文字通り絵に描いたような、あくまでドラゴンメインの高校生活   作:ぐにょり

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二十七話 水の中で繋ぐ手

晴れ渡った空、少し湿り気もありつつ澄んだ空気、熱気を多く孕んだ風。

人間にとってはいい天気かも知れないけれど、悪魔にとって見れば少し嫌な天気。

でも、そんな天気も今日は許しておこうと思う。

人もまばらな朝の通学路を歩きながら、ぐっと背筋を伸ばす。

 

……この間は酷い目にあったけど、無事に帰れて良かった。

いや、本当に、いくら三すくみで会談をする程度には互いの関係が静かになっているとはいっても、堕天使は消極的敵対勢力。

それも、先日のコカビエルを超えると一目見て解る程に力を持つ堕天使のトップと、大恩ある魔王様同伴で食事とか、胃が破裂して変死体になるところだった。

なんていうか、読手さんはああいうところ無頓着なのを是非直して貰いたいと思う。

いや、あんなシチュエーション中々無いからどういう風に対応するのがベストかは私も解らないけど、無作為に人を集めていいシチュエーションでない事は確定的に明らかだった。

 

でも、今、私は生きている。

あのツッコミの後、会話中に少しだけ私の方に堕天使トップと魔王様の意識が向く事もあったけれど、それでも今、私は生きて、こうして今年初のプールを楽しみに学校に行く事が出来るんだ。

顔を覚えられたかも、なんて、後ろ向きな考えはしない、ぜっったいにしない。

私は、これから、前向きに、全身全霊を持って、危険な可能性から目を背ける……!

拳をぐっと握りしめ、頷く。

 

「ほー。んで、前向きになって、何をするんや?」

 

「何時か唐突に死ぬとか、死ぬような危機に陥る時もあるって、気が付きましたから。目の前の出来事を一つ一つしっかり楽しんでいこうと……って」

 

覚えはあるけど馴染みはそれほど無い声に振り向く。

そこに居たのは、Tシャツにダメージジーンズというラフな格好の日影さん。

 

「おはようさん」

 

「……おはようございます」

 

唐突に人の思考を覗いた様な発言を行っておきながら、マイペースな挨拶。

艶があり、それでいて癖の少ない緑髪で僅かに影が掛かった金というより黄色に近い瞳は、その蛇のような瞳孔も相まって表情が読み難い。

読手さんとかなら直ぐにどういう表情なのか察する事ができるのかもしれないけれど、残念ながらこの場に読手さんは居ない。

……いや、いやいや、特に残念という事はないんですが。

何しろ今日は、先日のプール掃除の報酬としてオカ研のメンバーにのみ通常のプール開きに先んじてプールの使用が許可されたのだ。

当然、オカ研のメンバーでない読手さんが来る理由も無く……。

 

「なんや、浮かない顔しとるな」

 

「……別に、そんな顔してないです」

 

「さよか」

 

気のない返事を返し、そのまま口を紡ぐ日影さん。

……別に、困る訳ではないけれど、会話が続かない。

よくよく考えて見れば、私は読手さん経由で日影さんの話を聞くことはあるけれど、日影さん本人との交流は殆ど無いに等しい。

と、いうか、仮に会話をする機会があったとしても、私と日影さんの相性はそれほど良くないと思うのだ。

 

読手さんから聞く惚気話と噂話を聞く限りでは、日影さんは人の話を聞くのが上手いタイプ。

クラスでは友人の長々しい愚痴を文句ひとつ言わず、顔色ひとつ変えずにちゃんと聞いて、求めれば独特ながらもしっかりと意見や答えを口にしてくれるタイプらしい。

基本的に、何かきっかけが無い限りは動かない人、らしい。

つまり、私と同じ、返事か合いの手で会話をするタイプ。

漫才で言えばツッコミしか居ない様な状態だ。

これで友好関係をスムーズに築ける筈がない。

 

「そういえばあんた、猫の妖怪やったな」

 

「……、ええ、まぁ、元ですけどね」

 

スムーズに友好関係を築けるワケがないとか思った側からこれだ。

もしかしたら本当に思考が読めたりするのかもしれない。

何しろあの読手さんの恋人なのだから、只者であると考えるほうがおかしい。

いや、もしかしたら、あっちも私と同じようにどう接するかに困って、自分から声をかけてくれたのかもしれない。

 

「いや、謙遜するこた無いよ。ほんまに、見事な猫っぷりや」

 

「そ、そうですか?」

 

まぁ、多少リアクションに困る話題ではあるけれど。

一見して褒められているようにも見えるかもしれないけれど、私にとって自分が猫魈である事は当たり前の事だ。

言ってしまえば、人間に対して凄く人間っぽい、と言っているようなもので……。

 

「うん。本当にな、見事な……泥棒猫っぷりやで」

 

「……………………」

 

声がでない。

何を呑んでいた訳でも喉が渇いた訳でもないのに喉が詰まる。

別段、物凄い威圧感とか殺意とか敵意を向けられている訳ではないのだけど。

声を出そうとして、口を開いたり閉じたりして、何と言おうとも考えていなかった事に気付く。

というか、何を言えば良いのか、考えが、思考が纏まらない。

何を、誰に言われたか、という事だけが頭の中でぐるぐると回り続ける。

息をするのも躊躇われる沈黙が十秒ほど続く。

 

「冗談や」

 

沈黙がやはり日影さんの言葉で打ち破られ、大きく息をつく。

 

「……凄く冗談に聞こえないトーンだったんですけど」

 

「そか、やっぱり、冗談いうんは難しいなぁ」

 

もうちょい勉強してみよか。

そんな事を呟く日影さんを見て、私は改めてこの人が読手さんの恋人なのだなぁと、数日前のモヤモヤとはまったく掛け離れた位置で実感した。

なんというか……疲れる人だと、そう思う。

 

「義父さんと義母さんなら、もうちょい気の利いた事が言えると思うんやけど」

 

「なんか、発音おかしくないですか」

 

「……?」

 

相も変わらぬ呆けた様な表情、眠たげにも見える半眼のまま首を傾げる。

もしかしたら、コレが正真正銘の天然、というものなのかもしれない。

何気に眷属にも友人にも居なかったタイプだ。

正直、難しい。

いや、無理に話題を探す必要もないんでした。

 

「それじゃあ」

 

「ん、またな」

 

互いに軽く頭を下げて別れの挨拶とする。

挨拶は実際大事だ。

人間関係の潤滑油としては勿論、話を区切って終わらせる事もできる。

これから日影さんが何処に向かうにしても、流石に休日にも関わらず学校に向かう私と行き先がかぶる事も無い。

そうすれば自然、共通点が見つからない相手との話題を考える必要もなくなる。

そう思い、再び歩き出す。

さぁ、少し変な遭遇をしてしまったけれど、気を改めてプールに向かうとしよう。

 

 

 

 

 

…………歩き出し、学校の更衣室で部長に指摘されるまで、日影さんが後ろ数メートルの位置から付いて来ていたのに気付かなかったのは、決して私の不注意だけが原因ではないと思う。

そして、おもむろに水着に着替えだした日影さんのプロポーションに気を取られて、セットで居るかもしれない誰かの事に気付かなかったのだって、誰に責められる謂れはないのだ。

 

―――――――――――――――――――

 

「なんで居るんですか……」

 

「いやぁ、どうにも此方には理解し難い理屈が働いているらしくて……」

 

なんだか不機嫌そうな塔城さんに問われ、首を傾げる。

確かに塔城さんの言い分が尤もだ。

実際、この場に何故此方が居るのかという経緯を説明しても、何故そうなったのか、という理解には至らないのではないかと思う。

この先行プール開きはプール掃除を行ったオカ研にだけ許されたご褒美的なイベントであるらしい。

なら、ここに此方が居るのは明らかにおかしい。

オカ研がせっせと休日にプール清掃をしていた日に此方が何をしていたかと聞かれれば、日影さんとせっせとナニをしていたとしか説明できないのだ。

此方は日影さんとナニをアレコレするのは当然大好きだし至福の時間ではあるのだが、それが誰かに利する行いかと言われれば首を横に振らざるをえない。

 

「コカビエル撃退に対しての謝礼、と、まぁ、新入りとはいえ、下僕にそう提言されてしまえば、私だって考慮しない訳にはいかないもの」

 

「グレ森先輩」

 

「……リアス・『グレモリー』よ」

 

だからなんで生徒会の方と違って苗字そのまんまなんですかって。

 

「提言、ですか?」

 

「誰が態々そんな真似を」

 

正直、思い当たるフシはない。

グレモリー先輩は当然除外で接点少ない姫島先輩も除外、アーシア先輩は兵藤先輩にお熱だからそんな事を思いつくワケがないし、兵藤先輩だって態々プールの男性比率を上げるほど殊勝ではない筈だ。

木場先輩にしたってそれほど親しくない上に、この間の一件で色々したせいで警戒されているかもしれないので除外。

で、唯一僅かながら可能性があるんじゃないか、と思われる友人の塔城さんも違うらしい。

というか、彼女等の中で新入りと言えば兵藤先輩がアーシア先輩という事になるんだが……。

 

「私だ」

 

「貴方でしたか」

 

反射で返してしまったが、誰?

……ああ、思い出した。

そういえばこの間から学校に編入されたとかどうとか言ってたような気がするゼノヴィアさん改めゼノヴィア先輩だ。

 

「ああ、結果はどうあれ、あそこで君が介入しなければ、どうなっていたかはわからなかった……いや、恐らく、この町全てが滅んでいたかもしれないからな。改めて礼をさせて貰おうと思ったのだ」

 

「はぁ、そこまで気にすることでも無いとは思いますけど」

 

「いや、駄目だ。君が気にならなくても私は気になる」

 

「むむむ」

 

「君がむむむ、と言いたいのもわかる」

 

わかるのか……。特に何も考えずに適当に唸っただけなのに。

 

「あれほどの聖剣を自在に操る事ができる君だ。それが発覚した以上、悪魔との関係性も変わらざるを得ないだろう。そんな時に、レクリエーションとはいえ、悪魔の活動に呼び出された。困惑するのも当然だ」

 

「その子、あの日以降も普通にオカ研に遊びに来てたけど……」

 

「リアス、多分聞こえてないわよ」

 

「なんとも自分に都合のいい脳味噌をしていらっしゃるようですねぇ……。どうしました塔城さん、鏡とか向けられても日光の照り返しで熱くなるだけですよ?」

 

「もう目を開けろとは言いませんから精神的に自分を客観視しませんか」

 

「チャドーやってるからそこら辺は間に合ってます」

 

新宮さんには火の心が強すぎると言われたけれど、正直水の心だってまあまあそれなりに適度にできないでもないこともない訳ではない。

一人で勝手に此方の心境とか周囲の状況とかを想像して話を進めているゼノヴィアさんは、明らかに目の前で聞こえるように行われているひそひそ話が聞こえた素振りも無い。

羽虫の話で勝手に落ち込んで絶望していたあの時からは信じられない程にメンタルが強い。

 

「だが、君は以前からこのオカ研ともそれなりの付き合いを行っていたと聞く。それがあの程度の事で関係が揺らいでしまうというのは、悲しい話だ。私達は君に助けられた。君の思惑はそれとは別の場所にあったのかもしれないが、それだけは事実だ」

 

「あのままやっても、割といい線行ってたと思いますけどね」

 

「だが、犠牲は出ただろう。……我々が誰一人として欠けること無くこの場で遊んでいられるのは、間違いなく君のおかげだ。だから、新参の私が言うのもなんだが、これからも良い関係を続けていきたいと思っている」

 

なるほど。

此方に恩返しをする、という一点だけではなく、此方とオカ研の関係にも気を使っての事だったのか。

脳味噌に筋肉と信仰心だけ詰めて口からかっこいいセリフを吐き出すだけのカラクリムシャ生身版みたいな人かと思ったけれど、意外と考えて動いているようだ。

 

「そういう事でしたら、喜んでご招待をお受けしましょう。……まぁ、もう水着に着替えちゃったから、どんな理由だったとしても一泳ぎしていくつもりだったんですけどね」

 

―――――――――――――――――――

 

「あの子はまたそういう……」

 

他のオカ研のメンバーや読手さん日影さんがプールで遊んでいる間に、部長に先日の寿司屋(誰も寿司を頼んでいなかったけれど、あの寿司メニューはダミーだったのでしょうか)での出来事を報告する。

本当なら当日の内に報告するべきだったのだけど、あの日は精神的疲労が限界に達していたし、それ以降はストレスからの開放で気が抜けて報告をすっかり忘れていた。

部長もそこら辺の精神状態を慮ってくれたのか、読手さんの所業に頭を痛める素振りをするだけで特に私へのお咎めはなかった。

 

「……でも、すみません。ちょっと、話の内容は覚えてなくて」

 

あとドリアの味も覚えてない。

美味しかったとは思うのだけど、それ以上に緊張で舌が麻痺していたという記憶しかない。

くやしい。

 

「仕方がない、いえ、その方が良かったのかもしれないわ。三すくみの内二つの陣営のトップの密談なんて、私達が聞いてもどうにかできる話ではないだろうし」

 

気にならないと言えば嘘になるけどね。

そう続ける部長に、私は少しだけ申し訳ない気持ちになる。

……一つだけ、一つだけ、あの寿司屋での非公式会談とでも言うべき世間話の中で、頭の中に残っている話があった。

いや、三すくみの話なんて、あの場では殆ど無かったということまで覚えている。

主な話題は、寿司屋なのに妙に美味いドリアへの賞賛(繰り返しになるが私は殆ど覚えていない)と……読手さんの話。

三すくみに対して個人で大きな影響を与える可能性すらあると看做されてしまった読手さんの、スタンスに関する話だ。

言葉自体は、何処にでもあるものだった。

何処かで今も誰かが唱えているだろう、有り触れたスタンス。

だから、特に言う必要もない、と、そういう事にしておく。

 

沈黙が流れ、何となく、プールの方に視線を向ける。

照りつける日光が反射して、悪魔であることとは関係無く視界が焼き付くようだ。

きらきらと輝く飛沫、その向こうに、ぱっと見では読手さんと日影さんの姿は無い。

 

プールサイドでは彼が溺れたのではないか、と、少し不安そうなゼノヴィアさん。

それに対して、妙に自信ありげに彼はニンジャだから大丈夫だよ、と答える祐斗先輩。

ニンジャって凄いんですね、と驚くアーシア先輩に、恐らく水中での長時間活動をエロスな事に利用できないかと真剣に鼻の下を伸ばし続けているイッセー先輩。

 

皆の言葉の通り、プールの中をよく見ると、まるで海棲哺乳類にも似た動きで水中を高速で動き回る読手さんと日影さん。

よくよく見てみると日影さんの方が動きに無駄がなく、読手さんが彼女に泳ぎを教えてもらったのではないか、と、そんな想像もできるだろう。

なんというか、平和だ。

脳天気というか、これが少し前に死闘を乗り越えたメンバーとは信じられない。

 

「調子、戻ったみたいね」

 

「え……?」

 

「だって小猫、笑ってるじゃない」

 

笑っているつもりは無かった。

つまり、自然に笑みが浮かんでしまったのか、と、そう驚くよりも、先の言葉が意外だった。

 

「……バレてたんですね」

 

「そりゃあ、私のカワイイ下僕ですもの。不調を隠してるのくらい、わかるわ。……別に、イッセーだけしか見てない訳じゃないのよ?」

 

そういたずらっぽく笑う部長。

一回そこら辺読み間違えられて人間関係ファンブって危うく友人一人無くすとこでしたが、とは、今は言わない方が無難でしょうか。

だけど、うん、別に私だって、部長がイッセー先輩しか見てなくて、他の下僕に対して雑だなんて思ってはいない。

そもそも、部長の下僕への扱いは悪魔の中ではかなり慈悲深い方だ。

福利厚生もしっかりしていて、学生の身分でアルバイトもせずに普通に一人暮らしができているのだって部長のおかげ。

これで文句を言う方がどうかしている。

勿論内心で煽るくらいはするけど、表面上は割と物静かな忠臣をやれてるんじゃないでしょうか。

 

「……部長、その手鏡は?」

 

「え? ……なんでかしら、無性に今の小猫にこれを向けないといけない気がしたのよ」

 

首を傾げながら手鏡をベンチの上に置く部長。

不思議な事もあるものだと思う。

別に鏡を見るのは嫌いではないけれど、この真夏日にそんなものを向けられると悪魔としてとか関係無く普通に眩しいのでやめて欲しい。

 

「でも、ちょっと悔しいかな」

 

「?」

 

「だって、私は気付けたけど、元に戻したのは私じゃないもの。カワイイ下僕のメンタルケア一つ満足にできないなんてね……」

 

そう自嘲気味に呟く部長、その視線の先はプール。

プールの中で戯れるイッセー先輩にゼノヴィア先輩、祐斗先輩にアーシア先輩を見ているのだろうか。

……なんとなく、言わんとするところを察する。

 

「……祐斗先輩の場合は、特殊な事情でしたし、自分の力で乗り越えられるならそれに越した事はありません。部長は、私達にとって、良い王をしていると、そう、思います」

 

フォローになっているだろうか。

少し不安だ。言葉の選び方にはそれほど自信がない。

読手さんとの会話で、軽い掛け合いなら多少できるようになったと思うのだけど。

 

「…………」

 

案の定、部長は私の言葉にキョトンとした表情を浮かべ。

がばりと私の頭を抱きしめてきた。

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの、もう!」

 

私の顔に無駄に豊満な未使用胸部装甲をむにむにと押し付けながら、犬猫にするように頭を撫でくり回してくる。

それでも荒っぽくならずに髪を乱さないようにしている辺りが、部長の密かな美点というか性癖というか。

仮に犬猫をペットとして飼ってたら凄く独身OLばりにかわいがるのかもしれない。

でも、悪い気分じゃない。

 

「……でも、ね、やっぱり少し悔しいわ。貴女が積極的に誰かを励ませる様になったのも、いつの間にか元気になったのも、たぶん、彼が原因でしょう?」

 

「──────え?」

 

「今、小猫と日常的に頻繁に話してるのも彼、話慣れたのか、最近は口数も多くなったわね。それに、小猫の調子が戻り始めた原因だって」

 

「…………いや、でも」

 

そう、なんだろうか。

そう思い、入学前の自分と、今の自分を比較する。

……口数は、確かに増えた。

むしろ部長辺りからは余計なことまで言い過ぎると言われても仕方がないくらいに増えた。

でも、いくらなんでもこの間のストマック・グラインダーな突発飲み会まで、私を元気付ける為、というのは、無理があると思う。

元気になったというか、死に瀕して生存本能が余計な思考を掻き消しはしたけど。

 

「そりゃ、全部が全部小猫の為とは言わないでしょ。でも、少しはそういう思惑があった、とは思わない? ……彼は、友達が悩んでいる時、知らぬ存ぜぬを決め込むタイプかしら」

 

私はそこまで詳しくないけどね。

そう続けた部長の言葉に、これまでの彼との関係を思い返す。

彼は、友人、友達だ。

親友や盟友という言葉を使える程に重くないけれど、たぶん、裏と表を合わせた交友関係の中では、一番の友達。

仲間、という括りの外に居る、友。

 

……彼にとっては、どうだろう。

わからない。

口に出して、改めて確認できるだけの度胸はない。

私と読手さんの間ではっきりしている共通認識は、適度な距離でやりとりできる、『まぁまぁいい友だち』という程度のもので。

でも、彼が『まぁまぁ良い友だち』相手に、どの程度気を使うか、というのは、私には測りきれない。

……測りきれる程、彼を深く理解している訳じゃないから。

私は、『適度な距離』で付き合う『まぁまぁ』な友達でしかないから。

 

「傍から見てる分にはね」

 

顔と頭に感じていた部長の体温が離れていく。

プールを見詰める表情は複雑だ。

笑みになりきらず、睨みつけるというには視線に鋭さは無く。

部長自身は、たぶんまだ彼に対する警戒を完全に解けている訳ではない。

それは部長の直感もあるけれど、下僕を保護する王としての責務もあるんだろう。

 

「小猫も彼も、自分で思っているより、相手に気を許しているように見えるわ」

 

「そう、なんでしょうか」

 

「意外と自分ではわからないものよ、そういうのって」

 

そうだったらいいな、とは思う。

勿論、友達として、心を開いてくれるなら嬉しい、という程度の話だけど。

立ち上がる。

 

「あら、休憩は終わり?」

 

「はい、せっかくだから、泳ぐ練習をしてみようかと」

 

背後からかかる部長の声に答えながらプールの方に脚を向ける。

丁度水面から顔を出し、他のメンバーとのんきに話をしている読手さんの姿が見える。

一泳ぎを終えて、少し休憩、といったところだろうか。

 

「読手さん」

 

「はいはい?」

 

「……泳ぐの、教えて貰えませんか」

 

それなりの友達なら、少しだけ苦手を克服する手伝いをして貰ったっていい。

それが、今日はプールで、私が泳げないから、お願いするだけ。

これは、たったそれだけの話で。

別に、深い意味は一切無い。

 

―――――――――――――――――――

 

そんな訳で、散々泳ぎを楽しんだ所で、塔城さんの水泳訓練を始める事になった。

此方も特殊泳法は日影さんに教わったものなので普通の泳ぎしか教える事が出来ないけれど、犬掻きならぬ猫掻きも満足にできない塔城さん相手ならむしろその方がハードルが低くていいだろう。

とはいえ、別に猫の妖怪だからといって、家族と別れる際に川に流されたとか、増水した川の近くの橋の下で必死に息を潜めて追手を巻いたとか、そういう体験がトラウマって泳げないというわけでもなく。

元々純粋な運動能力では群を抜いていると言っていい塔城さんは、順調に水中での動きをモノにしている。

 

「バタ足は足先まで力抜いて自然にしならせて……そうそう上手い上手い」

 

時折、『ぷは』と水面に顔を出して息継ぎをする塔城さん。

バタ足による推進力だって悪くない。

ぶっちゃけた話、純粋な運動能力だけで見れば、こうして手を繋いで誘導してやらなくても、ビート板一枚あれば普通に泳げるだろう。

ようは恐怖心の問題なのだ。

浮く板一枚よりは誰かに捕まっている方が安心感があり、冷静に自分の肉体を操る事ができる。

 

「ぷはっ……、すみません、遊んでいる途中でこんな事を頼んでしまって」

 

「大丈夫ですよ、もう結構遊びましたから。水泳の授業始まるのに泳げないってのは嫌でしょうし」

 

まぁ別に、男女合同でプールの授業をやるのかと言われれば、どうなのかは解らないのだけど。

でも流石に友人がプールの授業を何か適当な言い訳をして見学している、という状況は悲しくなる。

 

「ほら、あと半分、そのままそのままー」

 

ちょくちょく動きを助言して、それを素直に聞き入れてくれたおかげで塔城さんの速度は最初の頃と比べて格段に早くなっている。

こうまで上達が早いと教えている方も楽しくなってくるというものだ。

手を引きながらの後ろ歩きも気持ち早めになり、残りの半分はあっという間に泳ぎ切ってしまった。

 

「はいゴール」

 

後半の堂に入ってきたバタ足の勢いのまま、抱きつくようにぶつかって来る塔城さんをそのまま抱きとめる。

避ける事も出来たけれど、この勢いのままでプールの壁に激突したら水中で混乱して最後の最後で溺れる、なんて可能性もある。

最後の最後でケチが付くのは水泳に対する苦手意識を除去する上で宜しくない。

まずは手を引かれながらでも『泳ぎ切った』という自信が重要なのだ。

 

「いい感じでしたよ。そろそろコツが掴めてきましたね」

 

「……ちょっと褒めすぎです。まだ、バタ足くらいしか出来てないのに」

 

「そうですか? じゃあ……。まだまだですね。ちょっと力みすぎてる感が抜けないので力が入らなくなるまで特訓です!」

 

「私はいいですけど……日影さん、放っておいていいんですか」

 

「日影さんはそれぐらいで拗ねるタイプじゃないですし……ああでも、拗ねた日影さんもかわいいんですよ。貴重ですけど」

 

そもそも、今回のプールは予定に無かった突発的なものだ。

最初から、日影さんとは別の日に海に遊びに行く約束をしていたので、今日は友人を優先しても問題あるまい。

兵藤先輩に日影さんの新作水着姿を見せたくないからスクール水着だし。

……だけどスク水の日影さんもいいよね!

アンバランス感があって!

 

「……つまり、スク水着た状態で拗ねる日影さんてもしかしなくてもURとかそんな感じなんです」

 

魔法のカードで人生溶けるまでガチャ回すレベルで。

 

「頭大丈夫ですか」

 

「大丈夫、この水泳特訓の有用性が今まさに証明されただけですから」

 

つまり、このまま塔城さんを構い続けていれば、貴重なスク水日影さんが拗ねた姿を見せてくれて嬉しい。

塔城さんは泳げるようになる。此方は日影さんの可愛さを堪能できる。

Win-Winというやつだ。

 

「…………私も、女の子なので、そういう理由で、こういうことをされるのは、いやです」

 

少しだけ怒りの込められた静かな声。

考えてみれば、先ほど抱きとめた状態のままで会話をしていた。

彼女に嫉妬されたいから、なんて理由で、恋仲でもない相手に抱きしめられて嬉しい女の子は居ない、らしい。

 

母さんの友達もそんな事を言っていた。

栗色の髪をツインテにした、女の子を語るのはどうかと思われる実年齢と語るに相応しい外見年齢を併せ持つ死体専門ハリウッド女優のいぶし銀さん。

本命の彼にはついぞ振り向いて貰えなかったらしいが、片思い歴が長いだけに乙女理論を語る発言には他にはない重みがあった。

あれだけ長い間片思いと乙女を続けていて、(こじ)らせてヤンデレに転んだりしない辺り、流石母さんの友人だと思う。

 

「私じゃなかったら、セクハラで訴えられてますよ」

 

「すみません、抱き心地がいいもので、つい」

 

「っ、変な事言わないで下さい……!」

 

ぽかぽかという音が出そうなグーにした拳の底面での連打。

実際に出る音は格闘漫画もかくやというレベルの重い肉を撃つ打撃音だ。

受けているのがニンジャ耐久力を誇る此方だから良かったものの、そうでなければ胸骨が砕けて口から内臓を吐き出しているのではないだろうか。

でも、そんな打撃も甘んじて受け入れよう。

 

はっきり言って抱きしめたままだったのは態とだ。

吊橋効果が残っている内に、手触りの良い塔城さんを触ってみたい、そしてからかってリアクションを楽しみたいと思ってしまうのは仕方がない事だろう。

やり過ぎと思われるかもしれないが、これでも吊橋効果による錯覚状態で許されるギリギリのラインを攻めているのだ。

しかも、これで日影さんが拗ねた姿を見せてくれたりしたらそれはそれで儲けものだし、マイナスになる部分が見当たらない。

 

「ふむ、思っていたよりも、気が多いのかな?」

 

―――――――――――――――――――

 

「おや、ゼノヴィアさん、どうかされましたか?」

 

「いや何、丁度水練も一区切りしたように見えたからな」

 

「ちょっと待ってください二人共なんでこのまま話進めようとしてるんですか」

 

スタート台の脇から私達を見下ろしつつ読手さんに話しかけたゼノヴィア先輩。

それに応える読手さんは私を腕の中に収めたまま、つまり、私が読手さんに抱きしめられたまま……っていうかこれ抱き止めた通り越して普通に抱きしめられてるんですけどなんですかこれどうなってるんですか。

しかし、それを二人共気にした風もなく会話を続けている。

 

「お楽しみのとこすまんなあ。なんや、こいつが書主さんに頼みたいことがある、言うから」

 

声の主はゼノヴィア先輩の後ろに居る、学校指定のスクール水着に不釣り合いな程グラマラスなボディを包んだ日影さん。

すまんなぁ、の声はなぜだか私に向けられているような気がしたのは気のせいだろうか。

待ってください違うんです。別に楽しんでないです邪魔なんてされてないです。私泥棒猫じゃないんです誤解です。

そんな『仕方ないのぉ』みたいな顔しないで下さい彼氏がこんなことしてそれとかどんだけ心広いんですか!

 

「頼み、ですか。よござんす、さぁ言ってごらんなさい。どんな願いも聞き流して差し上げましょう」

 

「叶えてはくれないのか」

 

「それは気が向いたら。ささ、何事も言ってみるだけなら只ですよ」

 

「そうだな、では……。読手書主、私と子供を作ってくれないか」

 

…………………………………………………………………………………………は?

 

「ちょっと待って下さい」

 

「すまない、塔城小猫。君の獲物を奪う心算は無いんだ」

 

「獲物じゃないです。友達です。恋人はそっちです」

 

「知っているよ、彼女には先に事情を話してあるんだ。そうしたら本人に言え、と言われてな」

 

その言葉に、日影さんを睨む。

いくらなんでも、それは、違うんじゃないだろうか。

恋人であるのなら、そういう輩が恋人に近づくのを嫌がって当然、そうでなければおかしい。

懐が深い、なんて言葉で表していいものじゃない。

いい加減すぎる。そんな態度では、読手さんが可哀想だ。

だけど、日影さんはどこ吹く風。

表情もさっきのわかりやすいものから、なにを考えているのか解らない何時ものぼうっとした表情に戻っている。

……もしかしたら、さっきのは私に伝わりやすくするために態と大げさに表情を作っていたのかもしれない。

 

「まぁ、わしがあれこれ言うより、本人に応えてもらった方が納得いくやろ」

 

「という事でな。どうだろうか、君との付き合いは無いに等しいが、肉体的にはそれなりに自信もある。勿論、君の恋人よりも良い体だ、などと言う積りはないが」

 

布面積の薄い水着を纏った体のラインを、強調する様に手でなぞって見せるゼノヴィアさん。

恥じらいの無い口調と表情とのアンバランスさは、同性の私から見てもセクシーさを感じる。

前にTVか何かで見たギャップ萌え、というものかもしれない。

 

「ううん、休日のプール遊びと油断してたら特大級の馬鹿が出た感じですね。塔城さんはあんなんになったら駄目ですよ」

 

「なりませんよ、あんなの」

 

困った顔の読手さん。明らかに断る雰囲気だ。

少しだけ安心し、日影さんが無表情にうんうんと頷いている姿が視界に入った。

……ああ、そうか。

ちゃんと断る、って、信頼があったから、ああいう態度でいられるんだ。

これが、読手さんと日影さんの、信頼の形。

深く深く、互いの事を知っているからこその関係だ。

 

「馬鹿というのは失礼だな。一応、ちゃんと理由があるのだ。順序立てて話させて貰おう」

 

「あはは、馬鹿な理屈だったら焼けたプールサイドで聖別した地蔵抱かせて説教しますから覚悟して下さいね」

 

少し憤った声で弁明しようとするゼノヴィア先輩と笑いながら怖いことを言い出す読手さん。

読手さんの腕の中で、胸板に頭を預けてその会話を聞き続ける。

頭の上から声が聴こえる姿勢。

恥ずかしい、と感じるくらいに近くに居る。

だけど、読手さんと日影さんの意図は少しも読めなかった。

 

まぁまぁいい友達、という関係は、酷く広い距離を間に置くらしい。

萎んでしまった胸の高鳴りに寂しさを覚えながら、そんな事を考えた。




まだほぼ吊橋
なのでこんな状況でも失恋ではないのです
ここから徐々に好意にすり替わっていく展開をやりたい
ガンバルゾー

★小猫さん
エライヒト・リアリティ・ショックにより強制的にメンタルを強化された
八割から九割が吊橋、一割が仕方ないにゃあって感じ

★日影さん
母性と信頼の塊
どうせ最終的には戻ってくるし、という余裕が見える

★部長さん
初めてカリスマっぽい姿を見せた
水着は着てるけど描写されない

★ゼノヴィアさん
活躍度で矛先が主人公に向かう
新ヒロインではなく当て馬なので注意

★木場くん
主人公がニンジャである事は知っている
原作よりホモ度は少なし

★イッセーくんとアーシアちゃん
こいつらはブレない
順当に行くと部長よりこっちとくっつきそう

★主人公
吊り橋効果で擬似的に好意を抱いている、という事を知りつつそれを利用するとかやはりニンジャは汚い
日影さんの心の広さに甘える辺りも汚い

★朱乃さん
居たの?


次回は少しプールの続きを回想で入れたりするかもだけど、恐らくは授業参観回
母親に初セリフのチャンス、お楽しみに

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