八咫烏。太陽神である天照大御神の眷属であり、かつて大和の国を作り上げるために行われた遠征において常に先駆けを勤め、連戦連勝を導いたことから『勝利の導き手』と呼ばれることもある、日本神話において非常に高い神格を持った動物である。
その体格は非常に大きく、文字通りに八咫(咫=中指先端から手掌の下端までの長さ)程の大きさで、三つの脚を持つ。中国では金烏と呼ばれ、太陽の中心に棲むとも言われている。
そんな名高い八咫烏であるが、現在はとある神の策によって地獄烏と呼ばれる烏の妖怪に憑依するような形で同化しており、物事のほぼ全てを三歩歩けば忘れてしまうような『お馬鹿』な少女との奇妙な共生関係を続けていた。
その原因となるのが、守矢神社に奉られている建御名方───八坂神奈子であった。彼女の策により地底に棲む地獄烏に憑依させられ、窮屈な日々を送ることになっている。
だが、八咫烏が本気になれば地獄烏程度がその力に耐えられるわけがない。なにしろ相手は八咫烏。太陽と言う灼熱を住処とする最大級の神格を、地獄と言う環境で育ったとはいえただの烏が受け止めきれるものではない。
不喜処地獄にて罪人を責める烏。それこそが地獄烏であり、それは人肉を主食としているだけで普通の烏となんら違いはない。死者を責めることができ、死んだとしても風が吹けば何度でも蘇ると言う点を除けば、ただの烏でしかないのだ。
そんな『ただの烏』である地獄烏が、『日本神話における神鳥の筆頭』である八咫烏を体内に納めておける理由。同じ『烏』であると言う共通点から身体の変質が上手くいったと言うこともあるが、何よりもとある妖怪の影がそこにある。
『古明地さとり』。陽光の届かない地底を支配し、八咫烏の憑依する地獄烏の飼い主でもある、最も非力な大妖怪である。
心を読むことのできる『覚妖怪』である彼女は、その能力は強くとも力や妖力といった即物的な力は滅法弱く、例え心が読まれようと関係無い広範囲攻撃でもすればあっという間に死ぬ。少なくとも八咫烏の知る覚妖怪とはそう言うものであった。
しかし、古明地さとりはそう言った一般的な覚妖怪とは一線を画する。八咫烏がその事に気付いたのは、地獄烏に憑依する形で八坂神奈子に喚び出された直後のことだった。
突然喚び出され、窮屈な場所に押し込められた八咫烏は、初めは直ぐ様帰還しようと暴れた。その結果としてお空は八咫烏の力を半ば暴走させ、灼熱地獄跡に繋がる大穴を作り上げてしまう程に。
だが、その暴走はペットを守ろうとする古明地さとりによって押さえ付けられたのだ。強大な神格を持ち、太陽が存在する限り死ぬことのない八咫烏を、ただの一妖怪が押さえつけると言うのがどれだけ異常なことなのか。それを理解できない妖怪は存在しないだろう。例え理性が無く、知恵がない下級の妖怪だったとしても、本能でそれを理解する。
しかし現実に、古明地さとりは神を押さえ込んだ。
力任せではなく、かと言って術を使った様子もない。自分達の種族の誰もが持つその能力一つで、八咫烏という神格を封じ込めて見せた。
その時から、八咫烏は古明地さとりに逆らおうとすることをやめた。古明地さとりが生きている限り自分が地獄烏と共生関係を続けることになることがわかっていても、それでも古明地さとりと争うことより遥かにましだと判断したからだ。
八咫烏。正確にはその分霊ではあるが、太陽の分身とも言えるその存在は、今日も少し抜けたところのある地獄烏の内でゆるりと過ごす。いつの日か、古明地さとりが死に、自分が自由になれるその日まで。
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……悲しいことです。私を勘違いする方がまた増えました。
今回の相手は八咫烏。お空に降りた(正確には『降ろされた』なのでしょうが)太陽の化身。そんなものを体内に突然入れられた挙げ句、内側から焼かれそうになっては単なる地獄烏でしかないお空は耐えられるわけがない。
お空を守るために少し……本当に少しだけ、お空の中に居る八咫烏に干渉し、無意識に出力にリミッターをかけるようになってもらったのだけれど……どうもその時に少しやり過ぎてしまったようだ。
心を読み、意識を押さえ、無意識領域を拡大させる。そのまま意識を解体し続けて完全な無我にまで貶めた後に、もう一度相手の意識を私が読み取ったままに再現。その際にお空の身体が耐えられる程度まで出力を押さえるように刻み付け、そして再構築。
お空の身体は、八咫烏が中に居る限り限り無く八咫烏のそれに近付いて行くだろう。私が死ぬ頃には、お空の身体は完全に八咫烏と同格になっているはず。そうすれば内側で八咫烏が暴れようとお空の身体が自壊するようなことはないだろうし、八咫烏自身も脆くなった自我を保っていられるかどうかわからない。
それに気付かれないように無意識に『その事に気付いても気付かないよう目を逸らす』ように意識を刻み込み、時間を稼ぐ。
……私の策などこの程度のもの。平凡な私にはお似合いだ。
勇儀さんなら嬉々として太陽の化身を殴り倒しに行くだろうし、妖怪の賢者ならば見事に封印して見せるだろう。私のように小手先の技を使わずに、彼女達自身の力を使って。
無いものを欲しがっても仕方無い。変えられぬ過去を変えようとするのは愚かしい。それをわかっているのに変えられない私は、きっとこの世界の誰よりも愚かな存在だ。自覚しているしそれを否定するほど馬鹿でもない。
ただ、これが私にできる全て。私にできることを全てやって、できることがなくなったら時間の限りできることを増やして、そしてまた新しくできるようになったものを使ってできることをしていく。ある意味では人間の技術の進歩と同じようなものだが、あちらは集団でこちらは個人。こちらはできることが限られてしまう。
……やれやれ、本当に大変だ。組織の運営なんて私のやるようなことじゃないのに、なんでやることになっているんだろうか。もっと向いている人がいるはずなのに……。
まあ、それはそれとして。今度またペットたちを撫でに行きましょうか。私の疲れた心を癒し、安らぎを与えてくれる唯一と言ってもいい時間。この時間がなかったら私は心労が祟って体を壊していたかもしれませんし、やはりこういった息抜きと言うのも重要なものですね。
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さとり様の手は気持ちがいい。温かくて、柔らかくて、気持ちがいいところを気持がいい力で優しく撫でてくれる。ほわほわしてふわふわして眠くなって、さとり様に抱え上げられて眠る。
お燐もそうだし、ほかのペットたちだってそう。みんなさとり様の事が大好きで、さとり様が撫でてくれる時間はみんなが楽しみにしている。
今だって、ずらりと他のペットたちが並んでさとり様に撫でてもらえる順番待ちをしているし、その列から出ようとするのは誰もいない。そんなみんなを、さとり様は優しく撫でていく。
……私が眠った後には、私の中にいる八咫烏さまも撫でてもらっているらしい。私が眠ると外に出てくる八咫烏様だけれど、きっと八咫烏さまもこうして撫でてもらうのは嫌いではないはずだ。
そうでなければ、八咫烏さまに代わってからも暫く撫でられていたっていうお燐の話がおかしいことになっちゃうし、八咫烏さまが意識だけであるにもかかわらず私の中で眠っていたという説明もできない。
八咫烏さまはそれを絶対に言おうとはしないけれど、きっと気に入っているはず。だって、さとり様の手はあんなにやさしくて気持ちがいいんだもの。気に入らないなんてことはあり得ない。
八咫烏さまも素直になればいいのにね。さとり様ならそれも察してくれるだろうけど、大切なことはちゃんと自分の口で言うからこそ意味があるんだよ?
好きなら好きと言う。さとり様に教えてもらった大切なこと。誰にでもできる簡単な事なんだけど、それを本当にちゃんとやっているのはとっても少ない。
皆ができない分、私はちゃんとさとり様に伝えようと思います。
さとり様。大好きです。
この後滅茶苦茶なでなでした。