魔法少女リリカルなのは―畏国の力はその意志に―   作:流川こはく

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原作前その三


第三話『告白』

 あれから六年が経った。

 アイリは士郎のもとで、恭也と美由希とともに戦闘訓練を続けている。教えを受けていることから、士郎の事を師匠と、兄弟子の恭也の事を兄と、美由希の事を姉と呼ぶようになった。他にも自己流の魔法訓練も欠かしていない。勉学面でも持ち前の頭脳を発揮し、文武両道の精神を貫いていった。

 一方で身長はあれからも伸び悩み、グングン成長していくアリサに怯えながら日々過ごしている。

 今の身長差は五センチほどだろうか。自分の成長期はどこに……、アリサに身長で抜かれたら立ち直れないかもしれない。そんなことを考える中学生二年生であった。声変わりもまだである。

 

 この数年の間に色んな事があった。

 

 三年前、アリサが小学校に入学した時には、アリサになかなか友達ができないという問題があった。

 アリサ曰く「周りがバカすぎてあわせてなんからんないっ!」とのことだったが、さみしそうな顔をしていたのが印象的だった。

 そんなある日、学校で喧嘩をして帰ってくるという出来事があった。

 顔を腫らして帰ってきたときには何があったか気が気でなく、「誰にやられた!」と厳しく問い詰めるも、「悪いのはあたしなの!」と言って取り合ってくれなかった。

 後に詳しく話を聞くと、なのはと、恭也の友達の月村忍の妹、月村すずかと喧嘩したらしい。そのあとすぐに仲直りをした三人は、今では親友と呼べる間柄に成長し、仲睦まじく過ごしている。

 意外なことだが、幼稚園が違ったためか、それまでアリサとなのはが遊ぶことはなかった。もっとも、アイリが入院しているときに病院で何度かあっただろうし、アイリ経由でも何度か知り合う機会はあったはずだが、意外と人見知りで意地っ張りな幼いころのアリサは、友達を作るのが異常に下手だった。そのせいできっかけでもないと話す機会がなかったのだろう。

 アイリはなのはとは既に知り合いだったが、それを契機にすずかとも友達となった。

 月村すずかはアリサとなのはの同級生で、紫の長髪を純白のヘアバンドでとめている女の子。性格はおとなしめで、勝気なアリサと性格が全然違うのによく友達になれたな、と思わないこともない。元気いっぱいのなのはと三人でうまくバランスが取れているのかも知れない。

 そしてバニングス家と高町家、月村家は家族ぐるみの付き合いをするようになった。

 

 恭也が交通事故に遭うという事件もあった。詳しくは知らないが、女の子を助けてケガをしたらしい。入院中に色んな女の人が次々と見舞いに来る様子を見て、これが最近噂に聞いたリア充という生物か、とアイリは恐れおののいたりしていた。

 後に士郎から治療を頼まれた際に知ったのだが、下半身のケガが相当酷かったらしく、まともに歩けるようになるかも怪しかったらしい。そんなケガを負いながら、まるでいつも通りのように振る舞っていた恭也には驚くやら呆れるやらである。

 前回の反省を踏まえて、夜中にしっかりと医者の格好をして更に狐のお面を被ったうえで治療を行ったのに、恭也には普通にばれてしまった。

 「顔を隠しても後ろ髪の長い三つ編みを隠さないでどうする」とは恭也の言である。

 

 他にも、久遠が女の子に変身したり、大暴れしたりするという事件もあった。これは色々あって何とか無事解決したが、やはり日々の訓練は欠かせないなと思わせる事件だった。

 

 

 そして今、始業式の次の日の土曜日である。アイリは窮地に立たされていた。

 始まりはアリサが風邪を引いたことにある。ただ、アリサはそのことを親友二人に心配させたくないために、無理を押して登校しようとしていた。

 当然そんなことを許すわけもなく、アリサをベッドに押し込めたのだが……「じゃあ私の代わりに行ってきて!」とわけのわからないことを言われた。

 しかも以前心配をかけたときに約束した、なんでも一つだけ言うことを聞くから、という約束事を持ち出されてしまった。

 今日は自分の通っている中学校がたまたま休みなのも後押ししている。

 自分とアリサは身長が違うからすぐばれるだとか、そもそも性別が違うから絶対ばれるだとか主張したが、「あんま変わんないわよ。それとも、約束を守ってくれないの……? お兄ちゃん……」と、上目づかいで目を潤ませて甘えてくるアリサの前に撃沈した。

 これはもう可愛いアリサの願いを叶えるしかない! だって……アイアムお兄ちゃんだからッ!

 と、よくわかんない意識の状態のままアリサの服を借りて、アリサの髪型をまねて家を出たまではよかった。

 バスに乗り、すずかと合流した時に正気に戻る。

 

「あ、アリサちゃん! おはようー」

 

(まずい、よくよく考えると絶対ばれる)

 

 すずかに変人扱いされてしまう。男なのに女装して妹の小学校に行くとか、変人すぎる。一発退場ものだ。そもそもクラスでも男が女装してまぎれこんでたら浮きまくってしまう。

 

(あれ、ひょっとして僕の人生今終ろうとしてる?)

 

 アイリはここで漸く今の自分の状況の際どさに気づいた。

 

「す、すずかちゃ……、すずか! お、おはよう!」

 

「今日もいい天気だねー」と言って話しかけてくるすずかにはこちらを不振がっている様子はない。

 

(あれ、いける? ひょっとして大丈夫なの?)

 

 アイリは初めて自分の女顔に感謝した。そもそもアリサに似てるといわれなければこんなことにはなっていないことは今は置いておく。

 その後もなんとかアリサの真似をしながら雑談をしていると、なのはがバスに乗ってきた。

 

「二人ともおはよー!」

「おはよう、なのはちゃん」

「おはよう、なのちゃ……なのは!」

 

「昨日のテレビみたー?」と話しかけてくるなのはも、こちらを怪しがっている様子はない。この二人がいけるなら、ひょっとしていけるのだろうか。自分の人生をまだ諦めなくてもいいのかもしれない。

 バスから降りて学校へと向かう。

 

「あれ、アリサちゃん背伸びた?」

「えっ?! ま、まぁね! 最近やたら背が伸びてきたのよ! 成長痛で関節が痛くて仕方ないわ」

 

 いつもは鈍いなのはが無駄に鋭かった。今まで成長痛を感じたことがないので完全な自虐である。

 

「いーなぁ。私も早く成長期が来ないかなぁ」

「なのははそのままでいいの! 絶対成長しちゃだめよ! そのままで十分かわいいんだから! 私より大きくなったらだめだからね!」

 

 なんてことを言うんだ。なのはに身長で抜かれたら立ち直れない。

 ただでさえアリサの進撃に悩まされているアイリは、後人の成長に恐れ慄いた。

 

「かわいいって、にゃはは……。恥ずかしぃよぅ」

「なのはちゃんはかわいいよ」

「あ、すずかも今のままで十分かわいいんだから、無理に大人になろうとしちゃだめよ!」

「あ、うん。これは確かに恥ずかしいかも……」

 

 クラスは……三年一組で、座席は窓際の席だったはず。クラス替えしたばっかだし、周りの人との関係が少しおかしくてもきっとばれないに違いない。

 今日は午前で終わりだから、あと4時間の辛抱か……。帰りに二人に遊びに誘われても用事があるからって言ってさっさと帰ってしまおう。

 ある程度の今後の見通しを立てて教室のドアを開ける。

 まわりにも不審な目で見られている様子はない。

 

 よし、いける!

 

 アイリは長い一日の一歩を踏み出した。

 

 

 

 

「先生、さよーならー」

「はい、さようなら。帰り道に気を付けるよー」

 

 授業が終わり、大変な一日が終わる。

 

「アリサちゃん、すずかちゃん! 私ちょっと家の用事があるから急いで帰らないといけないの! またねー!」

 

 なのはは急いで帰ってしまった。それは自分が言いたかったセリフなのに……。アイリは先を越されてしまってしばし固まる。

 

「アリサちゃん、かえろっか」

「あ、うん」

 

 まぁ、あとほんの少しだから大丈夫か。

 そう思い、校門を出て二人で歩く。

 ただ、こういう時はそううまくいかないものであった。

 

「アリサちゃん、なんだか今日は少し大人っぽいね」

「そ、そうかしら……。あたしは別にいつも通りよ! 気のせいだから、明日からは元通りだから気にしないで!」

「……?」

 

 気が動転してあわあわとしていて、アイリは周りの様子の変化に気が付かなかった。

 いつもならそれなりに人がいるはずの通りには、人の気配がない。いつの間にか傍に黒塗りのスモークガラスの車が止まっている。

 突然車から屈強な大人たちが出てきて、二人に拳銃を突き付けてくる。

 

(――って銃?! まさか、本物?)

 

「動くな、抵抗すると容赦なく撃つ。どちらか片方が抵抗したらもう一人を撃つ」

「な、なによあんたたちは! ふざけないで!」

「アリサちゃん……っ」

 

 すずかはひどく怯えている。突き付けられているの銃の存在感は偽物とは思えない。男たちの態度もどう見ても本物のそれだ。すずかは不安そうにアイリの服を掴んだ。

 誘拐か。自分も、自分というよりも妹のアリサだが、アリサもすずかも実業家の娘だ。金銭目当ての誘拐があってもおかしくない。

 ただ、人払いをして拳銃も持参しての誘拐とは本格的だ。二人一組の時に誘拐するのもうまい。抵抗するともう一人に危害が及ぶことから変に動けない。

 

「いいから乗れ」

「あんた……、覚えてなさいよ!」

「うぅ…………」

 

 車に乗せられながら、ポケットの中を操作して通話音量をゼロにした携帯電話を士郎に繋ぐ。

 これでこの誘拐のことが士郎に繋がるはずだ。あとはなんとか情報を引き出すか。

 

「それで、どこに連れていく気かしら。あたし、これから稽古の時間なんだけれども」

「気の強い嬢ちゃんだな。なに、そんなに遠くはないさ。ただちょっと誰も寄ってこれないようなところだけどな」

 

 二人を捕らえた顔に三本の傷がついた男が答えを返す。この男は顔を隠していない。誘拐をするのに、顔を隠さないということは見られても構わないということ。つまりこの男は……、自分たちを無事に帰す気が無いということだろうか。

 

「ふんっ、パパからお金でもゆすろうっていうのかしら。もし出してもらえたとしても、そのあと絶対うまくいかないわよ!」

「安心しな。お嬢ちゃんには用がないんだ。可哀想になぁ、お前は巻き込まれただけさ」

「どういうこと……? そう、狙いはすずかね」

「そうだ。俺はその紫髪のガキに用があってな」

「すずかに……すずかになんの用よ! こんなか弱い女の子を誘拐して恥ずかしくないの?!」

「か弱いねぇ、本当にそうなのかね……。それにしてもお前は哀れだよ。化物に騙されていることに気付けないなんてな……」

「なんのことよ!」

「細かいことはあとで教えてやる。とりあえずこれからは目隠しをしな。あぁ、へんなことをしないように手も縛っておくか。とりあえず、荷物は没収しておく。携帯とかで応援を呼ばれても面倒だ」

 

 アイリは仕方なく携帯の通話をこっそり切って渡す。睨むのも忘れない。

 ただ、その男が自分の事を憐れそうな目で見ているのが少し気になった。

 無事に帰すと行っておきながら、そんな目を向けてくる意味がよく分からない。誘拐犯のくせに、妙に自分には親切だ。いや、親切というよりも……これは、同情……?

 

 手を結ばれ、目隠しをされてどこともしれない目的地へと連れられて行く。

 薬をかがされ、意識が遠くなっていく。

 最後に見た光景は、こちらを見つめるすずかの顔。ひどく怯えていたのが印象的だった。

 こんな状況だ、怯えていても少しもおかしくない。

 だがその様子は、男たちに怯えているというよりも――――、何故か自分に対して怯えているように見えた。

 

 

 

 

「おい――、どういうことだ。連れてくるのはすずかお嬢様一人のはずだが」

「いや、二人で行動していて離れそうになかったんでね。なんでも、大切な友達らしい」

「友達だと、くくくっ、ははっ、おいおい、あんまり私を笑わせないでくれ。腹が痛くなってくるじゃないか」

「いや、勝気だが随分友達思いのいいお嬢ちゃんだよ。自分だって危ない状況なのに、友達の事を心配出来るやつなんて中々いない」

「そうか、気に入ったならお前に譲ってやろう。好きに処分するといい」

 

 意識が目覚める。手は縛られているが、目隠しはとれていた。隣ではすずかも目を覚ましていた。

 どこかの廃ビルのようだ。何階かはわからないが、下に複数階あるのは間違いない。

 

「――ずいぶん好き勝手言ってくれるわね。あんたが今回の誘拐犯のリーダーかしら」

「おや、目を覚ましたが。喜べ、お嬢さん。今お前の身柄の引き取り先が決まったぞ。殺されないようにせいぜい媚びるんだな」

「ふざけたこと言わないで。自分の未来ぐらい自分で決めるわ」

「車の中でも言ったが、あんたは親御さんのところに戻してやるから安心しろ。俺が用があるのはそこの化け物だけだ」

 

 車で誘拐した時に会話していた男と、リーダー格の男。この二人だけ周りの男たちと雰囲気が異なっている。主犯はこの二人か……。

 自分を女と勘違いしているということは、寝てる間に変なことはされてないということ。すっかりアリサの振りが上手くなってしまったから疑われなかったのか。縄で縛られているけれど、体は普通に動きそうだ。これなら、なんとか出来るか……。アイリはひそかに臨戦態勢をとる。

 

「まぁ、お嬢さんのことは今は置いておこう、それよりも今はすずかお嬢様だ。お久しぶりですね、すずかお嬢様」

 

 すずかの体がびくりと震える。この二人、知り合いか。

 

「…………、おじさん、なんで、こんなことを……」

「いやなに、ちょっと変な噂を小耳にはさんだものでね。月村家の当主があんな小娘になるかもしれないという与太話だよ」

「…………お姉ちゃんが当主になることは、貴方には関係無い話です」

「とんでもない! なぜなら私はあの小娘が生まれる前から当主の座を狙っていたんだよ。あんな小娘には、月村の財も、力も、相応しくないのだ!」

 

 叔父と呼ばれた男は両手を振りかざし、主張する。

 

「ましてや、彼女は人間とのおままごとに夢中なようで。とても当主にふさわしいとは思えませんなぁ。あぁ、おままごとといえばすずかお嬢様もでしたか。姉妹そろって困ったものです」

「っ!! ……やめてっ!!」

「あんた何言ってんの? 頭大丈夫かしら」

「あぁ、お嬢様はまだ説明してないのですかな。それとも、エサにはわざわざ説明する必要はないと。それとも食事の後にわざわざ記憶を消しておられるのですか?」

「やめてっ!! 言わないで!!」

「あんた本当に何言ってんの? いきなりわけのわからないことを言ってすずかを侮辱しないで!」

「今日は本当に愉快だ。すずかお嬢様、あなたはどうやら自称あなたの友人になんの説明もしていないようですな。まぁ、説明をしようものなら、逃げられるから当然といえば当然ですか。仕方ないから私が教えてあげましょう」

「お願いっ! 言わないで!!」

 

 どうも雲行きがおかしい。先ほどから誘拐犯であるすずかの叔父の発言もよくわからないし、すずかは明らかにに誘拐とは別の事に対して怯えている。

 

「そこから先は俺が言おう」

 

 三本傷の男が言葉を続けた。

 

「あんたは……、少しは言葉が通じると思ってたけど、やっぱりこんな男に付き従っているだなんて最低ね」

「あぁ、どう思われようと構わない。だがその男に付き従っている訳ではない。寧ろ機会があれば殺してやりたいくらいだ」

「どういう、こと?」

「単純な利害の一致だ。俺も、その男も、その紫髪のガキとその姉を殺すことで協力しているに過ぎん」

「な、あんたなに言ってんのよ! すずかがなにしたっていうのよっ!」

「何をしたか、か……。そうだな。何をしたかと問われたならその答えは決まっている。そいつは、そいつらは――、俺の妹と婚約者の仇だ」

 

 仇。その男は確かにそう言った。すずかを見るその目はどす黒い復讐に染まっていた。

 

「な、何わけわかんないこと言ってんのよ。すずかが人を、こ、殺すわけ無いじゃない」

「確かに、……そいつ自身が殺したわけじゃない。だが間違いなくそいつらの一族に俺の人生は狂わされたんだ」

 

 男は、懐から銀のナイフを取り出しながら続ける。

 

「そうだな、少し昔話をしよう。お嬢ちゃんにとっても有意義な話のはずだ。……俺は昔、警察官だった。とある事件で連続殺人犯を追っていたんだ。相棒で婚約者だったあいつと一緒に、毎日飛び回って。そしてついにその殺人鬼を追い詰めた……」

 

 

 

 

 だが、かなり内密に動いていたはずなのに俺が突き止めたという情報が漏れていた。その殺人鬼は、俺のたった一人の肉親の妹を人質にとり、自分から手を引けと脅迫してきた。

 妹は気絶しているようだった。殺人鬼の腕の中でぐったりとしていた。怪我しているらしく、いつも着けているお気に入りのチョーカーが血で赤黒く汚れ、地面には少し血が染み込んでいた。といっても、出血死するほどの量には見えない。すぐに手当てすれば助かると思った。

 俺は、俺にとって妹とあいつが全てだったから……。殺人鬼の要望を飲むしかなかった。

 そんな時、あいつが駆けつけてきた。俺の大切だった、婚約者だった女だ。

 

「何してるの?!」

「待て! 妹が人質に取られてるんだ! 不用意に近付くな!」

 

 あいつは、動くなと言ったのによろよろと殺人鬼の方へ向かっていった。

 

「なんで……逃げなかったの……」

「逃げる? 逃げるわけないだろ! こんな状況で俺が逃げたら……」

 

 不用意に、殺人鬼に向かって歩いていく。

 そして何故か殺人鬼もそれを止めなかった。

 異様な光景だった。人質をとってまで俺を遠ざけようとした殺人鬼が、あいつに近づかれて掴みあげられるまでなにもしなかった。

 

「なんで、なんで逃げなかったのよ!」

「逃げる? なんで俺が下等な人間から逃げるなんて選択をしなくちゃならんのだ」

 

 その言葉の向けられた先は、俺ではなかった。

 

「あんな事を繰り返して、逃げなくちゃいけなくしたのは貴方じゃない!」

「ふん、知ったことか。それにお前が教えてくれたお陰でこの男の存在に気づけた。そして弱点もな」

 

 この男は……、何を言っているんだ。いや、そんな、まさか俺の情報を漏らしていたのは――。

 

「だが、お前が来てくれて助かったぞ。正直、この女にはもう人質の価値がなくてな。少し飲みすぎてしまったようだ」

「なんですって! ……なんて事を……」

「どれ、貴様に返してやろう。受けとるがいい」

 

 そういってその男は俺に妹を投げつけてきた。

 突然人質を解放する意味がわからずも、俺はただ受け止めた。

 その妹の体は――異様に軽かった。

 

「なんだ……この不自然な軽さは……」

 

 そして、胸元に二本の小さい刺し傷があることに気づく。

 

「なんなんだ、この傷は……」

「なんだとは、おかしな事を言うな。食事のあとに決まっていよう」

「しょく……じ?」

「貴様らの血を啜った痕だ。貴様の妹の血は聞いていたよりもかなり美味だったぞ」

「血を……啜る……? そんな……化け物みたいなのが、いるわけが……」

「なんだ、貴様は知らなかったのか。我々の事を」

「我々……?」

 

 さっきから、何かおかしい。腕の中でひどく冷たくなっていた妹の体を抱きながらそんな事を思った。

 

「貴方と一緒にしないで!」

「くくくっ、そうか、貴様あの人間に何も説明してなかったのか」

「私は貴方とは違う!」

「そんな寂しいことを言うな。血を分けた兄妹だろうに。それに、あの娘の血のうまさを我に語ったのは他ならぬお前であろう?」

「兄、妹……? 血を……吸っていた?」

「違う! 信じてくれ! 私は決して無理やりしたわけじゃ……あの子は、苦しんでいた私をあの子は助けてくれていたんだ!」

 

 コノオンナハ、ナニヲイッテイル?

 

 それじゃあまるで血を吸っていた事を肯定しているみたいではないか。

 妹の体を見つめる。胸の傷も気になるが、ふと目にはいったのは、お気に入りだからといって俺の前では決して外さなかったチョーカー。このチョーカーをしだしたのはいつからだったか。確か……、あいつが初めてうちに遊びに来た時じゃなかったか……。

 嫌な予感を胸に、恐る恐るチョーカーに手をのばす。

 そんなことがあるはずが……。いや、しかし……。

 

 そして、そのチョーカーの下に隠されていた肌には、――――二本の牙の痕がくっきりと残っていた。

 

 そんな……、そんな……。

 

「あ゛あ゛あ゛あああ、うわあああぁぁぁッッッ!!!!」

 

 

 

 

「その後その二人に襲いかかったが、あいつらを捕まえることが出来なかったし、あいつらに殺されることもなかった。俺は吸血鬼に騙されて……人生で大切なものを全て失った。しばらくは何をすればいいのかわからなかった。だが、あいつらを根絶やしにしなくてはいけないという事だけはわかった。死んだ妹のためにも、一匹でも多くの化け物を退治してやると誓った」

 

 三本傷の男が語った話は、壮絶なものだった。それは一つの悲劇。その語りの節々から、男の深い悲しみと後悔が伝わってくるものだった。

 

「さて、お嬢ちゃん。俺がなんでこんな話をしたのか分かるな」

 

 男の話を聞き、アイリは萎縮した。その男の尋常ならざる気迫に押されたのだ。

 

「じゃあ、あなたは……。すずかがその吸血鬼だって言いたいの……?」

 

 弱気になりながらも、男に突っ掛かる。

 

「ああ、その通りだ。そいつは人間じゃない」

「そんなの、そんなの信じられるわけ無いじゃないッッ!」

 

 男の言葉に真実性を感じながらも、感情で否定する。

 

「なんなら本人に聞いてみるんだな。最も、自称友達に何を話すかはそいつ次第だかな」

 

 男に言われるままに、すずかに問いかける。それは男の言葉を信じはじめていたからか、すずかに笑って違うよとでも言ってほしかったからか。アイリの心境は複雑であった。

 

「すずか……?」

 

 顔を横に向けてすずかを見る。

 すずかは声を殺して泣いていた。

 まさか、今の話は本当? 本当に――人間じゃない?

 

「ごめんなさいっ……。ごめんなさい、アリサちゃん……っ」

 

 泣き続け、謝り続ける。それは、言葉にはしていないが男の言葉を肯定していることに他ならなかった。

 

「謝るぐらいなら、何故近づいた。化け物め」

「友達ごっこは見てて微笑ましいですが、あまり人間を弄んではいけませんよ、すずかお嬢様」

 

 一人は不機嫌そうに、そしてもう一人は愉快そうにアイリとすずかの様子を見ている。

 よほど自分たちの関係が気に入らないのか、滑稽なのか。

 

 ふざけるな。

 どうしようもない怒りがこみあげてくる。

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!

 アイリの胸のうちに込み上げてくるのは、言い様の無い憤りだった。

 お前たちがすずかの何を知っている。すずかとは何年も前から、彼女が幼い頃からの付き合いだ。普段はおっとりしている彼女がすごく優しいことを知っている。とても友達思いなのを知っている。そして、いつも少しどこか臆病だったことを知っている。

 アイリはアリサの振りをする事も忘れて、ただただ思いの丈を叫ぶ。男たちに向かって。そしてすずかに向かって。

 

「ふざけるなッ!! すずかちゃんを貶めるのもいい加減にしろ!! 吸血鬼? だからどうした! ちょっと血を吸うからってすずかちゃんが僕の友達であることには変わらないし、すずかちゃんがすごく優しい子だってことは僕だって、みんなだって知ってる! 種族が違うからって今更疑うものか! 僕の大切な友達だッ!!」

「すずかちゃんも!! ……もっと、みんなを信用しなよ! 秘密を抱えているのは怖いかもしれないけど、君の周りにいる子はそんなことで君から離れて行ったりしない! ……僕の自慢の妹たちはそんなことはしないよ!!」

 

 自分の友達のすずかはこの男が話したような、人間を下等種族だなんて言ってのけるような人間じゃない。

 きっと、自分が人とは違うことでずっと苦しんできたんだ。だから、時々あんな寂しそうな顔をしていたんだ。

 すずかには泣いていてほしくない。こんな優しい子が苦しむなんて間違ってる。

 

「……っ! ア…アリサちゃん……。うぅ……、ありが……とぅ。わたし、アリサちゃんが友達でほんとに……あれ、アリサちゃ……ん? …………あれ、アイリくん?」

 

(あ……。ばれたー! しまったー!!)

 

 思わずアリサの振りをするのを忘れてしまったことにアイリは気付く。

 今明らかに、自分はいつもの自分に戻っていた。

 これは、明日から変人扱いコースに突入してしまったんだろうか。

 いや、でもいくらなんでもアリサの振りをしてアリサの代わりに代弁することも出来なかったし、そう考えるとどうしようもなかったのかもしれない。

 

「ふん、つまらないな。もう少し賢いやつかと思ったが。残念ながら、生かしておいてやるというのは無しだ」

 

 そう言って男は拳銃をこちらに向ける。

 その格好は脅しではなく、明らかに発砲する様子だった。

 だがアイリもいい加減腹が立って仕方がなかった。

 縄を切り、拳を構える。

 

「おや、縄が緩かったか。……まぁいい、死ね」

 

 パンッ

 

 乾いた拳銃の発砲音が響く。

 アイリは銃口と引き金に架けられている指から目をそらさずに体を反らして躱す。

 男との間には距離がある。だがそんなことは関係ない。

 拳に力をため、怒りを込め、気を漲らせる。

 

「はああぁッッ!!」

 

 渦巻く怒りが熱くする!――

 ――――これが咆哮の臨界!

 

『波動撃!!』

 

 拳を振りぬき、遠当ての要領で男に向かって拳を放つ。

 一見、何もないところへ向かっての一撃。だが、それは確かに男へ届く。

 振りかぶった拳に呼応するように光の衝撃が男へとぶつかる。

 男は吹き飛ばされ、何が起こったのかも理解できないまま意識を失いながら奥の壁へと衝突していく。

 激しい音の後、場に静寂が訪れる。残りの男たちは今何が起こったのか理解できなかったのだろう。

 拳銃を持った大の大人が、小学生の女の子に正面から戦って敗れるなんて。

 

 数瞬の後、三本傷の男が声を荒げる。

 

「こいつらを殺せ! 一斉に撃て!!」

 

 他の男たちが向かってくる。

 伊達に鍛錬を積んでいない。拳銃なんかに負けるほど、日々の訓練は軟じゃなかった。

 すずかをかばいながら拳術で応戦する。銃弾をかわし、敵に迫る。剣を武装している男から剣を奪い、振りかざす。

 拳を振るい、相手の銃を破壊し、剣を振るいながら一人、二人と倒していく。

 同士討ちを狙うために、敵の密集している地帯へと突入していく。

 倒した数は十人を超える。

 暫く、思いのまま暴れていると、最後の一人となった。

 

 あの三本傷の男だ。

 

「チッ、同情してお前を生かしていたのは失敗だったか」

「大切な人を信じられなかった時点で、……お前の負けだよ」

「お前に何が分かる! いや、お前だって分かっているはずだ! どうして、こんな化け物と一緒にいられる!」

「決まってるだろ。僕は、すずかちゃんを信じてるからだ!! さっさと……、寝てろッ!」

 

 最後の一人を殴り飛ばし、戦いを終える。

 下の階にはまだ人の気配があるが、ひとまずこの階は制圧した。

 ふぅ、とひと呼吸入れる。

 あとはすずかを連れてここから逃げ出すだけだ。なんなら窓から逃げ出せばいいから、問題なくやれるはずだ。

 

「あの、えーと……アイリ君?」

「あ……、えーと誰のことです? 僕はこのビルに住んでる平凡な小学三年生で……、あ、ほら、ちょっと恥ずかしがり屋だから顔を隠すね」

 

 その問題が解決してなかった。

 手近にいた男がかぶっていた覆面を奪いとってかぶる。

 後ろ髪が隠せてないから無理矢理服の中にしまう。

 

「それで、なにか用かな。このビルに連れられてきたお嬢さん」

「あ、うん。それ続けるんだ。えーと、その、アリサちゃん今日一日中私と一緒にいたよね」

「アリサというのはよく知らないけど、君が一緒にいたっていうならそうなんじゃないかな」

「そうだよね、朝からここに連れてこられるまでの間に入れ替わる時間なんてなかったもんね」

「まぁ、僕は今日は一日中このビルで過ごしてたけどね」

「ってことは、アイリ君ひょっとして今日一日中アリサちゃんの格好をしてアリサちゃんの口調でしゃべってたの?」

「よくわかんないけど、君がそう思うならそうなんじゃないかな」

 

 すずかの容赦のない口撃がアイリの心を穿つ。

 

「その……女の子の姿するの趣味なの? よくアリサちゃんが許してくれたね……。あ、でも似合ってるよ! アリサちゃんと同じくらい可愛いよ!」

「違うから! アリサにやらされただけだから! 殺して!! もういっそ僕のことを殺して! 社会的に殺される前に僕のことを楽にして!!」

 

 するとすずかはくすくすと笑いだす。その空気は柔らかいものとなっている。

 

「あ、からかったな! 僕がどんな思いで今日一日を過ごしていたと思ってるんだ!」

「ふふっ、ごめんなさい。でも可笑しくって。本当にどうしてそんなことになってるの?」

「話せばややこしい話なんだけど、アリサが朝体調が悪くて寝込んじゃったんだ。それで君たちに心配かけたくないからって学校に無理やり登校しようとしてたんだけど、それをベッドに押さえつけていたらいつの間にか、僕がアリサの代わりに登校することに……。朝だし頭が回ってなかったし、アリサが可愛らしく甘えてくるからつい……」

「そうだったんだ……。アリサちゃん大丈夫なの?」

「帰りに携帯で連絡した時には無事回復してたよ。今はもう元気に動き回ってるんじゃないかな」

「よかった……。でもそんな時もちゃんと伝えてほしいな」

 

 そういってすずかは不満そうな顔をした。

 だがそれはすずかにも言えることだ。

 アイリはすずかのこめかみを両手で押さえながら告げる。

 

「ひ、と、の、こ、と、を、言えるのかなぁ~~!! 別に秘密をばらさなきゃ友達じゃないとかは言わないよ。でもずっと不安を抱えていたんだったら、僕たちが君の助けになれるんだったら、それを少しずつでも話してほしかったかな!!」

 

 ぐりぐりと頭を押さえつけて伝える。

 

「ご、ごめんなさ~~い。私、その不安で……」

「まぁ、さっきもいったけどアリサもなのちゃんも優しい子だから、すずかちゃんから離れていくことは絶対にないよ。そこは二人のことを信じてほしいかな」

「アイリ君……」

「まぁ、いい機会だから……、……ッ!! 下の階から人が来る! すずかちゃんは隠れてて!」

 

 下の階が騒がしい、それよりもこちらに向かってくる気配が一つある。

 静かで、速い。偶々気が付かなかったら部屋に突入されるまでわからなかったかもしれない。

 明らかにさっきまでいた敵よりも強い、本物の戦士の気配を感じる。

 

 扉に向かって剣を構える。扉を開けた瞬間に不意打ちの初撃で叩いてやる!

 気配は扉の前で止まる。扉は開かない。ノブに意識を集中する。

 

 ノブが回らない。

 ……回らない。

 ……回らない。

 

 ――回った。

 

 完璧なタイミングでドアの隙間に向かって剣を振りぬく。

 

(獲った!)

 

 だがその時思いもよらないことが起こる。

 ドア自体が激しい音とともにこちらに向かって吹き飛んできた。

 

(ノブの動きはフェイクかッ!!)

 

 アイリは舌打ちをしながら飛んでくるドアを避ける。

 だがそれは致命的な隙となり、侵入者の攻撃を許すこととなる。 

 

「ハッ!!」

「くッ!」

 

 かろうじて剣で受ける。だが剣は砕かれ、体は吹き飛ばされる。

 アイリは急いで傍に転がっていた他の剣を拾う。

 敵は二刀の剣士が一人。覆面で顔はわからないが、明らかに場馴れしている。

 だが二刀相手の練習は散々積んできた。ここは絶対に負けられない。

 

「少年兵、いや少女兵か。嫌な世の中だな」

 

 敵はそう呟き、攻めてくる。速い。左右時間差で刀がやってくる。二刀の網を掻い潜り、剣を持っていないほうの拳を最短距離で放つ。

 だが相手は刀の柄で攻撃を防ぐ。追って剣を思い切り振りぬく。

 相手は片方の刀でいなしながら最小の動きで躱し、もう一つの刀でこちらを切りつける。

 体を無理に捻り躱す、が、躱しきれず皮一枚切られる。

 一合一合重ねるたびにわずかに押し負ける――強い。

 こちらよりも明らかに攻撃の手数が多い。それに武器が相手の攻撃に耐えられない。攻撃をいなせない!

 また武器を砕かれ、急いで他の剣を拾う。

 

 力で押し負ける。速さで届かない。技術でも劣る。

 それでも、引けない。

 

「はあぁぁぁッ!!」

 

 純粋な剣技で勝てなくとも、勝負には勝つッ!

 

 ひるがえりて来たれ、幾重にも――その身を刻め――ヘイスト!

 たゆとう光よ、見えざる鎧となりて――小さき命を守れ――プロテス!

 

 速度増加と防御強化の呪文を言葉には発せず発動させ、重ねがけを行う。

 体に満ちた魔力とともに突撃する。

 

「たあァァッ!」

「っ、速いッ!!」

 

 突然速くなったこちらの攻撃に対応が遅れる侵入者。

 

 この機を逃すか!

 

 流れるように攻撃を叩き込む。落ち着く時間なんて与えない。

 このまま決めるつもりで連撃を与えていく。

 こちらの攻撃が相手に通るようになった。

 相手の体に徐々にダメージを積み重ねていく。

 いける、このままなら――

 そう思い突貫する。しかし、そう上手くはいかなかった。

 

 ――御神流――『貫』

 

「がはっ!!」

 

 突然相手の攻撃がこちらの防御をすり抜けて直接体に叩き込まれる。あまりの威力に吹き飛ばされ、距離が空く。

 ダメージはあるが、まだいける。それよりも今の技は……。

 

「御神流……」

 

 最悪だった。士郎からは御神流が相手になったら逃げることだけを考えろと言われている。

 戦ったら、負けないのが御神流だと。相手を倒すことを貫き通した流派だと。

 

「知っているのか。ならば話が早い。――御神不破流の前に立ったことを、不幸と思え」

 

 それでも、負けられない。

 逃げるわけにもいかない。

 引くわけには――いかない!!

 

「僕は……勝ってみせる。――我に合見えし不幸を呪うがよい、星よ降れ!」

 

 ――御神流奥義之壱『虎切』

 ――『星天爆撃打!』

 

 斬撃が迫ってくる。威圧か斬撃か、衣服が切り刻まれる。魔力で保護した体にもダメージがのしかかる。

 だが、こちらも負けていない。

 上方からの強烈な衝撃波。三日月を具現化したような青の衝撃を相手の頭上から叩き込む。

 それは相手の体に確実にダメージを与え、頭部の覆面を破壊する。

 

「っ、この技は!!」

 

 明らかに動きが鈍った。確かに相手にダメージを与えている。このまま、突っ込む!

 アイリは追撃をしようと剣を振りかぶり――

 

「――兄さん?」

 

 その顔が見知ったものだと気が付いた。

 

 

 

 

 下の階で暴れていた士郎と合流してアイリたちは一息つく。

 もちろん士郎は下の階をすべて制圧していた。

 

「助けに来た人が人質に襲い掛かってくるとか何考えてんの! 何回死にかけたと思ってるんだ!」

「いや、それは申し訳なく思っている。それにしても、強くなったな。俺と打ち合えていたんだから大したものだ」

「終始押されてたよね?! 体中ボロボロだから! ってか覆面なんかしないで普通に来てくれれば切りあうこともなかったのに!」

「ちょっと誘拐犯が月村の関係らしくてな。俺のことがばれているかもしれないから顔を隠してたんだ。それにそれはお前にも言えることだぞ。なんで覆面なんかしているんだ」

「うっ……、いや、僕はその、このビルに住まう平凡な小学三年生だから……です」

「いや、お前は自分の家があるし、中学二年生だろ。というよりもなんだその服装は」

「服装のことはほうっておいて! 結果的にすずかちゃんが助かったんだからいいでしょ!」

「あ、その、助けに来てくれてありがとうございました! アイリ君もありがとう! えーと、なんでここがわかったんですか?」

「アイリが機転を利かせて俺に連絡してくれてな。ここの場所は忍ちゃんがすずかちゃんの携帯につけている発信機を追ってきたんだ」

「すずかちゃんも無事でよかった。忍に連絡したから、のちにこちらに直接迎えに来るだろう」

 

 そう聞くと、すずかはぺたんと地面に座り込んだ。

 

「あれ、私、腰が……」

「あぁ、気にしないでそのままでいい。緊張の糸が切れたんだろう」

「師匠が御神流とあったら逃げろって言ってたのに、逃亡不可イベントで遭遇とかありえないからっ! 草むらから野生の御神の剣士が現れるとかひどすぎるでしょっ!」

 

 アイリの愚痴は止まらない。今日の星占いを見ると絶対に星一つで絶対に部屋から出ないように、と出てくるに違いない。

 

「技は教わっていなくともお前も御神の剣士の一員なんだから、それぐらいの不条理は押し通せ」

「兄さんは無理難題をおっしゃられる!」

「はっはっは、まぁ実戦は最大の訓練と思うんだな。それにしても……」

 

 そういって士郎はアイリの姿をじっと見る。

 恭也がそれに続く。

 

「あぁ、それにしても……お前は随分色っぽい姿をしているが、趣味なのか?」

 

 二人の視線がアイリにそそぐ。私立聖祥大付属小学校の女児用の制服が切り刻まれて、アイリの素肌がところどころ露出している。

 脚なんかは隙間から脚線がまるわかりだった。

 

「半分は兄さんのせいなのに! どちくしょーっ!!」

 

 アイリは窓から逃げ出した。

 

「少しいじりすぎたか」

「いや、でもほんとに女の子にしか見えなかったぞ。学校ではさぞかしもてるだろうなぁ……男に」

「アイリ君、かっこよかったな……」

 

 背後ではそんな会話が繰り広げられていた。

 

 

 

 

 アイリは直接家に帰ろうと思ったが、ボロボロの服をアリサに見せるわけにもいかないため、制服を買うために美由希にこっそり増援を頼みに行った。

 だがそれは完全に失敗だった。

 こっそりと窓から忍び込んだのに美由希が大騒ぎをしてしまったのだ。

 

「アリサちゃん! どうしたのその姿! ひどい!! 何があったの!」

「どうしたの~、お姉ちゃん。そんなに騒いでー。あ、アリサちゃん! どうしたの! ひどい!! 何があったの!」

 

 同じ反応しかできないのか、と思わずにはいられない。

 そしてなのはにばれないためにこっそり入ったのに、すべて無駄になってしまった。

 

「こんなに服をボロボロにされて……まさか、……男の人にひどいことされたの?」

「お姉ちゃん、ひどいことってなに? アリサちゃんに何があったの?!」

「女ったらしのイケメンに襲い掛かられました。そして僕はアリサじゃないです」

「ひどいっ! アリサちゃんいくら相手がイケメンだからって小学生に襲い掛かるような人を許しちゃだめだよ!」

「アリサちゃん自分がアリサちゃんじゃないとか言わないで! 正気に戻って!」

 

 死にたい。確実に選択肢を間違えた。服を着替えてから来るべきだった。この家にも着替えを置いてあるのに、気が動転してて頭がまわらなかった。

 

「死にたい……。今日一日をやり直したい……」

「アリサちゃん死にたいとか言わないで! 辛いことがあってもいいこともきっとあるから!」

「アリサちゃん~~~」

「ハハハハハ……」

 

 そうしてアイリは、自分で今日一日アリサと入れ替わっていたことを説明することとなる。

 なにこの地獄。アイリは今日一日の努力が完全に無駄になってしまったことを感じながらそう思った。

 

「えーー?! 今日のアリサちゃん、アイリ君だったの!? 全然気が付かなかったの……」

「アリサちゃんそっくりとは思ってたけど、一日入れ替わっててもばれないなんて、ほんとそっくりなんだねぇ」

「その言葉は僕の心を深く傷つけていることを忘れないでください」

「あ、でも可愛いよ~。こんなかわいい弟分を持って私は幸せだなぁ~」

 

 そういって美由希はアイリに抱き付く。

 

「あ、お姉ちゃん私も! アイリ君可愛いよ!」

 

 なのはもアイリに抱き付く。もうされるがままである。

 

「それで、どうしてこんなにボロボロなの? ほんとに男の人にひどいことされなかったの? こんなに可愛いんだからなにかひどいことされたんじゃ……」

「ちょっと誘拐されたんですが、最終的にお宅の長男に襲い掛かられました」

「えぇっ?! 恭ちゃんに?! し、忍さんというものがありながら、……なんてアブノーマルな……。そんなだったら私にも……ブツブツ……」

「誘拐って?! 大丈夫だったの?!」

 

 美由希が何やら言っているけど、声が小さくて聞きとれない。

 

「いや、小太刀二刀を持って襲い掛かられました。なんなのあの人、怖すぎるんですけど」

「え?! あぁ、なんか行き違いがあって戦っちゃったんだ。うん、よく生きてたねー」

 

 そう言ってアイリの頭を撫でる。あぁ、人の優しさが心に沁みる。

 年上っていいなぁ、と思いながらアイリはギュッと美由希にしがみついた。

 

「こっ、これは! 恭ちゃんグッジョブ!」

「あー、お姉ちゃん私も~」

 

 

 そうして着替えにたどり着き、無事制服を脱ぐことができた。

 微妙に二人が残念そうな顔をしていたのは気にしない。

 その後、無事制服を買うことができた。

 アリサに今日の誘拐事件がばれるという最悪の事態は避けることができたといえる。

 

 高町家に戻ると、士郎と恭也、忍と忍のメイドのノエル、そしてすずかが待ち構えていた。

 なのはが勢いよくすずかに抱き付く。

 

「すずかちゃん! 誘拐されたって聞いたけど大丈夫だったの?! 怪我はない?!」

「大丈夫だよ、なのはちゃん。私は……本当に大丈夫、だよ……」

 

 すずかの身を案じて質問を浴びせる。

 すずかは泣き出してしまった。

 あんなに怖い目にあったんだから当然ともいえる。

 後を引かなければいいんだけど……。二人の姿を見ていると心配の気持ちが湧いてくる。

 

「恭ちゃん、アイリちゃんいじめたんだって? ダメだよ、こんな可愛い子いじめちゃ」

「それは確かに申し訳ないと思っているが、アイリは中々強かったぞ。お前も今度真剣で戦いを挑むといい」

 

 物騒な話が聞こえてくる。

 

「それよりも、誘拐の関連でアイリと話しておかなくてはいけないことがあってな。ちょっと借りていいか」

「ちゃんと返してよー。今のアイリちゃんすごく可愛いんだから」

「それはアイリに聞いてくれ。アイリ、ちょっと道場に来てくれ」

 

 アイリは恭也に連れられて道場に着いていく。後ろには忍とノエル、少し離れてすずかが付かず離れずでうろついている。

 十中八九月村家の一族の問題についてだろう。

 自分が聞いてしまった、人に話せない類の秘密だ。

 道場に着き、扉を閉めると忍が声を発した。

 

「久しぶりだね、アイリ君。まずは、すずかを助けてくれてありがとう。あなたたちに何事もなくて本当によかったよ」

「それは完全に成り行きでしたし、すずかちゃんに聞いてると思うんで、できれば僕の姿については掘り下げない方向でお願いしますね」

 

 忍はアイリの言葉に苦笑して続ける。

 

「今日は君が入れ替わっててくれて本当によかったよ。あいつらについては対処したから安心して。これからはこんなことは起きないはずだから。それに、私が何よりもお礼を言いたいことは、すずかの心を守ってくれたこと。君が心からすずかを友達だと思っていると言ってくれて、すずかは救われたはずだよ」

「あ、できれば恥ずかしいんで僕の言動についても掘り下げない方向でお願いします。すずかちゃんに聞いたんですか?」

「すずかに聞いたのもあるけど、すずかにはもしもの時のために録音端末を持たせてるの。かっこよかったよー。さすがは平凡な小学三年生だね」

「掘り下げないでって言ってるでしょ?! なんでそこチョイスしたの?!」

 

 忍はクスクスと笑って誤魔化した。

 

「と、まぁ雑談はこのくらいにしておいて、なんで呼ばれたかはわかっているでしょ?」

「それは……、聞かれたくない一族の話とかですか?」

「そう、その話。アイリ君がいい子だっていうのは知ってるし、私たちのことを何とも思ってないことはわかってる。それでも、私たち夜の一族には、自らの素性がばれたときに相手と契約を結ぶよう掟があるんだ。私は月村家当主として契約をあなたと結ばなくてはならないの」

「契約……ですか?」

「そう、契約。道は二つかな。一つは、私たちの一族の記憶を消し去って今まで通りに生活してもらう」

 

 そういって忍は指を一本立てる。

 

「記憶を……、消し去る? そういえばあの男がそんなことをいっていたような……。それは二人のことを忘れてしまうってことですか?」

「そんなに深刻に考えなくていいよ。私たち自体の記憶を消し去るわけじゃないの。私たちが夜の一族だという記憶だけを消し去るの。だから私たちとも今まで通りの関係を築けるはずだよ」

 

 それは……、確かに今まで通りかもしれないけど、なんか嫌だな。今までと同じようで、決定的に何かが違う気がする。

 続いて、と忍はもう一本指を立てる。 

 

「もう一つは、私たちと共に生きてもらう。生涯秘密を洩らさないことを誓い、共に生活してもらう」

「え、それってどういうことです?」

「まぁ、簡単な例を挙げると、結婚かなぁ」

「はぁ、結婚ですか。結婚ねぇ……って、ええええええっ?!」

 

 結婚?! いくらなんでも話が飛躍しすぎている。中学生にして結婚とか。

 突然のことに意識が動転する。

 

「いや、あのその、結婚はまだちょっと早いかなぁとか思ったり。もっと自分を磨かないと……。それに僕は恋愛結婚がしたいなぁ、とか思ったりですね、えーと」

 

 混乱して錯乱して困惑する。

 誰だっていきなりそんな話を振られたら動揺するに違いない。

 

「あら、アイリ君はもう十分かっこいいよ? それに可愛いし。少なくとも私は好きだよ? それに婚約してから育む愛があってもいいんじゃないかな」

「え、あの、その」

 

 アイリは顔が真っ赤になっていくのが分かる。まさか一日の終わりにこんな出来事が待っているなんて。本当に色々ありすぎる一日だ。

 頭が混乱している。色んな事が頭を回って逆に頭が働かない。

 今日の不運は今この時のための神様の試練だったのかもしれない。

 忍はとてもきれいな人だし、すずかの姉だけあって優しそうな人だ。こんなきれいな人と結婚だなんて、考えただけで幸せな気分が溢れてくる。

 自分はひょっとして今世界一幸せな男なのかもしれない。

 気恥ずかしい気持ちもあるけど、やっぱり幸せな思いが止められない。

 何はともあれちゃんと答えないと。

 忍のほうからこんなに寄り添ってくれているけど、やっぱり自分の方からも気持ちをちゃんと返さないと不誠実だ。

 

 ここでいかなきゃ――男じゃない!

 

「あの!!」

「あら、どうするか決めてくれた? できればもっと考える時間をあげたいんだけど、ごめんね、急で」

 

 アイリは、忍の手を両手で強く掴む。

 顔が熱い。頭がフラフラする。

 でも、言わなくては。

 

「あの!! 幸せにしますから!! 大切にしますから! 僕と結婚してください!!」

「…………へ?」

「え?」

「あら……、あー、そういうこと。あー、うん、その、ごめんなさい!」

「え?」

「私、恭也と付き合ってるんだ」

 

 神は死んだ。

 

 

 

 

 呆然と立ちすくむアイリの横で、二人が会話している。

 会話がアイリの耳を通り抜けていった。

 

「……お前は鬼か」

「やっぱり、私が悪いのかな」

「ほとんどお前が悪い。お前が自分と契約しろと迫っていたんだろう」

「あー、やっぱりそうだよね。私としてはすずかの相手になってほしかったんだけど」

「ならそう説明しておけ。見ろ、この光の消えた目を。こいつの心は今傷だらけなんだから最後の一撃になってしまっただろ」

「これは、男にひどいことをされた女の子のような目だね」

「繰り返すが、とどめはお前だからな」

「ほんと、どうしよう。今からすずかを、っていって大丈夫かな」

「お前は傷口に塩を塗りたくるのが趣味なのか。告白した女に別の女を紹介されるとか笑い話にもならないぞ」

「そうよねぇ、まぁ婚約はできればしてもらいたかった程度だし、アイリ君が私たちのことを話さないって誓ってくれるだけでいいや」

「始めからそうしておけば話はこじれなかったのにな」

「アイリ君、私たちの秘密をずっと黙っててくれるかな」

 

 あやふやな意識のままで頭をコクン、と動かす。

 

「あ、反応があった! よかった~。これで契約は成立だね!」

「哀れな……」

 

「ど」

「ど……?」

「どちくしょう――ッ!!」

 

 アイリは逃げ出した。

 

 逃げ出した先はなのはの部屋。

 なのはに抱き付きながら、年上なんてー! と泣いているアイリを、なのはは驚きながらも慰めた。

 

「わわっ、どうしたの、アイリ君?! なんで泣いてるの? ひどく悲しそうな目をしてるの。泣かないで!」

 

 小三に慰められる中二という構図は気にしない。 

 部屋の扉の隙間から色んな人がこっそりと覗いていたことも気にしない。

 アイリはそのまま泣き疲れて寝てしまった。

 

 今日は、本当に厄日だ。

 

 

 




作戦名:テンプレ大事に。

「きゃあっ! やめて! 私に酷いことするつもりでしょ!」
「へっへっへ、叫んでも誰も来ねぇよ!」
「まてーい!」
「何奴?!」
「貴様に名乗る名前は無い! とおッ!」
「うわー!」
「真面目に生きていれば、こんな風になることもなかったろうに……」
「素敵! 抱いて!」

ここまでテンプレ。

FFTのCHAPTER2での

アグリアス「今さら疑うものか! 私はおまえを信じる!!」

は名場面です。

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