薙切えりなという少女と初めて会ったのは確かお互いに中等部と高等部に入ったばかりの事だった。
遠月学園総帥の孫娘であり、天から与えられた
世界有数の食の学園とはいえ、別に聖人君子を養成しているわけではない。思春期真っ盛りの学生たちが彼女の生まれや才能、更には美貌にまで嫉妬するのはある意味では当然かも知れない。
当時、中等部に進級したばかりであり、まだ薙切えりなという怪物の恐ろしさが知れ渡っていなかった時期に俺は彼女と運命的な出会いをする。が、ここでは割愛しよう。ただ、あれ以上に恐ろしい思いをしたのは後にも先にもないとだけ言っておこう。
「えりなちゃん、もしかして……………」
「わ、私は遠月第十席として正しい判断をしました!」
「でも、美味しかったんでしょう?」
「いいえ、
「いや、それ否定になってないし――――。っていうか、えりなちゃんってプライドが高すぎて素直になれないタイプだよねー」
「なっ!?」
秘書子から余った線香花火を貰い、約四十五度に傾けながら火をつける。
先端に付けられた火薬が小さな火の玉になり、やがて弾けるように火花を飛ばし出す。
「線香花火はいいよね。心が落ち着く」
「話はまだ終わっていません!私の判断が間違っていると思われるのは癪です!」
「いやいや、いいよ。そんな事この火花を見たらどうでもよくなってきた」
「―――――まさか、私の話よりもそんなものが大切だと?」
「ほう、俺の前でこれをそんなもの呼ばわりするか」
火花を散らす玉が落ちないように、違う意味でこちらに火花を散らすえりなちゃんに向き直る。
そういえばさっき、線香花火をマスターしたとか言っていたな…………。
「君は、線香花火が何のためにあるか知っているのか?」
「娯楽でしょう?最も本来私たち料理人には関係ないものですが」
「はたしてそうかな?」
「?」
どうやら彼女には教えてやらなければならないようだ。
現実の厳しさというものを――――。
「元々この線香花火には料理に通ずるものがある」
牡丹、松葉、柳、散り菊と名付けられた燃え方の順を説明しながら、不可解そうな顔をするえりなちゃんに新しいものを渡す。
「極限まで神経を研ぎ澄ませ、肉体と精神を一体と化さなければ消える直前の最後の輝きである散り菊には辿り着けない。だが、俺達料理人は元来その域に到達することを一つの目標にしている節がある。つまりは、遠月の料理人の頂点である十傑の面々は当然その域に――――散り菊に到達していることになる」
「あ、あの何を言っているんですか!?」
「秘書子ちゃん。頂点に立つものには同じくらいの者同士でしか成り立たない話というものがある。これはそういう話なんだ。わかるね?」
「い、いえですが――――そんな話聞いたことも」
「いいから、君は創真くんと普通の花火でもやっていてくれ」
普段なら秘書子ちゃんの話なら例え調理中でも耳をから向けるが、こと線香花火については譲ることは出来無い。
それだけ、俺とえりなちゃんには重要な話だった。
「いいかい、一流の料理人ならばこの程度のこと造作もないんだ。事実、君は先程散り菊に到達していた!だが、高々気を紛らわせたくらいで柳にも至らない状態で火花を落とすとは少し抜けているんじゃないのかな?」
「…………話はわかりました。どうやら、少々甘く見ていたようですね。つまりは、これは私に対する挑戦だと―――?」
現在手のついてない花火を各々一つずつ持っている状態で、えりなちゃんはそれを俺からの挑戦と受け取ったようだ。
「いやいや、流石にそんな事はしないよ。初心者に対して、挑戦だなんてそれじゃ余りにも”大人げない”」
「いいでしょう。その挑発、薙切への挑戦として認めましょう。さあ、火を付けなさい。私を馬鹿にしたことを公開させてあげます!」
(うわー、やっぱチョロイなぁ、この娘)
料理に関係したことならば老若男女全て跪かせるカリスマ性を発揮するものの、それ以外は非常に初心だ。
ステータスを一方向に極振りしすぎているというか、本当薙切の人ってどうしてこう極端なんだろう?
「どうしました?何なら私が先に火を付けても構いませんよ?」
「いやいや、そこは一応先輩だから譲れないよ。――――――どっちにしたって負けるつもりはないしね」
先程から秘書子ちゃんが凄い形相で睨んできて一緒に普通の手持ち花火をしている創真くんに凄い精度で火花が命中しているが、その程度で地区花火大会二連覇中であり、学生時代に新作料理の研究と称して趣味で花火師の免許まで取った俺の集中力が途切れることはない。
(フフフ、さあ見せてもらおうか!現遠月第十席の実力とやらを!)
「またえりな様に余計なことを吹き込んで!」
「おーい、花火は人に向けて遊んじゃダメって教わらなかったのか?」
「うるさい!幸平創真、大体お前があの人を連れてきたから――――!!」
薙切えりなの秘書子こと新戸緋沙子は普段からは考えられない主の姿に頭を悩ませる。
勿論、どんな状況であれ常に勝者であろうとするその姿は感服するばかりだが、今回は少々相手が悪い。現在えりなと面と向かっているあの遠月の卒業生は料理は勿論ある程度のことならジャンルを問わず卒なく熟す究極の器用貧乏だ。
料理ならば兎も角、こういった遊びについては緋沙子の知る限り右に出るものはいない。
「なぁ、薙切の様子が俺が知っているのと結構違うと思うんだけど、先輩と何かあったのか?」
「…………まさかとは思うが、本当に何も知らずに連れてきたのか?」
「いや、偶々知り合って食戟でも挑めないかなぁ、と」
呆れた。
初めて会った時から思っていたが、この男の神経はどこか壊れているのではないか?遠月に通う学生にとってこの学園の卒業生は憧れの象徴だ。その一人と知り合っただけという理由でこんな時間まで行動を共にして尚且つ食戟を挑もうとしていたとは。
「いいか、幸平創真。あの人――――榊奴操の在学時の渾名は
おまけ
「あ、リョウくん。えりなと秘書子がいるわ。それにあれはミーくんかしら」
「…………みたいですね」
「もう、どれだけ探してもいないと思ったらこんなところにいるなんて!何してるのかしら」
「花火、ですかね」
薙切アリスと黒木場リョウ。
えりなや創真達と同じくこの宿泊研修の参加者である彼らはたまたま通りがかった廊下で階下にいるえりな達を発見する。
「花火?花火は空に上がるものでしょう?」
「金持ちのお嬢にはそうでしょうけど、俺達にとってはあっちが花火です」
「ふ~ん、でもなんか地味ね」
赤髪の少年と秘書子が持っている手持ちの花火はまだ華やかさがわかる。
が、えりなと講師役として呼ばれたとある卒業生がしゃがみながら行っているそれはあまりに華がなかった。
しとやかさよりも派手さを求めるアリスにとっては複数あると思われる花火の中から何故あれを選んだのかは理解しがたいものだった。
「でも、これはチャンスね!あの我侭なえりながあんなもので満足しているんですもの。私がもっと派手なものを選べば自慢できるわ!」
「行くんですか?」
「いいえ、もう遅いわ。外でやるのはやめましょう!」
「じゃあ、どこでやるんです?」
「馬鹿ね!火なら厨房に行けばあるじゃない!」
ついに明かされた主人公の学生時代。
止めるんだ秘書子ちゃん、その赤髪の少年にそんな事を言うのは逆効果だ!凡人が死んでしまう!