二人の鬼   作:子藤貝

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第一話。主人公の名前と、彼女達の
出会い。それは運命の悪戯か、
それとも大いなる意思の必然か。
(追記:修正を行いました。また、主人公の名前にルビを振りました)


第一話 悪の芽生え

「……第七隊隊長殿が戻られない……」

 

「何かあったのだろうか?」

 

「馬鹿な、彼ほどの騎士がそう容易く・・・」

 

「しかし連合には最近活躍している『赤き翼(アラルブラ)』がいるというではないか」

 

「ううむ、だとすればまさか彼奴らに……」

 

「悲観的になってどうする! 隊長殿は生きておられるはずだ!」

 

此処は鎧の男の祖国、ヘラス帝国の帝都のある一室。彼の同僚である騎士団員たちは彼の帰還の遅さに不穏な空気を醸し出していた。ヘラス帝国騎士団といえば、その実直な働きと厳しい訓練をこなして来た精強な騎士団である。その部隊長といえば、帝国でも指折りの戦士である。第七隊長を務める彼ほどの人物がこんな長い間に報告もよこさず、行方知らずということはおかし過ぎる。

彼が行方不明になってから既に3日。5日前に連合、敵国であり大小様々な国家を統合して戦争を開始した相手、メセンブリーナ連合の特殊魔法戦闘部隊との戦闘を開始し、それらに勝利したという報告が最後であった。

 

「我々は待つしか無いのか……」

 

「俺は、俺は隊長殿を探しに行くぞ!」

 

「よせ! 俺たちはこの帝国の守護を隊長殿に任せられたのだ。それを破ってどうする!」

 

「そうだ、そんなことをすれば隊長殿の信を裏切ることとなる」

 

「分かっている……分かっているが……!」

 

悲痛な声。それだけで彼がどれほど慕われている人物だったかを如実に理解できる。騎士団員たちは、只々彼の無事を願い、帰還を待った。

それが既に叶わぬ願いだとも知らず。

 

 

 

 

「ううむ、やはり部隊は全滅であったか」

 

「くっ、これさえ上手く行けば帝国に大きく損害を出せたというに!」

 

「全く……役立たず共めが」

 

「全くですな」

 

こちらはメセンブリーナ連合首都、メガロメセンブリアの議会室。老人たちが忙しなく口々に意見を交わしていた。彼らはメセンブリーナを代表する議会である元老院の人間であり、いわば国会議員である。そんな彼らは、帝国騎士団と交戦し敗北した、連合が誇る特殊魔法戦闘部隊を口汚く暴言を放っていた。そもそも、彼らに秘密裏に帝都へと向かい破壊工作を行うよう

命じたのは元老院なのだが、彼らはそんなことは関係ないとばかりにかの部隊を貶していた。

 

「次の手を早く考えねば」

 

「では最近連合に加わった……何でしたかな……アラ……?」

 

「『赤き翼(アラルブラ)』ですよ、グラニア議員」

 

「おお、そうでしたそうでした。歳をとるとどうにも」

 

「いやいや、まだお若いではないですか! で、『赤き翼』とは?」

 

「最近連合に加わった若造が率いている駆け出しの連中ですよ。が、最近戦場で次々と戦果を上げてまして」

 

「そうか。なら、そ奴らにはグレートブリッジの奪還作戦に参加してもらうとしよう」

 

「では、軍備はどのように?」

 

「そうだな……」

 

彼らの思考には既に、特殊魔法戦闘部隊の面々はいない。結局、彼らは議員たちにとっては体の良い駒程度なのだ。連合の利権を食い物にし、贈収賄は常である彼らにとって、手先となる人間に一々構ってはいられない。むしろ、尻尾切りをするときにはその方が便利だ。

会議は進む。されど人々のためではなく。

 

 

 

 

少女は眠っていた。懐かしい思い出を夢に浮かべながら。彼女がその人物に出会ったのはいつだっただろうか。少なくとも5年以内なのは確かだと思ってはいるが、それが本当に正しい認識なのかは定かではない。彼女に出会う前は酷いものだった。一族郎党が全滅する大殺戮が展開され、少女は一人になった。

最初の数日は何とか生きられた。

だが、家が放火された後は路頭に迷った。

それでも、何とか生きてこられた。少女は生きること自体にはあまり興味がなく、ある一点のみを目的として生きていた。目的のためなら平気で人も殺し、奪った。そんな事ばかりしていたせいで、公的機関に目を付けられた。追われ続ける日々が始まった。警官に見つかれば殺し、金がなければ民家に入って殺し、食料がなければまた殺し。気づけばどれだけの人間を殺してきたのかわからない。だが、彼女にとってみればそんなことはどうでも良かった。彼女の目的が達成されれば、それでよかったのだ。

しかし、いよいよそんな彼女も逃げるのが辛くなってきた。彼女の生まれた国家、日本には凶悪犯罪者専門の組織があった。古くから日本を守護してきた組織の名は、『関西呪術協会』。

後々知ったが、正確には凶悪犯罪者も対応するというだけで、彼らの専門はもっと悍ましいもの、魔の討滅にあるらしい。即ち魔物や妖怪といった存在や、邪法を操る陰陽術師に敵対している西洋魔法使いなどだ。

最初はまだ戦えた。彼女の一族は現代から逆行した考え方を持つ古い歴史を持つ武家であったため、彼女もその手解きを嫌というほど受けていた。不思議な術を使ってはきたが、その尽くを殺した。だが、徐々に強くなっていく彼らを相手にするのは辛く、彼女は海外に逃げることを決意し、朝鮮半島行きの密航船を利用して海外へと逃亡することに成功。以降彼女を追う者はいなくなった、かに見えた。

彼女は行く先々で日本と同様の事をしていたため、日本同様に犯罪者として追われ、そしてその国々の裏事情に関わる魔法使いやら何やらとも戦ってきた。そうして2年程逃げ続け、ヨーロッパ諸国を回っていた時。

彼女は運命の出会いを果たした。

 

 

 

 

「……腹が……減った……」

 

昨日も、彼女は目的と欲求を同時に満たすため、民家に押し入って殺しをした。箱入り娘として育った彼女は、古風な考えに囚われ続ける武家の生まれであったために、しっかりとした倫理観を持てないままでいた。彼女の流派は殺しを是とするものであり、いかに効率良く人を殺せるのかを幼い時から叩きこまれてきた。

その結果、彼女には歪な人格が宿った。命の尊さを知っていながら、平然と人を殺せる人間となってしまった。そして、彼女の一族が全滅してからはそれが顕著になった。彼女の目的のために、彼女は進んで人を殺すようになったのだ。彼女が強盗まがいのことをしていたのは、その目的は9割方目的のため、欲求を満たすのは1割程度しか無い。

 

「……いつになれば、終わるのか……」

 

彼女の目的は未だ果たされない。その目的が果たされる前に、自分は死ぬのか。だが、それでいいのかもしれない。自分は人々を殺して殺して、殺し続けた。

幸せそうな家庭があった。

結婚を控えたカップルがいた。

長年連れ添い、固い絆で結ばれた老年の夫婦がいた。

どれも、彼女が奪ってきたものだ。

自分の目的という、エゴのために。

吐き気のするような行為だ。自分からしても最低の行為だと分かっている。

それでも、彼女は確かめずにはいられなかった。目的を果たすためには。

 

「……霧が……?」

 

今晩は冷えると思っていたが、彼女の勘は今日は一日晴れ渡るはずだと告げていた。

だが、現に彼女の勘は外れ、霧が辺りに立ち込めている。それでも、彼女は違和感を感じていた。

 

「……微かだけど……何かが違う……」

 

彼女は霧の中に何か別のものを感じた。それは彼女を追ってきた者達がよく使ってきたものであり、

 

「……魔法……」

 

そう、この感じは魔法を発動するためのエネルギー、魔力が霧に含まれていることからの違和感だった。

 

【ほう……私の魔法に気づいたか】

 

突如彼女の耳に届いた、妖艶な声。霧の奥から聞こえるそれは、彼女を警戒させるに足る、とても冷たく、威圧感を放つものだった。

 

「……誰だ……」

 

彼女は一言、声の主に尋ねる。声の主はそれを聞いたからなのか、クスクスと笑う。

 

【ふ、私が誰であるか……か。貴様ならば知っているのではないか?】

 

「…………」

 

彼女は黙して語らない。彼女には声の主がどんな人物か分からないからだ。ただ、少しだけ分かったことは、声からして恐らくは女であること。そして、彼女はそこそこに有名な人物であるようだ。それも、裏に関わる類の人間に。

 

【フン、だんまりか。まあ、それでもよかろう。魔法を知っている時点で、貴様が裏に携わる人間であると判断するには十分だ】

 

やはり。彼女は裏に関わる人間には有名な人物であり、こちらがそういった人間だと勘違いしている。

 

(……このまま勘違いさせてやり過ごす……?)

 

答えはNoだ。霧の向こうからであるというのに相手の威圧感が如実に伝わってきている時点で相当な実力者。力量を見誤るほどドジではないだろうし、逃げるのも不可能だろう。この霧からは先程から視線のようなものを感じ取れる。恐らく、相手はこの霧を何らかの方法で視覚と一体化させ、四方八方から自分の位置を確認できているのだろう。

対して、こちらは濃霧による視界の悪さで逃走経路は確保できない。下手をすれば相手のいいように誘導されて不利になった挙句嬲り殺しがいいオチだろう。

ならば。

 

(……寄って、斬る……)

 

彼女はそう意識を固めると、手に携えていたモノ(・・)を構える。それは、彼女が相手に唯一対抗しうる手段であり、今の彼女の全て。一族郎党を失って唯一つ手に残ったもの。一族の者達によって厳重に保管されていた、秘中の秘にして彼女の流派における至高の宝物。代々受け継がれる名刀、そして忌まわしき歴史を持つ妖刀。

 

「……『紅雨』、逝くぞ……」

 

そんな彼女に、日本刀である紅雨が答えるはずもない。だが、彼女の言葉に呼応するかのように、紅雨が僅かに鞘の内で震えた。気配は分かる。ならばあとは突撃して斬るのみ。距離は遠くない。よしんば遠かったとしても大した違いはない。彼女の流派はそれさえも容易く解決できるからだ。

 

「……狙うは、首か……」

 

日本刀というものは、切れ味が鋭いものだと思われがちだが、その実正しく運用できなければ重いだけのペーパーナイフと同じだ。重さで斬るというのもあるが、刃筋をしっかりと立てるのがその重さで難しい上に、人の肌というものは存外柔弱であるがゆえに斬り難い。更に骨はそれ以上に強固だ。骨というものは軽いくせに固い。それ故、斬るときに勢いがなければ骨で止められてしまうし、密度が低いせいで斬れずに折れてしまうこともあり、それで刃筋が逸れて歯が止まってしまったり、下手をすると刀身が折れてしまう。人を切るというのはそれ相応の技法が必要なのだ。

では、数々の人間を屠ってきた彼女はどうか。言うまでもない。間違い無く刃毀(はこぼ)れ一つ起こさず何十人と斬れる。その証拠に、彼女は人体でも切り飛ばしやすい首を狙っている。刃筋を立てやすいし皮が薄く、骨が太いがゆえに骨と皮の違いによって歯を阻まれにくい。頸動脈や太い神経も通っているため、よしんば斬り損ねてもほぼ致命傷だろう。ただ、その分人間の五感全てが頭部には搭載され、更に的も小さいため関節を曲げるだけで回避を行いやすい。そして最大の問題は、ただでさえ重くて振り回すと隙が出やすい日本刀を、重力に逆らって水平かそれに近い形で振る必要がある。素早く、勢いよく、一撃で屠れなければ途端に隙を晒してしまう。

だが、彼女にはその心配は無用である。彼女は人の斬り方を熟知し(・・・)過ぎている(・・・・・)

 

「……参る……」

 

言葉はその場に置き去りとなった。彼女は既に常人では不可能な、武を修める達人クラスでも

知覚は困難であろう速度で音もなく走りだしたのだ。ある程度の実力を持つ武人が体得している技の一つに、『瞬動術』と呼ばれるものがある。これは己を気と呼ばれる生命エネルギーや、魔力と呼ばれる精神エネルギーで強化し、凄まじい速度で直線的に移動する技だ。

勅選移動しかできないという弱点があるが、達人はこれを上手くコントロールし、ブレーキを掛けながら方向転換したり、文字通り虚空を蹴って移動できる『虚空瞬動』が存在する。

或いは、『縮地』と呼ばれる武術の技法が存在し、距離や早さは瞬動に劣るが、行動にある程度の自由が効き、気配を消せば相手の背後を素早く取り、気絶させるなど容易い。

これらを掛けあわせ、かつて仙人が使ったと言われる"本物の縮地"が如き動きを可能とするのが『縮地法』だ。

 

だが、少女が使っているものはそのどれでもない。『朧縮地』。彼女の流派で『縮地法』と同様の技法。その本質はただひたすらに速度のみを追求した、文字通り縮地を目指した狂気の技である。小回りだとか連続使用だとか、そんなものは一切考えず、ただひたすらに速さを、疾さを。あまりの速度であるためほんの一瞬、刹那とも言える時間だけその姿がその場に留まる。そして次の瞬間にはその姿は(かすみ)に溶けて消える。そのため、彼女がその場から突如消えたかのような、そんな錯覚に陥ってしまう。正に朧月夜のごとく、月に掛かっている間はその姿を見せるが、月から一度離れれば闇に溶けてゆく。

勿論、こんな技は使い勝手が最悪なものであり、完璧に修得するのは普通の人間では不可能。

だが、彼女の流派はそれを扱うことを最低課題とし、扱えきれねば無能の烙印を押される。それ故一族の者は皆過酷な修練を積むことが前提であり、脱落者は数知れず。そして速度に慣れ、扱いこなすために特殊な薬品、今にして思えば魔法関係の薬品であろうそれを何度も服用し、感覚を強化する。しかし同時に強烈な副作用も存在し、そのあまりの激痛で自殺したものが大半であった。これほどに苛烈な修練と肉体改造をしていたのは、彼女の流派が復権を狙っていたためだ。元々は日ノ本において長い歴史を持っていたのだが、ある時期から別の流派に仕事を奪われ、落ちぶれていったのだ。だが、最近まではそれで満足していたのだ。しかし、それだけでは満足できないものが、一族から出てきたのだ。ただし、それは今語るようなことではないことであり、このまま割愛させていただく。

 

(……見つけた……)

 

霧の向こうに黒い(シルエット)が見える。恐らく、あれがこの霧の発生元である魔法使いだろう。だが、そのシルエットは・・・。

 

(……? ……やけに小さい……)

 

その姿は幼い彼女と同等か、少し小さい。童だったのだろうか。だが、一度斬ると決めた以上

相手が女子供だろうと老人だろうと斬ってきたのが彼女である。躊躇いなど無い。そのまま一気に近づいていく。握った柄を勢いよく前方へと引き抜き、次いで刀身を抜き身へと移行させていく。速度は相変わらず出鱈目なもの。相手も恐らくは知覚できてはいまい。彼女は速度を維持したまま、居合の要領で鞘から抜刀する。そして次の瞬間には、

 

「き、貴様……!」

 

リィン

 

鈴の音が辺りに澄んだ音色を響かせ、首を撥ねた。

 

 

 

 

(……一瞬、私を見ていた……)

 

刀身を(・・・)鞘から出し(・・・・・)、血振りをして刀身にこびり付いた血液を振り落とす。

彼女が先ほど放ったのは、彼女の流派で『時雨』と呼ばれる技だ。短くしんしんと降る雨が如く、一瞬にして相手の生命を刈り取る、それがこの技名の由来である。やったことは大したことではなく、いわゆる移動型の居合である。ただし、神速の速さで放つ、という常人離れした技だが。居合の"ため"を利用して刀身を放ち、相手の肉と骨を有無を言わさず寸断する。そしてその勢いを再利用して刀身を一瞬で鞘に戻す。戻すには刃を返す必要があるが、勢いを殺さないために手の内で直接刀身を返し、もう一方の腕で鞘を刀身に向けて伸ばし、そのまま納刀するという、荒技とも言えるやり方である。普通そんなことをしようにも、勢いのついた重い

刀身はゆうことなど聞かない。慣性の法則に従ってそのまま動こうとするだろう。が、それを可能とするのが彼女が厳しい鍛錬を乗り越えた末に手に入れた恐るべき膂力である。日本刀という重い部類に入る刀身をこれだけ自在に扱えるのは、彼女の握力、膂力が凄まじいレベルであるからである。尤も、それ以外にも"気"による自己強化も多少の恩恵があるが。

さて、彼女は先程の光景を鮮明に覚えていた。霧を抜けて対象を斬ろうとした一瞬。見えたのは自分と同じく幼いながらも、恐るべき威圧感を持つ金髪の少女。漆黒のゴシックドレスは金の髪によく映え、美しかった。だが、それ以上によく覚えているのは、達人クラスでさえ知覚が困難な自分の姿を、その目に写していたことである。尤も、その後すぐに『時雨』で首を跳ねてしまい、今は自分の背後でおびただしい血液を噴出しながら倒れている。

 

「……もしかしたら……」

 

彼女であれば。自分の目的を果たしてくれていたのでは。一瞬そんな思いが胸の内を駆け巡る。だが、それは今となっては無意味な考えだと振り払うと、いつも通り少女は殺した相手の荷物を確認しようと近づこうとして。

 

【やってくれたな……!】

 

「……っ!」

 

地の底から響くかのような、怨嗟の声。それは先ほど殺したはずの相手と全く同じもの。少女は一瞬で死体から距離を置き、剣を構えて警戒する。すると、その少し後で信じられない光景が広がった。

 

「……馬鹿な……!」

 

死体の周りに広がっていた血液が、凄まじい速度で死体の内部へと逆流し始めた。それだけではない。切り取ったはずの首は、血の(あぶく)を浮かべながらどんどんと血液に変換されていく。そしてその血液もまた、死体となったはずの少女に向かって伸びていく。やがて、すべての血液が彼女に集結した後、その血液の一部が彼女の頭部を形成していく。暫くして、全て完了した後。そこには完全に生前の姿を蘇らせた少女の姿があった。

 

「…………」

 

夢でも見ているような気分だった。様々なものを、少女はみてきた。魔法使いの強大な雷の魔法、風を操り木を切断する魔法、水を操り溺れさせる魔法。

その中には、傷を癒す魔法も勿論あった。だが、所詮は人間。首を切り落とせばそれまでだったし、心臓を射抜かれれば絶命した。

では、今目の前で起こっているものは何だ。

あれは本当に人間だというのか。

否。

 

「……化物……」

 

「そう、その通りだ。ガキ」

 

彼女の思わずついた呟きに、返答が。その主と思しき、眼の前で復活を果たした少女はゆっくりと、地面から体を起こしていた。

 

 

 

 

 

「驚いたぞ……この私でさえ目で追うのがやっとの速度とは」

 

 

「……」

 

「だが、もう終わりだ。此処からは油断などしない……。本当なら女子供は殺さないが、貴様は危険すぎる……!全力で(くび)り殺してやる……」

 

リィン

 

再び鈴の音。その音と共に、少女は復活した少女の心臓を、正確に射抜いていた。

 

「ゴハッ!?」

 

「……死なない……?」

 

心臓を、即死するようわざわざ捻りを入れながら突き刺した。だというのに、目の前の少女は死なない。

 

「こ、の……!」

 

少女の怒りに満ちた目。それは刃を振るう少女を高揚させる材料に足りた。すぐに『紅雨』を引きぬき、距離をおこうとする。だが、それは不可能であった。

 

「……糸……」

 

「よく分かったじゃないか……私は『人形遣い(ドールマスター)』の呼び名を(ほしいまま)にする……悪の大魔法使いだっ!」

 

彼女の腕には、肉眼ではほとんど捉えられないような、それこそ闇夜では肉眼で確認できそうもないほど細い糸が絡みついていた。見ることができたのは、たまたま月明かりが細い細い弦を照らし出していたからだ。少女は抵抗できないまま、中空へと糸によって放り投げられた。

その真上に、何らかの魔法を使ったのかゴスロリの少女が現れた。そして放り出された剣の少女の胸に掌を置き、言葉を紡ぎだし、それと同時に落下が始まる。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、来たれ氷精、大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を!」

 

「……っまさか……!」

 

魔法を放つための、呪文。それが彼女の紡いでいるもの。直撃すれば間違い無く死は免れない。何とか抵抗して逃げ出そうとするも、ここは上空であるためうまく力を出すことができない。彼女は気を使って足元に地面を擬似的に形成し、瞬動を行う、『虚空瞬動』も扱うことができるが、今の彼女ではそれはできない。体中が糸によって雁字搦(がんじがら)めになっているからだ。

 

「『こおる大地』!」

 

地面に到達する直前。彼女は掌に集めた凄まじい魔法を放つ。間違い無く殺した・・・魔法を放った少女は確信する。だが、それは間違いであるとすぐに思い知ることとなる。放ったはずの魔法が……少女の(・・・)胸の中に(・・・・)吸収された(・・・・・)のだ。

 

「なにぃっ!?」

 

驚きの声を上げる少女。そのまま何事も無く、二人は地面に激突した。

 

「ガハッ!?」

 

剣の少女が悲痛な声を上げる。背中から3階建ビルの高さから落下したのだ。即死しないだけマシである。だが、間違い無く少女の体のどこかに多大なダメージを与えただろう。ゴスロリの少女は剣の少女を片手で持ち上げ、問いただす。

 

「貴様……一体何をした……!」

 

「……し、知らない……」

 

「……なんだと……?」

 

嘘を行っているようには見えない。ゴスロリの少女はそう判断する。これでも人を見る目はあるつもりだからだ。

 

「……本当に知らないようだな」

 

そう言うと、彼女は横へと彼女を放り投げる。地面に落とされ、傷を刺激されて咳き込む。

 

「……貴様は一体何だ? 吸血鬼(・・・)である私以上の速度と知覚能力で私を二度も殺し、その上魔法を吸収だと。出鱈目にも程がある……」

 

「……吸血鬼……?」

 

「そうだ、私は偉大なる真祖の吸血鬼にして『闇の福音』。あるいは『人形遣い』、『禍音の使徒』、『童姿の闇の魔王』。誇り高き悪の大魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ」

 

「……誰?」

 

「そうだ、貴様とて私の恐ろしさぐらい知っているだろ……なにィ!?」

 

「……私は、知らない……」

 

あんぐりと口を開け、呆けるエヴァンジェリンと名乗った少女。彼女は魔法使いたちにその悪名を轟かせる、正真正銘の悪の大魔法使いであり、彼女を知らないものなど、関係者には皆無であるからだ。だというのに、明らかに裏の関係者と思しき少女は、自分を知らないという。

異常だ。これだけの実力者ならば、そもそもエヴァンジェリンが名前と容姿ぐらい知っていてもおかしくない。だが、彼女の噂など全く聞いたことなど無いし、彼女も自分を知らない。

 

「一体何なんだお前は!」

 

「……よく、分からない……」

 

「……なに?」

 

「……自分のこと、よく分からない……」

 

改めて、剣の少女を見てみる。艶やかな紫の着物は返り血で所々が黒ずんでおり、奇妙なグラデーションを演出している。黒い髪はボサボサではあるが、手入れすれば美しく輝くであろうことはよく見て取れた。顔も幼いながら美しさと可愛さを両方備えており、将来随分な美人となるであろうことは想像に難くない。

だが、その瞳には何も写ってはいない。いや、何も宿ってはいないのだ。虚ろといっていい。

 

「……私は、一体何なの……?」

 

「……知るか。そんなものはお前で探せ」

 

「……駄目、もう私にはできない……」

 

「……お前は……っ! よせっ!」

 

少女に何かを語りかけようとした時。少女は首筋に己の日本刀を当て、自殺を図ろうとしていた。それを防ごうと、エヴァンジェリンは少女の握る日本刀の刀身に手を伸ばす。鋭い刃のせいで手の皮が切れるが、吸血鬼である彼女にはさしたる問題ではない。

 

「……離して……もう、生きたくない……」

 

「……何故だ、何故今になって死のうなどと……」

 

「……もう、目的を失ったから……」

 

「目的、だと?」

 

そこから少女は、ポツリポツリと言葉を吐き出し始める。少女は幼い頃から剣術を習い続けていた。少女の両親は、彼女に厳しくも、優しかった。父は厳格ながら、たまに散歩に連れて行ってくれ、優しい笑顔を零すことがよくあった。母も、弱音を吐くことは許さなかったが寝る前には必ず一緒に布団に入り、本を読んでくれた。ある時、少女は手合わせの最中に人を殺してしまう。真剣同士での勝負であったが故に、だ。少女は、その時何の感慨も浮かばなかった。むしろ、その時から彼女は空虚になっていった。

人はこうも簡単に死ぬものなのかと。

世界はこんな単純であるはずがない、と。

少女は斬って、斬って、斬り続けた。

母が読んでくれた、鬼を斬り捨てた武士の話。

鬼という、妖怪の中でも強大な存在を斬り伏せるという、馬鹿げたお伽話。

だが、彼女はその武士こそを欲した。

自分が人を殺す鬼となれば、そんな存在が現れるのではないかと。そんな存在が現れれば、世界はこんな愚図な自分に容易く斬られるような、そんな単純で軟弱なものではないと実感させてくれる。それを信じてここまで来てしまったのだ。

 

「……正に狂気の沙汰だな……」

 

「……でも、もう駄目。……貴女は私が初めて殺し損ねた。……でも、貴女は化物、人間じゃない」

 

「……」

 

彼女の目的。自分のような化物に斬り殺されず、自らを討滅するような、そんな存在。彼女が欲したのは人間という仇敵だった。それを得るためだけに、少女は鬼と成った。そう、『剣の鬼』に・・・。

 

「……私は、『呼吸』が見える……、初めて見えたのは、初めて鍛錬をした日の時……。それから、色々な『呼吸』が見えるようになった……」

 

『呼吸』。彼女が、そう言うそれは様々なものにあるらしい。動物の呼吸、植物の呼吸、虫の呼吸……。それは生物だけに留まらず石の呼吸、水の呼吸など、無機物にも見えるらしい。

エヴァンジェリンは、かつて日本を訪れた際に武の達人と出会ったことがある。彼は合気術を修めていたが、彼曰く『武の果てには、その命の息吹さえも読む術もある』という独自の理論を展開していた。何を馬鹿なと、その時は歯牙にも掛けなかったものだが、今確信した。

この少女は、この幼さで武の深奥に辿り着いてしまったのだ。彼女は、生まれついての剣術の類まれなる才能があった。そして彼女は、精神が成長する前に世界の脆さを知った。それを認めたくない幼い少女は、お伽噺の鬼を騙り、自らを打ち倒す存在をひたすらに渇望したのだ。

 

「……貴女の魂は、人間のものだった。……だから貴女なら、私の剣を受けても死ななかった貴女なら……そう思った」

 

「……そうか」

 

エヴァンジェリンは、幼い頃に無理矢理に吸血鬼にされた苦い思い出がある。そして自らが人間であったことを忘れないように、人間らしい生き方を心がけてきた。それでも、周りは寄って集って彼女を化物扱いした。目の前の少女もそうだ。だが、彼女は自分の魂が人間であると、そう言ってくれた。武の深奥にたどり着いた、それこそ本当に魂の本質を見抜けるであろう少女に、そう言ってもらえたことが少し嬉しかった。だが、少女の魂はどうか。救われているかと問われれば、否だろう。

 

「……でも、貴女は吸血鬼だった。……吸血鬼って見たことがないから、吸血鬼が皆人間と同じ魂なのか、それとも貴女が特別なのかはわからない……。……それでも、貴女が人間じゃない以上もう望みなんて無い。……貴女ほど強い存在なんて……どこを探したっていないだろうから……」

 

 

その悲痛な姿が、かつての自分に重なった。こんな幼い少女が、己と同じ道を歩まざるをえない。なんという悲劇であろうか。600年。自分は生きてきて世界を知った。だが彼女は、そんな長い時間を生きられない。ならば、自分がそれを教えてやればいいではないか。

 

「……なあ」

 

「…………何?」

 

「お前は鬼なんだろう? だったら、お前も化物だ」

 

「……うん、私は……剣のバケモノ。……それ以上でもそれ以下でもない」

 

「だったら、私の下僕になれ」

 

その言葉に、少女は呆けた表情になる。その愛らしい姿に、エヴァンジェリンはようやく彼女の、歳相応の顔を見れた気がした。

 

「……いいの?」

 

「ん、なにがだ?」

 

「……私は、人を殺しすぎて……もう魂が鬼と同じ……」

 

日本では古来より、人を殺すのは鬼の所業であるとされた。人を殺めれば人として揺らぎ、人を何人も殺せば殺人"鬼"だろう。では、人を殺しすぎたものの末路は何か。その答えこそが彼女だろう。人をあまりに殺しすぎ、その魂の本質は人から逸れてゆき、鬼と成ったのだ。

 

「何だそんなことか? 私とて吸血"鬼"だぞ?」

 

「……でも、貴女の本質は人間と同じ。……それに私は、人を殺しすぎた。……吐気がするような犯罪者……」

 

「ククク、それを私に言うか? 私は『闇の福音』だぞ?女子供は殺さないとはいえ、夥しい人間や亜人を殺し、この手を血に染めてきた。今更たかだか数十人や数百人の人間を殺した程度の相手に、嫌悪感など抱くものか」

 

そう言うと、エヴァンジェリンは少女の口元に手を添える。

 

「あ……」

 

「ククク、美しいなぁ……ますます欲しくなった」

 

「……私を、下僕にしてどうするの……?」

 

そんな、彼女の最後の抵抗とも、自らを下僕にして欲しいが故の

理由付けを欲しているとも取れる、そんな言葉に。

エヴァンジェリンはただ愉しそうに答える。

 

「そうだな……英雄を探しに行くなんてどうだ?」

 

「……えい、ゆう……」

 

「そうだ。私達強大すぎる悪には、それを打ち倒す英雄こそが必要だ。だが、待っているだけでは我々の性に合わん。ならば探しに行こうではないか」

 

ククク、と。喉の奥で愉快に笑い声を漏らす。少女には、目の前の吸血鬼が、悍ましく、邪悪な存在に見えた。そして、それは彼女にとってはかけがえの無いものに見え、長年焦がれた永遠の忠誠を誓うべき存在に思えて他ならなかった。気づけば、少女は目の前の吸血鬼の抱擁を抵抗なく受け入れ、その胸の中に額を擦りつけていた。

 

「ん、どうした?」

 

「……やっと、見つけた……」

 

 

「……そうか。よかったじゃないか……」

 

エヴァンジェリンは、自分の腕の中で啜り泣く少女を、少し力を強めて抱きしめた。

月夜は彼女らを照らし、新たなる出会いを祝福しているかのようだった。

 

 

 

 

「……ん。マスターの夢……」

 

少女は朝日が昇るのを日の出で感じ、目を覚ます。夢に出てきたのは、自らが初めて彼女と出会った日。あの日に、少女は誕生したと言っても過言ではない。そんな夢を見る事ができて少し上機嫌な彼女が、川辺で顔を洗い、朝食をどうしようかと思案していた時。

 

【鈴音。起きているか?】

 

脳内に直接語りかける声。エヴァンジェリンの声だ。彼女は敬愛する主人の声に慌てることなく応答する。

 

【……はい。……お早う御座います、マスター】

 

【うむ、早起きは三文の得とお前の国では言うが、たまにはいいものだな。空気が澄んでいる】

 

【……それは私も喜ばしいことです】

 

【フフフ、どうした? いつもより少し上機嫌だな? 普段からあまり感情を表に出さないお前が】

 

【……夢を……とても良い夢を見ました……】

 

その答えに、エヴァンジェリンもまた楽しそうな声で問う。

 

【そうか。どんな夢だった?】

 

【……秘密、です】

 

【……ほう?】

 

少女の返答に、エヴァンジェリンは少し意外そうな声を出す。

 

【お前が私に秘密など、益々珍しい……。まあ、お前が楽しそうだからこれ以上は問わんよ】

 

【……寛大な御心、感謝致します】

 

【いいさ。お前は私の大事な下僕、従者なのだからな】

 

【……光栄に存じます】

 

【さて、お前にはこれからグレート=ブリッジに向かってもらう。そこで少し暴れてこい】

 

【……マスターの、ご命令のままに】

 

【くれぐれも危ない橋は渡るなよ? 私の愛しい従者】

 

当然だ。自分は彼女の、『闇の福音』のシモベにして同じく邪悪を背負いし剣の鬼。

 

【……はい、この明山寺鈴音、我が主人にして『闇の福音』、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル様の名に、傷を付けぬよう誠心誠意努めさせて頂きます】

 

【ククク……お前の名にも恥じぬようにな、我が下僕にして『狂刃鬼』、明山寺(みょうざんじ)鈴音(りんね)よ】

 

少女は今は別の場所にいる自らの主人に向け、頭を垂れる。出会いし巨悪は、物語を歪な姿へと変え、壊していく。


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