月に吼える   作:maisen

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第陸拾四話。

「何だかねぇ、雪之丞?」

 

「あん?」

 

 無言で前方を歩く3人と、気絶した振りのままで引き摺られている一人を見ながら、勘九郎は横を平然と進んでいる雪之丞に問い掛けた。

 

 山篭りは伊達でなかったらしく、結構な距離道無き道を進んでいるにもかかわらず、雪之丞の顔に疲れは見えない。

 

 何時ぞや忠夫と勘九郎に息を切らしながら追いついてきていた時よりも成長した弟弟子にほんの少しだけ寂しさと、それを超える頼もしさを感じつつも表情には出さないし言葉にもしない。

 

 訝しげに此方を向いた雪之丞に、まだまだ超えられない壁で居る事が兄弟子の役目、と心の片隅で考えつつ、勘九郎は口を開いた。

 

「私って、実はキャラ薄いのかしら?」

 

「心配すんな。今回の面子と相性わりーだけだろ」

 

「あと、あんたも今回薄いわよ?」

 

「ほっとけ。つかあの連中の中に入ってたら、正直、身が持たん」

 

 まるで自分が常識人のような、全く自覚の無い台詞であった。

 

 ただ、呆れた視線と後頭部にかかる縦線だけは、それが本音であるとしっかり主張はしていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、こっちじゃの」

 

「・・・離しなさいよ」

 

「ノー。拒否・します。むしろ・貴女が・邪魔です」

 

「聞いとらんだろお前ら」

 

 一人ざくざくと一番前を歩くカオスの呟きも、後方の二人にとっては関係の無い事のようである。

 

 互いに視線を合わせないまま、前だけを見つめて歩いていく。

 

 時折後方斜め下で痛そうな音が響いているが、既に意地の張り合いに近い状態に突入している二人の意識の外。

 

 死んだ振り継続中の忠夫も悲鳴も上げられずにされるがままである。

 

 未だにさっきのマリアのドアップとその行動に思いっきりフリーズしている忠夫は、まだまだ再起動には至っていない。

 

 ただ只管に痛みを堪えつつ、混乱と心臓の16ビートが収まるのを待っている。

 

 ルシオラは気付いていないが、センサーで忠夫を調査できるマリアにとっては完全にお見通しなのだが、むしろマリアもどんな行動を取ったら良いのか結論が弾き出せていないので突っ込まない。

 

 そこまで動揺するほどの出来事だったと彼に捉えられていると解釈し、かなり嬉しかったり気恥ずかしかったりしてはいるが、基本的に無表情のまま。

 

「・・・小僧。月の無い夜には注意せーよ」

 

 殺気と言うよりもおどろおどろしい負のオーラに塗れたカオスの言葉に、ちょっと体が震える忠夫であった。

 

 死んだ振りをいっそ殺してくれと思いながら続ける忠夫、心の中は色々切羽詰っている。

 

 ぶっちゃけ、久し振りに会ったマリアがあそこまで情熱的だとは思わなかったし。

 

 いや、嬉しくないと言えばはっきりきっぱり嘘になる。

 

 忠夫だって若い男、欲もあれば本能も、ある。

 

 だがしかし、武士は食わねど高楊枝。

 

 あと本能が「それはヤバイって! バレたら死ぬってマジで!」と最大級の警報を鳴らしているのだ。

 

 誰に、とか何が、とか、本人も色々と突っ込みたい警報なのだが、今の状況を見るとあながち軽視も出来ないのであった。

 

「マリアと・横島さんは・固い絆で・結ばれていますから・離れなくても・良いと判断します」

 

「何よ、その絆って」

 

「具体的には・私との間に・娘が・4人ほど」

 

 事態は加速度的に悪化中―!!

 

 無表情の筈なのにどこか勝ち誇った雰囲気を匂わせるマリアと、油の足りない機械のような動きでゆっくりと振り向くルシオラ。

 

 無論、視線の先には目を瞑ったままで滝のような汗を流している忠夫が居る。

 

「タダオ・・・? ちょっと聞きたいことが在るんだけど」

 

「・・・・・・」

 

 ぐい、と足を引き摺られて一本釣りのカツオの如く浮いた忠夫の胸倉を掴む魔族の少女。

 

 顔を背けてしかし往生際も悪く目を瞑ったままの忠夫は、冷や汗だらけになりながら、だが、決意を篭めて目をゆっくりと開いた。

 

「何でございましょうかルシオラさん」

 

 低姿勢であった。

 

 敬語であった。

 

 駄目であった。

 

 あんまり痛くしないでね、と半ば以上諦めの入った表情で、それでも引き攣った笑顔を浮かべた忠夫を胸倉掴んで吊り上げながら、ルシオラは絶対零度のオーラを背負って呟いた。

 

 伏せた顔からチラリと覗く、殺意に満ちた視線がなんとも素敵である。

 

「あなた、アンドロイドと子供作れるくらい節操無しなのかしら?」

 

「うむ! 非常に残念ながら全くそー言った事はしてない清い身体ですが! そこんとこどーなんでしょうマリアさん!? 後もうちょっと冷静になっていただけると俺が幸せですルシオラさん!! ちなみに全部で五人娘だぁぁぁっ!!」

 

「何時でも・どうぞ」

 

「ぶふぉっ!!」

 

 にっこり微笑んで告げられた言葉に前方を歩いていた老人が吹きだしたが、最早誰も構っていられない。

 

 思わずふらふらと両手を伸ばしてそっちに行き掛けた忠夫が、超至近距離から吹き上がる膨大な魔力に中てられて逝き掛けた。

 

 恐る恐る視線を向ける。

 

 ――シぬほど後悔した、と後に彼は語った。

 

 笑顔の裏に死神がダース単位で見えたそうな。

 

「・・・ルシオラさん?」

 

「ねぇ、タダオ?」

 

「ヒャインヒャインヒャイン!!」

 

 既に胸倉から首に移った両手が万力のような力で締められていくのを必死で押し止めながら、彼は悲痛な悲鳴を漏らした。

 

「・・・こんのっ! 不埒者ぉぉぉぉぉっ!!」

 

 一瞬でしゃがみ込んだルシオラの姿が視界から消え、次の瞬間、顎が砕けるかと思うほどの衝撃が真下から突き抜けた。

 

 背景に「JET!!」と言った感じの文字を幻視しながら、月の登り始めた夜空を行く半人狼が一人。

 

 放物線の頂点に達し、重力に引かれて落ちてくる彼を見上げたまま、ルシオラはボソリと呟いた。

 

「・・・うぅー」

 

 訂正。

 

 何やらうめいた。

 

 まるで大切な玩具を取られた子供のような、潤んだ瞳と何処と無く稚気のある雰囲気で。

 

 ごしごしと顔を腕で擦った彼女は、ちょっと驚いたような表情を作っているマリアを一睨みした後、おもむろに勘九郎を手招く。

 

 渋々ながらも近づいてきた彼の耳を引っ張り、目一杯背伸びして、その耳元に囁いた。

 

 始めは痛そうにしながらも、その呟きを耳にした勘九郎の目が光る。

 

 ――キュピーン。

 

 何を感じたのか、その輝きを目にした雪之丞が魔装術を纏い、一瞬でカオスの背後に隠れた。

 

「・・・いいのね?」

 

「いいのっ!」

 

「・・・何でワシの後ろに隠れる?」

 

「おっさんが苦手みてーだからだよっ! それより、止めた方が良いぞっ!」

 

 自分より低い所にある頭から生えた角を鬱陶しげに手で退けながら、カオスは雪之丞の声がかけられた先を見る。

 

 自由落下から地面に熱く受け止められる直前にルシオラに捕獲された忠夫が居た。

 

 そして、彼女の横で膨れ上がる何か。

 

「――ふんぬっ!」

 

 掛け声一つ、勘九郎はその膨れ上がった何かを全身に行き渡らせ、気合一つで――

 

「・・・さあ、準備OKよ」

 

 ――パンツだけになった。

 

「逃げろ、横島ぁぁぁぁぁぁっ! そいつ、マジだぁぁぁぁっ!! 食われるぞぉぉぉぉっ!!!」

 

「ふ、ふふふふふ・・・別の女に奪われるくらいならいっその事、奪われちゃいなさい!」

 

「え?! いきなり貞操の危機?! むしろばっちカモ・・・ふぉあああああああああ!!!」

 

 一体何を期待したのやら、満面の笑みで振り向いた忠夫の目に映し出されるダブルバイセップスなポージングも眩しい勘九郎。

 

 身に付けているのが黒いビキニパンツだけなのは基本だろう。

 

 希望の直後に絶望を見せられた人は、どれほどまで心に傷を負うのだろうか。

 

 そんなPTSDっぽい物体を視界から必死で外し、逆方向に逃げ出そうとした忠夫の襟首を掴んで放さないルシオラの手。

 

 高速で動く忠夫の足が虚しく空を掻き、背後を振り向いて彼女を見つけ、その背後の物体が放つオーラに混乱の極地へと追い落とされた。

 

「いや・・・! 男は嫌ぁぁぁぁっ!!」

 

「ふ、ふ、ふ。どーもストレスばっかり溜まってたからかしら? 今日の私は・・・凄いわよ?」

 

 かぽーん、かぽーん。

 

 ぎらぎらと輝くヤバイ瞳。

 

 躍動感溢れる筋肉美。

 

 きっと一度掴まったら逃げられないだろう。

 

 そして、何か大事な物を失うのだろう。

 

「UHOOOOOOOOOOOOOOOOOON!!」

 

 大地を揺るがす勘九郎の雄叫び。

 

 迸る霊力が辺りの木々を砕き、彼を中心にしたクレーターを作り上げる。

 

「・・・あ、あれ?」

 

 ちょっと脅かして、憂さ晴らしついでに反省を促そうと思っていたルシオラは、目の前のソレがもしかして手に負えないほど危険な物ではないか、と今更ながらに気付く。

 

 だが、時既に遅し。

 

 ――暴走・開始。

 

「勘九郎・・・やっぱり濃いよ、てめぇは・・・!」

 

「ひ、必殺っ! サイキック猫騙しぃぃぃぃぃ!!」

 

 真っ暗なジャングルに、忠夫の必死さ全てが篭った閃光が炸裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーおー、ド派手にやっとるのぉ」

 

「まぁ、色々とストレス溜まってたみてーだからなぁ」

 

 視線の先では、薄暗い月光の下でも分かるほどの勢いで木々が倒れ、多くの生き物が奏でる命の囁きを掻き消すには十分過ぎるほどの轟音が引っ切り無しに響いている。

 

 今回は被害者でなかった雪之丞と、そもそも範囲外なカオスは何をやるでもなく適当な木に背を預けて立っていた。

 

 ふと、雪之丞の視線がカオスに寄り添うように立っているマリアに向けられる。

 

 どこか楽しげに微笑みながら観客になっている彼女を見て、僅かな疑問が頭を擡げた。

 

「良いのか?」

 

「ノー・プロブレム」

 

 先程までルシオラと張り合っていたとは思えないほど柔らかな口調で、僅かな笑みさえ伴ってその言葉は放たれる。

 

「・・・取られるとは思わんのかの?」

 

 視線は空を見上げたまま、カオスがポツリと呟いた。

 

 言った後で後悔したように頭をがりがりと掻いてはいたが。

 

「相手は・まだまだ・子供・ですから」

 

 気楽に騒動を眺めていた雪之丞と、頭を掻く手を止めたカオスが驚いた様子で目を向けた。

 

「最後には・私が・勝利・します」

 

「・・・まぁ、神魔族の見た目と実年齢が同じとは思わんが、のぉ」

 

「それにしたって随分と余裕だな」

 

 雪之丞の呆れが多分に含まれた言葉に、スムーズに、ぎこちなさの欠片も無く、マリアは軽くウィンク一つ。

 

「マリアは・年上の・綺麗な・おねーさん・ですから」

 

「存在年数がワシより年上の娘っちゅーのがなぁ」

 

「幾つだあんたら」

 

 今度こそ呆れだけが篭められた言葉を、マリアは綺麗な笑顔で黙殺した。

 

 暫しの沈黙が蟠り、視界に一瞬閃光が走る。

 

 それを眺めていた雪之丞の耳に、よっこいしょ、と言うカオスの呟きが聞こえた。

 

 横目で見れば、苦々しげな顔をしながら背中を預けていた木から身を起こすカオスが見える。

 

「やれやれ、爺臭い台詞を吐いてもうたわ」

 

「爺じゃねーか」

 

 それもそうじゃの、と笑い出したカオスに釣られるように、雪之丞も身を起こす。

 

「さて、どーすっかなぁ」

 

「ほっといてもえーんじゃないか? 奴らのねぐらはあっちじゃからのぅ」

 

 マントを翻し、カオスは懐を探る。

 

 取り出した鉄仮面を真剣な瞳で見つめつつ、何度も振り返るマリアを促し歩き始めた。

 

 未だ騒音が聞こえる方とは、反対の方角に。

 

「おいおいおいおい! そっちじゃねーだろ!」

 

「ふん、最早こうなってしまっては問題なかろ。どーせ有耶無耶の内に片付くに決まっとる」

 

「動体・霊波センサー・反応あり。横島さん達に・接近中」

 

「ほーれ。トラブルがあっちから寄ってきおる。ワシ等がおらんでもケリはつくわ。ち、無駄足を踏んだか」

 

 肩を竦めるカオスに納得いかない様子で詰め寄りながらも、雪之丞はそろそろ始まるであろう闘争に意識を持っていかれている。

 

 引き止めるか、それとも参加を急ぐか、と迷った隙に、カオスはブースターを吹かせ始めたマリアに引かれ、夜空へと登り始めていた。

 

「おいこら待て爺っ!」

 

「――伝言を頼むぞ、魔装術使いの小僧」

 

 既に密林の頭を抜け出したカオスから、そんな言葉が飛んできた。

 

 続けて罵詈雑言を投げつけようとしていた雪之丞は、思わぬ威圧感に動きを止める。

 

「・・・ワシが『消した』のは、極々最近の未来の因果。何か、起こるぞ。でかいのが」

 

「あん?」

 

「嵐の前の凪すら無く、誰かが悟る気配の欠片も見せず、僅かな前兆さえ許さず・・・世界が震える『何か』が来る。油断はするな。そう伝えるんじゃぞ。良いな?」

 

 その言葉を皮切りに、マリアの放つ光が勢いを増した。

 

 問い返す間も無く一瞬で小さな点となった二人を見上げながら、雪之丞はその言葉を反芻する。

 

 見送った雪之丞は、ゆっくりと両手を広げ、ぶつけ合った。

 

「何とも――」

 

 ぱん、と大きな音を立てて打ち合わされた手のひらと拳は、微かな震えを示している。

 

 恐怖ではなく、増してや緊張でもない。

 

「――楽しそうな伝言だな」

 

 己の力を存分に発揮できる機会に恵まれた者の、それは武者震いと呼ばれる反応だった。

 

 獰猛な獣、そのものの笑みを浮かべて血を滾らせる。

 

 その熱さを堪えられないと言うように、堪らず魔装術を纏った雪之丞は、手近な闘争に向けて駆け出した。

 

「楽しそうな預言じゃねーか、おい!!」

 

 そう、大きく吼えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

「HOぉぉぉぉHOHOHOHOHOHOーっ!!」

 

「きゃーっ! こっち来ないでよぉぉぉっ!!」

 

「馬鹿たれぇぇぇっ!! お前がそもそもの原因だろうがぁぁあああ!!!」

 

 森を気にすら掛けずに破壊しながら、男女と恐怖の大王が掛けていた。

 

 ぎらぎらと目を輝かせる勘九郎に対し、二人に出来るのは逃げる事だけ。

 

 振り向くな、奴が来る。

 

 背中を見せるな、奴が来る。

 

 風より早く、奴が来る。

 

 壁は蹴り抜き、障害は蹴散らし、邪魔する者は殴り飛ばし。

 

 ――アイツが、来る!!

 

「来るなぁぁ!」

 

 流れる涙は風に吹かれて後方へ。

 

 怪笑を上げる勘九郎は、頬に付いたそれを人差し指で一掬い。

 

 ぺろりと舐めて、更に加速。

 

 だが、事態は思わぬ方角へ。

 

『餌エサえっさー! 繁殖繁殖ー!』

 

 土煙を跳ね上げながら駆け抜けた忠夫とルシオラ、そしてそれを追いかける勘九郎の間に、巨大な8本足の何かが落ちてきた。

 

 

「邪MAぁっ!!」

 

 

 勘九郎の魔装術も使っていない拳に殴られ、空の彼方へ消えていった。

 

「うそぉっ?!」

 

「てか今の何だおいっ!!」

 

 これだけの面子に――いや、それ所では無いのだろうか――悟られず接近した無音の移動術。

 

 ちらりと見えた八本の足と節で区切られた体。

 

 恐るべき捕食者、蜘蛛の姿をした妖怪であった。

 

 ある種は糸を吐き巣を創り出す罠の名手。

 

 ある種は毒を持って時には鳥獣さえも一噛みで殺す無音の死神。

 

 ある種は空気の動きすら感じ取る昆虫達に忍び寄り、姿からは想像も出来ない敏捷な動きで捕食する暗殺者。

 

 その姿は見る者に恐怖と嫌悪を呼び起こす、生まれ持ってのハンター。

 

 の、筈であった。

 

『キシャ――』

 

「うきゃぁぁっ!! 蜘蛛ぉぉぉっ!!」

 

 ルシオラが突き出した掌から生まれた力の塊が、森林の一部ごと先回りをしてしまった哀れな捕食者達を消し飛ばす。

 

 原型に蛍の要素をもつだけに、捕食者たる蜘蛛が苦手なのかもしれない。

 

 知れないが。

 

「蜘蛛、クモ蜘蛛くもクモ・・・。いやぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」

 

 撒き散らされる破壊と爆音。

 

 吹き飛ぶ木々、逃げ出す動物、砕ける自然。

 

 ついでに巻き込まれる忠夫。

 

「・・・お、落ち着け、頼むから落ち着けルシオラ」

 

「KAHぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

「ひぃっ?!」

 

 吹き飛ばされて落ちてみれば、そこにはもう一人の捕食者が。

 

 爛々と怪しく目を光らせる勘九郎の口元からは、白い煙が零れるように湧き出している。

 

「イタダキ! マス!!」

 

「い、頂かれてたまるかぁぁぁぁぁっ!!」

 

 跳躍一閃。

 

 飛び上がった勘九郎は、忠夫が投げつけた石礫を軽く回避し覆い被さるようにその上に。

 

「甘い!」

 

 だが、それは当に布石。

 

 跳躍した勘九郎は空中で身動きが取れず、ただ初速で弾道を描きながら進むだけ。

 

 突き出された如意棒を交わす事は出来ない!

 

「GOHOOOOOO!」

 

「うぞぉっ?!」

 

 そう、交わさなかった。

 

 空中で受け止め、逆にそれを伝ってするすると持ち主である忠夫の元へと一直線。

 

 慌てて如意棒を更に伸ばし、這い降りてくる勘九郎を遠ざける。

 

 しかし、それさえも彼の手の内だったのか。

 

 答えは、口元を愉悦に歪めた勘九郎だけが知っていた。

 

「しまっ――」

 

 伝う如意棒が伸び始めた瞬間、それから手を離し再び落下。

 

 足場代わりに蹴り飛ばした如意棒はあさっての方角にずれ、しかも勢いがついている為引き戻す事も難しい。

 

 最早ガン泣きに成りつつ如意棒を諦め、一瞬の判断で霊波刀を展開。

 

 自由落下で落ちてくる勘九郎に刃を向け、思いっきり突き出した。

 

 下手をすれば殺人確実な行為である。

 

「こ、ここで来るかぁぁぁっ?!」

 

 悲鳴を上げた忠夫が見た物は、にやりと笑う勘九郎の顔と、次の瞬間にそれを覆った魔装術の姿。

 

 動揺に満ちた霊波刀では、確実に、あれを貫く事は出来ない。

 

 むしろ、霊波刀を展開するよりもとっとと逃げ出したほうが良かったのだろうか。

 

 いや、それでは間に合わない上に、あの状態から逃げ出せば、最も危険な体勢で追いつかれる可能性が大。

 

 何せあちらは着地即加速が可能であるのに対し、こちらは立ち上がり、その上で加速しなければならないのだから。

 

 勿論、背後を見せるかすぐさま押し倒されるような不安定な後ろ向きの体勢で、だ。

 

 ともあれ、今は無駄な思考を走らせている場合ではない。

 

 今、この状態で出来る事を・・・!

 

 僅かな、ほんの僅かな思考の後、忠夫は思いっきり息を吸い込み、胸から上しか視界に入らないほど接近していた勘九郎に、それを叩きつけた。

 

『―――――ォォォオオオン!!!』

 

「Gぅ?!」

 

 退魔の咆哮。

 

 恐怖と焦りから集中に乱れが生じたとは言え、高密度に変換された霊気を叩きつけられた勘九郎の身体は拮抗するように落下を止める。

 

 超至近距離で直撃を受けた勘九郎の表情が、魔装術の下で苦く歪んだ。

 

 ほんの、1秒も無いほどの時間、その拮抗は続き、そして再び落下を始める。

 

 その僅かな瞬間が、忠夫をギリギリで救ったのだ。

 

「――いい加減に落ち着きやがれクソ兄弟子ぃぃぃぃぃっ!!」

 

 救いの手は、魔装術を纏った雪之丞の飛び蹴りだった。

 

 轟音に耳を揺らされ、衝撃で意識を散らされ、周囲の把握を忘れていた勘九郎はモロに喰らって横合いの森へと突っ込んでいく。

 

 一回転して着地した雪之丞は、しかしそれを見つつも全く油断する事無く構え直した。

 

「こ、心の友よーっ!!」

 

「油断すんじゃねぇっ! あいつがあれで終わる訳が無いだろうがっ!」

 

 その通りであった。

 

 砕いた木々、散った茂みを踏みにじりながら、暗闇の奥から奴が来た。

 

「今のは、ちょっと残念だったわね」

 

「くっ!」

 

「流石にしぶてぇな!」

 

 魔装術を解いた勘九郎は、その肉体美を誇るかのようにぴくぴくと上腕二等筋を動かしながらゆっくりと歩いてくる。

 

 勿論、魅せる為に魔装術を解いたのは言うまでも無い。

 

「あらあら・・・3(PI―――)だなんて、今日は贅沢ね」

 

「く、使い古されたネタだけに突っ込むのは俺のプライドが・・・!」

 

「くだらねぇ事に拘ってる場合かっ!」

 

 至極最もな雪之丞の言葉に、忠夫は2M程の長さに戻した如意棒を構える。

 

 先端を下に、両手で重心を捉えつつ、全身の力を適度に抜いてどんな行動にも即座に反応できるように。

 

「先手必勝!」

 

 最初に動いたのは雪之丞。

 

 左手に霊力を篭めつつ、振りかぶった右手で殴りかかる。

 

 初撃の霊波砲で牽制しつつ、懐に飛び込んで乱打戦の構え。

 

「FHUUUUUUUUUUUU!!」

 

 応じて魔装術を纏う勘九郎。

 

 目の錯覚か、まるで顔を覆う部分が本物の鬼のように生き物じみた動きを見せているような気がする。

 

 左足を半歩引き、牽制の一撃には目もくれず乱打に一撃を持って対抗する為の力を拳に篭める。

 

「ヤられてたまるもんかぁぁぁぁぁ!!」

 

 次に動いたのは忠夫。

 

 飛び出した雪之丞の動くラインから直角に飛び出し、後方に回り込んで挟み撃ちを狙う。

 

「蜘蛛は絶滅しなさいぃぃぃぃっ!!」

 

 そして、最後に動きを見せたのは、いきなり上空に飛来したルシオラだった。

 

 動く物は全て蜘蛛。

 

 見敵必殺サーチアンドでぇすとろぉい。

 

「え?」

 

「UHO?」

 

「ちょ、待――」

 

 動き始めていた3人を、反撃のしようも無い上空から爆撃。

 

 一切の情も無く、悉く、平等に、万遍無く破壊を撒き散らす。

 

 狂乱の力は差別しない。

 

 それはまさに、一人だけ種でドーピングしまくった最高LV勇者がメダ○ニに掛かり、遊び人3人に襲い掛かる様その物であった。

 

 次の瞬間、この日最大の爆炎が森の一角に吹き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この度は、当ナルニア航空をご利用頂き、真にありがとうございます。日本まで――』

 

「大丈夫かい、美智恵」

 

「ええ、大丈夫」

 

 最終便でナルニアを離れた二人は、機上の人となっている。

 

 幸いにも妻が持っていたパスポート――時間移動の際には外国まで行く可能性もある為、身分証明書代わりに常備している――のお陰で、手続きもスムーズにこなせた。

 

 夫の背中に負われて眠っていたとは言え、目覚めてまだほんの少ししか経っていない。

 

 それでも、一刻も早くと急ぐ彼女の容態が心配で、離れる事は考えられなかった。

 

 窓の外を苛立たしそうに眺めながら、それでも疲労からか冷や汗を流している妻に冷たいタオルを渡そうか、と添乗員に声をかける。

 

 笑顔で了承し、引き返していったのを見送りながら振り向けば。

 

 何故か、妻が変な顔で窓の外を指差して硬直していた。

 

「ど、どうした?!」

 

「あな、あなた! 窓の外に老人と女性が黒くてロケットみたいなマントで火を噴きながらっ?! しかも、わら、笑ってたの! 無表情で片方が笑ってたの!」

 

 窓の外を眺める。

 

 月明かりに照らされた蒼白の雲海が広がり、輝く星々がちらちらと瞬いている。

 

 綺麗な、何の変哲も無い夜空だった。

 

「・・・上空何千Mだと思ってるんだい?」

 

「だ、だって! 本当なのよ! 飛行機追い越してすっ飛んでったの!」

 

 優しく肩に手を置き、宥めるようにそっと抱きしめる。

 

 少ないとはいえ他の乗客も居り、なんだなんだと視線が集まってくるのを感じつつも酷く動揺している様子の妻の背中を、何度も何度も慰めるように撫でた。

 

「――疲れてるんだよ。眠った方が良い」

 

「本当なのにぃぃぃぃぃっ!!」

 

 溜め息一つ。

 

 カオスから貰ったペンダントを握り、一瞬だけテレパスを完全に封印していた力場をカット。

 

 問答無用で眠くなれと叩き込んだ。

 

 どうも未だ混乱から立ち直っていなかったようだと結論付け、くたりと倒れこんだ妻をそっと傾けた狭い椅子に寝かせて毛布を掛ける。

 

 何事も無かったように笑顔で濡れタオルを持ってきてくれた添乗員に礼を言い、魘されている彼女の額に静かに乗せた。

 

 ひと息ついて、ふと、視線を感じて見回せば、不思議そうに二人を眺める同乗者たちの視線がある。

 

 曖昧な笑みを浮かべつつ無言で頭を下げると、気にするな、と言う仕草をして、それぞれの行動を取り始める。

 

「・・・人の目のある所でも大丈夫って、何時以来かな」

 

 小さく呟いて、さて魘されない為にはどんな楽しい夢を見せれば良いのかな、と悩みながら、幸せそうに甲斐甲斐しく面倒を見始めるのだった。

 


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