二人の鬼   作:子藤貝

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奈落の底より生還した少年少女。
暫しの安寧の後、日常に影が落ち始める。


第五十三話 変わり始めた日常

鮮烈に、劇的に、泥のようにこびりついて離れない、あの日の記憶。僕が、今の僕へと至る事となったあの雪の降る夜。僕の心を捉えて離さない、鎖のように絡みつく悪夢。

 

『遅れてすまん。ネカネは無事だが、他の奴らは助けられなかった。ごめんな』

 

初めて、自分の親に出会った夜。それはまるで、ピンチに現れたヒーローのようで。僕が歩み出すためのきっかけをくれた時間でもあった。

 

『とうさん、なの?』

 

『おう。会うのは初めてだが、確かに俺はお前の父親だぜ』

 

ネカネ姉さん意外では、殆どいなかった血の繋がった家族。村が火に包まれ、皆が石像に変えられていたというのに。僕が抱いたのは、嬉しいという感情だった。

 

『とうさん、なんで……なんでいまさらでてきたのさ!?』

 

次いで溢れだした言葉は、非難するかのようなものだった。ずっと、ずっと感じていた繋がりのない人生。村の人々には親しくしてもらったが、それでも心から自分をさらけ出せた相手はアーニャと姉さんだけだった。頼れる相手のいないことから湧き上がる不安。

 

『……ねえ、とうさん。ぼくは……ぼくはいつまで"ひとり"なの?』

 

一緒にいてくれれば、きっと村の皆だって助かっただろう。姉さんに負担をかけずに済んだだろう。寂しい思いをせずに、済んだのだろう。僕が初めて吐き出した、エゴに満ちたワガママ。心の奥底では仕方ないと分かっていても、感情では納得できていない。そんな、当たり散らすような言葉。

 

『……ごめんな』

 

それを、父さんは受け止めてくれた。迷惑をかけまいと。姉さんにすら吐き出したことのなかった不満の感情に対し、父さんはどこか寂しげな顔をしながら僕の頭をなでた。

 

『父さんはな、お前と一緒にはいられない。いたら、お前を巻き込んじまうからだ』

 

それは、初めて知った父さんについてのこと。悪い魔法使いと戦っていて、父さんのことを付け狙っていること。一緒にいれば巻き込んでしまうこと。そして、村を襲った悪魔は父さんの子である僕に目をつけてやってきたこと。

 

『……こんなことになっちまったのも、俺のせいだ。お前には、俺を非難する権利がある』

 

『……』

 

『恨んでくれたってかまわねぇ』

 

本当は知っていたはずだ、姉さんが言っていた話。父さんは、悪い魔法使いと戦っていて、大怪我を負って眠っているって。それなのに、父さんは来てくれたのだ。

 

『……さい……』

 

『どうした? 言いたいことがあるなら、今ここでぶちまけちまえ。俺に遠慮なんて……』

 

『ごべんな゛ざい……!』

 

『うぇっ!?』

 

僕は、僕のことしか考えていなかった。父さんにも父さんの事情があって、それでも僕のことをずっと思っていてくれた。情けなかった、そんな父さんのことを碌にも知らないで、自分の感情ばかり優先してしまう自分が。助けに来てくれた父さんに、こんな醜い言葉しか吐けない自分が嫌になった。

 

『お、おい泣くなよ……』

 

『ひっぐ……ぐす……』

 

『ああくそ、自分の息子相手だってのに何やってんだ俺は……チッ、時間もねぇし』

 

ガシガシと頭を掻いた後、父さんは

 

『ネギ、悪いがもう時間がねぇ。理由は話せねぇ、けどお前と一緒にいてやることはできない。だから、こいつをお前にやる』

 

『わわっ!?』

 

『ハハッ、さすがに重いか』

 

餞別だと、父は形見といえる品をくれた。僕よりも大きな、父さんの杖。今でも、決して肌身離さない僕と父さんの唯一の繋がり。

 

『きっとこの先、俺の残した火種が元でお前に幾つもの困難が襲いかかるだろう。その時、俺は今回みたいに助けてやることは出来ねえ。だから、お前が強くなるしかねぇんだ』

 

『……つよく? けど、ぼくがつよくなるなんて……』

 

『ああ、そうだろうさ。不安にもなるのは当たり前だ。けど、お前に何もしてやれず、しかも厄介事をお前に運んじまうのが俺だ。なっさけねぇ話だがよ、どうお前に接していいのかも俺はわからねぇ。それでも、お前の無事を願う気持ちはある。俺はお前の父親だしな』

 

一緒にいてやることは出来ないし、もう守ってやることも出来ない。ならばせめて、そんな困難をはねのけられるように強く在って欲しい。父さんはそう言った。

 

『ごめんな、結局何から何までお前任せだ』

 

『……ううん、いいよ。とうさんは、ぼくをたすけにきてくれた。なら、こんどはぼくがとうさんのためにがんばりたい』

 

『……ありがとよ、ネギ』

 

再び僕の頭を撫でた父さんは、ふわりと空中へと浮き上がり。段々と姿が薄らいでいく。別れの時が来たのだと、幼い僕でも分かった。知らず、僕は離れていく父さんを追いかけて走りだしていた。

 

『ネギ、頑張れよ』

 

父さんは幻のように消え、あとに残ったのは火の粉が舞う冬の村と。

 

『父さああああああああああああああああああん!』

 

嗚咽を漏らして父さんを呼ぶ僕だけだった。

 

 

 

 

 

『強くなりたい』

 

あの日の無力が、僕をここまで後押ししてきた。ただ子供でいるだけではいられぬほどに。魔法を覚え、必死になって勉強し、机にかじりつくように貪欲に本を漁った。幸い、僕は幼い時から物分りがよく、利発だと言われていた程だ。勉強は苦ではなかった。

 

『駄目だ、まだ足りない……こんなんじゃ、足りない』

 

この杖に見合う男になりたい、父さんと交わした約束を成し遂げたい。

 

『皆を助けたい』

 

悪魔の永久石化によって石像にされたスタンお爺ちゃんを、アーニャの両親を。村の皆を助けたい。魔法学校の禁書庫にこっそり忍び込んで、解除方法を探した。同時に、強力な魔法も探すことも忘れなかった。

 

『僕は、父さんみたいにはなれない。誰かのためじゃなく、僕のためにしか動けない』

 

どうしようもなく自己中心的な僕は、父さんのようのことを放り投げてでも誰かのためになんてことはできない。ならばせめて、この手の届くものぐらいは失いたくない。どこまでも、自分勝手な僕の思いだ。

 

『ネギ、あんた大丈夫なの? そんな、自分を追い込むようなことばっかりして……』

 

『約束、したんだ。強くなるって。もう、父さんを不安にさせたくないんだ』

 

『私はむしろあんたのことが不安だわ、いつかあんたが……どこか遠くに行ってしまうんじゃないかって』

 

『大丈夫だよ、僕は……』

 

アーニャに心配され、姉さんにも迷惑をかけてしまったと思う。それでも、僕は我武者羅に前へと進んでいった。心配する皆のことを、気にも留めないで。

 

『そうだ、僕は自分勝手なやつだ。だから、僕のワガママを押し通す。それが例え、無意味なことだったとしても、僕は必ず……』

 

 

 

 

 

柳宮霊子の起こした事件から2週間後。事件後の後始末のため、未だ開放されない図書館島の地下では、夕映と霊子の魔法戦が繰り広げられていた。

 

「動きが単純化してるわよ。ラプ・ラ・ウェル・テセ・プラギュゲス」

 

「くっ、フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ!」

 

「離脱を図るために撹乱するための魔法詠唱……手札がバレバレよ、バカの一つ覚えじゃない。『砂塵(プルヴィス)濁流壁(トゥルビデ・フルミネウォール)』」

 

「えっ、きゃあ!?」

 

巨大な濁流が直撃し、そのまま落下していく夕映。地べたに激突する直前、無詠唱の防御魔法で何とか衝撃を和らげるが、尻を強打してしまい痛みで悶絶する。

 

「いい、戦闘における鉄則は相手と自分の有利不利を明確化すること。有利なら攻め、不利なら守る、基礎中の基礎よ。不利な状況で攻撃なんぞしても焼け石に水だわ」

 

「は、はぃぃ……」

 

「戦闘に関してはそこそこ叩きこんだと思ったけど、こうも腑抜けているのなら話は別ね。徹底的に矯正してあげるわ」

 

(スペシャルコースの流れですー!?)

 

霊子の弟子である夕映は当然、彼女に戦闘の手ほどきもしてもらっている。だからこそ先日の戦いで食いついていくことが出来たのだ。並の魔法使いでは歯牙にもかけないほど、夕映の実力は高い。が、そのレベルでも霊子には不満らしく、こうして力量を見てもらっているのだ。

 

ちなみに、霊子の修行にはいくつかのコースが有り、その中でもスペシャルコースは最も過酷で恐ろしい内容が盛り沢山である。尤も、他のコースでもきついのがわんさかあるのだが。

 

「改めて見ると、本当に僕達が勝てたのは奇跡みたいなものだったんですね……」

 

「……だな」

 

大川美姫の件から今まで、魔法を主体とした戦闘を仕掛けてきた相手はいなかった。霊子も魔力半減の弱体化状態で戦っていたため、連発していた魔法もネギより少し強い程度だった。だが、万全の状態で戦う霊子の魔法は、明らかにネギより2ランクは上の威力がありそうだ。

 

「しかしまさか、兄貴達を殺そうとした相手に弟子入りするなんて……。本当に大丈夫なんですかい?」

 

「うん、その辺はきちんと契約書もかわしてるし」

 

そう。現在ネギ達は、霊子の弟子となっている。組織を裏切って行き場のなくなった霊子は、麻帆良学園側にいくつかの条件のもと協力を持ちかけた。彼女の保つ技術や実力、それらを貸してやる代わりに安全を保証してくれと。

 

最初は相手も渋ったが、どのみち本国に移送しても『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』の影響力が強いため碌な事にはならないだろうと判断。幸い彼女がここにいることは外部には漏れていないため、魔法による契約を交わして彼女を麻帆良に置くことを決めた。

 

「ま、こっちは一応勝者ではあるんだ。これぐらいの見返りがあってもいいだろうさ」

 

その契約を行う際、事件の当事者として参加していたネギ達は、なんと霊子に魔法の指導をして欲しいと要求。周囲は困惑するが、霊子はこの要求をあっさり受け入れた。

 

『まあ、勝者に敗者が従うのは道理ね。いいわ、やってあげる。ただ、私は中途半端は嫌いよ。やるからには徹底的にやらせてもらうわ』

 

魔法先生らはこれに反対しようとするが、しかし相手は魔法世界でもエヴァンジェリンと並び称される魔女。教わるなら最高の人材であることは疑いようもない事実だ。加えて、彼女の弟子である夕映の実力も相当なもので、正直彼らでも夕映に勝つのは難しいかもしれない。

 

『夕映くんがいる以上、人材育成に関しても十分と考えるのが妥当じゃろうて。それとも、彼女以上にネギ君達を指導できる自信のある者はおるかね』

 

実績がある以上、何を言っても無駄だと学園長に言われ、口を閉ざすほかなかった。何より、今回の事件で彼らは後手後手に回ってしまい、結局ネギ達のおかげで大事にならずに済んだのだ。これでは、彼らの立場などないも同然だ。

 

「次、長谷川千雨。来なさい」

 

「んじゃ、行ってくる」

 

霊子から呼びつけられ、千雨は彼女の方へと歩いて行く。

 

「最初に言っておくけど、はっきり言って貴女は魔法の才能は殆ど無いと言っていいわ。血を吐く努力をしても一流手前止まり、それでもやる覚悟はあるかしら」

 

「上等じゃねぇか。少なくとも、今の私よりは役に立ちそうだ」

 

「結構。それこそ死ぬ気でもなければ無理なレベルだけど、貴女は精神的には強いほうだからその点は心配ないと考えるわ。それと、平行して別方面にも手を出してもいいかもしれない」

 

「別方面?」

 

「いくら魔法が使えるようになっても、結局足手纏じゃ意味が無いわ。上位者に食いつくなら、数多くの手を持つ必要がある」

 

千雨は戦闘に関してはド素人である。加えて、魔法の腕も上限が見えてしまっている以上、それ以外の方法で手数を増やすしかない。

 

「幸い、それを指導できる人物は貴女と常に行動をともにしているから、いくらでも時間はあるわね」

 

『おい、まさか私に押し付ける気か!?』

 

「あら、適材適所よ。魔法具を扱うことにおいて、私は貴女以上の才能を持つ者を知らないわ」

 

『だからといって、こいつらに肩入れする理由なんぞ……』

 

氷雨は二度に渡って共同戦線を張っていたとはいえ、敵側であることに変わりはない。今までは利害の一致から組んでいたが、今回は氷雨にとってのメリットが一切ない。

 

「何も千雨にやらせる必要はないわ。魔法具を使うのはあくまで貴女よ」

 

『へぇ……』

 

「魔法具を使うことに快感を見出す貴女なら、十分なメリットじゃない?」

 

同僚であった霊子は、新入りとはいえ幹部であった氷雨のこともよく知っている。だからこそ、そういった方面から彼女にメリットを感じさせつつ思考を誘導することにした。

 

普段の彼女ならここまで手をかけることなどないのだが、麻帆良での協力者となった今、ある程度の信頼を得るには手落ちがあるのは彼女にとっても問題だ。仮にも弟子にした以上は一定の水準に達してくれなければ彼女の沽券に関わる。

 

「いやいや待て待て、こいつが魔法具で私の体を乗っ取らない保証はないだろ! 第一、私自身で練習しなきゃ意味ないんじゃないか!?」

 

信頼できる相手ではない以上、最低限の線引はすべきだ。そうしないと足元を掬われかねない。実際、氷雨こと大川美姫は『桜通の幽霊事件』で、クラスメイトの肉体を操って戦わせるということをやっているのだから。

 

「心配せずとも、今のその子は貴女に寄生してる状態。肉体的な絶対の主導権を持つのは貴女よ。精神は肉体とより結びつきの強いものと固着化しやすいから」

 

「んじゃ、私が無理やりにでも主導権を取り返せばいいわけか」

 

「そういうことよ。それに、経験とはある程度肉体にも蓄積されるわ。魔法具の扱いに関しては天才的とも言える氷雨の肉体的経験なら、それは貴女の成長にも大きく繋がるはずよ」

 

この場合、肉体というのは脳のことである。反復練習は何かを覚える際に真っ先に挙げられる練習方法だが、実はただ反復すればいいというものではない。正解の行動を正確にトレースし、脳に覚えさせる必要があるのだ。

 

その点、直に体を動かすのが氷雨であれば、その正解パターンを確実に体に刻み込める。

 

「あと、あなた達の精神は大なり小なりお互いへ影響を及ぼしてるわ。肉体的な自由がない氷雨のストレスが影響する可能性もある」

 

『まあ、適度な自由は私も欲しかったところだ。いいだろう、ある程度の時間を私に与える代わりに、私がお前の体に魔法具の使い方を教えこんでやる』

 

(……こいつ、結構乗せられやすいんじゃないか?)

 

こうして、メリットデメリット以前に組織の敵に与するという大問題から意識が逸れた氷雨は、協力すると言ってしまったことをこの少し後に後悔するのであった。

 

 

 

 

 

静寂に包まれた、夕日の差す道場の中に一人の少女の姿があった。背筋をぴんと伸ばし、正座しているその佇まいはある種の美を感じさせるほどに周囲と融和し、溶けて消え去るのではと思わせるほどである。

 

「…………」

 

しかし、同時にそれは儚さの裏返し。触れれば砂糖菓子のように脆く崩れてしまいそうなほど、存在の薄弱さが見て取れる。

 

(まだ私は未熟……精進を重ねなければならない)

 

先日の戦いで、彼女はロイフェを取り逃すという失態を犯した。村雨流と神鳴流、双方共に尋常ならざる剣の技法を掛けあわせ、新たな技と成した代償は大きく、あの斬撃一つで肉体が悲鳴を上げてしまい、動けなかったのだ。

 

(肉体的な未熟さもあるが、何よりも気迫で押されてしまった……)

 

主人に何かがあったと悟り、動くのも辛かったはずのロイフェは凄まじいまでの執念でその場から離脱した。気力で、体力で、何よりも意志で彼女はロイフェに差をつけられた。故に、今彼女はこうして自分を見つめなおしているのだ。

 

(……あの日、あの時。私の中に眠っていたもう一つの感情が私を支配した……)

 

――【本当ハ、あの人と一緒に行きたかったくせニ!】

 

(私の未練が産んだ、切り捨てたと思っていた一部。姉さんとの日々を忘れられなかった自分の姿)

 

――【あの人に会いたくてどれだけ涙を流しタ!? 手を伸ばせば届いたというのニ!】

 

わだかまりは消えたはずだった。守るべき親友、心許せる仲間。それらのために剣を振るうと誓い、姉との約束を果たそうと決めた。その、はずだった。

 

(……それでも私の心の奥底では、あの人と再び共に有りたいという願いもあった)

 

無意識の内に蓋をして、それはもう無理なことなんだと、もう道は分かたれたのだと自分に言い聞かせて。まるで自己暗示のように自分の感情を否定し続けた。

 

(……っ!)

 

自信の愚かしさに、その唾棄すべきゆらぎに感情が高ぶる。自然、彼女の発していた凛とした佇まいの一切が掻き消え、一人の少女がただそこにあるだけとなった。

 

「……駄目だな、これでは」

 

精神統一のため、自信のうちへと解いを投げ続けていたというのに、こんな調子では己を高めることなど到底不可能だ。

 

「こんなことでは、あの人には届かない。それどころか笑われてしま……」

 

ふと発した言葉に、彼女は硬直した。未練を立つどころか、ますますそれに囚われ始めている。もう既に、無意識の領域で姉への気持ちを吐き出してしまうほどに。

 

――【忘れるなヨ……私はお前自身なんダ……私からは逃げられないということヲ……!】

 

(……っ、惰弱な……! 私というやつは、どこまでバカなんだ……!)

 

意識を奪い返す直前に聞いた、もう一人の自分の言葉。本来であれば、湧き出ることもなかったはずの自分の感情。それが、自分という意識の裏側から虎視眈々と主導権を狙っているという事実。

 

(もし、もし私の意識が呑まれ……お嬢様を殺そうなどとしたら、どうする)

 

もうひとりの自分が求めているのは、あくまでも姉である鈴音だ。その障害となっているのが木乃香であり、邪魔な存在だろう。そうなれば、その障害を排除するために彼女を害しようとする可能性もある。

 

(それだけは、なんとしても避けねばならない……!)

 

しかし、どうやって。今の自分では、膨れ上がった感情の塊とも言えるもうひとりの自分を抑えこむことはできるだろう。あの時は自分の意識が向こう側へと行ってしまったため苦労したが、今は主導権は完全にこちらにある。早々渡すつもりはない。

 

だが、御するとなると話は別だ。後顧の憂いをなくすためには、どうしてももう一人の自分を従わせる必要が出てくる。

 

(そうでなければ、私は姉さんには勝てない)

 

いずれ戦わねばならない姉は、世界最高峰の剣士。しかも、あの世界の力さえも掌握している怪物だ。自分もそれを制御できるようにならなければ勝てないだろう。それには何としてでもリョウメンスクナを倒した時の感覚をもう一度掴まなければならない。

 

その過程で、また自分の意識が向こう側へと飛ばされてしまったら。もうひとりの自分を止めることも出来ない状況が出来上がってしまったらどうする。自分自身で親友を殺してしまうのではないかという不安が、彼女の心を乱し続ける。

 

「私は、どうすればいいのだ……」

 

 

 

 

 

『……アスナからの連絡』

 

『なるほど、霊子に弟子入りしたか。まあ、そこら辺は勝者の特権だ。享受してしかるべきだろう』

 

『……事実上、霊子は組織を完全に裏切った形になるな』

 

『ケケケ、ソンナノコッチノ命令ヲ無視シタ時カラジャネーカ』

 

『……抜けた穴を埋める人材が必要』

 

『マァ、流石ニ二人モ抜ケチマッタラ補充モイルカ』

 

『美姫はそろそろ復帰させてやる予定だ。そうなれば、必要な穴は1人分となる』

 

『誰ヲ抜擢スルンダ?』

 

『……候補としては二人いる。以前、京都で鈴音の下動いていた幹部候補だ』

 

『ふむ、フェイトと月詠か。確かに、あれらなら十分実力はある』

 

『……伸びしろも、ある』

 

『製作者である私の贔屓目を抜きにしても、実力はほぼ拮抗している。あとは……』

 

『幹部である以上、戦闘以外もこなせる必要がある』

 

『決まりだな、月詠ではまだそこまで頭を回せんだろう』

 

『ケドヨ、幹部ニスルナラソレナリノ功績ガ必要ダゼ?』

 

『その点に関しては問題なかろう。奴は基本、私の元で働いていた。敵対組織への破壊活動、王族や重鎮の暗殺、アピールするには十分すぎるだろう』

 

『ふむ。ならばもう一つあれば文句の一つも出ないな。日本への足がかりを担ってもらうとしよう』

 

『しかし、あそこは本国でも手が出しづらい東西の魔法協会がある。派手な動きはできんぞ』

 

『クク、何のために以前、私自ら日本へ向かったと思っている。足がかりとするための楔を打ち込んできてある。あとは、私の(したた)めた書状を持って行かせればいい』

 

『ケケケ、ナラ丁度イインジャネェカ? コッチノ損失ヲ取リ戻ス手伝イヲサセテモヨ。モウ一人ノ方ハブランクガアルワケダシナ』

 

『……フランツは?』

 

『そういえばいたな、暫く休むとかほざいておったが、奴も参加させるか?』

 

『必要ない。奴は戦闘能力は大したことはないが、隠密行動や諜報活動には向いている。アスナが間近での情報を得られる分身動きがしづらい以上、奴に周囲の状況を確認させておいた方が効率的だ』

 

『では、フェイトから奴に伝達させ、3日後に行動を開始させるとしよう。……フランツに命じていた封印の解除は、しっかり行われているのだろうな?』

 

『……問題ない。……予定通り魔法学校から盗み出し、封印を日本で解かせた。……ある程度関西で暴れてから、向かうよう伝えているはず』

 

『英雄候補たちは、我々が向こうを殺さないと思っているだろう……だが、ここまで手を噛まれた以上は容赦はしない!』

 

『随分とご立腹だな、デュナミス』

 

『私にも大幹部としてのプライドというものがある。舐められるのはゴメンだ』

 

『そうだな、奴らに今一度……我々がどういうものなのか、叩き込んでやるとしよう』

 

『奪ワレル駒ハ二ツ、オ手並ミ拝見ダナ』

 

『狙うのは全員だ、英雄候補とて例外ではない。ネギ・スプリングフィールドとてな!』

 

『守り切るか、絶望するか。クク、今回は手心は加えてやらん。霊子を倒してみせた実力、とくと見せてもらおうか』

 

 

 

 

 

「がはっ!」

 

「いいぞ少年、久々の外だというのに君のような者がいてくれたのは幸運だった!」

 

「くそっ、バケモンが……!」

 

燃え盛る木々、倒れ伏した人々。彼らは古来より魔を払うことを生業としてきた組織、関西呪術協会の人間であった。この惨状を生み出したのは、少年の目の前にいるたった一人の怪物によるもの。

 

「ああ、やはりいい。若く闘争心に溢れ、煮えたぎるように血を沸き立たせる闘争は、何ものにも勝る甘露だ」

 

少年、犬上小太郎は冷や汗を流す。以前自分がしでかしたことで、関西呪術協会で観察処分となっている彼だが、情状酌量の余地があると判断されてある程度の自由を与えられた。そんな中、緊急事態ということで小太郎は応援の要請を受け、ここへとやってきたのだが。

 

目に飛び込んできた光景は、倒れている幾人かの関西呪術協会の人間と、その中心にて佇む一人の怪物。即座に危険な相手と判断し、戦闘を仕掛けたのだが。力量に明確な差があり、返り討ちにあいかけてしまっているのが現状だ。

 

(こいつ、今まで戦ったバケモンの中でも相当強いわ……)

 

小太郎も血の気の多い戦闘狂である。戦いの中での命のやり取りを幾度と無く経験し、勝利の美酒に酔うこともあれば、敗北の苦い味を覚えさせられたこともある。だが、この相手は今までとは全く違う。何か、怖気を感じさせるほど異常なのだ。

 

「とはいえ、君にそれを持っていかれるのはかなり困るのだよ。忌々しくも私を封じたあの封魔師の瓶だ、厄の種は取り払ってしかるべきだろう?」

 

「ハッ、だったらあんたがまず取り除かれるべきやないんか。この疫病神が」

 

「よく吠えることだ。あまり時間もかけられないのでな、そろそろケリとしよう」

 

(来るっ……!)

 

怪物が構えを取り、拳を固める。革のグローブをしているというのに、両の拳を握りしめるだけでギリギリと音が鳴り、凶器へと変貌していく。

 

「さらばだ、『悪魔の……』」

 

「三枚符術『京都大文字焼き』!」

 

拳が放たれる直前、突如として目の前が巨大な炎に包まれる。視界が遮られ、また炎の熱から逃れるために攻撃を中止して飛び下がる。

 

「全く、先行し過ぎや。あんたは猪か何やか」

 

「千草の姉ちゃんか!」

 

「ったく、うちはまだ病み上がりなんやけどな。病人は労るべきや」

 

現れたのは、かつて復讐心からリョウメンスクナを復活させ、関東魔法協会の壊滅を狙った天ケ崎千草であった。フェイトの石の槍で貫かれ、重症を負っていたが、何とか意識を取り戻し、五体満足で生還することが出来た。

 

利用されていたということもあって、彼女も小太郎と同様に予備戦力として関西呪術協会に再び籍をおいている。元々、一時は幹部職にまで登るほどの実力である。協会がボロボロな状況である以上、そんな人材を捨てるはずもなかった。

 

「気ぃつけたほうがええで。あいつ、並のやつやない」

 

「分かっとるわ。だから並じゃないのを連れてきたんや」

 

「どういうことや?」

 

火の勢いが、急速に弱まっていく。千草が込めた霊力が尽きたのだろう。そして炎の向こうには、先程までの怪物に加え、もう一人何者かがいた。炎の明かりに反射し、白刃が煌めく。どうやら、怪物と戦っているらしい。その見事な剣技は怪物相手に互角どころか圧倒している。

 

「って、うちんとこの長やないか!」

 

そう、戦っていたのは関西呪術協会の現長にして神鳴流剣士の近衛詠春その人だった。まさか、組織の最高職がやって来るとは思わず、小太郎も驚愕している。

 

「前のうちらの一件もあったし、連れてきたほうがいいと思うたんや」

 

『夜明けの世界』によって利用された彼女は、そういった万が一を考えて彼を連れてきたらしい。確かに、戦力としても最高の人材ではあるが、それを了承する長もどうなのかと内心思う小太郎だった。

 

「ぬぅ、君の弟子といい、処刑の日といい……つくづく奇妙な縁だ」

 

「その腐れ縁も今日で最後だ、ヘルマン。封印されていたはずだが、どうやって抜けだした?」

 

「なに、瓶を持ちだした者がいた、それだけのことだ」

 

先程まで優勢であったヘルマンは、近衛詠春の登場という想定外の事態で劣勢に立たされた。それでも、彼は余裕の態度を崩さないでいる。それは果たして虚勢か、それとも。

 

「『夜明けの世界』幹部であるお前を、ここで逃がすつもりはない。観念しろ」

 

「悪いが、そうはいかん。とっておきの(・・・・・・)楽しみ(・・・)がまだ残っているのでな」

 

すると、彼の足元から不自然に水が湧きだした。それはどんどんと彼を包みこんでいく。見れば、足元に蠢く軟体の何かがいる。

 

「転移魔法……! させるものか!」

 

神速の瞬動でヘルマンへと肉薄し、一刀両断の下斬り伏せようとする。しかし、ほんの僅かの差でヘルマンは転移を完了させ、斬ったのは触媒となった水のみであった。

 

「くっ、私も勘が鈍ったか……」

 

悔しそうに零しながら、刀を鞘へと納める。それにしても気になったのは、ヘルマンが言っていた楽しみという言葉。数年間封じられていた者が、果たしてそんなものがあるのか。

 

「……嫌な予感がするな」

 

また、よくないことが起ころうとしている。詠春はそれを肌で感じていた。

 

「……千草くん、小太郎くん。助力、感謝するよ」

 

「まー、俺らも迷惑かけたんやしおあいこや」

 

「うちもむしろ感謝しとります。あれだけのことをしでかして、まだ協会に置いて貰えるとは思いもしまへんでしたから」

 

「そうか、助かるよ。……しかし、また手ひどくやられてしまったな」

 

倒れている者の中に、幸い死者はいない。しかし重傷者がほとんどだ。ただでさえ人手が足りないというのに、これではヘルマンを追うことも出来ない。

 

「……二人共。少し、頼みがある」

 

「なんや? 俺ができることでならいくらでも聞いたるで」

 

少なくとも、関西は自分がいる以上そこまで大きくは動けまい。ヘルマンの狙いは、恐らくもっと別の場所だ。ならば、手を打たなければならない。

 

「二人に、関東にある麻帆良学園へと向かって欲しい」

 

 

 

 

 

「む、手紙でござるか」

 

長瀬楓は、寮の玄関口にあるメールボックスの内、自分の部屋番号が記された扉を開き、入っていた封筒を取り出す。裏返してみれば、そこには自分の名前が。

 

(拙者宛とは珍しい。里の者からでござるか……?)

 

封筒を破り、その場で開封する。緊急の要件かもしれないと思い、すぐに目を通そうと思ったためだ。そして、そこに記されていたのは。

 

「これは……!?」

 

確かに、緊急の要件ではあった。しかし、その内容に楓は驚愕する。

 

何故なら。

 

『甲賀中忍 長瀬楓

 

 以下の内容は、緊急のものとし、可及的速やかに行うこととせよ。

 

 ネギ・スプリングフィールドとの関わりを、今後一切禁ずるものとする。

 これは命令であり、里の総意である。万が一違えた場合、里より永久追放とする。

 

                              甲賀中忍 斎藤蓮』

 

ネギ・スプリングフィールドと、一切関わるなという指令書であったからだ。

 

「どういうことで、ござるか……!?」

 

邪悪な策謀が、動き出す。


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