イクセルさんの料理教室を強制的に受けさせられてから一週間、俺は与えられた課題をこなしていた。
作成するのはタルトにデニッシュなのだがやたらと難しい。教えられてる間に作れなかったので、作ったものを持っていく方針になったのだ。
タルトは最近作れるようになったからいいが、もう片方は未だに作れない。
「デニッシュ、こいつ難しすぎるだろ……」
これまでまったく機能していなかったアトリエのキッチンで俺は愚痴りながら生地を捏ねてる。
初期段階では水分量が分からずに生地が崩壊するわ、バターの入れ過ぎで生地をダメにするわで全然焼成に入れないわ。
今現在、ようやく生地をまともに作れるようになったのだ。
「……生地を伸ばして六等分っと」
レシピを見ながら、慎重に作業を進める。
そろそろ成功しないと師匠がうるさいからな。
俺とトトリちゃんが二人ともイクセルさんから料理を教えてもらっているのが気に食わないのか、最近機嫌が悪い。
パパっと全課程を修了して師匠の機嫌を取るとしよう。
「んで、切ったのを二本ずつ重ねると……うん?」
レシピの一文を読んで俺は首をかしげた。
「生地を三つ編みにする?むう、そういえばイクセルさんがやってたような気も……」
紐での三つ編みすらできない俺に生地で三つ編みしろって何その無理ゲー。
「な、何とかなるさ!」
…………
……
何とかならなかった。
俺はぐったりとしたままキッチンを後にし、いつもの部屋に戻って来た。
そこには釜をかき混ぜているトトリちゃんがいた。
「あれ? アカネさん、今日はもう終わりですか?」
「うん、もう無理。やる気なくした」
なんちゃって三つ編みをする、焼く、黒コゲマン参上!
「三つ編み以前に、生地がダメだったってことだよ、もうヤダ」
「よ、よく分かりませんけど大変そうですね」
「本当に、錬金術使えればどれだけ楽か……」
完成品持ってくだけだから、錬金術で作ってもバレないっちゃばれないんだろうけど、そこまで錬金術に頼ったら負けな気がする。
「それで? トトリちゃんは今何作ってんだ?」
「えっとオリジナル料理を作れーってイクセルさんに言われて、ちょうど今作ってるところなんです」
そう言いつつも釜を混ぜ続けるトトリちゃん。これを調理と言ってはいけない気がする。
「しかし、オリジナルか、このままだと俺も作らされるんだろうな……」
「でも、自分だけのお料理考えるのも結構楽しかったですよ」
「そりゃ、錬金術で作れれば楽しいよ、俺すごい大変なんだよ」
なんかもう、釜をかき混ぜていろいろ作っていたあの時代が懐かしい。
オリジナルレシピも錬金術なら楽しいだろうさ。
「あはは……。本当に大変そうですね」
「そうなんです。……お」
そんな風に駄弁っている間にオリジナル料理とやらができたようだ。
トトリちゃんは釜に手を入れて取り出した。
「で、できた。やったー! できたー! わたしのオリジナル料理!」
「い、意外とうまそうだ……」
箱に入って出てきたそれの中には数種類の料理が詰め合わさっていた。
「そ、そうだ。名前どうしよう? えっと、えっと……」
「…………っ」
思わずごくりと喉が鳴った。まさかこんな短いスパンであの恐ろしいネーミングをまた聞くことになるとは……。
「よし、トトリア風ブランチ! トトリア風ブランチに決定!」
「…………泣いていいよ」
「ちむ」
俺の足元ではちむおとこくんが泣いていた。
なんでここでまともな名前を付けてしまうんだろうかこの子は。
「ついに完成したな」
「にゃっ!?」
「え? わあああ!? い、いい、イクセルさん!?」
俺がちむおとこくんに同情していると、突然横にイクセルさんが現れた。
扉が開く音もしなかったんですけど……。
「ふっふっふ、待っていたぜ、この時を」
「え? え? な、なんでイクセルさんがここに?」
俺が尋ねるより早く、トトリちゃんが当然の疑問を言葉にした。この人店放っといて何しに来たん?
「だから待ってたんだよ。お前がその料理を完成させるのをな!」
「え、でも、わざわざアトリエまで来なくても。どうせ後で、わたしの方から持っていくんですし」
「それじゃあちょっとアンフェアだからな。やっぱりこういうのは正々堂々とやらないとな」
「えと、全然話が見えてこないんですけど」
何か二人だけの話になってるな……。まあ、俺はちむおとこくん慰めてるからいいんだけど。
「オリジナル料理を作り上げた以上、お前も一人前の料理人……。そこで俺と料理対決をしてもらう!」
指を突きつけ、イクセルさんはそう言い放った。
「料理……対決? は!? な、何言ってるんですかいきなり!?」
「いきなりじゃないさ。前々からずーっと考えてたし。なんだよひょっとして嫌なのか?」
なんという疑似光源氏計画、自分で対決の相手を育てるとは……。
つか、イクセルさんのキャラがおかしい。
「嫌ですよ! ていうか、意味が分からないですし!」
「いいんだよ、意味なんて分からなくても! どっちの料理が上手いか勝負するだけなんだから!」
「だから、なんで勝負しなくちゃいけないんですか?」
「それは! 俺もお前も料理人だからだ!」
よかった、俺はカウントされてない。
トトリちゃんには申し訳ないが俺は安全圏にいることにほっとした。今のイクセルさんに絡まれたくない。
「うう、ダメだ……話が全然通じない……。なんかアカネさんみたい……」
「くっ!」
ほっとした瞬間に鋭利な槍が飛んできた。俺って傍目から見るとこんなテンションなの?
思い当たる節は……ないでもないような気がするけど、ないことにしたい。
「なあ、いいだろ? 最近誰も勝負してくれないからつまらないんだよ。ロロナも逃げ回ってばっかだしさ」
うわあ、師匠もこのバトルジャンキーの標的なのか、流れ的にトトリちゃんの次に俺が来そうで怖いな……。
つか、このまま料理を続けたら将来確実にトトリちゃんの二の舞になるな。
「そうなんですか? それはちょっと寂しいですね」
「だろ? じゃあ決まりって事でいいよな?」
こういう手合いに同情したら負けだよトトリちゃん。
「……なんか、あのツッコミだらけの会話聞いてると俺の身が持たないんだが……」
「ちむ」
俺とちむちゃんは、ソファの方に移動してゆったりとコントを眺めてることにした。
「あ、トトリちゃんの心が揺れてる」
「ちむ」
トトリちゃんが勝ったら豪華食材セットを渡すって言ってきた。この大人ついに物で釣りだしたぞ。
「ちむむ」
「ダメ押しの一品、イクセルさんの秘蔵レシピか……。参加しただけで渡すって必死すぎだろ」
「ちむ~」
一体何が彼をそこまで彼を勝負に駆り立てるのだろうか、もはや病気の域だ。
「あ、トトリちゃんが受けるって言っちゃった」
「ちむ~」
「あー、久々の料理対決!腕が鳴るぜーー!」
そう叫んで、イクセルさんはアトリエの外に出て行った。
「うー、イクセルさんなんか人が変わったみたいでしたよ」
「お疲れさん。まあ、頑張って行ってらっしゃい」
「アカネさんも逃げちゃうし、酷いです」
「いやー、俺としても何とかしたかったんだけど、俺が話しかけても無視されそうだったし……」
俺が止めたら絶対に、料理人同士の話に口出しすんな!とか言われてただろうしな。
「た、確かにそうですね」
「だろ。まあ、諦めて行ってくるといいさ、別に殴り合いしに行く訳じゃないんだし」
「そ、そうですけど……」
トトリちゃんは不安そうにしている、できることなら俺もついて行きたいが行くことはできない。
料理も作らないまま行ったら絶対にどやされる。
「ま、頑張ってくれよ。俺も俺で料理を頑張んなくちゃいけないんでな」
「わ、わかりました!……行ってきます!」
そう言って、トトリちゃんは料理を持ってアトリエの外に出て行った。
作り直さないあたり、自信はあるみたいだな。
「ところで、まだ不満は残ってるか?」
「ちむ」
「なら、その憤りを生地に向かってぶつけるがいいさ」
「ちむ!」
俺とちむおとこくんはキッチンの中へと戻って行った。
そういやちむちゃんはどこ行ったんだろうな?
…………
……
「ふー、やっとできた」
「ちむ」
ちむおとこくんの協力を得てようやくデニッシュを作れた。
彼の料理スキルは結構高い事が判明した。
「後はこれを持ってけばいいんだけど……」
「ちむ?」
今持ってっていいものか?そろそろ勝負はついたと思うけど、
「帰りましたー!」
「ちむー!」
タイミング良くトトリちゃんが帰ってくる声が聞こえてきた。
何故かちむちゃんも一緒だが。
俺は結果を聞きにキッチンから出た。
「おかえり、どうだった?」
「えへへ」
トトリちゃんの腕の中には食材セットと思われ木箱、その上にレシピが乗っかっていた。
「おー、勝ったか」
「はい! それに見てください!」
トトリちゃんがテーブルに食材を置き、その中から紫色の物を取り出した。
「これでまた新しいちむちゃんが作れます!」
「な、何故食材セットにちむちゃんの素が……」
「わかりませんけど、でもこれで新しいちむちゃんが……」
トトリちゃんは頬を赤らめ、トリップしていた。
この重度のちむちゃん好きがなければなあ……。
「そんじゃ、俺はイクセルさんの所に行って料理渡すついでに元気づけるとするかね」
「あ、はい。イクセルさんも落ち込んでたみたいなんで良いと思います」
落ち込むほどに惨敗したのか……。
「そんじゃ行ってきます」
「はーい。……えへへ」
不気味な笑い声に見送られ俺はアトリエを出た。
すぐに俺はこの判断が誤りであったことに気づく、敗者のことはそっとしておくべきなのだと。