二人の鬼   作:子藤貝

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第三十七話 修学旅行三日目(午後)②

「……よし、メール送信できましたー」

 

携帯の画面とにらめっこしていたのどかが、そう言ってくる。一行は、楓に事情を説明したあとに近くの休憩所へと足を運び、そこで一息ついていた。

 

「ふむ、つまりこの作戦事態に参加したのは不本意な部分もあったと?」

 

「俺も強いやつと戦いたかったっつー我儘もあったからそれを許容してくれたからこそ参加したんやけど、大筋の内容がだまし討ちみたいで好かんかったんのは確かやな」

 

既に敵意を持っていない小太郎から、楓は色々と聞き出していた。それでわかったのは、彼は元々この作戦には乗り気でなく、戦える相手をこちらで請け負うという条件で参加したのだという。そして、もう一人の方は既に木乃香を攫いに向かったとのこと。

 

「ってそれじゃあこんな腰を落ち着けてる場合じゃないでしょ!?」

 

「しかし、現状ではネギ坊主はボロボロ、アスナ殿も鬼蜘蛛とやらの戦闘でヘトヘトでござる。他の二人も戦闘には向かんでござるし、動けるのは拙者ぐらい……」

 

「言っとくけど、向こうには神鳴流のねーちゃんもおるで」

 

「げ、月詠とか言うあの娘っ子もかよ!? こりゃ刹那の姐さんだけじゃマズイですぜ!」

 

動くこともままならない状況に、焦りを感じるアルベール。そんな時だった。

 

『うっ……くっ……!?』

 

「ど、どうしたんですか、ちびせつなさん!?」

 

突然、ちびせつなが苦しそうに呻きだしたのだ。みれば、段々とその体が透けていっているようにも見える。

 

『ど、どうやら本体の私の方に……何かあったようで……!』

 

そして、とうとう向こう側が見えるぐらいまで姿が薄くなってゆき、ついには完全に消滅してしまった。一枚の紙切れを残して。どうやら、依代となっていた符のようだ。

 

「そ、そんな……」

 

「マズイでござるな、悠長なことをしている場合ではなくなったでござる」

 

「……長瀬、いけるか?」

 

厳しい表情をしていた千雨が、突如楓にそう振った。楓は千雨の言葉の意味を介したようで、首を縦に振った。

 

「どのぐらいかかりそうだ?」

 

「幸い、ここから太秦はそう遠くないでござる。全速で行けば、それほどかからぬはず」

 

「じゃあ頼む。先に桜咲と合流してことにあたってくれ。私らも、落ち着き次第そちらに向かう」

 

「あい分かった。では、後でまた」

 

楓はそう言い残すと、一瞬で姿を消した。戦闘能力で言えば、その実力を隠しているアスナを除けば最も高いであろう彼女であれば、助太刀としては十分だろう。

 

「うし、私らももう少ししたら太秦に行くぞ」

 

「で、でも僕達も早く行ったほうが……」

 

焦り気味のネギ。先ほどまで激しい戦闘があったことを覚えていないのか、それとも無理をしてでも向かいたいと考えているのか。

 

(……こりゃ、精神的にタフってのもいいことばかりじゃないな)

 

肉体の限界を精神が凌駕している。体がボロボロでも立ち上がれるといえば聞こえはいいが、それは同時に肉体の限界を考えないで行動できてしまえるともいうこと。無理をしてしまえば確実に負担が大きくなる。加えてネギは未だ体がしっかりできていない子供。この先、こんなことが続けばいずれ致命的な怪我を負いかねない。

 

「せんせー、今はしっかり休んだほうが……」

 

「……心配してくださるのは嬉しいです。けど、ここで手を拱いているなんて……」

 

のどかがネギを諌めようとするが、ネギは逸る気持ちを抑えられないのか立ち上がり、杖を手にしている。

 

「皆さんはここで休んでいてください。僕は杖で飛んで……いたいっ!?」

 

ついには杖で飛び出そうとしていたネギを、千雨がデコピンで止める。痛みでその場に蹲るネギに、千雨は声をかける。

 

「アホか。杖でこんな人が大勢いる土地の空飛んでみろ、魔法のことがバレるぞ。それがないにしても、未確認飛行物体ってゴシップに載りかねねぇよ」

 

「で、でも……」

 

「でももヘチマもねえ。あんたはさっきの戦闘で重傷だったことも忘れてんのか? しっかり休んでかねぇと、足手まといにしかならんぞ」

 

強引にネギを座らせると、くしゃくしゃと頭を撫でながらネギに言い聞かせる。

 

「あんたは頑張りすぎだ。少しぐらい、生徒を信頼して待ってやるのも教師なんじゃねぇのか?」

 

「……そう、ですね。僕、少し焦ってたみたいです」

 

落ち着いたのか、ネギはそれ以降焦燥感を顔に出すこともなく、呼吸を落ち着けていく。やがて、疲れが出てきたのかそのまま微睡んで眠ってしまった。

 

「……こうしてみれば、歳相応のガキなんだがな……」

 

彼の背負っているものが何かはわからない。しかし、同じ尋常ならざる邪悪に付け狙われている身としてはあまりにも彼の負う宿命は重すぎる。

 

「疲れてらっしゃったんでしょうね……」

 

ネギの寝顔を覗きこむのどか。どこか、ホッとしたような柔らかい微笑みを浮かべている。

 

「なあ、宮崎」

 

「な、なんでしょう……?」

 

突然千雨から話を振られ、驚きながらも応える。

 

「……私は、先生に助言はできる。それに、氷雨のお陰で戦闘面でもサポートが出来るようになった」

 

彼女の言葉に、のどかの気分は少し暗く沈む。なにせ、言外にのどかではそれは無理だと言われているようなものだ。

 

「だがな、私じゃ先生は支えられない。私は相手を慮ることはできないし、先生と違って図太いからな。その点、宮崎は私よりもうまくやってくれてると思う。今朝のこととかな」

 

「え……」

 

思わぬ言葉に、のどかは驚く。同時に、彼女は自らを恥じた。彼女に対して抱いていた嫉妬。ネギとの付き合いの長さと、信頼関係の深さ。しかし、相手はそんな自分にもネギに対してできることを説いてくれているのだ。自分一人でできることには限りがある、それを知っているからこそできた助言だった。

 

「これから先、多分お前も魔法に関わっていくことになる。そうなったら、先生を支えていかなきゃならねぇが、私にはそんな細かい配慮は無理だ。感情面で、先生を助けられるのはお前だけなんだよ、宮崎」

 

「私、でもそんな……」

 

「押し付けてることはわかってる。先生はああ見えて歳相応に打たれ弱い、けどそれを表面上は見せないようにしてるから質が悪い。そんな先生に対して機微を感じ取れなんて難しいことだ」

 

そこまで言うと、彼女は一息だけ呼吸を起き、告げる。

 

「けど、誰かがやらなきゃ駄目だ。もう一度言うぞ、それは宮崎にしかできない」

 

「私にしか、できないこと……」

 

その事実に、のどかは嬉しさがこみ上げてくる。同時に、暗い独占欲もだ。彼を心のほうからサポートできるのは自分だけ。それが何よりも嬉しい。彼の、本質に近い部分を独占できることに対する濁った欲望。

 

『クキキ、やはり……こいつも才能があるな……』

 

彼女の闇の部分を垣間見た氷雨は、密かに小さな笑い声をあげていた。

 

 

 

 

 

「うふ、うふふふふ……よう止めましたなぁ……先輩」

 

「生憎、死角からの攻撃というものには死ぬほど慣れていてな……!」

 

彼女の首筋へと迫った必殺の刃は、しかし彼女の命を刈り取ることなく止められた。それも、刹那のもつ野太刀、夕凪ではなく。

 

「村雨流の秘奥、まさか先輩も使えるなんて思わへんかったです」

 

彼女の小太刀を、素手で(・・・)受け止めていたのだ。それも、刃を掴んでいるのではなく手刀で。

 

「その技は、うちも未だ教わってへんのに……嫉妬してまいますわぁ……」

 

「どちらかと言えば憎悪にも見えるがな、貴様のその顔からして」

 

月詠は一見すれば笑みを浮かべているだけだが、その瞳の奥にはドス黒い炎が渦巻いていた。その様は、嫉妬というよりもまさしく憎悪と表現するのが相応しい。刹那は手刀を振って月詠の刃を弾くと、飛び退いて大きく離れる。

 

「貴様の相手をしている暇はなくなった。悪いが、お嬢様を助けに行かせてもらう」

 

「あら、うちとの決着はいいんどすか? このまま逃げるなら、姉さんとは袂を分かつと……」

 

「貴様と戦うことの何処に、姉さんを裏切る意義がある」

 

「……あらら、バレてもうたわ」

 

そう、彼女は確かに鈴音と共に行動しており、同じ立場の人間なのだろう。だが、それで鈴音の言葉を代弁しているわけではない。あくまで、彼女はこの決闘のために姉のことで刹那を揺さぶっていただけだ。

 

(奴の口車に乗せられたこともだが、何より私はそもそもお嬢様の護衛、それを見失いかけるとは精進が足りないな……)

 

ここで重要なのは、相手は木乃香を狙う敵であること。彼女の護衛であるならば迷う以前に身を挺して守るのが当たり前のことだ。

 

「せやけど、うちが逃すと思います?」

 

「愚問だな。貴様から逃げ切れないほど私が未熟だとでも思ったか?」

 

刹那は胸元から数枚の紙札を取り出すと、何かの呪術的な言葉を呟いて上空へ放り投げる。

 

「符術『風塵颪(ふうじんおろし)』!」

 

彼女の言葉と同時に、紙札は空に溶けるかのように消滅し、代わりに凄まじい勢いで突風が上空から吹き迫る。殺傷力は皆無だが、その分風圧で相手を足止めするのには最適な術だ。

 

「うひゃ~!」

 

さすがの月詠もこれには耐えるだけで精一杯で、視界が大きく狭まる。その隙に、刹那は木乃香とそれを追いかける低級妖怪の群れへと向かっていった。

 

「あやや、逃げられましたか~。けど、すぐに追いつきますえ~」

 

体勢を立て直した月詠は、ギラリと目を光らせて刹那の後を追った。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

 

『ケケケケケ』

 

『ケタケタケタ』

 

「もー! しつっこいなこのお化け共は!」

 

「は、ハルナ、もう私限界ですー!」

 

ホログラムにしては妙にリアルな妖怪の群れに追われ、ひたすら逃げ惑う三人。しかし、三人共に文化系なためか既に体力は限界に近い。特に、運動の苦手な夕映は完全に息が上がってしまっている。

 

「もぅ、うちも、バテバテや……!」

 

「くぅ~、締め切りという修羅場をくぐってきた私でもこれはキツイ! 精神的な耐久レースなら自信あるけど、走るのは辛いっ!」

 

しかし、走るのをやめれば妖怪たちに追いつかれる。そうなれば、何をされるかわかったものではない。なにせ、さっきまで悪戯程度のことしかしていなかった妖怪たちが、彼女らを追うと同時に目の色を変えたのだ。明らかに危害を加えようとしているのが見て取れた。

 

『クキャキャ!』

 

「あうっ!?」

 

ついに、三人で最も足の遅い夕映が妖怪の投げた枝に足を引っ掛け、転んでしまう。幸い怪我はなさそうだが、既に妖怪たちは夕映を逃げられないように取り囲んでいた。

 

「ピ、ピンチですか……!?」

 

『ウケケケケ』

 

『ヒョヒョヒョ』

 

『アヒャウヒャ』

 

見るからに知性というものが希薄そうな妖怪たちは、何が面白いのかしきりに笑い声をあげている。見た目は可愛らしいのだが、こうも大量にいるとかえって怖くも見えてしまう。

 

(くっ、魔法を使うわけには……しかし……!)

 

何とか切り抜けようにも、彼女が魔法を使えることは絶対に秘密にせねばならない。しかし、それではこの状況を脱するには手札が足りない。

 

「夕映!」

 

妖怪たちの群れの向こうからハルナの声が聞こえるも、その姿は見えない。いよいよ妖怪が夕映へと襲いかかり、万事休すかと目を瞑った時であった。

 

『楓流、五月雨手裏剣!』

 

『ウケケー!?』

 

『ヒョオオオ!?』

 

何か重たいものが地面に落下する音と、僅かな金属音。そして妖怪たちの悲鳴が聞こえてきた。恐る恐る目を開けてみると、そこにいたのは。

 

「な、長瀬さん!?」

 

「いやぁ、間に合ってよかったでござる」

 

3-A屈指の武闘派である、長瀬楓その人であった。神社から全速力で走ってきたせいで若干息があがっているが、それでも大分余裕が見える。一方、彼女の手裏剣攻撃で数が大幅に減った妖怪たちだが、未だ戦意は衰えていない。しかし、彼女がひと睨みすると途端に小さく震え上がり、その場から霞のように消え去った。

 

「夕映! 無事だった!?」

 

「変なことされへんかった!?」

 

妖怪たちが消えたことで、木乃香たちが夕映の方へと向かってくる。

 

「大丈夫です。長瀬さんが助けてくれました」

 

「危ないところでござったな。しかし、あれは一体何だったのでござるか?」

 

そう尋ねてくる楓に、夕映は言葉を濁す。あれが魔法関連のものであることは分かるが、かといってそれを馬鹿正直に話してしまえば彼女が疑われるのは必然。夕映はすぐに気持ちを切り替えると先ほど起きた事実のみを述べるだけにした。

 

「ふむふむ、それで刹那は戦闘中でござるか」

 

「はい。何やら、彼女とも関わりのある人物のようで、木乃香を賭けて勝負だと言っていました」

 

「ん? しかしおかしくはないでござろうか。賭けの対象である木乃香嬢を態々襲うなど……」

 

「……確かに、矛盾してるわねぇ」

 

楓の言葉に、ハルナが同意する。態々彼女を賭けて戦うぐらいなのだから、木乃香を害する理由はほぼない。ならば、別の目的があったと考えるべきだろう。

 

「もしや、決闘事態が囮で、木乃香嬢を追い立てて孤立させたあとに誘拐する腹づもりなのでは?」

 

「そう考えるとたしかに辻褄は合うけど……ひょっとして複数犯ってこと?」

 

「うむ。その可能性は大いにあるでござる」

 

楓自身はネギ達から話を聞いているためそのことを知っているが、彼女たちはそうではない。ならば、遠回しにでもその事実に気づかせて彼女らに危機感を持ってもらったほうがいいと彼女は考え、話を誘導していった。

 

(……彼女も、魔法のことについて知っているはず。ならば、これは私達の意識を誘導するためにやっているはずです)

 

尤も、夕映にはそのことは見透かされていたが。仮にもかの悪辣な魔女に育てられたのだ、この程度の思考の看破は容易い。

 

「お嬢様っ! ご無事ですか!?」

 

やや遅れて、刹那が木乃香たちのもとへとやってきた。妖怪から逃れるため、木乃香達もそれなりに走り回っていたはずだが、刹那はそんな距離を走ってきても息切れ一つしていない。

 

「楓、来てくれたのか」

 

「うむ。何やら嫌な予感があったため、参上した次第でござる」

 

「それは有り難い、悪いが二人のことを頼めるか? さすがに一般人に本当に危害を加える可能性は低いが、人質とされてはマズイ」

 

そう言って、夕映とハルナの方へと目配せする。彼女の言わんとすることを理解した楓は、首を縦に振った。

 

「構わんでござるが……刹那はどうするでござるか?」

 

「お嬢様を連れて逃げる。月詠のやつが私を追っていてな……下手にお嬢様から離れてしまえば向こうの思う壺だ」

 

「なるほど、あれほどの速さの持ち主相手では、拙者でも厳しいでござるからな」

 

思い出すのは、修学旅行初日に戦った時の夜のこと。それなりに速さに自信を持つ楓でさえ、月詠の残像さえ掴むことができなかった。恐らく、同じ速さで対抗できるのは刹那ぐらいだろう。とはいえ、あの時月詠と刹那が使った技術は、長距離を走るのには向かない上に体への負担が大きいため滅多に使わないのだが。

 

「お嬢様、失礼致します」

 

「ひゃ!? きゅ、急に持ち上げんといて?」

 

「申し訳ありませんが、悠長にしている暇がございませんので。楓、後を頼むぞ」

 

「了解したでござる」

 

楓に後を託すと、刹那は木乃香と共に街の中へと消えていった。そしてその数瞬後に、彼女らの場所にだけ突風が吹いた。

 

「び、びっくりしたです。急に風が吹くなんて」

 

「すごい風だったわねぇ」

 

(……月詠か。あの程度であれば拙者でも追いつけるが、あれが全力というわけではないはず。とんでもないでござるな……)

 

突風の正体にただ一人気づいた楓は、月詠や刹那の秘めたるポテンシャルに、無意識に武者震いをしていた。

 

 

 

 

 

「め、目が回る~」

 

「すみませんお嬢様、しかしこうでもしないと逃げ切れません故、今少しご容赦を」

 

刹那の走るスピードの世界についてゆけず、軽く目眩を覚える木乃香を、刹那は尚も抱きかかえたまま走り続ける。

 

「せんぱ~い、どこに逃げるゆうんどすか~?」

 

しかし、全力で走っているはずの刹那に後ろには月詠の姿があった。しかも、徐々に彼女はこちらとの距離を詰め始めている。

 

「くっ……しつこい奴だ……!」

 

「うふ、先輩は往生が悪いです~」

 

笑みを浮かべてはいるが、月詠の目は笑っていない。明らかにこちらを狩ろうとする捕食者特有の目をしていた。

 

(マズイな、このままでは追いつかれる……!)

 

木乃香を抱えている分刹那の出せるスピードには限界がある。一方、向こうは小太刀以外は持っていない身軽な状態。これでは追いつかれるのは時間の問題だった。

 

「お嬢様、少し荒っぽく行きます故、お覚悟の程を」

 

「え? ひゃわっ!?」

 

刹那は月詠を振り切るためにスピードを上げる。しかし一定の距離で速度を落とし、そして再び上げるといった具合に断続的に行っている。

 

「うふふ、確かにそれならうちから逃げられますけど……バテるのも早いですえ?」

 

どんどんと距離を離していく刹那だが、その顔には疲労の色が見える。なにせ、一回使うだけでも体への負担がばかにならない技を、連続使用しているのだから当然だ。彼女は月詠の姿が見えなくなったことを確認すると、ようやく立ち止まる。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「せっちゃん、大丈夫?」

 

「ええ、大丈夫、です……」

 

息切れしている刹那を心配する木乃香。刹那は大丈夫だと言ってはいるが、疲労の色は濃い。普段部活動で過酷な練習をし、それでなお素振りをする余裕を見せるほどの彼女が、ここまで疲れた顔をするなど滅多にない。

 

「どこかで、休憩しよ?」

 

「そうですね、私もすこしばかり疲れました……」

 

とりあえず、体を休めるべきだと思い刹那に提案する。刹那もそれに同意し、近場にあった茶屋にでも入ろうとしたその時。

 

「っ! 危ない!」

 

木乃香に飛びかかって倒れこむ刹那。一体何が起こったのか混乱する木乃香の手を引いて起き上がると、先ほどまで彼女らがいた場所に一本の矢が突き刺さっていた。

 

「ふん、逃さへんえ」

 

「貴様は……!」

 

屋根の上に現れたのは、先日木乃香を攫おうとした天ヶ崎千草だ。その隣には、大柄な体躯の烏族らしき存在が弓を構えてこちらを狙っている。

 

「チッ、ここへくるように誘導させられていたのか……!」

 

いくら刹那があちらこちらに逃げ回っていたとはいっても、偶然彼女らと遭遇したというはずもない。月詠によって、知らないうちにここへと追い立てられていたようだ。

 

「お嬢様を渡してもらうえ!」

 

刹那に向けて矢が放たれる。刹那はそれを横に飛んでかわすと、再び木乃香を抱きかかえて逃走する。

 

「くっ、足を狙うんや!」

 

再び放たれる矢。指示通り、刹那の足元を狙うも地面に突き刺さるに留まる。うかうかしていれば刹那に逃げられてしまうと考え、千草も後を追う。

 

「このままでは……」

 

一方で、刹那も焦りを覚えていた。間断なくこうも攻められては体がもたない。何処かに隠れてやり過ごそうかと考えていた。

 

「うふ、みーつけた」

 

しかし、前方に見覚えのある姿を見て足を止める。月詠が追いついてきたのだ。後ろからは、烏族を連れた千草が迫っている。まさに前門の虎、後門の狼であった。

 

「お嬢様、舌を噛まないようにお気をつけ下さい」

 

「う、うん」

 

木乃香の了解を得ると、刹那は勢いよく飛び上がり屋根の上へと着地して再び月詠たちから距離を取る。当然、月詠も千草も後を追ってゆく。

 

(あまり魔法がバレるようなことは避けたいが、今は緊急時だと割り切るしかないな……)

 

できれば刹那自身はなるべく目立つような行為を避けたかったのだが、既に月詠のせいで大勢の観衆に見られている。幸い、映画の撮影か何かだと思われているため、余程奇怪なことでもしなければ怪しまれることはないだろう。

 

千草の式神であろう烏族の放つ矢は中々に速く、躱すごとに体勢を崩されそうになる。更に、月詠が神鳴流の斬撃を飛ばす技、『斬空閃』でその隙を突こうとしてくるため逃げ足が鈍ってしまう。

 

(さすがに二対一は辛い……!)

 

背後に気をつけながら逃げていたせいか、いつの間にか大きな城の目前まできていた。道へ下りて城を大回りしようとしたが、月詠の飛ぶ斬撃が迫る。咄嗟に飛び上がって躱すも、今度は烏族の矢が襲いかかる。刹那は逃げるままに城を屋根伝いに飛びながら登っていく。

 

だが、それこそが彼女らの狙い。

 

「うふ、もう逃げ場はありませんえ~」

 

「動いたら射ますえ。大人しくお嬢様を渡しいや」

 

そう、逃げ場のない城の天辺まで誘導されたのだ。これでもう、刹那に退路は完全になくなってしまった。

 

 

 

 

 

「せっちゃん……」

 

「大丈夫です、お嬢様」

 

不安そうな顔をする木乃香を安心させようと、刹那は微かに笑みを浮かべながら応える。だが、月詠は意地悪そうな意味を浮かべると。

 

「へぇ、先輩はお嬢様のために命を懸けられるゆうわけどすか?」

 

「当然だ。私はお嬢様の護衛……」

 

「いえいえ、ちゃいます。お嬢様を友人として助けたいんかゆうことです」

 

「……無論だ、私にとっては大事な人に変わりはない」

 

月詠との問答。こちらを揺さぶるためにまた姉のことを持ち出してくるかと警戒するが、どうもおかしい。まるで、木乃香を守ること自体に意味があるのかと問われているかのようだ。

 

「へぇ~、ならお嬢様は知っとるんどすか? 先輩の秘密(・・)を」

 

「っ! 貴様っ!」

 

「せっちゃんの、ひみつ……?」

 

よもや、こんなところから切り崩してくるとは思わず、刹那は驚きと怒りで声を荒げる。一方で、月詠の言葉に引っかかりを覚えた木乃香は、複雑な表情だ。

 

「あら~、親友同士ゆうから知っとるんかと思っとったんやけどな~」

 

「……せっちゃん、本当なん? 私に、隠してることあるん?」

 

「そ、それは……」

 

嫌な汗が背中を伝う。隠し事をしているのは事実であり、そのことで悩むようになってから彼女とは親友としてではなく護衛として付き合うようになった。それでも、護衛として彼女とともにいるのは、やはり彼女と離れたくないから。二律背反の心が、ずるずるとなし崩しで年月が経つ原因となってしまった。

 

「せっちゃん、うち昔言うたよね。お互いに、秘密はなしにしようって」

 

「は、はい……そう、でしたね……」

 

「なら、あの人は嘘ついとるん?」

 

「…………」

 

「せっちゃん、答えてっ!」

 

幼い頃に友人が少なかった木乃香にとって、刹那は特に特別な存在だった。だからこそ、彼女は刹那にだけは自分の心の中を曝け出せると思っており、刹那もそうしてくれていると思っていた。しかし、刹那は申し訳無さそうな顔をしたまま黙ってしまう。

 

「……そっか。そうやったんやな……」

 

木乃香は、刹那の様子からそれが本当であることを察し、悲しそうな顔をした。親友と思っていた人物が、腹を割って話せると思っていた相手が秘密にしていることがあったという事実。自分が刹那に信用されていないと思えてしまうような、裏切られたかのような気持ち。

 

(うふ、人は自分が最も信頼する相手に裏切られたと思った時、その気持ちが反転するて姉さんが言うてはったけど……)

 

「私、結局せっちゃんに親友づらしてただけやったんやな……」

 

「そ、そんなことは……!」

 

「ええて。本当は、うちのことうっとおしい思っとったんやろ?」

 

(うふふふふ、確かに……そん通りかもしれまへんなぁ~)

 

信頼しあっていたはずの少女らが、心を急速に離れさせていく。そんな壊れ行く関係を眺めて、月詠は暗い愉悦を覚えた。

 

「うちを守るゆうんも、お父様の命令だからなんやろ?」

 

「ち、ちが……!」

 

「何が違うんやっ! 嘘つきっ!」

 

感情的になり、木乃香は刹那を思わず突き飛ばす。か細い腕にはさしたる力はない。だが木乃香に拒絶されたという事実に、刹那は呆然となってへたり込んでしまう。

 

「せっちゃんなんか……大嫌いや!」

 

「そん、な……」

 

親友からの明確な嫌悪の言葉。それは、刹那の心を突き刺すには十分であった。刹那は、見開いた眼から涙を溢れさせ、視界はぐにゃぐにゃと歪んでいく。まるで、自分がただ一人になったかのような錯覚を覚える。

 

バシュンッ!

 

だが、更に最悪の事態が起こった。動いたら打てと言われていた烏族が、刹那を突き飛ばしたという動きがあったために構えていた矢を放ったのだ。

 

それも、木乃香(・・・)へ向けて(・・・・)

 

「アホウっ!? お嬢様を射ってどうするんや!?」

 

千草のそんな叫びが聞こえるが、もう何もかもが遅い。鋭い風切り音を上げながら、高速で矢は木乃香へと飛来してゆき。

 

 

 

「……このちゃんっ!」

 

 

 

しかし既のところで、何かが彼女の前方を遮る。それによって、迫っていたはずの矢は彼女の眼前から消失した。

 

「…………え?」

 

それは背中だった。彼女がよく見た、彼女の背中。融通がきかなくて、お固い少女の背中。たった今拒絶した、親友だったはずの少女。

 

刹那の姿がそこにはあった。

 

「せ、ちゃ……ん?」

 

「よか、った……まに、あ……た……」

 

ぐらりと、横に倒れる。その胸には、先ほど飛来した矢と全く同じものが生えており。そこから、真紅の液体が滲み出ていた。

 

「い、いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

(ああ、私はこのちゃんを守れたのか……)

 

徐々に薄れ行く意識の中、刹那を抱き起こし、滂沱の涙を流しながら必死に話しかけてくる彼女を見て、刹那は彼女を守れたのだと、そんなことを考えていた。

 

彼女にあんなことを言われ、呆然としていた刹那であったが、木乃香に危険が迫っていると理解した途端に、勝手に体が動いてしまったのだ。まるで条件反射のように、彼女を守ろうと。

 

(やっぱり……うちはこのちゃんが大好きなんやな……)

 

秘密を持って、彼女に嫌われるようなことをしてもなお、彼女の側にいたいと願った。彼女にとって、木乃香は姉と同じ、いやそれ以上かもれしない大切な人なのだと、今更ながらに理解した。

 

「ごめ、ん……このちゃ、に、隠しごと、して……」

 

口をついて出たのは、謝罪の言葉。彼女を裏切ってきたことに対する懺悔。許してほしいとは思わない。ただ、どうしても謝っておきたかった。あんなに取り乱すほど、信頼してくれていた彼女に対して申し訳がなくて。

 

(ごめん、ね……)

 

急速に意識が遠のいていく。視界が暗転し、世界から突き落とされていくのが分かる。ああ、これから自分は死ぬのだと実感ができた。

 

「……せっちゃん? せっちゃん、せっちゃん! あああああああああああああああああ!!!」

 

最後に聞こえたのは、木乃香の悲痛な叫び。それを最後に、彼女はぷっつりと意識が途切れた。

 

 

 

 

 

――――ああ、また私はここへと来てしまった。

 

冥く吸い込まれそうな黒い空。

 

銀の太陽。

 

一面を覆う赤黒い海。

 

どこまでも見果てぬ、懐かしさを覚える何処か。

 

『本当にそれでいいのか?』

 

誰かの声。知らない声。姿はどこにもない。

 

『お前を呼ぶものがいる。お前を呼び戻すものがいる』

 

誰だ。お前は誰だ。第一、私を呼び戻すものとは一体……。

 

『お前はまだここにくるべきではない。この世界はまだお前を求めていない』

 

なんだそれは。私は来るべくして来たはずだ。今更戻れるものか。

 

『聞け、お前を呼ぶ者の慟哭を。在るべき場所へと還れ』

 

光……? 眩しい……誰かの、声……。

 

『ゆけ、宿命背負いし者よ。お前の刻はまだ終わってはいない』

 

宿命? 私の宿命とは一体……?

 

――――さらばだ、またいずれ出会うその時まで。

 

 

 

 

 

「……ちゃん、せ……ちゃん」

 

目を覚ました時に聞こえたのは、誰かの啜り泣きと呼び声。刹那は、その声をとてもよく知っていた。

 

「この、ちゃん……?」

 

眼前に見えたのは、泣き腫らして顔がぐちゃぐちゃになった木乃香。かなり大泣きしたようで、涙の跡が濃く残っている。

 

「せ、ちゃん……?」

 

「うん、私だよ。このちゃん」

 

「せっちゃああああああん!」

 

刹那が目を覚ましたことに気づいた途端、木乃香はガバリと刹那へとすがりついた。いきなりのことに戸惑うものの、刹那も木乃香を抱き返す。

 

「ごめんな、ごめんな……! うち、せっちゃんの気持ちも考えんで、あんなこと……! そんで、矢が刺さって、死んでまうかと思って……!」

 

「うん、うん。うちもごめんな? このちゃんに、どうしても言えないことがあって。もし言ったら、このちゃんに嫌われるんやないかと思って……」

 

「……うち、自分のことばっかで、せっちゃんがそんな悩んでたことなんて全然気づかんかった。自分が恥ずかしいわ……」

 

「ええって。そのためにこのちゃんに隠しごとしとったんやからお互い様や」

 

すれ違いばかりであった二人であったが、刹那の命の危機によって、ようやく二人の関係はかつてのように戻りつつあった。

 

「……そういえば、うち、矢で射られたはずやけど……」

 

見れば、胸に刺さっていたはずの矢はそこにはなく、あるはずの傷も存在しない。ただ唯一、服についた大きな血の染みが致命傷を負った事実を物語っている。そもそも、先程まで城の頂点の屋根にいたはずなのに、今は地面の上なのもおかしい。

 

「えっと、うちもよくわからんかったんやけど……せっちゃんが矢で射られたあとに、お城の屋根から落ちそうになって、慌ててうちが手を掴んだんやけど……」

 

木乃香の話を聞くと、驚くべきことがわかった。刹那の手を掴んだ木乃香は、そのまま城から落下していったらしいのだ。だが、木乃香は落下死することよりも刹那が死にかけている事のほうで頭がいっぱいだったらしく。

 

「せっちゃんを助けたい! って心で念じてたんやけど、そうしたら体の奥底からなんかあったかい力が沸き上がってきて……」

 

彼女の周囲にその力が溢れだし、光りに包まれたのだという。そして、それと同時に二人の落下速度が目に見えて減り、更に刹那の胸の傷が段々と治っていったというのだ。しかし、それでも目を覚まさない刹那の姿に号泣していたのが事の顛末のようだ。

 

(このちゃんの潜在能力が開花したんやな……)

 

刹那はそう冷静に分析した。木乃香は近年でも、いや恐らくここ100年でも稀に見るほどの魔力容量を誇っている。恐らく、落下死するという命の危機と、親友である自分の死という恐怖から、彼女の眠っていた魔力が溢れだし、重力を和らげ、刹那を癒やしたのだろう。

 

「……このちゃん。うち、このちゃんに秘密にしてたこと、言ってもええ?」

 

「水臭いえ。せっちゃんはどうかは分からんけど、うちはせっちゃんのこと親友やと思っとる。大嫌いなんて言うたけど、やっぱりせっちゃんが大好きやから」

 

「……うちもや。うちも、このちゃんのことが大好きや。だから、うちの秘密を打ち明けたい。けど、これを教えたらこのちゃんが危険にさらされるようになる」

 

刹那の真剣な目に、木乃香はそれが本当なのだと理解した。

 

「……ええよ。うち、せっちゃんと一緒なら怖くない。どんなに危なくなっても、せっちゃんがうちを守ってくれるんやろ?」

 

心からの信頼の言葉。身を挺して自らを守ってくれた刹那に、木乃香はこれ以上ないほどの信頼を寄せていた。

 

「……うん、守るよ。うち、このちゃんのこと守れるようにもっと強くなる。このちゃんに嫌われるなんて思うような臆病な私を、認められるように」

 

いつまでも臆病なままではいられない。守ってくれた親友を、今度は守るために強くならねばならないから。

 

 

 

 

 

 

そんな二人を、遠巻きに眺める存在があった。和風の模様をあしらった仮面を身につけ、艶やかな紫の着物を着こなす少女。人にして鬼、明山寺鈴音であった。彼女は仮面を外すと、ポツリと呟く。

 

「……そっか。……それが、刹那の選択なら……」

 

刹那の成り行きを見守っていた彼女だが、その選択に対して彼女は表情一つ変えることはない。視線を自らの腰、そこに佩いている一本の刀へと向けると、再び呟く。

 

「……『紅雨』、何かした(・・・・)……?」

 

そもそも、いくら木乃香の潜在的ポテンシャルが高かろうと、瀕死の重傷を負った刹那を呼び戻すなど不可能に近い。ならば、何か別の要因(・・・・)があった可能性が高いだろう。

 

鈴音の問いかけに、刃は何も応えることなく、沈黙を保つのみであった。しかし、微かにカタカタと鞘の内で震えたような気がした。

 

「……そう。……あなたも、期待(・・)している(・・・・)わけ、か……」

 

鈴音は、ゆっくりと右手を持ち上げ、人差し指を立てて刹那へと指を指し。

 

「……刹那。……次は、敵同士……」

 

明確な敵対の言葉を告げると、彼女らに背を向けて飛び去っていった。


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