トトリちゃんが出て行ってから数十分、俺はトトリ家のリビングで椅子に座ってやきもきしていた。
トトリちゃんの原因不明の失踪、追いかけようにも目の前の師匠がそれを許してくれない。
「やっぱり俺も行った方が……」
俺の何度目かのその言葉に対面に座っている師匠が諭すような口調で返してきた。
「だからねアカネ君。トトリちゃんの事はお姉さんに任せた方がいいと思うよ?」
「でもさあ、トトリちゃんが理由もなくあんな事する子じゃないだろ?これは先輩として捜しに行ってあげたいんだって」
「うーんと……アカネ君、本当に分かってないの?」
「分かってないんです」
まったくツェツィさんと師匠だけで分かったような感じになって、女性心理に疎い俺にはついていけないってことなのか?
このままじゃ無事円満に終わったとしても俺の心にしこりが残ってしまうんだが。
「えっとね、トトリちゃんはたぶん寂しかったんだと思うの」
「寂しかった?」
そんなに寂しがっているような様子があっただろうか……。
「…………」
いや、あったかもしれない。確かあれは初めてピアニャちゃんと師匠が錬金術をしているのを見た時だったか。
『ずるいピアニャちゃん……お姉ちゃんだけじゃなくて先生までとられた……』
そうか、詰まる所大好きな先生とお姉ちゃんがピアニャちゃんに盗られたような気がして面白くなかったってことか。
まさかトトリちゃんがピアニャちゃんにそんな気持ちを抱くとは思わなかったが、家族事情を見る限りは仕方がないのかもしれない。
「そういや俺も母さんが弟と妹の世話するのが面白くなかったりとかしたっけ……」
「へえ、アカネ君もそういう事あったんだね」
「ん、まあ若気の至りというか、小学生の至りというか……」
懐かしきかな我が家庭、いや割と本当に懐かしかったりする。
まあホームシックになる年でもないし、いまさら親不孝者が悲しめる立場でもないけどな。
そして合点もいったところで、これは家族問題なのでツェツィさんに任せようと判断してしらばく待っていると、玄関の扉が開いた。
「ただいま、あらアカネ君も待ってたのね」
「ん、まあ気になったからな」
そう返事をすると、奥のアトリエからも声が聞こえてきた。
師匠とツェツィさんは何の迷いもなく扉に近づいていき僅かに隙間を開けて覗き見た。
俺は二人がやってるんだから良いだろうと言う安直な考えから、その覗きメンバーに加わってしまった。
「しっかしトトリちゃんも大人になったと思ったけど、意外と寂しくなったりするんだな」
もうすぐ十七歳だけれど、まだまだ子供っぽいところもあるようだ。
「あら、さっきトトリちゃんにも言ったけど大人だって寂しくなる事くらいあるわよ」
「…………そうかな?」
「ええ、私はそう思うわよ」
大人も寂しくなる事くらいある、なんか妙に心に響いてくる言葉だな。
その言葉を心の片隅に止めて部屋の中を背丈的に、一番上から覗き込むとトトリちゃんがまさに言葉を発するところだった。
「えっとさっきはごめんね。やつあたりしちゃって……ごめんなさい!」
トトリちゃんは大きく頭を下げて謝った。対してピアニャちゃんは少し怯えた様子で恐る恐る尋ねた。
「……もう、怒ってない?」
「怒ってない!全然、まったく怒ってない!」
間髪入れずに頭を上げて大きな声でトトリちゃんは答えた。
それでもピアニャちゃんの顔にはまだ陰が落ちており、また不安感が混じったような様子で口を開いた。
「ピアニャのこと、嫌いじゃない?」
「嫌いじゃないよ!大好きだよ!」
その答えにようやく安心したのか、ピアニャちゃんは満面の笑みを浮かべてトトリちゃんに抱きついた。
「よかった、ピアニャもトトリの事大好き!」
これにて万事解決、あの二人が喧嘩しているのは見ていて辛いので、これで俺もやっと安心できる。
「仲直りできたみたいですね」
ツェツィさんはそう言い少し微笑んでいた。
「うん。トトリちゃんのお姉さんすごい。わたし、おろおろしてただけだったのに……」
俺よりも状況を理解してただけ今回は俺よりも大分良かったとは思う。
今回本当に何もしてなかったのは俺だしな……。
「そりゃ、もう何年も実の姉やってますから」
本当に良いお姉さんだよ。俺みたいな兄弟ほっぽりだしたダメ兄とは大違いだ。
俺がそんな自虐思想に嵌り込んでいると、アトリエの方からまた声が聞こえてきた。
もう一度当然のように覗き込むと二人は仲良く並んでソファに座っていた。
「トトリ、トトリ」
「あ、あの……ピアニャちゃん。嬉しいんだけど、そんなにくっつかれると……」
トトリ、ピアニャもアリですよ? そんな腐の少女の声が聞こえてきそうな自分が怖かった。
清い目で見るんだ。二人は仲の良い姉妹のようではないか。
「ねえ、なんでそんなにわたしのこと好きなの?お姉ちゃんとか先生とか、あとアカネさんとかの方が優しいのに……」
「ちぇちーもロロナもあにきもいっつもトトリのこと好きって言ってる。だからピアニャもトトリのこと好き!」
…………あ、あれ? 何だろうこの気持ち。
一言で言うならそう……死にたい。
「そ、そうなの?あはは……なんか恥ずかしいな……」
トトリちゃんはそんな満更でもないような様子で嬉しそうに笑っていた。
「わ!ぴあちゃんってば……これって、わたし達の方が恥ずかしい……ですよね?」
「そ、そうですね……」
「ヤバいヤバい、顔からファイヤーだよ。覗き見なんてするからこうなる。俺帰る、帰るからな」
今までにないほど、顔が赤くなるのを顕著に感じながら、俺は玄関の方へと向かって行った。
そんな折、ピアニャちゃんの声が聞こえてきた。
「えへへ、トトリもちぇちーもロロナもあにきもみーんな、だーい好き!」
口がにやけるのを感じながら、俺は家の外へと出て行った。
帰り道、そこそこ顔も頭も冷えてきた俺は一言口ずさんだ。
「大人も寂しくなる事くらいある……か」
やけに心に響いてくるツェツィさんのあの言葉を反芻しながらも俺は宿屋への帰路についていた。
トトリちゃんはツェツィさんを取られたようで寂しがっていた。
それじゃあ俺がいなくなった弟と妹はどうしているのだろうか、俺の家族は……。
柄にもなく考え込んでいると、気づけば目と鼻の先に宿屋があった。
立て付けが良いとは言えない古びた木の扉を開けると、宿屋の主人の奥さんが血相を変えて近づいてきた。
「ああ、良かった無事だったのね」
「無事?」
一体何のことだろうか、俺は特に今日は何事もなく一日を過していたのだけれど。
「実はあなたの部屋が……見てもらった方が早いわね」
その言葉に促されるように、俺はきしむ階段を上がっていき自室前まで来た。
ただ、いつも扉があるはずの部屋に扉はなく、部屋の中では壁があるはずの場所に壁がなくなっていた。
「な、なんぞこれ……?」
あまりの衝撃にさっきまでの悩みも吹き飛んでしまうというか、本当にどうなってるんだこれ?
部屋の様子もベッドは引っくり返り、皿は割れて、机も粉々と斬新な模様替えが行われていた。
「お昼頃だったかしら、大きな音がしたと思って見に来たらこうなってたのよ」
「は、はあ……」
幸い貴重品の類は全部ポーチに入れてあるからいいとして、原因は一体何だ?
別に爆弾を置いてったりもしないはずだし……。
もしかして恨みか、最近の自分の扱いを憎んだペーターが爆弾テロリズムを……できる勇気があったらもうちょっとマシな人間なんだろうな。
「あれ……?そう言えば俺いつ宿屋出たんだっけ?」
ふと、自分が一番よく分かっていなければならないはずの疑問が口から出た。
「とりあえず今日は別の部屋を使ってね。……本当にどうしましょう」
そう言い残して、困った様子で奥さんは階段を下りて行った。
俺はとりあえず部屋に置いてあった物を回収できる分は回収しようと部屋の中に足を踏み入れた。
しかし、その足はすぐに止まることとなった。
「――――っ!」
鋭い痛み、慣れる事のない痛みが俺の神経を刺激しそれ以上動く事を許さなかった。
「っくしゅん! 寒っ!?」
なんで俺はこんな夜中に港にいるんだよ。あれか、ちょっと小粋なお散歩をしてたら寒さで意識がぼうっとしてたとかそういうことか。
「まあ、今の気分にはちょうどいいか」
トトリちゃんの家での会話が今でも俺の心に尾を引いている。
こんな夜中に人なんて来ないだろうし、まあ一人でゆっくりするのはいいか。
俺はちょうど一番先端の部分に座りこみ、宙に足を投げ出した。
「俺は今、結局どうしたいんだろうな……」
こんな時にいつも相談していた相棒も居らず、答えを返してくれる人は誰もいなかった。
「あんた、こんなところで何してんのよ」
そう思っていたのだが、足音と共にこちらへ近づいてくる声と気配があった。
「ミミちゃんこそ、こんな時間に夜遊びなんて感心しないぜ」
半身を捻らせて振り向くと、こんな時間にも関わらずいつも通りの薄着のままであるミミちゃんがいた。
「ちょっと寝付けなかったから、涼みに来たのよ」
「海風は髪を痛めるぜ?」
「あんたに言われるまでもなく予防済みよ」
俺の優しさをミミちゃんはその一言でかき消して、俺から少し距離を取った所に座りこんだ。
「それで、悩みのないあんたが何を悩んでんのよ」
「む、聞いてたのか」
お嬢様のくせに、そう呟くとミミちゃんは少し怒った様子で言い返してきた。
「人聞きの悪い事言わないで頂戴。こんな時間に独り言言ってたら聞こえるに決まってるじゃないの」
「ふむ……つまりさ、そこで立ち去らずに声をかけてくれたって事は、相談に乗ってくれるってことだよな?」
もしも相談に乗る気もないようなら、早々に帰ってしまう。簡単な推理だぜ。
ミミちゃんは溜め息一つ吐いて、口を開いた。
「そうね珍しく本気で悩んでるように見えて、あんたがそこまで悩む悩みって言うのがちょっと気になったのよ」
「興味本位かい。まあいいけどさ」
ミミちゃんなら話しても失笑はあれど言いふらしたりとかはしないだろう。
友達が少ない的な意味ではなく、もちろん人柄的な意味でだ。
「最近さ、悩むんだよ。置いて来た家族の事でさ」
「……そう」
「ここ数年まったく考えてなかったんだけどさ、お母さん追って海にまで出たトトリちゃん見てたら……さ」
それに加えて、冗談とは言え兄と呼ばせているピアニャちゃんがあにきと言って慕ってくるのを見ると容姿は違えどついつい妹を思い出してしまう。
さっきの一件も相まって、考えてしまう。今まで考えてなかった事、本当なら一番に考えるべきだった事を。
「不安なんだよ、皆元気にしてるのかってさ……」
「…………」
黙って聞いてくれているミミちゃんに俺はついつい自分の胸の内を語り続けてしまった。
「一番はさ……やっぱり寂しいんだと思う」
頭痛がしたときには昔の看病を思い出したり……最近は事あるごとに家族との思い出が蘇っていた。
一番長い間思い出を共有していた人たち、それがいない事が今更になって不安になってくる。
「……笑ったりしないのか?」
てっきりミミちゃんのことだから、そんな事で悩んでいたのとか失笑してくると思ったんだが。
「笑えないわよ」
「でもさ、こんな良い大人が家族に会えなくて寂しいとか……」
ツェツィさんはああ言っていたものの、いざ人に語ると笑われてもおかしくないだろうと思ったりする訳で。
「年なんて関係ないわよ。家族がいなくて寂しいのは皆同じよ」
「…………?」
やけに真剣な口調で真っすぐ海の方を見つめてミミちゃんはそう言ってくれた。
「言ってなかったと思うけど、私の親はもういないのよ」
「え?」
初耳だ。数年の仲だが今更になってなんでいきなり?
「私、昔はすごく体が弱くて、よくいじめられてたのよ」
「はあ!?」
「あんたもそんな反応なのね」
「あ、いや、まあ……」
根っからのSなお嬢様だと思っていたから、その過去のカミングアウトは大分意外だったぞ。
「それで、よくお母様に泣きついててね。ある日言われたの、ミミちゃんは立派な貴族様なんだから簡単に泣いちゃいけない。次泣きそうになったら私はシュヴァルツラング家の娘なんだから、そう言えって」
どこか懐かしむような、そんな表情で相変わらず遠くを見つめて言葉を続けて行った。
俺もその話に真剣に耳を傾けた。たぶんこれは、とても大事な話だから。
「そんな私でも、流石にお母様が亡くなった時は泣いちゃったって話。流石にこの年になれば貴族の名前なんて大したものじゃないってわかってる。でもそれを認めたら、それじゃあお母様が嘘を言ったみたいにあるじゃない」
「そうか、それでいっつも家の名前の事……」
「ええ、だから私はいつかシュヴァルツラング家の名前を聞いたら誰もが憧れるような人になりたいって……」
そこでミミちゃんの言葉は途切れ、話は終わった。
「えっと、そんな話俺にしても良かったのか?」
「良くないわよ、ああもうなんで最後まで話しちゃったのかしら……」
そう言ってミミちゃんは顔を真っ赤にして顔を伏せた。
「ああもう !言いたい事だけ言うわ! 会いたいなら会いに行けばいいじゃないの!」
「む、そ、そうかな?」
しかし帰ろうにも帰る手段がないし、こっちでのお仕事とかもあるし……。
何より、万が一帰れたとしても会わせる顔がない。
「そうよ、会おうと思っても会えない人がいるの。だったら会えるうちに会っておきなさい。何かあってから後悔するんじゃ遅いのよ」
「んー……わかった」
ミミちゃんは家族がいないだけに、それだけ家族の大切さを分かっているんだ。だったらその人生の先輩としての言葉には素直に従っておく方がいいだろう。
「それじゃあ、私は帰るけど、さっきの話誰にもするんじゃないわよ!」
「分かってるって、ありがとな」
スタスタと足早に去って行くミミちゃんにお礼を言って、俺は大きく後ろに倒れ込み星空を見上げた。。
「帰る方法、何はともあれ帰る方法か」
皆には海から来たと言っている手前協力をお願いしたりはできないだろう。
とりあえずは片っ端から本でも集めて、錬金術士としての力をフルに活用するしか道はないように思える。
必要なのは知識だ。組み合わせや応用が否応なく必要になってくるだろう。
「問題はどうやって本を集めるか……だな」
金で買う方法と、冒険先で本を見つけるか、それぐらいしか思いつかない。
正直、気長すぎる。できることならもうちょっと短時間で見つけられる方法を……。
「――――っ!?」
その瞬間、今までにないほどの激痛が全身に走った。
全身の関節が軋む音が聞こえ、息が詰まり、咳が止まらない。
悶え、転がり、浮遊感を感じたと思えば、肌に張り付く布と海水の感覚。
沈みかけたところで、ようやくその苦しみから解放された。
「……そうか」
体の半分だけを浮かばせ、俺は誰に語りかけるでもなくそう呟いた。
何故こんな簡単な事が思いつかなかったのか、思わず自分で自分を笑いそうになる。
「なるほどなるほど、うんうん。この方法があったか、簡単な話だったな」
俺は冷たさを感じながらそう何度も納得し、海に浸かっているポーチに手を伸ばし中から手袋を取り出した。
微妙に濡れた手袋を手に嵌めて、俺は立ち上がった。
「ちょっち忙しくなるけど……まあ書置きはいらないよな」
俺は水上を歩き、自分のトレードマークである黒い闇へと鼻歌交じりに消えて行った。