だが、もしそれが分かってしまうならば、なんと恐ろしいことだろうか
生まれながらに定まった運命。生まれながらに与えられた宿命。自分というものを自覚した時から、その2つは私に大きくのしかかった。私が果たさねばならないその使命に、何度押しつぶされてしまいそうになったことだろうか。
(私は、どうして生きているんだろう)
なまじ才能が有ることが憎かった。いっそバカであったなら、こうして悩むことなどなかっただろう。自分という存在の歪さに、それを生み出してしまった人間の悪意に私は飲み込まれてしまいそうだった。
それでも、私は悪に堕ちることが出来なかった。すべてを投げ出すことが出来なかった。だって、その宿命こそが私の生きるたった一つの理由であったのだから。それを否定すると、自分を否定してしまいそうで。
『やった! ついにやったぞ!』
『ついにアイツが倒された! 奴の配下もだ!』
『これで戦争は終わる!』
だが、唐突にその宿命は終わりを告げた。魔王は討たれ、封じられた。その配下もまた同様に。私の宿命たる者も、無論含まれていた。大きな爪痕を残しながらも、人々は歓喜した。長き戦いに終止符が打たれたのだから。
ふざけるな。ならば私は、なんのために生み出されたというのか。これが、こんな結末が私に与えられた役割なのか。こんな、ただ人の都合のために生み出され、下らない幕引きのために生きてきたというのか。
『奴らを殺せ!』
『今まで散々やられてきたお返しだ!』
『奴らの首を吊るしあげるんだ!』
ただひとつ、私の溜飲を下げたのは戦争が終わらなかったことだ。欲や復讐に駆られたバカどもが暴走して、泥沼の戦いに突入した。ざまあみろと、内心で嘯いた。しかし、それは同時に私という存在が再び使われる理由にもなった。
『奴らを殺せ!』
『そのためにお前がいるんだ!』
『殺せ! 殺せ! 殺せ!』
初めての人殺し。相手は人間ではないと教えられていたが、そんなはずがないと私は知っていた。私のように送り込まれた者達は、どうやら知らなかったようで皆胃の内容物を吐き出していたが。機械のように、自分と同じ形のものを殺す日々。それが延々と続いていった。
『私は、どうして生まれたんだ……! こんな、こんなことのために私は生まれたんじゃない!』
捻れに捻れた今に至る原点、それを変えることができれば。それは即ち、過去への反逆であり、未来の否定だった。私にはそれができる頭脳も、実力も備わっていた。戦争のおかげで、必要なパーツや機材を手に入れることは簡単だったのも幸いだった。
『私は、今度こそ私の役目を果たす……もう、私にはそれしかない……』
それが、私を証明する最後の方法。スタートラインにすら立てなかった自らの存在意義を、この手で果たす。例えそれが、かつて与えられただけであったものであったとしても。最早、私はそれに縋るしかないほどに壊れてしまったのだから。
『待っていろ……私はお前を"超える者"だ……!』
『ふむ、ヘルマンが捕まったか』
『……どうするんだ。補充されるはずの幹部がまた一人消えてしまったぞ』
『その点に関しては問題ない。美姫が帰還し、フェイトを新たな幹部として格上げするからな。もう一人に関してはデュナミス、お前に任せるぞ』
『……
『そうだ。フェイトも幹部となる以上折り合いぐらいはつけられるようになってもらわねば困る』
『……分かった。確かに戦力としては十分だからな。少々問題児ではあるが、多少のことには目を瞑るほかあるまい』
『そういえば、アスナはどうだったの? 多分相当怒ってたんじゃない?』
『ああ。さすがに当初の計画がご破産になるようなことをなんでしたのかと聞いてきたな』
『……アスナ、ご立腹だった』
『それで、どうなされたのですか?』
『謝ったさ。さすがに私も少々手を早めすぎたと思ったしな。今回はアスナの言い分が正しい』
『お前が自分の非を認めるなど珍しいな』
『普段はこんな下手はうたんからな。どうも10年近く経っているせいで、堪え性がなくなってしまったらしい。反省せねばならん』
『……反省などという言葉が出てくるとは、気味が悪いな』
『……明日は槍が降るかも』
『ケケケ、言ワレタイ放題ジャネーカゴ主人』
『欲を出したのは私の方だ、柳宮霊子という怪物を打ち倒したことで少し突っ走りすぎたな。だが、お陰で現状のネギ・スプリングフィールドらの戦力諸々が分かったことはプラスだ』
『やはり、仲間とともに戦ってきただけあって互いをよくカバーしあっているな』
『逆ニ言ヤァ、オンブニダッコッテコトジャネーカヨ、ケケケ』
『まあ、そうとも言える。やはり、単体での戦力ではまだまだ成長途上といったところか』
『次はそこを突いてみるか。アスナを通じて指示を出しておくとしよう。それから、鈴音と私も直接見る必要があるか』
『何? お前たちまで動く必要性はないと思うが』
『気がかりなものが一つあってな。麻帆良学園の地下には、かつて使用されていたゲートが残っていると霊子から以前報告があっただろう? それがもし起動するとなれば面倒だ』
『え、でもそれって古すぎてもう使いものにならないんじゃなかったっけ? だから放っておくことにしたんじゃ』
『そのつもりだったんだがな。フランツが再調査を行ったところ修復された形跡があると報告してきてな』
『修復だと?』
『予想ではやはり、アルビレオがやっている可能性が高い。或いは、全く別の誰かかもしれんがな』
『オスティアと繋がってるんだっけ? 下手に
『ああ、だから私が直接行く。ゲートを完全に塞ぐならば私と鈴音が行くのが確実だからな』
『ですが、首領は
『侵入などせんよ。今回は正面から堂々と行く。丁度、学園の警備が甘くなる時期だ』
『警備が甘くなる?』
『時期?』
『ククク、麻帆良学園ではな、今の時期に学園祭を行うんだよ』
『祭りのようなものか』
『そうだ。規模も大きく、一般人も多く来場するお陰で紛れ込みやすい。実際トラブルも多いとアスナから聞いている』
『なるほど、それならば確かに魔法教師らだけでは手が足りんな』
『まあ、アスナのご機嫌取りも兼ねているといえるがな。三日間開催されるというし、アスナと見て回るのもいいかと思っている』
『……楽しそう』
『……鈴音。今回はあくまで計画の一部として行くんだ、お前も極力目立たないようにしてもらうぞ』
『……分かった』
終了のチャイムが鳴り、授業の終わりを告げる。昼の前ということだけあり、生徒たちは空腹に耐えながら待っていたこの終わりの瞬間を迎えて高揚していた。
「では、今日はここまでです。ちゃんと復習してくださいね」
『はーい!』
それは3-Aでも例外ではなく、授業の開始時はへにゃりとしていた彼女らは、急に元気を取り戻していた。4時限目の担当であり、クラスの担任でもあるネギが部屋を出ると、待ってましたとばかりに弁当を広げ、或いは食堂や購買に向かう。
「そういや、今日の先生はなんか元気なさげじゃなかった?」
「病み上がりだからじゃないかなぁ。先生、先週怪我で入院したんだし」
「そんなもんなのかなぁ……」
柿崎美砂の言葉に、明石裕奈はそう返すも、納得のいっていないかのような表情となる。1週間前、ネギが怪我で入院したとあってクラスは大騒ぎだった。急遽皆でお見舞いに行こうとしたが、安静第一だとして面会させてもらえなかった。
「正直大した怪我じゃなくてよかったと思うぞ、本当に」
「はい、先生がご無事でよかったと思います」
大川美姫がそう言い、絡繰茶々丸が相槌を返す。普段あまり接点を持とうとしないこの二人が会話に混ざってくるとは珍しいことだった。
「長谷川千雨、そこのところどうなんだ? お前も怪我をしたのだろう?」
「えっ、ああ、うん。先生が庇ってくれたお陰で軽症だったけど。あの日は雨が強かったし、ぬかるんでたから……」
「それで足を取られて階段からだっけ、本当に無事でよかったよ~」
同じく入院していた千雨によれば、雨でぬかるんでいたことで足を滑らせ、階段から落ちそうになったのをネギが庇ったという話だった。怪我の具合はそこまで酷くはなかったとのことで、今日から無事に学校に来ていたことに生徒たちは胸をなでおろした。
「先生……落ち込んでたですね……」
「うん……この前のこと、ずっと気にしてるみたい……」
「そうみたいアルね……」
一方、事情を知っているのどか達はネギの元気の無さを心配していた。魔法先生らのおかげでなんとか危機は脱せたが、あのままであったなら死んでいたかもしれないのだ。のどか達がしていたことといえば、捕まって見ていただけ。古菲の加勢でさえ、ほとんどなんの役にも立たなかったのだ。
「アイツ、全然歯がたたなかったアル……」
「仕方ないですよ、魔法について知っているかどうかで、実力に大きな差がつくのは当たり前って師匠も言ってましたし」
「けど、私悔しいアルよ。先生も、千雨も守れなかったアル……」
古菲が先日の一件を覚えているのは、古菲自らが記憶の処理を頑なに拒んだからだ。元々魔法とはなんの接点も持たないはずの彼女を、これ以上危険な目にあわせないようにと考えてのとこだったのだが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。
『忘れるなんてしたら、逃げ出すのと同じある。そんなの、師匠にも先生にも顔向けが出来ないアルよ!』
その頑固ぶりについには先生らも折れ、魔法関係者として扱うこととなったのだ。意外にも、高畑教諭が助け舟を出したのも大きかった。なぜ手助けをしてくれたのかを尋ねてみると。
『いやぁ、君を見てると昔の僕を思い出しちゃってね。僕はそれで後悔したからさ、せめて君にはそんな思いをしてほしくないんだ』
という言葉が返ってきた。そんな彼の好意を無駄にしたくはないが、現状自分一人での鍛錬では限界があるのは見えていた。
「……じゃあ、私が師匠に掛けあってみるですから、一緒に修行をしてみませんか?」
「い、いいアルか!? あ、でも私魔法とかよくわかんないアル……」
「大丈夫です、多分古菲さんは魔法の適性が低そうですから。その代わり、魔力や気での強化といった戦闘技術は覚えられそうですし。前にチンピラを相手した時、拳に気を込めてるのが見えたので」
「え、私そんなことしてたアルか?」
実際、古菲は無意識的に気を用いて拳に強化をしていることが時々あり、それを夕映も何度か目にしていた。本当に微量なせいで大した威力増強にはなっていなかったのだが、それだけ素質があるという証明でもあった。
「魔法使い相手では戦い方も学ぶ必要があるです。その点で言えば、師匠は最高峰の魔法使いですから、いい経験になるはずです」
「そうアルかー。じゃあ、私からもよろしくお願いするアル!」
そう言って、深々と頭を下げる古菲。夕映は慌てて頭をあげるように言うが、古菲は頼みをするのに頭を下げないのは礼を失するとして聞かない。武術に対して真摯であり、ストイックな彼女ならではであった。
「じゃ、じゃあそうと決まれば千雨さんも交えて話を……」
「あの、夕映? 千雨さんはさっき教室から出てっちゃったけど……」
「むぅ、タイミングが悪いです。じゃあ放課後に校門で待ち合わせとしましょうか」
そのまま、彼女らも食堂へ向かおうと足を運びだしたが、のどかだけが立ち止まったまま微動だにしない。
「…………」
「のどか?」
ボーっとしているのか、のどかは夕映の言葉にも反応しない。彼女の頬を指でつつくと、突然のことに驚き小さく悲鳴を漏らしてわちゃわちゃと動いた。
「も、もうゆえ~っ! なにするの!」
「いえ、呼んでも返事がなかったですから。何かあったですか?」
「う、ううん……そういうわけじゃないよ……」
具合でも悪いのかと思い尋ねてみたのだが、どうやらそうでもないらしい。華奢ではあるが健康的な生活をしているはずなので、大川美姫のような病弱でもない彼女が体調が悪くなるということは、実はそれほどなかったりする。
「じゃあ、お腹減ってないとかアルか?」
「そ、それも違うかな……」
「ハッ、むしろお腹が空きすぎて意識を失ってたアルか!?」
「それは古菲のほうではないですか?」
そんな他愛のない会話をしつつも、夕映はのどかの手をひいて食堂へと再び歩き出す。が、のどかは夕映の手を離してしまう。
「あ、あの夕映。私ちょっと用事があるから……」
「? 何かあるですか?」
「ご、ごめんね。先に行ってて……!」
「あっ、のどか!?」
のどかは用事があると告げ、駆け足で夕映達とは反対の方へ走って行ってしまった。
「なんやろか、用事って」
「まあ、個人的なことならあまり詮索しないほうがいいアルよ、うん」
「そうですね。じゃあ先に食堂に行ってましょうか」
「やぁ、先生」
千雨がそんな風にネギへと話しかける。いつもであれば、この二人で食事をとりに屋上へ、ということもよくあるのだが、今日はネギの様子がおかしかった。
「こんにちは」
普段であれば、顔をほころばせながら話を続けるというのに、形式張ったような余所余所しささえ感じられる挨拶を返す。まるで、千雨と関わりたくないかのように。
「おいおい、つれないじゃあないか。私と先生の仲だろう?」
「誰と誰の、仲だって言うんですか?」
辛辣なまでに、否定を返すネギ。その目には柔和さなどは欠片もなく、ひたすらに冷たさと鋭さが宿っている。
「クキキ、酷いじゃないか先生。私はあんたの生徒なんだぜ?」
「僕はそう思ってませんが。貴女は千雨さんにへばりついた寄生虫ですよ、氷雨」
「手厳しいことで。クキキ」
互いに睨み合う二人。人気のない廊下だったからよかったが、もしも誰かがここを通ればその剣呑な雰囲気に圧され泣き出してしまったかもしれない。それほどまでに、二人の放つものは刺々しいものだった。
ヘルマン襲撃から一週間、ネギは氷雨が千雨の体を乗っ取ったという事実に打ちひしがれ、しかしそれでもなお千雨が戻ってくると信じている。だが、氷雨はそれを嘲笑い、そんなことはありえないとネギを何度も挑発した。
ネギは『桜通りの幽霊』事件を起こし、修学旅行での倉和美及び長谷川千雨を乗っ取ろうとした氷雨に、一切心を許していない。そのため、必然的に会話は減っていった。
「ま、いいさ。私も久々に自由にできるからだが手に入ったんだ。暫くは大人しくしてやるよ」
「自由? 千雨さんの体でお前に好き勝手なんてさせるものか。お前がやったこと、僕はずっと忘れてないし絶対に許す気もない」
「それでいい、私も貴様と馴れ合うつもりなんてないんでねぇ。今までは長谷川千雨にとり憑いてたせいで流されるままだったが、今は違う」
ニヤニヤと、普段の千雨ならば絶対にしない、神経を逆なでするかのような笑みにネギは顔を顰めた。遊んでいるのだ、この『亡霊』は。
「で、私のことを他の奴らに言わなくていいのか?」
「……千雨さんのことはショックを受けるだろうけど、今日中には伝える。お前のことは警戒すべきだ」
そして、それを理由にネギは仲間たちから離れるつもりだ。千雨の死という大きすぎる喪失は、ネギに同じことが起きてしまうことを嫌でも思わされてしまった。これ以上、犠牲者が増える前に関わらせないほうがいいと思っていた。
記憶を消すつもりはない、かえって目の前の相手に利用されてしまう可能性があるからだ。そして、もう魔法とは距離をおかせたほうがいい。たとえ拒否されようと、それが一番安全であるはずだから。ネギの中で、それはもう決定事項であった。
「言っておくが、私をこの体から追いだそうなんて考えないことだ。今のコイツの体は、私の精神が入っていることで成り立ってるんだからな」
「……どういう意味だ」
「私が消えれば、コイツは植物人間になるか、最悪死ぬってことさ、クキキキキ!」
思いつく限りで最悪なことを告げられ、ネギの視線が更に鋭くなる。感じられるのは、氷雨に対する憎悪だ。
「じゃあな、せいぜい私の機嫌に気をつけておくことだ。クキキキキ!」
去っていく氷雨を、ネギはただその背を見送ることしか出来なかった。
「クキキ、傑作だったな。やはりこうでなくてはなぁ」
口角を上げ、氷雨は屋上への階段を登る。今は昼時であるため、いつもならばコートのある屋上には女生徒が大勢いるのだが、今日に限ってはそれは当てはまらない。彼女が人払いの結界をここに仕掛けているためだ。
「マスター、お昼をお持ちしました」
「ご苦労、茶々丸」
屋上で待機していた茶々丸から昼食のサンドイッチを受け取る。本来は大川美姫の補助を主として作成された彼女だが、その実態は氷雨という人格にこそ忠誠を誓う人形である。
今の美姫はそんな彼女を失った状態であるため、茶々丸にとってはあくまでその補助をするためという表の目的のためについて回っているだけである。
「私の元の体の調子はどうだ、茶々丸」
「はい、バイタルはいずれも良好な状態が続いております。マスターという人格が失われているため少々不安定ですが、お送り頂いた新しい薬が効いているようです」
「そうかそうか、そりゃよかった。私としても、あの
そう言って、潰した卵とハムを和えたものを挟んだサンドイッチを口に運ぶ。ようやく自由な体を手に入れられたとはいえ、ここ一週間は病院食が続いた。こういったものが食べられるのは、やはり氷雨にとって少なくない感動があった。
「ま、
氷雨にとって、ある種のアイデンティティでもあり、同時に自らの最も懸念すべき事項。それにとりあえずの問題がないことを確認し、次の一切れを手に取る。
「マスター、扉の向こうから熱反応を感知しました。大きさから推測して、恐らくは小柄な女性と思われます」
茶々丸が、自らの目に搭載された高機能サーモグラフィによって扉の向こう側に何らかの生物がいることを検知する。
「……クキキ、招き入れてやれ」
「よろしいのですか?」
「ああ、むしろ私が
氷雨の言葉を受け、茶々丸は扉の方へと赴き、ノブを回して開ける。果たして、その先にいたのは氷雨、もとい美姫のクラスメートでもある少女であった。
「ふむ、少し暗示が強かったか……?」
「恐らくは。彼女から反応が返ってきません」
「ダメだな、やはり私には魔法は扱いこなせん」
相手の少女が一人になっていた時、こっそりと魔法で暗示をかけたのだが、どうやら強くかかってしまったらしい。暗示などの深層心理に働きかける魔法は、強く掛けるよりも相手の無意識に働きかけられる程度の適度さが大切なのだ。
「まあいいか、私の専門は道具だからな」
指を弾くと、少女にかけられた暗示が解かれる。いきなり意識が覚醒したせいで呆然としているが、すぐに周囲をキョロキョロと見回し始めた。
「クキキ、ようこそ。宮崎のどか」
「えっ、あれっ!? 私、なんで……ここ、屋上……?」
少女、宮崎のどかはしどろもどろといった様子だ。無理もない、彼女の認識からすれば、授業が終わってからいきなり屋上にいたのだから。
「千雨、さん……」
「おいおい、私の事が分かっていないふりはよすんだ」
「……っ!」
ドキリと、のどかは心臓が締めあげられたかのように痛んだ気がした。
「お前は読心師だ、私のことがわからなかったなんて言い訳が通じるはずないよなぁ?」
「それ、は……」
そう、のどかだけは気づいていたのだ。今の人格は千雨ではなく、氷雨であることを。そして、それに気づいていながら気づいていないふりをしていたのだ。誰にもその事実をいうことなく。
「聞かせてくれないかな? どうして私のことを黙っていたのか」
「あ、え、う……」
「言えなかったのか。或いは、
のどかは、言葉を詰まらせてしまった。なにか言わなくちゃいけないのに、言葉が口から出てこようとしてくれない。心臓が速音を打ち、息が苦しくなる。
「気づいていないとでも思ったか? お前、私の見舞いに来た際に喜んでいただろう」
「そ、それは千雨さんが回復したことが嬉しくて」
「嘘を言うな」
のどかの言葉を遮り、氷雨は鋭く切り込んだ。そんなまやかしの言葉でこちらが騙されるかと、内心でほくそ笑みながら。
「お前は嬉しかったんだろう? 長谷川千雨ではなく
「そんなことありません!」
「じゃあ、なんでお前はあの時」
口元が笑っていたんだ?
「っ!? そんな、そんなことは……!」
「クキキキキ、成る程無意識だったわけか。だが、自分の本心をいくら隠そうとしても、それが態度に出てしまうことだってある」
ミシミシと、のどかの心が悲鳴を上げていく。やめろ、それ以上はやめてくれと必死に懇願していかのようだった。
「なんでお前は私だったことが嬉しかったのか。いや、発想を逆転させるべきだな。お前は私がいたことが嬉しかったんじゃない、長谷川千雨がいなかったことが嬉しかったんだろう?」
「やめて……」
「お前にとっては愛しいあの人といつも心を通わせていたもんなぁ? そりゃあ邪魔だろう」
「やめて……っ!」
大声で氷雨の言葉を遮る。それは氷雨の根拠の無い話を嫌ったからか。或いは。
「じゃあ、お前自身に聞いてみるのが手っ取り早くないかな?」
「え……」
「アーティファクト、あれは何も他人の心を読むだけのものじゃない。使用者だって対象にできる代物だ」
「…………」
スカートのポケットに手を入れ、中に入っているものを掴む。それは、無論彼女の仮契約カードであった。それを展開して、アーティファクトを取り出そうとするが、出来ない。自分の潔白を証明するならばアーティファクトを出し、自分の心を読むべきなのだろう。
だが、彼女は怖かった。自分という、一番分かっているはずなのに一番分かっていないものを見ることに怖気づいてしまった。
「なんだ、早く出して見せればいいじゃないか。それでお前は自分を知ることができるんだ。それでいいじゃないか?」
「あ、う……」
「全く、仕方ない」
そう言って、氷雨はのどかのスカートのポケットに手を突っ込み、彼女の仮契約カードを取り出した。
「あっ、返して!」
「クキキ、慌てるなよ。別にお前から取ろうってわけじゃない。ただ単に、お前が考えてることを読み取ってやろうと思うだけさ」
そんなバカな、とのどかは思った。仮契約とはいえ、アーティファクトは個人個人が契約の証として持つものであり、他人が使うなんてことはほぼ不可能なのだ。
「『
「え、嘘っ!?」
だが、氷雨はそれを実行してみせた。成功という形でだ。
「ふむふむ、やはり素晴らしいものだ。一度触ってみたかった」
そう言って、手の中でのどかのアーティファクト『いどの絵日記』を弄ぶ。ネギと自分とをつなぐそれを好き勝手にされるのは、のどかにとってはあまりいい気分ではない。
「私には生まれついての才能があってねぇ。魔法具やアーティファクトといったものが十全に扱えるのさ。いわば、特殊能力と言っていいかな?」
「特殊能力……」
柳宮霊子から、のどかは聞いたことがあった。特定のもの以外の魔法を完全に無効化してしまう『魔法無効化』能力。数は少ないが、他にも様々な能力を有する者が魔法世界にはいるという。
「付喪神やアニミズムなどに代表されるように、物質には魂が宿るとされる考え方がある。魔法人形などもこの類だな」
いどの絵日記を開き、なんとなしにペラペラとめくる氷雨。すると、本に薄っすらと文字が浮かび上がってきたではないか。
「道具も同じだ、魔法で作成されたものや長年使われたものあれば魂が宿っている。魂の格が低すぎて誰も見ることは出来んがな。私はな、そういった道具の『声』が聞けるんだよ。そしてそいつらに頼み込んで、どうやって使えばいいのかを感覚的に理解し、それを実行してしまえるのさ」
「そんな……」
もしそれが本当のことだとすれば、彼女はこの世のありとあらゆる魔法具を扱えることになる。どれだけ頑強なロックがかかっていたとしても、彼女であればそれらを無視してしまえるのだ。
「加えて、私はあの御方から直々に鍛えられたこともあって道具の作成や改造に関しては自信があってねぇ。お陰で科学で生み出されたものでも問題なく使いこなせる」
図書館島の地下のセキュリティシステムを改造し、設定できたのもそれが理由だ。戦闘能力は低いが、道具を扱わせれば組織でも右に出るものがいない。加えて幾つもの強力な魔法具を生み出し、組織に貢献したことによって彼女は幹部へと至ったのだ。
「クキキ、まあ私が使っても疑われるだけだ。自分の心ぐらい、自分で覗くんだな」
そう言って、彼女はいどの絵日記を閉じて無造作にのどかへと放る。のどかはそれを慌てて受け止めた。
(私が……思っていたこと……)
この本を開けば、それが分かる。こうして手渡されてしまった以上、このまま逃げるのは自分が千雨がいなくなったことを喜んでいるということの証明になってしまう。そうなれば、彼女は喜々として皆にそれを教えるだろう。
(それだけは嫌……そうなったら私、ゆえにも、このかにも……先生にも……!)
気づけば、本を握る手が強張り、指先が震えていた。それでも、意を決して彼女は本を開いた。
「……え」
そこに書かれていたのは、支離滅裂に書かれた何か。真っ黒なインクをぶちまけたかのような文字の洪水は、のどかの意識を一瞬だけ空白にした。
「クキキ、お前はもう
瞬間。いどの絵日記から文字がのどかへと溢れだした。叫ぶ暇もなく、彼女は一瞬で文字の波を顔に受けた。やがて、文字の奔流が止まると、のどかはパタリとその場に倒れてしまった。
「クキキキキ、思った通りになったな」
久々に行った策略が自分の思い通りに行ったことが嬉しかったのか、氷雨は喜悦の表情を浮かべる。
「まあ、こんな簡単に引っかかってくれるとはな」
のどかに暗示をかけたのは、彼女が見舞いにやってきた時。つまり、彼女が氷雨に気づいていながら誰にも喋らなかったのは氷雨の暗示によって操られていたからであった。千雨の生き死にに対するのどかの感情などというのは、彼女を追い詰めるための方便だ。
「人の心は案外強固なものだ、暗示程度で操れるほどやわじゃない。宮崎のどかは気弱な部類ではあるが、それでもここぞという時の意志の強さは眼を見張るものがある」
氷雨は、大した相手ではないと舐めてかかったせいでネギ達に手痛い目に合わされてきた。千雨とともになってからは、ネギ達がフェイトや柳宮霊子という格上相手でも奮戦してみせる姿を見てきている。だからこそ、彼女はそれにどう対抗すべきか考え続けた。
「前は私が体を乗っ取った形で操っていたから、魔法具を無効化する魔法具で対抗された。なら、自分の意志で戦わせるように仕組んでやればいい。クキキ」
「マスター、本当に彼女を使う気ですか?」
「戦力にならないだろうって? 戦闘面ならそうだろう、だがこいつの読心師としての才覚は眼を見張るものがある。さすがに今回の私のように相手の深層意識まで犯すというのは無理だが、それ以外でもいくらでも使い道がある」
先ほどのどかにかけたものは、いどの絵日記が持つ隠れた能力、読心対象者の心を操るというものだった。本来なら表には顕在化しないはずのそれを、氷雨は声で聞き取り、行使したのだ。その能力とは、読心の真逆、相手の心に働きかけ、上書きするといったもの。
「まったく、とんだ手間がかかったぞ。相手の心が弱った時にしか使えないとはな」
のどかを追い詰めた理由はそれだった。相手の心が弱まり、いどの絵日記の能力を発動させて相手に読ませるという発動条件を満たすために、彼女は一週間も前からのどかへ暗示をかけて、罪悪感という重しでじわじわと弱らせていったのである。
「だが、その分効果は強力だ。並の魔法具ではコイツは打ち破れんよ」
これで、使える手駒は手に入った。ネギが最も信頼しているのは千雨だが、他の仲間を信用していないというわけではない。むしろ、彼にとっては千雨が特別心を許せる相手なだけで、他の者達に対する信頼も高いのだ。
「クキキ、これで作戦通り切り崩しにかかれるというものだ」
「ネギ先生を孤立させろ、との指示ですね」
そう。今回氷雨がこうして動いている理由は、アスナから経由して渡された次なる指示があったから。それは、『ネギ・スプリングフィールド』を孤立させろというものだ。それは、氷雨に対してチャンスを与えてくれたということでもある。
「そうだ、やはりあの人は私を見捨ててなどいなかった! 私にこうして挽回のチャンスを与えてくださったのだから!」
「はい、私も喜ばしく思いますマスター」
「お前にも存分に働いてもらうぞ。さて、次はどうやっていくかなぁ」
茶々丸は、そんなマスターの姿を見て笑みを浮かべた。彼女にとっては氷雨こそが正当な主人であり、久々にこうしてはしゃいでいる姿を見れて嬉しかった。
(マスター、私はあなたのために尽くしましょう。貴女のためならば、私はいくらでもこの身を惜しみません)
あの日、彼女の下僕となった日から。彼女の忠誠は微塵もゆらぎはしない。例え主人が、悪の道をひた走ろうとも。彼女は決して主人に逆らうことなくついていく。
――『茶々丸、そうだお前の名前は絡繰茶々丸でどうだ?』
――『クキキ、安心しろ。私はお前を手放さないよ。私にとって、お前は家族なんだから』
正しくはないだろう、下僕でも主人に忠言をすべきなのだろう。だが、彼女はそれをしない。彼女は、主人の思うままにさせてあげたいのだ。どれだけ間違っていることであったとしても、主人とともにどこまでも堕ちていく。
「ああ、奴の苦痛に歪む顔が早く見たいもんだ……!」
そして、そんな忠誠を向けられ、高揚気味に語る氷雨の目は、ドロドロと盲目的に濁っていた。