二人の鬼   作:子藤貝

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袂を分かち、敵対した姉妹。
これは、そんな二人の出会いたる前日譚。


閑話 追憶

きっかけは、単純なものであった。

 

『最近は方々の掌握も進んでやることが減ってきてな、暫く休んでくるといい。ククク、どうせなら2年ぐらいはぶらついても構わん。存分に羽根を伸ばしてこい』

 

主である少女から、珍しく長い(いとま)を出された彼女は、何故か自らの故郷である日本へと赴いていた。

 

「…………」

 

見渡す風景は、かつて狭い世界に生きていた幼い自分にはとても想像もつかないものだっただろう。しかし、すでに行く年もの時が過ぎ去った今では、彼女にとっては何の感慨もないつまらぬ雑多な風景であった。

 

(……何故私は、ここに戻ってきたのか)

 

望郷。人は己の生まれ育った地を再び訪れることが多い。だが、彼女にとってはここは自らが鬼へと生まれ変わり、全てを失った忌まわしい場所なだけ。そんな場所に、わざわざ戻ってきたいなどとは思わないだろう。

 

「……まあ、いいか」

 

それさえも、考えるだけ瑣末なことだ。結局己は鬼としてあり、人としての全てを捨てた。成し遂げたかった復讐も、憎悪も全て枯れ果てた。失ったことへの哀しみも、痛みすらそこにはありはしない。

 

(……それでも、私は期待しているのかもしれない)

 

最早戻れぬ、穢れを知らなかったあの時間。心の奥底で未だ渇望しているのやもしれない。ここにやってきて、ひょっとすれば昔のように父母が暖かく出迎えてくれるなどという、妄執にとらわれているように思えた。

 

「……バカみたい」

 

 

 

 

 

馴染みのない街中を歩いたが、何か発見があったわけでもなく、いつの間にか町外れへとやってきていた。思えば、自分には趣味と呼べるものがない。暇があれば修練か瞑想ばかりやっていた。これは幼い頃から影鳴によって教育された影響が今も残っているせいだろう。

 

(……心が落ち着く)

 

静かな森の中を歩いて行く。先ほどまでと違い、喧騒から遠ざかったこともあってか心が安らいでいるのが分かる。だが、対照的に空が段々と鈍色へと変化していっていた。

 

(……一雨くるか)

 

生憎、雨具は持ってきていない。このまま濡れ鼠になってしまうのは構わないが、まだ宿泊先を決めていないので乾かす目処もないのが困りものだ。

 

(……仕方ない、戻るか)

 

あてもなく彷徨っていたためか、結構な深さまで森の奥へと進んでしまっていたらしい。後ろへ振り返ってみても、先ほどの現代的な風景はどこにもなかった。

 

(……? ……『呼吸』?)

 

何かの、弱々しい『呼吸』が感じられる。それだけであれば別に気にもとめなかったのだが、ふつうのものとは違った感覚が引っかかった。

 

(……これは、人間と……別のもの、か……?)

 

人間の呼吸に混じって、何か別のものが混ざりこんでいる。普通とは違うそれは、魔の者に近いものだった。興味が湧いた彼女は、呼吸の感じられる方へと歩を進めてゆく。歩くにつれ、ぽつりぽつりと雨が降り始め、やがて本降りとなっていく。

 

「……子供、か?」

 

見つけたのは、雨の中地べたに這いつくばる少女。見れば、泥に汚れてはいるが白い頭髪に色素の薄い肌をしている。恐らくは、アルビノだろう。

 

(……半妖か)

 

先ほどの違和感は、これが理由だったのかと納得する。

 

「……おなか、すいたなぁ……」

 

弱々しい言葉が聞こえてくる。雨が容赦なく彼女を打ち、どんどん体温を下げている。このままでは、きっと死ぬだろう。

 

「……どうしたの?」

 

反射的に、鈴音は呼びかけた。取るに足らない存在であったはずなのに、何故か声をかけてしまった。

 

「だ、れ……?」

 

閉じかけていた目を微かに開き、こちらを見つめつ少女。その目には、生きようという気力も、活力も存在しない。ただ、絶望を湛えているだけだ。

 

「……貴女、一人……?」

 

少女を見下ろす鈴音。命の灯火が今、消えようとしているのが分かる。

 

「うち、ひとりぼっち……なの……」

 

「……そう」

 

「しんだら……とうさまとかあさまにあえるかな……」

 

(……!)

 

鈴音は気づいた。何故、自分がこんな少女から目が離せないのか。似ていたのだ、自分に。かつての、鬼に成る前の己に。

 

(……全て、失って……絶望に、沈みかけている……まるで、私だ……)

 

ならば。このまま絶望に突き落としてやれば己と同じものが生まれるのではないか。ふと、そんな考えが浮かんだ。

 

(……どうせ死ぬ。……なら、試してみるのも面白い……)

 

黒い狂気が鈴音を後押しする。

 

「……死んでも、貴女の父と母は、そこにはいない……」

 

口をついて出たのは、死した先に、慕う父母など存在しないという言葉。ただ、彼女はそれを向こう側を見たせいでよく知っている。あながち間違いというわけではない。少女は、その言葉に何か反論するでもなく、悲しむでもなく目を閉じた。

 

「……死んだ、か」

 

鼓動が止んだ。間違いなく死んだのだろう。最後に看取られたのがこんな怪物だというのが、実に哀れだった。だが、彼女は未だ少女から目を逸らさない。そのまま、近くにあった大岩に腰掛け、じっと見つめる。

 

(……やはり、あの世界へ行ったか)

 

彼女を通して、向こうの世界を見る。半分あの世界とつながっている彼女には、鮮明にその光景が見て取れた。

 

(……? ……おかしい、死ぬにしてもすぐに輪廻へ呑まれるはず……)

 

あの世界は死者にとっての岐路でしか無い。生まれ変わるものはすぐに世界へと溶け込み、全てが洗い流されて何処かへと消えていく。だが、あの少女にはそれが起こらない。

 

(……紅雨も反応していない……?)

 

彼女はまだ死なないのだとすれば、あの世界の門番でもある紅雨が反応するはず。既に現世での憑代の主である鈴音がいるため、異物として追い出すはずだ。

 

(……紅雨、何故動かない?)

 

彼女が紅雨へと呼びかけたその時。突如向こうの世界で水面に無数の波紋が広がり、どんどんと波立っていく。それはどんどん激しくなり、最後には大津波となって少女を飲み込んだ。

 

(……どういうこと?)

 

『呼びかけ感謝するぞ主、まさか俺が気づけなかったとは……』

 

(……気づけなかった?)

 

『何故かは俺にもわからん、だが俺の探知には全く引っかからなかった』

 

あの世界の住人である紅雨が、気付かなかった。明らかに異質だ。

 

「ん……あ、れ……?」

 

そして、少女が目を覚ます。そんな少女を、鈴音はじっと観察する。正直言って、本当に生還するとは思いもしなかった。まして、紅雨にさえ気取られないであの世界にいられる者など、彼女も初めて見た。

 

「うち……いきてる……の……?」

 

「……貴女が見たものは、本物よ……」

 

困惑気味の少女に、鈴音は夢ではなかったと端的に言う。少女はますます混乱している様子で、自分が死んでいるのか生きているのかもいまいち判別がついていない様子だ。ただ、生き返って間もないせいか、或いは元々衰弱していたせいかは分からないが、相変わらず呼吸が弱々しい。せっかく生き返ったのに、このまま死なせるのもつまらない。そう思った鈴音は。

 

「……食べる?」

 

コンビニエンスストアで購入した、ビニールに包まれたおにぎりを差し出した。

 

「……いいの?」

 

「……お腹、空いてるでしょ?」

 

少女は鈴音の手からそれをひったくると、開け方もわからないのか乱暴にビニールを破って中身を取り出し、口へと運んだ。余程腹が減っていたのか、無心になって食べ進め、あっという間に腹の中へと収まった。

 

「……なんで? なんで、うちをたすけてくれなかったん……しにそうやったのに……」

 

少女は、鈴音を非難するような眼差しで見る。ただ、そこには少なくとも先程までのような絶望に打ちひしがれ、光を失った目はなかった。

 

「……生きるか死ぬかは、その人の気力次第……貴女は本当に死ぬ寸前だった……。……私が手助けをしても、死んでいた……。……だから、貴女が生き返ったことに、驚いてる……」

 

あえて、自分が思っていたことを口にした。生き死には本人の生きようとする気力が重要であり、だからこそ自分は余計な手出しをせずに成り行きを見守ったのだと。

 

「……貴女があの世界で、輪廻へゆくのかを見ていた……」

 

「みていたって……あのよを、みてたってこと……?」

 

「……私には、あの世界が見える。……でも、生と死の営みは私には変えられない。……それができるのは、あの世界のモノだけ……」

 

そう、あの世界に住まう存在だけがそれを許される。自分は所詮、此岸における紅雨の憑代の所有者なだけだ。

 

「……貴女はまだ、あの世界に行くべきではない……だから、生きている……」

 

ともかく、かの世界から放り出されたということは、まだ死ぬべき宿命ではないということ。ならば、この少女の行く末を見てみるのも一興。

 

「……まだ生きたいなら……一緒に、来る……?」

 

「え……?」

 

「……一人は、寂しい。……寂しいのは、怖いよ……?」

 

何より、かつての己の境遇と同じ少女を、このまま見捨てるのは気分が悪い。かつて、己は鬼と成って放浪し、エヴァンジェリンに出会うまでは絶望の中を彷徨っていた。あの時、もし彼女と出会えなかったら。それを想像するだけで鈴音の心は恐怖する。

 

ここで少女を見捨てれば、少女はどうなるだろうか。それが分かるだけに、見捨てるという選択肢は選びたくない。

 

「……ええの? うち、いっしょにいってもええの……?」

 

「……私は、貴女を拒絶しない。……貴女と共にいる」

 

「……うぇ、うえええええええん!」

 

少女は、受け入れられた嬉しさと、寂しさからの解放で大いに泣いた。鈴音は、ただ泣くのが収まるまで少女の頭を撫でて宥め続けた。やがて、少女が泣き止むと、名前を尋ねる。

 

「……貴女、名前は?」

 

「……せつな」

 

「……刹那……か……」

 

儚く、一瞬にも満たぬ時間。鈴音はそこにどこか因果を感じていた。自らが廻る世界を生き、感じ取り、生と同時に死も共に在るようにと『輪廻』をもじって名付けられた鈴音という名。そして、その生と死そのものも、眩くも儚い刹那に等しい。それはまさに、鈴の音の如く。

 

不意に思い出したのは、母があまり好まなかった桜の中で、ただ一度だけ美しいと呼んだそれ。ひっそりと咲き、ただ散っていく山桜。鈴音も、幼いながら鮮烈に覚えている。

 

「……今日から、貴女は桜咲刹那よ」

 

我ながら、安直な名づけ方だと心のなかで苦笑する。だが、不思議としっくりくるものがあった。

 

「おねえさんの、おなまえは……?」

 

不意に、そんなことを聞かれた。そういえば、少女に対してまだ名乗ってすらいなかったことに気づく。

 

「……鈴音。……明山寺鈴音」

 

これが、鈴音と刹那の最初の出会い。運命が交わった瞬間であった。

 

 

 

 

 

「……腕が下がっている」

 

「はいっ!」

 

出会いから1年。鈴音は気まぐれから自分の妹とした少女、刹那に剣術を仕込んでいた。最初は護身が出来る程度に学ばせるつもりだったのだが、刹那の才能は眼を見張るものがあり、いつの間にか彼女は本格的な稽古を刹那につけていた。

 

「……反応が遅い」

 

「うわっ!?」

 

今行っているのは、木刀を用いての実戦的な戦闘だ。主な宿泊先はホテルなどの施設だが、日中はもっぱら山中へと向かい戦闘訓練が主だった。基礎体力をつけさせるために、ひたすら鹿を追わせたり、わざと山中に残して山の中を彷徨わせたりもした。

 

尤も、後者は見捨てられたと勘違いした刹那が大泣きしたため、以後二度と行うことはなかったが。

 

(……鬼も泣く子には勝てぬ、か)

 

「す、隙ありやっ!」

 

「……甘い」

 

「はうぁっ!?」

 

意識がそれていた自分を見て好機だと思ったのか、刹那が一気に打ち込みにきたがそれを軽くかわして脳天を木刀で叩いた。痛みで頭を抱え、蹲る刹那。

 

「うぅ、姉さん強すぎや……」

 

「……刹那も大分うまくなったよ」

 

「ほ、本当!?」

 

慕っている姉から珍しく褒められ、有頂天になる刹那。が、今度はその姉から後頭部に木刀での殴打をもらう。再び頭を抱えて蹲る刹那に、やや呆れながら鈴音は注意する。

 

「……調子に乗っちゃ、ダメ」

 

「はい……」

 

彼女も村雨流の継承者、鍛える以上妥協など許さないし伸ばせるところまで伸ばしてやりたいという気持ちもある。

 

(……本当に、甘い)

 

魔法世界(ムンドゥス・マギクス)最狂と恐れられる自分が、こんな子育てじみたことをするなんて、本当に甘いことだと自嘲した。しかし、一方でそれを悪くないと感じているのも確かだ。彼女が自分とお揃いがいいからと、刹那の白く美しかった髪を染め、黒目のコンタクトまで与えた。彼女に、一緒がいいと言われて嬉しかったのだ。完全に浮かれ気味である。

 

(……でも、いつか戻らなきゃいけなくなる)

 

出された暇はまだまだある。あと1年は帰らなくても問題ないだろう。必要なら、向こうから連絡がくるはずだ。それでも、いずれは帰らなければならない。自分は、決して光の中にはあれないのだから。

 

(……その時は、刹那も……?)

 

フェイト同様に、見習いとして組織に所属させるのもいいかもしれない。そんな考えが浮かんで、しかし対照的にそれをよく思っていない自分もいた。

 

(……刹那は、まだ純粋……私と違って、闇に馴染めないかもしれない……)

 

その時は、どうする。彼女は身寄りのない少女だ、自分と袂を分かつならば共にあるのは到底不可能。必然、一人で生きていくことになるだろう。

 

(……それは、少し嫌かな……)

 

最初は、興味本位と実験的な目的だった。だが今は、少しだけ愛着が湧いてしまったらしい。

 

道は二つに一つ、答えの出ない悩みに、鈴音は終始うわの空気味であった。

 

 

 

 

 

そんなことを考え始めていた矢先、刹那を連れて鈴音は京都へと足を伸ばした。普段修行ばかりでは刹那もストレスが溜まるだろうと思い、気晴らしに観光でもしようというわけだ。初めての京都の街並みに、刹那は興奮気味だ。

 

「姉さん、これは何やろ?!」

 

「……八つ橋」

 

「あれ、でも八つ橋ってお餅みたいなやつじゃ……?」

 

「……それは焼き菓子の八つ橋……とても硬い」

 

こうして普通に観光しているさまは、仲の良い普通の姉妹にしか見えない。尤も、鈴音が幼い容姿をしているせいもあるが。店に行くたび、親はどうしたと尋ねられるのは正直鈴音には煩わしかった。

 

「そういえば、姉さんはいくつなん?」

 

純粋な疑問からか、刹那がそう尋ねてくる。確かに、自分と同じぐらいの容姿をした自分が、本当に歳上なのか疑問に思うのは仕方のない事だろう。

 

「……20は既に過ぎてる」

 

「ええっ!?」

 

「……この話は、もう終わり」

 

別に年齢のことなど化け物になった時点で気にはしていないが、仮にもここは天下の往来である。さすがに人が見ている前で自分の年齢について語るなどという羞恥プレイは避けたかった。彼女とて、恥ずかしさを感じないわけではないのだ。

 

(……少し危険だが、あそこ(・・・)にも行ってみるか)

 

少し落ち着いた場所に行きたいと思い、それならばもののついでとばかりに、目的地へと向かった。

 

 

 

 

 

「……ほわぁ、鳥居がいっぱいある……」

 

「…………」

 

やってきたのは、京都の中心部から離れたところにある神社。ここは、かつて彼女が日本で鬼に成りたてであった頃に彼女を追いかけまわした組織の本部が置かれている場所でもある。

 

(……関西呪術協会、か)

 

彼女にとっては苦い思い出が多い。ひたすらに人を殺すことばかり考え、己を倒してくれる存在に執着し続けていた自分を追い詰めた組織。自分に殺されない相手を求めていた彼女にとって、それは最初は僥倖であったが、次第に相手をするのが辛くなっていった。

 

強いのは確かであった。しかし相手をしているのは大半が異形の存在や妖怪変化で、術者は後ろで指示をだすだけが殆どであった。彼女は人間の強者に倒されたかったのであって、これでは本懐は遂げられないと感じ、日本を脱出したのである。

 

では何故彼女はここへとやってきたのか。それは、ここが関西呪術協会の本部であることに意味がある。『旧世界(ムンドゥス・ウェストゥス)』と呼ばれるこちらの世界に、鈴音とその主らは進出することを目論んでいる。その候補の一つとして、鈴音の故郷でもある日本が挙がっているのだ。そのため、この地を古くから守護する関西呪術協会について、色々と探りを入れておく必要があったのだ。

 

「……刹那、ここなら人は少ないから、好きに歩いていい」

 

「ええの? じゃあ、うちちょっと向こう見てくるー!」

 

鈴音に許可をもらった刹那は、早速とばかりに林の向こうへと駆けていった。それを見送ると、彼女も気配を消しながら慎重に、階段の上へと向かっていった。

 

 

 

 

 

ひと通りの調査を終えた鈴音は、近場にあったベンチへと腰を掛ける。

 

(……私は、どうしたいのだろうか)

 

刹那とは、このままではいられない。いずれは自分とともに連れて行くのであれば、正体を明かす必要がある。その時、彼女は自分を受け入れてくれるか。

 

(……分からない)

 

どうするべきか、正体を明かすべきか。そんな苦悩が頭のなかで延々とループする。正直言って、ここまで彼女のことで悩むようになるとは鈴音自身思いもしなかった。

 

(……別れる、なら……彼女は一人ぼっちに戻ってしまう)

 

孤独の辛さは、彼女自身よく知っている。だからこそ仲間を求め、敵を求めているのだ。彼女にそんな辛さを味わわせるのは、今の彼女にはできなかった。

 

(……温くなったな、私も)

 

たった1年と少し。それだけの間に、彼女は仲間でもない存在に情が移っていたのだ。

非道の限りを尽くし、怨嗟と憎悪の的となってなおそれをやめることのなかった己が、こんなくだらないことで真剣に悩んでいる。実に滑稽な話だ。

 

「……このままでは、いけないはずなのに……」

 

この心地よさから、抜けだせないでいる。それが己を(なまく)らへと返事させていると理解していながら。己に必要なのは、主とともにあるための研ぎ澄まされた鋭い刃。それを捨てるなど彼女にはできない。

 

「……あ」

 

顔を上げてみれば、いつのまにやら日が傾いていた。空は薄赤く染まり始め、夜へと変じようと動き出しているのが分かる。大分長い時間、考え事をしていたらしい。

 

「姉さーん!」

 

何処かへ行っていたはずの刹那も、戻ってきた。どうやらずっとこの神社の中を歩きまわっていたようだ。

 

「……刹那、どうだった?」

 

「うん、楽しかった!」

 

彼女をほったらかしにしてしまったままにしていたことに申し訳無さを感じつつも、刹那が楽しめたのであればよしとしようと思っていたその時。

 

「あのね、あのね! 友達もできたんよ!」

 

「……!」

 

一瞬だけ、驚きの顔を見せるも即座に鈴音は平静を取り繕い、普段の無表情へと戻る。しかし、内心では動揺が隠し切れないでいた。

 

(……ここは人が寄りつきづらい場所、彼女と同い年の子が遊びに来る可能性は低い……なら、ここで彼女が遊んだ相手は……!)

 

相手の人物について、嫌な心当たりを思いつき、鈴音はその友達がどんな人物か尋ねた。

 

「……相手の子の、名前は?」

 

「えっとね、このちゃんっていうんよ」

 

「……そうじゃなくて、ちゃんとした名前」

 

「んーと、このちゃんはたしか、このかって名前だって!」

 

(……! ……近衛、木乃香……!)

 

刹那の挙げた名前から、嫌な予感が的中してしまったことを悟る。そうそれは、かつての宿敵でありサムライマスターの異名を持つ英雄、近衛詠春の娘であった。

 

 

 

 

 

刹那が近衛詠春の娘と親しくなった。これは、鈴音にとってはある意味で僥倖と言えるだろう。なにせ調べておきたい組織の長、その娘なのだ。このまま刹那を通じて情報を手に入れることができれば、相当に価値のある情報も聞き出せる可能性があると考えたのだ。

 

「……暫くは、京都に滞在する……その娘と、好きに遊んでいい……」

 

「え? でも修行はどうするん?」

 

「……修行も、暫くお休み」

 

こうして、なし崩し的に京都での生活が始まった。元々、二人で宿泊施設で生活していたため、こちらに来る時に荷物はすべて持ってきている。このまま長期滞在をしても何ら問題ないのだ。

 

「今日はかくれんぼしたんよ! このちゃんかくれるのがうまくて全然見つけられんかった!」

 

「……そう」

 

鈴音は、刹那が嬉しそうに語るその日その日の出来事を聞き、情報を精査していく。近衛木乃香の個人情報から、端々に出てくる木乃香を迎えに来た人物などを調査した人物と照らしあわせて絞り込んでいく。勿論、刹那には自分や村雨流のことは絶対に口外しないように釘を差している。根が真面目なため、それはしっかりと守っているようだ。

 

(……あまり、有用な情報はない、か)

 

所詮は子供の記憶頼り、欲しい情報はほとんどなく、むしろ刹那がどういう遊びをしていたのかなどのどうでもいい情報が大半であった。

 

(……そんなことは、初めから分かっていたはず)

 

むしろ彼女は、そういった情報よりも刹那が友達とどんな遊びをしているのかが気になっていた。一度だけ、二人が遊んでいるところを、こっそりと見に行ったこともある。二人が、とても仲睦まじく遊んでいたのを彼女は遠くから眺めていたのだ。

 

(……そう、か。……私は安堵してるんだ)

 

刹那に、友人ができたことに自身が内心喜んでいたのだとようやく気づいた。鈴音が彼女を連れて行かないのであれば、刹那はまた孤独な生活に戻る。だが、友人がいるのであればそれは異なってくる。

 

(……私は、刹那を連れていけない……連れて行っちゃ、いけない……)

 

自分は既に、数多の血でその手を汚している。もう光の道へは戻れない怪物だ。だが、刹那は違う。彼女はまだ純粋であり、悪ではない。そして将来を選ぶのは彼女自身が決めることだ。己が余計なことをするべきではない。

 

(……それでも、あと半年だけ……)

 

そんな考えが浮かび、すぐさまそれを振り払いつつも愕然とする。いつの間にか、別れすら惜しくなるほどに刹那は己の心の奥底にまで潜り込んでいたのだ。

 

(……これ以上は、本当にダメ……)

 

このままいけば、いずれ自分を許せなくなってしまう。自分が最も優先すべきは、敬愛する主人以外にありえない。主の刃であるのが己の意味、それを失ってしまえば、最早それは自分ではない。

 

(……なら、せめて……)

 

 

 

 

 

己とともにあったことを忘れてほしくない。そう思った彼女はその後、刹那に数々の技術を叩き込んだ。最近は修行を全くしていなかったことと、久々に姉と一緒に修行ができるのが嬉しかったこともあり、刹那はとても真剣に取り組んだ。

 

そうして1ヶ月の間、鈴音は一つの奥義と、父から学んだ秘奥を授けた。突貫であったこともあり、他の奥義や危険極まりない"裏式"は伝授できなかったが、それでも刹那は驚異的な飲み込みのよさと才覚で、それをものにしてみせた。

 

「……今日は、修行は休みだから、久々に友達と遊んできなさい……」

 

「やったー!」

 

「……それから、これを」

 

彼女が取り出したのは、一枚の茶封筒。刹那はそれを受け取ると、これが何なのか尋ねる。

 

「……それを、友達に渡して。……そして、友達のお父さんに渡すように言って」

 

「うん、わかった!」

 

彼女は返事をすると、そのまま友人が待つあの神社へと向かうために駆けていった。その後ろ姿を見送った彼女は、部屋に戻ると荷造りを始める。

 

(……これで、よかったはず)

 

あの手紙には、彼女を引き取ってもらいたいという旨が書かれている。刹那には剣術の高い才能がある。近衛詠春であれば、きっと神鳴流へと入らせるはずだ。また、村雨流は己が大事だと思った者を守るときにのみ使えと言い含めてある。彼女から自分のことがバレる心配はないだろう。

 

(……刹那は、きっと泣くだろうな)

 

あの娘は泣き虫だから、と。戻ってきて、自分の姿がないことに大泣きするであろうそんな光景が目に浮かぶ。胸に去来した苦しさを押し殺し、彼女は宿をあとにする。

 

「……さようなら、刹那」

 

願わくば、彼女が己のようにならないようにと祈りつつ。鈴音は刹那の前から姿を消した。しかし互いにその乾きは癒せず、一人は更なる仲間を求め、一人は友人を深く愛するあまり壁をつくった。

 

止まった二人の運命が、再び動き出すのは数年後。されど、より深き闇に進んだ姉と、光の道を歩んだ義妹。最早、二人の道が重なることはなかった。


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