その頃遠月ではその一
一年生の二人がスタジエールでいない間、退屈そうにしていた魔女に使いとして無理難題を押し付けられた角崎タキは途中、かつて在籍していたスペイン料理研究会と遭遇してします。
スペイン料理研究会員「タキ君!いい加減戻ってきたらどうだ!我々は君をいつでも待っている!」
タキ「何度も言うように私はあそこでやるべき事があるんだ。だから、もう戻らねえ!!」
スペイン料理研究会員「いいや戻す!我々には君が必要なんだ。そう、どんな手を使っても君を我々の元へと戻してみせる!どんな手を使ってもね!」
タキ「まさか―――――」
第Ⅳ席「そうそのまさかですよ」
次回謎に包まれていた第Ⅳ席の秘密が明らかに!
今回は『F』の悲劇でのもう一人の主人公である彼女のお話です。
『リストランテ・エフ』の朝は早い。
教育係である古門真司と共に今日入ってきた食材のチェックを済ませながら木久地園果はここ数日の経験から次にやるべきことを思い浮かべる。実を言うと、普段の学園での授業と違う現場独特の雰囲気園果は未だ順応できずにいた。
「おい、新入り。次はこいつだ」
「え、でも次はこっちじゃ―――」
「それは昨日教えただろ。手が空いたらやれ。一週間しかねえんだから毎日同じこと教えてられるかよ」
園果の教育係に選ばれたこの古門真司という少年は園果やもう一人この店に来ている彼と同い年でありながら既にこの『エフ』の中枢である厨房である程度の地位を築いているらしく、言い方こそ乱暴だがその技術は遠月で様々な料理人を見てきた園果をして一流だと思えるものだった。
順応出来ていないのは主に自分のせいであり、このままでは厨房を譲ってくれた彼に申し訳が立たない。
「―――なによそ見してんだよ?」
「あ、ご、ごめんなさい!」
「ッチ、次はこっちだ。まだ終わってないって言うなら置いてくぜ?」
「ま、待ってください!」
動きにくい。
それが今の園果の心情だった。
遠月学園は良くも悪くも料理を一番に考えていた。いい料理を作るために良い設備や良い食材を揃えるのが当たり前で学生はその中で結果を出せばいい。だが、ここは違う。
いい料理を作るために食材や環境を用意する事は同じでも、それをスタッフ一人一人が一からやらなければならない。その上で結果を出すことが当然。それが園果が初めて体験する実際の食の最前線の特徴だった。
「ったく、遠月だか何だか知らねえが素人を二人も寄越しやがって。こっちの苦労も考えてもいねえ」
「…………私も遠月出身だけど」
その時、するりと二人の間に割って入る影があった。
「っげ、」
「真司。新人が入ってうれしいのはわかるけど、女の子をいじめちゃダメ」
水原冬実。
この『エフ』の主であり、その形が通う遠月学園の誇りある卒業生。
もう一人の彼が聞いた話だと真司は数年前に水原がどこからか連れて来たらしく、その縁から彼女に頭が上がらないらしい。因みに姉弟ならともかく、親子みたいなどというと双方から怒られるので禁句とのこと。
「は!?そんなんじゃねえよ!大体、冬実の方こそ自分の持ち場は終わったのかよ!?」
「冬実さんでしょ?今日は私は入らないわ。こっちは任せる」
「任せるって―――またあの
「不満?」
「マニュアル通りにこなせばいいって言うなら不満はねえよ」
「そう」
水原は真司の解答に意味有り気な視線を送ると、園果に「頑張って」と一言残し、厨房から出て行ってします。
残された二人の間には何とも言えない空気が流れる。
「…………言っとくけど、うれしいとかそんなのはねえからな。どんだけ人数が居たって戦力にならなきゃ頭数には入らねえんだ。まずはそれを目指せ」
一瞬バツが悪そうな顔をしながらもすぐにまた最初の不機嫌そうな顔に戻ったことで彼の情報が正しかったと再認識する。
口が悪いが決して面倒見が悪い訳でも意地悪という訳でもない。
それが古門真司という少年。
ならば、木久地園果という少女もこの戦場で一刻も早く自分の個性を出していかなければならない。
その為にはまず、彼に倣って大きな声で返事をしてみよう。
「はい!」
「洋食という文化が出来たのは鎖国が解かれ、人々が世界へと目を向け始めた明治維新前後と言われています。そもそも洋食とは――――」
「あと何時間続くんだ?その話」
帰りの電車の中、ふとした切っ掛けで園果の蘊蓄癖を発症させてしまいかれこれ十五分。通えなくはない距離と言う事で電車通勤にしてはみたものの、まさか彼女まで付いてくるとは思わなかった榊奴としてはどうしてこうなったと言わざるを得ない状況である。
「で、なんで?」
「なにがですか?」
「いやいや、遠月の馬鹿デカい学費をバイトの掛け持ちで辛うじて払っている絶賛苦学生な俺と違ってお嬢様のお前なら近くのホテルに泊まればいいじゃん」
このスタジエールでは期間中の宿泊費や通勤費は出るが、それ以外は自費だ。本来なら『エフ』の休憩所に止まらせてもらいたいところだが、研修組が二人いるのに榊奴だけがという訳には当然いかない。かといって、彼女にソファでの就寝を強いるのは酷だろうと言う事で毎日一時間ほどかかる道程を往復する事になったわけだが、そこに彼女が付いてきてしまっては本末転倒だ。
「別に一緒に帰ってくれなくてもいいんですよ?」
「そういう事は一人で切符を買えるようになってから言え」
「し、失礼ですね!最近は切符が変えなくてもスマホで乗れるんですよ!?それくらい知ってます」
「へー、よく勉強したな」
「あんまり馬鹿にしないでくださいよ。私だって成長しているんです」
誇らしげに最近育ちすぎてタキに親の仇が如く睨まれている胸を張る姿には微笑ましいものがある。
「ま、お前の乗ろうとしていたの逆方向だったけどな」
「え!?」
「お前な、電車に乗れば目的地に着くと思っているだろ。タクシーじゃないんだから目的地伝えればどこでも言ってくれるわけじゃないんだぞ?」
「たくしー?」
「こ、この野郎。まさか日本人の誇り高き移動手段の一角を知らないだ、と!?」
本当にどんな温室環境で育てばこんな純正のお嬢様が出来上がるのか。タクシーの存在や電車の乗り方を知らない人間なんて遠月にも―――――いや、うんいるな。基本的にあの学園はお坊ちゃま・お嬢様と呼ばれる上流階級の若者が通う側面が強い。二年前の『クラッシュ・オブ・サティスファクション』である程度榊奴のような一般家庭出身者でもまともに過ごせるようになったが、それ以前は家柄で受けられる授業や待遇に相当な差があったらしい。
「大体な、帰りはいいとして俺が時間を調節しないとお前朝の通勤ラッシュで最悪――――死ぬぞ?」
「死?いやいや、そんなまさか。ここは日本ですよ?ただの移動で命の危険なんてあるわけないじゃないですかあ。さすがにそんなウソには騙されないですよ!」
「嘘?ほう、嘘だと?」
彼女は知らないだろう。
サラリーマンにとっての戦場は会社では無く、通勤時の電車の中であることを。最近では女性専用車両が出来て女性は安心かもしれないが、それでも全国の男性諸君は常に両手を上に挙げる習慣が未だ離れないと聞く。その意味をきっと彼女は理解できないだろう。やさしく、泣き虫で、すぐに信じてしまう”良い人”である彼女には関係の無い世界だ。だから、榊奴は守らなければならない。きっとこの先二度と関わらないであろう二つの世界を
「ひとつ言っておこう。ピーク時の電車内の人口密度は100%を超える」
「え?」
「お前の得意な洋食と同じように技術革新によって生まれたこの乗り物は日本人の移動形式を大きく変えたんだ。しかし、この革新的な技術にも弊害がある。基本的に運転席などのない通常の中間車1両あたりだいたい140~150人が乗れると考え、それが十両と考えよう。それで大体1500人は乗れるだろう?」
「はい、そうですね。それにしても、そう考えると沢山乗れるんですね―――」
「―――10万人だ」
「!?」
「少なく見積もって一時間の間に10万人は電車を利用する。この意味が解るか?」
「じゅ、10万!?でも、それじゃあ入りきらないんじゃ」
「入れないからいけませんじゃ通用しないだよ。学校だって同じだろ?どんな理由が有れ、授業に遅れれば単位はもらえない。通常の授業なら取り戻しは聞くが、今回のように特別な課題の場合は遅刻=即失格だ。それを全国の会社員は毎日行っているんだよ」
因みに電車が一時間あたりに何本出るとか、地域事に差がある事は説明しない。基本的に知識に無い事には弱いのでこの場合一本の電車に10万人が乗っているところを想像してもらう事にしよう。
「む、無理ですよ。絶対に入りきりません!」
「因みに、都市伝説だが電車会社の封印された倉庫には内側から人型にへこんだ車両が放置されているそうだ」
「……………っ!?」
今度こそ、園果の顔から血の気が引く。
悪いとは思うがこれもお互いの為だ。明日からはホテルに泊まってもらうかいつも通り車で通ってもらうとしよう。
「な、悪い事は言わないから電車はもう止めとけ」
「―――――駄目、です。駄目なんです。決めたから」
「決めた?」
何かがおかしい。
いつもならこれくらい脅かせば大人しく従うはずだが、今日は何かがいつもと違う気がする。
「私はいつも誰かに助けてもらっていました。家族にも、せりか先輩やタキ先輩、そして榊奴君、貴方にもです。でも、私は決めたんですこのスタジエールでは自分の力で戦うって。誰かに支えてもらうだけじゃなく、私も誰かを支えられるようになるって決めたんです」
「お前―――」
これだ。
いつもはほんわかとしている癖にいざという時は頑固でどうしようもないわからずや。それが普段調理中にしか見せない本当の木久地園果の顔。榊奴操が憧れ、自分もそうでありたいと思いながらも決して辿り着けないであろう境地。
「榊奴君のお陰ですよ」
「へ?」
「この前の食戟。見ていてハラハラしましたけど、いつもの榊奴君と何かが違いました。だから、私も変わろうと思えたんです」
「い、いや、あの時は―――――」
言えない。
この状況で同期のメンバーを馬鹿にされてイラついていて、つい。等と口にすれば何を言われるかわかったものじゃない。普段から誰かを料理で笑顔にすると口走っている分際で私情に駆られた結果の姿に触発されたと知ったら流石の彼女もブチぎれる事は間違いない。
「聞いてますか?」
「あ、ああ。そう、か。わかったわかった。そういう事なら不肖この榊奴操、料理人としての自分に誓ってもお前の意思を尊重しよう」
「本当ですか!?」
反則だ。
そこでその満面の笑みは反則過ぎる。こんなの男として絶対無碍には出来ないモノじゃないか。
「ま、取り敢えずはあと数日で結果を出さないとな。俺の予想ではこのままだと合格ラインはまだ遠い。だから今日からこの時間はスタジエール攻略のためのミーティングにあてるぞ。通勤時間ってのは意外と使える者なんだ」
「はい!」
こうしてライバルに塩を送るのはきっと遠月の学生には相応しくない行為だろう。厨房に入れない身としてこれでも策を考えるのに一杯一杯なのだが、それでも彼女にだけは合格してもらいたいと思ってしまったのだから仕方ない。
「…………むう、尻がむず痒い」
「おい、おっさん。ケツ掻きながらこっちによってくんじゃねえよ」
因みにこの時隣の車両では変装した視察員と偶々乗り合わせたとあるイタリアンレストランに勤める少年がいた事を榊奴操以外は知らない。
おまけ1 バッチリ守護ります
榊奴「隣の車両には五人、か。いつでも対処できるように端の車両に乗ったがどう動く?」
223「っちィ、警戒が強い。これほどの強敵、かつて暗殺者時代に仙座衛門殿を襲った時以来か!」
真司「冬実のヤロウ一人じゃ心配だから送ってけって言っておいて全然一人じゃねえじゃねえか!クソ、今日の寝床考えてなかったぜ!」