月に吼える   作:maisen

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第弐拾四話。

 ピートと一緒に出かけた、忠夫からの一本の電話。それは、美神にとっては美味しいお話でもある。内容は至って簡単。怪しい人物が、何故か美神達の事を知っていた。

 

 そして、彼女達GSに、多額の報酬で依頼を申し出てきた事。

 

「ふ・・・ん。成る程、ヤバイ匂いがプンプンするわね」

 

「でしょ? で、どーします? 西条の義兄さん辺りにでも相談するんすか?」

 

「・・・先ずあんたの脳味噌の中身と相談する必要がありそうね。ともかく、一応開いてあげるから其処に居なさい」

 

 返答も聞かずに通話を終了。叩きつけるように事務所の受話器を置き、振り向く。目に入ったのは、応接室の扉の向こうから覗いている二つの顔。

 

 おキヌは好奇心とちょっとばつが悪そうな顔で、唐巣神父は顔に手を当て天を仰いでいる。

 

 どうやら師匠のほうは何となく予想が付いている様であり、所員のほうも特に不安げな様子が無い。

 

「先生? ちょっとお時間よろしいかしら?」

 

 輝くような笑顔で問えば、何故か唐巣が青い顔で、冷や汗を一筋。

 

 その隣のおキヌが慰めるように、或いは諦めを促すように背中を擦っているが――まぁ、そう言う事である。

 

「い、いや、これから礼拝の時間が「貴方の弟子が、巻き込まれちゃってるんですけど~? いいんですかー、愛弟子放っておいて♪」・・・う、怨むよピートくん!」

 

「まあまあ。美神さんですから」

 

「どーいう意味かしら、おキヌちゃん?」

 

 ちょっと凄みを効かせたつもりだが、おキヌは軽く笑って応接室に消えていく。

 

 大分図太くなったようである。若しくは、慣れてきているのか。

 

 未だにグズグズと何やら呟く唐巣を車庫に追いやり、おキヌが人工幽霊の端末である全身鎧とともに色々と準備を整えているのを視界の隅に留めながら。

 

「さぁーて。お金の匂いがするわね! 商売繁盛、気合入れていきましょうかっ!! おーっほっほっほっ!」

 

 高笑いを上げる美神のテンションは、鰻昇りとなって行く。目指すは某県境、忠夫とピートが向かった森の中。

 

 怪しい女と怪しい小鳥。そんなコンビの所へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「横島、ただいま戻りまし・・・なにやってんだ、ピート?」

 

「え、ええっと、そのぅ・・・」

 

 美神と連絡をつけた後、そのまま道無き道を直線で駆け戻った忠夫。鼻を利かせて本能に従い、辿り着けば其処にあるのは微妙な光景。

 

 何故か、正座で小さくなっている半吸血鬼と、その目の前で仁王立ちの須狩と名乗った女性。

 

 どうやら、かなりご立腹の様子である。

 

「・・・丁度良いわ。貴方、横島くん?」

 

「う、ういっす!」

 

 氷のような視線。まるで、背筋に冷たい鋼の棒を突っ込まれたかのような感覚を覚えた忠夫は、背筋を正して直立した。

 

「一体、どう言うつもりなのかしら?」

 

「と、言いますと?」

 

「この子よ」

 

 主語の無い、そしてあまりにも端的なその言葉。要領を得ない忠夫であったが、腕を組んだ須狩の視線の先を見て納得した。いや、させられた。

 

「・・・ピート。おまえ大人気ないぞ、流石に」

 

「うぇっ?! そ、そんな、横島さんが言ったんじゃないですか?!」

 

 その視線の先では、元は黄色かった毛を所々煤けさせた小鳥が、随分と恨みがましい目でピートを睨んでいる。

 

 どうやら霊波砲でも喰らったらしい。

 

「はっはっは、ピートは馬鹿だなぁ。――あれは野性の掟だ」

 

「は?」

 

「ペットとか家畜に適応しちゃ駄目だげふぅ!」

 

「ピ!」

 

 体をくの字に折り曲げて吹っ飛んだ忠夫の足元には、軽く素早いステップを踏む小鳥が居る。額に浮かんだ井桁マークが、何を表しているのかは言うまでもあるまい。

 

「は、話に違わぬ墓穴っぷりね・・・」

 

「ふ、因果応報ですよ・・・南無南無」

 

 それはブッディストだキリスト教徒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、ともかく・・・美神さん達には連絡つきましたけど、到着にはもうちょっと時間がかかると思います・・・あたたたた」

 

 ごろごろと4回転ほどして止まった忠夫は、逆さまになったままそう告げる。何せ現在地は完全に森の中。

 

 道といえば獣道以外に無く、また連絡手段も先程のように電波が通じる場所に行きでもしない限り、無い。在るとすれば、忠夫のバンダナに仕込まれた発信機くらいであろうか。

 

「よい――しょっと」

 

 逆さまの体勢から、二本の腕と全身のバネだけで飛び上がって捻りを一回。それだけで、忠夫の視界は元に戻る。

 

 思いっきり蹴りを喰らった鳩尾を撫でつつ、先程まで居た場所で威嚇する小鳥に向かって構えた。

 

「よし、来いやぁぁっ!」

 

「だから止めなさいって言ってるでしょうがっ!!」

 

 吼えた瞬間、須狩の右ストレートが綺麗に入る。鼻から入って後頭部に抜けた衝撃が、忠夫の足をぐらつかせる。

 

 しかし、まぁ、普通の一般人の女性であるが故に、ダメージと言ってもその辺りが限界であろう。

 

「いたたたた・・・」

 

「あー、そんな思いっきり殴るから」

 

「貴方はなんで平気なのよっ?!」

 

「慣れてますからね、横島さんは」

 

 涙目で手首を握ってプラプラと振っている須狩の突っ込み。

 

 しかし、忠夫は平気な顔して未だに小鳥と睨み合っている。呆れた様子でそれを眺め、日頃の騒ぎを思い浮かべるピートであった。

 

「・・・・・・うわんっ!」

 

「・・・・・・ピィッ!」

 

 互いに一回づつ吼えると、とりあえずは此処までといった風情で二匹が背を向ける。

 

 忠夫は、ピートを向いて須狩を指差し、此処に居ろ、と身振りで示すと森の中へと歩みを進めていく。

 

 ピートはそれに疑問を抱いた様子も無く、不機嫌そうな小鳥と不思議そうに二人を眺める女性に向かって声をかけた。

 

「さて、横島さんが戻ってくるまでに情報を整理しておいてくださいね?」

 

「・・・お気遣い、感謝するわ」

 

 二人の行動が示すのは、「困っているみたいだから助けるけど、はっきり言って信用していない」と言う事。

 

 そして、「でも依頼主だし話すべき事はきちんと選んで話せ」と言う事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁて。美神さん達が到着するまで、後数時間はかかるよなぁ」

 

 森の中、枯れた葉と枝を蹴り上げ、忠夫はひたすら麓へと駆けて行く。

 

 降り積もった茶色の葉が、巻き起こした風に運ばれて行く。

 

 その葉が再び地面に落ちる頃には、忠夫は既に遠く離れた場所に居る。

 

「こっちから迎えに行って、森の中は担いでいけば良いかなー」

 

 犇めき合った木々をすり抜け、張り出した枝を飛び越える。

 

 着地と同時に一歩踏み出せば、蹴り出した足が先へと進む。

 

 意識の大半を思考へと振り分けながら、その体はひたすらに疾駆する。

 

「・・・やましい気持ちは無いぞ、うん。これは必要だからだ」

 

 誰に聞こえる訳でもないが、何となくそんな言葉が口をつく。ちょっと位は良いよなー、と思いつつ、半人狼は森を行く。

 

 微妙に顔の造形を崩しながら。

 

「・・・でへへへ~、はっ?! いかんいかん!」

 

 とりあえず、わきわきと手を動かすのは止めた方が良い、切実に。

 

 

「って、あれ?」

 

 視線も前に向いておらず、意識も殆どがやましい方向にずれていたにもかかわらず。気が付けば、麓の町に程近い、森の切れ目に到着している。

 

 時間が飛んだような気分になりながら、忠夫はそこらの地面を観察する。

 

 探しているのは、此処に隠しておいた物。

 

「お、あったあった。無くしたら殺されるかもしれんしなー」

 

 通信機と残り少ない現金、着替え。その他諸々生活用品である。ちなみに、無くしたら殺されるのは通信機。なぜなら単純に一番高いから。

 

 そして森の中に持っていかなかったのは、無くしたり壊したりしたら怖いから。

 

 生活用品なんかを持ってきているのは――空き巣対策と言う事で。

 

「えっと、ちょちょいのちょい・・・で」

 

 程なく、美神の持っている通信機に繋がる音がした。

 

「もしもし?」

 

 電話の向こうには、爆音とも言えるほどの騒音が在った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー?! 何よ、横島君?!」

 

「美神さーん、もうそろそろ着くそうですよー!」

 

 その頃、美神達は既に忠夫の近く・・・と言うか、上空に来ていた。

 

 移動手段は、西条経由のオカルトGメン御用達ヘリ。

 

 何か怪しい物、例えば法に引っかかりそうなものがあれば報告する事、そして無理はしない事。

 

 西条は、それだけの条件でヘリを貸し出してくれた。はっきり言って甘いのか、それとも美神の霊感と自分の直感を信じるが故か。

 

 ともかくあっさりとOKを貰い、そのまま近くのヘリポート経由で一っ飛び。

 

 パイロットは何時ぞやのフェンリルやら死津喪比女やらの時に借り出されたパイロット。美神達の顔を見た瞬間に逃げ出そうとした所を、いとも容易く捕まって、泣く泣くお空の案内人。

 

 そんな彼の悲哀も知らぬ気に、美神達は忠夫の発信機目指して一直線と相成ったのである。

 

「分かったわー! ああもう、煩いわねこのヘリっ?!」

 

「そりゃ消音装置もついてない、普通の奴ですからねー! これ以上無茶言わないで下さいよ!」

 

「・・・悪かったわよ! ええっと」

 

 前方のコクピットからマイク越しに返された言葉に少々冷や汗を流しながらも、美神は手元の受信機を睨んだ。

 

 ちらちらとこちらを見ているパイロットの表情は、勘弁してくれと全力で表明しているが放置する。

 

「あら、すぐ其処じゃない」

 

「えー、どの辺りですかー!?」

 

 騒音に掻き消されつつある美神の言葉に反応し、おキヌは窓から下に広がる緑を覗く。しかし、当然ながら開けた場所など見つからない。

 

「下に降りれば分かるわよ。ほら、先生早く準備してくださいっ!!」

 

「そ、そうは言うがね美神君。私はこれでも病み上がりなんだがねっ?!」

 

 真っ青な顔で美神の差し出したパラシュートを受け取り、それでも何とかそれを手早く身に付ける。

 

 いやに手馴れているようにも見える辺り、実はこの神父若い頃はやんちゃだったのかもしれない。

 

「それじゃ、先に行ってますねー!」

 

「はいはい、それじゃ――って?!」

 

 自分が装着したパラシュートのベルトを締め、その他諸々の道具を準備していた美神の髪が風に吹かれて舞い上がる。

 

 慌てて振り向いた美神の目には、おキヌが全開になったドアから身を乗り出すのが見えたり。

 

「・・・あれ?」

 

「おキヌちゃん! パラシュートォォッ?!」

 

「だぁぁっ?! ドアを開ける前にこっちに一言位くれぇぇっ?!」

 

 流れ込んだ強風はヘリの中で荒れ狂い、軽い物を踊らせる。美神達の荷物の中にあった破魔札が一枚飛んで、パイロットの顔に張り付いたのは運命の悪戯だっただろうか。

 

 ともかく、そのせいでヘリの体勢は思いっきり崩れ、おキヌは首を傾げたまま・・・落ちていった。

 

「わ、私、今、飛べないの忘れてましたぁぁぁっ!!」

 

「お馬鹿ぁぁぁっ!!」

 

 美神が天井に張られたロープを掴み、おキヌに向かって手を伸ばす。しかし、その手が扉の向こう側に届いた時には。

 

 既に、おキヌの姿はない。

 

「おキヌちゃん!」

 

「待ちたまえ美神君・・・」

 

 ヘリの窓に顔をぶつけた神父が、窓の外を眺め、体中にこんがらがった緑色のビニールシートを巻きつけながら美神を止める。

 

「先生っ!!」

 

「大丈夫だよ。彼が来た」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、えっと、えっとっ!」

 

 重力に引かれながら自由落下中のおキヌ。よりによって自分のオトボケがこんな形で自分の首を締めることになろうとは。

 

 それでも彼女は必死で冷静になろうと努力しつつ、あと十数秒でできる事を探していた。

 

「こ、こんな事でまた死んじゃったら、死んでも死にきれないっ?!」

 

 彼女に後ろを見る目があったのなら、そちらから凄まじい速度で駆けて来る一人の青年が見えただろう。

 

 しかし、残念ながら今のおキヌは肉体的には普通の人間。

 

 後頭部に目なんか無い訳で。

 

「そ、そだっ!!」

 

 何かを思いついたのか、おキヌは巫女服の袂を探る。

 

 背後の青年、忠夫は、おキヌの落下地点に向かってひた走る。

 

 

「んぎゃーっ?! おキヌちゃんおキヌちゃんおキヌちゃんーー!!」

 

 地面を抉り、木々を蹴飛ばし、障害物を跳ね飛ばしながら忠夫が駆ける。

 

 何故かヘリからふらりと落ちたおキヌは、手足をばたつかせながら100m程先の上空から降っている。

 

 その光景を見た忠夫の頭の中には、もうひた走る以外の選択肢などありはしない。

 

「間に合えぇぇっ!!」

 

 風を追い越し、盛大に土煙を撒き散らし、何か別の物が見えそうになりながら。

 

 忠夫は走った。頑張った。

 

 そして、何とか間に合った。

 

「よっしゃ来いっ!!」

 

 両手を開き、腰を下げて受け止める体勢を整えた忠夫の耳に、不思議な音色の笛の音が聞こえた。

 

「・・・・・・」

 

 忠夫の目の前で、おキヌが森のそこら中から湧き出るようにして集まってきた霊達に包まれゆっくりと落ちてくる。

 

「・・・・・・・・・」

 

 程なく、忠夫の前におキヌが死霊使いの笛を吹きながら着地した。

 

「――ふぅ、ありがとう、皆」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「あれ、どうしたんですか横島さん」

 

 こくん、と小首を傾げたおキヌの様子は大変可愛らしいものではあったが、忠夫の返した反応は、広げた腕を所在無さげにぷらぷらとする事だけであった。

 

 安堵の表情を浮かべればよいのやら、それともなんだそりゃと言えば良いのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ただけ、だね」

 

「・・・あー、もう。しまらない子達ねぇ」

 

 ヘリの上で、そんな会話がなされたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぇーん、痛いですー」

 

「全く、心配させるんじゃないの!」

 

 しばらく後に大荷物を投下したヘリから、美神達が続けて降りてきた。

 

 どうやら神父がかなり神経を削りながらパイロットに謝ったようで、青かった唐巣神父の顔色は白に近いものとなりつつある。

 

 頭に拳骨を落とされたおキヌの泣き言をよそに、美神はヘリから降ろした荷物の点検にかかる。

 

 パラシュートを付けて一緒に降りてきたと言っても、そこは商売道具。

 

 いざと言う時に壊れてましたじゃお話にならない。

 

「ほら、あんたもぼっとしてないで、これとこれ、担いで」

 

「え、ういっす」

 

 衝撃から立ち直れずに呆けていた忠夫の頭を小突き、美神は何時もの巨大なリュックと――やたらと長い、2M程はあるであろう緑のビニールシーツに包まれた何かを指差す。

 

「あれ、これなんっすか?」

 

「ああ。・・・あのヘリの中でいーもの見つけたから、ちょっと借りてきたの」

 

「また君はそう言う事を・・・」

 

 唐巣神父が頭を抱えるのを綺麗にスルーしながら、美神は破魔札と神通棍を身に付ける。

 

 リュックを担ぎ、長物を肩に担いだ忠夫は、そんな神父を気の毒そうに見ていた。

 

「ひーん、痛いですー」

 

「やー、流石に今回はおキヌちゃんが悪いと思う」

 

「よ、横島さんまでー!」

 

 結局、何処まで行っても緊張感とは無縁な彼女達であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・あ、おかえりなさい。あれ、先生?」

 

「ああ、ピートくん。無事だったようだね」

 

 繁みを掻き分けて忠夫達がピート達の所に戻れば、其処では相変わらず能天気そうに小鳥が草を啄ばんでいる。

 

「あれ? 須狩のねーちゃんは?」

 

「あ、う、そのー」

 

 何とはなしに聞いてみれば、ピートは真っ赤になって視線を逸らす。不審げに見つめていると、諦めたように小さな声で呟いた。

 

「その、お花を摘みに・・・」

 

「・・・うーん、ちょっと様子を見てくるか」

 

「「へぇー」」

 

「へ?」

 

 ハモって聞こえた二人の声に振り向けば、美神とおキヌが刺すような、絶対零度の視線で睨んでいた。

 

 おキヌの手は笛に掛かっているし、美神の拳からは霊気が溢れて火花を散らす。

 

 「花を摘む」という隠語を知らない忠夫の迂闊さが、この場の雰囲気を作り出しているのだが。

 

「え? え?」

 

「「・・・変態」」

 

「ええっ?!」

 

 二人同時にそっぽを向かれて、忠夫はとても混乱している。何がなんだか分からなくなりピートに視線で助けを求めるも、何故か神父と一緒にぼそぼそと喋りながらこちらをちらちら見るばかり。

 

「お、俺が一体何をしたぁっ?!」

 

「「・・・スケベ」」

 

「あうっ?!」

 

 須狩は程なく戻ってきたのだが、忠夫はその間中針の筵に延々と座らされつづけたように憔悴しきっていたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、ミス美神。お噂はかねがね・・・」

 

「あら、どーも。・・・噂以上の事もお知りのようですけど?」

 

「ええ、まぁ」

 

 須狩の差し出した左手を握りながら、美神は完璧な営業スマイルを保っている。

 

 互いに目を逸らしては居ないが、その真ん中の空間では何かドロドロとした物が生まれそうな雰囲気であった。

 

「で、ご依頼と言う事ですけど?」

 

「・・・報酬は、ざっとこれだけですわ」

 

 依頼の内容も言わず、須狩は手早く何処からとも無く電卓を取り出しそれを突きつけた。

 

 それに表示されているのは、美神の予想よりも2桁は多い額である。

 

 思わぬそれにかなり心を揺さぶられつつも、後ろから見ている師匠と所員の視線をひしひしと感じて少し考えた。

 

「・・・どうやら、相当の危険がありそうですわね」

 

「ええ。後、場合によっては――」

 

 須狩の腕が返され、再び電卓の上を指が動く。

 

 2度目に突きつけられた額は、先程の1,5倍。

 

「受けましょう!!」

 

「美神さん、いーんすかそれぇぇっ?!」

 

「良いのよっ!」

 

「あああ、相変わらずなのだね・・・」

 

 忠夫の悲鳴は一言で切って捨てられ、神父の苦悩は届かない。とりあえず、美神の理性をあっさりと吹き飛ばすほどの額ではあったようだ。

 

「み、美神さんの急所をあっさりと・・・!」

 

「おーっほっほっほ!! やっぱり私の霊感に狂いは無いわね!」

 

「大丈夫なんでしょうか・・・?」

 

「覚悟は決めたほうが良いかも知れませんねぇ」

 

「神よ・・・試練なのでしょうか・・・しかし、なんでしょうかこの空虚さは・・・」

 

 驚愕と歓喜、困惑と諦念。そして虚しさをたっぷりとブレンドした言葉が飛び交う空間で。

 

「・・・そ、そろそろ説明させてもらっても良いかしら?」

 

 失敗したかもしれない、と今更ながらに冷や汗交じりで引き気味の須狩は思った。

 

「救助?」

 

「ええ、そう。対象は――茂流田。私のパートナーよ」

 

 完全に巻き込まれた形の唐巣神父が膝を抱え、ピートがその側でおろおろし。

 

 それを視界の端に引っ掛けながら、美神達は須狩の話を聞いていた。

 

「・・・なんで、救助しなきゃならないような事に?」

 

「それは、依頼と関係あるのかしら?」

 

「あら、隠すような事なの?」

 

「隠していると思う?」

 

「違ったかしら?」

 

「さあ?」

 

 ピリピリと、一度は鎮火していた空気が再び燃焼し始める。段々と短くなる言葉のやり取りの中、二人は一度も目を逸らさない。忠夫とおキヌはドン引きである。

 

「・・・まぁ、良いわ。――おいで」

 

 先に視線を逸らしたのは須狩。

 つい、と逸らした視線の先に居る小鳥を招き、駆け寄ってきたそれを手の平に乗せる。

 一見、とても賢い小鳥に見えるが、美神の目には全く別の存在として写っていた。

 

「これ・・・!」

 

「これ、なんて言わないでもらえるかしら」

 

「・・・成る程、とんでもない事してくれたわね」

 

 可愛らしく鳴く小鳥からは、確かに未だ小さいとはいえ、強烈な存在感を感じさせる魔力が漂っていた。

 

「ガルーダ。しかも幼生・・・ね」

 

「流石」

 

「魔族、それも中級の凶悪な魔獣。そんな存在が、人界に、しかも人に懐いてる・・・」

 

「・・・予定とは違っちゃったけどね」

 

 誇らしげ、ではない。

 

 かと言って、苦々しげでも無い。

 

 むしろ、照れくさげ、と言うのが正しいだろう。

 

 美神は、そんな須狩の表情に首を傾げる。

 

「・・・魔族のクローンなんて作って如何するつもりだったのかしら?」

 

「「「――っ?!!」」」

 

 美神の一言で、場の空気が凍りつく。いや、

 

「くろーん、ってなんっすか?」

 

「あっちで教えてもらいなさい」

 

 一人はてなマークを飛ばしまくっていた田舎侍が、神父とその弟子の所に追い立てられた。

 

「・・・メドーサ、そしてベルゼバブ。それが、私達にこの話を持ちかけてきた魔族よ」

 

「・・・また嫌な名前を聞いたわね」

 

 須狩の話によれば、始まりはメドーサと言う女魔族がその話を持ってきたのだという。

 

 彼女は、自分の目的は何ら明かさないまま、巨額の報酬と十分な実験設備、そして須狩達でさえ知らないような技術を持ってその計画を進めていったのだと。

 

「暫くは順調に進んでいたわ。私は良く知らないけれど、茂流田のほうも何らかの形で結果を出していたみたい」

 

 魔族の細胞を、他の者と混ぜ合わせる。そんな実験だったらしい。しかし、その結果が出る前にアジトを移す事になり――茂流田の実験も、ストップしていた筈だった。

 

「・・・今度は、ベルゼバブとか言う魔族が現れたの」

 

 その魔族は、茂流田と須狩にクローン技術を伝え、その代わりに合成技術と――クローン技術との融合を模索させた。

 

 ベルゼバブは、全く異質な技を持ってクローンを作り出していた。己の分身を生み出すその技術を解析し、様々な既存の技術と組み合わせ、再現を可能にする。

 それが、須狩の担当であった。

 

 対して、茂流田の担当は――

 

「知らない。いえ、彼も分かっていないみたいだった」

 

 しかし、それでも彼らの科学者としての本能は留まる所を知らず。

 

 その過程で生まれたのが、ガルーダや他の存在達だと言う。

 

「何でそんな研究を?」

 

「あら、知らない技術があって、研究には困らない環境があって、知識欲と探究心を満たすだけの要素がある――他に、どんな理由が要るのかしら?」

 

「・・・そー言うのをマッドって言うのよ」

 

「否定はしないわ」

 

 その過程で――須狩は少し恥ずかしげに誤魔化したが――色々とあり。

 

 結局、ある程度研究を完成させた時点で一端打ち切る事に決めた。

 

 ベルゼバブは報告を纏めた書類とデータを受け取り、報酬もきちんと払って消えた。

 

 何も問題無い。その筈であった。

 

「・・・少なくとも、あのメドーサって言う魔族は――いえ、何でも無いわ」

 

 その夜。

 

 研究所に、警報が鳴り響いた。

 

 アラートの原因となったのは、研究途中で破棄されたモノ達の廃棄場所。

 

 彼らの墓場であった。

 

 引き払う準備も終わり、報酬をどうやって運び出すかを話し合っていた二人は急いでモニター室に駆け込んだ。

 

 薄暗い部屋の中、無機質に並ぶ監視カメラの映像には何も写っておらず、ただ、ぐしゃぐしゃに砕けた鋼鉄製の扉と、須狩の知らないカプセルが開いている光景が映し出されていた。

 

「・・・茂流田は、何か知ってたみたい。私を研究所の外に連れて行って、一流のGSを、少なくとも貴方達クラスを呼ぶように言ったわ。それから、研究所の全隔壁を閉鎖。現在は、全く状況が分からない」

 

 扉は特殊合金で出来ており、例え対戦車砲の直撃でも破れない。それでも、彼は美神達を呼ぶように、と言った。

 

「・・・時間を稼いでる。多分、そう。それが、昨日の夜」

 

 ご丁寧に研究所にある車は全部「何故か」故障しており、結局此処まで歩いてくる事になったのだと。

 

 そう告げて、須狩は顔を伏せた。

 

「今、私が話せる事は、これで全部」

 

「成る程。口封じって事かしら」

 

「はいはいはいはいはいっ!!」

 

 顎に手を当てて考え込んだ美神の耳に、忠夫の声が煩く響く。

 

「何よ」

 

「このまま何事も無かったかのように「却下」・・・くぅ~ん」

 

 腰の引けた忠夫の背中を、冷たい風か撫でていった。

 


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