当方小五ロリ   作:真暇 日間

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邪仙はその手を引かれて歩き、邪神は邪仙の手を握る

 

 ばらばら。記憶も感情も心も力もみんなばらばら。ここにいる私は名前もなく、記憶もなく、感情もなく、力もない、ただの『私』。

 私だったものは、ここにはない。私は私だったはずなのに、私が私でなくなっちゃった。私がばらばら。私以外の私はみんなどこか。ここにいる私はただいるだけ。何もできない、ただ居るだけ。それが今の私。

 

 私以外はここにはない。私もここにいていいのかわからない。でも私には何もできない。私はいるだけ。ここにいるだけ。何か大切なものがあったような気がする。守らなくちゃいけないものがあった気がする。でも私はそれが何かはわからない。それを守る力もない。守ることもできない。私はいるだけ。ここにいるだけ。

 

 ここにいる私。いることができる私。いることができる私がいない私は、いることができない。いることができない私はいれなくなって、いれない私は使われる。いれない私はいるんじゃなくて『ある』。ある私はそこにあるけど私がいないからいることはできない。いない私はあるだけで、あるだけの私はなにもできない。

 力の私。記憶の私。技術の私。経験の私。いろいろな私があって、ある私たちはいるだけの私の前で糸に絡め取られて動かされる。いる私がいないのにある私が動く。いる私はここにいるだけ。ただただここにいるだけ。

 

 ばらばら。いるだけの私はここにいる。私以外の私は一か所に纏まって、私になった。いるだけの私のいない私はいくら大きくてもそこにはいない。ただ、いないだけの私には私がいる。いないだけの私はいるだけの私をさがす。

 けれど、いる私をいないあれが探しても見つかるわけがない。いない私と違っている私はいる。ここにいる。けれどいるだけ。いる以外は何もできない。

 

 ―――手を、引かれた。いるだけの私。手も足も口も耳も何もない私。なのにいるだけの私は手を引かれて、いるだけの私はいるだけの私ではなくなった。

 いるだけの私に触れ、いるだけの私を引っ張り、いるだけの私を移動させる。いるだけの私はなにもわからないまま、いるだけの私だけがいない私に並んで進む。糸のようになにかが巻き付いているだけの私といるだけの私だけがいない私を動かす。

 手を引かれるようにして、いるだけの私から手のあるいるだけの私になった私は、その手に逆らわないで移動し続けていた。

 いないだけの私は、いないからそれがわからない。いるだけの私はいるだけだからこれを覚えられない。いるだけだから考えられない。いないだけの私はいないから何もできないけれど、いるだけの私はいるだけだから何もわからない。

 

 手を引かれるように進んでいく。いるだけだった私といないだけの私。どちらの私も手を引かれていく。何が私の手を握っているのかわからない。小さな手である気もするし、無数の紐のようにも見える。引かれるのが手だけではなくなり、身体が引かれ、足が引かれ、いつの間にか全身が引かれるようになる。

 いるだけだった私は暴れない。動けないし、動けないし、意味もなければ感情もない。ここから逃げようとも思えない。

 かわりにいないだけだった私は必死に暴れているけれど、暴れようとしているけれど、手のような糸のようななにかに囚われて暴れるどころか動けてもいない。

 できることはただ必死になること。必死になっても何もできない。

 

 ……いるだけのはずの私の中に、新しいなにかが生まれた気がする。ぞわぞわとしたなにか。ふわふわとしたなにか。温かなようで熱いようで、なんでもないようにも感じるなにか。なにかがなにかはわからないけれど、いるだけだった私は感じることができる私になった。

 けれど感じることができる私はここにいて、そして感じるだけ。触れられていること。動いていること。それらを感じながらここにいるだけ。

 ───明かりがあるのを感じた。私を引っ張る何かを感じた。私を引っ張る糸のような手のようななにかは、感じることができるだけの私といないだけの私を光に向けて引っ張っている。

 光には私が映っていて、ふらふらと歩き続けている。まるで今の感じることができるだけの私のようだ。

 光に映る私は空を飛び、真っ黒い空に穴を開ける。光に映る私がその中に入ると、その穴はゆっくりと閉じていく。私はそれを光のこちらから見ているだけ。感じることができるだけの私は見ることができるようになった。

 

 そして、私は見る。手を引く何かが、何者でもないことを。ただ手を引かれていたと感じていただけで、手を引かれていたわけではなかった。

 手を引いていたのは、何もないその場所そのもの。ぐいぐいと私を引き込み、見ることができる私も、いないだけの私も、ゆっくりと引き込んでいく。

 見ることができる私は、逆らわずに引き込まれていく。いつの間にかあった足で、歩き出す。歩いて歩いて、光を超えて―――

 

 いるだけの私は。

 手のある私は。

 動けるだけの私は。

 感じることができる私は。

 見ることができる私は。

 

 また、私になっていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 邪仙に術を全て解除させ、地底から放り出す。面倒な性癖に引っかかることのないように地底に居た時の記憶をごっそりと抉り取り、代わりに鬼に見つかって酔い潰されそうになってなんとか逃げだしてこれたという記憶を植え付ける。

 ついでに彼女の昔々の弱み……と言うか、彼女のちょっとした秘密を得ることができた。

 彼女の性癖。強い者に惹かれるというその在り方は、どうやら彼女の父親を求めるという心から生まれたものであるらしい。つまり、霍青娥と言う邪仙は凄まじいまでのファザコンだったということです。

 

 ……もう聖徳太子は帰ってしまいましたが、どうせなら伝えてみるのも面白そうですね。邪仙は邪仙で聖徳太子の師匠でありいろいろと恥ずかしいエピソードを握っていますし、この辺りで聖徳太子の方も反撃できる準備くらいは欲しいのではないでしょうか。

 邪仙は自分の性癖がどこから来るのかをよく理解していないようですし、自身で理解していない欲の出所を探るのは聖徳太子でも難しいことでしょう。私としては是非ともお互いにお互いの弱点を握り合うような関係に発展していただきたいのですがね。そうすれば欲ではない羞恥心などを私が拝借できますから。

 食事の準備は念入りに。いつ何が無駄になるかはわからないのですから。

 

 ……霍青娥。彼女の精神は、子供のようだった。それも、とてもとても寂しがりで、しかしそれを外に出すことがとても下手で、いつの間にか自分すらも騙せるようになってしまった可哀そうな子供。きっと彼女が救われるには、そんな彼女の心を読んであげられる存在が側にいてあげることくらいでしょうね。

 ああ、そう言えば、彼女の傍にはいい人材がいた。彼女の心を読むことができ、彼女の傍にいてあげることができ、彼女のことを大切にしてあげられる存在が。

 では、そういうことで……頑張ってくださいね、聖徳太子さん。彼女の幸せは貴女にかかっていますよ? 私はこうしてあの邪仙が救われるかどうかを楽しみにさせていただきます。ただ見るだけ。ただ心を感じ取るだけですが、こうした人間観察は私の趣味でもあります。相手は正確には人間ではありませんが、そんなことは些細なことです。小さいことばかり気にしていると土に還りますよ。

 

「……そうそう、お空」

「はーい!なんですか、さとりさま~?」

「ここ、霊力込めて軽く焼いておきなさい」

「うにゅにゅ? 焦げちゃいますよ?」

「いいから、軽く焼いて」

「はーい」

 

 お空の炎に焼かれて、さっきまで聖徳太子の座っていた場所の床に作られていた霍青娥の物とほとんど変わらない盗聴と探知妨害、認識阻害の術式は、粉々に砕け散っていった。まあ、出し抜くにはあと500年は早い。仙人なのだから、それくらいの経験は積んでから来てもらいたいものだ。あまり急いでもいいことはないからね。

 私はそんなことを思いながら、自分の手に残った感触を思い出す。

 

 ……次、彼女がしっかりと礼儀正しく地霊殿の門を叩いたのならば、受け入れるくらいのことはしてあげよう。

 


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