二人の鬼   作:子藤貝

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仕組まれた盤面で、役者は踊る。
舞台上で心を昂ぶらせるのは悪魔か、それとも。


第五十六話 高揚

闇夜の雨。その中を駆ける一筋の漆黒があった。時折街灯の明かりに照らされるその姿だが、雨粒に街灯の明かりは大きく遮られ、ただその影をよりくっきりと浮かび上がらせるに留まる。

 

「急がなくては……!」

 

その影、長瀬楓より漏れでたのは、僅かな呟きと吐息。その色は焦りに満ち満ちており、急いでいることがありありと分かる。

 

彼女がこうも焦りを見せている理由は、彼女の故郷から送られてきた手紙によるものだった。ネギ・スプリングフィールドとの接触を禁じるというその内容は、雇用主相手であろうと、必要とあればその内部情報を要求する彼ららしからぬ命令である。

 

これは即ち、今現在麻帆良の中心的な事情であるネギを暗喩とし、遠回しに契約主である麻帆良学園側の事情に首を突っ込むなという意味合いでもあった。

 

(馬鹿な……この不安定な情勢で麻帆良学園と距離を置けというでござるか……!)

 

東西の不和がようやく解けようとしてはいるものの、その溝は深く大きく隔たっている。故に、未だ東西の結びに反対する勢力は多く水面下で小競り合いが起きているのだ。情報を第一として慎重に事を進める同僚たちとは思えない、あまりにも突然な動き。

 

(一体里に何があったのでござるか……!?)

 

下手をすれば、里は麻帆良との契約を打ち切る可能性がある。そうなれば、最早麻帆良へ害意を持つ存在を監視する者がいなくなってしまう。この不安定な情勢でそんなことになれば麻帆良は今以上に危険にさらされるだろう。

 

いや、むしろそれ以上の(・・・・・)脅威(・・)を楓は知っている。

 

(彼奴らに、付け込まれる隙を与えかねん……!)

 

既に麻帆良には幹部級の者が紛れ込んでいたことは知っているし、その上をいく大幹部がやってきたことがあることを、楓はネギから聞いていた。つまり、現状では幹部格の実力者でなければ麻帆良には入り込まれないということだ。

 

だが、その現状が崩壊してしまえば。魔法世界(ムンドゥス・マギクス)全体という、途方も無い規模を恐怖させる大組織が、その尖兵を送り込んできたときにどうなるか分かったものではない。

 

(とにかく、一刻も早く里の中忍たちに事情を聞かなくては!)

 

何故、同じ中忍である自分に連絡もなく独断で決めたというのかを聞かなくてはならない。そして、なんとしても麻帆良との契約を断つという最悪を回避せねばならない。

 

幸いにも、雨がある程度の音と匂いをシャットアウトし、視界も悪くしてくれているおかげで発見されないまま麻帆良の外に出られそうであった。尤も、その雨によって今現在ネギ達へ襲撃をかける者がいることにも気づかぬままであった。

 

「……む?」

 

もう少しで麻帆良の外に出るといったところで、前方に何者かがいることに気づく。巡回をしている魔法先生かと思い、どう対処すべきかと足を止める。

 

「……ッ、……から……!」

 

「……メだ……ない……」

 

(言い争い? 一方はガンドルフィーニ先生でござろうか。しかしもう一方の声、どこかで……)

 

近くの林に隠れ、耳を澄ませてみると僅かだが声が聞こえてくる。どうやら言い争いのような状況らしく、その一方がガンドルフィーニであると推測する。そしてもう一方、少年らしい少し高い声にどこか既視感を覚える楓。そっと、耳を澄ませて声を聞き取ることに集中する。

 

「だから、既に一般の人間が入れる時間ではないんだ! どうしてもというなら明日また来てくれ!」

 

「せやかて、急いどるんや!」

 

一方のそれなりに年齢を重ねたと思しき男性の声は、楓が睨んだ通りガンドルフィーニだった。

 

そしてもう一方は。

 

(まさか、犬上小太郎……?)

 

関西で共闘した犬上小太郎であった。しかし、彼が何故ここにいるのか。

 

「ここの、えーとがく、えんちょう? ちゅう奴に会いたいんや!」

 

「成る程、学園長殿に用事があるのか。しかし、こちらにも規則があるんだ。明日、また日を改めて来て貰いたい。夜は危険だからね」

 

「あーもう頑固なおっちゃんやなぁ!」

 

どうやら、学園長に用事があってきているらしい。楓の予想するに、関西からの使いである可能性が高い。

 

(ふむ、身分を隠して学園長に接触しようとしているようでござるな……)

 

閉園時間では、一般人の立ち入りは余程の例外がなければ出来ない。ならば関西呪術協会所属であることを伝えればいいかもしれないが、関西とは修学旅行で色々とあったばかり。和解を進めているとはいえ、下手に素性を明かしても警戒されるだけだろう。

 

「ガンドルフィーニ先生、その子を通してやって欲しいでござる」

 

「む、君は2-Aの……」

 

何か急ぎのようであるならば、十代な話である可能性も十分に考えられる。ならば助け舟を出してやるべきだと思い、楓は姿を晒した。一方、ガンドルフィーニは楓の突然の登場に少し驚きつつも警戒を解かない。

 

(流石でござるな、突然の状況にも落ち着いておられる)

 

ベテランの魔法使いであるガンドルフィーニの対応に内心で楓は感心しつつ、小太郎のことを説明し始める。

 

「ガンドルフィーニ先生、彼は関西呪術協会の者でござる」

 

「んなぁっ!?」

 

「何?」

 

現在別行動中だが、なるべく穏便に済ませるべきだと千草から言われたため素性を話さなかった小太郎だったが、まさかの人物から正体がバレて焦りを見せる。一方のガンドルフィーニは、楓の言葉に怪訝な表情となった。

 

「つまり彼は西側の人間か……」

 

「あいや待たれよ先生、彼が信用できる人物であることは拙者が保証するでござるよ」

 

疑いの目を向けそうになるガンドルフィーニへ、誤解をしないようフォローを入れる楓。

 

「彼は西で起こった事件の際、拙者達とともに戦ってくれた戦友。加えて今は西の長殿の元で働いていたはず。こうしてここに来たのも、長殿から何か用事を頼まれたのかもしれないでござる」

 

「む、君が信用できる、とまで言う相手か」

 

楓の出身である里については、魔法先生たちの内何人かが把握している。ガンドルフィーニもその一人であり、信用できる実力者として評価していた。加えて、彼女も西での一件に関わった一人なこともあり、直接共闘した人物となれば十分信用してもよさそうだと彼は判断した。

 

「分かった。君の言葉を信じて、学園長のところまで案内しよう。ただ、それまでは私が監視としてついていかせてもらう」

 

「かまわんわ。その方が俺も安心できるし」

 

(……ふむ、どうやらただの子供というわけではないらしい)

 

安心できる、ということはつまり他の先生や学園長に出会った際に説明に困らないということ。ここで通してもらい大丈夫だと考えない辺り、それなりに場数を踏んでいると彼は睨んだ。

 

「……そういえば、君はこんな雨の中どうしてここに」

 

ふと、楓が何故こんな場所にいるのか気になり、尋ねようと彼女の方へと振り返ってみると。

 

「む? 楓君?」

 

いつの間にか、姿を消していた。

 

 

 

 

 

「一つ気になっていたんだけど」

 

「何かね?」

 

ネギ・スプリングフィールド達を待つ二人の内、フェイトがもう一方のヘルマンへと質問を投げかける。

 

「君は何故、未熟な相手にそこまで執着するんだい?」

 

彼が封印される数年前まで、フェイトはヘルマンと共に仕事に従事することが多かった。互いの関係が良好であることと、フェイトに実践を経験させる意味合いでだった。フェイトは、その最中にヘルマンが未熟な相手であろうと全力を以って戦う姿が不思議であった。

 

「ふむ、何故そう思うのかね?」

 

「君は油断というものを滅多にしない。相手がどれほど矮小だろうと、常に全力で牙を剥いていた。だが、よくよく見れば君が相手をしたがるのは実力的にも未熟な若者ばかり。はなから弱小な存在を狙っているように見えた」

 

この抜目のない悪魔は、油断や隙といったものを滅多に見せない。フェイトが知る限りは、数年前の失態ぐらいだ。ならば、その油断を招いた原因は彼のその不可思議な行動にこそある気がしたのだ。

 

「それが君の封印された原因に繋がっている気がしてね、そこのところどうなんだい?」

 

「ああ、あの忌々しい封魔師に封じられた時の話か。確かに、あれは私の悪い癖が出てしまった典型例とも言えるな」

 

「悪い癖、かい?」

 

フェイトが反芻するようにヘルマンの言葉を零す。ヘルマンは無言で首を縦に振ると、話を続けた。

 

「私は昔から情熱というものを抱くことがなかった。ああ、別段私は無感動というわけではない。普通に喜怒哀楽を表すのは君とて知っているし、娯楽を楽しむ程度のものはあるさ。ただ、こう心を燃やし尽くすかのようなものが無かった」

 

ヘルマンは、少しずつ自分の過去を語りだした。悪魔として長く生きてきたが、自分を心底楽しませるものがどうしても見つからなかった。戦いも、賭け事も、舌戦も、淫蕩さえ。とにかく、彼の心には情熱がポッカリと欠け落ちてしまっていた。

 

ある時、仕事で一人の女を手に掛けた。女は母親であり、息子は彼を心底憎んだ。それから十数年が経ち、少年は再び彼の前へと現れた。

 

「初めてだった、私があれほど全力で叩き潰してやりたいと思った相手は」

 

以来彼は、若く才能溢れる相手と戦い続けた。また自分を燃えさせてくれる相手を探して。そして、彼は再びそれに巡り会えた。『赤き翼(アラルブラ)』の当時ルーキーであった少年二人である。

 

「今までで、一番私を燃えさせてくれた相手だった。才能もそうだが、なによりその不屈の意志は気絶してなお私という敵に立ち向かおうと体を動かしていた」

 

そして理解したのだ、ヘルマンは自分が求めていたものを。それは自分の枯れ果てたと思っていた情熱にさえ火をつける、燃え盛るような闘志。そんなものをもっているのは、確かに若者ぐらいのものだろう。

 

「だからつい、私は将来有望そうな若者を見ると感情が昂ぶってしまうんだ。お陰で、その油断を突かれて封じられてしまったがね。治そうにも、どうもこの悪癖だけは治らなくてね」

 

「…………」

 

フェイトは、ヘルマンの言葉に少しだけ共感を覚えていた。自分もまた、生み出された人形。本来であれば感情はあれど感動は抱けない、そう思っていたこともあった。

 

「それが、君にとっての譲れないものなんだね」

 

「そうだ。そして君もまた、それを獲得するに至ったようだねフェイト」

 

「……まあ、そうだね」

 

自分を(・・・)ここまで(・・・・)変えたもの(・・・・・)、それがフェイトにとってどれだけ大切なものなのかを、彼は改めて再確認した。

 

【……今、そちらに向かっタ】

 

「さて、そろそろか」

 

放ったスライムの内すらむぃとあめ子は捕獲を任せたが、ぷりんはネギ・スプリングフィールドの動向を監視させていた。万が一魔法先生らに接触しようとした場合に備えてである。

 

「約束通り、先手は君に譲る。まあ、君が相手になる時点で勝ち目なんてないだろうけど」

 

「ハハ、また随分とプレッシャーをかけてくれる。私も復活したばかりなのだがね」

 

しかし、そういうヘルマンの顔には、不敵な笑みが浮かべられていた。

 

「しかしこのまま戦うのも面白いが……ここは少し、趣向を凝らそうか」

 

 

 

 

杖にまたがり、雨の中を突っ切ってネギ達はやってきた。濡れるのも気にせず、まっすぐにこちらへと向かってやってきている。後ろには、千雨も一緒のようだ。そして、それを走りながら追いかける影がもう一つ。神楽坂アスナである。

 

「準備は整えてきたかね?」

 

「心配されるまでもありませんよ」

 

広場へと降り立ち、互いに向き合うネギ。少し遅れて、アスナも広場へと到着した。

 

「しかし、女性を走らせるのはいささか紳士さに欠けると思うが」

 

牽制とばかりに、そんな挑発を投げてくるヘルマン。ネギは少し苦い顔になると。

 

「……アスナさんが遠慮されただけです。女性の意志を尊重するのも紳士たるものでは?」

 

「ふむ、確かにそうだな」

 

一方のアスナは。

 

(アイツ……絶対わざと言ってやがるわね……)

 

アスナは『魔法無効化(マジック・キャンセル)』能力を持っているため、ネギの杖に乗っても飛ぶことが出来ない。そのため乗ることを断ったのだが。そんな事情を知らないネギ達には、別の意味で捉えられた可能性が高い。

 

(暗に重いから断ったなんて思われただろうな。ハハハ)

 

(思い出さないようにしてたのに……屈辱だわ……!)

 

なお、こういったヘルマンの意地の悪い言葉はこれが初めてではない。ヘルマンが封印される前は、こうしてからかわれることは結構あったのだ。そういった過去の鬱憤もあり、アスナの怒りはかなり高まってきている。

 

「やるならさっさと始めようぜ、てめぇらの遊びに付き合わされるのは癪だがよ」

 

「血気盛んなのはいいが、私は別に全員でかかってこいと言っているわけではないよ」

 

「……どういうことだ」

 

「ネギ君、私とは君一人で戦ってもらいたい」

 

それは、ともすれば死刑宣告に等しかった。今回の相手は、今までのように殺さない程度に仕掛けてくるのではなく、文字通り殺しにかかってくるのだ。如何ともし難い実力差をこれまで埋めることが出来たのは、相手の油断や手加減、そして集団で相手をしたことが大きい。

 

「オイふざけんなっ、てめぇらと私らでどれだけ実力差があると思って……!」

 

だが、ヘルマンはタイマンでの勝負を要求してきた。誰の手助けも借りられず、圧倒的優位の戦闘狂を一人で相手にしなければならない。そんな要求、通す訳にはいかないと千雨は抗議の言葉を放とうとするが。

 

「言ったはずだよ、この程度も生き残れないなら君たちに価値はないって」

 

「っ……!」

 

改めて、生殺与奪の権利が向こうにあるのだと認識し歯噛みする千雨。むしろ相手が合わせてくれているこの状況こそ、マシな方なのだ。ようは、勝てさえすればいい。それが全てである。が、その勝ちを拾うのがどれだけ難しいか、千雨はいやというほど理解していた。

 

「まあ、待っている間は退屈だろうから」

 

そう言うとフェイトはゆっくりと前へと歩み出る。

 

「代わりに僕が君たちの相手をしよう」

 

フェイトの言葉に、顔を引き攣らせる千雨。相手は、修学旅行で戦った際圧倒された人物。まともに当てられた攻撃はネギの拳一発分だけである。こちらも勝ちの目は零に近い。

 

(なんで、私まで……)

 

一方でアスナはショックを受けていた。本来情報が来るべき自分に計画のことが知らされず、更に抹殺対象に何故か自分まで含まれている。普通であれば不信感を抱いてもおかしくない。

 

(……いえ、それだけは絶対にないわ)

 

しかし、アスナはそんな考えを心の中で全力で否定する。

 

(あの人が私を裏切るなんてことは絶対にない。もしそうだったとしても、私は絶対にあの人を裏切りたくない……)

 

アスナにとってのエヴァンジェリンは、自分を必要としてくれる最も大切な人である。もし裏切られるのだとしても、それはエヴァンジェリンにとって必要なことだからそうするのだとアスナは考える。アスナに、エヴァンジェリンを裏切るという選択肢ははなから存在しないのだ。

 

(考えなさい私、あの人は必要のないことをわざわざ組み込むようなことはしない。なら、これは私に与えられた試練と受け取るべきね……)

 

睡眠ガスによる肉体的弱体化は著しい。恐らく後2時間はこのままだろう。つまり、ここから導き出される結論は。

 

(なるほど、マスターは私の慢心を見抜いていたんだ)

 

慢心を正させるよう、あえてこんなことをしたのだと彼女は理解し、笑みを零す。やはり、自分は裏切られてなどいない。必要とされているのだと実感し、多幸感に包まれる。

 

(分かりましたマスター、私は絶対に貴女の試練に打ち勝ってみせます……!)

 

なお、アスナを横目で見ていた千雨はというと。

 

(そりゃそうだよな、神楽坂は一般人……前の鬼蜘蛛の時はケロッとしてたから大丈夫だと思って連れて来ちまったけど、普通なら怖くて震えるよな……)

 

俯いて震えているアスナを見て、全く見当外れな思いを抱いていたのだった。

 

 

 

 

 

『……マスター、なぜアスナを巻き込む?』

 

魔法世界。鈴音はエヴァンジェリンにアスナのことについて尋ねていた。その顔は、いつもの無表情とは少しだけ異なりどこか機嫌が悪そうに見えた。

 

『どうした鈴音、不満気だな』

 

『……アスナは私の親友……なぜ』

 

なぜ、親友でもありエヴァンジェリンの従者でもある彼女にあんな仕打ちをするのか。それが彼女にはわからなかった。

 

『……アスナは、少々私に依存しすぎているきらいがある』

 

『……依存?』

 

『あいつは、少々盲目的すぎる』

 

ドゥナミスに、たまには手伝えと寄越された資料を眺めながら鈴音の質問に答える。

 

『……? ……けど、マスターを信頼していることには変わりない』

 

『いいや、確かに信頼も多大にあるだろうが……あいつは必要とされたいという気持ちが強い。それによって私という存在を自分の心に縛り付けているように思える』

 

『……それの、どこがダメなの?』

 

一段落がついたのか、彼女は書類を放り投げて溜息をつく。アスナと鈴音は性質的な部分が似ている。どちらもエヴァンジェリンに心を救われ、離れたくないと思っている。好意を向けられるのは嬉しいが、少し自立して欲しいとも思う。

 

尤も、アスナの場合は元々だが、鈴音の場合は日本へ休暇に行って帰ってきてからその傾向が強くなっていた。恐らく、例の妹との別れによるものだろうとエヴァンジェリンは考えている。事実、修学旅行時の作戦を終えた以降は、鈴音も区切りがついたのか、かなり依存が減っていた。

 

『精神的に言えば、まだ未熟な部分があるということだ。特に私に関することでは冷静さを欠くことも多い。だが、それでは駄目だ』

 

『……学園の件も?』

 

『ああ。あいつを学園に行かせたのは仕事の意味もあるが、むしろ私から離れてもやっていけるようにするという意味が大きかった』

 

『……でも、ダメだった?』

 

『霊子とネギ・スプリングフィールドの戦い。あれは本来であれば起こらなかったことだ。手引をしたのはアスナ、恐らく私との契約を破ったことに対して怒ったのだろう』

 

『……下手をすれば、バレていた』

 

あまりにも行動が軽率に過ぎた。アスナがうまく誘導したことにより霊子の目論見は見事に破綻したが、魔法先生らは学園内への監視の目を強くしてしまった。だからアスナを今回の作戦に巻き込んだのだ。アスナへ疑いの目が向かないようにするために。

 

『そうだな、アスナの演技力(・・・)は並ではないからうまく誤魔化せたが、次がないとも限らない』

 

『……おしおき?』

 

『分かってるじゃないか。少々灸をすえる意味合いもあるということだ』

 

そう言って、いじめっ子のような意地の悪い笑みを浮かべる。元々こういういじめっこ気質なところがエヴァンジェリンにあるのを鈴音は再認識し、内心でアスナを少し気の毒に思った。

 

『……けど、アスナは理解する?』

 

『できればそれでよし、できなければアイツの事だ、凹んで暫くは大人しくするだろうさ』

 

『……けど……裏切られたと思われるんじゃ』

 

もしもエヴァンジェリンや自分を不審に思い、敵対するような事になれば。そう思うと、鈴音は心臓が縮み上がるように錯覚した。そんな彼女を安心させるため、エヴァンジェリンは彼女の頭を撫でながら反論する。

 

『それはない。言ったはずだ鈴音、アスナは私に依存しているんだよ。どれだけ不信の芽を植えようとしても彼女は私を無条件で信じてしまう』

 

『……そう、ですか……よかった……』

 

『まあ、私としてはそこが一番問題なわけだが。本当の意味で信頼に変えられるようにしてもらいたいんだがな……』

 

『……私は、それでもいいと思う。……一人ぐらい、表も裏もなく信じられる人が……』

 

『私もそう思うさ。だが、それは一方的じゃ意味が無い。盲目的じゃダメなんだよ』

 

『……難しい』

 

『いいさ、別に。少しずつ進んでいこうじゃないか。時間ならいくらだってあるんだ、化物だって成長する権利ぐらいはある』

 

その言葉は、今この場にはいないもう一人の愛しい者にも向けられた言葉であった。

 

 

 

 

 

じりじりと、膠着状態に入ったフェイトと千雨、アスナ達。それを横目に、ヘルマンは顎鬚を二、三度触った後。

 

「さて、邪魔もはいらない確約が出来たことだし早速始めるかね?」

 

そんなことを言う。どうにも、早く始めたくてウズウズしているように見えた。

 

「……一つ、聞かせて下さい」

 

「何かね」

 

「……さっきの言葉の真意を、教えてください」

 

ヘルマンが去り際に告げた言葉、それはネギにとってはある種の原点とも言えるものに関わる内容。

 

『あの雪の夜からどれだけ成長しているか、楽しみに待っているよ』

 

「どうして貴方は、あの日の(・・・・)夜のことを(・・・・・)知って(・・・)いるんですか(・・・・・・)?」

 

あの襲撃の夜は、公式的には存在していない。何故なら、精鋭の魔法使いで構成された住民たちが一夜にして滅ぼされた事件など、余計な混乱を招きかねないからだ。それが魔法使いの根拠地ではない旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)ならばなおのこと。

 

事件は大きく公表されることもなく、調査がされることもなかった。いや、正確には調査をしようとしたら圧力を魔法世界側からかけられたのだ。おかげで、事件の首謀者が何者なのかも未だ不明となっている。

 

「答えてください、貴方は何を知ってるんですか」

 

ネギも事件の真相を知りたくて、色々と調べていた。しかし、子供であるネギでは情報封鎖がされている事件を探るのは難しい。魔法学院長であるグラディスから大学への飛び級を言い渡されたのは、彼にとってまさに渡りに船だった。

 

だが、それでも手に入った情報も極わずか。結局わかったのは、魔法世界からの圧力から考えてそちらの政治がらみであろうという予測と、当日に魔法世界と旧世界をつなぐゲートが使用された痕跡があったということぐらいだ。

 

「……どうだったかね?」

 

「えっ」

 

「君の言うその日は、どんな気分だったかと聞いている」

 

予想外の問いかけに、ネギは困惑する。事件の核心に迫れると思っていたが、返ってきたのは気分がどうだったかという突拍子もない質問なのだ。ネギは、少しばかり怒りを覚えた。

 

「ふ、ふざけないでください! 質問しているのはこっちです!」

 

「ハハハ、そうだな。つい聞いてみたくなってしまったんだ。さて、先ほどの質問だが……」

 

ヘルマンは少しの間、顎鬚をまた手で弄ぶと。

 

「もし私が犯人を知っていると言ったらどうするかね?」

 

ネギが求めていた答えの、ストレートど真ん中を突く発言が飛び出てきた。

 

「っ! 誰ですか、その犯人は!」

 

「知りたいかね? しかしなぁ、ただ情報を開示するのもつまらないと思わないかね?」

 

「っ! いいから言えっ! 誰だ、誰があんな真似をしたんだっ! 言えッ!」

 

ヘルマンのもったいぶったかの言い方に、ついに苛立ちから、ネギの口調が荒くなる。今までにない、鬼気迫るかのような激変ぶりに、千雨や人質となっているのどか達は唖然とする。

 

(あんなに怒ってるせんせー、初めて見る……)

 

(おいおい、氷雨と戦った時や、修学旅行で魔力暴走起こしてた時以上じゃねぇか……?)

 

普段、敬語は崩さず礼儀正しいネギがああも荒れた言葉を使うことに、とても驚いていた。千雨など、雨で体が冷えているというのに額を生温かな汗が流れるような感覚があった。

 

「おお、すまない。君がそれほど執着していることとは思わなかったからな」

 

「分かって言ってるんだろう、御託はいいからさっさと吐けッ!」

 

ネギが何か目的があって魔法使いを目指していることは、ネギと初めて互いの内を話した際に聞いている。しかし、それが何なのかまでは知らされていない。事件、というワードから何らかのことがあったことまでは分かるが、それ以外はまるで分からない。

 

ただ、ネギから感じられる敵意、殺意、憎悪。そしてそれらを隠すことなくぶちまけるネギを見て、ただ事ではないのだろうということは分かった。

 

(一体なんなんだ、あそこまで先生を執着させるものは……!?)

 

しかし何よりも感じられるのは、恐ろしいまでの執念。外聞さえ気にしないむき出しの感情。あれほどの執着を見せる事件とは一体何だというのか。

 

「村を襲った奴は、どこにいるッ!?」

 

「……ふむ、まあいいだろう。犯人なら、私もよーく知っているよ」

 

「……!」

 

「そしてその犯人が……」

 

私だとすればどうするかね?

 

「は……?」

 

ヘルマンの言葉に、ネギは頭から冷水を浴びせられたかのようにその感情を消沈させる。

 

「ハハハ、随分キョトンしてしまったね。まあ、君の執着する存在が今目の前にいるなんて思いもしなかったのかな?」

 

「……誤魔化しているわけでは、ないですよね?」

 

「疑り深いな。では、これでどうかね」

 

そう言って、彼は帽子をゆっくりと脱ぐ。その一動作で顔が隠れ、そして再び顕となった時。

 

「…………」

 

この顔に(・・・・)見覚えは(・・・・)ないかね(・・・・)少年(・・)?」

 

先程までの人の顔はどこにもなく。

 

異形の(おもて)がそこにあった。

 

「お、まえは……」

 

「左様。私はあの時、君の村を襲った悪魔を指揮していた者だよ」

 

捻れた二本の角が側頭部からシンメトリーに生え広がり、瞳のない白目だけの目はまるでガラス球のよう。口元は大きく裂け、鋭い歯が見え隠れしている。それは、まさしくヘルマンの悪魔としての素顔であった。

 

そしてネギの頭から離れることのなかった、悪夢の象徴でもあった。

 

「で、も……あいつはスタンお爺ちゃんが……」

 

「ああ、あの忌々しい老魔法使いに封じられたよ。しかし、所詮封印は封印だ。解かれればまた活動することだって可能だろう?」

 

雨音が、一瞬だけ酷く大きな雑音となる。それ以外の音が置いてきぼりになったかのようで、僅かな呼吸音さえ掻き消えていく。

 

「……けた」

 

「うん?」

 

「やっと、見つけたぞ……皆の、仇……!」

 

静寂を破ったのは、ネギの言葉。静かに、しかし確かに聞こえてくる彼の言葉は、周囲の全員を釘付けにする。体を震わせ、歯をむき出しにした彼の形相は、気の弱いのどかを、いやそれ以外の女生徒たちさえも震え上がらせる。

 

ネギが浮かべていた表情は普段の礼儀正しい紳士のものでも、怒りでもなく。

 

 

 

口元を三日月に変形させ、心底嬉しいとばかりに破顔していたのだ。

 

 

 

(笑ってる、のか……?)

 

普段の幼さの残るあどけない笑みではない。凶悪で、そしてどこかあの金の髪を持つ怪物を思い起こさせる笑みだった。

 

「さて、私は君の質問に答えたが。君はそれに対してどう応えるかね?」

 

悪魔としての顔を再び人間態へと戻して、ヘルマンはネギに問う。ネギの返答は。

 

「お前を……滅ぼし尽くす」

 

杖を構え、先程までの感情の発露が嘘のように、酷く静かなものであった。だが、千雨には分かる。ネギは最早、普段の彼とは全く異なってしまっていることに。静かに、そして冷酷に感情をコントロールしている。

 

「やってみるがいい、この上位悪魔たる私を相手に、できるものならばなッ!」

 

そして、戦いの火蓋は切られる。

 

(ダメだ、先生それはダメだ……! 戻れなくなるぞ……ッ!)

 

仲間の抱いた危機感に、気づくこともないままに。


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