奉仕部と私   作:ゼリー

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第八話

 材木座義輝という男は、認めることに我が身を切り刻む思いだが、どうやら私と近しい人間であった。容姿性格、趣味嗜好は空と海ほどかけ離れていたものの、それらが水平線で交わるが如く、決して納得のいく高校生活を送っていないという点において我々を同定するのは容易かった。

 材木座とは一年の頃、同じクラスであった。

 前述したとおり、一年の二学期には私はすでに絶望的な隘路に迷い込んでいた。迷い込んだからには断固たる信念のもと、不惑をもって自任し己の道をひた突き進もうと躍起になっていた。当然、懇意になる人間などいなかったし、それでいて私は自由な思索を邪魔されることがないなどと嘯いていた。そんなおりに、たびたび話しかけてきたのが材木座であった。

 

「学校は社会の縮図だとか、友人、恋人との交際も社会勉強のひとつなどという虚言を弄するのは愚の骨頂。ここはあくまでも勉学の徒が集う学び舎で、そんな協調性云々は義務教育課程までに身につけておくべきものだ」

 

 かつて、尖りに尖っていた私が材木座に言った無責任極まりない言葉である。材木座はこの言葉に感銘を受けたらしく、ぼさっとした風貌に極度の人見知り、加えて突飛な言動と奇天烈な口調もあいまってもとから低かったクラスメイトの彼に対する評価は、それを機に世界大恐慌時の株価なみに暴落した。班分けや体育の準備運動の際、ひとりぽつんと佇む材木座を見るとやや心が痛まないでもなかったが、同病相憐れむという言葉にゾッとした私は決して必要以上に関係を進展させようとは思わなかった。

 

「我はいつなんどき果つるかも分からぬ身、好ましく思う者などつくらぬ」

 

 彼は言った。

 私は己の境遇を嘆きながらも毅然とした態度を崩さない材木座に、「そのまま君の道をひた走れ」と心の中でひそかにエールを送っていたが、やはり表に出そうとはしなかった。

 二年に進級すると私と材木座は別々のクラスになった。そこで我々の薄い関係はいったん切れたのだが、川崎さんのときと同様、奉仕部を介して再び相見えることとなる。諸君もご存知の通り、奉仕部に入部したときからそれまでの生き方を修正した私は、何一つ変わることのない材木座の境遇に卑しい安心感を覚え、それからやっと一握の涙を零した。去年の自分に対し、決して間違っているとは思わないにしろ、少しばかりの呵責を感じていたのだ。それゆえ当然、材木座の依頼は完遂した。執筆した小説の感想が欲しいという材木座に、私を除く奉仕部の面々は歯に衣着せぬ正論という名の暴力を加えていたが、私は絶賛した。実際、そのあまりの稚拙な文章は読書家の端くれたる私を怒り心頭に発させるには十分すぎたのだが、とにかく絶賛しておいた。滂沱(ぼうだ)の涙を流して縋りつく材木座の様子に、私は去年の罪が贖われたことを実感した。願わくはどうか己の限界を知り無謀な夢に無為な時を過ごすことのなきようにと、心の中で祈りながら私は材木座の肩に手を置いて微笑んだのであった。

 それから。それからと言われても特筆すべきことはない。一向に開けてゆかない青春に疲弊していた私は学校生活に悪態をつき、ほとばしる個性を持て余した材木座は自分を疎かにする連中を罵倒した。そうやって我々は意気投合してきただけである。

 

 私はいつかのように悄然と俯く材木座の肩に手を置いた。

 

「……お主、なぜここに?」

 

 沈鬱な表情で問いかける材木座に、私は黙って頷いた。

 

「だがしかし、いいのか? 好機は掴まねばならぬとあれほど口にしていたお主が――」

「材木座、ラーメン奢ってくれよな」

 

 私は途中で別れてきた川崎さんのいる方角に視線を移してから言った。私は救いようのない阿呆かもしれない。

 

「ッ! お主、涙を流してまで……いいだろう! なんなりと好きな物を申せ、大いに振舞おうではないか!」

「うん」

 

 我々は肩を並べて夕闇迫る街を歩く。

 もしあの後、笑う川崎さんに気さくに声をかけていたらどうなっていただろうか。熱望する青春の扉は開かれただろうか。少し考えてみたが、そんな未来を描くには圧倒的に経験が足りなかった。だいたい今となっては遅すぎる。無駄なことに精神力を磨耗させるのは馬鹿げたことだ。

 ラーメン屋で最も高価なラーメン食べ終わった我々は、近くの大型デパートで由比ヶ浜さんへの贈り物を吟味してから帰路に着いた。

 

「貴様にはまだ早いということだ。茨の道を歩むもの同士、抜け駆けはご法度であるぞ」

 

 材木座は去り際に、不敵に笑うとそう言い捨てた。

 私は去っていく材木座の後姿を呆然と見つめ続け、取り返しのつかぬ選択をしてしまったと心底悲嘆に暮れた。

 

       ◇

 

 高校生活の岐路ともいうべき昨夕の出来事に、深夜まで悶々と悩んだあげく著しく精神を磨耗した私は、寝不足気味の頭に喝を入れつつ朝の登校路を辿っていた。

 私が蓮池の淵を歩くお釈迦様のごとく憐憫の情を垂らしてやったというに、あろうことか恩を仇で返すような暴言を吐いて一人すがすがしく帰っていく材木座には呆れてものも言えない。なにか思い知らせる必要がある。閉ざされてしまった私の可能性に報いるだけの罰を与えねば割に合わない。ちくしょう、制裁だ。

 いく通りもの制裁を頭の中で並べながら校門をくぐったとき、登校する生徒たちの間を縫うようにして何者かの鋭い視線を感じた。ついで「おい」という無遠慮な掛け声も飛んでくる。厳粛な思索を邪魔された私は毅然とした怒りを込めて、声の主を睨み返した。

 

「おはよう」

 

 平塚先生であった。

 

「なんだ、朝から不機嫌そうだな。何か言いたいことでもあるのか?」

「おはようございます」

 

 私はやにわに背筋を伸ばし低頭した。礼節を欠いた視線や掛け声を放つ愚か者を撃退しようと息巻いていたつもりが、結果としてささやかに「めんちを切った」らしかった。それも最悪なことに平塚先生に対してである。私はやや狼狽した。ちくしょう、制裁か?

 

「うむ、おはよう」

 

 的確に肝臓を突いてくる正拳を防御すべく鞄を腹の前に据えたが、平塚先生は意外にも優しげであった。

 

「少し話があるんだ。放課後職員室まで来てくれないか」

 

 私は彷徨っていた視線を移して慄きながら平塚先生の顔を見遣った。

 

「もしかして制裁ですか」

「して欲しいのか? 奉仕部について話があるんだ。なに、時間はとらせないよ」

 

 私は露骨に安堵の表情を浮かべると返事をして了承した。

 

「よろしくな。……そういえばさっきのめんちは――」

「一時間目の予習がありますので失礼します」

 

 私は踵を返して脱兎のごとく校舎へ向かった。

 

 人一倍こまやかな精神を有する私は、放課後に控えた平塚先生の「お話」に戦々恐々として、不要な想像を逞しくしていた。当然、授業など上の空であった。限りなく災難に近い何ものかが刻一刻と迫ってきているのに授業に身が入るわけがない。私はぼんやりと授業を受け、ぼんやりと昼飯をとり、ぼんやりと鞄を背負うと職員室へ向かった。

 私は生徒指導室に通されると、紫煙をくゆらせながら傲然と足を組んで座っている平塚先生の前に腰を下ろした。

 平塚先生は身も蓋もない巷間話を一通り喋り散らすと、新たな煙草に火をつけてゆっくりと吐き出した。

 

「近頃、由比ヶ浜は部活に来ていないだろう」

「はい」

「なぜだ」

 

 私はこの呼び出しが、予想していた剣呑な――いわゆる詰められる、というやつではなく、現在奉仕部水面下で複雑化してしまった人間関係に主題を置いているということにいくぶんか表情を和らげた。とはいえ、返答には窮した。

 

「ええと。なぜ、と言われましても」

 

 漠然と原因は比企谷と由比ヶ浜さんの間に横たわっていると考えてはいたものの、さしたる確証はない。そんなあやふやな回答を提示してみたところで、平塚先生にとっては何のことだかさっぱりだろう。かといって、二人の間に何か(いさか)いが起こり、それがもつれて絡まっているなどという憶測を打ち明ければ、「解決したまえ」とけんもほろろに返されてしまうことうけ合いだ。だいいち諍いの原因が判然としていないのだから、下手な介入は事態をより決定的にしてしまいかねない。贈り物という策を講じている今、私に出来ることは天命を待つのみである。

 私が慎重に言葉を選んでもぞもぞ口ごもっていると、平塚先生はひどく真面目な顔をして口を開いた。

 

「由比ヶ浜はああ見えて、軽薄な人間じゃあない。飽きたとか面倒くさいとか、そんな理由で部活に来なくなるとは思えないんだよ」

「はい。僕もそう思います」

「だろう? まあ、原因は何だっていいんだ。私と違って君たちはまだ若い、そりゃいろいろあるだろう」

 

 平塚先生は煙草の火を消すと「だがな」と続ける。

 

「もしそれが不和に起因するのなら早めに解決しなくてはならないぞ。関係というやつは難儀なものなんだ。深めるには時間がかかるくせに、切れるとなれば一瞬だ」

「そんなもんでしょうか」

「ああ、そんなもんだ。この歳にもなるといろいろ見てきたさ」

 

 一瞬在りし日々に思いを馳せるような目をした平塚先生は少しはにかんだ。

 

「一度切れたらそう簡単にはやり直せない、だから必死に繋ぎとめておくんだよ。わかるかい、きみ」

「ちょっと僕には難しい気がします」

「ふふっ、そうか。……由比ヶ浜には期待しているんだ。きみにはまだわからないだろうが、彼女は君たち三人を繋ぎとめてくれる数少ない人間の一人だと私は思っている」

「その点に関してはご尤もです」

 

 我々三人を繋ぎとめるかどうかは知らないが、このまま由比ヶ浜さんが部を抜けるとあれば、おそらく私も抜けるだろう。そういう意味では、彼女が私を部に繋ぎとめているといえる。彼女の声がしない部室はどうにも暗くてかなわないのだ。タンポポの綿毛のように繊細で、かつ高野山の学僧のように身を削って思索に耽っている私は、ただでさえ普段から激烈なストレスに身を晒しているというのに、あんな光の届かぬ海底のようなところにいてはいつ顎関節症になってもおかしくない。顎関節症はストレスによって引き起こされるという。

 私は顎をさすった。

 

「わかっているじゃないか。それなら話は簡単だ、解決したまえ。比企谷と雪ノ下だけなら、適当に発破をかけて引き戻させることも考えたが、きみがいる。二人とよく話し合って解決するんだ。それにどうやら、きみは当事者ではないようだからな、うまく仲裁できるだろう?」

 

 私は言葉に詰まった。ひょっとするとこの人は、私のあずかり知らぬこともすべてお見通しなのではないだろうか。その上で試練を与えているような、そんな気がしてならない。

 

「どうして僕なんです。顧問である先生が動けばすぐにでも解決すると思います。僕に出来ることなんて――」

「同じだよ。同じことなんだ、きみ。由比ヶ浜が三人にとってそうであるように、きみも同じなんだ」

「はあ」

 

 私は曖昧に頷いた。

 平塚先生は箱から煙草を取り出して咥えたが、火をつけずに再び箱に戻すと立ち上がった。

 

「さっき当事者ではないといったが訂正する。きみも仮とはいえ立派な奉仕部の一員だ。第三者である私が介入しても意味がないんだよ」

「そんなもんでしょうか」

「そんなもんだよ」

 

 平塚先生は意味ありげな笑みを零すと、白衣を翻して去っていった。その後姿を、私はちょっとカッコイイと思った。

 

       ◇

 

 生活指導室を出ると、窓を透き通して夕陽が廊下一面を照らしていた。少し話があるといいつつも、結構な時間が経過していたようだ。いまさら奉仕部に寄るのは気がすすまない。私は下駄箱へ向かった。

 平塚先生の理屈はなんだかよくわからなかった。しかし、心に迫るものがなかったかといえば嘘になる。平塚先生なりに奉仕部の面々を思いやって出た言葉であることは、いかに精神的無頼漢である私であっても伝わってきた。

 

「目的は合致する」

 

 私は呟いた。

 そう、目的は合致するのだ。私の当座の目的である、あり得べき薔薇色の高校生活。それには柔軟な社交性を身につける必要があり、そのために私は奉仕部に所属しているのである。だが、由比ヶ浜さんのいない部室はどうであるか。静謐とは程遠い身を切るような沈黙の中、協調という言葉を知らない社交性の欠落した人間たちが、各自本に没我している状態である。少しでも口を開けば痛烈な皮肉やズレた警句が飛んできて、私を辟易させることおびただしく、ここのところ、清らかで高潔であった私の魂もこころなしか矮小になってしまったようである。たしかに我々は安易に慰撫しあうための団体ではないが、しかしそれでも、高校生ならもう少し華やいだ会話があってしかるべきであろう。そんな殺伐とした薄暗い放課後を過ごしていては、卒業後、待っているのは暗澹たる絶望のみである。

 進学した大学で友人も出来ぬまま、下宿先の四畳半において鬱々と己の境遇を嘆いてはもんどりを打つ惨めな男を想像して、私は身震いした。やはり由比ヶ浜さんは奉仕部にとって必要不可欠である。目的は合致した。

 私は下駄箱で靴を履き替えると校舎をでた。

 

「待ちなさい」

 

 振り返ると、雪ノ下さんが昇降口から私を呼んでいた。

 

「あなた、部室に来ないで一体何をしていたの」

「平塚先生に呼び出されてた」

「……そう。なら仕方ないわね」

「由比ヶ浜さんは今日も?」

 

 雪ノ下さんは目を伏せると「ええ」と嘆息した。

 ここにも由比ヶ浜さんを必要としている人間がいる。私は雪ノ下さんのどこか悲しげな様子をみてそう感じた。

 

「比企谷は」

「来たわ。もう帰ってしまったけれど」

「ふぅん。で、どう。比企谷は何か話した?」

「そうね、すれ違いがあったことは認めたようだけれど」

「すれ違い」

 

 すれ違い。なんだかそこはかとなく「青春のかほり」がする単語ではないか。そういうのはとっつこうひっつこうと視野狭窄で猛進する男女間および、すでにねんごろになった男女間の交錯ではないのか。比企谷と由比ヶ浜さんとの間にそんな「青春のかほり」が漂うはずはない。何かの間違いではないのか。すれ違いなど私は断々固として認めるわけにはいかない。

 

「ねえちょっと。あなた、目が据わっているわよ」

 

 雪ノ下さんに注意されて、私は眉間の皺をゆるめた。

 

「すれ違いなんてことはないでしょう。諍いじゃないかしらん」

 

 私はそう口走った。

 

「知らないわ、そんなこと。ただ、諍いとも言っていたわね」

「ほうら、やっぱり。諍いじゃないか」

 

 雪ノ下さんは鋭い視線を私に投げてよこした。

 

「何をそんなにムキになっているのよ。諍いもすれ違いも同じようなことじゃない」

「全然違う。いいかい、諍いというのは現に今われわれの間で起こっていることを指すんだ。一方ですれ違いは、繊細微妙でふわふわした心の機微から生じる甘酸っぱいスパイスみたいなものなんだよ。わかる? この違い。雪ノ下さん、事実を歪曲して伝えるのは良くないぜ」

 

 雪ノ下さんはむっとすると言った。

 

「どうしてあなたにそんなことがわかるのかしら?」

「本で読んだからだ」

 

 しばし目を見開いて呆気にとられていた雪ノ下さんは、ふとため息をついた。

 

「ではそのふわふわした心っていうのは何?」

「恋だ」

 

 私は臆面もなく言ってのけた。だって本に書いてあったのだから仕方がない。恋愛というものの真髄を知らない私は、そこから掬い上げて語ることのほか言葉を持たない。

 

「百歩譲ってあなたの定義が正しいとすれば、たしかにすれ違いはあり得ないわね」

「うん、まったくだ。まったくあり得ない」

 

 私は同意が得られてようやく安心した。そういえば職場見学の日の二人の姿にある種の「青春のにほい」を嗅ぎ取った私であったが、そのとき比企谷は「そういうのじゃねえよ」と言っていた。うむ、そういうのじゃないのである。

 

「ともかく、誕生日プレゼントでどうにか上手くいけばいいけど」

「ええ。けれど、たとえ由比ヶ浜さんが戻ってこなくても、それはそれで受け入れるしかないわね」

「いや、それは困る」

 

 私は間髪を容れずに言った。

 すると、雪ノ下さんはかげを帯びたような陰鬱な表情を浮かべた。

 間をおいて、弱々しく、それでいて噛みしめるように呟いた。

 

「しょうがないじゃない。だって私は由比ヶ浜さんを留めておくなにものも持っていないのだから」

 

 私と雪ノ下さんは俯いてしばし黙り込んだ。

 重苦しい時間が過ぎていく。昇降口に立つ我々を、下校する生徒たちが何人も追い越していった。みな一様に、黙りこくって哀れな風情が漂う我々を怪訝そうに眺めては校門をくぐっていった。

 その通りだと思った。雪ノ下さんだけではない。私だって由比ヶ浜さんを引き止めるに値する何物も有していない。とはいえ、だから何だとも思った。そんな本当にあるかどうかもわからないセンチメンタルなモノをあてにして活路が開けるか。とにもかくにも原因だ。比企谷と由比ヶ浜さんとの間に溝を作った原因を見つけてしまえば、おのずから事態は解決へと向かうはずである。結果、由比ヶ浜さんも心置きなく奉仕部へ姿をみせてくれることだろう。

 そういう風に考え、私は意気込んだ。

 

「二人の不和をなんとか解消せにゃいかん、こうしてはいられない。雪ノ下さんよ、さらばぢゃ。あんまり弱気になってはいけないよ」

 

 私が早口にそう言うと、雪ノ下さんは驚いて顔を上げた。

 

「どうするの?」

 

 私は、間の抜けた表情で問いかける雪ノ下さんに返事することなく、校門へ走り出した。

 目指すは比企谷家である。

 

 

 


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