだ。
その痛みが、モニターの映像を事実だと知らせてくる。
死んでいたはずの少女に一つのジュエルシードが吸いこまれて行き、入れられていた容器の中で暴れ出したこと。モニターの先で動いている女の子は、数十年前に死んだはずのアリシア・テスタロッサだという現実。
「あれって、生き返ったりしてるのかな……?」
アースラ所属のオペレーター、エイミィが信じられないように呟いた。縋るようにこちらを見るが、僕に聞かないで欲しい。僕だって目の前の出来事の何一つとして信じられないのだから。
でも、一つ判ることがある。死んだ人は絶対に生き返ったりしない。生き返ったりすることはない、ということ。
もし生き返ったりするのなら、多くの人間がその可能性に賭けるだろうか。親しかった人を取り戻すために、全てを投げ打つ人は後を立たないだろう。
しかし、例え誰であっても失った未来を取り戻すことはできない。過去に一例もなく、今後もそんなことは起こり得ない。死は誰にも理不尽に訪れる。今を精一杯生きて行くことが人の営みである限り。
だからアレはアリシアじゃない。ロストロギア、ジュエルシードに取り憑かれた紛い物だ。
「エイミィ、アリシアの身体から何か反応は?」
「待って、直ぐに調べる――出たよ! でもこれ……」
「だいたい予想はしている。驚きはしない」
「ジュエルシードの反応が出てる。つまり、アリシアちゃんは――」
今や生体ロストロギア(仮称) と呼んで差し支えない状態だ。
おそらく、プレシア・テスタロッサの強い願いが原因だろう。願いを捻じ曲げて叶えていたジュエルシードが何故今になって正確に叶えたのかは解らないが、現に取り憑かれてしまっている。
それだけに、あのアリシアが何をしだすか予想がつかない。たった一つのジュエルシードでも簡単に次元震が起こせてしまうのは、海鳴り市で既に実証済みだ。もしあれが暴走しだすなんてことになれば……そう考えると、足が竦む。
それに加え、今は僕らと同じ人間の肉体まで持っている。アリシアと言う仮の器を。解析不能の古代遺失物が、知能を持って災厄を撒く結果を生む可能性すらある。
現時点で僕が言えることは、いま止めなければどのような被害を生むか想像すらできないということだけ。
「クロノ君、アリシアちゃんを助けてあげられないかな?」
「エイミィ? アレはアリシアじゃない、ロストロギアだ。助ける云々の話じゃない」
「分かってるよ。でもアリシアちゃんだって、好きでロストロギアに取り憑かれたんじゃないと思うの。深い眠りから無理矢理起こされて、体をいいようにされて……苦しんでいると思うんだ」
……優しいんだな、エイミィは。
僕にはそんなこと考えられなかった。アリシアをどうやって封印するか、最悪なのはやユーノを危険に晒す嵌めになることを覚悟しなければ駄目かもしれないなどと、執務官としての責務しか考えていなかった。
でも、彼女のおかげで少しは心に余裕ができた。無理矢理封印処理をするんじゃない。ロストロギアとはいえ、アリシアの身体だ。残っているかもしれないアリシアの残留思念に賭けてみるのも悪くない。そう思えた。
「じゃあ後は任せる。エイミィの言う通り、女の子を助けてくる」
「下手を打ったら承知しないよ! あと、絶対に無茶はしないで!」
「執務官は伊達じゃないさ。行ってくる!」
待ってろ、すぐに君を解放する。
◇
すってんコロリ、すってんコロリ。産まれたての小鹿のように震える足に力を入れるたび、尻餅をつく醜態を晒す。七転び八起きを実践するも、得られる結果は七転八倒。つるつるのお尻に傷が付くことなど、今では気にすることではなくなった。
「ああ、アリシア、まだ無理しては駄目。貴女はずっと眠っていて、簡単には立てないはずだわ」
(うぉぉ立てない、立てないぞ!? 動け俺の体!)
(わたしのだって!)
(立ち上がれ俺の体! このっ、何故立ち上がれない!?)
(だからわたしの――うわ、こけるこける!?)
「ぃて……」
「あぁ!? アリシア、お願いだから無理しないで!」
畜生、また尻もちついたじゃないか。そして五月蠅いぞババア。どうでもいいからとりあえず殴らせろ。あと、立てないから近くに来てくれると助かる。その方が殴りやすい。
しかし、どうして上がれないんだ? 体の感覚を忘れたからか? アリシアの体だからか? 他人の体の主導権を俺が握っているからか? いや、手はしっかりとにぎにぎ出来るんだ。まだ馴染んでいないだけなんだろう。だが……
「いてっ」
こてん、なんて擬音が似合うように転ぶ。おいおい、頼むからしっかり立ってくれ。
「アリシア……そうね、貴女は頑張り屋さんだったものね。貴女がそこまで頑張るのなら、お母さんはここで見守らせて貰うわね?」
(ド畜生、ババアに見守られても嬉しくもなんともないぞ! この細い脚め、ちょっとは言うこと聞け!)
(もしかして、ゴンベエって運動音痴なんじゃ……? あ、そう言えば運動音痴の略称って知ってる? ウンチなんだよ! ゴンベエのウンチ!)
(だったらお前が実演してみろ。絶対に立てないから)
(あ、いいの? わたし立つよ? 立っちゃうよ?)
(喧しい。早く変われ)
感覚的には席を譲る感じでアリシアにバトンタッチ。イェーイ! なんてハイタッチをして行きやがったぞこの幼女。
……ふん、だが良い気になるのもそこまでだ。人間は産まれたての馬じゃないんだ、短時間の間に立ち上がることなんて出来るわけがない。
「……立てた! 立てたよゴンb、じゃなくてお母さん!」
「あぁ…あぁッ! 頑張ったわねアリシア! 偉い、本当に偉い子!!」
(立ったよ?)
(……)
(ねぇねぇ、今どんな気持ち? 幼女幼女って馬鹿にしてた相手に絶対に無理だなんて言った挙句、簡単に立たれたゴンベエさんって今どんな気持ちなのかなぁ?)
(……)
(ゴンベエって気合いが足りないんじゃないかな? だってわたし、簡単に立っちゃったから。あ、ごめんね? ゴンベエのプライド傷つけるような真似しちゃって。わたし、31なのに大人げなかったよね? でもゴンベエは今どんな気持ちなの? それだけでもお姉さんに教えてよ。ねぇねぇ、今どんな気持ち?)
(……)
(NDK! NDK!)
(チェーーーーーーーーーンジ! 俺!)
(ちょ待っ———)
黙ってろ席を譲れこのクソ幼女。可愛くない可愛くない、本当に可愛くない奴だなお前は。
俺がちょ〜っとだけ産まれたての小鹿の真似をしたのを本気にしやがって。天下無敵で最強の俺が本当に立てなかったとでも思っていたのか? だとしたらお前の頭は鳥頭だ。脳味噌の軽い鳥頭だッ! 妬むぞ、嫉妬するぞ、デレが一つもないツンヤンになるぞ? ああもう、俺に出来ない事がお前に出来るのは何か腹が立つ。理屈抜きで腹が立ってくるぞアリシア・テスタロッサ!
「ナグラセロ!」
(なんつーか細い声。本当に飯食ってたのかよ?)
(当たり前じゃん! ほら、いい子だから主導権返してよ)
(お前に返したらババアを殴れないだろうが)
殴れるチャンスなんて今しかないんだぞ? このババアはお前が生き返ったことに歓喜しているようだが、いずれ異物である俺が混じっていることに気付くだろう。そうなったら最悪の場合、俺達二人ともがアリシアに取り憑いた紛い物の認定を受けて、雷でポンされるかもしれないんだぞ。
(あり得そうで怖いよ。今度こそ死ぬ? あ、もう死んだから今度こそ滅却されるって言うべきなのかな?)
……おい、なに勝手に人の思考の中に入って来てやがる。むしろどうやって入って来た?
(え? この身体に入った後にちょいちょい~って。わたしの思考も読めるんじゃないの?)
おいおい、そんな人の心が読めるなんてことが——『体返して欲しいな〜』 …マジかシャットアウトだ。思考が読まれるなんてやってられるか。
(とりあえず殴るぞ。近づいたら右ストレートでノックアウトだ)
(一発だよ? 一発だけだよ?)
「とりあえず服を着ましょうアリシア。安心して、貴女の服もちゃんと残してあるの」
プレシアが手を翳すと、何処からともなく可愛い服が飛んできた。フリフリのワンピースだ。何だアレ、男の俺にスカートもどきを穿けと言っているのか?
(わたし女の子だってば!)
(この番号は現在使われておりません)
あーだこーだと喧しい。今は服を持って近づいてくるババアを注視することの方が先決だ。
そうだ、近づいて来い。ステンバーイ、ステンバーイ……粗ぶるなよ俺の右手。手渡しするために膝を曲げるであろうその瞬間を狙うんだ。目標は厚化粧でコーティングされた顔。武器は頼りなさそうに見える細腕。
「はい、アリシア。一人で着れる?」
「お前を殴るッ!」
思い通りに動かん体は動くように気合を入れる! 思いっきり振りかぶった拳が、ババアの右頬に突き刺さるッ!
――ぺち
「あら……? アリシア、やっぱりまだ慣れてないのね。ふふふ、着せてあげましょうか?」
「――――oh」
(貧弱ぅ! この身体は貧弱過ぎる!)
(そう言われると照れるよ〜)
(乏してんだよ! 馬鹿にしてるんだよ! 何をどう勘違いしたら照れるんだよ!?)
(わたしってか弱い乙女なんだね〜、なんて思って)
(どこがだ!? 5歳児の幼女が、無駄に頭でっかちな31歳になっただけじゃねえか!?)
(少なくともゴンベエよりは賢いよ?)
(お前ふざけてるんだよな? そうなんだよな?)
(そんなことないよねぇ? じゃあ悪いけど、ここからはわたしの番。代わって貰うよ?)
(……非常に癪だが一発は一発だ。仕様が無いから代わってやる)
(うん、ありがと)
後ろに引くイメージでアリシアに体の主導権を渡す。互いに思考を読まれないように繋がりを遮断しているが、そんなもの無くても今のコイツの気持ちは分かる。
自分のせいでフェイトが傷ついたことが辛くて、プレシアを狂わせたことが苦しくて、でも大好きな母親と話せることが嬉しくて。アリシア自身、自分の感情を持て余しているのだろう。
「お母さん……」
「どうしたの? 服、気に入らなかったかしら? 貴女が一番好きだったものを持って来たのだけれど……」
「ううん、違うよ。フェイトの……わたしの妹のことだよ」
さて、じゃあ見せて貰おうか。お前の言う通りプレシアが優しかったのなら、優しさがまだ残っているのなら、お前の言葉を受け入れてくれるだろう。
でもお前は気付いてない。いや、気付かないフリをしているだけなのかもしれない。
(お前が生き返ったことで、プレシアは本当にフェイトのことが用済みになったんだ)
もう、どうにもなんねえよ。
・クロノ執務官
若干熱血男。
・ステンバーイ、ステンバーイ
マクラミン大尉との観覧車デートは死亡フラグのオンパレードでした
・総評
この幼女まだマッパです