二人の鬼   作:子藤貝

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悪辣にして巧妙、堅実にして盤石なる魔女の罠。
欺罔(キボウ)に満ちた迷宮の奥底で、絶望が口を開く。


第四十八話 迷宮の罠

『我が主、侵入者です』

 

万が一の防衛のため、図書館島地下を見まわっていたロイフェからの念話を受けて、霊子は実験の準備をする手を止めた。

 

「……侵入経路は?」

 

『それが……どうやら、秘密裏に使用していた橋の下の通路から反応が』

 

「……成る程、美姫か」

 

あの通り道を知っているのは、夕映とロイフェを除けばアスナか美姫だけ。アスナは立場上おおっぴらに動くことはできないことから、氷雨と名乗り、長谷川千雨とともに行動しても問題ない美姫しかいないと判断した。となれば、侵入者は間違いなくネギ・スプリングフィールド一行だろう。

 

「セキュリティシステムは私が弄っておいた筈だけど」

 

万が一通路がバレたとしても、あの強固なセキュリティドアを突破するのは難しい。麻帆良学園側の用意した高度なプログラムを流用し、さらに改造しているため万全の状態と言っていい。

 

サイバー関連については霊子もロイフェも門外漢だが、彼女らでも分かりやすいよう氷雨によってかなり使い勝手のよい仕様になっているため、霊子が設定をいじったり、ロイフェが侵入に気づくことができたのだ。

 

『は、確かに正常に機能しておりました。……しかし、何者かによってロックをこじ開けられた模様です』

 

「こじ開けられた?」

 

ロイフェが言うには、セキュリティ制御室の情報を覗いてみたところ、何らかの干渉があったと画面に表示されていたらしい。

 

「……今、結界に触れた感覚がしたわ」

 

念話の最中、霊子の張っていた侵入者感知の結界からも、反応が返ってきた。

 

「どうやってセキュリティを突破したかは分からない……けど……」

 

止めていた手を再び動かし、実験用の魔道具の調整を始める。

 

「結界に触れている時点で、彼らの未熟さがよく分かるわ。私の結界魔法による罠は、突破するなんてほぼ無理ね」

 

仕掛けてあるのは、霊子が手ずから仕掛けた結界式の罠。威力も隠蔽能力も折り紙つきの代物ばかりだ。感知結界さえ踏んでしまうような未熟さでは、あっという間に囚われて終わりだろう。

 

「むしろ手間が省けるわ、確実に死んでくれるはずだろうし……」

 

彼女自身が仕込んだ罠でなら、彼らが死ぬ確実性が高い。そうなればもう、邪魔者は完全にいなくなる。魔法教師が突入する前に、実験はとうの昔に終わっているだろう。

 

「それに、貴方がいるもの……ねぇ、ロイフェ?」

 

『ご期待に、応えてみせましょう。吾輩の全霊をかけて』

 

 

 

 

 

「さて、中に入れたはいいが……」

 

「なんか、凄いことになってますね……」

 

茶々丸のセキュリティハックによって、扉を解除することに成功した一行は、無事に図書館島の地下へと侵入に成功したのだが。目の前に広がっていたのは、普段の図書館島とはかけ離れた光景であった。

 

「完全に魔境でござるな……」

 

「どこがどこか分からんわぁ……」

 

「これだと、探検部の地図も役に立ちそうにないです……」

 

ねじれ曲がった螺旋を描く階段に、上下逆さまになった状態で浮遊する本棚。滝の水は水滴の姿のままふよふよと浮いているし、右から左へと水が流れていっているような滝まである。

 

『霊子め、結界魔法で空間をねじ曲げたな……完全に元の地形がわからなくなっているぞ』

 

「マスター、所々に怪しげな結界が見えます」

 

『恐らくは奴お得意の結界魔法による設置罠だな。とことん用意周到なことだ。先ほどのセキュリティハックも既に知られているだろうな』

 

「結界で内部のものを一時的に変質させる呪術は知っていますが……これほど高度なものは初めて目にします」

 

恐らくは、図書館島地下の全体がこのような異境化しているのだろう。改めて、柳宮霊子という怪物の実力が如何程のものかを嫌というほど理解させられた一同であった。

 

「とはいえ、進まなきゃ話は始まんねぇし……」

 

『闇雲に探すだけでは見つからんぞ。通常でも秘密の通路を通って行かねばならなかったのに、この有り様ではどこにそれがあるかも分からん』

 

道案内であれば氷雨がいれば問題ないはずだった。しかし、それすらも許さないほどに変質した図書館島の地下は、まさに迷路ともいうべきものだ。下手に動き回れば、迷子になりかねない。

 

「マスター、いかがいたしますか?」

 

『まずはこの捻じ曲がった光景を元に戻さねば道順も分からんが……ふむ。そういえば茶々丸、奴が設置した結界の罠はどのような分布になっている?』

 

「かなり分散して設置されています。それも、かなり巧妙に隠されているようです」

 

『罠が集中している箇所は?』

 

「……左斜め奥に、他よりも若干多い結界反応があります」

 

茶々丸の話を聞き、考えこむようにして黙りこむ氷雨。暫く沈黙が続くが、再びペンダントから声が響くのに時間はかからなかった。

 

『読めたぞ。左斜め奥に奴の住処への道がある』

 

「設置されてる罠が多いから、か?」

 

『ああ。罠というのは対象の足止めや抹殺を目的として設置することが多い。なら、より相手がかかりやすいことが望ましい。そうなれば、正解のルートに多く設置するのが確実だ』

 

霊子の言葉に、しかし千雨は疑問の言葉で返す。

 

「だがよ、それも罠だとしたらどうする。こっちが判断できる材料が少ない以上、そういったあからさまなのはかえってやらないんじゃないか?」

 

こちらを誘導するためのフェイクなのではないかと氷雨に問う。しかし、氷雨は軽く笑いながらその疑問を否定する。

 

『ないな。そもそも、奴の結界魔法は本来我々に見破れるものではない。茶々丸の高度な科学技術によってようやく分かるレベルだ、見破られること自体考えていないだろう』

 

「魔法先生ならできるのではないでござるか?」

 

『忘れたか? 奴の仮想敵は我々だ、表でもたついているのろま共じゃない。そもそも、ルートを知っているのは私と茶々丸だけだ。そして茶々丸は霊子の持っている記憶ディスクがないから本来ここにいるはずがない』

 

つまり、霊子が想定した中ではネギたちに結界の罠を見破るだけの能力はないと判断して設置されているはずなのだ。また、罠を見破れる魔法先生らが侵入したとしても、集中して設置されているため解除に手間取るだろう。足止めとしては十分な成果が得られる。

 

「どう転んでも最低限の役割は果たすってわけか」

 

『フェイクを張るのは相応のリスクを伴う。それを奴はよーく知ってる』

 

「恐ろしい相手ですね……」

 

ともあれ、行き先は決まった。氷雨の弁はあくまでも仮説にすぎないが、それでも手がかりが一切ない現状で進む価値は十分ある。

 

『作戦変更といくか。奴の罠にあえて乗ってやろう、その先に奴が待ち構えているはずだ。罠の解除は任せるぞ、茶々丸』

 

「お任せください、マスター」

 

 

 

 

 

「……動いたわね」

 

再び結界から感知した霊子。どうやら、想定通り(・・・・)正しいルートを選んだようだ。

 

「フフ、私は決してあなた達を見くびってはいないわ。全力を以って叩き潰すに値する、そう思っているのだから」

 

セキュリティを容易に突破されたのは想定外だったが、向こうはここの数々の機械仕掛やプログラムをいじった氷雨こと美姫がいるのだ。それを理解しているからこそ、侵入されることは想定している。そして、千雨と話して分かったが彼女は相手の心理を読むことに長けている。こちらの性分を予測して、どこを通ればいいか見抜く可能性も十分ありえた。

 

「でも残念、その先こそ私があなた達を消すために用意した罠が仕込まれているのだから」

 

ネギ一行最大の弱点は、経験の不足だ。美姫との戦いや、京都での激闘で大分経験を積んではいるが、一流相手には程遠い。だからこそ、一つ仕込みを見抜くだけで安心してしまう。

 

その先に本命が待ち受けているとも知らず。

 

「見える罠があると……安心してしまうものよねぇ……」

 

バレバレな落とし穴の先に、深い大穴を巧妙に隠して仕掛けておくように。解除したトラップが別のトラップを作動させるキーとなっているように。罠とは常に、相手を出し抜くために工夫されるもの。

 

「相変わらず感知結界にも気づいていないわね。まあ、そちらに関しては茶々丸でも容易には見抜けないように工夫してあるから彼らに見抜けるはずもないけど」

 

罠の方は魔法的な仕掛けを用いる以上、どうしても隠蔽しきれない部分がある。しかし、ただ接触したことを伝えるだけならば見つけにくくすることは容易い。ならば、それを利用した物理的トラップはそうやすやすとは見抜けないだろう。

 

作業を続けていた魔道具の調整が終わる。いよいよ、実験開始の準備が全て整ったのだ。

 

「死の世界のその先……そこにはどんなものが見えるのかしらね?」

 

抜け殻のようになった夕映に向かって、彼女は笑みを浮かべながらそう言った。

 

 

 

 

 

そこかしこに仕掛けられた罠をかいくぐりながら、一同は先へ先へと進んでいた。しかし、進めど進めど同じような密集した本棚が見えてくるだけだ。

 

「むぅ、まるでネギ坊主から聞いた京都での無限に続く鳥居のようでござるな」

 

「『無間方処の咒』か、確かにそれに似ている気がするな」

 

「或いは幻覚を見せられている可能性もありますね……」

 

罠の中に更に罠が仕掛けられていた可能性も考慮し、周囲を見渡しながらおかしいことはないか注意深く観察する。今のところ周囲の光景がループしているように見えるだけで、大した変化はないが、いつ何かが起こってもおかしくはない。既にここは敵の胃袋の中なのだ。

 

『……むっ?』

 

「どうした?」

 

『見ろ、入り口らしきものがある』

 

ポッカリと口を開けた暗やみが、そこにあった。どうやら、幻覚やループをしていたわけではないようだ。更に歩を進めていくと、少し広い空間に出た。

 

「ここは……」

 

「前に図書館島の地下に来た時と同じ場所でござるな……」

 

そこは、異様な空間であった。先ほどまでの捻れたような光景でも、ループした本棚が広がっているわけでもない。正常なのだ、ここがきたことがある場所だと分かるほどに。まるでそこだけ、どこか別の場所を切り取って貼り付けているかのようだ。

 

「よく来たな、侵入者諸君」

 

「!」

 

「この声……!」

 

「まさか……っ!」

 

不意に、上から誰かの声が降ってきた。一部の者には、衝撃的で忘れられぬ声。あの恐るべき死神の声だ。

 

「久しい、とはいってもひと月ぶりほどか。また会ったな、愚か者どもめ」

 

上空から、黒い点が振ってくる。それは近づいてくるに連れ徐々に大きくなっていき、やがてその2m近くある巨躯を正確に視界へと認識させてくる。着地と同時に重々しい地鳴りをたて、地響きで足元が揺れる。そして土煙の中からゆっくりとシルエットが立ち上がった。

 

煙が晴れて見えてきたもの。ボロ布のような灰色のマントを被り、ランランと光る金の眼光はしかしそれを放つ眼球が存在しない。全身が肉も皮もない骨で構成されており、歯は歯茎すら存在しない剥き出しだ。そして、手には巨大な鎌が握られていた。

 

「貴様は、ロイフェ……!」

 

「懲りずにここへとやってくるとは、な。生憎だが、この先には行かせんよ。誰一人としてな」

 

かつて図書館島の地下で遭遇した、悪魔の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

「あー、やだねぇ。あの組織を敵に回そうだなんて馬鹿げてるったらありゃしないよぉ」

 

ネギたちが図書館島の地下へと突入していたその頃。麻帆良学園のとある場所で一人の女性がそんな風につぶやく。その正体は、霊子と同じ組織の幹部であるフランツであった。尤も、彼は幹部格では最底辺に位置する人物であり、大抵は他の幹部の使いっ走りをさせられているのだが。

 

(個人的には好感が持てる奴だったが……さすがに『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』に敵対する度胸は私にはないねぇ……)

 

そんな彼だが、霊子とはそれなりに良好な関係を築いていた。組織の中では常識的な人物であったこともあるが、何より古い馴染みであるロイフェの存在が大きかった。

 

(……チッ、あいつも霊子に忠誠を誓ってるのは分かるが……何も一緒になって破滅に向かわなくてもいいだろうがよぉ……)

 

実験のことに関しては、ロイフェは彼女から聞かされている。彼は友人に対しては中々に義理堅い男でもあるため、口外することはないと霊子から話をしたのだ。

 

(友人とはいえ、私が付き合う義理まではないねぇ。私だって命は惜しいしさぁ)

 

だが、彼も悪魔らしい悪魔だ。友情よりも自分の利や保守へ心が傾くのは当然。むしろ、ロイフェのような深い忠誠を誓う悪魔こそ珍しい部類といえる。

 

「しかしまぁ……私も古臭いもんになっちまったのかねぇ……」

 

旧世界で会う悪魔など、魔法使いに呼び出されるか偶発的に呼び出されるかであり、この世界で積極的に活動する悪魔など殆どいない。いたとしても、古くからいるような悪魔が殆どだ。その古い連中も、段々と数を減らしている。かつての人間と悪魔の関係など、もう現代では望めないだろうと。

 

(……若い連中は、知らないんだろうねぇ……かつて私達悪魔が、人間とどんな交流を交わしていたのかなんて……)

 

昔は、魔法陣に呼び出されてあれやこれやと願い事を頼まれたものだった。ある者は縋りついて泣き、ある者はひたすらに語り合い、ある者は戦いを挑み、ある者は悪魔を滅すべしと聖句を唱えながら襲いかかっていた。気まぐれで願いを叶えてやったり、あるいは全て嘘を教えてやったりもした。

 

人と悪魔の意地の悪い駆け引きの日々、互いの利益を求めた騙し合い。それらは長命な彼らにはとても刺激的だった。科学がまだ全能でなかった時代、悪魔はいつも人と共にあった。魔法世界では当たり前の存在となってしまった彼らにとって旧世界での人間との関係は、実に心躍るものであったのだ。

 

(ほんの100年……時代が変わるには十分だが、それでもこれは変わりすぎだねぇ……)

 

科学が進歩していくにつれ、人はまやかしを侮り、魔法も呪術も信じなくなった。それは、悪魔と人との関係の終焉であった。悪魔もまた空想であると断じられ、現代で呼び出されることなど稀となった。

 

「今じゃあの退屈な魔法世界のほうが生きやすい世の中になっちまったぁ……昔の連中は、魔界に篭りきりになっちまってるしぃ」

 

そして今日、また一人古い友人が消える。組織の命令に逆らった以上、厳罰は避けられない。下手をすれば主従諸共殺されてしまうだろう。上位の悪魔はそうやすやすとは死なないが、方法がないわけではないのだから。

 

「あー……やだやだ、辛気臭いったらありゃしないねぇ……」

 

気分を変えて、何か腹に入れることにしようと決める。せっかくの麻帆良観光だ、何か面白い店でもないかと歩きまわる。

 

「……おぉ?」

 

すると、どこからか芳しい香りが漂ってくることに気づく。匂いをたどって進んでいけば、一件の移動式屋台が姿を現した。

 

「……中華かぁ」

 

今は没落してはいるが、領地があった頃気まぐれで雇った中国人の料理は、中々に美味な料理を出してきたものだと思い返す。興が乗って料理人と語らったり、料理を教わったりもしたものだ。流行病で若くに亡くなってしまったが、陽気で面白いやつだったなと懐かしむ。

 

「……ま、腹が満たせりゃ贅沢は言わないが……」

 

あんまりマズければ文句の一つでも言ってやろうと、意地の悪い笑みを浮かべて店へ向かった。

 

 

 

 

 

「ほぅ、組織の計画に組み込まれている以上相応の修羅場はくぐってきていると聞いていたが……皆いい面構えだ」

 

ネギたちを値踏みするかのように金色の眼光を細め、一人一人指さしていく。

 

「組織のってことは……」

 

「やはり、お主は柳宮霊子の!」

 

「左様。吾輩こそは『奈落の魔女』と呼ばれる我が主、柳宮霊子が下僕。『首狩り』ロイフェよ」

 

「くっ、『首狩り』だってぇ!?」

 

ロイフェの名乗りに、アルベールが驚愕とともに声を上げる。

 

「エロオコジョ、何か知ってんのか?」

 

「知ってるも何も、魔法世界じゃ最低最悪の悪魔っスよ! 爵位こそないが、上位悪魔でも相当な強さを誇り、数多くの魔法使いを殺してきた奴っス!」

 

ここ数年は姿を見せなかったが、かつては彼の象徴とも言える巨大鎌で数多の魔法使いの首を刈ってきたという。魔法世界では、最も危険な悪魔として今も多額の懸賞金がかけられているらしい。

 

「吾輩のことを知っておる奴が旧世界にいるとは、少々驚いたぞ。向こうの情報は規制されているせいで入りづらいものだが、中々に精通しているようだな」

 

「あ、あんたに褒められても嬉しくないってんだ!」

 

「賞賛は素直に受け取るべきだと思うがね。まあ、どちらにせよ死ぬのであれば同じことか」

 

そう言うと、彼は鎌を持ち上げて構える。途端、先程までとは比べものにならないほどの殺気と気迫が漲っていく。それを受けて咄嗟に、楓と刹那は戦闘態勢へと入った。

 

「ひっ!?」

 

「息が……できひん……!」

 

襲い掛かってくる重圧に、戦いに慣れていないのどかと木乃香は息も絶え絶えとなる。アルベールも体中を嫌な感覚で支配されているようで、金縛りにあってしまった。

 

「っ、この程度……!」

 

「あいつらに比べれば……!」

 

「ふぅむ、実戦経験の少ないひよっこでは耐えられんかと思っていたが……」

 

のしかかってくるような重厚な殺意の中、千雨とネギはそれに冷や汗を流しながらも、歯を食いしばりながらしっかりとロイフェを真っ直ぐ見据えていた。

 

「面白い……久々に骨のある相手と戦えそうだ」

 

ロイフェは、骸骨の顔ながら好戦的な笑みを浮かべているように見えた。

 

「チッ、こっちは早く行かなきゃならねぇってのに……!」

 

「ゆかせんよ。どのみち誰一人として生かしてはおかんのだからな」

 

その言葉と同時。ロイフェの姿が一同の視界から消失した。それに驚きの反応を起こすよりも先に、ロイフェはのどかの背後へと姿を現していた。

 

ギャリン!

 

「そう容易くはやらせんぞ」

 

「神鳴流……以前よりも腕を上げたか?」

 

彼女の首筋に刃が突き立てられるよりも早く、甲高い金属音が木霊した。いち早く反応した刹那が、彼の刃を弾いたのだ。

 

「え、え……?」

 

一方、何が起こったのかわかっていないのどかは、困惑の表情を浮かべていた。一瞬でロイフェが消えたと思えば、背後に彼がおり、更に刹那と刃を交えていたのだ。相手の心を読めるアーティファクトがあるだけで、一般人と差し支えない彼女には一連の動きが全く見えていない。

 

「ネギ先生! ここは私が引き受けます! 先生は皆を連れて奥へ!」

 

「っ!」

 

それはつまり、刹那を置いて行けということだ。相手は魔法世界に名を轟かせる上位悪魔、刹那が勝てる見込みは低い。だが、ここで手を拱いていては時間はどんどん失われていく。

 

「……刹那さん、くれぐれも無茶はしないでください!」

 

そう言うと、ネギはのどかの手をとって駈け出した。のどかは、手を引かれつつも刹那に無言の会釈で健闘を祈る。

 

「せっちゃん、私……信じとるから!」

 

木乃香は、彼女を信頼してあえて先へと進んでいった。残っていても、自分が足手まといになることを理解しているからだ。ならば、後からやってきた彼女を癒してやることが、自分がすべきことだと信じて。

 

「皆を頼むぞ」

 

「無論でござる」

 

互いにその実力をよく知っている二人は、言葉少なくとも大丈夫であると確信して見送り、見送られていく。

 

「別れの言葉があれでよかったのかね?」

 

「生憎だが、私は皆を信じている。あの地獄のような夜を共に乗り切った仲間をな」

 

「……いい目だ。以前よりも迷いがない、いや迷いながらもそれを飲み込んで前へと進むことを決意したか。だが……」

 

鎌を水平に構え、次いでゆっくりと回転させ始める。それは段々と速度を増し、円を描いた残像が生まれるほどになると、その中心から漆黒の闇が広がっていく。

 

「我輩を以前と同じと思うなよ……此度の戦い、加減はなしだ」

 

大きく広がった闇は、やがて段々と立体となっていく。その姿は、まるで漆黒の闇でできた満月のよう。

 

「『暗黒の満月(アンブラル・フルムーン)』!」

 

巨大な球状の闇が、勢いよく刹那へと射出される。それを、彼女は静かな所作で刃を構える。果たして、闇の塊はその姿を球体から二つの半球へと姿を変えて彼女の後方へと飛んで入った。

 

「神鳴流、『斬魔剣』」

 

「最小限の動きで吾輩の攻撃を斬り飛ばしたか。下手に刺激すれば中の闇が飛び出すはずだが、一切刃筋をぶれさせることなく斬って捨てるとはな」

 

「侮られては困る。こちらも以前と同じと思われるのは心外だ」

 

双方共に、以前とは違った動きを見せる。ならば、以前交えた刃もどう変わっているのかは分からない。互いに手の内が明かされていないも同然だ。

 

「成る程、京都での一件で心技ともに磨かれたか。そういえば、あの少年も随分と成長していたな。惜しむらくは、若さゆえに詰めが甘いことか。最大戦力といえる君一人を私にぶつけて進んでしまうとはね」

 

「いいや、彼は私を信頼してここに残していったのだ。後から必ず辿り着けると」

 

「しかし、送り出したその先こそが本命の罠だとしたらどうするかね?」

 

「……何だと?」

 

 

 

 

 

「暗いな……」

 

「先が見えないです……」

 

魔法で光を灯しながら、慎重に歩を進めていく。しかし、それは周囲を照らすには不十分な光量であり、手探りで前へと進んでいるようなものだ。薄暗い周囲は、かろうじて通路や壁が見える程度でしかない。まるで迷路に迷い込んだかのようであった。

 

『茶々丸、ライトで照らせるか?』

 

ガイノイドである茶々丸には、ライト機能も備わっている。それを用いれば、この暗やみも照らせるのではと氷雨は思ったのだが、茶々丸は首を横に振った。

 

「可能ですが、機能を切り替えるため罠を発見できなくなる可能性があります」

 

『駄目か。では、罠はこの先どれぐらい見える?』

 

「現時点では発見できておりません」

 

『見つからない?』

 

茶々丸の言葉に、氷雨はおかしいと考えこむ。進んできた距離から考えても、それなりに深部に来ているはず。ならば、より罠を増やしていてもおかしくない。

 

『……いや、まさか』

 

罠が見つからないのではなく、既に罠の中に(・・・・)いるのだと(・・・・・)したら(・・・)

 

『……やられた』

 

気づいた時には、もう遅かった。

 

「か、楓さんがいない!?」

 

振り返ってみると、殿を務めていたはずの楓の姿がそこにはなかった。先ほどまで共に行動していたはずの彼女が、この暗闇に飲まれてしまったかのように消失していたのだ。

 

「氷雨、こりゃあ一体……」

 

『我々は既に奴の術中だったというわけだ。茶々丸、楓の反応は分かるか?』

 

「……熱反応、ありません。少なくともこの周囲には存在しないかと」

 

茶々丸がサーモグラフから楓の反応を探すが、冷たい石や本棚ばかりだ。人間の体温反応はどこにもない。

 

『魔法反応がないわけだ。この暗闇そのものが、結界の役割を持っているんだろう』

 

曰く、暗闇そのものが閉鎖的な空間を生み出しており、その概念部分を応用して結界としているらしい。迷いやすい迷宮のような構造をしているのがそれに拍車をかけているという。

 

恐るべきはその技法で、暗闇そのものは自然現象であるため茶々丸でも見抜けない。だから気づくのが遅れたのだ。

 

『この暗闇は方向感覚を狂わせ、距離感を失わせる。一度でも離れればあっという間に行方知れずになるぞ。そして、一人一人闇の中で確実に仕留めるつもりだ』

 

「じゃあ、楓さんは……!?」

 

『落ち着け。たしかに高度な魔法だが、それはあくまでも暗闇を利用して分断する結界でしかない。罠が感知できていないということは魔法的なトラップは仕込まれていないはずだ。あるのは物理的な罠、落下死などを狙う類の可能性が高い』

 

「ほんなら大丈夫、かなぁ……?」

 

この暗闇の中では、そんな状況で落とし穴に落とされれば、咄嗟の反応も遅れて真っ逆さまだろう。しかし、楓はネギ一行の中でも刹那と並ぶ実力者。罠にかかったとしても、生還できる可能性は高い。何より、下手にこの暗闇で彼女を探しまわっては全滅しかねない。

 

『むしろ、この罠は我々を狙ってのものだろう。非力な魔法使いや元一般人なら、容易く殺せるはずだ』

 

「……!」

 

「先生、宮崎の手を絶対離すなよ。近衛、私の手を握っとけ。この暗闇じゃ手つなぎだけが頼りだ……」

 

 

 

 

 

「ううむ、よもや暗闇での活動に慣れているはずの拙者が逸れてしまうとは……」

 

一方、一人闇の中を彷徨っていた楓は、自身の研ぎすまされた感覚を頼りに進んでいた。

 

(刹那に皆を任されたばかりでありながらこの体たらく……拙者もまだまだでござるな)

 

己の実力に驕っていたつもりはないが、それでもこの状況になってしまったのは間違いなく自身の油断が原因だ。弛んでいると自覚し、彼女は頬を叩いて気合を入れなおした。

 

「……む?」

 

僅かではあるが、何かの音が聞こえた。それは段々と大きくなり、彼女により正確な情報を伝えてくる。

 

(この音は……まるで滝のような……)

 

音が大きくなっているのは、彼女が歩を進めているからではない。むしろ、向こうから近づいてきているような変化の仕方だ。

 

(っ、まさか……!)

 

楓の悪い予感は、的中した。

 

「水攻めかっ……!」

 

彼女がつい先ほど通った箇所の壁から、勢いよく水が噴出した。恐らく、壁の向こう側にあった水流を流し込んだのだろう。楓は気づいていなかったが、魔法による感知結界が反応して仕掛けが作動し、水を引き込んだのだ。

 

「くっ、楓忍法『龍縛鎖』!」

 

先にフックの付いた鎖を四方に投げつけ、壁へと引っ掛ける。そして鎖が体に巻きつくと同時に、楓は水流へと飲み込まれた。

 

(水の流れが早い……このままでは、流される……!)

 

鎖によって押し流されることは避けられたが、このままでは溺れ死んでしまう。得意の分身術も、この状況ではただ流されて終わりだ。

 

(泳いで抜け出す他ない……)

 

水流は、壁の向こう側から流れ込んできた。ならば、壁の向こう側に空間があるということだ。水流のない場所があってもおかしくない。

 

(一か八か……できるか?)

 

楓は懐からもう一本だけ残った鎖のついた鉤を取り出し、考える。この水流の中でこれを引っ掛けながら、鎖を伝って少しずつ進んでいくつもりなのだ。だがそれは時間との戦い、辿り着く前に息が続かなくなれば終わりだ。

 

(生きるか死ぬか、我が天命は如何程か……いざ!)

 

水流に逆らいながら、流れ込んだ水によって穴の空いた壁際へと勢いよく投げる。鉤爪は水に流されることなく引っかかり、ガッチリと掴んだようだ。体の鎖を解き、楓は水流に逆らいながら壁伝いに進み始めた。

 

 

 

 

 

「な、なんやこの音……!?」

 

楓がかかったトラップは、ネギたちへも影響を及ぼしていた。流れでた水流が、彼女らへと向かっていったのだ。

 

「なんか分からんがマズい、走るぞ!」

 

千雨はなにか危険が迫っていると判断し、罠にかかるよりも走ることを優先した。

 

「どうやら知らないうちに罠を踏んでたらしいな……!」

 

『つくづく貴様らと関わると碌な目に合わん! 疫病神か何かか貴様らは!』

 

「うっせぇ! 私らだって好きでこんな目にあってるわけじゃねぇからな!」

 

出口がどこかもわからないが、ひたすらに突き進む一同。しかし、のどかと木乃香は既に息が上がる寸前であり、千雨も限界が近い。ネギからの魔力供給で一時的に強化しているものの、元々非力な彼女らでは走り続けるのは辛いものがあった。

 

「なっ、行き止まり……!?」

 

走り抜け、曲がった先には道がなかった。既に水流は彼らのすぐ後ろへと迫っている。万事休すかと思ったその時。

 

「あっ、扉が……!」

 

「出口っすよ兄貴!」

 

よく目を凝らしてみれば、壁と同色の扉がそこに佇んでいた。薄暗さによって、一見すれば壁にしか見えないようになっていたのだ。意を決して、ネギはその扉を開ける。

 

「っ!」

 

扉の先には、光があった。眩しさで一瞬目がくらむが、直ぐに目が慣れて扉の先を映し出す。だが、そこにあったのは。

 

「道が、ない!?」

 

扉の向こうにあったのは、深い深い奈落であった。底の方は永久(とこしえ)の闇を湛えているがごとく暗く、肉眼ではとても確認できない。向こう側には地面があるが、遠すぎて飛び越えるなど不可能。

 

追い詰められた状況から脱出する事ができたかと思えば、その先はまたも窮地であった。

 

(どうする、僕の杖じゃ僕を含めても3人ぐらいまでしか乗れない……!)

 

ネギの魔法の杖であれば飛ぶことが可能だが、4人を乗せることはできない。

 

「どうすれば……!」

 

突きつけられる選択肢。助かりたければ誰か一人を捨てなければならない状況に、ネギは焦りで冷静さを失っていく。

 

「兄貴! 早く杖で飛ばねぇと!」

 

「でも僕の杖じゃ、全員は乗せられないんだ!」

 

「兄貴、それは分かってやす。何も、乗せる(・・・)必要はない(・・・・・)んですぜ(・・・・)!」

 

「……!」

 

ネギはその言葉に、ひとつの答えを得た。彼は急いで杖にまたがり、勢いよく地面を蹴る。

 

「えっ……?」

 

「なっ、先生!?」

 

「なん、で……!?」

 

驚愕の表情を浮かべる三人を置き去りにして、たった一人で(・・・・・・)


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