連続投稿9/12です。
幻想郷の地上に住む者ならば、大体知っていることがある。
例えば、博麗の巫女はあまり儲かりはしないが食べるに困ることはまず無いと言うこと。
例えば、守矢は常識をかなぐり捨ててしまったことでよく事件や異変の元凶として扱われていること。
例えば、河童の科学力は幻想郷一だが時々凄まじい失敗をすることがあるので過信してはならないと言うこと。
知らなくても特に困らないことから知っていなければ最悪命に関わることにもなるようなものまでその内容は様々だが、最近新たに幻想郷に現れた強大な勢力についてのことは、間違いなく知っていなければ困ることにあたるだろう。
妖怪退治の専門家である博麗の巫女のいる博麗神社。湖の畔に存在する紅魔館の吸血鬼。遥か冥界に存在する白玉楼の亡霊。迷いの竹林の中に佇む永遠亭の薬師と姫。ただ一体のみでありながら幻想郷のパワーバランスの一角を担う花妖怪。隙間と呼ばれるこの世のどこでもなくどこでもある場に拠点を持つ隙間妖怪。妖怪の山を力と数で支配する天狗達。妖怪の山に突如現れた古き二柱の神。空の上、雲の上、雲によって地上と隔たれた天界の天人。鬼を筆頭とした凶悪な妖怪の住む地底の主である覚妖怪。法界に封じられていた尼公の住む寺。仙人となった聖人の廟。これらすべてを知る人間はほとんどいないが、妖怪としてはこれらの存在は全て知っておかなければ命に関わる。
博麗神社に近付けば、博麗の巫女によって退治されてしまう。
紅魔館に近付けば、門番の手で撃退される。
白玉楼に近付くことは、そのまま死に近付くのと同じこと。
永遠亭に近付こうとすれば、その竹林の中で永劫迷い続けることとなる。
太陽の畑に近付けば、花妖怪の逆鱗に触れることだろう。
隙間妖怪には近付くこともできないが、近付かれたら逃げなければならない。
妖怪の山の天狗達は社会的に命を奪いに来る。
守屋神社に近付けば、風祝に討伐される。
天界に近付けば、その強大な力で排除されるだろう。
地底に近付けば、身を潜めた古き妖怪たちに食い殺される。
命蓮寺に近付けば、そこに住む妖怪達から秘密裏に駆除される。
そして神霊廟に近付けば、魂も何もかもを呑まれて消える。
そんな危険な場所の一つ、神霊廟では、今まさに戦闘が行われていた。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」
「……」
常にその言葉を唱え続ける聖者と、一言も発さず弾幕と格闘でのコンボを加えようとするも突然に起きる弾幕、格闘、スペル等の使用不可状態に苦慮する神子。聖者にしろ神子にしろ体力は減っているし、どちらの視点で見ても相手を追い詰めることはできていないどころか自身が追い詰められているように見えている。
呼吸を禁じられ、それでも金剛不壊となった仙人の身体によって無理矢理に動き続けることができている神子。呼吸を止め、組み合わせによる連撃を止めながらも着々とダメージを積み重ねられている聖者。聖者は回復しようとすれば即座に詠唱を止められてしまうために回復に回すことができず、神子は神子で現状を打開する策を見付けることができていない。
一進一退。どちらかが攻めれば即座に返され、そして再び拮抗状態に。それが繰り返され、どちらかが失敗すれば即座に勝負の天秤は傾くと言う状態。それはいつまでも続くようにも思えたが……実際にはほんの僅かに神子の方が分が悪かった。
金剛不壊の身体を持つと言っても傷付かないわけではないし、聖者を追い詰めることができるレベルで身体を動かし続けていれば当然ながら体力や傷の回復などできるわけもない。嫌でも呼吸は荒くなるし、出せる威力も下がっていく。少しずつ力が入らなくなっていく手と、少しずつ遅くなっていく思考を自覚する度に、神子の中には焦りと言う感情が沸き上がるようになっていた。
しかし、そんな攻撃を受け続けている聖者も余裕があるわけではない。窒息させ続けるのをやめれば一呼吸で神子は調子を回復させるだろう。そうなればここまで窒息させ続けた労力の殆どが無意味なものとなる。自身の回復も続けてはいるが、専念できない以上回復力は全力で行うのに比べて遥かに落ちる。窒息させるだけならばまだしも、近接攻撃あるいは弾幕の発動を無効化すると言うことを高速で繰り返しているのだ。当然、回復に回せる能力は聖白蓮の時と比べて遥かに少ない。
互いに追い詰められていると言う意識の中で、失敗をしないように行動し続けるのがどれほど神経を使うのかは恐らく互いにしかわからないだろう。まともな人間ならばすぐにでも失敗してしまうような状態だが、神子も聖者も重圧に対しての耐性を持っている。どちらも一歩も引かないままに、ただひたすらに同じことを繰り返す。
蹴り、殴り、打ち落とし、叩き伏せ、撃ち、貫く神子。それを受け止め、時に妨害しながらも自身を回復し、同時に呼吸を強制的に止めさせて陸で溺れさせる聖者。それはいつまでも続くような錯覚さえ抱かせる。
しかし、真に永遠と言えるものは早々存在するものではない。だからこそ永遠を求める存在は絶えることなく、そして届かず朽ちていくのだから。
例に違わず、この二人の戦闘にも終わりがある。それはある意味では当然であり、ある意味では大番狂わせであり、ある意味では劇的で、ある意味では呆気ない物だった。
力が入らなくなった拳を叩き付ける神子に対して、徐々に聖者の回復速度が追い付いてくる。じわじわと身体が回復していくのを感じ取りながら、聖者は笑顔を浮かべながら唱え続ける。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」
言葉を交わすことはない。片や呼吸そのものを封じられ、片やひたすらに同じ言葉を唱え続ける。そんな中で会話が成立するわけも無く、肉を叩く音と呪文だけがその場に響いていた。
そして、一つの影が崩れ落ち、決着がついた。
□
目を覚ます。そして周囲を見渡してみれば、屠自古が心配そうに見詰めているのが目に入った。
「太子様!」
「……どうやら私は負けたようですね」
起き上がろうとすると普通に身体が動く。あの鬼人正邪をこのルールで相手にして、負けたにも関わらずこの程度と言うことは……どうやらあの覚妖怪の言っていたことは嘘ではなかったようですね。鬼人正邪が改心していないのならば、この程度で済んでいるわけがありません。むしろ、もう一度目が覚めることさえなかったかもしれない。
「太子様、まだ寝ていてください」
「おや、私はもう大丈夫ですよ?」
「馬鹿言ってないで大人しくしててください!呼吸ができないまま意識を失ったんですよ!?」
「あ~……大丈夫ですよ?」
「いいから寝ててください!」
「……はい」
屠自古に怒られてしまったので大人しく横になることにする。あまり怒らせると食事の格が下がるのだ。栄養はたっぷりだし、そもそも食事をしなくとも生きていける身ではあるが、美味しい食事と言うのは活力になる。美味しくない食事と言うのは活力をどんどん失わせる。だからこそ屠自古を怒らせることはしたくない。
……私も食事くらい作れないことはないけれど、一番上手いのは屠自古なのだ。そもそも私は豪族の生まれであって、自分の食事を自分で作るような機会はそうそうなかった。そんな中で料理を作れる屠自古が変なのであって、私がおかしいわけではない。
いや、簡単なものならば作ることはできる。おかゆとか、焼き肉とか、そういった簡単なものばかりだが作れないことはない。上手とはとても言えないが。
……しかし、貴人聖者か。文字を変えただけで読みは同じだというのにそれだけで随分と印象が変わってくるものだ。博麗の巫女にも伝えておくことにしようか。