月に吼える   作:maisen

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第十一話。

 美神の影法師が、槍を横薙ぎに振う。

 

「ケーっ!」

 

 が、禍刀羅守は嘲笑うようにあっさりと後方に飛んでかわすと、お返しとばかりに着地で抉れた岩を足で蹴飛ばして来た。

 

 慌てて眼前に構えた槍で防ぐ影法師。

 

 が、その一瞬の隙に回り込んだ禍刀羅守は、その防御した腕を僅かに掠めるように鋭い刃を振ってくる。

 

 使い慣れない武器であるせいもあろうが、若干反応が遅れた美神が腕を押さえて顔をしかめ、だが反撃に振われた槍の届く頃には禍刀羅守は既に離れている。

 

「こんのくそ蟷螂ー!! 昆虫なら昆虫らしく単純に来なさいよー!!」

 

「…グケェ」

 

「あああっ!! 今馬鹿にしたわね! 虫のくせに!!」

 

「グケケケケ!」

 

「ぶっ潰す。絶対にぶっ潰す!!」

 

「ああっ! 美神さん落ち着いてー!」

 

 先ほどから細かく細かく攻撃されている美神は、堪忍袋の緒がとっくの昔にブッチ切れていた。

 

 おキヌの声も届かないらしく、握った槍をしごいて突っかけていく美神の影法師。命懸けの試練の割に子どもの喧嘩のような雰囲気が見え隠れしていた。

 

 其処から少し離れた巨岩の列。ド派手な狼侍の姿をした忠夫の影法師が、相変わらずキセルをふかしながらのんびりと寝そべっているそのそばで。

 

「とりあえずアレを動かせば良いんですねっ?!」

 

「ってやっぱり横島さんが動かしてたんじゃないんですかっ?!」

 

「俺は煙草吸いませんからっ!!」

 

「そういうことじゃなくてっ!!」

 

 地味に混乱している困っている忠夫と、今まで無かった事が起きたせいで状況把握に困っている小竜姫が、大変困っていた。

 

 どうにも彼女、生真面目な性格である為か突発的なトラブルには少々弱く、処理しきれていない様である。

 ともあれこうして混乱してばかりも居られない、と自分がやや焦っていた事に気付いた小竜姫は、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。

 

 ようやく落ち着いたのか、瞳に冷静さを取り戻した彼女は、横島の影法師を指さし、勤めて常のように声を出した。

 

「あれは貴方から生まれた影法師なんですから、貴方の考えた通りに動いてくれるはずです」

 

「勝手に動いてますよっ!」

 

「だから分からないといっているんです! 私だってこんな影法師初めて見たんですからー!!」

 

「結局どうすりゃ良いんですか!!」

 

 どうやら落ち着いていたのは一瞬だけの様で、あっさりと逆切れした小竜姫は八つ当たり気味に咆哮した。

 

 こっちはこっちでドタバタと大混乱であったが、一方美神達の方では決着がつきかけていた。

 

 もはや全身の鎧に細かな罅が入り、頭部の兜から生えていたであろう角は一本の先端が欠け、もう一本は根元から折れている。ボロボロの、という表現以外に考えられない様相となった美神の影法師の上に覆い被さるようにして、禍刀羅守はその右前足についている巨大な刃を振り上げた。

 

『命をかけた真剣勝負』

 

 先ほど忠夫自身が言った言葉である。そのシビアさは良く分かっているつもりであったし、また、侍に成りたいのならば忘れてはいけないことの一つであるとも聞き育ってきた。

 

 命を取ると言う事は、命を獲られるかもしれない状況と表裏一体。

 

 であるがゆえに、このGSという職業を、見習いとは言えやっていくつもりであるならば、もしかすると仲間の誰かが命を落とすかもしれない。

 

 だが、それを本当に理解していたのだろうか。

 

  自分が負けるかもしれない、その結果として死ぬかもしれないと言う事は、覚悟している。

 

 だが、美神が負ける訳はないと思っていたのか。

 

  まさか、自分の仲間がそんな事になるはずがないと思っていたのか。

 

  そんなはずがないと、思ってしまったのか。

 

 それでも、忠夫の目の前で、その刃は確実に美神の影法師の喉元に向かって突き進む。

 

  だが、だが、どうすればいい?

 

 この身は無力、そしてその力はいまだ未熟。

 

 

 

「美神さぁぁんっ!!!」

 

 

 

 おキヌの悲鳴に紛れるように、『未熟者』――叱咤するような囁き声が、自分の中から聞こえた気がした。

 

 「ガオゥ!!」

 

 それまで周辺の状況など空に浮かぶ雲のごとく気にせずに、泰然とキセルをふかしていたはずの忠夫の影法師が、何時の間にか、そう、誰もが振り下ろされる禍刀羅守の刃にその眼を奪われた瞬間、ふらり、と立ち上がると、生身の人間の侵入を拒んでいた修行場を囲む堅固な結界を、只一鳴きで打ち壊した。

 

 

 その右手でそれまで寝転んでいた、どう見てもその影法師自身よりも大きな岩を片手で持ち上げ、そのまま咆哮に一瞬固まる美神の影法師と、禍刀羅守の目の前にブン投げた。

  巨岩が禍刀羅守と美神の影法師を纏めて潰さんと迫り、最早誰にも止められない、そのタイミングで、横島の影法師はその手に持ったキセルを巨岩に投げつける。

 

 左手で投げたキセルは閃光のような速度で目標に到達し、先端から砕け散りながらも、巨岩を粉々に打ち砕く。

 

が、圧死の危険からは抜け出したとはいえ、目の前で砕かれた欠片は見境なくショットガンの様に美神の影法師と禍刀羅守を同時にしたたかに打ち据えた。

 

「ぅあっ!!」

 

「グゲェ!!」

 

 両者共に吹き飛ばされ、そのまま動かなくなる。

 

いや。

 

「…グ、ケェ」

 

 ふらつきながらも立ち上がったのは、禍刀羅守が先であった。

 

「…くぅぅ」

 

 禍刀羅守はふらつきながらも起きあがり、忠夫の影法師に一睨みをくれるが、ソレはその場で腕を組んだまま動く様子がない。

 

ならば―――

 

「ケケケェ」

 

 今は目の前の獲物の息の根を止める事が先決、と禍刀羅守は警戒はしながらも、いまだ動く様子のない美神の影法師に近づいていく。

 

「美神さん!! …くそっ!! 何がなんだかわからんが、こんなもん黙って見てるようじゃ、男じゃねぇよなっ?!

 

 巨岩が砕かれた際にこちらまで転がってきた一抱えは有る石を拾うと、其処に向かって駆け出す横島。

 

 しかし。

 

「ぐけぇっ!!」

 

「横島さんっ!?」

 

「こんの…がっ!!」

 

 飛び上がり、振り下ろした瞬間、視線を向ける事無く振り上げられた蟷螂の刃で、重さを感じさせない勢いで岩ごと吹き飛ばされた。

 

 おキヌの悲鳴を聞きながら、ごろごろと地面を転がり、横島の影法師の足元に叩きつけられる。

 

 幸い岩が盾になってくれたらしく、大きな怪我はしていないようだが、かなりの距離を飛ばされ、打撲と擦り傷だらけになった身体を起こしながら、横島は上から降ってくる視線に気づいた。

 

「なんだよっ!」

 

 僅かな、ほんの小さな溜息が頭上から聞こえ、見上げれば其処には呆れた表情の狼の顔。

 

 狼頭の侍は、そのまま黙って、その腰の脇差の1本を忠夫の前に落とす。それは見る間に縮み、忠夫の手にちょうど良い大きさの小刀へとその姿を変えた。

 

「…助太刀、感謝!!」

 

 それを立ち上がりざまに引っつかみ、再び美神の影法師に覆いかぶさりその刃を振り落とさんとする禍刀羅守へと駆けだした。

 

 小太刀を抜き放ち、そのままの勢いで一撃を、と速度を上げる。

 

「なんだこれっ?! 抜けねぇじゃねぇか!!」

 

 しかしその鞘は、刃を抱え込み放さない。

 

「…ええぃ!! それがどうした!!」

 

 一瞬の逡巡。

 

 武器を得たがゆえに、その武器が使えないと言う状況に落ち入り、そして横島が選んだのはそれでも前進する事だった。

 

 ほんの僅かな時間で良い。

 

 その時間さえあれば、彼女ならきっと何とかしてくれる。

 

 駆けつけ様に、逆袈裟に振り上げるように振るわれたソレは、邪魔者を排除しようとし振われた禍刀羅守の一撃を確かにその鞘で刃を受け止め、一瞬の隙を作り出した。

 

 眼下の影法師ならともかく、まさかただの人間が吹き飛ばされる事も無く、真っ二つになる事も無く、その両足で地面を踏みしめながら己の刃を受け止めている、と言う予想もできなかった事態に、禍刀羅守の思考は完全に止まっていた。

 

「美神さん、これっ!」

 

「…っく!! ありがとおキヌちゃん! 食らいなさいっ!!!」

 

 そんな分りやす過ぎる隙を、意識を取り戻した美神が見逃すはずも無く。

 

 禍刀羅守が気付いた時には、胴体はがら空きで、しかも眼下の影法師は幽霊の少女が引っ張ってきたらしい槍を構えている。

 

 慌てて刃を引き戻すも、もう遅い。にやりと笑った美神は、影法師に攻撃を念じた。

 

そして、間違いなくその意思に答え、起き上がりざまに真下から柔らかな胴体を突き上げた美神の影法師の槍は、鈍い音を立てて禍刀羅守の胸に大穴を空けたのだった。

 

「…はぁぁぁぁぁぁぁ。ありがと、横島君、おキヌちゃん」

 

「…やばかった~。死ぬかと思ったわい」

 

「二人とも大丈夫ですか!?」

 

「なんと言う無茶を…良くその命あったものですね」

 

 呆れかえる小竜姫の前で、倒れ込んだ横島と美神におキヌが慌てた様子で文字通り飛んでいく。

 

 生身で巨体が争う戦場に飛びこむ少年も、霊体の身で必死に槍を運んだ少女も、あれだけ追い込まれた状況から一瞬の好機を逃さず逆転してみせた女性も。

 

それぞれ中々無いほどの無茶を見せてくれた事に、小竜姫の口元は僅かに引き攣っていた。

 

「今度ばかりは、やられたわね。とりあえず命が助かっただけでもめっけもんか、な。一応礼を言っとくわ」

 

「もう、美神さんったら」

 

「それって礼じゃないっすよ」

 

 性も根も尽き果てた、とばかりに寝転ぶ美神と鞘付きの刀を持った忠夫。その様子を喜びと共に見るおキヌと、呆れた視線を忠夫に向ける小竜姫。

 

 三人揃って緊張の糸が切れたその時、転がっていた禍刀羅守から光が溢れた。

 

 一つ目の試練を超えた時のように、静かに佇む美神の影法師と、なぜか横島の影法師に向かって来る禍刀羅守から生まれでた新たなる力の証。

 

 そして美神の影法師の持つ槍は両端に刃を持つ薙刀へと姿を変え、もう一方に向かって行った力は、横島の影法師の手の上で金色のキセルへと変化した。

 

 狼頭の侍の口からは、満足げな吐息と共に煙がどっかに飛んでいったのであった。

 

「「「「…え?」」」」

 

 しばし、何とも言えない空気が修行場に漂う。

 

 コホン、と咳ばらいをし、最初にその空気を取り払うように動いたのは小竜姫だった。

 

「…え~。それでは、最後の試練へと行きたいと思います」

 

「無視っすか、あれ?」

 

 半眼の横島の問いに対し、小竜姫は悟った様な笑顔でこう告げる。

 

「何がですか?」

 

 微かに残った管理人としての意識を砕かれまいとする防御行動か。

 

 小竜姫は決して視線をそちらに向けず、仮面のような笑顔のままでの発言に、三人は互いに眼で触れない事を決定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ふぅ。はいはい。んで? 次のお相手はどんなのかしら?」

 

 暫く後、何処となくすっきりとした表情で立ち上がった美神に、小竜姫は次の、最後の試練の説明を始める。

 

「最後は、私と戦っていただきます」

 

「…え"」

 

 笑顔でのたまう小竜姫に、絶句して固まる美神。

 

そして、「あんたの影法師の石投げが一番効いたわよっ!!」という理不尽な理由でぼこぼこにされていまだノックアウト中の横島と、それを甲斐甲斐しくも看護するおキヌ。それを煙でまぁるい輪っかを作りながら面白そうに眺める横島の影法師。

 

 努めて横島の影法師から眼を逸らしながら、小竜姫は三人を見回し、一つ頷いて見せた。

 

「なかなか面白いチームではありませんか。久々に面白い勝負ができそうです♪」

 

「…マジで?」

 

 最後の試練が一番厳しいというのは、お約束という事なのだろう。

 

「ちょ、ちょっとまった!!」

 

「えー。なんでしょうか?」

 

 うきうきと神剣を素振りしながら修行場の中心へと向かう小竜姫。

 

よっぽど何かストレス的なものでも溜まっていたのか、テンションが上がりっぱなしの彼女になんとか美神は声をかける。

 

「さ…作戦タイーム!!」

 

 そう告げると、残念そうな小竜姫をその場から追い払った。

 

「…さて、そこで逃げようとしてる横島君?」

 

「はいっ!」

 

 何時の間にかこそこそと尻尾を丸めて修行場を抜け出そうとしていた横島の背後に回り込んだ美神は、彼の首筋に薙刀となった影法師の刃を当てた。

 

 冷たい感触に硬直し、小竜姫が追い出された時に感じた嫌な予感がばっちり当たった事を悟って、横島は冷や汗を止めどなく流す。

 

「分かってるわね?」

 

「いやー、全く分からないっすよはっはっは!」

 

「あの竜神に天罰喰らうのと、私に今ここで哀れに苦しんでぶっ殺されるの。どっちがいい?」

 

「俺の未来が無いじゃないですかー! やだー!」

 

「さぁ、さくさく決めなさいね~♪」

 

「あうあうあうあう」

 

 音を立てて構えなおされた影法師の薙刀と、音を立てて拳を光らせる美神に挟まれ、もう傷はないが、なぜか涙が止まらない忠夫であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、準備は「こうなったらもうヤケじゃぁああああ!!」…なんで横島さんがそんなに気合はいってるんですか?」

 

 修行場の扉を開けて入ってきた小竜姫は、異様に気合の入っている忠夫を見ていぶかしげな顔をする。

 

 悲壮なまでの表情で決意を固め、しかし同時にやる気も感じられる横島を、美神は慌てて叩き倒して沈黙させた。

 

「いいえ~~何でもありませんよ?!」

 

「うごご…。そ、そうです。何でも無いです」

 

 じとーっとした半眼であまりにも怪しい二人を睨みつけるが、どうせ何か妙なことでも考えついたんだろう、とほったらかす小竜姫。

 

「それでは、これは私からのサービスです。面白いものを魅せていただきましたから、ね」

 

 そういってチラリ、と横島に目線をやると、美神の影法師に向かって手を伸ばす。その手が光ると、影法師にあった大小の傷は全て消え失せていた。

 

「最後の試練、始めます」

 

「…OKよ」

 

 

 その姿を神々しい、戦装束を纏い、光り輝く竜神としての戦闘形態に変化させ、修行場の真中へと歩を進める小竜姫。美神はそれに応じて影法師を小竜姫の正面へ配置につかせる。

 

「それでは小竜姫、参ります」

 

  小竜姫は神剣を構え、その一撃目を繰り出した。

 

――いいわね、あんたの役目は、なんとしても小竜姫に隙を作り出すことよ!

 

――手段は選ばないわ。なんとかしてみなさい。失敗したら私が死んでてもあんたを呪い殺すわ。でも、役に立てば、…ごほーびよ。

 

「ごほーびかぁぁぁぁぁぁ、やる気が出るなぁぁぁぁっ!!」

 

 空を見上げ、未だ見ぬ褒美の内容を考え悶える横島。

 

「高級なお肉か?! いやいや、もしかしたら嫁に来るとか!」

 

 その口はだらしなく開かれ、肉の味でも想像したか、それともいよいよ成功するかもしれない嫁取りの事でも思ったか、不気味な笑い声がこぼれていた。

 

「…ぐふふふふふふふふふふふふっ!!!」

 

 が、彼の背後では今まさに小竜姫と美神の影法師が互いに武器を振って火花を散らす鉄火場が形成されていた。

 

「ヨコシマァッッッッ!!!」

 

「はいぃぃぃぃっ!!!!」

 

 美神の怒声で妄想の羽を閉じた横島は、殺意の籠りまくった美神の視線を受けてようやく現状を認識することに成功する。

 

「やべっ! 始まってる!!!!」

 

 焦った彼は、とりあえず走って戦場へと近づく。

 

 ちなみに忠夫の影法師は、四本の刀を枕元に置くと、岩の上で仰向けになって鼻提灯を製作中である。

 

「ええ~と、ええ~と、とりあえず気を逸らせばいいんだから――」

 

 小竜姫の繰り出す斬撃をひたすら防ぎながら、美神がこちらを殺気の篭った視線で見ている。なんと言うか「早くしないとヤル」と言う意思が溢れすぎてて正直怖い。

 

 その視線をうけ、おもわず尻尾を丸めながらひたすら考える横島。しかし、どうしても殺気が気になって考えが纏まらない。

 

「どうしました?防戦一方では勝ち目はありませんよ」

 

「くっ!」

 

(―防御に徹すればしばらくは持ちこたえられる! なにやってんのよあのバカは!さっさとちょっとでいいから隙を作りなさいっての! こんなときくらい少しは役に立ちなさいよ!)

 

 先ほどの助けてもらった相手に対するお礼の言葉は一体なんだったのか。

 

「やばいやばいやばいやばい!!!」

 

 焦りが思考を上滑りさせる。

 

 早くしなければ殺される。美神の事だ、言った事は必ず実行するだろうから、もし失敗して命を落としたら、間違いなく末代まで祟られると横島は思った。

 こういったときに慌てれば慌てるほど余計にいいアイデアなど浮かばないものだが、恐怖に脅かされた彼はよりにもよって、

 

 

 

「…小さい胸で小竜姫、なんつって」

 

 

 

 自分で地獄行きの片道切符を購入した。

 

嗚呼、瞬間、修行場の空気が死んだ。

 

 何かが纏めて数十本ぶち切れる音がする。

 

 彼女の顔は見えないが、その目の前に立っている美神の顔が引きつっている。

 

そして、小竜姫から溢れ出たオーラが、怒り狂う龍となって咆哮した。

 

 

「い~ま~、何か言いましたかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」

 

 

 地獄の底から響くような低いトーンの声が聞こえる。

 

 

「母上…俺、死ぬかもしれん」

 

 後悔とは、後で悔やむから後悔だ。いまさら後の祭りである。

 

 ゆっくりと振り向く小竜姫。その瞳は、すっかり怒りで染まりきっている。

 

 あまりの殺気の密度に当てられたか、何か他の理由でもあったかのか、或いは最初から寝て等居なかったのか。

完全に寝に入っていた筈の影法師は飛び起き、とてつもなく怒っている小竜姫を目にすると、横島に向かって顔の前で数回ぱたぱたと手を振った。

 

横島には分る、「あれは無理」と言っている。

 

三人と影法師二体は、ダッシュで逃げ出した。

 

しかし怒り狂った小竜姫は、彼らを逃がすつもりなど無いのか、突如として身体から膨大な力と閃光を吐きだした。

 

 それが収まった時に現れたのは、巨体を持つ、一匹の神々しくも荒々しい龍だった。龍の咆哮で修行場が震える。そして振り向いて確認した三人も震えあがった。

 

「このバカッ!! 隙を作ればいいって言ったじゃない!! なんでいきなり逆鱗に触れてんのよっ!!」

 

「だってだって、しょうがないじゃないっすかぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

「いいから早く逃げましょうよっ!!」

 

 出口があったであろう場所に向かって駆け出す三人。

 と、横島の影法師が先んじ、銭湯の脱衣所の様な扉に向かってその刀を振う。

 

 ガラス片と木屑を撒き散らし砕け散る扉を潜って逃げ出した美神達を追いかけ、龍もまたその身体を修行空間から妙神山の敷地内へと現わさせていく。

 

 出口に向かって逃げていく美神達。

 何時の間にか横島の影法師が消えていたが、三人にはもうそんな事を気にしている余裕は無い。

 

 なんとか出入り口の扉までたどり着き、美神の影法師がこじ開けた隙間を縫うようにして転がり出た三人の後を、美神の影法師が扉を飛びだしざまに蹴って閉めた。

 

 が、龍の怒りは収まる所を知らないようで、扉の向こうではまだ荒れ狂う咆哮と破壊音が断続的に響いている。

 

「「お前らー!! 一体何をやったのだー!!」」

 

 扉に張り付いた門番たる鬼達の怒声が息を切らす三人の背中に降り注ぐ。

 溜息一つ、疲れた表情で立ち上がった美神。

 

「だいたいこいつのせい」

 

 そう言って埃まみれの彼女は、背後の横島を指でさした。

 

「…小竜姫さん怒らしちゃった。てへ」

 

「「このバカっ!!!」」

 

 サラウンドで響いた悲鳴のような怒声に、美神とおキヌは思わず頭を抱えたとか。

 

 結局暴れるだけ暴れた小竜姫は、美神の「とりあえず、こういうときは生贄よねー」の一言で山門の中に蹴り入れられた忠夫を12時間に及ぶ追いかけっこの末、消し炭の上ミンチ寸前というすぷらったーな光景を作り上げたところで正気に戻り、「ああっ!!だれがこんな事を!」と荒れ果てた修行場を見ておっしゃった。

 

「あんたよ、あんた」

 

「そんなっ!!こっこんな不祥事が神界に知れたら…」

 

「大丈夫よー。私がお金出したげる。一週間もあれば元通りに成るわよ」

 

「ほ、ほんとうですかっ!!ありがとうございます!!!」

 

「いいのよっ!!そのかわり最後のパワーちょうだいねっ!!!」

 

 最後は金で解決した美神は「力が正義じゃないわ!お金が正義よっ!!」と力強く言い放ったとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…わん(ふぅ、やっと撒いたようでござるな)」

 

「ウォン(ここらの猟友会は相変わらず良い腕してるよな。正直2回も掠るとは思わなんだ)」

 

「わおう(とりあえずこのまま忠夫のところまでいくでござるよ)」

 

「ワフ(りょーかい)」

 

 コンクリートに爪音を響かせながら、人狼の2人が狼形態となって街の真ん中を歩いていく。

 

街中に、巨大な犬(狼であるが)が首輪もつけずに、しかも片方はなんだかおどろおどろしい雰囲気を放つ風呂敷を首に巻いたのが二匹うろついている。

 

「いたぞ、通報のあった犬だ!」

 

 保健所というものの一つの役割として、野犬の捕獲があったりするわけで。

 

「わう!(今度は何でござるか!)」

 

「ワンっ!(わからん、が逃げた方がよさそうだ!!)」

 

「逃げたぞー!!」

 

「捕まえろー!! 猟友会を呼べーっ!」

 

 でっかい犬と、市民の安全を守るという使命感に燃えた職員達の、昼間の大追跡劇が始まるのであった。

 

「…さっきまで『鉄砲持ち』と大立ち回りやってたかと思えば」

 

「…」

 

「ねぇ、シロ。あんたら人狼ってさ」

 

「何も言うなでござる。武士の情けっ」

 

「…全体的に馬鹿なの? 死ぬの? あと私は武士じゃないわよこのお馬鹿」

 

「……くっくっくっ。父上。犬飼殿。兄上のところまで案内したらその後は用済みでござるよなぁ…?」

 

「…結局こっちもお馬鹿なのね。はぁぁぁぁぁぁ」

 

 

 




大体この時間に予約投稿、余裕があれば追加投稿という形で暫くは行きます。


※感想で心配して下さった方がおられましたが、Night Talker様に投稿した分に関しては、にじファン様への投稿時に過去ログの削除依頼をメールにて行っています。

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