当方小五ロリ   作:真暇 日間

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 はい、大体書きあがりましたので投稿していきたいと思います。一日で12話投稿予定。

 1/12です。


71 私はこうして破滅を招く

 

 探れば探るだけ埃の出る存在というのはいるものだ。こう言う事を言う時には探るではなく叩くという言葉の方が良いのかもしれないが、私はどちらかと言うと叩くと言うよりも探るという言葉のほうが柔らかくて好きだ。ただ、こうして話を聞こうとすると柔らかすぎて相手にいろいろな想像をさせてしまうらしく、そのせいで勘違いが加速したこともあるので一時期は困っていたこともある。

 まあ、それも結局は意味のないことだと言ってしまえばそれまで。私がどう考えてどんな言葉を発しようとも、受け取る相手の受け取り方と解釈次第で意味が真逆になることもまったくもって珍しいことではない。なにしろ生物とは自分の考えた末の思考を疑うようなことは殆どしない存在なのだから。それはもちろん人間に限ったことではなく、人間以外の妖怪や妖精、生きていないけれど感情や意思を持つ亡霊といった存在もそうした物の内に入る。

 だからこそ、私のような弱い妖怪は相手の油断につけ込み、心の隙間から相手の一番脆い部分を貫き、砕くことで強者を屈服させることもできていた。

 ……実力はあるけれど精神的に脆い相手と言うのはいい爆弾になる。何人か集まっているなかで壊してやれば妖力を暴走させて自爆し、周囲ごと消し飛んでくれるのだから。

 その点鬼は扱いづらい。気違い染みているとしか言えないほどの力をもつ鋼の肉体と、その肉体すらも凌駕するほどの強靭すぎる精神力。真正面から話をして、かつある程度力が認められれば彼らはいい友になってくれるのだけれど……鬼に認められるには何らかの力を示さねばならない。それは戦闘における腕であったり、純粋な腕っぷしであったり、あるいは知略であることもあれば何かを作り上げる腕でも認められることがある。当然ながら長い時を生きてきた鬼と人間ではそもそもの経験の差というものがあるし、力で認められることはほとんどない。だからこそ、鬼は人間が自分たちと正々堂々真正面から戦い、そして力を認めさせた時には種族全体で祝うことすらするのだ。

 そういった存在からすれば、今回の異変はかなり嫌なものとなるだろう。とは言っても、嫌だからという理由で今回の異変の解決を後回しにしてしまっては色々と障るものがある。住処も友も消滅するかもしれないのだ。鬼が動く理由としては十分だろう。

 今回の相手が殴れるところにいたのならば、おそらくすぐにでも殴りつけに行っていただろうが……残念ながら今回の異変の黒幕は月にいる。いくら鬼といえどもそうそう殴れる場所ではない。

 

「まあ、それもまともな方法でやるのならばの話ですけどね」

 

 鬼はそういった搦め手を好まないが、私は好みで手を決めていられるほどの余裕がない。つまり、取れる手があるならばどんな手でも取れるような準備だけはしておかなければならない。それが私の普段からの行動ともいえる。

 今回の『まともじゃない』方法。まあ、簡単に言ってしまえば現在の流れに乗ることだ。多くのオカルトボールを集めれば願いが叶うという噂が流れ、いくつかの存在がそれを知ってか知らずかオカルトボールを集めている。その流れに乗り、一度外の世界に行く必要があるだろう。

 外の世界は幻想を否定する概念に満ちている。しかし、概念とはつまり集合知から来る世界法則。その世界に元々存在せずとも、そういったものが存在すると言う認識が当然のように広まってしまえば、世界はその意を汲んで魔法や魔術と言った非科学的な現象が実際に存在するようになる。

 では、その集合知そのものに新しく共通の内容を与えたならばどうなるか。それはつまり新たな概念が生まれることに他ならない。既存の概念を付加したり壊したりすることはあれど、こうして新しい概念を作ると言うのは心が踊る。

 

「よっ、ほっ」

「こころすごーい!どうやって花火を出してるの?」

「弾幕をいくつかの層にしてだな。その層にそれぞれ別の色や大きさの弾幕を詰め込んで、一番内側で爆発させればいい。内側から全ての層が均等に吹き飛ぶとこうなる」

「ふーん……んー…………うん、無理!」

 

 ……なぜかこころが踊っているけれど気にしないでおこう。可愛いし。

 まあそれはともかくとして、まずは今回の異変を収束させなければいけない。ただ、どうやら茨木童子が動いているようなので誰にも知られないようにすることもできないし、実行犯をこっそりと壊して終わりにすると言うこともできない。それに今回の異変が月から見て失敗に終わったとしても、月の者達は別の方法で幻想郷に侵攻しようとするだろう。面倒なことに。

 ではどうするか。実に簡単だ。そもそも月人なんて輩が居るのが原因なのだから、それをどうにかしてしまえばいい。厄介事は根本から絶てばいい。

 

 その方法だが……何故、月には穢れが存在しないかを考えればいい。

 穢れとは、生命そのものである。穢れを恐れる月人達は、生命そのものである妖精に触れるだけで寿命が生まれ、永遠の命を保つことができなくなってしまう。だからこそ、私達から見ると潔癖とも言えるほどに穢れを廃する必要がある。

 そして月に穢れが無いと言うのは、実は古代に作り上げられた概念と、現代に作り上げられた新たな概念の二つの概念によって神聖さが保たれている結果によるものだ。

 古代の知恵ある者達は、いつの日も上空に輝く月に美しさと純粋さを見出だした。美しく、純粋であるならば、その場に穢れが存在している筈もない。これが古代において作り上げられた月の清浄さの根幹を支える概念だ。

 そして現代。外の世界では既に人間達は月に降り立ち、そこに旗をたてたり石を採取して解析したりと色々なことをやっている。

 結果としてわかるのは、地球上の1/6程度の重力と、大気も水も存在しないと言う状態、そしてそんな場で生命が育つはずがないと言う事実であり、同時にその場がとても清浄だと言うことくらいであった。これが現代において作り上げられた月の清浄さを支える概念。

 この二つの概念によって、月の清浄さは保たれていると言うことだ。

 

 ……現代、正確には近代まで、月の清浄さを保つのは古代の概念のみであった。そして、それだけで事足りた。何故なら月を汚すような概念は数少なく、同時に清浄さを保つような概念が数多く存在していたからだ。

 

 では、もしも。もしも現代の科学において、月の不浄さが新たに概念として付加されたのならばどうなるだろうか。

 簡単なことだ。概念はそもそも集合知。その集合知は現在まで続く物の方が当然強く、誰もが同じように当たり前のことだと思っているならば新旧の差はより顕著に現れる。特に現代の概念は、新たな発見や開発によって容易に引っくり返される。結果として広まっていた現代の概念は瞬く間に駆逐され、代わりに古代の概念と対立する『月は穢れている』と言う概念が生まれるわけだ。

 ……概念に影響が出た以上、幻想の月も今までと同じとは行く筈もない。月人の住む幻想の月に穢れが生まれ、月人も玉兎も定命の存在に成る。

 

 穢れた地上の存在などと言ってこちらを見下し続けた月人の絶望と焦燥は───それはそれは美味なことでしょうね。

 ああ、想像しただけでゾクゾクしてしまう。精神がほぼ擦りきれたような存在が、突然目の前に迫った絶望にかつての生々しさを取り戻す。味の想像では、とても淡白で薄い味から突然現れる膨大な味の奔流。突然現れる驚愕(酸味)。いきなりのことに何かをしなければいけないにも関わらず何もできないことから来る焦燥(渋み)。全く対策を見つけることができずに一方的に責められて起きる憤怒(辛味)。どうにかなるさと思考を放棄し、絶望から目を逸らして今に生きようとする無気力(薄甘味)

 

 ……ああ、早く味わいたいものですね。

 


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