不死鳥になりまして   作:かまぼこ

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続いたでござる

6/16 誤字修正


不死鳥と女悪魔

 ――ライザー・フェニックスについて

 ・レーティングゲーム 無敗

 ・若手の中でも図抜けた実力を持ち、付いた渾名は数知れず。

 ・大戦時に生まれていれば、歴史が変わったであろうと言われる。

 ・女性関係はかなり硬派な様子。

 

 

「ライザーとの関係?」

「ええ。殺し合いと言ったり、友人と言ったり……とにかく掴み所がないの。だからいっそ、お兄様に直接聞いてみようかと思って」

「彼の話か。そうだな、彼は自分のことを話さないだろう?」

 

 グレモリー本家に訪れていた兄、サーゼクス。彼に、リアスは訊ねていた。

 ライザー・フェニックス伯爵。

 リアス・グレモリーの婚約者。

 彼の人柄は未だ掴みきれていないし、サーゼクスと戦い合ったという事実も今一信じられなかった。

 消滅の力を操るサーゼクスと不死の力を持つライザー。矛盾のように思える二人の関係。

 

「全然だわ。さっぱりよ」

 

 何度か水を向けて見たが、具体的な話は何一つとして聞けていない。

 

「リアス。君は今日、朝食を食べたかな?」

「……? ええ」

「それと同じなんだ」

「は?」

 

 思わず、リアスは聞き返した。

 自分と同じ紅い髪が光る。

 

「彼、ライザーにしてみれば、特段話すものでもないんだよ。当然のことを当然のようにしたまでとしか思っていない。朝食の話をするのに、詳しい内容を話さないのと同じだ」

「考えられないわ……だって、殺し合いで、しかも、お兄様とでしょう?」

「いや、私だけじゃないぞ」

「え?」

「私だけじゃない。眷属一同全員でかかった」

「はあ?」

 

 リアスの言語機能に障害が起きたのではないかと思うほど、僅かにしか喋れていない。

 

「対する彼はたった一人だ。それでいて、彼は負けなかった」

「信じられないわ……」

 

 呆然と呟く。

 なんという規格外な話なのか。リアスとそう変わらない、未だ少年と青年の間のような彼は、魔王とその眷属をも相手取ったという。

 

「ついでにレヴィアたんもいたよ」

「魔王二人……」

 

 概要でも掴めればと思った問いかけであったが、すでにリアスの脳は、ショート寸前だった。

 

「そもそも、私とライザーがぶつかり合ったのは、私怨とか、そういうものではなかったんだ」

「それは、なんとなく分かっていたけれど……」

 

 ライザーがそういうタイプでないのは、分かっている。

 

「そうだね、時間も余っていることだし、話そうか」

「お願いしますわ……」

 

 サーゼクスは語る。

 悪魔の道理を超えた一人の悪魔の話を。

 

「事の切っ掛けは、ある、旧魔王派の悪魔の存在だ。彼女の名はアシュタロス! 現アスタロト家の元流だ。遥か古代より現代にまで生き残る数少ない大悪魔の一人だよ」

「アシュタロス……ライザーの僧侶ね」

「そう、そのアシュタロスだ。彼女は大戦前までは、相当な権力を振るっていたが、その責任を取らされて、没落したんだ」

 

 大戦は、冥界に様々な影響を与えた。

 痛み分けのような結末にはなったが、それだけでは済まないのが、政治の世界だ。

 アシュタロスは、一つ、ミスを犯し、一気に転落したらしい。

 しかし、魔王は諦めなかった。

 自らのシンパを集め、時にはかつての政敵とすらも手を組み。

 そうして、力を蓄えてきた。

 アシュタロスの老獪な点は、決して表に出てこようとしなかったことだ。水面下で動き続けた彼女だったが、しかし、現魔王たちも、指を咥えていたわけではない。

 追い、追われ。追い詰められたのはアシュタロス。最終的な勝因は、数だったという。人海戦術により、アシュタロスの潜伏先を突き止め、突入するも、あと一歩のところでアシュタロスは逃亡に成功する。しかし、十分な手負いだった。

 本来ならば、関わることのなかったライザー・フェニックスが姿を見せるのは、ここからになる。

 

「ぐ……ぅ……サー……ゼクス……! あの、若造などに……!」

 

 怨嗟の念を込めた、呪詛。暗がりの森の中、それが嫌に響く。それは、正真正銘の呪いだった。

 余計な魔力は消費出来ないが、昂った感情から、負のそれが滲み出す。

 魔。あるいは負。その気にあてられた草木は枯れ、鳥は地に落ちる。その地は、腐敗が始まっていた。

 

「この借りは……高く付くぞ……!」

 

 金髪の女悪魔、アシュタロス。

 魔王と呼ばれた彼女は、しかし重傷だった。

 傷付いた肉体を引き摺り、それでもまだ、抗うことを止めない。彼女のアシュタロスであるという矜持が、その身体を動かしているのだ。

 

「必ず……必ずだ……! 必ず……!」

「物騒な気配に誘われてみれば」

「……ッ! 誰だ! そこにいるな!」

 

 ざくりざくりと木々を踏み固める音がアシュタロスに向かって近付いてくる。

 警戒を振り撒くアシュタロスに、あまりにも無警戒に、それは歩みよってきた。

 

「俺だ、とでも応えておこうか、女悪魔。俺もお前も初対面であるが故にだ」

「……なんだ、貴様は」

 

 それは、少年であった。

 少年。赤い、炎のような揺らめきを見せる髪。仕立ての良い服を着ていることから、貴族のものだということが伺える。

 齢は、十を越えたか、越えないかくらい。だというのに、その態度は落ち着き払った、堂に入ったもので。

 奇妙なものだった。

 

「俺だと言っているだろう。それ以上でもそれ以下でもない」

「……私を狩りにきたか」

 

 殺意に魔力を乗せ、少年に叩きつける。しかし、どこ吹く風といったところだった。

 

「顔も名前も知らないものをどうして狩る必要がある。猫ではないのだよ、俺は」

「ならば、なんだ、なにが、目的だ。何をもって、私に近付く」

「そんなにも禍々しいモノをばら蒔いているんだ。近くにいる俺が不審に思い、見に来た。それだけだ」

「――ならば、どうする? 私を討つか?」

 

 そうは言うが、アシュタロスにやられるつもりはない。

 一歩。一手。目の前の子供がなにかをしたその瞬間に、動き出す準備は完了している。

 来るなら、来い。

 殺して、そのまま糧にする。

 静かに、そして密かに臨戦態勢に移ったアシュタロス。対する少年は、口を開いた。

 

「セバスチャン。そこの重傷者を屋敷に運べ。誰にも気取られるな。悟られるな」

「かしこまりました、坊っちゃん」

「……!」

 

 少年の背後から現れたのは、長身の男。少年は知らないが、その悪魔の名を、アシュタロスは知っている。

 

「セバスチャン・ミカエリスだと……? 一体、なんの真似だ、それは……!」

「真似ではありませんよ、執事です」

「貴様がそんなことをするか!」

 

 セバスチャン・ミカエリス。悪魔の中でもその実力は上位に位置するが、どの派閥にも組まれず、ただ欲求のままに動いていた男。

 蝙蝠のように間をふらふらするわけでもなく、枠組みの外にいるような、ある種、誰よりも悪魔らしい男が、執事などという、酔狂染みたことをしている。

 異常事態だとすらアシュタロスは思った。

 

「それについては、のちほどということに。今は、坊っちゃんの命令がありますので」

「なにを――」

 

 そこで一度、アシュタロスの意識は途切れた。

 再び目が覚めた時、そこは、アシュタロスにとって見慣れぬ部屋だった。かつては城を保有していたアシュタロスには狭く、そして貧乏臭い部屋だ。もっとも、それは彼女の視点であり、一般的には広いし、豪華なものなのだが。

 

「目が覚めたかね、悪魔」

「……貴様は」

「喋られるようならば、結構。重畳だ」

 

 少年がいた。

 枕元に置かれた椅子に腰掛け、人間界の美術関連の本を読んでいる。

 起き上がったアシュタロスに目も向けていない。

 アシュタロスは、自分の状態を確認する。手厚く看護されていた。

 

「……なぜ、治療をした」

「別に深い理由もあるまい。ただここに持ち込むだけでは不充分だろう。ああ、安心しておけ。基本的な手当ては、俺付きのメイドたちにやらせた。フェニックスの涙も使ったし、貴様の元々の回復力もある。一週間もすれば全快だそうだ」

 

 よかったな、と興味無さげに、少年はいい放った。

 

「そうじゃない! なぜ貴様が私を匿っている! 私を突き出せばいいはず! お前には名誉が与えられるはずだ……!」

「俺は貴様を知らないんだがね。なんだ、やっぱりはぐれか何かか」

「なにをふざけたことを……!」

 

 この少年は、名乗っていない。一方のアシュタロスも名乗っていない。

 つまり、お互いは何も知らないということになっているのだ。

 その方が、何かと都合がいい。それは分かる。分かるが、そもそも自分を助ける理由などないはずだ。

 

「理由自体は単純だ。貴様は生を諦めていなかった。だから助けた。それだけだ」

「それだけ、だと? それだけのはずがあるか……」

「それだけだ。お前が生を諦め、抗っていなかったら、俺はお前に手を貸そうとは思わなかった」

「………………」

 

 アシュタロスは、沈黙した。

 それから、おかしな生活が始まったのである。

 待遇に不備はなかった。豪華さを好む彼女には今一つ物足りないものも多かったが、悪いわけではない。

 名乗らぬ少年は、アシュタロスに対し、とくに何かをしてくることもなかった。口を開けば、大体皮肉めいたものばかりだったが。

 見た目はそれなりなのに、中身が可愛いげがない。こっそり可愛いもの好きなアシュタロスは、舌打ちをしていたりした。

 

「さて、聞かせてもらおうか、ミカエリス。貴様、何をしている」

 

 少年がいない時を見計らって、アシュタロスは切り出した。

 

「何と言われても……執事です、としか」

「貴様が誰かの下に着くなど、信じられん。しかも、騎士の駒とはな。忠節など、貴様には似合わなさすぎる」

「そうですか? 私は結構気に入っているんですが」

 

 白々しいセバスチャンに、アシュタロスは半眼になる。

 

「それだけの価値と興味があるんですよ。坊っちゃんは非常に面白い方です」

「悪魔らしからぬ、奇妙な存在だとは思うがな」

「故に、この身を捧げられるのですよ」

「……分からんな」

 

 変人の考えることは。

 確かに、子供らしからぬカリスマ性や、滲み出る実力は、称賛に値するが、そこまでの魅力ではないだろう。

 セバスチャン・ミカエリスを駒に出来るポテンシャルも中々のものではあるが。

 

「片鱗は貴方の現状でしょう」

「変わった奴だとしか思わんがな。あれは少々、常軌を逸しているぞ」

「まあ、坊っちゃんの真を見られるのは、今ではありませんがね」

「…………?」

 

 明らかな含みに訝しむアシュタロス。しかし、その問いに答えが返ることはない。

 

「帰ったぞ、セバスチャン」

「お帰りなさいませ、坊っちゃん」

「……む」

 

 件の人物が帰還したのであった。

 その手には一本、ワインボトルがぶらさっている。銘を見ると、それなりに有名なブランドのものだ。

 

「おや、坊っちゃん。それは?」

「サーゼクスが快く譲ってくれた一品だ。名酒の予感しかしないだろう? 飲むぞ」

「サーゼクス……? サーゼクス・ルシファーか!?」

 

 アシュタロスは目を見開いた。それは、自分を追っているはずの者の名だ。

 

「サーゼクス・ルシファーだな。今をときめく魔王サマだ」

「な……知り合い、なのか?」

「ああ、そうだが? 親同士に親交があってな。その伝手だ。これでも一貴族の出でな。なに、そう珍しい話ではないと思うがな」

 

 平然と、そう答える。

 話自体はおかしくはない。だが、間違っている。アシュタロスには、狂っているのではとすら思えた。

 いや、この数日見てきて、少年の在り方についてはある程度見えてきた。拘っている部分が違うのだ。

 優先順位の違い。

 サーゼクスへの通報よりも、今こうしていることの方が、少年には 優先されるのだ。最早狂気的。価値観が違う。視点が違う。

 本当に悪魔であるのかとすら思う。

 

「セバスチャン。この間贈られてきたグラスがあっただろう? 無駄な装飾のない、あれだ」

「畏まりました。こちらに」

 

 セバスチャンの手には、少年の言った通りのグラスが二つ、用意されていた。上位魔族の能力を、いらないところで使っているようにしか、アシュタロスには見えない。

 そのグラスは、美しかった。余計な構造というものが何一つとして見当たらない。グラスのイデアと言っても、過言ではないだろう。

 オープナーを使い、ワインを開けるのは、形式美か。

 セバスチャンの手により、透明なそれで赤く染められる。

 

「乾杯をしようじゃあないか、女悪魔」

「なに?」

「乾杯だ」

 

 少年は、グラスを掲げる。

 誘っているのだ。これに応じなければ、どうなるか。アシュタロスの矜持は地に堕ちる。

 矜持は、アシュタロスが残す、最後のものだ。

 財貨、権力、力。何もかもを失って、それでもなお、残っている。

 アシュタロスは、杯を取った。

 

「乾杯だ」

「なににだ」

「理由などいらん。どーでもいいだろう」

 

 かちゃり、と杯がぶつかりあい、音を立てる。

 口調はともかく、飲み方も様に成っている。少年だというのに、貫禄がある。悪魔だからというには、違和感しかないが。

 

「うん、美味い。やはり、酒はワインに限ろうというものだ」

「まあ、中々であることは認めておこうか」

 

 讚美と憎まれ口から、その宴は始まったのだった。

 この二人、酒に関しては非常に強い二人であった。ボトル一つのワインなど、すぐに無くなる。半時もせずして、空っぽの瓶が出来上がった。

 空になったグラスとボトルを下げさせた少年は、やおら立ち上がる。

 

「また会おうじゃあないか、女悪魔」

「やめろ、その言い方は気に食わん」

「今更だな。貴様がここに来て、既に一週間だ。今更過ぎる。俺と貴様は互いに名を知らないんだ。それで十分だろう、少年からの言葉だ」

 

 背を向け、少年は部屋を出ていく。気配はそのまま去っていった。

 セバスチャンもいない。

 メイドもいない。

 ここにはアシュタロスだけ。

 

「一週間、か」

 

 傷は塞がり、魔力は充填された。

 あとは、去るだけだ。今日、今、アシュタロスはここを出る。

 一週間も落ち着いていられたのは、いつぶりであっただろうか。サーゼクスと決戦をする前か? 魔王から蹴落とされる前か? 戦争の前か? 魔王になった前か――

 

「いつも、そう、いつも私は――」

 

 何か呟きを残しながら、アシュタロスは闇の中に溶けていった。

 それから。

 時は少しだけ進む。

 アシュタロスが少年の下から離れて、一月。

 再び、アシュタロスは魔王サーゼクスと対峙していた。前回とは違うのは、サーゼクスの眷属配下が全員揃っていることと、それに加えて、レヴィアタンまでいることか。

 

「戦う前に言っておこう、アシュタロス」

「言ってみろ、グレモリー」

 

 魔王とは言わない。ルシファーとも付けない。それが既に答えでもあった。

 

「今ならまだギリギリ間に合う。降伏したまえ。こちらには、君に最大限の待偶を用意する準備がある」

「最大限? 最低限の間違いだろう。それに、貴様は私と同じ立場に立った時、頷くのか?」

「いいや、そんなことはないな」

 

 分かりきったことである。サーゼクスも、ここまで来て彼女が下るとは思ってもいない。

 ただの確認、ただの作業。

 

「そう、それが答えだ。グレモリー」

 

 魔力が満ちる。

 空気が軋む。冥界のものは、魔力と言ったものに耐性があるはずだが、ここまでそうそうたる顔触れが数を揃えていれば、無理もないことだった。

 

「アシュたん。どうしても、ダメなのかな?」

「論ずる価値もない。シトリーのガキ」

 

 戦いをするような格好ではないが、そんな些末なことでどうともならない実力をセラフォルー・レヴィアタンは備えている。

 

「もう☆レヴィアたんって呼んでくれればいいのにー」

 

 アシュタロスは黙殺した。こんなふざけた子供がレヴィアタンを名乗っているという事実自体が気に食わないのだ。

 

「若き悪魔(インプ)ども。貴様らに悪魔とは何か、教授してやることにしよう。刻めよ、その目に、心に、存在に」

「時代は確かに流れている。我々は変わらねばならないのだ、アシュタロス!」

「残念だけど、結構本気で行っちゃうからね☆アシュたん!」

「その馬鹿らしいネーミングをどうにかしろ、たわけ」

 

 大悪魔のぶつかり合い。それは、遥か彼方の存在にすら気が付かせた。

 アシュタロス戦役。

 悪魔史上、最大レベルの内戦の終焉を告げる戦いが始まった。それまでの過程の長さに較べ、決着が着くのは早かったと言えただろう。

 戦闘時間は十二時間。

 周囲の地形は様変わりしていた。山は崩れ、谷は埋まれ、林は薙がれ、川は消え失せ、半径キロ単位に及ぶ荒野がそこに広がるのみ。地獄絵図にすらならない、真っさらな、しかし、荒廃した土地。

 それでも戦闘痕でしかない。余波なのである。たったそれだけなのだ。

 無傷なものは一人としていない。どころか、サーゼクスの眷属の粗方はリタイヤに追いやられていた。

 旧世代よりの魔王。かつては神域にすら達していた一柱の女悪魔。知略知謀が本領であるが、侮ることなかれ、グレモリーという悪魔よりもその遍歴は長い。

 しかし、サーゼクスも伊達に魔王の地位に就いているわけではない。少なくとも、サーゼクス自身の消耗率は、最も低い。セラフォルーもまた、大悪魔としての力量を発揮していた。所々服装(衣装)に傷は見られるが、彼女自身の損耗はさしたるものではない。

 アシュタロスは、最早限界であった。善戦はした。それは間違いない。しかし、勝利は出来ない。勝利が掴めねば、あるのは敗北だけだ。

 だが、魔力は放出し尽くした。打てる手は全て打った。万策を弄しても、届かなかった。

 金の髪は焼き焦げ、血の赤で染まっている。悪魔の象徴の羽根は破れ、穴が空いている。

 無様だった。どうしようもなく、無様だった。

 

「ぐ……ぅう……」

 

 それでも、前をむく。自らを打ち倒そうというものを、見据える。それは、誇りだ。それは、全てだ。

 最後の己。残った自身。

 アシュタロスは最後までアシュタロスであろうとしている。

 

「アシュタロス。終わりだ。君が死ぬことで、粗方のことに蹴りがつく」

「新時代、か……貴様たちの言うそんなものは、ゴミのようなものだ。価値などあるものか」

「そんなことないよ☆みんな頑張ってるんだよ、もっといい世界になるためにね☆」

「最後通牒だ、アシュタロス。投降しろ」

「甘いな、グレモリー。そこで私がうん、と頷くものか」

 

 血に塗れ、目は反転している。アシュタロスは笑う。傲慢に、凄惨に笑う。

 グレイフィアは息を飲んだ。サーゼクスの女王である彼女が感じたのは恐怖。そしてなによりもの畏敬。

 ここまで追い詰められてなお、毅然としている。それがどれだけの偉業であることか。

 自分の命が、あとどれほどもないと分かっていながら、その尊厳を保とうとしている。否、既に保っている。アシュタロスという大悪魔は、その有り様を、ありありと、克明に、刻ませていた。

 

「さよならだ」

「クハッ、アハ、ハハハ、ハハハハハハハハハッ、アーッハハハハハハハハハッ」

 

 後悔は微塵もない。こんな、敗北者として死んでいくのに、アシュタロスは声を上げて笑う。

 自分はここにいる。ここにいるのだ。

 何もかもが無くなっても、アシュタロスは、その女はそこにいた。

 こんなにも愉快で、こんなにも素敵で、こんなにも、簡単だった。

 消滅の力が、迫る。圧縮され、その威力を極限まで高めたそれは、アシュタロスという存在を狩り取るだろう。

 だが、それでも、アシュタロスは。

 

「見事だ、女悪魔」

 

 炎が走った。

 サーゼクスたちと、アシュタロスを分けるように、炎が一閃、走る。文字通りのファイアウォール。

 

「な……」

「これは」

「あれ☆」

 

 アシュタロスは呆然とした表情を浮かべる。この期に及んで、彼女に味方をする者がいるとは思ってなどいなかった。権力や財貨に靡いたものばかりだった彼女の部下たちは、すでに手を切っている。サーゼクスのような腹心はいない。のに。

 一方のサーゼクスは、その苛烈な炎を知っていた。紅蓮よりなお、赤々と燃え上がる、焔。サーゼクスは知っている。こういう時に、悪魔の理法を蹴っ飛ばしていく男を。

 それが誰なのか知っても、否、知ったからこそ、サーゼクスは口角を吊り上げた。

 セラフォルーは知っている。悪魔の炎でありながら、太陽の如きその炎を。

 炎の壁が低くなる。その中心、人影があった。小さな、子供の影。それが正体である。何百メートルにも渡る大炎壁を張ったのは、その子供なのだ。

 

「久し振りだね、ライザー」

「ハンッ、今日の俺は別段お前に用事があって来たのではなァ~い、サーゼクス。お前もだセラフォルー」

「あれれ☆フラれちゃったかなー」

 

 赤い髪が棚引く。端整に整った顔が炎の中から出る。天を衝かんばかりの炎はその鳴りを潜め、アシュタロスの前に、立つ。一人の少年。ライザー・フェニックス。

 

「……っ、ライザー様! お下がりください!」

「グレイフィア。お前も久しいな。サーゼクス以上だ」

「そのようなことを言っている場合では……!」

 

 サーゼクスの女王であり妻でもあるグレイフィアもまた、ライザーを知っている。

 大人顔負けの聡明さを持っているライザー。近い将来、若い悪魔を率いるであろう彼。

 しかし、今のままだと、彼は、大罪人になってしまうだろう。

 魔王に抗っている今では。

 

「ライザー様! 今なら間に合います! 今引いてくだされば、まだ!」

「ァー、つまり? グレイフィア。俺がこの女悪魔を捨てれば、お咎めなしと?」

「そうです! 貴方はそこに居ただけになります!」

「ふうん。いい条件だ」

「では……!」

「だが断る」

 

 ライザーは軽く手を振って答えた。

 これ以上ない、NOの意思表示。

 今この瞬間、ライザー・フェニックスは魔王に弓引いたのである。

 

「たかだかその程度の要求にホイホイついていくようならば、はじめからこんなことなどしない」

「やれやれ、とんだ跳ねっ返りだ……君が今していることがどれだけ馬鹿げたものなのか……ライザー」

「元より賢く生きようなどと思ったことはない。この女を見捨てることはなににも増して愚者の行いだろうよ」

 

 聞く耳を持たず、引く気もない。

 ゆっくりと、しかし確実に、闘気が満ちて行く。

 

「うーん。ライザーちゃん、退いてもらわないと困るんだけどなー☆私はライザーちゃんのこと気に入ってるけど、ちょっと見過ごせないかも」

「見過ごさなくて結構。むしろ、貴様たちが目を逸らすかもしれんがな」

 

 アシュタロスの目の前には、背中がある。小さな小さな背中は、アシュタロスにはとても大きなものに見えた。

 誰かに守られる。それは、アシュタロスが経験したことのないもの。

 だから、アシュタロスは問うた。問う他になかった。

 

「なぜ……なぜだ……なぜ、貴様は……私を……」

「それは気になるな。ライザー。お前はなぜ、彼女を救おうとする? 現体制に喧嘩を吹っ掛けてまでの価値が君の内にあるというのか?」

 

 旧魔王アシュタロス。彼女に惚れたというわけでもあるまい。

 かといって、下に就くような男でもない。それは、この今が語っている。

 

「杯を交わした」

「……っ!」

「それだけだ」

 

 静寂が舞い降りた。

 沈黙が場を支配し。

 

「――クッ」

 

 その空気を破ったのは、サーゼクスだった。

 

「ハハハッ! ハハハハハハハハハッ! これは! これはすごい! 本気かね、ライザー! 酒を飲みあったから、助ける! 彼女が現悪魔界の大罪人でありながら! ククク……ここまで来ると、感心……いや、感動ものだな」

「サーゼクス様、そのようなことを言っている場合では……」

「罪人はとうに囲っている。今更だ」

「だが、ライザー。私も君とは杯を交わしあった仲だが?」

「事は単純だ、サーゼクス。この状況が気に食わない。大勢で寄って集ってだ。貴様ら強姦魔かなにかか?」

 

 ライザーは鼻で笑う。

 

「グレモリーというのは、色恋の悪魔だが、性欲の悪魔じゃないのだがね」

「でも下僕をそのまま奥さんにしちゃってるよねー☆」

「色欲の悪魔はアスモデウスのはずだが? 歩く下半身」

「……流石に傷つくぞ」

 

 なぜか味方はいなかった。グレイフィアは顔を赤らめている。

 反論の余地はないらしい。女性関係にだらしがないわけではないのだが。

 

「……か」

「なんだ、女悪魔」

「馬鹿か、貴様は! たったそれだけだぞ!? たったそれだけで、やつらを敵に回すのか!? なにが狙いだ!? 私に恩でも売って、体制の転覆でも狙っているのか!? お前は一体――何を企んでいるッ! 答えろ!」

「彼にそんな考えはない……微塵もね」

 

 サーゼクスが、否定する。その目には、アシュタロスに対する憐れみにも似た感情が浮かんでいた。 

 

「本気でやっているんだろう。彼は、君と知り合いだという理由だけで、ここに立っているんだ」

「嘘だろう、嘘のはずだ……なぜだ……」

 

 アシュタロスには分からない。

 それは、アシュタロスにとっての未知。

 まるで、そう、無償の愛のような。

 

「なぜ、か。そんなものはこれから分かっていけばいいだろう」

「っと、させないよ。ライザー。いくらなんでも、彼女を逃がす気はないんだ」

「だね☆アシュたんを手にかけるのは辛いけど……それが私たちだから」

「んー。ん、ん、ん。貴様ら、まだ俺を敵として認識しきっていないな?」

 

 やれやれと、わざとらしく、ライザーは首を振る。トントン、と人指し指で額を小突きまでしていた。

 

「ありがたいありがたくないで言えばありがたいが……ふむ。まだ交渉の余地があるとでも思っているか」

 

 困ったように笑う姿は、なぜだろうか、年長者が語るような印象を与える。

 強者としての覇気。まるで、そんなものを感じすらするが、何かが違う。サーゼクスはそう受け取った。

 挑もうとしているのだ。魔王に。

 だから、逃げ道を潰す。互いの逃げ道を潰している。

 

「では、どうするか。どうもこうもないなァ。そう、俺の下僕の枠。僧侶(ビショップ)が空いていたことを思い出したぞ、サーゼクス」

 

 ライザーは、懐からあるモノを取り出していた。

 持ち運び式のチェス盤だった。白と黒で構成されたそれは、古びた、しかし年季が入り、歴史を刻んでいるそれ。それ自体はアンティークだ。特別なものではない。パクン、と開け、そこから取り出した物こそが問題だった。

 僧侶の駒。

 

「悪魔の駒(イーヴィル・ピース)……」

「そうだ、お前が嫌う新魔王が作った玩具だ。こいつを使うことで、お前は俺の下僕となる」

 

 先の大戦で、悪魔はその数を大きく減らした。それを解消するために作られたアイテム。

 

「とんでもないことしようとしているね、ライザーは……」

「止めないの☆」

「君も止めないのか?」

「止めないね☆アシュたんがどんな選択をするのか、多分、これが最後の分水嶺だから」

 

 魔王二人は、状況を見守っていた。アシュタロス。彼女の目の前に垂らされているのは、蜘蛛の糸だ。

 穏健派の彼らは、出来れば、アシュタロスの処分というのは避けたい。彼女の損失は、多大な損失だ。その価値は計り知れない。なによりも、死を望んでいない。

 

「拒否権はある。嫌がる女をどうこうするのは、趣味ではないのでな」

「お前に、私を従えられるのか? 私を、僧侶一つでとは、甘く見られたものだな」

 

 悪魔の駒は、悪魔を増やすもの。だが、使用者の力量次第で、その容量は上下する。魔王、アシュタロスを傘下にするには、少なくとも、彼女を上回っていなければならない。

 

「確信している。俺は確信しているのさ、女悪魔」

「ふん……あまり、見くびるな、小僧」

「なら、賭けをしようじゃあないかね。俺はこの、僧侶一つでお前を従えると、そう約定しよう。もし、出来なければ、この後の生を全てお前にくれてやる」

「吹いたな。後で何を言っても遅いぞ」

「それはこちらの台詞だ。結果が決まっているのは賭けとは言わないからな。それでも契約を結ぶか?」

 

 悪魔は契約を違えない。アシュタロスは暫く瞑目し、そして、その眼を開く。

 

「やってみろ」

「そうか。ああ、それとだ。俺の名前はライザー・フェニックスだ」

「……アシュタロス。姓はない」

「そうか。では――」

 

 悪魔の駒が掲げられた。小さな駒が、光輝く。目映いそれのどこかに、アシュタロスは暖かみを感じていた。

 胸へと沈んでゆく、駒(ピース)。それに抵抗しようとは思わない。体に注ぎ込まれていく何か。それは、ひどく暖かく、そして、なつかしい。抗おうなどという考えすら、浮かばない。

 快楽とはかけ離れた心地よさに、アシュタロスは目を細め、知らぬ内に、その端から一つ、涙を溢していた。

 

「さて、これで貴様は我が家臣よ。故に俺は王としてこいつに対する如何なる脅威をも退けなければならなくなったッ!」

「その意気やよし! いくぞライザー! 守って見せろ! 己が手で!」

「よかろう……やってみろ……このライザーに対してッ!」

 

 天を割り、地を裂いたその一大事変は――歴史に名を残さない。

 

 

 

 

 




早く原作を書きたいと思うも、地盤固めを優先してしまう・・・

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