二人の鬼   作:子藤貝

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立ちはだかるは鬼。理不尽の体現たる暴力と恐怖。
立ち向かう少年と少女らは、恐怖を乗り越えられるか。


第四十話 鬼神事変

最初に異変に気づいたのは、詠春であった。

 

「っ! これはっ!?」

 

和やかな雰囲気から一変し、険しい表情へと変わる。一同には何かあったのかは分かったが、その原因が何かまでは分からなかった。詠春はゆっくりと立ち上がると、背後にかけられていた刀を取る。

 

(結界の魔力を感じなくなった……!)

 

関西呪術協会本部を覆う大結界。その管理や調整を行っているのは巫女の者達だが、彼とて関西呪術協会の長であり、神鳴流の剣士。結界の良し悪しを感じ取るぐらいは造作も無い。だが、彼のその勘から結界の気配が消失したのだ。

 

(まさか、いやそんな馬鹿なことを……!?)

 

思いつく限りでの最悪を想定する。しかし、その最悪とは原因たるものにも最悪であるはず。しかし、だからこそ彼はその可能性を考慮していなかったフシがあるのも否定できなかった。廊下側から、ドタドタと誰かが走ってくる足音が聞こえて、自分の予測が現実味を帯びてきたと感じ取っていた。

 

「長、大変です! 大結界が……!」

 

「……破られた、そうだろう?」

 

「っ! 既に感じ取っておられましたか」

 

慌てた様子で障子戸を開け、巫女姿の女性が転がり込んできた。その慌てようは、尋常でないものをネギ達に理解させるに十分なものであった。

 

「マズイことになったな……すまないが、至急戦闘態勢に入るよう伝えてくれ」

 

「は、はいっ!」

 

詠春の雰囲気が一変する。それはまさに数多くの配下を従える大組織の長たるもののオーラ。近づけば身を切られそうなほどの鋭い気配。とても一線を退いている人物とは思えぬ迫力であった。

 

「その必要はないよ」

 

だが、そんな彼に唐突に言葉が投げかけられた。同時に、部屋に煙が爆発的に広がった。

 

「石化の魔法か!」

 

煙の正体を即座に看破した詠春は、懐から何枚もの札を取り出して床のあちらこちらへと投げた。それらはネギ達と慌てふためく巫女姿の女性を囲むように配置されており、札が光ると同時に結界が展開される。詠春ももう一枚の札を取り出すと、それを起点として小規模の結界を張った。

 

煙はあっという間に部屋中に充満し、視界を大きく遮る。結界によって動きが制限されてしまっている今の状況では、かなりまずい。しかし、飾られていた生花が煙に触れた途端に石化していくのを、ネギ達は目撃する。これでは、迂闊に結界から出ることもできない。

 

(……マズイな、完全に袋の鼠だ)

 

千雨は冷静に状況を分析しつつも、その打開策を思いつけずにいた。そもそも、触れるだけで石化する煙などどうやって対処すればいいというのだと、内心毒づいた。いわば、これは強力な毒ガスと同じ。対処が非常に難しく、かつ効果的で効率的。ただの一学徒でしかない千雨に、そんな化学兵器のようなものに対抗できるような知識はない。恐らく、部屋の隅に転がっていた小太郎もあの生花と同じ末路をたどっているだろう。

 

最悪なことに、のどかはお手洗いに行っておりここにはいない。もし何も知らない彼女がここへと戻ってくれば、たちまちあの生花のようになってしまう。

 

「へぇ、さすがにこの程度の奇襲は対処できたか」

 

再び何者かの声。それも、今度はかなり近くに感じられる。やがて段々と煙が晴れ、それに伴ってここにはいなかったはずの何者かの影が、ゆっくりとあらわになってきた。

 

「大戦の英雄……一線を退いても勘は鈍っていないらしいね」

 

「! お前は……」

 

そこにいたのは、一人の少年であった。ネギと同じぐらいの背丈だが、その目は子供に似つかわしくない眼光を宿していた。白い頭髪は短めにまとめられ、顔立ちは外国人らしい風貌。将来成長すれば、相当な美形になるであろう美少年。

 

「なぜ、お前が生きている……プリームム(・・・・・)!」

 

詠春が、少年の名前らしき言葉を発する。どうやら、詠春はこの少年のことを知っているらしいことだけ、ネギには分かった。

 

「……その名前を僕に当てはめないでくれないか? とても不快だ」

 

だが、少年は詠春が叫んだその名前を否定する。無表情を貼り付けたかのような顔であった少年の表情が、わずかに歪んだ。どうやら、相当にその名前に嫌なことがあるらしい。

 

「僕はプリームム……オリジナルとは別の存在だ」

 

「何……?」

 

「僕はフェイト。フェイト・アーウェルンクスだ」

 

少年が自ら名乗りだす。きっぱりと、先ほど詠春が言った名前を否定するかのように。訝しげな顔をするも、詠春は気を緩めることなく眼前の少年を睨みつける。

 

「成程……僕が引退してから新たに入った新人、というわけか」

 

「本格的に組織で働いている時間としては、確かに新人だよ。尤も、生まれてから十数年も組織で生きてきた僕を新人と呼べるのかは疑問だけど」

 

やや意味深な言い回しをするフェイトであったが、詠春は惑わされはしない。会話の流れを向こうにもっていかれては、集中をかき乱されないからだ。

 

「しかしまさか、本部にまで乗り込んでくるとはな……目的は何だ?」

 

「"燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや"。こんな極東のちっぽけな島国の長になるために英雄を辞した君のような小物に、僕達の目的が分かるはずもないだろう?」

 

「言ってくれる……たかだか十と余年生きた程度の若造が……粋がるなよッ!」

 

殺気が一気に膨れ上がる。その殺意は、ネギが麻帆良学園で対峙したあの怪物が放ったものにも劣っていない。さすがのフェイトも、この峻烈な気迫に冷や汗を垂らす。

 

「伊達にあの人たちに認められていた英雄なだけはある……倒すには、今の僕でもかなり厳しいな」

 

「生憎、鍛錬を欠かしたつもりはないんでな……貴様らに親友を奪われた無念、一度たりとも忘れたことはなかった……!」

 

10年前。『赤き翼(アラルブラ)』を脱退し、日本へと帰還した詠春に届いたナギの死。あの時、自分が彼のそばにいてやれれば。そんな後悔と無念で胸がいっぱいであった。妻に支えられて何とか立ち直ったものの、怒りは未だにくすぶり続けていた。長となり、実戦に出る機会を失ってなお、彼は己を鍛えることを欠かすことはなかった。

 

十年近いブランクがあってなお、彼のコンディションは全盛期に近い。

 

『……そう。……なら、都合がいい、な……』

 

不意に、女性の声が響いた。いや、ただ極普通に声が聞こえてきただけだ。だが、それは詠春の殺気に押し負けることなく清涼に流れた。故に、思わず響き渡ったかのような錯覚を覚えたのだろう。

 

「……久しぶりだな、『サムライマスター』……」

 

「出てきたか……『狂刃鬼』!」

 

詠春にとっての宿敵であり、『夜明けの世界(コズモ・エネルゲイア)』にその人有りと謳われ、魔法世界(ムンドゥス・マギクス)の恐怖の象徴たる人物の一人。

 

大幹部、明山寺鈴音がそこにはいた。

 

 

 

 

 

彼女の登場によって、状況は一変した。いや、悪化したといったほうが正しいだろうか。相変わらず張り巡らされている詠春の殺気の領域に、鈴音は涼しい顔で踏み込んでいた。優れた剣士は己が領域を以って戦いの場を作り出せる。だが、彼女は一切のフィールドを構築することなく、ただこの部屋いっぱいに膨らんだ殺意の暴風の中に佇んでいるのだ。

 

「"明鏡止水の境地"か……相変わらず、邪念まみれの貴様がよく辿りつけたものだと感心するぞ」

 

「……純粋なる闘気は、善悪に縛られることなく研ぎ澄まされて刃を為す……高みを臨むのに、正邪は何の意味も持たない……」

 

「腹立たしいが、貴様がそれを体現している以上認めざるをえんな。悪党であろうと、頂に近しい剣士であることは疑いようもない、か」

 

「……貴様も、よくぞそこまで練り上げ続けたもの……実戦から遠ざかってなお、10年前と同じ、或いはそれ以上のものを感じる……」

 

互いに視線をそらすことなく会話の応酬が続く。詠春の領域内にいるフェイトは、倒れる程ではないにしろ、気分の悪化を明確に感じていた。その殺気を向けられているわけでないネギ達も、肌にピリピリとしたものを感じ、喉の奥がカラカラになっていた。

 

互いが睨み合ってからまだ2分と経過していないというのに、何時間もの間この膠着状態が続いているかのような錯覚にとらわれる。それほどまでに、濃密な時間であった。永遠に続くとも思えた。

 

だが、終わりとは必ず訪れるもの。

 

「隙ありですえ~」

 

「なっ、月詠っ!?」

 

刹那は思わず声を出す。つい先程まで、二人きりのような状態であったところから、突然月詠が現れたのだ。まるで透明人間のように、初めからそこにいて、突然正体を現したかのように。そう、彼女は初めからそこにいた。

 

巫女服の(・・・・)女性の姿(・・・・)になって(・・・・)

 

「くると思っていたぞ!」

 

だが、達人の領域にある詠春には、既に月詠の存在など察知済みであった。詠春は鈴音に警戒をしつつも周囲への索敵を怠っていなかったのだ。迫り来る月詠を、詠春は抜刀術を以って迎え撃とうとする。

 

「うふ、姉さんの予想通りどすわ~」

 

しかし月詠もまた、この状況を想定済みであった。彼女の姉は、死闘を尽くしてなお倒せるかわからない自分よりも、まず確実に倒せる月詠へ攻撃を向けるだろうと睨んでいた。そして、その読みは見事にあたっていた。

 

「一名様、ご案内ですえ~」

 

懐から取り出したのは、一枚の札。ただの札でないであろうことは、詠春にもすぐに分かった。

 

「チッ」

 

詠春はそれをかわそうと、勢いよく飛び退ろうとした。

 

「なっ……!?」

 

だが、詠春が一瞬だけ驚愕の声を上げたと同時に、一瞬だけ眩い光が迸り。

 

「消え、た……?」

 

ネギが呆けながらそんな言葉を漏らす。そう、詠春と月詠が忽然と消えたのだ。痕跡一つ残すことなく。

 

「……ふぅ、ようやく閉塞感から開放されたよ」

 

「……計画通り」

 

詠春の張っていた殺気の領域が消滅し、息苦しさから開放されたフェイトが深呼吸をする。そして、楓はたしかに聞き取っていた。鈴音の呟きを。

 

「計画通りとは……どういう意味でござるか」

 

鈴音の放つ得体のしれない感覚に、無意識から危険を感じ取っているのか腕の震えが止まらない。それでも、少しでも情報を得ようと慎重に動く。

 

だが、返ってきた答えは最悪のものであった。

 

「……近衛詠春の、分断……目的の一つはそれ……」

 

「月詠が使ったのは転移魔法符だ。今頃は京都の外れにでもいるだろう」

 

「クソが……!」

 

魔法世界を震撼させたかの組織。その中でも最高峰の剣士がいる状況で、味方の最大戦力がまさかの消失。おまけに、もう一人の少年フェイトもまた未知数。千雨には、もうこの状況をひっくり返せるような作戦が思いつかない。あとは、ここが関西呪術協会の本部であることから、手練の応援がきてくれることを願うほかなかったが。

 

「助けがあるなんて思わない方がいい。既に、ここの人間は一人残らず石化させてある」

 

フェイトからの無慈悲な宣告に、ついに万策が尽きた。そして、彼の言葉に嫌なものをネギは感じていた。

 

「まさか……のどかさんや夕映さんたちは……!」

 

「ああ、そういえば君たちと同じぐらいの年齢と思しき女性が何人かいたな。まあ、一人残らず物言わぬ石像に変えたのだから誰がどうであろうと同じか」

 

既に、彼の生徒たちは敵の毒牙に落ちていた。その事実にネギは歯噛みするほかなかった。圧倒的戦力差がありながら一切の応援さえも期待できない、絶望的な状況が完成してしまった。

 

 

 

 

 

「チッ! やはり転移魔法符だったか……!」

 

「うふ、成功ですえ~」

 

魔法符の発動後。二人は京都の外れ、頭巾山(ときんざん)近辺の山中にいた。周囲には明かりは一切なく、闇夜と静寂が跋扈している。

 

向こうの目的は分からないが、恐らく計画の邪魔になるであろう詠春は真っ先に狙われるか、分断されるかがあるだろうと詠春は睨んでいた。転移魔法符を用いて自分ごと目的地から遠ざかることも想定済みであった。

 

だが、詠春は逃げ切れなかった。何故なら。

 

「まさか一杯食わされるとはな……」

 

「うふふ、まさか距離を読み間違えるとは思わんかったでしょう?」

 

月詠との距離感を、詠春が誤認したせいであった。神鳴流でも達人級の剣士である詠春が、何故月詠との間合いを見きれなかったのか。それは、同じく剣士として最高峰の実力を有する鈴音が関わっていた。

 

村雨流"雲"の奥義、『雲霧(くもきり)』。"雷"の奥義『雷霆(らいてい)』、"風"の奥義『疾風(はやて)』と並んで三大禁忌と呼ばれる奥義。敵を惑わす剣舞や剣気で翻弄する技だ。相手の感覚を超えた勘や、鈴音が"呼吸"と呼んでいる感覚、第七感とも言えるものさえも騙してみせる奥義だ。これによって、詠春は月詠との距離が開いていると錯覚し、対処が遅れたのである。

 

「鐘嗣から聞いてはいたが……恐ろしい技だ」

 

この奥義の本質は、相手の感覚や勘などに訴えかけるものだという点だ。高い実力を持つ者ほど、こういった感覚さえも御して戦うものだが、この奥義はそれを逆手に取る。つまり、実力があればあるほど引っかかりやすい。かつて造物主も、この奥義に翻弄されたことからもその恐ろしさがよく分かる。

 

辺りを注意深く見やれば、結界らしきものが見えた。それも、1つや2つではない。複雑な術式がからみ合って強固な結界をなしている。

 

「ここには幾重にも結界が張り巡らせてあります~、突破は容易では無いですえ~」

 

「なら、貴様を倒してからさっさと解いていけばいい」

 

「うふ、先輩の相手もあるからあんまり無茶はできひんけど……こっちも楽しめそうやわ~」

 

瞬間。闇夜の中金属のこすれ合う音が響き、火花が辺りを一瞬だけ照らしだした。

 

 

 

 

 

「さて、残ったのは君たちだけだ」

 

「……近衛木乃香を、渡してもらう……」

 

動くことができない。声一つ、嫌呼吸一つするのさえろくにできない。詠春のように殺気を展開して領域を広げているわけでもないのに、圧倒的なまでの存在感が鈴音から感じられた。それは巨大な山脈のように、あるいは深く重い海のように。

 

(やべぇ……この状況はマジでやべぇ……!)

 

千雨は内心そう思いつつも、冷や汗が止まらない。ぜいぜいと呼吸は不規則になり、重苦しさから意識がぷっつりと途切れてしまいそうだ。彼女を奮い立たせているのは、目の前の存在が彼女の宿敵であるからこその意地。ただそれだけが彼女を支えていた。

 

(おい氷雨!)

 

(悪いが、今回は私は手伝わんぞ? 相手は私の所属する組織の人間だ、そもそも手伝うと思うか? それに、私にとってあの人は敬愛する方の一人。私があの人と敵対するなど、万に一つとして有りえんよ)

 

非力な彼女の持つ最後の切り札も、明確に手伝うことを拒否していた。結局、改めて自分の無力さを痛感させられるだけであった。何もできない自分が腹立たしい。

 

「あ、ああ……」

 

「……さあ、こっちに……」

 

「そこまでです」

 

段々と迫りつつある鈴音の前に、一人の少女が立ちはだかった。鈴音は歩みを止め、その人物と向き合う形となる。立ち塞がった少女が、自らの関わりの深い存在だから。

 

「姉さん……」

 

「……刹那、どいて」

 

「……できません」

 

刹那は首を横に振り、彼女の要求を拒否した。みれば、膝ががくがくと震えている。いくら幼少期から彼女と過ごしていたとはいえ、本性を露わにした鈴音相手では体の震えを止めることはできなかった。それでも立ちはだかったのは、偏に彼女の親友のため。

 

「例え姉さんだろうと……このちゃんは渡さない……!」

 

明確な、拒否の言葉。その瞳には力強い光が見える。だがその目尻には、それとは別にキラリと光るものがあった。刹那は泣いていたのだ、慕っていた姉と袂を分かつことになるであろうことを悟って。

 

(刹那さん……)

 

先ほど彼女の話を聞いていたネギには、その気持ちが痛いほどわかった。いや、わかった気になっているだけかもしれない。命を拾われ、育てられ、共に過ごした大切な人。そんな人物と対峙することの辛さはいかばかりか。ネギがもし、ネカネやアーニャと決別せねばならないことになったら、果たして自分は耐えられるかと己の胸の内に問うた。答えは、否であった。

 

「……そう。……貴女は、彼女を選ぶのね……」

 

「すみません、姉さん。私にとって貴女は敬愛する存在であり、目標でした。……でも私は、私を大切だと言い切ってくれた人のために戦いたい……!」

 

「せっちゃん……」

 

血を吐くような彼女の姿は、見ていられないほどに痛々しい。だが、それでも彼女は目を逸らさない。自分を選んでくれた親友の、精一杯勇気を振り絞ったその姿から目を背けたくはなかったから。

 

「……ついに、見つけたのね……なら……」

 

鈴音が腰の日本刀へと手を伸ばし、その柄を握る。刹那も同様に、自らの愛刀『夕凪』をゆっくりと構えた。

 

「……貴女は敵よ、桜咲刹那(・・・・)

 

「……臨むところだ、明山寺鈴音(・・・・・)

 

瞬間。周囲の動きが緩慢になる。いや、音速の世界へと一瞬の内に飛び込んだゆえに、あたかも周囲がスローになったかのようになっただけだ。

 

「「村雨流……」」

 

まるで共鳴しているかのように、互いの刃が鞘の内から顔をのぞかせる。放たれるのは、互いに決別を誓う一撃。

 

「「時雨!」」

 

リィン

 

澄んだ鈴の音が響き渡る。次いで聞こえたのは鋼の撃ちあった激しい音。それと同時に、周囲に衝撃波のように空気が吹き飛び、鈴音と刹那は互いに吹き飛ぶ。刹那は壁へと体を打ちつけるも、楓に助け起こされた。一方の鈴音は、一切の動揺もなく優雅ささえ感じられるようにふわりと着地した。

 

「くっ!」

 

「……見事」

 

起き上がった刹那は悔しげな顔をし、鈴音は相変わらずの無表情。いや、微かに笑みを浮かべているのが分かる。

 

(手加減された……それもこちらの力に合わせて……!)

 

自らの全力を以って放った一撃を、苦もなく同じ力で返す技量。まさしく天と地ほどの技量の差があるのだろうと刹那は感じ取っていた。だが、何よりも屈辱的であったのは。

 

(全力を出すまでもないと断じられた……雑魚とさえ扱われなかったのか私は……!)

 

彼女の姉、鈴音はたとえ雑魚相手であろうと認めた相手には全力の一端を開放して臨む。それが彼女なりの礼儀であり、理念。だが、刹那相手ではそれすらしていない。身内であろうと決して加減などしない鈴音が。

 

即ち。鈴音にとって刹那は、剣士ですら(・・・・・)無いのだ(・・・・)。一方、ネギはそんな彼女らの様子をうかがいつつも、いつでも刹那の手助けに入れるよう臨戦態勢に入っていた。楓や千雨も同様だ。そんな彼らの動きに気づいたフェイトが、助太刀するか尋ねる。

 

「……手伝おうか?」

 

「……無用」

 

フェイトの申し出を断り、鈴音はネギ達に向けて、挑発するように指をクイクイと動かした。

 

「……面倒。……まとめてかかってこい」

 

 

 

 

 

「っ! 巫山戯たことを……!」

 

いくらこちらが格下だとはいえ、ここまでコケにされるとは思っていなかった刹那は苛立たしげに言う。束になってかかっても敵わないことは刹那にも分かる。だが、それでもこうまで明確な形で挑発されれば、頭にくるのは当然であった。

 

一方で、そんな鈴音の言葉によって逆に冷静になった者がいた。千雨だ。彼女は、この状況はむしろチャンスなのではないかと気づき、考えを巡らせる。そして、一つの結論に達し。

 

「おい、桜咲」

 

「……千雨さん?」

 

刹那に、千雨は耳打ちをする。今まで沈黙していた彼女が自分に耳打ちをしてきたことに驚くが、そのまま彼女の話を聞くことにした。打つ手が無い現状、怒りで冷静さを失いかけた己よりも、冷静沈着にしている彼女と少しでも意見を交えたほうが有効だと判断したのだ。

 

「桜咲、ここは誘いに乗った方がいい」

 

「それはまたどういう……」

 

「相手は私らが逆立ちしても勝てっこない怪物だ。だが、私らがすべきことは奴らと戦うことじゃない」

 

「……成程、即ち木乃香殿を無事に逃がすこと、でござるな?」

 

千雨の言葉から察した楓は、そう答える。千雨は首肯すると話を続けた。

 

「ああ。幸い、向こうはこっちを舐めきってくれてる。うまく行けば逃げることも可能なはずだ。だが、近衛が標的である以上向こうから狙われる可能性は高い。つまり相手の足止めが必要だ。最低でも先生と長瀬が足止めをしなけりゃ止められないだろうし、そのせいで近衛の奴を連れて逃げられる人員が桜咲、お前ぐらいしかいない」

 

「……つまり私がお嬢様を連れて逃げればよい、ということですか?」

 

勝ち目のない相手に相対したとき、正面から戦わずに逃げて損害を抑える。兵法三十六計における走為上(そういじょう)がこれに当たる。つまり、相手の目的と思しき木乃香を奪取されるという最悪を避けるため千雨は、刹那が彼女を連れて逃げろと言っているのだ。

 

「話が早くて助かる。攻撃に参加するふりをして、近衛を連れて逃げてくれ」

 

「あとは僕が、足止めに魔法を放ちます」

 

そう言ったネギは、杖を構えつつ無詠唱で魔法を発動、遅延させている。既に準備をしていたらしい。アルベールも、よく見れば何かを隠し持っているのが見えた。

 

「しかし、それでは……」

 

「……最悪、死ぬかもしれねぇ。敵の最高戦力が出張ってる以上、今回向こうは相当本気みたいだしな。いくら私らが英雄候補とはいえ……代わりはいくらでもいるだろうしな」

 

目的は不明だが、今回の敵側の動きはかなり本気に見える。月詠に加え、実力不明の新たな人員。そして何より、完全に規格外である鈴音の存在。彼女らは、執拗に木乃香を狙っている。つまり、木乃香が此度の作戦でのキーなのだろう。

 

「だが、私らもいい加減振り回されっぱなしってのは我慢できねぇ。せめて一度ぐらいは、精一杯の抵抗をしてやるさ」

 

向こうが本気である以上、あくまでも候補として有力なだけのネギや千雨が邪魔立てをすれば、最悪殺される可能性だってある。それでも、千雨は邪悪な企みに屈するつもりは毛ほどもなかった。

 

「……私に異論はありません。お嬢様を助けられるのなら……例えこの身を犠牲にしてでも……!」

 

「……桜咲、率先して死ににいくのだけはやめろ。生き残れる可能性が少しでもあるなら絶対に足掻け。その方が、近衛を逃がしやすいし、なにより悲しませなくて済む」

 

もしもの時は我が身を犠牲にしてでも、と考えていた刹那であったが、千雨の言葉で考えを改める。最後の砦となる自分が死んでしまえば、それこそ木乃香は逃げ切れなくなる。それでは本末転倒だ。

 

「分かりました。必ずや生きて、逃げ切ってみせます」

 

「その意気だ。私らも唯々諾々と殺されるつもりはねぇ。何とか踏ん張ってみせるさ。近衛、そういうわけで暫しお別れだ」

 

「……分かった。うち、皆のこと信じるえ」

 

話の渦中にある木乃香は、あえて反対しなかった。守ってもらっている立場である以上、余計なことは言わないほうがいい。そう判断したためだ。本当は、彼女らにも逃げて欲しい。だが、そうもいかないのが今の状況なのだ。だから、彼女は委ねる。頼もしき仲間たちを信頼しているからこそ。

 

死に向かうのではなく、ただ逃げるのではなく、生きて日常へと帰還するために。決意を胸に一同は今一度怪物へと向き直る。

 

「近衛のこと、頼むぞ」

 

「……お気をつけて」

 

互いの無事を祈りつつ、一同は構えた。鈴音は特に何のアクションを起こすこともなく、ただそこに佇んでいた。不気味なほどに、静かであった。

 

「……こい」

 

ただ一言、かかってくるよう言った。その言葉と同時に、楓と刹那が突撃する。

 

「楓忍法……!」

 

「神鳴流……」

 

二人は一気に鈴音へと肉薄する。

 

「四ツ首白蛇!」

 

「斬空閃・散!」

 

四人に分身した楓のそれぞれが、鎖を鈴音へと投げつける。その動きはまさに蛇のごとくとらえどころがない動きをしており、四方からそれが迫り来る。鈴音を鎖で縛り、動きを封じるのが狙いであった。

 

刹那の放った気の斬撃が飛びかかる。それもただ飛んでくるのではなく、飛び散るかのように分裂して散弾のように襲いかかった。これも、あくまで牽制のため。鈴音には即座に弾き飛ばされることだろう。

 

更に、ネギがそのタイミングに合わせて遅延化させていた魔法を開放する。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 『惑いの霧』!」

 

『ちょ、それ私が使ってた魔法じゃないか!?』

 

ネギは氷雨が魔法を使っていた場面を見ただけであり、『惑いの霧』はそれで初めて知った魔法だ。だが、呪文とその魔法の発現、似たような魔法という数少ないヒントを元に、ぶっつけ本番で成功させてみせた。わずか数時間で、未知であった魔法をものにしたのだ。

 

霧が拡散していく。妨害という一点においては、この魔法は非常に効果的だ。霧中の人間は方向感覚を狂わされ、匂いも洗い流されてしまう。視覚は完全に遮られ、対象を発見するのは非常に困難だ。屋内であるため、霧が滞留する可能性も高い。

 

何より、霧で隠れるため、楓たちの動きを察知されづらいのは大きい。霧の中で、刹那は即座に床を踏みしめて勢いを止め、バックステップで鈴音から離れていく。

 

「いまでーい!」

 

アルベールが、ダメ押しにいざという時のために持っていた花火に火をつけて投げつける。焼け石に水に見えるが、火花の音が大きいタイプなため、音から中で起こっていることを察知される可能性を潰せるため中々に有効だ。

 

木乃香を逃すということ、そして楓達の援護ということに関しては現状でこの魔法以上の最適解はなかっただろう。

 

ただし、魔法を使用(・・・・・)すること(・・・・)自体が不適切(・・・・・・)であること(・・・・・)を除けば(・・・・)

 

「……無駄」

 

霧が拡散し、鈴音へと迫る。そして霧の一端が彼女へと触れると同時に。

 

「…………え?」

 

霧が、一瞬の内に消失した。それによって覆い隠されていたはずの茶番劇が露となる。そして、それとは反対に鈴音の姿が見当たらない。今そこにいたはずの、彼女の姿がない。

 

鈴音へと襲いかかっていたはず鎖は、対象を見失って4つ全てが床へと吸い込まれる。それだけではない、鎖が床に激突するとバラバラにはじけ飛んだのだ。刹那の斬空閃も、尽くが叩き落とされていた。

 

「なっ……!?」

 

驚愕の声が漏れると同時に、楓の腹部に鋭い痛みが走り、次いで体が後方へと急加速するのが感じられた。そのまま、天井付近まで飛び上がりながら壁へと激突し、肺の空気が引き絞られる。

 

「かはっ」

 

一瞬の内に呼吸ができなくなり、腹部が痙攣する。必死に空気を取り込もうとするが、呼吸器官がいうことをきかない。やがて、楓の意識は段々と暗闇へと落ちていく。

 

「かえ……!」

 

飛び退り、木乃香を連れて逃げようとしていた刹那は、一瞬の内に戦闘不能となった楓へと視線を向け、声をかけようとする。だが、この状況で意識をほんの少しでも逸らしたのは悪手であった。

 

リィン

 

「っくう……!」

 

鈴の音が響いた後、焼けるような鋭い痛みが肩口を襲う。それが斬撃によるものだと気づいた時にはもう遅い。

 

「ぁ……」

 

額を、今まさに貫かんとする刃が襲いかかる。一瞬、そう一瞬だけ楓を見なければ。この目にも映らぬような斬撃を躱せたかもしれない。コンマ数秒の意識のズレ、ただそれだけが彼女の明暗を分けてしまった。脳天を貫かれる気味の悪い感覚を最後に、刹那は意識を手放した。

 

「ら、ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 

何が起こっているのかわからない。一瞬の内に、楓が吹っ飛ばされ、刹那が倒れた。それでも、木乃香を守らなければという意識が彼を再度魔法を唱えさせるに至った。

 

「『白き雷』!」

 

姿を晦ました鈴音へと、やぶれかぶれに魔法を放つ。とにかく木乃香に接近されるのだけはマズイと判断し、前方全面に拡散させて放った。

 

はずであった。

 

「な、んで……」

 

「嘘、だろ……!?」

 

魔法が、またも一瞬で消滅したのだ。何の前兆もなく、ただそうあるのが当たり前かのように。魔法を放った張本人であるネギも、それを見ていた千雨も驚きを隠せない。そんな二人の前に、いつの間にか鈴音の姿があった。

 

「……ネギ・スプリングフィールド。……お前は魔法使いとしては中々に優秀……だけど……」

 

一歩一歩、ただ淡々と歩んでくる。それだけのはずなのに、彼らには地獄の獄卒が舌なめずりをしながらやってくるかのような寒気を感じていた。

 

「……私に、魔法は通用しない」

 

「!?」

 

鈴音の言葉に、ネギは目を見開いた。それは果たして、ネギのような貧弱な魔法など自分には通用しないと言っているのか。あるいは。

 

「鈴音さんは魔法無効化(マジックキャンセル)系の能力者だ。魔法や気の類は一切通用しないよ」

 

フェイトが補足するように口を開く。それは、ネギにとって死刑宣告に等しいものであった。

 

「マジック、キャンセル……!?」

 

ネギの顔が蒼白となり、突如目の前の存在に対して、酷く怯えを見せ始めた。体中を震わせ、まるで子犬のようになってしまっている。その尋常ではない様子を察し、千雨はネギへと問いかける。

 

「おい先生、大丈夫か!? マジックなんたらってのは、どういうもんなんだ……!?」

 

「『魔法無効化』能力……一部の例外を除いて、一切の魔法を受け付けない、特殊体質、です……」

 

「なっ……!?」

 

魔法が通用しない。それはつまり、ネギの持つ最大の手が潰されたことにほかならない。魔法がなければ、ネギは一般的な10歳児と変わりない。一方で、相手は剣術、体術面において世界最高峰の怪物。唯一の対抗手段がない今、二人は為す術もない。

 

「駄目だ……勝てない……」

 

「こんな、ここまで理不尽なのかよ、畜生……!」

 

ここにきてネギと千雨は、完全に戦意を折られてしまった。

 

「……無様」

 

その冷たい眼光が物語っていたのは、侮蔑か嘲笑か。或いは両方であったのかもしれない。刃が振り下ろされる最中、二人が見た最後の光景は、そんな鬼の目であった。

 

 

 

 

 

「なんや、何が起こっとるんや……!?」

 

一方。犬上小太郎は建物の中をあちらこちらに走り回っていた。部屋の隅に放置されていた彼は、実は眠っていたのではなく隙を伺っていたのだ。そして、石化の煙が部屋に溢れだしたと同時にこれ幸いと縄を抜け、天井伝いに部屋を脱出していたのだ。追っ手がくるかと思ったが、それもないため暫くはのんきに歩いて脱出しようとしていたのだが。

 

「なんでこないな石像ばっかあるんや!」

 

建物のあちらこちらで、巫女服の女性の石像が鎮座してるのだ。しかも、まるで何かから逃げようとしているかのような姿で。しかも、それら全てが微かながら人間の匂いがするのだ。

 

「まさか、あれ全部人間なんか……!?」

 

石化の魔法。小太郎も話には聞いたことはあった。対象を一時的に物言わぬ石像と変える石化魔法。そして悪魔が用いる、対象を永遠に石像とする永久石化。どちらなのかは小太郎には分からないが、何者かがこの惨状をつくりだしたのは間違いない。

 

「許せへん……!」

 

小太郎は関西呪術協会の事情など殆ど知らない。ただ戦えればいい、そう思って千草達過激派へと与したのだ。だが、そんな彼にもこの所業は許せなかった。相手を趣味の悪い石ころへと変えるという弱者を嬲るが如き行為は、彼の戦いの理念に反する。だからこそ、こんなことをした輩が許せない。

 

「ん……? 人間の匂い……」

 

怒りに燃えていた彼が突然足を止める。小太郎の鋭い嗅覚が、石像から感じられる微かな匂いではなく、生きた人間のものと思われる匂いをとらえたのだ。生き残りがいたのかと、急いでそちらへと向かう。そこにも、いくつかの巫女姿の石像があった。まるで、何かを守るかのように両の手を広げて。或いは、誰かを逃がそうと誘導をしているかのような姿のままで石化している者もいた。

 

「ひっく、ぐす……ゆえぇ、ハルナぁ……」

 

部屋に入ってみれば、誰かのすすり泣く声がする。罠かもしれないと警戒にながらもゆっくりと、慎重に歩を進めていく。そして、部屋の奥にいたのは。

 

「あ、もしかして読心師の姉ちゃんか!?」

 

「ふぇっ!? だ、誰……!」

 

すすり泣いていたのは、宮崎のどかであった。彼女はこの惨状が起こっていた際、偶然にもお手洗いに入っていたことで難を逃れたのだ。そしてあちらこちらに点在する石像を見て何かが起こっていることを察し、屋敷中を走り回ってここへとたどり着いたのだ。

 

そう。親友たちが案内された客間へ。そこで見たのは、物言わぬ石像と化した巫女たちと。同じく石像となった親友二人の姿であった。彼女が泣いていた理由はそれだったのだ。

 

彼女の顔は、前髪のせいでよくはわからない。だが、涙でぐしゃぐしゃになっているであろうことは小太郎にも容易に想像できた。

 

「……スマン」

 

小太郎は女性の扱いなどわからない。泣いている女性のことなどなおさらだ。だから、彼はただ一言謝罪の言葉を吐いた。薄々気づいてはいたのだ、ここを襲撃する上でメリットがあるのは、彼の仲間だということに。

 

「……あんたのダチを石に変えたのは多分、俺の仲間や。治してやりたけど、俺も石化の解除方法なんて知らん。だから、スマン……謝るぐらいしか、俺にはできんわ」

 

完全に非があるのはこちらだ。ならば、せめて謝罪ぐらいはしたい。許されるとは到底思っていないが、謝るという最低限の筋を通さねば、きっと小太郎は自分を許せなかっただろう。

 

「……頭を上げて。貴方のせいじゃないことは、私にもわかるから……」

 

「けど……」

 

本当はのどかも、罵声を浴びせてやりたい気分だった。口汚く、罵ってやればきっと自分の気持ちは晴れただろう。だが、それで友人が帰ってくることはないし、何より彼は友人を石に変えた張本人ではなさそうだ。ならば、怒るのは筋違いというもの。

 

「……じゃあ、その代わり……私をその人たちのところに連れてってくれない、かな」

 

「なっ、だがよ……」

 

「危険なのはわかってる。でも私、友達を助けたいの……夕映を、ハルナを元に戻してあげたい……だから、お願い……!」

 

頭を下げてまで懇願するのどか。小太郎は少しの間黙したままであったが。

 

(……ちっ、自分が情けなく思えてくるわ。こっちのせいやのに、相手の女の子に頭下げさせるなんて俺も焼きが回ったもんや……)

 

そんな彼女の姿を見て、断れるはずもなかった。

 

「……そこまで頼まれちゃしゃあない。連れてったる」

 

「い、いい、の……?」

 

「かまへんて。むしろ、被害者の姉ちゃんに頭下げさした時点で俺の責任やし。場所の見当は大体ついとるから、そこまで連れてったるわ」

 

「あ、ありがとう……」

 

こうして、誰も与り知らぬところで新たに事態は動こうとしていた。

 

 

 

 

 

「う、ん……?」

 

目を覚ますと、そこはあの不可思議なる世界ではなく、意識を失う前と同じ、よく見知った関西呪術協会の部屋であった。

 

「私は、生きているのか……?」

 

確かに脳天を貫かれた感覚がした。だが、額に手を当ててみればそこには傷ひとつない。これは一体どういうことかと思案していると。

 

「あ、れ……?」

 

「生きてる、のか……?」

 

ネギと千雨が起き上がったことに気づく。痛むのか、首筋を抑えて擦りながら。そして、やや意識が朦朧としていた刹那はようやく、この場にいるはずの人物がいないことに気づいた。

 

「っ、そうだお嬢様は……っ!」

 

「……連れてかれたみてぇだな。奴らもいなくなってる」

 

「くっ……!」

 

守ると誓ったはずであったのに。こうもあっさりと奪われてしまったことに歯噛みする。だが、先ほどのことを思い出すと、背筋が凍るように冷たくなってくる。生きているはずなのに、あの時の感覚は確かに死を告げていた。夢にしては、実に出来過ぎている。

 

「まさか……あれは殺気、だったのか……?」

 

思い返せば、彼女の殺気を受けた記憶が無い。二日目のあれは邪気、そして先程まで感じていたのは威圧。ならば、先ほどのリアルな死を感じさせたものが、殺気だったとすれば。

 

(恐ろしい……ただ殺気を向けられただけで、死を意識して倒れるなんて……)

 

震えが止まらない。両手で体を掻き抱いた。それでも、この寒気と震えが一向に治まってくれない。見れば、ネギと千雨も小刻みに震えていた。恐らく、彼らもあの殺気をまともに浴びせられたのだろう。

 

「いつつ、どうやら生きていられたようでござるな……」

 

ようやく、楓も目を覚ましたようだ。刹那と違い、彼女の様子は特に変わっていない。いや、よくみれば指先が痙攣している。だが、あれほどの殺気を当てられてなおそうして震えを抑えて見せている彼女を、刹那は凄いと思った。

 

だからこそ、自分がこんなところでいつまでも蹲っている訳にはいかない。早く主人を、親友を助けに行かなければ。そう思うと、自然と震えが治まってきた。

 

「……楓、いけそうか?」

 

「無論。少々手傷は負ったが、大したものではござらんよ」

 

「そうか。……先生、急ぎましょう。このままでは、お嬢様が奴らに利用されてしまいます」

 

すぐにでも出発しなければマズイ。そう思った彼女は、ネギへと呼びかける。

 

「僕は……行きたくありません……」

 

だが、返ってきた言葉は予想外のもの。明確な拒否の言葉であった。

 

「せ、先生……?」

 

「あんな、恐ろしい存在とこれ以上、関わりたくない……」

 

「……私もだ。長年追い続けてきたが、もうどうでもいい。あんなのと関わるぐらいなら、私はここに残るよ……」

 

「っ、千雨殿までどうしたでござる!?」

 

千雨までもが、ネギと同じように同行を拒否する言葉を吐いた。みれば、二人の目に宿っていたはずの光が消え、その目が暗く濁っているのが見えた。二人共に、冷や汗を流し、涙を流して震えている。完全に、戦意を喪失していた。

 

「なんで私は……何年もあんなやつを追いかけてたんだよ……馬鹿じゃねぇのか……」

 

「僕なんかが……勝てる相手じゃない……無理だよ……怖いよぅ……」

 

ネギは魔法を学んではいたし、千雨は常に鈴音の存在を警戒する日々を送っていた。それでも、つい最近までは普通の日常を送っていたのだ。尤も、それも少し前に氷雨こと美姫との戦いで崩れてしまったが。

 

つまりネギと千雨は、刹那や楓のように実戦経験が豊富なわけではないのだ。そんな彼らが、あれほど濃密な殺気を浴びせられたのは初めてであった。今まで彼らが殺気だと感じていたものは、邪気や、或いは垂れ流しになっていた程度の殺気でしかなったのだ。一度たりとも、鈴音やエヴァンジェリンらの本気の殺気を浴びた経験がない。

 

いくらタフな精神力があっても、根本を支える戦意を挫かれてはどうしようもない。千雨もネギも、悲しいことに精神力だけは強固であったために、ここまでこれたのだ。だからこそ、ここにきて心の脆さが露呈してしまった。

 

圧倒的な暴力と恐怖が、気高い精神そのものを完全に、心根ごとポッキリとへし折ったのである。

 

「こ、こんなことって……」

 

「……我々は失念していたんでござろうな、二人が我々と違って実戦経験が乏しいことに。あくまで、心は年齢相応であったことを、忘れていた……!」

 

魔法世界を震え上がらせた鬼の置き土産は、余りにも残酷なものであった。

 

 

 

 

 

「……鈴音さん、大丈夫かい?」

 

「……何が?」

 

「さっきのことだよ」

 

木々が鬱蒼と茂る山の中を歩く2つの影。鈴音とフェイトだ。鈴音は気絶させた木乃香を抱えて走っている。あの後、二人は殺気に当てられて気絶した木乃香を連れ、千草と決めた合流地点へと向かっていた。

 

「桜咲刹那と戦っている時、ほんの少しだけ迷いが見えていた」

 

「……そう。……気づかれてた、か」

 

元来、彼女は寂しがりやだ。なにせ幼くして両親をなくし、ただひたすらに自分を殺せる人間を求めてさまよった経験がある。そしてようやくエヴァンジェリンやアスナ、チャチャゼロというかけがえのない家族を手に入れた。

 

だからこそ、彼女はそれを失うことを嫌う。英雄との戦いを渇望し、その果てに死ぬのであれば構わないだろう。その時はきっと、その死を送り出していけるはずだ。それでも、彼女にとって別れは辛い。家族の温もりを求めながら、戦いを望んでいる。あまりにも歪み、矛盾した思い。

 

「……泣いているのかい?」

 

「……!」

 

人をやめて鬼となり、もう随分と経つ。鬼となってから自分は一度として泣いたことはなかった。いや、あの時エヴァンジェリンと出会った時。一度きりだけ泣いたことを覚えている。だが、それは嬉しさからくるものであり、悲しさから泣いたのは、あの惨劇の夜以来。

 

自分が、父を殺したあの時以来だ。

 

「……そう、か。……私はまだ、泣けたんだ……」

 

それほど長い間、一緒にいたわけではない。だが、彼女にとって刹那は紛れもなく大切な妹であったのは確かだ。そんな彼女と袂を分かったことが、悲しくて涙を流していたのだろう。

 

「……あの時、私は手加減をしてしまった。……刹那を殺したくない、そう思ってしまった」

 

殺す気でやったはずだった。だが、最初の鍔迫り合いでは手加減し、次の攻撃では殺気で彼女を気絶させた。そうする必要があったのも確かだが、しかし手心を加えていないといえば嘘になる。無意識に流れていた涙を指で散らす。あとに残ったのは、いつも通りの鬼の瞳。

 

「……でも、もう加減はしない。……彼女は敵、ただそれだけ……」

 

次は容赦などしない。そう心に決めて。


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