狸鍋ってあるじゃないですか。あれ、実はかなり獣臭いんですよ。しっかりと血を抜いて手間をかけても、完全にその臭みを抜くことはできないんですよ。
まあ、完全に臭いを抜いてしまった肉なんて、味気なさすぎて食べられたものじゃないような気もしますけどね。
「まあ、ずっと尼僧をやっていた白蓮和尚にはわからない話だと思いますけどね。いかがです? 貴女はわかります?」
「お、おぉう……狸鍋は食べたことないからわからんのぉ」
「そうですか」
ではかちかち山の話となりますが、あの話で狸はお婆さんを杵で打ち殺し、その肉を潰して練り上げて肉団子にしてからお婆さんに化け、そうして作った肉団子をお爺さんに食べさせました。
その仕返しに、お爺さんとお婆さんに恩を受けた兎がその狸を騙して背に火をつけて大火傷を負わせ、その火傷に唐辛子の粉末と蓼の汁、芥子を混ぜ合わせて味噌に加え、じっくりと熟成させた物を何度も何度も塗り込んで激痛を味合わせ、その上で泥で作った船に狸を乗せて櫂で何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も叩いて湖の底に沈めることで怨みを晴らしたわけですが……果たしてそれで兎は満足したのでしょうかね?
もしかしたら満足したのかもしれません。満足していなくとも、その狸が湖に沈んで死んでいると言うことを考えれば諦めるしかない……と、そう思うかもしれません。
しかし、地獄と言うものがあり、天国と言うものがある以上、知恵のある存在は間違いなくそのどちらかに行くことになります。お婆さんを杵で打ち殺し、皮を剥いでそれを被ってお爺さんを騙してお婆さんの肉で作った肉団子を食べさせ、それを揶揄して逃げたような狸が天国に行ける筈がなく、まず間違いなく地獄に落ちることでしょう。
もしも、兎の狸への怨みが晴れないまま、知恵ある兎が生き続けたとすれば───向かう先は間違いなく地獄の獄卒でしょう。
狸を見付けて責め、責め続け、責め殺し、しかし死のうとも地獄では甦る。
何度も何度も繰り返されるでしょう。狸がお婆さんの肉を杵を使って挽き肉にした時のように、何度も何度も繰り返されるでしょう。
まあ、もっとも軽い罪を償う地獄ですら兆年単位での時間がかかるのですし、それこそ時間はいくらでもあるわけで。
「と言っても、その辺りの詳しいことは私よりも本職である白蓮和尚の方が詳しいと思いますけどね。実際のところ、人を杵でつき殺してその死体から皮を剥ぎ取ってその姿のまま人を騙して愛する人の肉を食わせるなんてことをした狸はどのくらい地獄での責め苦を受けるんですか?」
「そ、そうじゃのう……ま、まあ結構かかるんじゃなかろうか?」
「それはそうでしょう。だからこそ、どのくらいかかるかと聞いているんですけど……まさか、わからないなんてことがありますか? わからなければ調べることができる魔人経巻なんてものがあるのですから、答えられないわけはないと思いますけどね?」
「……」
それはそれとして狸と狐と言えば仲が悪いと言われていますが、実際にはどうなんでしょうね?
「あれは狐が悪いんじゃよ。何が悪いってまず性格じゃろ? それから執念深い上に頭が固くて脅かし方も捻りがなくての。一族で同じ驚かし方ばかりしておるから人間にも狩られやすくなったと言うのにそのことを認めようとせんでいつまでも同じ物にばかり拘る。そのくせ男に取り入る時の手練手管ばかり上手くて変幻自在、男の欲を煽るような動作や態度を前面に出しておるくせに自分が決めた男以外はただただからかうだけで触れさせようともせん。自分からちょっかいを出したんならせめて一発くらい決めてから行かんかいといつも思うんじゃがそう言うとあいつらはいつも『高貴なる私の姿をその目に焼き付けることができたのだから十分だろう?
どうやら仲は悪いようですね。正直私には関係のないことですが。
ちなみに、変化の弱点というものを知っていますか? 種族としての変化ではなく、術式、技術としての変化です。種族のほうの弱点は、人間の唾液や煙草の煙などが該当します。これは訓練でどうにかなるもので、長く生きていればそれだけで効果はなくなる類のものです。逆に言えば、変化になったばかりの者ならば煙草の煙で退治できてしまったりもするわけですね。
それで、術式や技術の方の変化の弱点ですが、一つは単純。変化と言っても変化した後の物と言うのは実体を持っています。その実態が壊れる威力で殴るなり蹴るなりすれば解けます。勇儀さんなら嬉々としてやるでしょうね。
それからもう一つ。これは本人が別の誰かに変化している時に限定されますが、その化けている本人の正体を見抜くこと。この場合の『見抜く』とは、『確信を持ってその本人の名前を呼ぶ』こと。そうすると変化の術式は認識を書き換えることができなくなり、壊れて消える。つまり変化は解ける。
……なお、石に化けていても名前を呼んでやれば変化は解けたりしますので、逃げ切れないと悟った狸が何とか隠れようとその場にあった何かに化けてやり過ごそうとすることもありますがそんな時にも使えます。もちろん、どれが狸かをしっかりと認識していなければなりませんが。
「……よく知っとるのぉ」
「ええ、よく知っているでしょう?」
にっこりと笑顔を向けあう。目の前にいる白蓮和尚の姿をした誰かはかなりひきつったような笑顔だけれど、それでも笑顔は笑顔。なんと平和的な光景なのだろう。
「……ふはははは!よくぞ見n」
「言わせませんよ。貴女は白蓮和尚です。……ちなみにですが、変化の術を使っている最中に変化した対象の名で何度も何度も呼ばれると変化が解けにくくなるんですよね。それでぶんぶく茶釜は茶釜から戻れなくなったわけですし」
「……本当によく知っとるのぉ」
「ええ、とてもよく知っているでしょう?」
理由? 目の前にいい教科書がありますからね。
さて、それでは―――白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚――――――――――
「やめ、ちょ、身体の形が固着するじゃろうが!」
「私の前にそんな姿で出てくるからですよ」
「ええい!流石はさとり妖怪じゃな!人の嫌がることを進んでやりよる!」
貴女は人ではない(無言の腹パン)。
「ごふぅっ!?」
貴女が白蓮和尚だったとしてももう人ではない(無言の腹パン)。
「がふっ!?」
それに相手は選んでますから。許してくれる相手か、許してくれなくても困らない相手か―――許す許さない関係無しに後腐れのない相手のどれか。今回の場合は二番目ですかね。
さて、それでは再開しましょう。狸のお話ですが、狸というと狐に比べて人間に好意的な話が少ないことで有名ですね。狐の場合は人間に友好的な話も多いけれど、敵対的な話が凄まじい。好意的な話のほぼすべてをひっくり返すほどに凄まじい。勿体ないですよね、それ。
九尾の狐。金毛白面九尾の妖狐。邪仙妲己。正体は狐だといわれている彼女達の話は、今の世も伝わっている。ゲームや本などの話の種として、ではあるけれど、それでも今の時代まで話が残っているというのは素晴らしい。
特に金毛白面九尾の妖狐の話は、国を超えて広まっている。幻想としてではあるが、おそらく外の世界でいまだに神性を保つことのできる数少ない存在の一つだろう。
ですが、悪性の狐の話だけでなく善性の狐の話もあります。おそらく最も有名なのはお稲荷さんでしょう。豊穣の神であり、明王の眷属。世の悪人を探し出し、明王に報告するという役割も持つ彼ら。いやまったく、狐と言う存在の二面性には驚かされます。
それ以上に二面性の激しい動物といえば、蛇、そして狼ですね。蛇は龍、狼は大神、それぞれに繋がりがありますから。
ですが、狸。基本的に狸は悪性の噂が目立ちます。それと言うのも、善性の噂が非常に少ないからです。狐のように何か広く知られている善行のような物があればともかく、狸にはそれがほとんどありません。確かに一部では神として祀り上げられていたりもしますが、稲荷神社を代表とする狐を祀る神社に比べて数はどうです? 少ないでしょう。
これだから狸は―――おや、変化が解けませんね。どうやら先程のものがまだ効いているようです。白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚白蓮和尚――――――――――
ちなみにこの話、制作中は「虫を払う」でした。そんな酷い扱いにならなかったので変えました。