月に吼える   作:maisen

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第陸拾壱話。

 時間は既に深夜。

 

 空腹でぶっ倒れた忠夫の為、ルシオラが獲って来た魚――魔力砲を海に打ち込むだけだが――を炙る焚き火が、辺りの光景をゆらゆらと映し出していた。

 

 ぱちぱちと弾ける焚き火の傍で、ゆっくりと「良い漢!」と描かれたマグカップを揺らす勘九郎と、こちらを物凄く不満げに睨んでくる雪之丞に向かってこれまでの経緯を語る。

 

 漁を終えたルシオラはと言えば、毛布に頭まで包まって、その姿はまるで蓑虫のようにも見えた。

 

 静かな浜辺には、打ち寄せる小波の音と焚き火の弾ける音、忠夫の声以外には何も無いような、そんな雰囲気が満ちていた。

 

「――ってな訳で、泳いだり飛んだりしながらついたっちゅー訳ですよ」

 

「むごむぐむぐ・・・んぐ、げふぅ。――日本を出てまで荒事やりに来た俺らより何でお前のほうが楽しそうなんだよぉぉぉぉぉっ!!」

 

「全然全くこれっぽっちも楽しくないわぁぁぁぁっ!! てか腹減ってんの我慢して説明してた俺の飯取るんじゃねぇぇっ!!」

 

 雪之丞が繰り出した必殺の拳は忠夫の頬に、忠夫が繰り出した会心の拳は雪之丞の頬に突き刺さった。

 

 見事なクロスカウンターであった。

 

 そして、互いの拳を受けた二人は、にやりと相手に笑ってみせる。

 

「へ、へへへっ! どーしたどーした! そんな柔な拳じゃ俺は倒れねーぞっ!」

 

「つ、突っ込みにカウンター合わせるたぁ非常識な野郎だなぁっ! だが、俺もしっかり立ってるんだぜ?」

 

 とか言いながらも、二人の膝はしっかりかくかく震えていた。

 

 まるで生まれたての子鹿の様相を呈しながらも、やせ我慢だらけで立っていた二人は全く同時に左手を差し出した。

 

「だが、ま、それなりに手強くなってるみたいじゃねーか」

 

「人狼の拳を受けて立ってる奴に言われたかねーよ」

 

 笑顔で相手の左手を握り合い、健闘を称えながら握手した手にゆっくりと力を篭め。

 

 おもむろに、空けておいた右手で殴りつけた。

 

 夜の砂浜に激しく肉を打つ音が二重に響き、片手を握り締めあっている為に衝撃が全部二人の脳を揺らす。

 

 ぐらり、と後方に揺らぎながらも、握り潰さんばかりに固く繋がった左手を軸に何とか体勢を立て直した。

 

「おま、汚ねぇなっ! 俺の飯食うわ突っ込みに反撃するわ男の友情の一シーンを無視するわ俺の飯食うわ貴様それでも雪之丞かぁっ!!」

 

「やっかましいっ! 大体それ関係ねぇし俺も腹減ってたしそもそも俺の拳喰らって立ってるってのが一番気にいらねぇんだよっ!!」

 

 一転、再び相手の手を握り潰す為の握手を解いた二人は飛び退り、一気に戦闘態勢を取る。

 

 雪之丞の身体を魔装術が鎧い、忠夫も低く身を落として何時でも飛び掛る体勢をとる。

 

 僅かな瞬間睨み合い、ふらつきの残る足を根性で堪え、柔らかい砂浜を無理矢理蹴り飛ばして前へ―!

 

「はいはい、横島君も雪之丞もいい加減にしなさいね」

 

「うるっさいわよ! こっちは寝てるんだから静かにしなさいっ!」

 

 呆れた様子で眺めていた勘九郎の霊力砲と、忠夫の説明中に勘九郎が渡した毛布に包まって寝息を立てていた筈のルシオラの魔力砲を喰らって、二人は仲良く吹き飛んだ。

 

 ざす、ざす、と砂浜に突き刺さった男達の4本の足を眺めつつ、温くなったインスタントコーヒーを飲み終えた勘九郎が立ち上がる。

 

「さ、寝ましょ。寝不足は美容の大敵だし」

 

「・・・もう。折角獲って来たのに」

 

「貴女もいい加減寝たほうが良いわよー」

 

 そこはかとなく拗ねたようなルシオラの小さな声に、笑い含みの声をかけつつ勘九郎はテントに潜る。

 

 犬神家×2は放って置いても良いだろう。

 

 どーせ明日になれば、何でも無かったように起きてくるに決まっているのだ。

 

 シリアスの欠片も無いのがその理由。

 

「依頼人とのアポは明日なんだから、あんた達もちゃんと身だしなみくらい整えておきなさいよね。特に雪之丞」

 

 完全に気絶した二人には聞こえていないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何事も無く、翌朝。

 

「で、何で俺まで此処に居るんでしょーか」

 

「ひ・み・つ♪」

 

 ウインク混じりに紡がれた言葉に、他3人が一気に引いた。

 

 朝日の下でも、いや、明るい朝日の下だからこそ、その野太いヴォイスとごっつい肉体、そして口調の奏でるハーモニーがより際立って凄まじい違和感を生み出していた。

 

「・・・雪之丞。お前何か知ってるか?」

 

「全っ然。興味も無ぇしなー」

 

 それはGSとしてどーなのか。

 

 余談では在るが、彼が受けた此処最近の除霊依頼は全て勘九郎が選別、交渉、受諾の判断を受け持っている。

 

 弟弟子の性格を把握している兄弟子は、手強い敵が出る、つまり雪之丞が満足できつつ実戦経験を積めるような依頼を選んで受けている。

 

 偶には生活の為に時折そう言った方面以外のものを受ける場合もあるのだが、それでも比率で言えばバトルジャンキーの欲求を満たす事の出来た物の方が多い為、雪之丞も特に文句はつけていないのだ。

 

 この辺りが保護者と被保護者と言われる由縁なのだろう。

 

 ともあれ、今回の依頼は生活費が無くなった為、の方である。

 

 日本のとある商社から受けた依頼で、交通費はあちら持ち、滞在費もあちらの用意した場所、と言う破格の物だったのだが、外国の、しかも辺境と言っても過言ではないような土地である。

 

 ぶっちゃけ、殆ど緑しか無い場所。

 

 飛行場があるだけでも御の字であるが、案の定ぼろい飛行機の整備が遅れに遅れ、到着したのが夜の10時。

 

 当然ながら依頼先はとっくの昔に閉まっており、手持ちのつき掛けた上に換金も済ませていない二人がホテルに止まれるだけの持ち合わせがあるわけも無く、結果として野宿となった訳である。

 

 まぁ、二人とも山篭りで慣れている為、特に問題があるわけでもなかった。

 

「ま、この依頼が終わったら久し振りに日本に帰れるわけだし、お前も付き合って良いんじゃねーか?」

 

「そうそ。交通費くらいなら手伝ってくれれば出すわよ」

 

「・・・どーする、ルシオラ」

 

「飛んで帰るのは嫌よ。眠いし疲れるし」

 

 そう言われてしまえば特に嫌がる理由も無い訳で。

 

 二つ返事で協力する、と言うことになったのであった。

 

 勘九郎としても依頼を楽に済ませられるような戦力が得られるのだから異論は無い。

 

 今回の依頼は生活費が目的で、雪之丞と己の修行を兼ねて、な依頼ではないのだし。

 

「そーかそーか。いや、お前が知らねぇ女連れでいきなりこんな国まで来たから、てっきり日本に帰れなくなったのかと思ったんだけどな」

 

「待てやコラ。何処をどーしたらそんな結論になるんじゃい」

 

「あ? 自覚ねーのかこの野郎。いい加減一人くらいは当たったんじゃねーのかよ?」

 

「ぐぅっ?!」

 

 手当たり次第に求婚しつつ、しかし未だに成功率が0%な忠夫のハートに効果はバツグンだ!

 

 しかし忠夫も負けちゃいない、いや負けっぱなしじゃいられない。

 

 同世代の男として、なんかそーいう気分なのだ。

 

「そーいう手前は一人くらい彼女出来たのかよ?」

 

「おう!」

 

 ――しまった罠だ!

 

 にやり、と笑って、と言うか殆ど勝ち誇りながら、雪之丞は懐からしゅぴっと携帯電話を取り出した。

 

 ぱかっと開いた携帯電話の画面を見せつけるように――見せ付けているのだが――忠夫に示しながら、雪之丞は胸を張って勝利宣言を上げる。

 

「弓って覚えてるか? 六道女学院の生徒でなー。ほれ、羨ましいだろ」

 

「・・・真っ暗だぞ、それ」

 

「は?」

 

 忠夫の不審そうな言葉に携帯電話を裏返してみれば、そこにある筈のちょっと照れたような女の子の画像は無く、ただ黒い液晶があるばかり。

 

 かちかちと慌ててボタンを弄り始めた雪之丞に、少し先を歩いていた勘九郎が呆れたように言葉をかけた。

 

「・・・ここ最近山に居たのに充電してる訳無いでしょ。更に言えばあんたの口座どーなってるか分かる? 生活費さえ無いのに?」

 

 そう言えば、と雪之丞は思い出す。

 

 ここ一ヶ月ほど、彼女の声を聞いていない。

 

 山篭りで修行を堪能していた事、生活費が無くなってそのまま依頼を受けて外国へ。

 

 すとん、と雪之丞の顔から血の気が引いた。

 

 引くと言うよりも落ちた、と言った方が近いような、そんな蒼褪め方だった。

 

「ややややややべぇっ! 絶対怒ってるぞあいつ!!」

 

「怒ってる、で済むと良いわね」

 

「そんなに放って置かれたら、普通愛想尽かすと思うんだけど」

 

 勘九郎とルシオラの言葉に、雪之丞は蒼褪めた顔の上から冷や汗を滝のように流し始めた。

 

 一刻も早く連絡を取りたいが、携帯電話はこんな場所では使えないだろうし、そもそも電話をかけようにもそう言った物さえ見当たらない。

 

 町中と言えども狭い物で、少し先に見える4階建てのビルと言えなくも無い建物以外は、殆ど平屋か2階建ての木造建築ばかりである。

 

 肩を震わせお腹を押さえつつ笑っている忠夫にとりあえず魔装術で殴りかかった後、そのまま雪之丞はビルに向かって突っ込んでいった。

 

 勿論魔装術は使ったままで。

 

「・・・勘違いされなきゃ良いけど」

 

「あんな格好で飛び込んできたら、普通は驚くわよねぇ」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 ぴくぴくと痙攣している忠夫の右足と左足を一本づつ持ちながら、ルシオラと勘九郎もそのビルへと歩き出した。

 

 依頼者が指定した、とある商社のナルニア支部に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから電話を貸してくれぇぇぇっ!!」

 

「敵はまだ生きてるぞーっ! 奴の言葉に騙されるなぁっ!!」

 

「でも係長、あの人泣いてますよ?」

 

「分かったそれなら俺が撃つからそのロケットランチャーを貸しなさいっ!」

 

「文脈が変ですよ係長」

 

 受付嬢の手から細長い筒を奪い取った単身赴任中の男性が、その筒先を玄関先で半泣きになりながら叫び倒している雪之丞に向けてトリガーを引いた。

 

 後方に白煙を撒き散らしながら、筒先から飛び出した弾頭は魔装術を纏う雪之丞の額に着弾する。

 

 巻き起こる煙、飛び散る破片、ついでに吹っ飛ばされる早々にのされた警備員達。

 

 玄関先のガラスがきらきらと朝日を反射しながら宙を舞い、耳障りな音を立てて銃痕の残る床を傷付けた。

 

 ロケットランチャーを傍らに投げ捨て、ネクタイを緩めながら係長が受付嬢を背後に庇う。

 

 衝撃を係長を盾にしてやり過ごした受付嬢が恐る恐る係長の顔を覗き込み、諦めたように溜め息を付いた。

 

「またお嬢さんと喧嘩したんですか?」

 

「・・・今は関係無い! 関係無いが――」

 

 爆発で巻き起こった煙の向こうから、相変わらず「電話を」と言う叫び声が聞こえてきたのを薄笑いで受け止めた係長は、受付の奥に手を突っ込み機関銃を、それこそ戦闘機の鼻先にでも付いてそうなそれを取り出しどっしりと構えた。

 

「――アポも無い侵入者に手加減無用! 後いい加減に女の子らしい喋り方にしなさいぃぃぃっ!! 偶にはそっちから連絡くれるとパパ嬉しいなぁっ!!」

 

 唸りを上げて猛烈に回転し始めた銃身を耳栓を詰め詰め眺めていた受付嬢は、やれやれと溜め息を付くとこっそり受付の後ろに身を潜めた。

 

「・・・好きな人を追いかけて日本中を飛び回って、見つけて逃がさないように一緒に働くって、十分に一途で健気な女の子だと思うんだけど」

 

「『最近あいつが淹てくれる紅茶が美味しくてな。店長も驚いてたぞ』とか電話するたびにあの小僧の話ばっかり聞かされる父親の身にもなってみなさい! と言う訳でファイアー!!」

 

 吐き出された弾丸が床を抉り、白煙の向こうに居るであろう侵入者に向かって殺到する。

 

 昨晩の電話で話した久方振りの娘との会話の8割を占めていた男の話による八つ当たりが9割の殺意は、爆発で吹っ飛んでいた警備員達の間を見事に擦り抜けて着弾した。

 

 流石に衝撃を堪えきれなかったのだろうか、後方に仰け反った雪之丞に連続で着弾する弾丸の群。

 

 だが、雪之丞は、その弾丸の群の与える衝撃を根性で堪えきると、未だこちらに向かって飛来するそれらから身を捻ってかわし、一気に前進する。

 

「で・ん・わって言ったな、今!」

 

「化け物かぁぁっ!!」

 

 総重量が軽く子供を超えそうなそれを片手でホールドしたまま、銃撃の反動を手首と肘で吸収しながら狙いを補正。

 

 同時に懐から取り出した手榴弾のピンを口で噛んで引っこ抜き、そのままサイドスローで回避方向に投げつける。

 

 だが、手榴弾の爆裂をぎりぎりで前方に跳躍しながら回避した雪之丞は、その爆圧を背に受け加速して見せた。

 

「早くしないと弓がもっと怒るだろうがぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「ジャッパニーズ・サッラリィーマンを、舐めるなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 係長は魔装術の拳を怨念じみた執念とともに機関銃の銃身で受け止めた。

 

 歪んだ銃身が射撃不可能を示し、だが、そこでもう一度トリガーを引く。

 

 当然の如く打ち出された弾丸は銃身に詰まり、暴発を起こして機関銃の破片をばら撒いた。

 

 焦りと言うよりも強迫観念に駆られた雪之丞は破片を魔装術の装甲に任せて全てを弾き、至近距離であれだけの大口径の機関銃が暴発した筈の係長は、なぜか少しだけ焦げたスーツ姿のままで両手にデザートイーグルを装備して突っかかる。

 

「電話を貸してくれぇぇぇぇっ!!」

 

「アポ無しは認めないぃぃぃっ!!」

 

 そんな大騒ぎを横目に、勘九郎とルシオラは忠夫を引き摺りつつ受付の後ろに避難していた受付嬢へと名刺を差し出した。

 

 差し出された名刺に目を通し、カウンターの上から落ちていた書類に目を通しつつカウンターの奥をごそごそと漁る受付嬢。

 

 暫しの間があり、確認が取れた彼女は素敵な受付スマイルを浮かべて取り出したそれを振り回しながら、両手のごっつい銃で雪之丞の拳を防ぎつつも吹き飛ばされてきた係長の後頭部に振り下ろした。

 

 やたらと重い音を立てて叩きつけられたブラックジャックを素早く係長と一緒にカウンターの中に蹴り込み、完璧な笑顔のままで雪之丞の額にテレホンカードを投げつける。

 

 猫眼怪盗のカードのように飛んだそれは、いっそ嘘くさいほどあっさり彼の魔装術の額部分に突き刺さった。

 

「鎌田勘九郎様ですね。支局長が4階でお待ちです。それからお連れの方、電話はその扉の向こうに居ります庶務にお聞きください」

 

「・・・やるわね」

 

「受付嬢ですから」

 

 全く理由になっていないような、そーなのか、と納得しそうになりそうな答えを返す受付嬢に、にやりと何処か楽しげな笑みを浮かべていた勘九郎の肩から力が抜けた。

 

 笑顔を崩そうともしない彼女の手の差す先へ、階段へと足を向けた勘九郎とルシオラ。

 

 雪之丞は教えてもらった扉をブチ破って駆け抜けていった。

 

 それを確認した受付嬢は目の前に広がる惨状を見て溜め息一つ。

 

 ぱんぱんと軽く手を叩いてあちらこちらに倒れ伏す警備員達に声をかけた。

 

「ほら、あんた達もさっさと起きて修理修理!」

 

「あ、あたたたた・・・姐さんが早いとこ出張ってくれれば良いじゃ」

 

 頭を振り振り起き上がった巨漢の顔面に、受付と書かれた三角錐がめり込んだ。

 

 悲鳴も上げずに再び昏倒した巨漢を睨みつつ、三角錐を投げたフォームからゆっくりと姿勢を戻しつつ、受付嬢はにっこりと微笑んだ。

 

「・・・ぐだぐだ言ってねぇでさっさと動きな」

 

 笑顔と全く不釣合いの台詞と威圧に、よろよろと起き上がった他の警備員達は大工道具手に動き出す。

 

「了解しましたー!」

 

「やぁれやれ。山賊もあれだが警備員も楽じゃねぇなぁ」

 

「バッカだなオメェ。その呼び方は言うなって散々言われてんだろうが」

 

「そっち持ってくれ。医務室に放り込んどくぞ」

 

「うぉーい、こっちにパテとセメント持ってきてくれー」

 

「俺らって建設業でもやってけそうだよなー」

 

 ・・・まぁ、人それぞれ、人生色々と言う事なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、支局長室に通されたルシオラ達は、現在支局長が外出中との事でお茶とお菓子のもてなしを受けつつソファーに腰掛けていた。

 

 一人だけ、ソファーに寝かされている青年も居るが。

 

「タダオ起きないわねー」

 

 起きないのではない。

 

 実際、何度か復活しようとはしていたのだ。

 

 ただ、その瞬間に流れ弾で砕けた床やら壁やらの破片が直撃したり、階段で何度も頭を打って無理矢理気絶させられていただけである。

 

 無論、犯人達に自覚は無い。

 

「あら、来たみたいね」

 

 二人の視線が、忠夫から扉に向けられた。

 

 片目を瞑って紅茶を楽しみながら扉の向こうに注意を向ける勘九郎と、触覚をぴこぴこ扉に向けて動かしつつ忠夫のほっぺたを突付くルシオラ。

 

 暫しの間があり、軽くノックの音が部屋に響いた。

 

「――どうも、お待たせしたようだねお嬢さん」

 

「・・・はぁ」

 

「お詫びとおっちゃあなんだが、今夜時間は空いてるかな? この辺りにしては良い料理を出す店を知ってるんだが」

 

「・・・良い度胸じゃない、あ・な・た?」

 

「と言うのは冗談でね。さ、仕事の話に入ろうか」

 

「誤魔化せると思ったかこの宿六ッ!」

 

 扉が開いた瞬間、ルシオラと目のあったその男性は瞬時にだんでぃーオーラを纏いつつその手を握った。

 

 瞬間移動かと思えるほどの動きの速さ、と言うよりも全く無駄が無い故に知覚を擦り抜けた動きに呆然とするルシオラを、チャンスとばかりに畳み掛けようとしたその男性の後頭部を鷲掴む手。

 

 ギリギリと音が出ていたような気もするが、確認する前に閃光のようなアッパーが決まったので良くは分からなかった。

 

 拳を擦りつつ天井近くまで浮いて落ちてきた男性を足蹴にしつつ、後から入ってきた彼女はゆっくりと室内を見渡した。

 

 ルシオラと勘九郎、そして二人の男女以外に誰も居ない室内を。

 

「あれ?」

 

「・・・ふん」

 

 ルシオラが忠夫が何時の間にか消えている事に疑問を持つと同時、女性が鼻息と共に足を男性から外して地面を思いっきり踏みつける。

 

 ぐらり、と4階建ての建物が揺れたような気がして、何かがどさっと天井から落ちた。

 

「で、そこの馬鹿な甥っ子はなんで逃げようとしたのか、言い訳はある?」

 

「はい! いいえ! 逃げていません! ちょっと天井の汚れを落とそうとしただけでぐぇっ!!」

 

 研ぎ澄まされた感覚で危険を感知、覚醒を果たし、本能に従って天井に張り付いて逃げ出そうとしていた忠夫の言葉は踏みつけられて中断させられた。

 

 完璧な体重移動で足元の甥を逃がさないように確保しつつ、こっそり逃げ出そうとしていた夫に「逃げたら5割増」とアイコンタクトで伝えた彼女は、真っ青になって小さく震えつつも直立不動の体勢になった男性に向かって顎を振って見せた。

 

「え、えーと、お見苦しい所をお見せしました。私がここの支局長、横島大樹で――」

 

「その妻、百合子です」

 

 未だ青い顔のままでありながらも何とか自己紹介を済ませた大樹の横では、口から泡を吹き始めた忠夫にしっかり足を乗せたまま、百合子が柔らかく微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「進行具合の方はどうですか?」

 

「ん、おお。後少しと言う所ですかの」

 

 小さな掘っ立て小屋の中から、熱帯のクソ暑い日差しの下だと言うのに黒いローブを着込んだ老人が背中を伸ばしながら欠伸混じりに出てきた。

 

 老人に氷の浮かんだ冷たい水を渡しつつ、その男性はゆっくりと小屋に寄りかかる。

 

 見た目に寄らずしっかりと作りこまれているのか、ボロボロの上に長い年月を経たようなその小屋は、軋む音さえ立てずにその背中を受け止める。

 

 金属製のコップが氷と触れ合い、涼しげな音を奏でるのを楽しむ間も無く氷水を呷った老人は、小屋の中に向けて声をかけた。

 

「おーい、マリアー。ちと休憩じゃー」

 

「イエス・ドクター・カオス」

 

 無機質な返事が返り、待つことも無く小屋の中からマリアが出てきた。

 

 カオスに氷水を渡した男性が差し出して来たコップを丁重に断りながら、小屋の近くに設置されている機械のスイッチを入れたマリアは、その隣に置かれていた椅子に腰掛けると機械から伸びているコードを身体に接続し、目を閉じる。

 

「充電・スタート。スリープモードに・移行・します」

 

「・・・そうか、アンドロイドでしたね」

 

 気まずそうに渡せなかったコップを片付けつつ、その男性は苦笑いを浮かべるカオスに困ったような目を向けた。

 

「いや、強力な精神感応であるが故に、マリアの魂と意思を感じ取ったと言う事じゃろ」

 

「・・・まぁ、確かに何処か不思議な子ですけど」

 

 飲み終えたカオスからコップを受け取った男性は、少々恥ずかしげに頭に手を当てた。

 

 その手が感じるのは、熱帯の陽射しに晒され、仄かに熱を持った金属の感触。

 

 ふと、男性の瞳が微かに揺れた茂みに向いた。

 

「・・・またか。何人くらいかな? ・・・へぇ。何時もより少ない、か」

 

「密猟者かの?」

 

「いえ、無断伐採の方みたいです。・・・ああ、頼んだよ」

 

 がさり、と再び茂みが揺れ、黒い影が風のように去って行った。

 

 心配げな表情で見送りつつ、男性は踵を返す。

 

 感心したようにカオスが見ているのを見つけ、照れたように鼻の頭を掻いた。

 

「流石じゃのう」

 

「ま、昔はこんな事にも使えるとは思っても居ませんでしたけどね」

 

 村の人に知らせてきます、と言って去って行ったその背中を見送りつつ、カオスはゆっくりと首を回して骨を鳴らした。

 

 マリアの充電もあの小さな発電機ではもう暫く時間が掛かるだろう、と計算した老人は、近くに吊るされているハンモックに向かって歩いていく。

 

 よっこいしょ、と年寄りくさい――高齢というのもアレなくらいに年月を重ねてはいるのだが――台詞を吐きつつ、木の作り出す影と時折吹く風のもたらす涼しさを楽しみながら、カオスはゆっくりと目を閉じる。

 

「さて、わしも一眠りと洒落込むか」

 

 穏やかな睡魔に身を委ねつつ、カオスは瞼の裏に男性の頭を覆っているそれの構造を描いていく。

 

 鼻と目、耳と口、それ以外の部分を全て覆うようなその鉄仮面は、去って行った男性が付けていた物とそっくりな、しかし僅かに違うモノであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅん。密猟者に政府に無断での森林伐採、それから山賊まがいの集団、ねぇ」

 

「山賊の方は着任早々方を付けることに成功したんだが、何せこんな国だからね・・・」

 

 眉間に皺を寄せながら、勘九郎に話し掛ける大樹。

 

 聞かされている勘九郎も興味が無さそうでありながら、しかし淹れなおされた紅茶を飲む顔は決して愉快な物ではない。

 

「手っ取り早く現金収入を得るため、と言うのなら以前からあったし、そう言った輩は政府の方で対応できていたんだが・・・」

 

 何せ国の殆どが緑で覆われたようなお国柄である。

 

 人口自体も少なければ密林内に整備された道があるわけも無く、ましてやそれなりに設備の整った港ともなれば片手に足る数である。

 

 ヘリか飛行機でも飛ばせば不自然な場所は簡単、とまでは行かなくとも、それなりに発見できるのだ。

 

 また、港でしっかりと見張っていれば、摘発できる可能性が高くは、ある。

 

 それでもゼロとまで行かないのが人の怖さと言う物なのかもしれないが。

 

 さて置き、そんな中に左遷されてきたとある商社の支局長が、山賊団の首領をどうやってか説得し、山賊団員全員警備員やらなんやらに雇い入れたのが数ヶ月前。

 

 色々と裏取引はあったらしいが、ともあれ彼らもカタギの生活に慣れて来たようなので様子見、と言うのが正確なところでもある。

 

「で、ちょっとしたプロジェクトを開始しようと思った時に、だ。厄介な事が起きてねぇ」

 

「GSが必要になるような?」

 

「そう言う事だ」

 

 密猟者と無断森林伐採の激増。

 

 そして、それに伴う治安の悪化。

 

 皮肉にも、密林を根城にしていた山賊が居なくなった事で、歯止めを失ったようにそれらが一気に加速したのだ。

 

 政府としてはたまったもんではない。

 

 何せこの小国の警察機構なんてのははっきり言ってそこまで大した物ではない。

 

 そして、何とか対応をしようと四苦八苦している時に、更に事態は坂道を転がるように悪化していった。

 

 密猟者達が、何者かに狩られ始めたのだ。

 

 それだけなら自業自得とも言えようが、暫くすると今度は密猟者達だけでは無くなった。

 

 許可を受けて伐採していたり、調査に入った政府の職員達も襲われ始めた。

 

 密猟者達とは違い、彼らは一週間もすると無事に帰ってきたのだが、彼らの証言に寄れば――

 

「ジャングルの邪精霊を見た、と言う報告と、帰ってきた者達が密林へ入れないと言う事態」

 

「・・・襲われて、無事だったの?」

 

「ああ。その辺りは不明だが・・・ま、政府としても調査に派遣できないで困っている。無論、我々のプロジェクトも頓挫したままだ」

 

「・・・ふぅん」

 

 ジャングルの邪精霊、見た目は奇妙なお面とボロボロの布切れを身につけた、敏捷性と呪いに長けた厄介な存在である。

 

 だが、邪精霊と言っても自然の一部。

 

 普段は人の入らぬ密林の奥深くに居るし、ましてや密猟者達とそれ以外の区別などつける筈も無い。

 

 そして、帰ってきた者達が密林へ入れなくなる、と言う現象。

 

「クロサキ君が見つけて来た君達なら、何とかなるだろう?」

 

「えらく評価されてるみたいね、彼は。分からなくも無いけど」

 

「今の本社の中では一番の切れ者だからね」

 

 深くソファーに掛けなおし、腕を組んだ向こうから楽しげな視線を向けてくる大樹にウィンクを返しながら、勘九郎は立ち上がる。

 

 やや蒼褪めながらも差し出した資料と契約書に目を通しながら、勘九郎は懐からペンを取り出した。

 

「で、奥方と甥は放って置いて大丈夫なのかしら?」

 

 耳を澄ませば聞こえてくる、隣の支局長室からの悲鳴と振動、打撃音。

 

「・・・いや、あの馬鹿がどーもこっちに来たらしいと聞いたから妻も呼んだんだけどなぁ。失敗だったか」

 

「甥っ子に手伝ってもらっても構わないかしら?」

 

「本人さえ良ければ良いんじゃないか? ま、あんまり長引くようだと――」

 

 一際大きな音が響き、建物が揺れて埃がぱらぱらと落ちてきた。

 

「ちゃんと学校行くって言ったやろがーっ! 何でこんな所に女連れで来とるかあんたって子はぁぁっ!!」

 

「ちがっ、これは事故、そう事故みたいなもんで!!」

 

「へぇ? その辺りどーなのルシオラちゃん?」

 

「・・・まぁ、限りなく事故と言うかほんとの所自業自得と言うか」

 

 裏切ったなー、と言う台詞を最後に、隣室からガラスが割れる音が響いた。

 

 そして暫しの後窓の下から何かが落ちたような音が聞こえ、ざわざわと通行人達が騒ぎ出した。

 

 しかし、その声は一瞬沈黙した後、再び今度はより大きな音で響き出す。

 

 悲鳴やら何やらが聞こえた所からすると、どーもあっさり復活した忠夫が通行人達を掻き分け脱出したらしい。

 

 そりゃ4階から落ちてきた人間がいきなり起き上がって、何事も無かったように凄まじい速度で逃げ出せば驚きもするだろう。

 

「チッ! あの馬鹿逃げ足だけは速いんだから! ルシオラちゃん、ビームよビーム! 魔族なら出来るでしょっ!」

 

「そ、そりゃ一応は。あの、どれくらいですか?」

 

「逃げられないように街ごと吹き飛ばしなさい!!」

 

 高まる魔力の波動とヤバげな雰囲気に、駆け出した勘九郎と大樹が間に合わなければ、街の一区画くらいは吹っ飛んでいたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追伸。

 

 何処と無く煤けた勘九郎がルシオラを連れてロビーに降り立った時には、既に惨状は欠片も見当たらなくなっており、受付嬢がとても素敵な笑顔で見送ってくれた。

 

 玄関先では物凄い量の負のオーラを纏った雪之丞が、通行人達に見境も無くガンを飛ばしていたので一発殴って気絶させてから勘九郎が担ぎ上げた。

 

 結局、少しでも真面目な者が苦労を背負うのがこの世の法則なのだろう。

 

「・・・はぁ」

 

「タダオ何処まで逃げたのかしら?」

 

 気楽に呟く魔族の少女が、何となく羨ましくなった昼下がりであった。

 


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