しかし待つばかりも、退屈なものである。
『
魔法の世界、などと聞けば空想好きの少年少女には、それこそ夢の様な世界にも思えるだろう。しかし、現実は違う。魔法世界でも旧世界同様に様々な問題を抱えており、容赦なくそれらを叩きつけてくる。貧困、差別、汚職、無法。挙げだせば切りがないといえるだろう。
それら全ては、未だ解決の糸口を見ない大きな問題といえるだろう。それでも、魔法世界にはそれらの上を行く邪悪が今なお頂点に鎮座している。
『誰も逆らってはならない』
『立ち向かうことさえバカバカしく思える』
『この世のものとは思えないほどおぞましい』
皆、口々にその恐ろしさを口にし、ある者は怯え、ある者は怒り、またある者は嘆く。飛び出してくるのは負の悪感情ばかりながら、誰ひとりとしてその名を口にはしない。
『目をつけられれば命はない』
『死ねればまだましな方』
『名前を呼ぶことさえ躊躇われる』
人々の憎悪や怨嗟を受ける存在でありながら、その恐ろしさ故に誰もその名前を口になどしようとしない。一度目をつけられれば、最早どうなるか分かったものではないから。
『悪いことをすると、『闇の福音』が張った糸を伝って攫いに来るぞ』
その存在を表す名前は多岐にわたる。最も有名な『
「最近だと、『魔を統べる者』とか『暴虐の悪魔』なんてのもあるね」
「なんともつまらん呼び名だ。私個人に対して言っているように思われないよう、当り障りのない呼び方をしているだけだな」
赤い絨毯が敷かれた廊下を闊歩する人物が二人。その二人共が、幼い外見をした少女であり、しかしそれを感じさせぬほどの圧を周囲に撒き散らしていた。
「帝国側はどうなっている?」
「大方今までどおりかなぁ。最近は骨のあるやつが少なくって」
「世は大過もなく平穏無事ということか、実にいいことじゃないか」
「うわ、すっごい皮肉。この世界で一番の厄介事がそんなこと言うなんてね」
「世間一般における大半の輩にとっては、身近なこと以外などどうでもいい。私をあれやこれやというのも、結局は自分の都合の悪いことを他人のせいにしたいからというのが殆どだ。故に平穏はある意味で保たれていると言えるだろう。そして、私もまた平和を享受している」
ただし、それは彼女にとっては苛立ちの原因でもあるのだが。
「お前はどうだ、
「……まあ、平和といえば平和よね。……退屈だけど」
弐と呼ばれた少女は、自分なりの感想を吐露する。戦いこそが彼女にとって最も灼熱を感じる時間であり、飢え乾き欲するものなのだ。それがない現状は、彼女にとって張りのないものだった。
「そうだ、退屈なんだよ。私も気の長い方ではあるが、目的を成就させるためにとった手段では時間がかかる。ああ、昔は時間の流れなど気にもしなかったが、今は一日でさえ長い長い秋の夜更けのように感じてしまう」
「ふーん……あ、最近機嫌が悪い理由はもしかしてそれ?」
「……ああ、そうだ。平行して行っていた幾つかの育成計画は、その殆どが失敗に終わった。どれだけ試練を与えても、完成したのは劣化品ばかり。腹の足しにもならん」
その劣化品たちは、彼女に食い散らかされて無残な結末を迎えている。具体的なことを言うのも憚られるが、誰ひとりとして希望を掴んだものはいなかったことだけは言える。
「経過は悪くはなかった、むしろ順調だったと言っていい。だが、その誰もが私の予想を超えてはくれなかった。あくまで、成るべくして成ったものだ」
彼女が欲するのは、レールの上を歩き続けるだけの人形ではない。あくまでも、歩みを止めない人間を渇望しているのだ。
「皮肉な話だ、私は確かに『人形遣い』としては優れているらしい。だが、人形は作れても望んだ『人間』は生み出せない」
どれだけの悲劇を、試練を、逆境を用意してもなにかが足りない。どこまでも人間たらしめる人間性がどうしても欠けてしまう。中途半端に光を掴み、闇に飲まれ、最後には無価値となる。
「それでは駄目だ。私が、私達が欲しいのはとびきりの『英雄』なのだから」
それは、彼女にとって。そして彼女と同じモノたちが最も欲するもの。自らの存在を確立するために不可欠なものだ。
「前の時代は運が良かった、戦争という絶好の機会があったからな。強者を探しやすく、資質を持つものを見極めるのに時間はかからなかった」
もとより、彼女は長い時を一人で生きてきた。剣の鬼と出会い、兵器の少女と出会い、仲間を増やしはしたものの、戦争の時も少人数の行動故にフットワークは軽かった。
「今は違う。怠惰で緩慢な平和が砂上の楼閣の上に築かれているとも知らず、そのバランスを崩さぬように保身に走るバカどもばかりだ」
「じゃあ、戦争起こしたほうがいいんじゃないの?」
弐のいうことも確かである。戦争が最も効率的な手段というのなら、それを積極的に行うのが目の前の少女だと弐は思っていたのだが。
「戦争はあくまで最後の手段だ。あれは政治的な駆け引きの部分もある上に、ひどく資源を消耗する。いわば焼畑農業のようなものだ」
「……えーと、ヤキハタってなに?」
「……お前はもう少し、書物を読んだほうがいい。ようするに、畑を作るのに木々を燃やすのは確かに効率的だが、その後に木を生やすのには時間がかかる。これは人も同じということだ」
「あー、そういうことね」
戦争は金がかかるとよく言われるが、それと同等以上に人的資材を消耗する。そうなってしまえば、仮に彼女のお眼鏡にかなう英雄が現れなかった時、その損害は計り知れない。下手をすれば、英雄になるはずだった若い芽を大量に摘んでしまうことになる。
「ままならないものだよ。……まあ、思い通りにいかないからこそ人間は面白いとも言えるがな」
やがて、二人の少女は廊下にある一つの扉の前で立ち止まる。その扉は大きな両開きのもので、時代を感じさせる古い木製のものであった。弐は、その扉をゆっくりと開けていく。
中は広く、室内運動場程度の広さと高さがあった。そして多数の椅子と机が置かれている中心の場所に、十数人の人物たちが腰掛けていた。その多くが、顔に皺を刻んだ老人である。
「ごきげんよう、諸君。経過はどうかね?」
口元を釣り上げ、傲岸不遜に嗤う。ともすれば、不敬と取られかねない行為である。何故なら、今彼女らがいる場所こそ、魔法世界における人間の最大領域とも言えるメガロメセンブリア連邦国家、その中枢を担う元老院の本会議場なのだから。
だが。
「ははっ。特段変わったこともありませぬ」
「『
魔法世界における最高クラスの権力者達が、その少女らを相手に頭を垂れ、腰を折り曲げている。その様子を少女は睥睨し、少しの間をおいた後。手近にあった椅子に足を組んで腰掛ける。
「何、そんなに肩肘を張って畏まることもない。私に気を遣わずいつも通りにやってくれ」
「……承知いたしました。エヴァンジェリン様」
少女、エヴァンジェリンは腰掛けた椅子の肘掛けに片肘をつき、再び口角を上げる。
「では、いろいろと聞かせてもらおうか」
「以上が、最近の世情の動きで御座います」
「ふむ……」
渡された資料に目を通し、元老院議員の一人が話す内容に耳を傾ける。尤も、その殆どは既に組織の方で把握している内容ばかりだ。
「続きまして……」
「ああ、それぐらいでいいぞ。これ以上は時間の無駄だ」
「は、はぁ……」
「そんなことより、私を呼び出した
言外に、まさかその程度のことで呼び出したわけではないだろうと圧をかける。元老院一同は冷や汗を流し、乾いた喉の滑りをよくするために唾を飲み込む。互いの顔を見合わせた後、彼らは何とか話を切り出す。
「はい、実はですが……」
「先日、元老院に怪しい人物が紛れ込んだという話が警備の者から出まして……元老院の中へと入っていく姿を目撃したと……」
額から滑り落ちる汗を拭いながら、今回の本命の話を語る。
「不審者程度のことで、私達を呼び出したってこと? 舐めてんの?」
弐が、怒りを隠そうとせず語気を強める。みれば、彼女の背後はぐにゃぐにゃと歪み始めている。高熱によって陽炎が発生している証拠だ。
「そっ、そのようなことは決して……!」
「我々は皆様に忠誠を誓っておりますれば……!」
少しでも機嫌を損ねれば命はない、それを痛いほど彼らは知っている。少し前にも、彼女らの進めていた計画の重要な要素である少年を殺してしまった同僚がいたが、それを必死に隠そうとしていた彼はある日忽然と姿を消した。そして数日後に、醜悪な水死体となって発見されている。
誰とて、そんな結末を辿りたくはない。だからご機嫌取りに必死になっているのだ。
「弐、少し落ち着け。話が進まん」
元老院たちが竦み上がってしまい、このままでは更に余計な時間を消費すると判断し、弐に落ち着くように諭す。その言葉を聞いて、弐は不満げながらも矛を収めた。
「話を続けろ」
短く、しかし脅すように話を続行するように脅す。その言葉を聞いて、一瞬呆けていた面々もすぐに再起動して話を続けだす。
「は、実はその……侵入するにしてもその痕跡が殆ど見当たらず……」
「何者かが内部から手引した可能性も……」
「何より、不審人物が潜入している可能性が高い理由としてこんなものが……」
でっぷりと太った男が取り出したのは、一枚の手紙であった。そこには、元老院に対する恨み言や挑発するような内容が綴られていた。
「手紙は必ず係の者が一度改めることになっております。しかし、そのような手紙は見ていないと担当者は言っておりまして」
「ほぉ、『元老院に潜伏している。これから貴様らに懺悔の悲鳴をあげさせてやる』か」
「はい、ですがその程度のことであればご報告するまでもないのですが……」
手紙の後半に目を通すと、そこにはエヴァンジェリンへの内容も綴られていた。
「エヴァンジェリン様を名指しで非難する内容が御座いまして……どこからか我々と皆様との関係を嗅ぎつけたらしく……」
元老院が悪の組織と繋がっているなどという話は、本来ゴシップ記事にされるような馬鹿げた話であると世間一般は思っている。何しろ、エヴァンジェリンらがその活動を華々しく飾った時に、元老院の殆どを虐殺しているのだから。
ただし、繋がり自体の確たる証拠は握ってはいないものの、エヴァンジェリンの息がかかっていない国の上層部は、元老院がきな臭いことぐらいは把握している。恐らく、この侵入者はどこぞの国の上層部と何らかの関係があると見ていいだろう。
「『悪しき魔法使いよ、我らの裁きを受けよ』、ねぇ……」
「クク、面白いじゃないか。手紙という間接的なものではあるが、私の名前を使って非難する輩など珍しいからな」
実に愉快そうに笑う彼女を尻目に、弐は部屋に入った時から違和感を感じていた箇所へと視線を移す。
「なーるほどねぇ」
一言呟くと、おもむろに右掌を広げて魔力を集中させる。無詠唱による魔法が顕現し、野球のボール大の焔玉が形をなした。
「弐様、何を……!?」
「そおらっと!」
驚きを隠せないでいる議員を無視して、弐は火球を天井へと勢いよく叩きつけた。接触と同時に、火球は凄まじい勢いで爆発を起こした。普通であれば即座に警備員がやって来るが、エヴァンジェリンがくるために防音の魔法が部屋に施されており、爆発音は一切外に漏れることはなかった。
「ハロー、侵入者さんたち」
「……!」
煙の中から現れたのは、武装を纏った青年や少女たちであった。元老院たちは、ゲホゲホと粉塵の中で咳を続けている。
「隠れ場所が天井裏とかバレバレすぎだよ、部屋に入ってすぐに分かっちゃった」
「馬鹿な、魔力や気を探知できないよう魔法具を用いていたのに……!?」
「『夜明けの世界』の幹部舐めんじゃないわよ。熱感知で簡単に見つけられたわ」
魔法世界は、魔法技術が発展した世界である。故に、その常識で物事を測るものがほとんどだ。相手を感知する方法の大半は、魔力や気などの魔法的要素。これらは生きているうえで必ず、僅かばかりでも流れでてしまう。
尤も、そんな極微量のものはよほど魔力感知に長けた魔法使いでもなければ分からないため、魔法具を用いるのがほとんどだが。
しかし、『夜明けの世界』は旧世界側とも関わりを強め始めている組織である。何より、首領格であるエヴァンジェリンは旧世界の出身であり、こちらへ渡る前に多くの科学的な知識を身に着けているためそういったものに詳しいのである。そのため弐は、彼女の助言から工夫をこらし、ついには熱だけで相手を詳しく感知できるようになったのだ。
「どれだけ魔力や気を隠そうが、生命活動を続けている以上いつだって体温がそこにある。私にかかれば尻尾を出したまま隠れてたようなものよ」
「くっ、皆……覚悟はいいな!」
「オウッ」
「積年の恨み……ここで返す!」
一人は杖を構え、剣を抜き放つ。一人は拳を握り、一人は魔法書を開く。どうやら、三人構成のパーティらしい。
「うーん……?」
一方の弐はといえば、パーティの少女を見つめながらうんうんと唸っている。
「どうした、弐」
「あの中の一人、どっかで見た覚えが……あ」
頭のなかで何かが繋がったようで、思わず手を打つ弐。
「思い出した、あんたメガロの国境近くにあった町の奴か」
ピクリと、少女の眉根が動く。次いで、怒りの形相で弐を睨みつけた。
「あんたが……あんたが皆を殺した張本人か……!」
「当たりっぽいね、一切合切燃やしちゃったから候補ごと死んじゃったと思ってたけど」
「この通り、生きてるわ。あんた達に復讐するまで、死ねるものか……!」
少女は、かつて英雄候補として弐に目をつけられていた。しかし、弐は試練を与える名目で5年前に町を火の海にしてしまった。この火の海から脱出できれば、及第点であるとして。
しかし、瞬間的な大火力の炎は一瞬で町を焼きつくしたため、初撃で殆どの人間が死んでしまい。結果、誰一人町から脱出できたものはなく、一日中探索を続けても生き残りを発見できなかったため、彼女は落胆してその場を去ったのだ。
「あれ、でも町は消し炭になったから生き残りがいればすぐに分かったはずなんだけど」
地下にいた者達も、地表が熱せられた影響で蒸し焼きとなってしまい、無残な躯へと成り果てていたはずだ。
「あの時は母が、とっさに私を井戸へと突き落とした。その御蔭で、井戸の底から通じている町の外の川へと脱出することができた」
「ああ、町に既にいなかったんだ。納得」
「ようやく……ようやく、皆の敵が討てる……!」
魔法書を構え、水の魔法を唱える。どうやら、魔法書が発動の媒体であるらしい。
「いいわ。私が相手してあげる」
どうやら、弐も乗り気になったらしく、そのまま彼女と戦闘を開始した。
「ふむ、そちらの二人はどうする?」
「知れたこと……!」
「貴様という巨悪を討ち、メガロメセンブリアに真の平和を取り戻す!」
「威勢のいいことだ。……しかし、私がいきなり相手をするのも面白くないな」
そう言うと、彼女は右目を大きく見開いた。すると、そこから小規模な魔法陣が展開され、更に彼女の身長を越す大きさの魔法陣が目の前の空間へと射出された。
「っ!」
「ジン、油断するなよ」
展開された魔法陣は複雑怪奇で、あたかも曼荼羅のような構成になっている。
「クク、心配するな。いきなり大魔法をぶっ放す程、私は無粋ではない」
そう言うと、彼女はまるで何かに号令を出すかのように、右手を魔法陣へとかざした。すると、魔法陣の中から人間の腕と思しきものが生えてきたのだ。
「召喚魔法か!」
「ただ相手をするのもつまらん。まずはこいつで遊んでやろう」
腕に次いで、体全体が魔法陣から姿を現す。現れたのは、みすぼらしい格好をした少女。目はひどく虚ろで、口はだらしなく開かれ、首には鉄製の首枷がはめられていた。能面のような無表情は、彼らが少しだけ恐ろしさを覚えるほどに人形じみている。
「53号。こいつらの相手をしろ」
エヴァンジェリンは短く、少女に命じる。すると彼女は、腰に指していた細身の剣を抜き、男二人へと襲いかかった。
「くっ!」
「ぬおっ!?」
「…………」
明確な殺意の元、細剣で突き刺そうと追撃を続ける。その目は相変わらず虚ろなままだが、どこか怯えを含んでいるようにも見えた。少女は、しばし佇んだ後に再び突きを放ってきた。やむなく、ジンと呼ばれた男は応戦するために剣を振るう。
「悪いが、あんたが奴らの手先だってのなら容赦はしないぞ」
様子からして、何か事情があるのだろう。しかし今は、普段から表にはめったに出てこないエヴァンジェリンという大悪党を殺す絶好の機会。情け容赦をかけるつもりはなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、こうするしかないの……ごめんなさい……」
しかし、返ってきた言葉は掠れた声での謝罪の言葉。それを何度も吐き出し続けていた。異様なまでの雰囲気に、ジンはこの少女がエヴァンジェリンに何かをされたのだと即座に理解した。
「貴様、この子に何をした!」
エヴァンジェリンへと怒りのままに問いかける。しかし、エヴァンジェリンは侮蔑の眼差しを浮かべながら少女を見て答える。
「何、そいつが私の期待に応えられなかったからそうなっただけさ。まあ、色々やったのは確かだがね」
「外道め……!」
「勘違いするな、私は人間には敬意を抱いているしそれなりに扱ったりもする。そいつは私がまともに扱うに値しなかっただけの話だ」
「それは、どういう……」
そんなことよりいいのかね、とエヴァンジェリンに言われる。振り返ってみれば、いつの間にか懐へ入らんと肉薄していた少女が、ジンへ襲いかかろうとしていた。
「くそっ!」
なんとか剣で細剣を防ぐが、相手の動きが素早く、カウンターで放った攻撃は空振りに終わる。
「実力だけはそこそこある。そいつも倒せないのなら、私が相手をする必要はない」
そう言うと、彼女はいつの間に用意したのか紅茶の入ったカップを口へと運ぶ。
「さあ、足掻いてみせろ。己が英雄足りえるか証明してみせるがいい」
「なんだ、威勢の割にてんでダメね」
「う、くぅ……」
弐と少女との戦いは、大した時間もかからずに終わりを迎えようとしていた。少女の魔法は強力ではあったが、弐にはかすり傷ひとつない。
「火力がない、速さもない、重さもない、技術もない……足りなさすぎて物足りない」
テーブルの上に腰掛け、足をバタバタさせながら退屈だと訴える。反面、少女の方は満身創痍で立ち上がることさえやっとだ。火傷で右腕は痙攣し、ケロイド状になってしまっている。
「ここまで、差があるなんて……」
「あんたさあ、私たちのこと舐めすぎでしょ。その程度で、本気で私達を相手に戦えると思ってたわけ?」
弐の苛立ちは、既に限界に近かった。最近はあまり強者と戦う機会がなく、戦闘衝動を持て余していた中で久々に現れた敵対者。それも、死んだと思っていた英雄候補となれば期待が高まるのも無理はなかった。
しかし、蓋を開けてみれば無難に強い程度、才能は確かにあるはずだし、順当に育ったのだとは思う。しかし、どこまでいっても弐にとっては平凡だ。これでは、己の欲求が満たされるなどとてもではないがありえなかった。
「はぁ、もういいや。とっとと終わらせよう」
高揚していた気分が一気に冷めてしまい、最早弐にとって少女は興味の対象外となってしまった。そうなればもう、遊ぶ必要もないただの邪魔者なだけ。
「うん、こんなもんでいいか」
先ほど天井を破壊するときに使ったものより、少しだけ大きな火球を指先に生成する。少女は魔法でそれに対抗しようとするが、遅すぎた。
「じゃあ、さよなら」
無慈悲に、弐は火球を少女へと放ち、寸分違わず相手の頭部へと高速で向かっていく。
「かあさ……」
最後の呟きもかき消され、着弾と同時に少女は炎獄に包まれた。一瞬で少女の頭部を吹き飛ばし、モノ言わぬ躯へと変える。そして糸の切れた人形のように少女の死体はドサリと倒れ、全身を炎が覆い尽くし、消し炭となる。
数年前に生き残った少女は、皮肉にも町と同じ最後を遂げた。
「呆気無いな」
欠伸を噛み殺しながら、エヴァンジェリンは呟く。結局、彼女が53号と呼んだ少女は命令通りに青年二人を相手にし、容易く刺殺した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……許して……ごめんなさい……」
二人の死体へ、未だ細剣による刺突をやめようとしない少女。相変わらず、口からは謝罪の言葉が漏れるばかりだ。
「全く、そんなに後悔するなら初めから裏切らなければいいものを」
53号と呼ばれた少女は、かつて英雄候補の一人の仲間であった。故郷を奪われたその英雄候補に同行し、仲間とともに戦いを続け、ついにエヴァンジェリンへと辿り着いた稀有な実力を有していた。
しかし、エヴァンジェリンが戯れとして直接相手をしていた際に、圧倒的な実力差と死への恐怖から、彼女は仲間を裏切った。満身創痍であった仲間を、背中から突き刺したのだ。
『殺さないで……死にたくない……死にたくないの……』
『いいだろう、貴様は生かしてやる。ただし、最早人間として扱ってはやらんぞ』
エヴァンジェリンは彼女を軽蔑し、奴隷のように扱った。たとえ巨悪が相手であろうと、立ち向かうのではなく裏切るなど彼女には許し難かった。与えられたのは区別するための名前代わりの番号と汚れ仕事。最低限の賃金だけ渡され、下働きとして飛び回る日々となった。
次第に己の中での罪悪感が膨れ上がり、かつての仲間の恨みの声が夢のなかで聞こえるようになってしまった。心身ともに疲れ果て、生きているのか死んでいるのかさえ自分でわからない程前後不覚に陥ってしまったのである。
自殺をしようとすれば、所有物が勝手なことをするなとエヴァンジェリンに回復され、元の木阿弥に戻る。まさにエヴァンジェリンの人形へと成り下がってしまった。
「人間とは不可解なものだ。光のごとく立ち向かえる勇気を持つこともあれば、汚泥のように媚びへつらうこともある。……不安定で、どうしようもなく脆い」
見渡せば、戦闘の余波に巻き込まれ、何人かの元老院議員が死んでいた。あれらもまた、己に媚を売り権力の甘い汁を啜っていたが、昔は理想に燃えた者もいたらしい。それが、今ではあのザマである。
「だからこそ、己の意志を貫けるものは強いのかもしれんな……」
そして、それができなかったものの末路はなんとも哀れであり、愉快でもあった。彼女の目には53号と呼ばれる少女の姿など、下らない喜劇か出来の悪い悲劇にしか映らない。
「まあ、裏切り者の末路には相応しい結末か。あの世で仲間も落胆しているだろうよ」
率直な感想を漏らし、エヴァンジェリン目の前の光景に背を向けてこの場を立ち去ろうとしたその時であった。
彼女の背に、何かが触れる感覚があった。次いで、少しばかりの痛みと生温かさを感じる。
「……何のつもりだ」
エヴァンジェリンの背を、53号と呼ばれた少女が細剣で突き刺したのだ。
「フーッ、フーッ……!」
息は荒く、手も震えてはいるが、こちらを睨みつける目は確かに殺気を帯びている。
「……死にたいのか?」
エヴァンジェリンの問いかけに、彼女は答えない。ただ、細剣を握る手は少しだけ震えが止まっていた。
エヴァンジェリンは極低温で出来た冷気の刃を生成し、一瞬で彼女の首を刎ねた。53号と呼ばれていた少女の頭部が、真っ赤な絨毯の上をごろりと転がる。彼女からすれば玩具にしていた者に手を噛まれたのだ、殺して当然だと思っている。
しかし、数年間ずっと従順であった彼女が、何故いきなり己を刺したのかが疑問だった。先ほどの戦いで思うところがあったのか、もしくは裏切りの後悔から断罪を望んだのか。
或いは、先ほどの言葉に激高し己に一矢報いたかったのか。
「何にせよ、私もまだまだか。やはり、人の心を御すのは難しいものだな」
真実はもう、永遠に知ることはできない。それでも、彼女はすぐに再生した己の背中を二度三度擦ると、少しだけ満足な笑みを浮かべて去っていった。
「私置いてくなんて酷くない?」
「戯け、暴れるにしても限度がある。後始末ぐらい自分でやれということだ」
組織の本部へと戻ったエヴァンジェリンは、遅れてやってきた弐から文句を言われ続けていた。弐が暴れまわったせいで半壊してしまったため、後のことを全て弐に丸投げして帰ってきたのだ。そもそもの原因が弐なので当たり前といえば当たり前なのだが。
「エヴァンジェリン」
「デュナミスか、どうした?」
浅黒い肌をした筋肉質の男がやってくる。名をデュナミス、『夜明けの世界』の大幹部であり、かつて魔法世界を裏側から掌握していた大組織、『
「アスナから連絡が入った。柳宮霊子が敗れたそうだ」
「えっ!?」
「ほぅ……」
デュナミスから告げられた言葉に、弐は驚愕の表情へと変わり、対照的にエヴァンジェリンは面白そうな様子だ。
「あの陰険魔女がそこらの魔法使いに負けるわけない……信じられないわ」
「私も俄には信じられなかったが、事実だ」
最初に敗れた大川美姫は、まだ幹部になって日も浅い若輩であり、その精神的な不安定さから思うような実力を発揮できなかったこともあり、敗れたのには納得できた。
しかし、霊子は組織でも古株であり、その実力は魔法だけならエヴァンジェリンに比肩しうる程。おまけに、その油断も隙も見せない盤石に根を張る強かさと冷静さは、デュナミスや弐も一目置いていた。
それに、彼女には魔法世界でも悪名高い大悪魔のロイフェが従属している。魔法の腕はからきしだが、その戦闘能力は幹部であり上位悪魔であるフランツやもう一人と比べても何ら遜色ない。
「あいつは確か、私の命令を無視して大規模な実験を行っていたな。アスナには手を出すなと言ってあったはずだが……」
「それが、倒したのはネギ・スプリングフィールドとその仲間らしい」
「ほう!」
予想はしていたが、それでもエヴァンジェリンは湧き出す喜びを抑えられず、三日月のように鋭く口元を歪めた。
「実験がどんなものかは知らんが、恐らく霊子は魔力を消耗していたのかもな。しかし、奴の性格からして何の対策も講じていないなど有り得ん。凶悪な罠や魔法をいくつも仕掛けていたはずだ。とっておきの奥の手も残してな」
エヴァンジェリンは霊子のことを高く評価している。それは同時に、彼女の実力や性格、行動も把握しているということ。だからこそ、霊子が倒されたという事実がそこに横たわっていても、霊子がネギ達に敗北するという予想などなかった。
「ふーん……結構やるじゃん。ちょっと戦ってみたいかも」
「クククッ! ここまで私の予想を裏切り、上回ってくるとは……実に愉快だ!」
ナギの息子というだけありそれなり以上の期待はしていたが、ここまで予想外の方向へ段階をすっ飛ばすとは思いもよらなかった。今までの英雄候補の中でも、ここまでのことを成し遂げた者はさすがにいない。
「笑い事ではないぞ。これで既に幹部が二人、その内一人は魔法世界で名を轟かせる怪物『奈落の魔女』だ。これが知られれば我々に対する認識が大きく揺らぎかねん」
「どうせ広まらんよ。奴を捕らえても、我々のことは契約上話すことができない。そして法の裁きに下そうとしても、それを行うのはメガロメセンブリアのジジイどもだ」
どうあがこうが、その事実は何処かでもみ消され、闇に葬られてしまうだろう。そして、裏切った霊子もまたどこにも逃げ場はなくなったわけである。
「恐らく、霊子は麻帆良の連中に取引を持ちかけるだろう。所在が公に知られていない以上リスクよりもリターンのが大きいからな、匿われる可能性が高い。あれほどの頭脳、向こうも協力を取りつけられるチャンスを逃しはせんだろうしな」
「魔法教師の中には、メガロ出身もいるはずだが」
「正義のもと裁くなり何なりすべきだと言うだろうって? 無駄だ、そんなことをしても一文の得にならないのはあの学園長もよく理解しているはず。押し切られて終わりだ」
「むぅ……」
美姫は現在氷雨として、裏切り行為に加担してはいるが、あれはあくまで罰としてそうなるよう仕向けたきらいもある。組織に忠誠を誓い、エヴァンジェリンを敬愛している彼女にとっては相当な苦痛であろうと考えてのことだ。
しかし、霊子は違う。自分の役目を放棄し、あまつさえ計画の要である英雄候補を殺そうとしたのだ。デュナミスからすれば、早々に抹殺すべきだと考えたのだが、現状では難しい。そもそも、アスナが自らの役目である監査として一度、霊子を殺したはずだったらしい。なのに、生きている。信じられないとアスナも言っていた。
「エヴァンジェリン、お前の言うように想定を超える存在こそ英雄に成り得るのかもしれん。しかし、それでもだ。この事態はやはり無視できない。このままでは我々は各個撃破され、組織としての体裁を保てなくなるぞ」
「ククク、そうだな。それもまあ、面白そうではある」
「なんだと?」
「考えても見ろ、元々私は鈴音、チャチャゼロ、アスナという少数で引っ掻き回し続けてきた。今更少人数に戻ったところで、何てことはないじゃないか」
その言葉に、デュナミスは絶句する。それはつまり、彼女にとっては組織など何の重要性も持たないということだ。かつてその組織力で魔法世界を思うままに動かした自分たちとは、根本的に考え方が違うのだと、デュナミスは初めて理解した。
「だが、英雄を相手取る黒幕が、何も率いずただ力だけを示すなど示しがつかんぞ。崩壊した組織の残党などという不名誉を被る必要もないはずだ」
冷静になり、組織の重要性を説くデュナミス。下手をすれば、本当にこの首領は組織を捨てる可能性もある。そうなれば、後に残されるのは頭のいない組織だけだ。
それならばデュナミスが新たに頭になればいいと思うだろうが、彼も悪党として存分に在りたいが故に協力者となった経緯がある。そんな後釜をお零れのようにいただくなぞ、矜持が許さない。何より、自分より上と認めた者がいる以上、トップになろうが虚しいだけだ。
「クク、そう熱くなるな。別に組織を捨てようなどと思ってはいない。あくまで、組織は我々という怪物を飾り立てるファクターにすぎんと言っているだけだ」
「そうか……」
内心胸を撫で下ろすデュナミス。どうにも、最近はこういった立ち位置が増えている気がすると彼は思った。
「まあ、お前の言うことも確かではある。歯抜けの悪の組織なぞ間抜けなだけだし、残党が黒幕面をしたところで情けないだけだ。多少はこちらも動くべきか」
「それにしても、わざととはいえ美姫も、そして霊子も向こうに協力することになるわけか。まるで将棋ね」
奪った駒を使うことができる将棋。勝利した相手を協力者として引き込んでいるネギ達。確かに、まるで将棋の対局のようである。
「将棋、か。まさにその通りだな」
「あっ、またなんか悪い顔してる」
弐の言葉を聞いて、エヴァンジェリンはにんまりとするが、しかしどう見ても悪巧みを裏で考えているようにしか見えなかった。
「ならば、こちらも相応に相手をしてやるとしよう。奪われた駒は2つ、その分を彼らに差し出してもらおうか」
巨悪が、再び盤面を動かし始めた。