「なんでこんなことした?」
九重は答えない。怯えた様子で此方を見る。別に脅かしてるつもりはないんだが、やはり子供は秘密がバレると罪悪感から保守的な姿勢に変わるようだ。大人なら開き直る場合がよくあるが。
しかし何故だ、何故ここまで下手になる。俺と最初に会った頃は怖じ気づくことはなく、挑発な態度で恐れず攻めていた。まるで俺のことなど、眼中に無いように。
「だって、ひとりじめしたかったから…」
泣きそうな表情で少しずつ絞り出された言葉。主語すら使われていないそれに此方としては少々困惑してしまう。
「…もうちょっと詳しく」
「りんが、先生を」
どんだけ独占したいんだよ、コイツ。将来彼氏とか束縛しそうだな。顔は間違いなく美人になるが、性格で苦労しそうである。平塚先生みたいに。まぁ俺は、そういうのも好きなんですがね。
特 に 戸 塚 か ら 束 縛 さ れ た い 。
「独り占めといっても、この学校じゃ俺の相手をする奴なんてお前ぐらいだろ。ぼっちの環境理解してる?」
周りは基本無視だからな、俺の存在を認識しているのはあと宇佐ぐらい。鏡は論外で。
「違うもん。あの、いろはって後輩」
「あー、なるほど…」
ここで一色か。確かに九重から距離を置き始めたのは一色が現れたあたりだったから、そう感じてしまうのも仕方ない。実際にそれまでしっかりと九重の相手はしていたから。
だが、俺自身が九重から離れたのは何も一色が原因ではない、もっと別の、俺が築き上げた物があったからだ。吹けば崩れる脆い、逃げという名の壁が。
「私は、先生のこと何にも知らない。先生のこと大好きなのに、先生の好物も知らなかったし、イジメられていたことも知らなかった。なのにあの人は先生のことを知ってる、私が知らないことをいっぱい。付き合うことも出来るし、結婚だって出来る。誰も文句言わない。それがすごく────ずるい」
もしも、もしかしたら、そうであれば。誰もが必ず考えてしまう、あり得たかもしれない環境、世界。それに今、九重は翻弄されている。あと十年歳が近ければ、きっとこんなに苦しむことは無かっただろうと。そんな世界はどうしようもない偽物で愚かなくらい下向きな思いだが、別段その考えは嫌いではない。絶対に手に入らないとしても、求め続ける九重に共感を覚える。
だからこそ、こんな簡単なことで俺の信条は崩れてしまうのだ。優柔不断な心が憎い。
「今度のテスト。ちゃんとするなら色々教える…」
「ホントっ!?」
一変して目を輝かせる九重。向かい側に座る席から立ち上がり、机を挟んで俺に近寄る。近いな。目線を合わせられないので、すかさず逸らしてしまう。
きっと、いつか後悔するだろう。今ここで俺の昔話をして、九重が別のクラスになった時笑いの種にするかもしれない。今では関係が良好としても、仲違いが起こればこの子に弱味を握られたも同然なのだから。
「お、お前の点数が悪いと俺の成績も悪くなるからな。仕方ないだろ」
「うん、うん! そうだね!」
先生の内情も流石理解していらっしゃる、小三にしてはホントに頭良いな。ますます教えるのが怖くなったが、それでも…これだけ喜んでくれるのなら今だけ悪くないかもしれない。さて、何から何まで話すべきか…。
「ねーねー、せんせー!」
「なんだ?」
「今度のテストで満点取ったら、りんとエッチして!」
前言撤回、やっぱ恐いわ。コイツ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一人、思考を続ける。深夜の自宅で寝転びながら。
九重が何故あそこまでませているのか、そして何故俺を求めるのか。父親どころか交際経験がない俺が考えたとこで、出せる答えなど、たかがしれる。情という物から離れていた俺に、どれだけ時間を重ねても悪い方向ばかりに答えが行き着く。宇佐の時は自身の経験があればこその対応だ。こんなことを続けていても、わからないことをわかった気になるだけ。
本当に相手側が求める答えにはならないのだ。だというのに、何故思考を止めない?
「なんなんだ」
個人に心が揺れすぎだ。ちょっと自分は教師に向いていないなどと考えも入ってきた。らしくないことが頭を過る。
先日想ったばかりではないか。期待するなと、無関心であれば期待も何もない。教師に向いていないなど、当たり前のことではないかと。
床からベットに横たわり、スマホのアドレス帳を開いていく。戸塚、小町、親、一色、あーしさん、川崎、ルミルミ、由比ヶ浜、雪ノ下と学生の頃に比べてラインナップが充実したそれらをジッと眺めながら流していく。この中の誰かがその答えを知っているのではないか、そんな気がして。そして最後に開いたのは。
【平塚先生】
いやいや。…いやいや。
無意識に選んだけど流石に無いわ。 そりゃ確かにこの人は勘も良いし鋭いし博識で先生としても一人の人間としても尊敬出来る存在だが、平塚先生に頼むのは気まずい。
だって俺の住所知っていたことに関する謎が解けてないし、ぶっちゃけ怖いし。画面ギリギリの指が思い止まり、ホームボタンを押そうとしたが、画面にタッチしていないにも関わらず、着信を入れてしまう。
「うおおお!?」
説明しよう!
スマホのタッチパネルは接触による操作ではない! 実のところこれは、タッチパネルその物の中に縦と横に走る多数の電極の行列があり、タッチパネルの表面はいつもわずかな薄い膜で出来ている静電気で覆われている! そのためタッチパネルに触れると、その静電気を指がすい取りセンサーがどこの静電気がすい取られたかを読み取ってタッチされた場所を特定し、操作が実行されるようになっている! つまりはパネルに触れてというよりは、静電気に触れたことで反応する、ということなのだ!
…説明が長くなったが、指がギリギリまで狭まっていれば画面に直接触れずとも反応するのは当然だ。
大慌てで止めようとしたが、既にコールは始まっている。繋がるの速すぎぃ!
そして“ワンコールの途中”で久方ぶりの声が聞こえた。
『ひ、比企谷か?』
早くなぁい? なんでワンコール終わる前に出れるんだよ、まさかこの人…ずっと俺からの連絡を待っていたんじゃないだろうか。いや…変なことを考えるのはよそう、たまたま手に持っていた可能性がある。ネットサーフィンしていたとか、そんな感じで。
「お、お久し振りです」
『嬉しいよ、君からこうして連絡を寄越してくれたのは』
電話越しからも伝わる、先生の噛み締めるような喜び。深い息を吐くような口調は、昔となんら変わらないものだ。
「ええ、まぁ…俺もまさかとは思っています」
カラカラとした笑い声が聞こえた。全くもってそうだ。そもそもこの電話も事故みたいなものだから、有り得なかったものなんだが。
『だろうな。けれど、こうなったからには何か伝えたいことがあるからじゃないのか?』
察しの良さも変わらず。ホント、俺と相性良いな、この人。
「相談したいことなんですけど、まずはどこから話せば良いのか…」
『何。丁度暇をしていたとこだ。長くなっても構わない、一から順に言ってみるといい。私は君の言葉を蔑ろにしないさ』
恩師の優しげな言葉に思わず引き込まれてしまう。初めはそんなつもり無かったというのに、気がつけば俺は全てを語っていた。中村先生のこと、宇佐のこと、鏡のこと、一色のこと、俺の立場、九重のこと。
何が起きてどのように解決したのか、次の問題、一色と鏡についての解消案を提示し、そして現在わからない(九重)ことを。
『…やはり君は凄いな』
「誉めて伸ばす方針ですか」
『事実を言ったまでだ。君の慧眼ぶりは衰えていない』
平塚先生は更に付け足す。今、俺は新任でありここ数ヶ月で“素人から実戦投入出来る教師”として勉強している期間だ。授業におけるスキルアップを重点におくこの期間で本来ならば生徒達とコミュニケーションを取っている場合ではない。ましてや他人のことに首を突っ込む余裕など無いに等しいと言う。
『だが君は既に、その鏡黒という生徒の弱点と解決策を見つけ出している。一色いろはの問題についてもだ』
「考えれば簡単なことですから。それに俺のは解決策ではなくて解消案です。根本的にその人のためにはならない」
ハッキリ言って良くは無い案だ。一色については最低なやり方で、鏡に関しては教師として相応しくない。
俺のやり方はどうしても救いにはならないのだ。いつか雪ノ下が言っていたように。
『そうだな。君が一色を本当に助けたいのならば、そのやり方は止めといたほうが良い。まさか君が代わりを務めたりしないだろうな?』
早くも勘づかれたか。
「いや、なんで一色の名前が出るんですか…」
『別に良いじゃないか。君だって可愛い後輩に慕われるのは悪くない気分だろう?』
慕っているというより、扱いやすい駒のようなものじゃなかろうか。食事を利用して働かせるなど、悪知恵が上手い。わざとらしい、嘘くさい演技だとしても、時折見せるあざとくない仕草に此方はやられるのだ。きっとあれも演技なのだから、一色の御手玉技術は群を抜いているに違いない。
『全く、本当に変わらないな』
平塚先生は大分呆れているようである。そりゃね、引っ掛かる俺も俺だけどね。
『君は物事を考えるのに秀でているが、“中身”を理解していない。右か左かはっきりしすぎて、真ん中や上下前後を見落としている』
「なんすかそれ、ネジの白眼ですか」
『ただの例えだよ。だから君は彼女が出来ない。折角のチャンスを無駄にする』
「チャンスなんて不確定要素に手は伸ばしませんよ…」
それに、異性に関する話しはアンタに言われたくないと言おうとしたが、向こう側から冷たい殺気を感じ取ったのでやめておこう。くわばらくわばら。
『しかし、その九重りんという少女もなかなか凄い子だな。君をそこまで翻弄するとは私の予想を越えている』
それを聞くと、俺がぼっち先生になるのは予想出来たみたいに聞こえるんですけど。考えすぎでしょうか。
『私の経験上、生徒が教師にベタベタする場合、親の愛情に飢えている可能性が高い。もしくは親に甘えたいが気恥ずかしくてその感情をそちらへ向けているか』
後者は反抗期によく見られる兆候らしい。本人としては自覚が無くとも、甘えという感情はけして無くならないため無意識の内に行動する。或いは友人の場合もあるだろう。友達はいないし、親の愛情に別段飢えていなかった俺が理解出来るはずもなかった。
『性知識については何とも言えんな。私は国語の教師であって保健体育ではない』
「そんな屁理屈言われても…」
『君の得意分野は考えることだろう? ならばそうするしかない』
「散々考えましたよ。でも、考えたところで正解とは限りませんし」
『本当にどうしようもないな…。たまには考えることも止めて、当たって砕けることもしてみろ』
言ってることが無茶苦茶である。アンタさっき考えろって言ったのに、もう考えるのを止めろとか。つーか当たって砕けたら意味ないし。
『教師の仕事は頭で教えるんじゃない。心で教えるんだ』
「はぁ…」
『九重りんが教師のことなどすぐ忘れると思っているが、それこそ正解ではない。こうして私に連絡してくれたことが何よりも間違えた証拠さ、比企谷』
そうであった。俺にとって大きな影響を与え重要な存在であるこの人こそが、恩師であったことに気づいていなかった。覚えていて当たり前のようなことだったから。屁理屈の割に筋は通る。
「わかりました。出来るかどうかわからないですけど、まぁ…やってみると思います。多分」
『当てにならん返事だなー。君に問題があれば、私に泥を塗ることになるんだぞ?』
それはどういうことだろうか。俺の問題で平塚先生に悪影響を与えるとは。
『その学校へ君を推薦したのは私だ』
「アンタが一枚噛んでいたか…」
おかげ此方はてんてこ舞いである。
『小矢島先生、あの人は私の知り合いでな。期待の新人として押した。最近は少子高齢化の影響で教師も溢れている。コネクションが無ければ教師の仕事は貰えないんだぞ?』
コネで仕事を貰うとか、どこの奴隷国家だよ。嫌すぎる。
「初耳なんですけど…」
『小矢島先生はタフネスな見た目とは裏腹に、緩やかな人だからな。多くは語らず奥手はところがある。…そのせいで白井先生と親しく出来ないとか───いかん、ムカムカしてきたっ』
聞かなかったことにしよう。
「そういうことなら、仕方ないですね。先生に恥をかかせるわけにはいきませんし、やってみますよ」
『その意気だ』
これ以上の言葉はない。俺は電話を切ってから、小さく独りでに“おやすみなさい、先生”と呟いた。直接言わないのはリア充ではないため、単純に慣れていないからだ、こういうことは。
久しぶりの会話だと言うのにあっさりとした結だとわかってはいるのだ。相手に薄情と思われていないか、不快にさせていないか、嫌われないか、後々何度でも考えて悶絶する。頭でわかっていても、出来ないことは沢山ある。
別に深い意味ではないが、例え俺がどれだけ平塚先生と相性が良かろうと、同じ職業に就いても、あの人のことを「静」などと親しげに呼び捨て出来ないように。わかっていても考えて出来ないことは、間違いなくある。
考えることは可能な限り考えた。あとはどうなるかわからない。なら、さっさと寝ることにしよう。当たって砕けるのも、俺の得意分野であった筈なのだから。
ひとつ、気掛かりがあるとすれば。
「来月の請求が怖いな」
電話で長話しは程々にしよう。何時間話した? あ、やべ…ちゃんと切ってなかったわ。
切ってない=聞こえてる
平塚「ホアアアアア!?」
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