アカネがロロナから再び錬金術を習うようになってから三日目、クーデリアは親友のアトリエへと向かっていた。
口の端がゆるんでいるあたり、出かける約束でもしていたのであろう。
「……あいつの事だからどうせまた待たされるんでしょうね」
アトリエの扉の前まで来て、彼女は呆れるようにそう呟いた。
そんなことを言わるのも、ロロナがいつも消化しきれない仕事を取っているせいなので自業自得としか言えない。
クーデリアはゆるんでいる顔を引き締めて、アトリエの扉を開いた。
「邪魔するわよー」
「わー、くーでりあさん。いらっしゃいませー」
「…………は?」
彼女を迎え入れたのは、親友の聞き慣れた声でもなく、その一番弟子の優しげな声でもなく、バカ一号の騒がしい声でもなかった。
そこには黒色の猫の耳ローブ姿のアカネが立っていた。
「ぷに~」
「……なるほど、またなのね」
シロの申し訳なさそうな顔と声で、アカネに何があったのか察したのだろう。
クーデリアは痛い子を見る目でアカネを見て、小さくロロナに聞こえないように呟いた。
「何でまたこいつはロロナに頼んで見たのかしらね」
「えへへー、そんなに見ないでくださいよー、はずかしいですー」
いやんいやんと手を頬に当ててクネクネと。
「……ロロナ、準備できてるなら早く出かけましょう」
猫耳付けた二十歳の男が頬を赤らめる姿にさすがのクーデリアでも、鳥肌を禁じえなかったようで、いち早くこの場所から去りたいようだ。
「うん、それじゃあアカネ君留守番よろしくねー」
「はーい、いってらっしゃいですー」
「ぷに~」
早足でクーデリアはアトリエから立ち去り、ロロナに関してはアカネに対して何の疑問も持っていないようでいつも通りである。
シロは自分の相棒のそんな様子を悲しげに見守ることしかできなかった。
「…………ぷに~」
アカネがこうなってすぐに、前回同様の処置。体当たりを放ったのだが、あれから歳を重ねて若干頑丈になったアカネを戻すことは出来なかったのだ。
「どうしたんだ~? ほらほら、錬金術の勉強をするぞ~」
「ぷに」
…………
……
「ったく、前は酷いもん見たわ」
アレから四日、クーデリアは再びアトリエを訪れようとしていた。
口ではこう言っているが、アカネの事が心配なのだろう……。
「あの格好でギルドに来られたら、たまったもんじゃないわよ」
……心配ではなく、不安感に駆られての行動のようだ。
確かに自分の仕事場にいきなりクリーチャーが来るかもしれないなんて思ったら気が気ではないだろう。
「アカネー、いるー?」
クーデリアは目を瞑りながらアトリエの中に入った。
まるでお化け屋敷に入る一人の少女のようだが、中にはマジ物の恐怖が待ち構えている。
「あ、クーデリアさんじゃないですか。どうもこんにちは」
「あ、あら?」
声を聞いて恐る恐る目を開けてみると、そこにはソファに座って本を読んでいるアカネの姿があった。
服装は何故か、ロロナ自作の改造執事服を着ていたがいたっていつも通りに見えた。
「なんだ戻ってたのね。よかったよかった」
「……ぷに~」
クーデリアが笑いながら、頷いているとシロが沈んだような声で鳴いた。
「ん? どうしたのよ?」
「ぷに~」
「クーデリアさん、お茶でも飲みますか? ちょうどお昼作ろうと思ってたところなんでご馳走しますよ。遠慮しないでくださいね。いつもお世話になってますから」
「…………」
クーデリアは自分の耳がおかしくなったのではと思い、軽く首を曲げてから深呼吸をした。
言動はいつもよりおとなしい、むしろ真面目だ。しかもその表情がやたらと爽やかだ。
十人いたら三,四人はカッコいいと思うだろう程に爽やかだ。
「ちなみに今日の昼はパンです。イクセルさんに比べればまだまだ未熟ですけど……。」
「うわ……」
前は完全にネジがゆるまった状態だったが、今は逆に一周してネジが締まりすぎているようだ。
「と、ところでロロナはいないのかしら?」
「あ、はい……。実は逃げられちゃいまして……」
「に、逃げられた? いったい何やらかしたのよ?」
親友に何があったのかと、クーデリアは若干顔をこわばらせてそう尋ねた。
「実は、気づいちゃったんです。実践だけやっていても何の意味もないって、だからこの本の内容を理論的に解説してくださいって頼んだんですよ」
「へ、へえ……」
クーデリアはその時のロロナの顔を思い浮かべて、何とも言えない顔つきになった。
「ここがわからないとか、どうしてそうなるのかとか、もっとわかりやすくとか言ってたら……涙目でごめんなさい! って言って出てっちゃったんです……」
「な、なるほど……」
これがアカネが無神経な事を言って親友を泣かせたのなら、例え変なアカネだとしても怒っていただろう。
だが、内容が内容だったので全面的にアカネが悪いとも言えず、自然と困ったような顔つきになっていった。
「わかったわ、私はロロナのこと慰めに行くから、お昼はまた今度頼むわ」
「はい。また是非いらしてくださいね」
「…………」
アトリエから出て、その時彼女は、しばらく来ない方がいいかなと思った訳で。
「よし、それじゃあお昼ご飯を……」
「ぷにに!」
「ん? どうしたんですか?」
「…………ぷに~」
シロは思わず気持ち悪いと思った。むしろここ最近は自分の相棒にそんな感情しか抱いていない。
この状態になってから師匠の指導もまともに受けていないのに一向に快方に向かわない。
もしかしたら一生このままなんじゃという思考が頭をよぎってしまう。
「あれ? そういえば、今日って何か用事があったような気がします」
「ぷに?」
「確か、ハゲルさん達に誘われてたんでしたっけ?」
「ぷに~」
ぷには改めてこのアカネは違うと思った。
呼称がハゲルさんになっているし、何よりイベント関係をアカネが忘れるはずがない。
「予定時間には遅れてしまいますが、今から行って来ます。留守番は頼みましたよ」
「ぷにに」
アカネは袖のフリルをひらひらさせながら、アトリエの外に出ていった。
言葉遣いが丁寧なせいか、改造執事服が似合っているようにぷにの目には映ってしまった。
…………
……
アカネが食堂の中に入ると、奥のテーブルにハゲルさんとマークさんが座っており、間にトトリちゃんが立っていた。
「トトリちゃん?」
「あ、アカネさん! ちょ、ちょうどいいところに来てくれました!」
こんなアカネに助けを求める辺り、トトリちゃんも本気で困っていたのだろう。
「おう、兄ちゃんじゃねえか! 遅かったな!」
「まったくですよ! もっと時間に正確に来た方がいいと思うよ」
「は、はあ。申し訳ありません」
顔が完全に真っ赤の二人にアカネも若干引き気味の様子だった。
「それで、どうしてトトリちゃんがここに居るんですか?」
「お店の外から二人の声が聞こえて、どうしたのかなって思って入ったら捕まっちゃったんです……」
「な、なるほどわかりました」
コクコクと、手を顎に当て頷く、そんな動作も今のアカネだと様になっているようすら感じられる。
「なあ兄ちゃん? そのみょうちくりんなしゃべり方は何だよ?」
「ハゲさんハゲさん、これはきっと彼のいつもの思いつきですよ」
「ああ、なるほどな! 少し驚いちまったぜ」
この飲み会で何があったのか、二人は異常に仲良くなっているようだ。
そしてアカネのこの状態への解釈が何気に酷い。
「と、というか、お二人は大人としての自覚が欠けてるんじゃないですか、いくら酔ってるからって子供に絡むなんて」
「他人への絡み方で言うなら君の方がよっぽど酷いんじゃないかい?」
「なっ!?」
心外な、その言葉も続かないほどに驚愕するアカネ、彼にとって過去の記憶はどのように処理されているのだろうか。
「そうだよなあ、俺は噂に聞くくらいだけどよお、それでも兄ちゃんは酷いと思うぜ」
「…………」
酔っ払いのターゲットにされたアカネは諦めたように溜息をついて、その言葉に耳を傾けた。
それから続く事数十分もの間アカネに対する不平不満が垂れ流されていく、トトリちゃんはいつの間にか逃げ出していた。
「つまり、君はもっと世間からの評判を考えた行動をだねえ……」
「…………」
表面的に真面目で爽やかなアカネだが、彼にも一応我慢の限界という物がある。
そして今の彼にはおとなしい奴がキレると怖い理論が当てはまったり……。
「…………っ!」
アカネのテーブルを叩く音が響き渡った。
店に水を打ったような静寂が訪れる。
「黙って聞いていれば二人とも好きに言ってくれるじゃないですか」
「あ、あれ? アカネ君もしかして怒ってたり?」
「別に怒ってないです、イラッときてるだけです。酒の席は無礼講と言っても俺は酒飲んでないんでノーカンですよね?」
「に、兄ちゃん。んな怒んなくてもよ」
「いいですか、お二人とも。まず二人には自重という言葉をですねえ……」
…………
……
「ガーッデム!」
その叫びを耳に響かせながら、俺は状態を思いっきり起こした。
「ぷに!?」
「は! すごい場面で戻って来ちゃったな俺!」
「ぷに」
ぷにの電撃体当たりを食らって目を覚ました俺の第一声がそれだった。
「つかまだ一週間分しか再生してないって、途中で録画途切れちゃってるよ」
ちょっとこのレコーダー録画時間短すぎるって、ポンコツだな。
「ぷに」
「まあ、だいたい分かった。俺はアッパラパーから紳士的でクールなアカネになったってことか」
「ぷに!」
俺としてはアッパラパーの方の記憶は永遠に封印しておきたいな。
思い出さない方がいい事もこの世の中にはある。
「つまりハゲルさんの余所余所しい態度はそういうことで、ステルクさんの反応はいったい……」
「ぷに~」
「まあどうせ良い子ちゃんになった俺が街で良い事をしまくって、ステルクさんが気持ち悪がったみたいなことだろ」
自分で言っておいてそれは酷いだろうと思った。今度事実を聞いておこう。
「ぷに!」
「当たりかよ!?」
これは酷い、俺だって良い事の一つや二つやっている、やっている……はず!
「クックック、謎はすべて解けた!」
「……ぷに」
「え? 何、まだあるの?」
「ぷに~」
俺が思い出さなくちゃいけない事はまだあるそうです。
ただ脳内ハードディスクが壊れてるんで、無理再生不可能。
「とりあえず、トトリちゃんはどうしたんだ?」
「ぷにに~」
「帰ったのか、んじゃ師匠は?」
一週間目であれだったんだ、師匠は一体どうしてしまったんだろう。
「ぷに~」
「その内帰ってくるのか? んじゃ……そういやどうやって俺に戻ったんだ?」
「ぷに……」
ぷにがこいつバカだなみたいな目で見てきた。
記憶ないからしょうがないじゃない!
「ぷに」
「ん、外?」
外を見てみると、雨が降っていた。
「ぷに~」
「机にドナーストーン……は!」
俺の脳内で点と点が線になった。
「真面目アカネ君は実はMで、わざわざ雨に濡れてからドナーストーンを触り電気ショックの快感を味わおうとした! どうだ!」
「ぷにぺっ!」
「ぐわっ!?」
顔に向かって唾を吐きかけられた。
点と点がでっかい点になっていただけのようです。
「まあ、つまり俺が記憶戻したのと同じ方法でってことな」
「ぷに!」
「おーけー、んじゃ記憶戻ったところでオチをお願いします。ぷに先生」
とりあえず、この惨状に一区切りがほしくなった。
「……ぷに」
俺が無茶振りをすると、ぷにはアルバムを持ってきた。一体なんぞ?
「これは俺のお宝猫耳アルバムじゃないか、これがどうかしたのか?」
「…………ぷに」
「――――なっ!?」
ぷにが一ページ目を開くと、そこにあったはずの写真が消えていた。
そして何故ないか、こんな事問うまでもない。
「……これが、これが俺のやる事かよおおお!! これだから真面目な奴はっ!」
「ぷに」
「いやや、こんなオチ! あれだろ! ここで実は回収しときましたみたいな!」
「…………」
「なんか……言ってくれよ」
膝をついた。壊れた、俺の中の決定的な何か、心が、魂が、情熱が。この抜け殻となった身から溢れだすモノと言えば、熱い涙だけだった。
「ぷに」
「こんなオチ……全米が泣くぞ……映画化決定するぞ……ロスト・ア・マンツだよ」
失われたのは一ヶ月だけじゃない、同時にもっと大切な思い出をも失ってしまったんだ。