神殺し。そう言葉に出すのは簡単だ。そして、やろうとすればできないこともない。
特に神の存在が一つではなく無数にある日ノ本の国の神道では、人が祈ればそこに神が生まれる。例え一人だけだったとしても、心の底から信仰されればそれは神になることができるのだ。
だからこそ、神を殺すことは難しくない。信仰するものすべてを殺せば神は神格を保つことができなくなり、神の座から転落する。もちろんこれは神道における思考であり、宗教や地域が変われば神としての在り方もまた変わってくるため殺し方も別のものを考えなければならなくなる。
だが、そう言った元々の種族が神である存在は弱点が分かりやすい。人型をしている場合なら大概は心臓を貫けば死ぬし、首を刈っても死ぬ。一部の妖怪に比べればよほど脆い。
妖怪は首をはねても死なないものも多いし、ものによっては身体を縦に両断されても生きていることすらある。それどころか全身を粉微塵にされようと、焼き払われようと問題なく再生したりもする。
そう言った妖怪は粘り強いばかりで戦闘において強くない種族が多いが、そんな粘り強い種が永い時を経て上級妖怪に成り上がれば勝つことができる存在は非常に少なくなる。負けずとも勝てないからだ。
妖怪は、勝てずとも負けなければ、極論死ななければ勝ちだと言える。生きていれば強くなれる存在であるがゆえに、生き続けることこそが勝利だ。
しかし神は、勝たなければ敗けなのだ。戦いとなれば間違いなく敵を倒さなければならない。引き分けは許されず、敗北は論外。たった一度敗北するだけで、そこで成長が止まってしまうことすらある。
……さて、そんな神に対して、私ができることとは何か。力では勝てず、戦いとなればあっという間に敗北するだろう。
ならば、戦わずに相手に敗けを認めさせれば良い。私が戦わなければいけない理由はないが、どうやらあちらは私が彼女達を恨んでいると思っているようだし……襲われても問題のないようにしっかりと準備しておかないと。
八坂ガンキャナコは軍神にして風の神性。天空を司る神。
洩矢諏訪子は祟り神にして大地の神性。鉄と大地を司る神。
そんな彼女達に匹敵する存在と言えば……やはり、神しかいないだろう。
風の神性、
地の神性、
水の神性、
火の神性、
この四つの神性を、能力を使うことのできない精神世界に相手を取り込んだ状態で同時にぶつける。そうすればいくら相手が神であろうと負けることはない。
実際に敵対することになるかどうかはまだわからないけれど、できることならば戦いは避けたい。面倒だし、痛いのも苦しいのも嫌いだ。だからこそ、私が用意したこれが使われないことを望む。
……さあ、行こう。できれば話の通じる方に先に会い、しっかりとした話が聞けるといいのだけれど。
射命丸文の自宅から出て飛べば、守矢神社はすぐそばにある。妖怪の山に出てきた神社だからこそこの場所からも簡単に行くことができるのだ。人間にとっては色々と面倒を重ねなければならないだろうけれど、天狗達に見つからないのなら、あるいは天狗達に見つかったところでそれを退けることができるのなら、こうして簡単に向かうことのできる場所にある。
ただ、最近では命蓮寺という寺に信仰をかすめ取られたと言っているらしいが、さて、それは単に彼女たちの宗教に魅力がなかっただけではないのかと思う。
特に、命蓮寺に祀られているのは毘沙門天に仕える虎の妖怪。毘沙門天の代理すら任されている彼女は、毘沙門天と同一視される宝物神クベーラと同じような能力を使うことで宝物を集めることができる。それが人里に広く知られていれば、その『ご利益』にあやかりたいと言う人間が出てきたところで何らおかしくはない。それが人間だ。
そんな感じで、自分達に利益があるなら人間はただの石ころでも崇めてみせるだろう。実際にはその石ころを崇めても何も起こらないからやらないだけで、利益があるなら損が出ない程度にやる。実に人間らしい。
だが、そんな人間たちの中にも時にはしっかりと目標を定め、人間でありながら人間らしからぬことをする者もいる。この神社の風祝もその一人。
人間らしくなく、自分の得になることなどほとんどないのに人間としての生を捨てて幻想郷へとやってきた彼女。彼女は実に人間らしくないけれど、そういった奇妙な奴がいるのもまた人間ならではなのだろう。
私は守矢神社の前にゆっくりと降り立つ。境内には箒を持って掃き掃除をしているらしい風祝と、それを屋根の上で足をぶらぶらとさせながらのんびりと眺めている祟り神がいた。
「おや、珍しい奴が来たもんだ。ここにいったい何の用かな?」
「少し話を聞きたかったのですよ。地底に引きこもっていて最近起きた出来事をあまりよく知らなかったもので。すでにいくつかの異変発生現場とその首謀者との話は済んでいますので、順番にきて次はここになった。だから来たのですよ」
「ふーん……まあ、いいんじゃない? 早苗、お茶だ」
「は、はい、諏訪子様!」
ぱたぱたとかけていく風祝の姿を見送ると、祟り神は私の顔をじっと見つめる。
「今のところ、先ほど言ったこと以外に目的はありませんよ」
「へぇ? それにしちゃあずいぶんと気合入れてるようだけど?」
「ガンキャn……守矢の軍神の方が『私は恨みを持っている』と考えているようでしたので、先手必殺されないように備えているだけですよ。まだ死にたくはないので」
「……一応言っとくけど、
「勿論です。ただ、私が言おうとしたのは『ガンキャノン』ではなく『ガンキャナコ』ですが」
「それ今度私があいつからかう時に使うわ」
「お好きに」
すたすたと歩く守矢の祟り神について歩いていく。まったく、実に幸運だ。守矢神社で一番とっつきにくい相手がいない状態で話を始めることができて、守矢神社で一番交渉事が得意な相手と交渉せずに済むのだから。
到着したのは客用の一室。そこに私と祟り神が入り、とりあえず用意されていた座布団の上に座る。
「……で、どの異変について聞きたいんだい?」
「貴女方がこの幻想郷に来て真っ先に起こしたものについて、ですね。博麗神社の信仰を奪おうとした、と聞いていますが」
「大体合ってるね。あの時はまあ結構火急の事態でさ。早急にある程度の知名度が欲しかったのよ。だからとりあえず異変を起こして、一番危ない時期だけは脱したってわけ」
「流石は祟り神。本心を呪詛に紛れ込ませて見えにくくするとは。なかなかいい手だと思いますよ」
私の言葉にも祟り神の笑顔は変わらない。ただ、何も変わらない笑みのままに呪詛だけが沸き上がっていた。
私も同じように、用意しておいた神格の一部を世界に向けて『想起』する。風を媒介に『大いなる白き沈黙の神』を。大気に存在する水を媒介に『クトゥルーの騎士』を。塵を媒介に『千匹の仔を孕みし森の黒山羊』を。熱を媒介に『星々からの貪食者』を。ほんの欠片だけではあるが、内面に潜む存在を露にする。
……唐突に、私と祟り神は威圧を消し去る。それに一瞬遅れて障子が軽く叩かれ、『しつれいします』と言う声がしてすぐに開かれ、風祝がお茶を持って現れた。
「お茶をお持ちいたしました」
「ありがと、早苗。あと、この話が終わるまで神奈子をここに近づけないでおくれ」
「え?」
「いいから。近づけないでおくれ。知らせるのもだめだよ」
「……はい。諏訪子様の仰せのままに」
そんなやり取りの後に、風祝は出て行った。残されたのは私と祟り神、そして風祝が用意したお茶だけだった。