月に吼える   作:maisen

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明後日までお休みします( ´・ω・`)ゴメンネ


第弐拾漆話。

「煙幕、投射!」

 

 自衛ジョーの一体が通信機に叫ぶ。

 

 向こうから決行の合図が返ってくるのを待ち、隣に控えた二体に向かって指を振る。

 

 軽く頷いた彼らは、手に持った長い筒を通路の向こうに向け、引き金を迷わず引いた。

 

――痛い

 

 先から飛び出したのは銃弾ではなく、小さな黒い筒。それは、大きさの上では信じられないほど大量に煙を吐き出しながら、通路の上を転がっていく。

 

――怖い

 

 通路の左右に別れた彼らの間を、煙の壁を突き破りながらスーツ姿の男女が駆け抜けていった。

 

「隔壁閉鎖っ!」

 

――助けて

 

「了解、機関始動! 全速前進っ!」

 

 そこまで確認した後は、迷わず後方に下がるのみ。

 

 更に生み出されつつある煙幕の向こうから、唸り声と爪が金属を叩く音が聞こえる。

 

 煙を纏いながら飛び出てきた三体の前には、後部にロープをくくりつけた戦車達の姿がある。

 

「アイサー! 全速前進!」

 

 戦車の上に体を乗り出していた一体が、駆け出してきた内の一体の声にあわせて号令をかける。

 

――お父さん、お母さん、

 

 耳元から口元までを覆うように付けられた通信機は、戦車の内部に納まった生き人形達に声を届けた。

 

 軽い音と共に、戦車がキャタピラを唸らせる。

 

 金属の床に噛み付いたそれらは、ゆっくりと、だが確実に車体を前へと進めて行く。

 

 全部で20数両にも及ぶとはいえ、やはりサイズからしてみれば考えられないほどの馬力を生み出したそれらに引かれたロープは、隔壁を閉じるレバーを勢い良く引き摺り落とした。

 

 

――怖いよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上手くいったみたいね・・・」

 

「良し、じゃあ私達は準備に取り掛かるよ」

 

「手伝います!」

 

 入り口の脇に積まれた藁を撒き散らしながら、美神達が顔を出す。

 

 一足速く抜け出した唐巣神父とピートは駆け足のまま辺りに聖水を撒き始める。

 

 続いて出て来た美神は、更にその回りを囲むようにして数個の精霊石を埋めていく。

 

「――だから、やっぱりあの場所じゃないと調整が」

 

「でも、時間がどれくらいか不明だと負担がかかりすぎるでしょ?」

 

「大丈夫だ。一応、制限付きの短時間に設定してあるから――」

 

 最後に出てきたのは茂流田と須狩。須狩の衣服はおキヌが着ていた巫女服であり、茂流田が着ているのは忠夫のジージャン、ジーパンとTシャツである。

 

 流石に少々サイズが小さい為、動き辛そうである。

 

「・・・やるしかないのね?」

 

「ああ」

 

 溜め息をついた須狩は、慌しく動く美神達を横目に前線司令部と書かれた小さく簡易なテントに向かう。

 

「あの子の位置は?」

 

 膝を折り曲げて覗き込む須狩の前で、首にガムテープを巻いた自衛ジョーが敬礼。そのままはきはきとした言葉で報告する。

 

「現在、横島殿とおキヌ殿を追跡中! 後方遮断の作業も並行して――」

 

「開けて」

 

「はぁっ?!」

 

 驚いた人形の首が傾き、隣に控えた衛生兵が慌ててガムテープとマッチ棒で固定する。

 

 それを邪険に払いながら、傾いた視界のまま部隊司令はしゃがみ込んだ茂流田に問い掛けた。

 

「そ、れは・・・命令ですか?」

 

「いいや。頼む」

 

「・・・つくづく、ですなぁ」

 

 ヘルメットを取った部隊司令は、その影と溜め息で己の口元を隠す。それは、不安を感じながらも緩んだ顔を隠すため。

 

 一言も喋らず敬礼を返し、真剣な面持ちで背後に控えた隊員達を見る。

 

 全員、通信機や地図から離れ敬礼の形を整え、こちらの指示を待っていた。

 

「司令官殿の頼みだ! 総員、全力で励めっ!!」

 

『サー、イエッサー!!』

 

 その場の人形達だけでなく、通信機の向こうからも、既に入り口近くで暖気を始めた戦車の上からも敬礼と共に一糸乱れぬ答えが返る

 

 満足げに頷いた部隊司令は、すぐさま近くの戦車へと駆け出していった。

 

 少々ぐらつく首を、なんとか必死で抑えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶー」

 

「お、おキヌちゃんや。そんなに怒らんでも良いじゃないですか?」

 

「・・・どーせ私は物足りないですよー」

 

 階段を2段どころか踊り場ごと飛び越しながら上へと向かう二人組み。

 

 片方はスーツに身を包み、もう片方も同じくスーツに着られながらもしっかりともう一人の首に手を回している。所謂、お姫様抱っこという奴だ。

 

 とは言えこのお姫様、少々ご機嫌斜めのようで。

 

「いや、だからね? 純粋にサイズの問題で、別におキヌちゃんが魅力的じゃないとかそーいう訳では」

 

「でも、美神さんとか須狩さんくらいは欲しいですよね?」

 

「そりゃも・・・う・・・ええと・・・ごほんっ!」

 

 半眼だったおキヌの目が、冷たさを増してジト目になりつつあるのを発見した忠夫は冷や汗だらだらである。

 

 さっきからの全力疾走のせいで掻いた汗とは違うその冷たさは、現在の状況を鑑みてもそれなりに場違いな筈である。

 

 筈であるが。

 

「や、大和撫子さがおキヌちゃんの魅力だと思うよ?」

 

「・・・・・・」

 

「あぁぁっ! 耳はー! 耳は引っ張らないでー!」

 

 ほんのりと頬を赤く染めたおキヌが、無言で忠夫の狼耳を片手で引っ張る。

 

 現在忠夫はバンダナを外し、耳を露出させた状態であるから引っ張る事が出来たのであるが、犬に限らず動物にとって耳は脳にも近く敏感な場所である。

 

 故に、地味に、痛い。

 

 出来るだけ正確に後方との距離を測るために、と外したバンダナであったが、こんな所でこんな被害が出ようとは、お釈迦さまも気付くまい。

 

「・・・もう」

 

「いてててて」

 

 両手でおキヌを抱えている為、手を当て様にも擦ろうにも何も出来ないもどかしさがあるが、それよりもおキヌがちょっと落ち着いてくれたのが何よりである。

 

 呆れた様に溜め息をついたおキヌは、まだ赤みの残った顔のまま、先程引っ張った忠夫の耳を優しく撫でる。

 

 その手の平の温かさに、気のせいでなく痛みが引いていくのを感じた忠夫は驚きの視線をおキヌに向けた。

 

「ヒーリング、って言うんです。弱いけど、もう痛くないですよね?」

 

「・・・おお、本当だ」

 

 ぴこぴこと軽快に動く忠夫の狼耳からは、引っ張られた赤みも痛みも消えていた。

 

 それを微笑ましげに見ていたおキヌであったが、突如、よし、と小さく気合を入れて忠夫の首に腕を回して。

 

 先程よりも密着度が倍増し、おキヌのとても甘い香りが鼻をくすぐり、忠夫の胸元にささやかながらもなんだかとっても柔らかくてアブナイ感触が当たったり。

 

「おおおおおおおキヌさんっ?!」

 

「私、生き返れて良かったと思うんですよねー」

 

 さらさらと流れるおキヌの、その名の通り絹のような髪の毛が、真っ赤に染まったおキヌの表情を包んで隠す。

 

 艶やかな黒の向こうに隠れた口元から、囁くような小さな声が忠夫に届く。

 

 もう、忠夫の脳味噌はヒートアップしすぎて爆発寸前であったりして。

 

「どーですか? ・・・ふふふ、柔らかくて、暖かいですか?」

 

 きゅっ、と。

 

 おキヌの腕に力が篭められた。

 

「あうあうあうあうあああああっ!?」

 

 忠夫の中では、理性と欲望が大戦争。

 

 理性が列車砲をぶっ放し、欲望が空母から戦闘機群を発進させる。

 

 心象風景だけでカタストロフが起きそうであった。

 

「夢だぁ! こんな幸せな状況がいきなり来る筈があるかぁぁっ!! 俺は、俺は騙されんぞぉぉぉっ?!」

 

「・・・えいっ♪」

 

「ぬほおぉぉぉおぉっ?!」

 

 頬を真っ赤に染めたまま、しょうがないなぁ、という表情をしたおキヌは、大変楽しそうに更に腕に力を篭めて行く。

 

 今まで散々初見の女性に求婚しながら、しかし一度もまともに成功した事の無い忠夫は突然の猛攻にひたすらサンドバッグである。

 

 忠夫の鼻の下が伸びに伸び、理性と欲望の均衡は既に崩壊寸前。

 

 戦況がどちらに傾いているかなど、既に言うまでもないだろう。大鑑巨砲主義の時代は既に終わっていたという事か。

 

 しかしそこで上手く行くほど世の中甘くは出来ちゃいない訳で。

 

 ついでに言えば、運命の神様というものが居るのなら、忠夫が美味しい目を見た後には必ず本人に反動が返ってくるのもお約束。

 

『・・・随分と楽しそうねぇ』

 

「ひいっ?!」

 

 地獄の底が開いたら、実は上げ底で更に下がありましたー、ってな感じの所から響いたような声が、忠夫の耳に突き刺さった。

 

 施設内に張り巡らされた通気口を縦横無尽に駆け回る生き人形達の車両群。中には偵察用のバイクがあったりする訳で、そこから偵察部隊がたまたまおキヌと忠夫の様子を見ていた。

 

 準備を終えて須狩と茂流田の居なくなった司令部で指示を出していた美神の元に、そんなデバ亀めいた情報がたまたま飛び込んできたり。

 

 つくづくトラブルがあっちから寄って来る性質の持ち主である事が原因の一つであろう事に疑いを持つのは不可能だが、まぁ、運が悪いとしか言い様が無い。

 

「ちがっ、思ってません思ってませんちょっとどころでなくグラグラ来たとかいっそこのままとか柔らかくて暖かくて気持ちえーなーとかいい匂いやなーとか滅茶苦茶思いましたけど思ってないっす! ・・・はっ!?」

 

『退職金代わりに天にも昇る気持ちで地獄に送ったげるわ』

 

「ヘルアンドへブンッ?!」

 

どのような手段でヤラれるのか知らないが、忠夫の本能は大音声で警告と警戒を促している。

 

 器用な事にズボンの中で尻尾を丸めた忠夫は、美神の強烈な殺気が9割を占めているような、そんな言葉で漸く意識を取り戻した。

 

 抱っこしたままのおキヌが残念そうに膨れているのは必死で視界の外に出す。

 

 色々な意味で凶悪で危険な感じであったからである。

 

 主に状況を忘れそうになるからであるが。

 

「・・・え?」

 

 そして、それに、気が付いた。

 

 慌てて回転しながら慣性を殺しつつ急減速。最後に壁を蹴りつけ勢いを殺しきりながら、忠夫の耳は忙しく動き出す。

 

「きゃっ?! ど、どうしたんですか横島さん?」

 

「・・・やば」

 

 ――背後に迫っていた、フェンリルの気配が消えていた。

 

「美神さん、フェンリルがいないっす! そっちで把握してませんかっ?!」

 

『なっ、この馬鹿! こんな時に色ボケなんぞしてるからでしょーがっ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全神経を緊張させて、ギリギリまで張ったピアノ線を爪弾くような緊張感の中。

 

 只ひたすらに、周囲の気配を感じていく。

 

 それは、まさしく、獣と獣の駆け引き。

 

 呼吸を減らし、耳を澄まし、意識を凝らして変化を読み取る。おキヌの緊張した、速いテンポの呼吸と心臓の音、衣擦れの音。通気口の中を駆け回る、バイクに乗った自衛ジョー達の声。通信機を通して美神に伝わっている発見なしの報告。

 

 足音も、衝撃音も、呼吸音も聞こえない。

 

 だが、たしかに、近くに居る。

 

 こちらが狼なら向こうも狼。

 

 しかも詳しいスペックは不明だが、あちらの方が能力的には圧倒的に上だろう。

 

 おキヌが、不安げにあちらこちらに視線を飛ばしながら忠夫の胸に掴まっている。

 

 じりじりと、背後から火に炙られるような焦燥感。

 

 言うなれば、こちらを見据える獣の視線。

 

 

「・・・くっそ」

 

 

 額に流れる汗が嫌に成る程うっとおしい。

 

「横島さん・・・」

 

 

『クォォォォン・・・』

 

 

 それは、いつのまにか、ふと視線をやった先に、居た。

 

 

「「・・・っ!?」」

 

 小さな、まるで迷子の子犬のような声。ゆっくりと振り向いた二人の視界に、白銀の獣が写り込む。

 

 大きさは昔見た、あの時の陰念の変じたフェンリルよりも、思っていたよりも遥かに小さかった。

 

 精々体長2M半。

 

 あの月夜に見た太古の魔獣、終わりの獣に比べれば、それは腕一本にも満たないサイズでしかない。

 

 しかし、それは。

 

『グルゥ・・・グルルゥ・・グル・・・グルルぅ』

 

 そう、大きさは、強さとイコールでは、無い。

 

 硬直した二人の前で、暫し辺りの匂いを嗅ぎ回る素振りを見せていたフェンリルは、二人を視界に捕らえると同時に酷く苛立った声を上げる。

 

 いや、苛立ったというよりも、期待を裏切られた怒りの方が大きいのか。

 

 一瞬にして狭い通路は凶悪な意思で満たされ、世界が歪んだような印象さえ受けてしまう。

 

 例え半人狼といえど、超一流のネクロマンシーといえど、まともに正面からぶつかれば掌に落ちた雪よりもか弱い存在でしかない。

 

 それだけの威圧感と、そして力を持っていた。

 

「・・・嘘だろ」

 

「よ、横島さん」

 

 おキヌが忠夫のスーツの裾を引き、逃げる算段を付けようとしているのが分かった。

 

 しかし、忠夫は眼前の獣を見据えたまま、戸惑ったように動かない。

 

「横島さん・・・! あれ、如意棒とかでなんとかならないんですか?!」

 

「・・・駄目だ、おキヌちゃん」

 

 斉天大聖の武器にして、神界の神器。

 

 人界に存在する物質よりも、遥かに硬いその武器を、しかし忠夫は取り出さない。

 

「如意棒は、使っちゃ駄目だ・・・!」

 

「・・・え?」

 

 悲痛な、絞り出すような声。思わず忠夫の顔を振り仰いだおキヌの目に、困惑がふんだんに塗されたその表情が写る。

 

「おキヌちゃん、あいつは・・・」

 

 目線を決してフェンリルから逸らさない忠夫の声は、恐怖に満たされては居ない。

 

 忠夫の声に反応し、再びフェンリルを見据えたおキヌには、その理由が分かった。

 

 半分とは言え人狼であるからこそ、魂を癒す超一流のネクロマンシーであるからこそ、二人にはそれが分かる。

 

「泣いてる・・・?」

 

「ほんとに子供じゃねぇかよ・・・!」

 

 忠夫の目に映し出されたのは、どこまでも不安げにこちらを伺いながら、同時に匂いのついたスーツを纏っていたのが求める人達でない事に困惑し、そして怒りながらも怯えている人狼の子供。

 

 例え姿がフェンリルに変わろうとも、その根幹を同じくする以上は、理解は容易い。

 

 そして、おキヌの感じたそれは、ただ一途に親を求める子供の嘆き。

 

 最早人の感じる事が可能な魂というキャパシティを壮大に外れているとは言え、彼女にそれは、確かに届く。

 

 故に、彼女の瞳に恐怖は無い。

 

 

「逃げるよ、おキヌちゃん!」

 

「待って下さい!」

 

 視線を合わせたままじりじりと退がる忠夫のネクタイを掴んだおキヌは、懇願するように言い募る。

 

「あんな子を置いて、そんな・・・!」

 

「分かってる! 分かってるけども!」

 

『――横島くん、おキヌちゃんをそこらへんの通気口に押し込んで』

 

 小さな声で叫ぶ切羽詰った二人の耳に、静かな、しかし圧倒的な揺らぎの無さを伴った美神の声が聞こえる。

 

 

「こっちでも確認したわ。あんた達から見て右上の通気口に今自衛ジョーの偵察部隊が居るの。なんとかそこにおキヌちゃんを避難させなさい」

 

 美神の前にはグーラーが何処からかもいで来たモニターが鎮座している。

 

 その後部からはコードが延びており、それはさらに通信機の受信装置へと繋がっている。

 

 元は家の屋根裏とか床下とかを見るための規格調整であるが、それはこの際置いておこう。

 

 ちなみにグーラーはそれを届けた後、ガルーダの雛を引率して須狩たちに付いて行った。体中に黄色いもこもこが集っていたが。

 

『そんな、美神さんっ!』

 

「黙って。横島くん一人ならともかく、今のおキヌちゃんの状況じゃ色々と無理があるわ」

 

 通信機とモニターの向こうから、おキヌの悲鳴が上がる。

 

 美神は、眉をひそめ、表情は冷静さを保ちつつも必死で頭を巡らせつづけている。

 

「そのサイズなら通気口に潜り込むのは難しいでしょうけど、その施設内の構造ならフェンリルのほうが詳しいみたいね。こっちの目的が目的だから、なんとかして私たちのところに引っ張ってこなくちゃならないの」

 

 いくら事前に茂流田たちの協力と、自衛ジョー達の使っている地図を用いて施設内部の構造を頭に叩き込んだとは言え、所詮それは付け焼刃。

 

 ここで暮らしていたフェンリルのほうが、地の利という点では遥かにリードを持っている。毎日散歩に連れ出していたと言うアホ二人は存分にしばいたが。

 

 通気口に逃げ込んでも、それで凌ぎきれるのか、という点では不確定要素が大きすぎる。

 

 何より、完全に忠夫達を見失ったフェンリルが茂流田達の所に向かわないとも限らない。

 

 必要なのだ、囮が。

 

 美神達の待つ罠の入り口まで誘導できる、それだけの能力が。

 

 現在の二人の位置から、目標としていた地点までの間には、フェンリルがしっかとその存在を誇示している。

 

『・・・了解っす!』

 

『え、横島さ――』

 

 冷や汗を流しながら逡巡していた筈の忠夫が、思い切った表情になった瞬間に、その姿はモニターに映し出された映像からは消えていた。

 

 画面の向こうから慌てた声が聞こえ、映像がブレる。

 

 次の瞬間右に振られたカメラは通気口に押し込まれ、呆然とした表情のおキヌを発見していた。

 

『待っ――』

 

 通信機から、金属と金属がぶつかり合う耳障りな甲高い音が響く。

 

 移動したカメラが映し出したのは、おキヌの眼前に通気口の入り口を塞ぐように斜めに突き立てられた如意棒。

 

 そして、次の瞬間には。

 

『いよっしゃあっ!!』

 

 爆発音のような踏み込みと共に、フェンリルの横をすり抜けた忠夫が居た。

 

 

「へいへいへーい! おっにさっんこっちらぁ~!」

 

 全力疾走を敢行しながら、忠夫は必死に挑発を繰り返す。 

 

 なんとも子供じみた内容であるが、彼も伊達に囮として何度も何度も何度も死線を潜っちゃいない。

 

 後方から追いすがるフェンリルの視界に入りつつ、その爪が、牙が、背中を掠めるたびにフェイント急制動または慣性ドリフトかましつつ、するりするりと擦り抜ける。

 

 勿論余裕は欠片も無い。何せ相手は「あの」フェンリル。

 

 いくら中身が子供でも、その動きは神速瞬歩。

 

 爪をかわした次の瞬間には牙が髪の毛を数本食い千切る。

 

『グルァッ!!』

 

「うひょぉぉぉっ!」

 

 海老反りになって爪を避ける。

 

 体勢を持ち直す前に牙が来る。

 

 通路の壁についた手を、指の5本で弾き出す。

 

 僅かに右にぶれた体の横で、ド派手に顎が噛み合わさった。

 

「ふっふっふぅ! 里で鬼ごっこの忠ちゃんと呼ばれた俺の逃げ足、そう簡単には触れねーぜッ!」

 

 さっき海老反りになって爪をかわした際に掠ったらしく、立派なスーツのお尻が破け、真っ白な尻尾がぷらぷらと。

 

 耳出し尻尾出しで威張りつつ、忠夫は階段を駆け上がる。

 

 踊り場まで駆け上がり、フェンリルが追いつこうとした瞬間に跳躍反転壁を蹴る。

 

 着地地点はフェンリルの背後、後ろも見ずに再加速。

 

 背中からは轟音と共にフェンリルが壁に衝突した音が聞こえたが、ちらりと見ればへこんでいるのは壁のほう。

 

 フェンリルは頭を一振り苛立たしげに、すぐさま忠夫を追いかける。

 

「やってられっかぁぁっ!! 全速後進だーっしゅ!」

 

 体を低く、頭を下げて加速体勢に入りながら、忠夫はひたすら冷や汗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見えたぁっ!!」

 

 目印代わりの戦車が一台、ぽつんと窓辺に置いてある。

 

 現在地は地上三階、先程の裏口のほぼ直上である。

 

「人狼スラッシュキーック!!」

 

 最後の一歩を踏み込みながら、意味は無くとも格好つけながら、忠夫は窓ガラスを蹴り破って飛び出した。

 

 一瞬の浮遊感の直後、すぐさま重力の頚木が彼を捕らえる。

 

 ほとんど自由落下しながら背後を見れば、こちらを追いかけ窓枠を蹴るフェンリルの姿がそこにある。

 

『グルァァァッ!!』

 

「ぎゃーっす!!」

 

 空中で意味も無いのに必死でクロールをしている忠夫の尻尾の毛を掠めながら、フェンリルの爪が振り下ろされた。

 

 根性で泳いだおかげでもあるまいが、その爪は数本尻尾の毛を持って行っただけで済んだようである。

 

 そのまま至近距離で落下しつつ、互いに着地と同時に駆け出せるように姿勢を整える二匹、いや一人と一匹。

 

 方や4本の足に力を溜めつつ、方や2本の足をバネを縮めるように筋肉を緊張させていく。

 

 衝撃を殺す効率は下がるだろうが、着地してからの加速のほうを優先させる体勢である。そして、6本の足が地面を同時に叩き――

 

『グァッ?!』

 

「またかぁぁっ?!」

 

 その足元で、大量に敷き詰められた地雷が連爆を起こして火花を散らす。

 

 何処から調達したのやら、ペットボトルの蓋程度のサイズしかない筈のそれは器用に連動爆破、一瞬にして視界を白い煙と土煙で覆い隠して完全に塞いでしまった。

 

 しかし、2匹は動かない。

 

 煙の中に見えるのは、着地地点で蠢く影。

 

 手を伸ばせば届く場所にいるというのに、逃げる事も、爪を振るう事も無く只ばたばたと動いていたりする。

 

 そして、風が吹いた。

 

『オオ・・・オオオ・・・!』

 

「くさ、臭い、臭い・・・!」

 

「見たかその名もカメムシ地雷っ! 匂いで蹴散らす嫌がらせ兵器!」

 

「・・・効果は抜群かもしれませんけど、屋内で使ったら家人にも被害が及ぶと思うんですが・・・」

 

 ようするに、前々回冒頭の臭気ガス装備とはこの事だったようである。

 

 確かにカメムシは臭い。その匂いで捕食者を追い散らす、ある意味彼らの最大の武器であるのだから。

 

 だがしかし。

 

 人間にとっても臭い事に変わりは無い。

 

 それを中心で、しかも大量に喰らって悶えるフェンリルと忠夫を囲むように、ガスマスクを装着した美神達と生き人形達が繁みを揺らして登場した。

 

「あのマッド、凄いけど馬鹿よね。絶対」

 

「ピートくん、準備は良いかいっ?!」

 

「あ、はいっ!」

 

 とは言えそこは狼の性を持った忠夫とフェンリル、なんとかかんとか立ち上がり、涙目ながらも続行可能。

 

 しかし、今度は美神と唐巣、ピートが罠を動かした。

 

『グルオオオッ?!』

 

「何で俺までーっ!?」

 

 精霊石を使った捕縛結界は、GS業界でも随一のプロ二人とその片方の弟子によって素早く構築、発動される。

 

 ついでに忠夫も巻き込まれて、身動き取れなくなっていたりするが不可抗力と言えば不可抗力であろう。

 

 別に殺傷能力の高い結界でもなく、純粋に捕縛を目的としたものである為危険は無い。

 

 むしろ、精霊石をふんだんに使用し、事前に時間を掛けて準備した上で余計な目的を持たせずに捕縛に特化している為、効果の程は計り知れない。

 

 勿論、フェンリル狼にとっては左程の脅威でもなかったであろう。

 

 少なくとも、陰念の変じたフェンリル狼であれば、十数秒もあれば結界ごと蹴散らしていてもおかしく無い。

 

 ただ、今回はGS達にとっての有利な条件が多すぎた。

 

 月の光、月の魔力が薄い昼間である事、フェンリル自体がそもそも――言い方は悪いが――紛い物であり、本来の魔狼に比べれば遥かに「弱い」事。

 

 そして、今はまだ子供であり、力づく以外に罠を破る方法を持たない事。

 

 罠とは、獲物を取る為の物であると同時に、己よりも強い者を、より安全に確実に倒す為の物なのだから。

 

 故にフェンリルは破れない。

 

 いかに強力な爪を振るえても、強靭な顎を持っていても、それを使えなければ意味が無い。

 

 無理矢理に罠を食い千切ろうとするフェンリルの力を受け流し、より深く、効率よくその動きを制約する。

 

 この辺り、流石は超一流のGS達、と言った所であろう。

 

『グルルルゥ・・・!』

 

「たーすーけーてー! へるぷみー!」

 

 ついでに巻き込まれた忠夫が狂乱するフェンリルの側でえらくビビっていたりするが、美神達にも構っている余裕が無い。

 

 綱渡りのような力の均衡を、全力で押し留めている真っ最中なのだから。

 

「くッ・・・須狩たちはまだなのっ?!」

 

「も、もう直ぐとの事ですっ!!」

 

「は、早くしてくれると有り難いのだがね・・・!」

 

 当然、長くは持ちはしない。

 

 しかし、それで十分な筈であったのだ、本来ならば。

 

 須狩達の言い出した「切り札」が、停電の為に復旧に時間が取られなければ、捕縛と同時に勝負は決していた筈なのだ。

 

 そして、事態は更に動く

 

『ゴ、ゴァァッァッ――アアアアッ!!!』

 

「・・・なんだっ?!」

 

フェンリルが、立ち上がった。

 

異様な、それまでに無かった気配を放ちながら、先程にも増して強大な力で結界を引きちぎり始める。

 

結界のあちらこちらから火花が散り、同時に――

 

「暴走してる・・・?!」

 

 ――フェンリルの体から、その身に纏う純白の獣毛を赤く染めながら、真っ赤な血が流れ出す。

 

「――まさかっ?!」

 

 忠夫が、何かに気付いたその瞬間に。

 

『オオオオオオオオンッ!!』

 

 結界が、それを構築する力の流れが乱れ、それに乗じて完全に罠を食い破られた。

 

 轟音と共に地面が割れ、フェンリルの咆哮が木霊する。

 

 余波で生じた衝撃に吹き飛ばされながら、忠夫は美神達に向かって転がっていった。

 

「ピート、あんた最後とちったわねっ?!」

 

「違いますよっ?! 誤解ですってばっ!」

 

「す、すまない美神くん。お腹が減って力が・・・」

 

「「「あんたかぁぁっ!?」」」

 

 転がっていった先ではピートが美神に襟首掴まって釣り上げられていたが、その横で力なく突っ伏した神父の言葉に忠夫も含めた3人の言葉がはもる。

 

 弟子二人の暴言はともかく、一応半病人の所を無理矢理と言うか流れで連れ出してきたようなものであることを忘れては居ないだろうか。

 

 憶えていてもそれはそれで鬼であるが。

 

「どーすんのよっ! 高いのよ精霊石の結界ってっ?! 先生にそんな大金払えないじゃないっ!!」

 

「問題はそこじゃないっすよっ!!」

 

 額に幾つも井桁を浮かべながら、倒れた神父の胸倉を掴み上げる美神に向かって必死で声をかける忠夫。

 

 その指の先には、唸り声を上げながらこちらを睨むフェンリル。

 

「・・・やば」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。

 

 

「ちょっと待ったぁぁっ!」

 

「こんなこ――」

 

「待て須狩! それは僕に言う権利があるだろうっ!!」

 

「あら、レディーファーストって知らないの?」

 

 突然狙っていたかのようなタイミングで建物の2階に張り出したテラスの上から、何故か仁王立ちの須狩と茂流田が現れていきなり揉め始める。

 

 暫く喧々諤々と話し合っていたが、漸く交渉成立したらしく、二人揃って空咳ひとつ。

 

「「こんな事もあろうかとっ!!」」

 

「それだけかぁぁぁっ!!」

 

 強烈な美神の突っ込みも何のその。

 

 陶酔した面持ちの二人は、完全に自分の世界に入り込みながら背後の扉を開いた。そこから飛び出す5つの影。

 

 それは茂流田と須狩の回りに着地する。

 

「これが子供狙いのガルーダ進化形態だ!」

 

「これでシェアはバッチリ確保っ!」

 

「「科学戦隊ガルーダファイブっ!!」」

 

 ぼーん、と。

 

 5つの影の後ろに、5色の煙幕が舞い上がる。

 

 赤いジャージを着たガルーダはえらくやる気満々でポーズを決め。

 

 青いジャージを着たガルーダは反対にやる気なさそうに肩を竦め。

 

 黄色いジャージを着たガルーダがカレー片手に所在無さげに立ち。

 

 ピンクのジャージを着たガルーダ(♂)が膝を抱えて本気で泣いており。

 

 緑のジャージを着たガルーダが、優しく肩を叩いて慰めていた。

 

 統一感があるようで、実際の所全く無い。いや、あるのだろうか?

 

 呆然とする美神達の横で、唐巣神父がお腹を押さえて蒼褪めながらも、キラキラとした目で何度も何度も頷いている。

 

「様式美の極みだね・・・!」

 

「光栄ですな」

 

 神父の言葉に、茂流田は大変満足げであった。

 


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