「……死ぬ。いや、殺される」
俺は地べたを這いずりながら宿屋の部屋に入った。
窓から差し込む僅かな日の光を浴びながら、ベッドの方に這って行く。
「…………うう」
力を振り絞りベッドによじ登ったはいいものの、なかなか寝付けない。
イクセルさんの殺人料理講座に耐えるためにコーヒー飲みすぎた……。
「……なんでこんなことに」
寝付けないからか、俺は自然と今日までの事を思い起こしていた。
「…………」
「あの? お味の方は?」
俺が課題であった料理二つを渡し味見されてから数分、イクセルさんは何故か黙りこくっていた。
やはりトトリちゃんに負けたことがショックだったのだろうか。
「…………決めた」
「へ?」
ぼそりとイクセルさんが何かを言った。
歴戦の俺の感が逃げろと告げている。絶対ロクな事が起こらない、断言できる。
「す、すいません。ちょっと「お前とトトリで料理対決をやる!」……ぉぅ」
ガッツポーズで妄言を吐きだすイクセルさん。人との縁の切り方を本気で考えたくなった。
「どうだ? 名案だろ?」
「えっと……」
「なんだよ、なんか不満でもあるのか?」
当り前やん。何でそんな断らないと信じきった顔をしてるんだよ、どっからその自信がわいてくるんだよ。
「とりあえず……。その考えに至った理由を話してほしいです」
「ふっふっふ、やっぱり聞きたいか」
「ええとても…………とっとと話せや」
聞こえない程度にぼそりと本音を加えておく。
この状態のイクセルさんには敬語使わなくていい気がしてきた。
「聞いてると思うが、俺はさっきトトリに負けた。だから俺は考えたんだよ、どうやったら勝てるかってな」
「それって料理の修業すればいいだけじゃ……」
論破完了。これで帰れたらいいのにな。
「何を当り前のこと言ってんだよ?」
「…………」
トトリちゃんはこんなのを俺みたいって言ったのかよ、俺こんなにうざくないよ。
「そうやって勝つことも考えたさ。ただ、ふと思ったんだよ」
思わなくていいっす。負けてからのこの数十分でどこまで考え込んでたんだよ。
「一度負けてからのライバルとの再戦で、そんな普通に勝っていいのかってな」
「いいとお「よくない! そう思うだろ!?」……はい」
俺は何故ここにきてしまったのか、タイムマシンがほしい、切実に。
「そうだろそうだろ。俺の弟子であるお前を鍛えて、ロロナの弟子のトトリを倒す。燃える展開じゃないか!」
なんというバトル漫画脳。とりあえず最大のツッコミどころにアタックだ。
「ちょっと待ってください。俺ロロナ師匠の弟子なんですけど?」
「料理だったら違うだろ? お前は料理道具でトトリは錬金術使うんだから」
「で、でもトトリちゃんもイクセルさんの弟子じゃないですか!」
「いや、弟子っつってもレシピと材料教えただけだからな……。その点お前はちゃんと一から教えてるだろ?」
ダメだ全然話が通じない。
トトリちゃん、絡まれてたの見捨ててごめん。これはキツイわ。
こうなったらダメ元でいろいろ聞いてみるか。
「……俺がトトリちゃんに勝ってイクセルさんは満足何ですか?」
「お前が勝てば俺が勝ったも同然だろ?……それに師匠を超えたと慢心した弟子を倒す。王道じゃねえか!」
ダメだなこれ、何個か質問するまでもない。絶対に折れないよこの人。
こうなったら、別の方向から……。
「俺が勝負に出た場合って何かもらえたりするんですか?」
「ん ?ああ、そういや考えてなかったな」
「言っておきますけど、俺はレシピや食材セットじゃなびきませんよ」
これを封じられれば打つ手はないはず! 勝利! 圧倒的勝利!
「他にお前がほしそうな物っつーと、昔のロロナの写真ぐらいしか……」
「イクセルさん。俺がその程度で動くと思ってるんですか?まったく……」
「じゃあなんでエプロン着けてんだ?」
「はっ!?」
くっ! 止まれ俺! 俺は師匠の写真程度では動かないんだ!
「しょ、勝利、勝利したら何をもらえるんですか?」
逃げる、この一手、この一手で逃げ切る! 脱出! 脱出だ!
「そうだな……。そっち系だと昔アストリッドさん。ああと、ロロナの師匠から押し付けられた若干際どい写真が……」
「イクセルさん! 一番テーブルのお客さんがお待ちですよ! 早く仕事を終わらせて料理修業といきましょう!」
「……お前って単純だよな」
なんでそこで冷めるんだよ。なんか恥ずかしくなってきちゃうだろ。
「…………俺、泣いてるのか?」
ふと気付くと目元から一筋の涙が零れ落ちていた。
浅はかだった数週間前の俺、悪魔の誘惑に負けた弱い俺。
あそこではっきりと断っていればよかったんだ。
あれ以来毎晩毎晩、鬼のようなイクセルさんの指導。まさに生き地獄状態。
料理対決以前のイクセルさんはどこへ行ったのか。
「……それも、それも明日で終わる」
今日俺はオリジナル料理を完成させイクセルさんに一人前の料理人と認められた。
激しく時間の使い道を間違っているが、明日ついに終わるんだ。
結末は俺の勝利以外にはあり得ない。
「クックック」
…………
……
「トートリちゃーん!」
早朝、俺は扉を派手に開けてアトリエの中に入った。
「アカネ君? トトリちゃんなら出かけてるけど?」
「…………」
扉を閉めて、下がる。
「……ないわー」
「何がですか?」
「…………っ!」
「へ?」
振り返るとそこにはトトリちゃんが疑問符を浮かべて立っていた。
「あのー? アカネさん?」
「と、ととと、ととと!」
「ととと?」
トトリちゃんに料理対決を申し込むと言いたいのだが、うまく言葉にできない。
基本的にトトリちゃんには優しくをモットーに掲げているので、あまりトトリちゃん相手にこういう事やるのは慣れてないんよ。
「と、とと! トトリちゃんに料理対決を申し込む!」
「え、ええー!?」
「今日中に料理を持って来るがいい! それじゃ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
逃げようと思ったんだが、回り込まれた。
俺の罪悪感パラメータがぐんぐん上がってる。
「質問は一つだけでお願いします」
「え? ええと……なんでわたしとアカネさんが勝負しなくちゃいけないんですか?」
ここは偉大なる先人の言葉を借りるとしよう。
「それは! 俺もお前も料理人だからだ!」
「い、イクセルさんと同じ答え……」
「ついでに言うと、勝負に勝ったら豪華爆弾詰め合わせがプレゼントされます」
言うまでもなくメイドインオレ。
「い、いるようないらないような……」
「伝えることは伝えたんで、そんじゃ!」
「あ、待ってくださいよ!」
トトリちゃんの制止の声を背中に浴びつつ、俺はサンライズ食堂へと走った。
…………
……
待つこと数時間、時間はちょうど昼のピークが過ぎた頃、食堂の扉が開いた。
「こんにちはー」
「お、来たな」
食堂の中に入ってきたトトリちゃんをイクセルさんが出迎えた。
俺はその様子を眺めながらカレーを食べていた。もちろん自作。
「うまうま」
「アカネさん、それおいしいんですか?」
トトリちゃんがこっちに来ると微妙な顔をして尋ねてきた。
そりゃカレーなんて食文化こっちにはないからしゃーないね。
「うまいよー、一口食べる?」
「そ、それじゃあ……」
「お前ら! ちょっとは勝負の緊張感持てよ!」
「ええー」
宣戦布告という大仕事を終えた俺としてはグダグダしたい気分なんだけどな。
それに今うまくいけば間接……んんっ! 俺は中学生かっつの。
「ほら、とっとと自分の料理用意しろよ」
「ういーっす」
俺はカウンターの中にある鍋とフライパンに向かった。
「トトリの方は……なんだ、前と同じ料理かよ」
「し、仕方ないじゃないですか。またこんな事になるんて思いませんでしたし」
「ま、それなら審査員をわざわざ変えた甲斐があったってもんだな」
そう言えば前の審査員はちむちゃんだったらしい。
審査員を替えるのはやっぱり二回同じものを食べると評価が変わるからってことだろう。
このフェアプレー精神だけはかっこいい、なんて言うとでも思ったか。
「今回の審査員はこいつだ!」
イクセルさんがそう言うと、食堂の扉が開いた。
「ぷに!」
「し、シロちゃんですか?」
「そうだ。こいつなら公平な審査をしてくれるはずだからな。さっき見かけたのを餌付けしたんだよ」
まあ、確かにぷになら俺のことを助けるために高く評価するなんてことは百パーセントないと断言できる。
「そんじゃあ俺まだ準備中だからトトリちゃん先にお願い」
「は、はい。わかりました」
準備と言っても温め直してるだけなんだけどね。
「そ、それじゃあシロちゃん。はい、召し上がれ」
「ぷに!」
カウンターに乗ったぷにはトトリちゃんからフォークで食べさせてもらって……。
「おい、アカネ? 緊張感を持てとは言ったけどな。そんな人殺しそうな顔しなくてもいいんだぞ?」
「アーン、トトリちゃんからアーン……」
残念ながら今日は毒の持ち合わせがなかった。
まあいい、その内ヤッテやるとしよう。
…………
……
「……よし」
呪詛を吐きつつ、俺は自分の料理を完成させた。
「ぷに!」
「はい、お粗末さま」
「ぷに~」
「ちっ!」
今からでも遅くない。タバスコを一瓶入れれば殺れるはずだ。
「だが、俺には使命がある。ここは我慢しよう! さあ、食うがいい!」
「ぷに?」
俺はカウンターに料理を叩きつけるように置いた。
「その名も! マーボーカレーだ!」
「まーぼーかれー?」
トトリちゃんが全く理解できていないようなので説明するとしよう。
「マーボーカレーとは! マーボー豆腐とカレーを混ぜたものだ!」
「??」
「アカネ、それで説明したつもりなのか?」
「的確すぎるでしょう。さあ食え」
「ぷに」
ぷには犬のように皿に食らいついて食べ始めた。
「ぷに!」
「早っ!?」
一瞬驚いたが、考えてみれば別段驚くことでもない。
さっきみたいに行儀よく一口一口食べさせてもらってた方が異常なのだ。
「よし! それじゃあ審査結果の発表だ!」
「ぷに!」
「は、はい!」
「やっと終わる……」
俺とトトリちゃんは立ち上がり、その間にぷにが入った。
「ぷに~、ぷに~」
ぷにぷに鳴きながら、俺とトトリちゃんを行ったり来たりするぷに。
焦らすなよ、どこぞのクイズ番組の司会者みたいな真似はせんでいいよ。
「ぷに」
「おっ!」
ぷにが俺の横で止まった。
「ぷに? ぷに~」
「…………」
何期待してんのみたいな鳴き声を上げて、ぷにはトトリちゃんの方に向かった。
最近、ぷにのうざさのレベルが上がって来た。
「ぷにー」
「ぷにー」
行ったり来たりすること五往復程度、そろそろ止まる頃合いだろう。
「ぷに!!」
「…………え?」
「あれ?」
「お、俺!?」
ぷには俺でもトトリちゃんでもなくイクセルさんの下にいた。
「ぷに! ぷにに、ぷに!」
「えっと……?」
イクセルさんが俺の方を見てきた、通訳を希望の様です。
「あんたがナンバーワンだって言ってます。たぶん」
「そ、そうなのか?」
「ぷに!」
ぷには強く頷いた。
「ぷにに!」
「いつも食べに来てるイクセルさんの料理が一番うまいそうです」
「……そうか、勝負なんか抜きにした料理、それが一番だって事なんだな?」
「ぷに!」
「…………」
何これ?
「目が覚めたぜ。サンキューなシロ!」
「ぷににににに!」
「……イイ話ダナー」
「良い話ですね」
俺の数週間を返してもらいたい。
「よし! 今日は俺の奢りだ! お前ら好きなだけ食え!」
「ぷにー!」
「い、いいんですか!」
「ワーイワーイ」
ちなみに後日一枚だけ写真は貰った。
今回の出来事の収穫:師匠は昔からかわいかった事がわかった。